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馬医者残日録

サラブレッド生産地の元大動物獣医師の日々

私が学生実習に来た頃 3

2019-10-09 | How to 馬医者修行

白筋症の子馬の採材は2週間ほどの予定だったが、結局1か月半ほど滞在することになった。

その間、朝は往診随行させてもらい、昼間は診療センターの診療を見学し、夜はセレニウムの測定を教えてもらった。

夜12時に実験を終わって、早朝4時から往診随行したこともあった。

若かったんだね~

             ー

採材はうまくいった。

教授には「子馬だけでいいよ」と言われていたのだが、母馬や同居馬も採血させてもらった。

結局は、それが成績を出すことにつながった。

子馬は、治療としてセレニウムをすでに投与されていることが多く、しかも発症した子馬も発症していない子馬ものきなみ低いので有意差がでなかった。

低レベルの中の比較で差が出たのは、非発症牧場と発症馬の母馬だった。

             ー

一番忙しい時期の馬産地の診療を見れたのも面白かった。

今から思えば、いい加減な時代で(40年近く前だからね)、獣医さんに代わって往診車を運転したり、

注射したり、

人手がない検査室で、「僕、検査やりましょうか?」と血液生化学検査をしたこともあった。

獣医師免許はなかったが、もう大学院生だと周りが見てくれていたのかもしれない。

「君、大学から来たんならクマも麻酔できるか?」と子熊がはいった檻のところへ連れて行かれ、

「鎮静剤うっといてくれ」と頼まれたこともあった。

子熊でも大型犬くらいある。大人しく注射なんかできませんから・・・・・

             ー

車で日高中を走り回り、何度か検体を運ぶために帯広と往復し、ガソリン代には苦労した。

その頃には、馬の臨床獣医師になろう、と決めていた。

働くなら生産地だ。と思っていた。

            ーーー

たしかアフリカの研究者でアフリカに子供を連れて行った人の話を読んだことがある。

長男のときは心配で、あまり部族の村に連れて行ったりしないでホテル滞在だったのだそうだ。

大きくなった長男は、アフリカは不潔だと言って今でも嫌っているそうだ。

次男の時は、親も慣れていたのでどこへでも連れて行った。

次男はハエにたかられながら現地の子供たちとも遊び、今でもアフリカが大好きだとのこと。

近頃の実習に来る学生を観ていて思うが、こわごわ数日だけ覗くように来て何がわかるんだろうと思う。

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一日雨でした。

             

 

 

 


私が学生実習に来たころ 2

2019-10-08 | How to 馬医者修行

大学院修士の1年目、私は乳牛の第四胃変位の胃内容のVFA(揮発性脂肪酸;第一胃でつくられる脂肪酸で、反芻獣のエネルギーの大半はVFAで支えられている。しかし、第四胃へ流れ込むと第四胃の運動を妨げ、第四胃変位の原因になるとも考えられている。)組成を調べる、というテーマを与えられていた。

大学院に入って、一条教授には、修士論文の研究には馬をテーマにしたい、とお願いしていたのだが、

「特にこれをやりたいという具体的なテーマはないんだろ?」と言われて、

この中から選びなさい、と私たちの代に挙げられた研究テーマは、

子牛のB1欠乏  羊を使った発症実験とB1測定

犬のパルボウィルス感染症  感染実験

パルボウィルス感染症の電子顕微鏡検査  感染実験

乳牛の第四胃変位 ガスクロマトグラフィーを使った胃内容の分析により発症要因を調べる

というテーマだった。

大動物臨床獣医師になろうと思っていた私は、一番大動物臨床に役立ちそうな第四胃変位の研究を選んだ。

帯広の屠場へ行って、された牛の第一胃と第四胃の内容をもらってきてガスクロで測定した。

十勝のNOSAIで第四胃変位の手術があると立ち会って第一胃と第四胃の内容をもらってきてガスクロで測定した。

帯広近郊の酪農場を回って、サイレージをもらってきて発酵状態を調べ、サイレージの変廃による第四胃変位の発症の季節変動との関係を調べようとした。

この研究は、うまく行かなかった。

屠場で集められるのは、肥育されて出荷された牛で、そもそも第四胃変位になる乳牛とは食べているものが違う。

比べても仕方がない。

第四胃変位になってしまった牛の胃内容は、変位したことにより異常な閉塞と分泌が起きており、発症する前の状態をどれだけ反映しているかは疑問だ。

酪農場のサイレージの変廃と第四胃変位発生の季節変動をみようとするなら、それだけを本格的にやらなければいけないようなヴォリュームの研究で、pHや乳酸発酵の状態だけ調べても仕方がない。

