真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「変態夫婦の過激愛」(昭和63『過激!!変態夫婦』の2010年旧作改題版/製作:《株》オフィス・ボーダー/配給:新東宝映画/脚本・監督:細山智明/撮影:志賀葉一/照明:吉角荘介/編集:金子尚樹/音楽:長田陽・黒井基晴・魔人スタジオ/助監督:鬼頭理三・小笠原直樹/監督助手:古谷英治・田村良夫/撮影助手:中松俊裕/照明助手:清野俊博/スチール:田中欣一/製作進行:八田恒平/録音:ニューメグロスタジオ/現像:東映化学/協力:田中欣一写真事務所・ホテル レイ・ジェムズホール/出演:池島ゆたか・清水大敬・三沢亜也・橋本杏子・海音寺まりな・山本竜二・村瀬光一・森田豊・ドクター南雲・鴎街人・津田まさごろ・斉藤姉・斉藤妹・いわぶちりこ)。撮影の志賀葉一は、現:清水正二。出演者中、鴎街人は本篇クレジットのみ、どう読めばいいのか判らない。
 収拾がつかなくなる前に先に触れておくと、今作は1991年にも「過激!!変態性生活」とかいふ一歩間違へれば何処が変つてゐるのかよく判らない新題で、既に一度旧作改題済みでもある。
 長年の友人であるが同僚ではない、サラリーマンの影田(池島)と立川(清水)は夜の街を飲み歩いた末に、影田の居室へと向かふ。とはいへそこは戸建でなければ集合住宅ですらない、ラブホテルの一室。影田は同性の愛人を連れ込んだ妻・ノリコ(橋本)に自宅を追ひ出され、現在は元部下で、父親の死後ラブホテルを継いだ山本(山本)の厚意に甘え、カッコよくいへばホテル住まひをしてゐた。世間は狭いといふかやゝこしいといふか、ノリコの女・ミキ(海音寺)は、立川の妹でもあつた。友人の相談と、妹の顔を見がてら影田家を訪ねた立川に、ノリコはそもそも自分が百合に走つた原因は、影田が山本と関係を持つてゐたからであるなだどといふ、アクティブに入り組んだ事実を伝へる。もしくは交錯する筈の線が平行になつたのだから、逆にシンプルともいへるのか。いへないな、矢張り。立川は妻・マリコ(三沢)との夫婦生活に際しては、新婚当初より一貫して家庭内ソープ・プレイを楽しんでゐた。ここで主演女優の三沢亜也とは、かつては篠崎里美・三沢あや等々幾つもの名前を使ひ分けてゐたとの現在しのざきさとみの、出発点は雑誌モデルのデビュー名義である。二十年以上前につき―当年御歳二十五歳―当然ともいへようが、煌くやうに若くて感動する。因みに『PINK HOLIC』誌のインタビューによると、御当人はあと三年は続けたいとの、壮z・・もとい頼もしい抱負も持つてをられるやうである。そして今回新版ポスターに見られる、“三沢亜也《しのざきさとみ》”なる親切表記は麗しい。話を戻して、外回りの最中にサボッてソープランド「Q」に入つた影田は、現れた白衣姿のソープ嬢が、マリコであつたのに驚く。マリコは海外先物取引に捕まり貯金を溶かしたため、当然立川には内緒の上かうして働いてゐるとの身から出た錆。互ひに四の五の逡巡しながらも、最終的に影田は普通にマリコを抱く。一方泣きの電話を受け立川が再び影田家に向かつてみたところ、心を離したのかほかに男でも出来たのか、ミキが家を出て行つたといふ。相談を受けに度々影田家を訪れる内に、元来浮気だとかさういふ面倒なお痛はしない信条の立川は、何とはなしにノリコとの距離を近付けてみたりする。
 エンド・クレジットが懇切に紹介して呉れるゆゑ助かつた、初見の名前が多いその他配役を登場順にトレースしておくと、森田豊は、「Q」の表に立つガールならぬバニーボーイ。細山智明の変名である鴎街人は、二度目の影田家訪問からの帰途立川が目撃する、妹の新恋人。暗く遠く、夜のロングでワン・カット抜かれるのみ。斉藤姉妹は、マリコをセンターに据ゑ横一列に並んだ、五人の客待ちソープ嬢をパンで舐めるショットの火蓋を切る、画面向かつて左二人のOLとスチュワーデス。いわぶちりこは右から二番目のセーラ服で、津田まさごろは一番右、語彙の貧しさが面目ないが小洒落たカフェの店員風の制服を着た女。