真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「痴漢電車 いゝ指・濡れ気分」(2004/製作:ナベシネマ/提供:オーピー映画株式会社/監督:渡邊元嗣/脚本:山崎浩治/撮影:飯岡聖英/照明:小川満/編集:酒井正次/助監督:小川隆史/監督助手:福本明日香/撮影助手:小宮由紀夫/照明助手:八木徹/スチール:元永斉/タイミング:安斎公一/効果:梅沢身知子/録音:シネキャビン/現像:東映ラボ・テック/下着・大人のおもちや協賛:ウィズ・コレクション/出演:愛葉るび・瀬戸恵子・赤坂ルナ・なかみつせいじ・シュウ・熊谷孝文)。エンドクレジットを飾る、テイストとクオリティ共々80年代黎明期エロアニメ風の、痴漢電車イラストが誰の手によるものかは不明。
 開巻からカメラ目線のヒロインが、L字型にキメた指をビッシビシ振り回しながら登場する。今回の渡邊元嗣は主演に愛葉るびを迎へアイドル映画全開でブッ飛ばすものかと思ひきや、以降の展開は意外とオーソドックスな娯楽映画であつたりもする。あらゆるジャンルを網羅した、といへば聞こえもいゝが要は本人も自覚する、“男も仕事も長く続かない”正確には目下元風俗嬢の上島リオ(愛葉)は、欲情したためわざと痴漢され易いやうにと扇情的かつ軽い服装で電車に乗り込む。痴女・ミーツ・痴漢、まんまと引き寄せられた佐山哲夫(なかみつ)の卓越した指戯に昇り詰めつつも、放つた精に下着を汚されてしまつたことに腹を立てたリオは、昨今仕事をしてをらず金に困つてゐたのもあり、降車後クリーニング代を寄こせと詰め寄る。何だかんだとその場の勢ひで、リオはOP駅前大学―何だそりや―性医学教授との佐山の助手の座に収まる格好に。佐山の研究室に相談に訪れる、アクティブな悩みを抱へた奇天烈なマニア夫婦達に、てんで的外れでまるで要領を得ない佐山に代りリオが豊富な風俗体験に裏打ちされた的確なアドバイスを与へる一方、二人は主に―“発”つきの―情の軽いリオの方から何となく距離を縮めて行く。ものの、折角リオが膳を据ゑてゐるといふのに、土壇場になると佐山は何のかんのと事に及ぶのを執拗に拒む。
 登場する特殊カップルは二組、順に瀬戸恵子と熊谷孝文は、抑制の効かない露出癖を相談する森嶋夫妻・葵と新平。ところでさりげなく、結構な姉さん女房でもないか?別に個人的な性向としても、それで構ひはしないが。対して、箍の外れた好色さを双方容易に想起させる画面(ゑづら)からもジャストフィットな配役といへよう赤坂ルナとシュウ(a.k.a.十日市秀悦)は、プロのリオも舌を巻くほどの、残るは屍姦ぐらゐではなからうかとすら思はせる華麗で苛烈なる性遍歴の果てに、いはばヤリ尽くして倦怠期に陥つてしまつた三宅夫妻・千歳と誠太郎。佐山とリオが次々挙げるプレイの数々が、とうの昔に三宅夫妻が通過済みである件には、らしからぬテンポ感が走る。二組何れも、問題を抱へてゐるのは兎も角、晴れやかに陽性でまるで悩んでゐるやうには見えない点はさて措き。その他、概ねスタッフ勢と思はれる電車内乗客要員の中に、クレジットはないまゝに今野元志と横須賀正一が見切れる。直後に後述するが今野元志の働きは、恐ろしく地味ではあれ大きい、あと一人だけゐる女の子は福本明日香?
