真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「大性獣 恥丘最大の絶頂」(2022/制作:ナベシネマ/提供:オーピー映画株式会社/監督:渡邊元嗣/脚本:増田貴彦/撮影・照明:倉本和人/録音:小林徹哉/編集:鷹野朋子/助監督:小関裕次郎/監督助手:高木翔/撮影助手:郷田或/スチール:本田あきら/選曲:徳永由紀子/MA:Bias Technologist/仕上げ:東映ラボ・テック/出演:生田みく・花狩まい・しじみ・竹本泰志・小滝正大・ケイチャン)。この期の間際に気づいたのが、撮影部セカンドの郷田或(a.k.a.郷田有or郷田アール)といふのはゴダールを捩つてゐるのか。三十年以上に亘る異常に長い助手歴を窺ふに、誰か一人が使つてゐる名義では多分なく、共有の変名にさうゐない。
 画面左から右に電車が横切る、田園の美しいロング。ヒロインが幼少期育ての親である祖父に連れられた、「ほたるの森」と名づけられた豊かな自然を回想、する綺麗な流れをブッた切り。小説家志望のライター・三田さとみ(生田)は、色事、もとい色々懇意の編集者・仲之浦(竹本)から振られた、見るから異端の科学者・城ヶ崎(ケイチャン)が携はる、セックスによつて生み出されるエネルギーを熱に変換した上で動力源として活用する。過去にも何度か見聞きしたやうな、エネルギー保存則をガン無視したトンデモ研究の取材に臍を曲げる。臍を曲げ、ながらも。例によつて仲之浦が適当に言ひ包め、た余勢で突入する絡み初戦。生田みくのボリューミーな肢体を狙ひに狙ひ倒し、アバンから今回の渡邊元嗣はゴッリゴリに攻めて来る、映画は兎も角ピンクを。結局何時もの如く、なし崩し的に与太企画を押しつけられたさとみは、祖父の形見の古いラジオを、店は閉めた電器屋に直して貰つた比較的新しい来し方を想起。中には何も書かれてゐない、小説のネタ帳にさとみが溜息ついた区切りで、赤い月の浮かぶ夜景に、最早ヤケクソのやうな書体で叩きつけるタイトル・イン。
 高木翔法律事務所や「なべエンタープライズ」と、雑居ビルに軒を連ねる「jyogasaki energy laboratory」。配役残り花狩まいは城ヶ崎エネルギー研究所の研究員・森尾日菜子―森魚か森生かも―で、小滝正大が助手の岸和田タモツ。ほんで以て一同が日々明け暮れる、実験の実際はといふと。催淫発情装置を浴びせた日菜子を、城ヶ崎が要は抱いてエネルギーの検出を試みる。清々しいほどの馬鹿馬鹿しさが、グルグル数周して素晴らしい。量産型娯楽映画といふのはかうでなくちやと、実は虚仮にした皮肉あるいは、為にする方便でなく当サイトは心からさう思ふ。しじみは仲之浦が連日買ふのが、高給取りなんだなあと軽く首を傾げさせられるデリヘル嬢・アザミ。ララバイ
 郷田或の名義のみならず、こちらも下手すると三十年くらゐ使つてゐさうな、電器屋時代の城ヶ崎が着けてゐた黄色いYou & meのエプロン。に、なほ止(とど)まらないんだぜ。螢雪次朗なり西藤尚が頭に載せてゐたウィッグ等々、アンティークの領域に片足突つ込んだ小道具が、途方もない物持ちの良さを何気に爆裂させるナベシネマ新作。
 今世紀も明けて既に二十余年、竹本泰志がバナナの皮でスッ転ぶシークエンスを、臆面もなく撮つてみせる渡邊元嗣の豪胆なポップ感には軽くでなく驚かされた、けれど。工藤雅典大蔵第四作ほどではないにせよウィキ曰く十稿まで脚本を直したにしては、同じテーマに取り組むオーピー大の大蔵教授チームに後塵を拝する城ヶ崎が、世界を救ふつもりで世界を滅ぼす化物を生み出してしまふ物語は、オマンタゲーの空騒ぎや大性獣ミダラの造形の酷さに劣るとも勝らず、最終的には平板な作劇が面白くも何ともない。木に螢を接ぐ愛のエネルギーとやらで適当に茶を濁すザマなら寧ろ、城ケ崎のルサンチマンと誠実に向き合ふ方が、まだしも形になつたのか。尤もその場合ナベといふよりも、国沢実の仕事であるやうな気もしつつ。人でも仕事でも、好きになるのが一番大切。屁より薄い腑抜けた説教を、全篇を通じて捏ね繰り回されたとて、呆れ果てればよいものやら匙を投げたらよいものやら、もうどうしたらいゝのか判らない。反面、裸映画的には的確に女の乳尻でヌキ続け、もとい乳尻を抜き続け、直線的にして重量級の煽情性を、これでもかこれでもかと轟然と畳みかけて来る、割に。総じて等閑なのは、大人しく劇に伴つてゐるものと好意的に評価したとしても、選りにも選つて締めの濡れ場で藪蛇な牧歌性を狙ひ損ねる、壮絶な選曲で目出度くなくチェックメイト。ボガーンと弾ける生田みくのオッパイで、胸かお腹一杯になれなければ、素面の劇も女の裸も共倒れる失速作。実に九度の改稿に話を戻すと、数少ない弾を大切に撃ちたい、心持ちも決して酌めなくはない、ものの。さういふ姿勢が四の五の考へず下手な鉄砲を数打つ、撃ち尽くした果てに見えて来るサムシング、が時になくもない。量産型娯楽映画の本質と背反してゐるジレンマを、恐らく大蔵は認識すらしてゐまい。も、しくは。不用意な火種を抱へたくない?それは元々、自業自得の限りで己等が外した梯子だらう。
 備忘録<一件を小説化した、『ほたるが紡ぐ森~大性獣ミダラ~』で念願の作家デビュを果たしたさとみが劇中最強の勝ち組   >次点は目出度く日菜子と結ばれた岸和田


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