真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「やらしいボディー 穴が性感帯」(1992『巨乳 くらひつく』の2006年旧作改題版/製作:旦々舎/提供:Xces Film/監督:浜野佐知/脚本:山崎邦紀・藤村薫/撮影:河中金美・青木克彦・三木貴文/照明:秋山和夫・石田政慶・上妻敏厚/助監督:青柳一夫・高田宝重/制作:鈴木静夫/音楽:藪中博章/編集:㈲フィルム・クラフト/ヘアメイク:木下浩美/スチール:岡崎一隆/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/挿入歌:『愛人形になりたくて』作詞・作曲:西本浩士 編曲:青山しおり 歌:吉沢あかね プロデュース:芳井修《フリー・ビー》/出演:吉沢あかね・今井聖子・千明誠・杉本まこと・久須美欽一・芳田正浩・山本竜二・稲吉雅志)。出演者中何故か久須美欽一と、稲吉雅志は本篇クレジットのみ。稲吉雅志は兎も角、久須美欽一の名前が元版ポスターには載るのに。しかし殺風景な元題に劣るとも勝らず、ぞんざいな新題は流石にどうにかならないのか、即物性とへべれけさを履き違へてゐる。
 ぎこちない面相の主演女優が、縞馬柄のビキニで心許なく撮影中。スタジオにはカメラマン・鈴木仁(久須美)のほか、業態不詳の「ナチュール」社偉いさんぽい鍋田英一(何か日焼けしてる杉本まこと)と、もう一人ナチュール社員の中原あけみ(千明)が現場の様子を見守る。女子大生の吉沢あかね(ハーセルフ)はナチュールグループが総力をあげ展開する「ナチュラルセクシーキャンペーン」で優勝、ポスター撮影に続き写真集とレコーディングまで既定であつたが、当の本人は未だ自信を持てずにゐた。鍋田から適当に励まされ、照れ笑ひをぼんやり浮かべるあけみの、巨乳にくらひついた画を止めてタイトル・イン。
 サクサク配役残り、「ナチュラルセクシーキャンペーン」決勝のテレビ放送、を録画したもの―実況の主不明―を見る芳田正浩があかねには無断で、キャンペーンに応募した彼氏・藤原宏。シャワーを浴びたあかねの乳を揉みつつ、「このオッパイがテレビに映ると思ふと興奮しちやふな」。底の浅さまで含め、清々しい名台詞。限りなく水着に近いボディコンの今井聖子と山本竜二は、あかねのルームメイトで日々奔放な男遊びに耽る野村美香と、そのセフレ・梶原洋一。朝帰りをあかねに難じられた美香が、「自分を売つてゐる訳ぢやないもん」とド正面から性の商品化批判。ボサッとした表情をしてゐるかに見せて、剛球火の玉ストレートを常時どかんどかん放り込む。基本男優部絡み要員の山竜も、美香に“男の本音”とやらを開陳する形で、「大人しくて自分のいふことを何でも聞いて呉れて」、「体がよくてオッパイに顔を埋めたくなるやうな女が一番いゝんだよ」なる大真理をサラッと撃ち抜く、生きよ堕ちよ。そして純然たる繋ぎのカットに飛び込んで来る稲吉雅志が、美香のセフレ弐号機。体型から表情から髪型から服装から、何ッから何まで頑強に百発百中外さないアイコニックなおたく風貌。
 ごそごそしてゐた物の弾みで、ソクミルに浜野佐知の未見作が二本眠つてゐるのに辿り着き、すは色めきたつた1992年第一作。ザッと見渡してみて佐藤寿保や、西村卓もあるのにはときめき通り越して轟きを禁じ得ない。あと今上御大も二本、随時出撃する、ドロップアウト・ゴーズ・オン。
 自失するあかねに軽く手を焼き、鍋田とあけみに鈴木も交へての四者面談。鍋田と目配せを交したあけみがやをら尺八を吹き始め、当然度肝を抜かれるあかねに対し、鍋田いはく「人並みの羞恥心は捨てないと一流にはなれないんだよ」。何の一流かといふ底の抜けた方便を有無もいはさず畳みかけ、「女のセクシーさは、一度奴隷として男に仕へないと出て来ないもんだよ」。とかいふ流れで突入する一週間の奴隷合宿に当然あけみも加はるのは、力任せの超展開に、三番手を思ひのほか自然に回収してみせるどさくさ紛れの妙手。前後して、あかねが自分だけのものでなくなりさうな流れに動揺する宏を、美香は―男が女を―“励ましてるうちは手の中”、“そこから本当に飛び立たうとすると男は反対”すると、諭すやうな顔で何気に叩きのめすのも地味な見所。黙つてゐるとまだ漫然としてゐるだけで済むものの、一度(ひとたび)能動的に起動するや下品さが爆ぜる以前に、隈が酷くとかく表情の覚束ないビリング頭を余所に、何れもパッと見垢抜けない、二三番手が寧ろ安定。当サイト選日本一の濡れ場師・久須美欽一を温存した上でなほ、裸映画的には終始強靭なテンションを保ち続ける。宏との事後、再び風呂場に立つたあかねがしやがみ込んでフローバックを流し観音様を洗ひ清める、案外見ないショットなど激越にエロくて素晴らしい。最終的に、あかねは鍋田らの思惑を超え明後日に開花。水着グラビアで十分なのに自ら片乳放り出すに及んで、匙を投げたナチュールはあかねをプロジェクトの途中で放逐する。解き放たれたあかねが、劇中用語ママで“四十八手のマドンナ”として世に討つて出る爽快なラストは、アタシの主体性を断固としてアンタ達になんか明け渡しはしない、鉄の志向に支へられた天文学的な試行の果て強靭に鍛へ抜かれた、旦々舎の絶対にして磐石の着地点。だ、か、ら。これがガールズ・ムービーでなくして果たして何なのかと常々首を傾げるものだが、全体世間は何時まで浜野佐知に追ひ着かぬつもりなのか。方法論の全く異なる、MTV文化とのいはば異種格闘技戦ゆゑある意味仕方のない負け戦ともいへ、吉沢あかねがれつきとした持ち歌を披露する、最早伝統的に映画の急所たる言葉を選べば牧歌的なライブ・シークエンスはこの際あばた、もといえくぼみたいなものだと、生温かく迎へる方向で。

 愛人形を“アイドル”と読ませる挿入歌は、今作封切りの五ヶ月後に発売された、同タイトルAV(監督:いとうまさお)の主題歌。トラック自体のダサさはさて措き割と形になつてゐなくもないのが、吉沢あかねはデビュー前の高校在学中に、レトロニムで地上アイドルのオーディションに合格してゐたとの来歴。


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