晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

『労農派マルクス主義』

2008-07-07 20:29:04 | Weblog
 『労農派マルクス主義 理論・ひと・歴史』(上・下巻)(石河康国著 社会評論社 2008年刊)                 

 凄い本が出版された。帯に、堺利彦、山川均、荒畑寒村、猪俣津南雄、向坂逸郎らオールド・マルキストの名が連なる。

 「はじめに」は、全文引用したい位の名文である。自分の情況認識とピッタリくるものがある。以下は、「はじめに」からの部分引用だが、労農派マルクス主義とはいかなるものであるかが感じられる文章だと思う。

 「労農派マルクス主義者たちは、日本の諸条件にあわせた労働者運動の主体をどう形成していくかを、どのマルクス主義潮流よりも真剣に探求した。日本共産党にくわわらず、戦前は共同戦線党を追及し、戦後は社会党・総評ブロックの前進に全力を傾注したのは、この姿勢の帰結であった。しかし、総評・社会党ブロックも崩壊した。いったいなぜか、労農派マルクス主義の歴史の反省は、社会主義運動の主体を日本で再生する途を考える一助となるだろう。」

 「人間の行なう運動であるから、個性が事態を左右する場面も多々ある。労農派の面々はだいたいにおいて、「普通の」市民たろうとつとめた。清水の舞台から飛び降りるような行動はあまりとらない。共産党系の活動家が、共産党から離れるとかなり異質な世界にむかいがちなのに反して、労農派は離れてもそうことなった世界にはいかない。良くも悪くも己の分をわきまえるところがある。」



 表層的で右翼的な人は、社会に批判的な人に対してレッテルを貼る場合、「あれは、共産党だから」で終わりにしてしまう。デリカシーの感じられない切り捨て方である。

 例えば、「九条の会」をどう見るか。日共系が主流を占めている組織もあれば、大江健三郎らいわゆる進歩的文化人(死語!)に連なる組織もある。大江に、「あなたは共産党ですか?」と問えば、絶句するであろう。

 マルクス主義も同様のことが言え、戦前から日本共産党とは理論的にも政治的にも別の系譜が連綿と続いている。そこに、本書は、焦点を当てたのである。今の時期に良くここまで調べ、また、こんな本を良く出版したものだ。上下巻2段組み400ページの大著であるが、久々にじっくり読みたい気分の本である。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする