真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「いんらん家族計画 発情母娘」(2003/製作・配給:新東宝映画/監督:深町章/脚本:岡輝男/企画:福俵満/撮影:長谷川卓也/編集:酒井正次/助監督:佐藤吏/録音:シネキャビン/スチール:津田一郎/現像:東映ラボ・テック/出演:麻白・里見瑤子・風間今日子・岡田智宏・丘尚輝・高橋剛)を、プロジェク太上映の地元駅前ロマンにて、「発情家族 母と娘の性題《セックス》」と改題された2007年新版、ではなく、2008年にインターフィルムよりリリースされたDVD題、「制服美少女 はじめての発情期」として観戦したものである。中身は全く、新東宝のカンパニー・ロゴで始まるところからピンクそのまんまなのだが。
 女子高生の吉田ひまわり(麻白)は両親と折合が悪く、彼氏の浅川明彦(高橋)を伴なひプチ家出中。ところが母親から心配するメールが届くや、それまで付き合はせた明彦のことは無体に放置、そゝくさと帰宅する。ところがところが、その日はひまわり十八歳の誕生日だといふのに、父・祐一(岡田)も母・和代(里美)も共にそのことはさて措き小言をいふばかり。不貞腐れたひまわりが二階の自室にこもつてゐると、プレゼントのケーキを持参した明彦が果敢に窓から来訪。感激ついでに、ひまわりは体を許す。とはいへ、そのやうな無防備な情熱が通らう相談にもなく、部屋を訪ねた祐一にポップに発覚。当然のことながら再度更に叱られたひまわりは、夜の闇も押し再び家を飛び出す。森の中、「生まれて来るんぢやなかつた」といぢけるひまわりの前に、「そんなこと、いふもんぢやないよ」と諭す謎の青年(丘)が現れる。そのシチュエーションで見知らぬ男と遭遇した場合、十八の女の子ならば十中八九脊髄反射で警戒しようところだが、その点については清々しく等閑視したまゝに展開は進行。決してひまわりが祐一や和代から望まれずにこの世に生を受けた訳ではない旨を示すために、三十年前に遡り当時高校生の父母が出会つたところから、ひまわり誕生までをトレースする時間旅行に、丘尚輝はひまわりを誘(いざな)ふ。在りし日の祐一と和代は、老けメイクを離脱した岡田智宏と里見瑤子がスムーズに兼務。里見瑤子は兎も角、岡田智宏はどんなに派手に白髪メッシュを頭に入れてみたところで、劇中現在時制の老け役が画期的にサマにはならない。よくいへば若いのだが、歳の取り方の未だ見えぬ男でもある。
 とかく難しい年頃の少女が、恋に落ち結ばれた双親が自身の出生に喜ぶ様子を目撃することにより、前を向いて心を開く。m@stervision大哥の記述を臆面もなくなぞるのも気が咎めぬでは勿論ないが、ちんまりとしたファンタジー系ジュブナイルのやうな、それでゐて成人指定ホームドラマである。容易に予想し得る丘尚輝の正体も含め大筋の全ては予定された調和の中に納まり、その限りに於いては芸を欠くと悪し様にいふならばいつていへなくもないが、同時に爽やかに心温まる、素直な素直な娯楽映画である。そんな中特筆すべきは、さりげなく麗しいピンク映画固有の文法。現在の吉田家は、元々は和代(旧姓鈴木)の実家であつた。三十年前、祐一は和彦のことを実はどうかういへた筋合にもなく、全く同様に夜間に窓から和代の部屋に忍び込む。そのままオッ始まる初めての性交、親のさういふ姿を見るもんぢやないね、と丘尚輝はひまわりを連れ退場しておきながら、その後の一部始終を観客にはキッチリ見せる。更に感動したのは、最早機能美とすらいへよう、三番手濡れ場要員を担ふ風間今日子投入のメカニズム。ここで整理しておくと、麻白の絡みの相手は彼氏役の高橋剛が、里見瑤子に関しては夫役の岡田智宏が務める、そこまではいい。問題なのが、娘が父母の来し方を辿るといふ物語に際しては、普通に考へれば第三の女が登場する余地は存在しない。激越に開き直つて完全に木に竹を接ぐにしても、今度は風間今日子の相手方たる、俳優の残り枠が矢張り存在しない。いつそ百合の花を咲かせてみせるには、和代の造形は果てしなく遠い。それならば一体全体、今作がこの難題を、如何に解決したのかといふと。ビギナーズ・ラックなのかそれともバッド・ラックなのか、最初に結ばれた夜に子を授かりつつ、和代は初産を流産する。その後二人は結婚した七年後、和代は祐一に、改めて子作りを求める。もののそれから二年、夫婦は子宝に恵まれない。自身は診察を受け何の異常もなかつた和代は、祐一にも検査を勧める。斯くいふ次第で風間今日子はといふと、来院したはいいが、エロ本片手に検査サンプルの精液採取に悪戦苦闘する祐一のために、当初は爆乳パイズリで一肌のつもりが、最終的には二肌三肌どころではなく一通り脱いでしまふ羽目になる看護婦・竹下恭子。挙句に一度は祐一が中に出してしまつたゆゑ、二回戦にすら突入するといふシークエンスの底はよくよく顧みなくとも抜け切つてはゐるが、風間今日子持ち前の頑丈な安定感が、ルーズな無理も意外と綺麗に通す。しかもひまわりが目出度く生まれた暁には病院庭にて、出張先から走つて文字通り駆けつけた祐一と大仕事を終へ出迎へた和代の傍らで、恭子が生まれたばかりの赤子を優しく抱くショットも用意される。ここに際しての、一旦は派手に弾けさせた飛び道具のさりげない回収ぶりが、重ねてなほのこと麗しい。一見他愛も工夫もないやうにも見える一方で、その陰に慎ましやかに流れる実直な論理と技術とに、温かくと同時に胸を熱くさせられる一作である。

 ところで今作ならではの機軸が明後日に火を噴くのが、駅で電車を待つ和代に、祐一が一目惚れする出会ひのシークエンス。矢沢永吉に憧れロック・スターを夢見る祐一が、文庫本に目を落としホームに立つ和代の背後から、あらうことかツイスト・ダンスで体を左右に激しくスイングさせながら接近するなどといふ、微笑ましくも甚だしい離れ業を披露してのける。先にも触れたやうに老け役はてんで形にならない反面、この出鱈目なアプローチは、それでも岡田智宏十八番のメソッドといへるのではなからうか。


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