マリコ以外は、全員清々しくチェンジ対象でもある。といふか、店に行つてこの人らが出て来たらあり得ない、といつた方がより率直な気持ちには近い。ドクター南雲は、また影田から指名されたらどうしようかと困惑するマリコを別の意味で当惑させる、得体の知れない変な客。村瀬光一は、衣装もロケーションも全く突飛な、マリコも騙された海外先物取引「ハッピー商会」被害者救済の会のサムライ。この中から、津田まさごろはマリコ勇退後看護婦の跡目を継ぎ、影田を落胆させるといふオチのもう一仕事も任せられる。一体「Q」は、如何なる出たとこ勝負の指名システムを採用してゐるのか。
 池島ゆたかが自身の出演作の中でも代表作として挙げ大絶賛し、片隅の世評も概ね高い一作ではある。尤も個人的には、臆面もない節穴ぶりを堂々とひけらかすと、前衛だか実験だか知らないが、終始頓珍漢な演出と意匠とに全篇が貫かれた挙句に、騒動を無事潜り抜けたマリコ―と立川―やノリコ―とミキ―が軟着陸を果たす反面、影田は独り宙ぶらりんに放り投げられたまゝ雰囲気で畳まれてしまふ物語は、何がそんなに面白いのかサッパリ判らなかつた。判らなかつたではてんで感想にはなりはしないが、実際にまるで判らなかつたので、最早ここは正直に手も足も出ないと諸手を挙げつつ開き直る。全体的な統合力は感じられないものの、諸々のギミックは個別には決して映画的、あるいは印象的に機能してゐなくもない。ここは技能の優劣以外に、基本的なバジェット差も窺へぬでない全般的なグレードの開きも明確で、同じく変則的なばかりの娯楽映画未満といへども、荒木太郎作よりは余程素面で充実させて見させる。とはいへ一箇所決定的に看過し得なく、根本的に過(あやま)てる独善は猛然と頂けない。何だかんだと結局事に及んだ、影田とマリコの最初の濡れ場。カメラは頑なに手前の提灯を捉へ、池島ゆたかはまあ兎も角として折角の三沢亜也の輝かしい裸身が、ピントの遥か後方に霞む。これは偏狭では決してない、基本中の基本の大前提であるつもりでゐるが、女の裸を見せるのが、まづ第一義的にピンク映画の仕事なのではなからうか。それを果たさずして、何が作家性か、何が表現か。度し難い虚妄、斯様なものを有難がるくらゐならば、極論すればピンクである必要がない。商業でも非商業でも構はぬ、一般か、それとも自主映画でも観てゐればよろしい。小生は、ピンク映画愛好の士といふ意味のピンクスである、シネフィルの血なんぞいつそ要らん。

 まゝよこの際だ、勢ひに任せ筆の滑りを拗らせるか。大得意の、特大筆禍を仕出かす。細山智明の新版に取り組んでゐた筈が何故か、ピンクもピンクスも、ミスターピンクも撃つ。よくよく気がついてみると、作風の近似といふ訳では全力で全くないが、昨今池島ゆたかが、三上紗恵子と心中する以前の荒木太郎化して来てゐるやうな気がする。それは、偏向したマニアどころかシンパ連中に担ぎ上げられた、全方位的に決してためにはならぬ神輿と化して来てゐるのではないか。もしくは、裸映画の王様は、裸ぢやないかといふ意に於いてである。自ら先頭に立ち且つ観客とも積極的に交流し、沈降する業界をどうにか牽引して行かうとする、池島ゆたかの熱く誠実な姿勢に対しては勿論敬服するに吝かではないが、いふならばそれはそれ、これはこれである。あくまで平静な評価としては、演技者としても演出家としても大根であるとするのが、これまでに憚ることなく表にして来た池島ゆたかに対する当サイトの概評である。当然、異論は受けつける。ひとまづその上で話を進めると、あたかもその監督作が傑作揃ひであるかのやうな、道理を曲げた過大な評価は、内からは何処(いづこ)へも開けず、外からは自閉した、あるいは自家中毒と見做されても仕方がないものではあるまいか。
 お手間を取らせて申し訳ないが、池島ゆたか作個々の感想に関しては、こちらをお読み頂ければ幸である、収拾がつくとかつかないどころの騒ぎぢやなくなつたな。


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