真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「SEX診断 やはらかな快感」(2008/製作:旦々舎/提供:オーピー映画/監督:浜野佐知/脚本:山邦紀/撮影・照明:小山田勝治/撮影助手:大江泰介/照明助手:藤田朋則/助監督:横江宏樹・田中圭介/助監督応援:田中康文/音楽:中空龍/出演:田中繭子・富永ルナ・しのざきさとみ・平川直大・なかみつせいじ)。助監督応援の田中康文が、ポスターには単に応援。
 元夫の苛烈なDVに苦しんだ過去を持つ物部式部(田中繭子/ex.佐々木麻由子)は、恋人紹介サイト「メメント・モリ」を立ち上げ運営する。“メメント・モリ”、「時には死を想へ」といふサイト名に関心を持つたライターの倉光精六(平川)は功名心を燃やし、明確な敵意を秘めマッチング希望者を装ひメメント・モリに接近する。他方、イラストレーターの中田レイコ(富永)は「私の王子様は何処に居るの?」、「早く私を迎へに来て」だなどと、最早ギャグかと思はれるほど陳腐な寝言を他愛もなく垂れながらセルフ・ヌードを描く。セルフ・ヌード自体も他愛ない点に関しては、ひとまづさて措きつつ富永ルナといふ人は、気にし過ぎか別人に聞こえなくもないアフレコ―再見の結果、どうも華沢レモンに聞こえる―に加へ、首から上も下も、若いのか歳を喰つてゐるのだかよく判らない。強ひてよくいへば不思議で、そのまゝいへば悪い意味で微妙な女だ。事業に失敗した夫の借金を背負ひ離婚した堀田有紀(しのざき)は河原にて、メメント・モリに宛がはれた相手に待ち惚けを喰はされ、不機嫌を顕にする。有紀を怒らせた相手・岸上徳多(なかみつ)は、メメント・モリへの入会金十万のために支払ひを滞らせ、根城としてゐたネットカフェを追ひ出される。加へて岸上が不能であることに憤慨した有紀が式部に抗議する一方、式部はレイコには、倉光をマッチングする。自らの一物を“名刀”と誇る倉光は、威風堂々とレイコに相対(あいたい)する。
 メメント・モリ“Memento mori”。直訳すると「死を忘れるな」ともなる古代ラテン語の警句は、劇中「今を愉しめ、何時かは死ぬのだから」、「死ぬまでは生きて行かなくてはならない、陽気に」と意訳されるやうに、古くは「今を愉しめ」と現世に於ける享楽を肯定する意に転じて用ゐられた。メメント・モリWEBサイトのトップにイザヤ書の一節を引いた点からも明示的に窺へるのか、恐らく山邦紀は狙ひたかつたであらう死を見据ゑた上での性のドラマは、かといつて浜野佐知に追求されることはない。職業柄ともいへるのか、穿つた嗅覚からメメント・モリに新興宗教の匂ひを感じ取り、攻撃的な猜疑を膨らませる倉光の提出するベクトルは深化させられずじまひの内に、互ひを労り慈しみ合ふ男女もとい女男の結びつきといふ、“女帝”浜野佐知にしては随分とソフトでもある主題に帰着する。その中でも殊更に光るのが、勃起しない、萎えたままの陰茎による性行の穏やかで深い愉悦といふ、一般映画殴り込み第二作「百合祭」(2001)に於いて既に提出されたテーマが、老齢をも差し引かれ更に加速されてある点。尤もこの場合に実にユニークなのは、さういふ一見不完全に思へなくもない営みが、有紀や式部の側からはそれでゐて気持ちのいいものでもあらうことは、それなり以上に説得力を有して描かれる。ピンク映画といふ元来は男客に女の性を商品化するプログラム・ピクチャーといふ領域にあつて、女の側から、女が気持ちよくなるためのセックスを描くことを一貫して頑強に旨とする、浜野佐知にとつては如何にもらしさを感じさせるところである。対して、それが男の側からは果たしてそれでも満足を得ることが出来るものなのかといふ疑問を一旦持つてしまふと、小生は未ださういふ年齢に至つてゐないこともあり、正直よく判らない。本篇中の岸上自身に関しても、濡れ場の相手方といふ以上に、さういふいふならば覚束ない男根を以て性交渉に挑まざるを得ない男の心情といふものが、踏み込んで描かれる訳ではない。寧ろそこまで含めて、正しく面目躍如といへよう。
 浜野佐知の頑丈な脈絡通徹は、柔らかな手触りながら攻守の攻めに関してはしつかりと撃ち抜く一方、守りに際してはツッコミ処の露出した微笑ましい綻びも見せる。最終的には岸上を受け容れたものの、何故か結局別れた夫との再婚を期し有紀は退場する。式部と対面した岸上は自らの不能に関して、一人の女も幸せに出来ぬ―岸上も離婚暦あり―と自嘲する。さういふ岸上をたしなめて式部は、「女は、男に幸せにして貰ふものではありませんよ」。続けて舌の根も乾かぬ内に、設定としての評判には違(たが)へ実は劇中一件のマッチングも成功させられなかつた式部は、「貴方も、レイコさんも幸せに出来なかつた」。誰かから幸せにして貰ふのではなく、能動的に自らの幸福を追求する人間像を謳つたのではなかつたか。その視座は片方向で、我々男供は綺麗に抜け落ちてゐるとでもいふのか。一対一の当事者間ではなく、第三者といふ立場上の相違もあるやも知れぬが、ここは明らかに、攻めることに執心した浜野佐知は自らを省みるといふ意味での守勢が疎かになつてしまつてゐる。とはいへこれは物語の評価を下げるまでの致命傷ではなく、作り手の体温が感じられもする、一種のチャーム・ポイントとここでは好意的に捉へたい。

 本筋からは些か外れて感興深いのは、式部はレイコの身を守る為に、自慢の名刀とやらを無闇に振り回したがる倉光を迎撃する。今作中に限つてのメメント・モリ戦績と同様、一人の女もオトせない倉光の竹光は情けなく、騎乗位で跨つた式部にあつさり陥落させられると、頃合を見計らひ腰を上げた式部の足の間の虚空に、倉光の精は無様に放たれる。「口ほどにもないわね」と捨てられるサディスティックな名台詞には、リアルでいはれた日には最早泣くほかなからう。さういふ、平川直大が根拠のないやうにしか見えない性的な鼻つ柱をヘシ折られる件には、ここでのアイアンペニスの悲劇、あるいは喜劇が想起させられる。もうひとつ特筆すべきは、徹頭徹尾等閑なレイコの扱ひ。ビリングの二番手が、いはば倉光に対する噛ませ犬でしかない、さしてヒット・ポイントも高くはない濡れ場要員と化してしまつたといふ点も、それはそれとしてまた一興である。


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