真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「肉の標的・奪ふ!」(昭和54/製作:日活株式会社/監督:澤田幸弘/脚本:永原秀一/プロデューサー:三浦朗/撮影:前田米造/照明:川島晴雄/録音:橋本文雄/美術:徳田博/編集:山田真司/音楽:クリエーション/助監督:川崎善廣/色彩計測:森島章雄/現像:東洋現像所/製作担当者:栗原啓祐/出演:鹿沼えり・小川亜佐美・志麻いづみ・飛鳥裕子・吉沢由起・岡本麗・志賀圭二郎・五條博・大河内稔・浜口竜哉・島村謙次・柳田雅夫・織田俊彦)。出演者中、柳田雅夫は本篇クレジットのみ。クレジットがスッ飛ばす、配給に関しては事実上“提供:Xces Film”。
 商社大手の「大興物産」、出社した鉄鋼一課の根津隆(志賀)が、オフィスの窓から往来を見やる。ビリングは無視、何気に綺麗な順―当サイト調べ―で並べてゐるやうに思へなくもない、銘々出勤する鉄鋼一課のタイピスト・吉村京子(小川)。同じく鉄一の文書係で、根津と次期課長の座を争ふ武井の婚約者である上条由美(鹿沼)。この時点に於いては明らかでなかつたが、実は百合の花咲き誇らせる仲の、電算室計数処理係の先輩後輩・池田沙智(飛鳥)と森川みゆき(吉沢)。そして、専務秘書の遠山直子(志麻)。二百人はゐる女子社員の中から、五人の根津いはく“最高”のイントロがてら、「一人だけでも何とかモノに出来れば」とか、朝ぱらから何をこの男はな自由な内心を叙情すると、窓越しのカメラがガーンと引いて鮮烈な筆致のタイトル・イン。
 ザクッと配役残り、専務の堀田(大河内)と部長の山崎(島村)に連れられ、根津は重要な接待の席に。綿を含んだ浜口竜哉と、織田俊彦は接待される側と思しき役人其の壱其の弐。五條博が件の武井で、ほかにこれといつた人影も見当たらないゆゑ、柳田雅夫はもう一人宴席にゐる謎ポジションの男かなあ、岡本麗はその座につくホステス・奈々。その他大興要員を主に沙智・みゆきが遊びに行くディスコ等々、数十人規模の潤沢な要員が用立てられる。忘れてた、普通に団地クラスの大興物産社員寮にあつては、子役をも投入。この辺りの所帯の大きさが、如何せんピンクには太刀打ち能はざるロマポぶり。話を戻すと酒癖の悪い根津が、お役人に矢鱈挑発的な態度をとるのを見咎めた堀田は、武井を伴ひ手洗にトラを隔離しお説教。すると根津は静かに激昂、やをら右ストレートを堀田に叩き込む極大粗相。その場は武井に取り抑へられ、堀田からは出社に及ばぬ旨厳命された根津が、雨の中傘も差さずに悄然とする帰途。奈々の2ドアに小遣ひ稼ぎの白タク感覚で拾つて貰つた根津は、尿意を催し車を停めた奈々を暴行する、手始めに。
 都合七作中、澤田幸弘のロマポ第六作。大雑把に探してみたところ、「肉の標的」を冠した量産型娯楽映画が全部で三本。一本目の「肉の標的 逃亡」(昭和44/国映/監督:大杉虎=若松孝二)は兎も角、小川和久(=小川欽也)の「肉の標的 射る」が今作の五ヶ月半後に封切られてゐるのは、豪快に二番茶を煎じてのける節操のなさが実に清々しい。
 奈々で味を占めたかそれとも、純然たる自業自得で飼ひ殺しに追ひやられ、箍が外れたか。根津は次に由美、そして京子。みゆきと沙智は一緒くた、最後に直子をと矢継ぎ早に凌辱する。適度な距離を置き、腰を据ゑ案外長く回す。要は大半が和姦ではない濡れ場はアクション映画的なスピード感と、下賤な琴線を激弾きする即物的な官能性とを素晴らしく両立。まづ雨中の奈々、京子は車内で。沙智はみゆきに手をつけてゐる間、押し込んだクローゼットの中でそのまゝ手籠めにする予想外の変化球。直子に至つては、堀田は終日外出中の専務室。自宅を普通に急襲した由美―とみゆき―以外、多彩に凝つたロケーションから大いに振るつてゐる。豪華六本柱を擁するとなると、往々にして諸刃の剣と化しがちなのがその頭数。七十分を跨ぐ尺は六人全員に物足りなさを覚えさせるでなく、裸映画的には狂人もとい強靭に充実。陰鬱の一歩手前に無表情な造形を宛がはれた志賀圭二郎の、精悍も剥き出されるが如く映える。唯一の難点ないし欠点はといふと、コミタマなりサブ、影英や水京が出て来ない辺りくらゐ。浜竜とオダトシ、島謙もゐるんだから満足しろ。とは、問屋が卸さないんだな、これが。
 全く以て武井のいふ通り身から出た錆で失墜した男が、最早自棄糞なのか連続強姦魔に変貌。目星をつけた社内の美人を片端から犯し倒した末、うち一人の口添へで一発大逆転の再起を果たす。とかいふ、鬼神と化した浜野佐知が雷雲従へ轟然とスッ飛んで来さうなバイオレント立身出世譚。しかも土砂降りの中ヤリ捨てられ御役御免、以降ワン・カットたりとも顧みられるでなく。一番無体な扱ひの岡本麗と、よしんば相手が顔見知りであつても、おいそれと男の車に乗りはしない。育ちのよさを感じさせる京子の二人は幾分怪しいものの、概ね何れの女もレイプされてゐるうち根津の虜になつて行く。挙句、そもそも当時はさういふ視座の兆しすら覚束ないが、沙智とみゆきに至つてはセクシャリティからガン無視の全否定。幾ら昭和の所業とはいへ、大概底の抜けたミソジニーには匙を投げるのも通り越し畏れ入つた、感心してゐる場合か。とまれ斯くもピカレスクの斜め上だか下を行く出鱈目かへべれけな物語、どれだけ木に竹接ぐ最期であつたとて、兎に角根津が無様か呆気なく死んで呉れないことには、流石に最低限の形でさへ起承転結が満足に成立するまい。あたかも根津が全てを手に入れたかのやうなラストに半ば呆然と、直截にいふならば開いた口が塞がらなかつたのは、腐れ保守の分際で、利いた風な戯言叩くんぢやねえとの誹りも当サイトは免れ得ないであらうか。


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