しかし、NOSAIの診療所をあちこち回って手術に立会い、屠場の仕事の様子を何度も観て、そして昼間の酪農場にサイレージを分けてもらいに回ったのは良い思い出だ。

                   -

が、次の早春、一条教授に、

「hig君、君、研究テーマを替えて子馬の白筋症をやってくれ。ついては、この春、日高へ採材に行ってくれ。」

と言われた。

第四胃変位の研究でうまく成果がでそうにないことに気づいていた私は嬉しかった。

しかし、まだセレニウムの測定も軌道に乗っていない。

まあ、まだ大学院生の身、深く考えもしないで、馬を研究テーマとして扱えることに喜んで、日高に採材に行くことになったのだった。

(長くなったので続く)

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週明けの月曜日。

朝、2歳競走馬の第一趾骨骨折。

screw2本で内固定した。

その覚醒を待っている間、

あっちでは1歳馬の飛節の細菌性関節炎の関節洗浄。

午後、膝蓋骨が割れている当歳馬のX線検査。

そのあと、当歳馬の外傷。

そのあと、披裂軟骨と気管粘膜に腫瘍ができて呼吸困難になっている繁殖雌馬の手術。

そのあと、移動したばかりの1歳馬の疝痛。

すでに5時間ほど疝痛が続いているので開腹した方がいい。

やれやれ、とっても忙しかった。

 

 

 

 


私が学生実習に来たころ

2019-10-07 | How to 馬医者修行

私が獣医学科に入学したのは、獣医学教育が「修士積み上げ」と呼ばれる6年生になって2年目だった。

入学したとき(昭和54年、1979)には、

「君たちが4年生になるまでには、6年一貫教育になり、大学院への入学試験を受けなくてもよくなるから」

と言われたが、結局それは進まず、大学院入学試験を受けねばならず、授業料も値上げされた。

それでも私立大の授業料よりはるかに安かった。

私立大から国公立の大学院を受ける学生が多かったらどうするつもりだったんだろう?

                 -

大学院の修士課程の学生として過ごしていたが、もう山岳部も引退し、馬にも乗らず、の生活だった。

大学院も授業は多くはなかった。

まだ、6年制教育の環境は整っていなかったのだろう。

                 -

大学の2年生から馬に乗っていた私は、馬の臨床に興味を持ち、馬産地の臨床を観たいと思った。

それで先生に頼んで三石家畜診療センターを紹介してもらい、学生実習にやってきた。

昭和58(1983)年の夏だった。

1週間滞在したのだったと思う。

その頃、町畜産研修センターは、管理人さんが居て、頼めば3食食べさせてもらえた。

思えば、診療センターも畜産研修センターもまだ開所8年目で、新しく快適だったのだろう。

                 -

朝、夕は、往診随行させてもらった。

獣医さんの昔話や、地域の様子などを聞きながら、なじみのない馬産地の牧場を回るのは楽しかった。

ときどき獣医学的なことを質問されたが、なんとか答えることができ、

「君はよく勉強していて、優秀だね」と褒めてもらったのを覚えている。

例えば、「好酸球が増える病気は何だ?」という質問だったりした。

「え~っと、、、寄生虫疾患とアレルギー疾患・・・」などと答えることができた。

臨床の教室に居て、患畜の診療に参加したり、先輩の話を聞いたり、教科書で調べながら話し合ったりすることが多かったので、臨床の刺激は受けていたからだろうと思う。

                -

診療センターの獣医師たちの知識が豊富なことや、きちんと診断して最適な治療を選択しようとする姿勢には学生の見ながら感心した。

検査室があり、血液検査も細菌検査も行われていたし、

手術室があり、手術台もあり、吸入麻酔での手術も行われていた。

どちらも今の1/10にも満たない数だったのだけれど・・・

                -

学生実習は、ほかの大学から来ていた別の学生と一緒だった。

そいつは、はっきり日高に就職したい、と言っていて、私より実習期間も長かった。

私も、就職先を考えなければいけない時期だったが、どうしようか決めてはいなかった。

大動物臨床をやるのか、酪農地帯に就職するのか、馬の獣医師を目指すのか・・・・

まだ、自分の一生のこととか、働くということとか、しっかり考えられない若さだけで過ごしていた。

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それから36年経って、施設の取り壊しを見るようになるとは・・・