 リオの発案で森嶋夫妻を電車に放り込み、「コスプレ覗き電車プレイ」に開眼させるといふ展開は、大雑把に思へなくもないとはいへこゝに予想外の収穫が。渡邊元嗣がそのサイドエフェクトを企図してゐたものや否かは不明ながら、大らかも斜め上に通り越した電車内お医者さんゴッコに興じる葵と新平に今野元志を始めとする乗客達が歓喜する様子が、実は祭り開催中の小屋の空気をよく伝へてもゐる。誤解なきやう一応一言お断り申し上げておくと、こゝでの“祭り”とは、常時執り行はれてゐる模擬戦―あるいは同士討ち―を指す訳では断じてなく、舞ひ降りた本物の天使とともに極々稀に発生する実戦のことである。とまれ、場当たり的な巴戦もこなしての対三宅夫妻戦に於いては、電車が全く絡んで来ない不調法はさて措き、伏線にソフトクリームを配しての解決策は爽やかにスマート。二組の夫婦に応対する中盤には、常ならざる性癖を病気として治療しようとする佐山と、変態即ち、言葉を補ふならば認められるべき多様性の範疇と看做し、あくまでそのまゝ肯定しようとするリオとの対照もそれとなく描かれる。佐山の実は他愛ないポップなトラウマも克服した上で、案外痴漢電車が順調に走行する順当な娯楽映画は、賑々しいグランドフィナーレを迎へる導入に、何気なくエポックメイキングな頂点を轟かせる。
 そもそものリオの“男も仕事も長く続かない”理由を、綺麗に電車痴漢に回収してみせる構成が、ひとまづ素晴らしい。そこに三宅夫妻が全く姿を見せない不参加に関しては、大団円の画竜点睛を欠いてゐるやうに思へなくもないが、電車内セックスによつて二人の関係を完成させようとするリオと佐山に、けふも「コスプレ覗き電車プレイ」が絶好調の森嶋夫妻をも投入する戦略は、シンプルに画としての迫力を増すと同時に終劇の磐石さも加速する。潔いセット撮影の中で、昇降口のガラスに押しつけられたリオのオッパイを、外からの視点で押さへる定番を着実に果たす堅実さも光る。

 物語を最終的には電車痴漢に収束させる段取りに、娯楽映画の肝たるべき論理性がしばしば試される「痴漢電車」ものとして、今作は純粋によく出来てゐる。リオの事情は痴漢電車に直結し、そこに森嶋夫妻が参戦する展開にも全く無理はない。佐山の微笑ましくも哀しい過去を清算する過程に際してすら、厳密には無関係の電車を持ち出す周到さも逞しい。ところが、それだけに止(とど)まらず。オーラス電車痴漢の前フリに於いて、ピンク映画史に記されるべき極めて重要な功績をサラッと残してゐる厳然たる事実を、こゝに特筆したい。いざ出陣といふ段、まづ間違ひなく架空の哲学者であらうノッペンバッカーの遺した名言「性の営みはベッドの上でのみ行はれるものではない」、「性の形態は、人の数だけある」を引いた佐山が、自費出版の唯一主著『ドクトル佐山のイクイク身の下相談室』続篇のテーマに仮託するといふ形で高らかに宣言する名定立、「ベッドの上で起こることは、全て電車の中でも起こる!」。当然といふか何といふか未見だが痴漢電車第一作、山本晋也のその名もズバリ「痴漢電車」(昭和50)から凡そ三十年。神野太のピンクXを記念すべき痴漢電車百作目とするカウントが、正確ならば百四作目。「ベッドの上で起こることは、全て電車の中でも起こる」、多分初めて痴漢電車の初期理論を麗しく構築してみせた偉業を、立ち上がつて「ブラボー!」と叫びこそしなかつたが、全力で大いに称へるものである。素面の命題としての完成度から比類なく高い、正しく歴史的な名言だ。ついでで蛇足をいふならば、ベッドの上で起こることは全て、小屋の中でも起こるんだぜ( ͡° ͜ʖ ͡°)


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