その前に大型犬と住んでいるとは、想像もしなかった;笑

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日曜日、

橈骨骨折をdouble LCP固定で治した当歳馬のLCP抜去。

手術から、3ヶ月あまり。

まだプレートは骨に埋まってはおらず、それほどたいへんではなかった。

続いて、夜間放牧中に頭頂部を何かにぶつけた当歳馬の外傷縫合。

その間に、骨盤骨折した繁殖雌馬の剖検。

午後は、

当歳馬の骨柩症。

はっきりした腐骨はわからなかった。

その後、ひどく痩せてしまった高齢の繁殖雌馬の検査。

 

 

 

 

 


研修センター44年の歴史に幕

2019-10-05 | How to 馬医者修行

町の研修センターは取り壊しが始まっている。

昭和51年(1976)の開所なので、築44年目になるわけだ。

途中、町の判断で閉鎖されていた期間が数年ある。

以降はNOSAIが管理委託されて、補修とリフォームをしながら使ってきた。

木造モルタル2階建て、一部セラミック仕様、という建物だ。

もともと立派な材を使って頑丈に建てられていたわけではないようで、床もきしんでいた。

雨漏りもあったし、ついにはモルタル壁が剥がれて落ちるようになっていた。

建築物としては限界だった。

去年の9月の地震は危なかったのだろうと思う。

震度5弱だったから耐えてくれたが、もう少し震源が近かったら・・・・・

             ー

地元の畜産振興にはたしてきた役割は大きいと思う。

この地域で働いている産業動物獣医師の半数以上は、この畜産研修センターに宿泊して学生実習を経験している。

JRAをはじめ全国で馬の獣医師になっている学生実習経験者も数多い。

毎年30名前後の獣医科学生が宿泊し、この地域を訪れていった。

そのことだけでも地域振興になっただろうと思う。

講義室もあったので、獣医師や農業者が対象の講習会も数多く行われた。

             ー

今は新卒獣医師の確保も難しくなっているので、NOSAIや開業獣医師も実習生を積極的に受け入れている。

新卒を採用しても離職率もとても高いので、いきなり就職するのではなく、実習に来て実情を知った上で就職してもらいたいのだ。

実習生、研修生を受け入れるには宿泊場所があるかどうかが問題になる。

旅館に泊まっても、朝夕送り迎えをするのはたいへんだし、夜中の急患で出入りするのはヤメテクレと言われる。

夜中の急患を観ないんじゃあ、うちで実習・研修する意義は半減する;笑

実習生や研修生を持続的に受け入れていくなら宿泊施設はどうしても必要だ。

             -

獣医科大学へ入って5年目だった夏、馬の診療も観たいので実習に行きたいと一条教授に相談したら、

「ああ、じゃああそこへ行けばいいよ。電話しといたげるから。」

と頼んでくれた。

この研修センターがなければ、私はこの地域に就職しなかったかもしれない。

ぶっ壊されていくのを観ていると、感慨深いものがある。

 

 


馬臨床高度化研修2019 3日目

2019-10-04 | How to 馬医者修行

馬臨床高度化研修の3日目。

朝、1歳馬の下顎の外傷の依頼。

研修の先生たちも呼んで傷の除毛、洗浄、ドレイン留置、縫合を観てもらう。

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ミーティング後の朝の時間。

牛の骨折症例についての講義。

午前中は、当歳馬の”カケス”の矯正手術。

臼歯にワイヤーをかけて、

上顎切歯へ縛り付けることで、上顎の成長を抑制する。

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その後、急患で当歳馬の疝痛。

強い疝痛が3時間続いている。

血液検査所見は悪くはない、が、超音波で厚くなり始めている小腸が見えた。

これ以上待っていると全身状態も腸管の状態も悪くなるだろう。

開腹したら空腸の捻転だった。

一部はチアノーゼがあったが、解けたら回復した。

小腸は全体に浮腫性の肥厚があったが、それも回復するだろう。

馬の腸閉塞を開腹手術で助けるなら、診断も遅れてはならず、決断も早くしなければならない。

そのことを研修の先生たちにも観ていただけたと思う。

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午後は時間を遅らせて、予定の関節鏡手術。

3歳の現役競走馬で、1年あまり前に左の腕節を手術している。

今回は右が折れた。

しかし、左も変形性関節症が進行しているので関節鏡を入れてcleaning 手術を行った。

変形性関節症は重度で、とても綺麗にはならない。

骨関節炎は関節腔の外まで波及している。

研修の先生たちは関節鏡手術を観るのは初めてだろう。

牛の関節疾患を理解する上でも参考になれば喜ばしい。

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これにて3日間の馬臨床高度化研修は終了。

あとは個別に馬の診療についての質問にお答えして解散。

また地元へ戻って行かれた。

日常の診療に生かすことができる何かが得られたなら嬉しい。