2012年8月、私は『若い女性の意識はこの20年で変わったのか』と題する記事を書きました。以下、一部文字をスパムコメント対策としてイメージ表示しています。
北原みのりさん著「アンアンの
できれいになれた?
」についてです。
その一部を以下に転記します。
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雑誌「an an」(以下「アンアン」)は、1970年に創刊されました。
そのアンアンが、創刊から40年でどのように変わってきたのか、アンアンが創刊された70年代に“新しい女”の時代を生きた女たちは、今どんな60代を迎えているのか。そんなことを考えながら、著者の北原氏はアンアンを創刊号から読み直してみようと思いました。「キラキラしていた女の雑誌が、普通の雑誌になるまでの40年に、日本の女に何が起きたのかを考えてみたくなった。そして、自分のことも振り返りたい。」
《80年代~90年代前半》
『70年代のアンアンが高い志のもとに自由を謳歌するお姫様だったとしたら、80年代のアンアンは、今の感覚からいうと“悪ふざけ”にも見えるほど、徹底して軽く、明るく、おしゃべりで行動的な女の子に見える。』
そして1989年4月に発売されたアンアンの特集「
で、きれいになる。」です。
『欲望を丸出しにしているのに、きれい。そして、全然男に媚びていない。何が斬新だったのかを一言で表すなら、すべてが完璧な「女目線」だった、これに尽きる。』
《90年代後半~00年代》
97年の特集では「愛情と信頼と、すべてをゆだねられる一番好きな恋人とこそ」と「愛」が連呼されます。
『愛、愛、愛。そういえば、これまで「愛ある」
をアンアンが声高には主張してこなかったことに、ここに来て初めて気がつく。』
『一方で、97年と98年には、アンアンがいままで紹介したことがない、本格的なハウツーテクニックがページを占めていくことだ。』
・・・
2000年1月号でアンアンが掲げた目標『今年こそ、“恋愛の勝ち組”を目指すぞ!「男が追いかけたくなる女」になりたい』
『あの頃に発売された本や、歌を振り返ってみると、女の子たちの叫びのようなものが、聞こえてくる気がする。・・・この社会には、女の子の居場所がない、と。
バブル世代の女は、自分たちがいる場所が世界の中心だと思えていた。・・・若く未来のある女が、世界で一番自由で強く、世の中の真ん中にいられる。女であることの居心地の悪さを感じたことはないけれど、「居場所がない」と苦しむのは、少なくとも80年代の女にはなかった感性だ。
わずか数年で女の子から見える世界は180度変わってしまった。』
01年から03年ころには、アンアンの記事は完全に変わってしまいました。
80年代には「自分のため」だったものが、90年代後半以降「男に奉仕する」「男に媚びる」ものに変身してしまいました。
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北原氏の「アンアンの
できれいになれた?
」を通じて、日本の若い女性の置かれた環境が、70年代から00年代にかけてどのように変化したか、そして若い女性の希望がいかに抑圧されるようになったか、この本からひしひしと伝わってきました。
北原著書の「あとがき」がはっきり示しています。
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それでも、「昔はよかった」という郷愁のようなものは、この本(アンアン)のあらゆるところから、ダダ漏れしてしまっていると思う。それは、確かに昔はよかった、と思えるものが確実に一つ、アンアンを読み進めるうちに浮き彫りになってしまったからだ。昔の女にあって今の女にないものが明快にわかってしまったからだ。
それは、自由への希望、のようなもの。アンアンを読み進めていくうちに、それがどんどん薄れていくのを確信するようなことが何度もあった。40年前のアンアンは「もっともっともっと、私たちは自由になろうよ!」と叫んでいた。けれど、今の女性にとって自由は憧れでも希望でもない。それは自由が達成できたから、というだけではないように思う。
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今回、三浦 ゆえさん著の『「an・an」の〈
特集〉に、巨大な変化が起きていた…!』「愛され」から「女性の主体性」へ
を読む機会がありました。
北原著書と同じ、アンアンの記事の変遷について述べています。
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『始まった「迷走」
それでも夏の風物詩として
特集号を出しつづけた「an・an」だが、2010年ころから迷走が著しくなっていたと感じる。
「・・・」「・・・」(2012年)などといった、男性を喜ばせる“テクニック指南”には度肝を抜かれた。もちろん、悪い意味で。
こうした指南を通して同誌が提案したのは「男性を喜ばせる
」であって、女性自身の快感は後回し。男性から評価される(愛される)ことが女性にとっての喜びである、という価値観を強く感じる内容がつづいた。』
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北原さんがびっくりした、00年代のアンアンの特徴が、2012年までずっと続いていたことがわかります。北原著書は2011年発行ですから、発行後も同じ状況だったと言うことです。
それに対し、
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『今年は様子が違う…!
ところが、である。今年の「an・an」は、様子が変わっていた。
における女性の「主体性」が語られ、性的同意の解説にページが割かれる。
今年の「an・an」の
特集には「愛と
」というタイトルがついている。これまでに同誌が何度も使い回してきている定番のフレーズである。しかし、今年の
特集からは少し違う印象を受ける。
において本当に必要なのは、愛という抽象的で不確かなものではなく、より具体的で地に足のついたコミュニケーションのうえに成り立つ信頼と安心である。今年の同特集の行間からは、そんなニュアンスすら時おり感じた。愛は、その基盤なくしては成り立たない。』
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若い女性を取り巻く環境に、良い変化の兆しが生まれているのでしょうか。そうであれば良いのですが・・・。
なお、三浦 ゆえさんの上記記事には、以下の北原著書が参照されていません。その点は残念でした。

アンアンの
できれいになれた?
北原みのりさん著「アンアンの

その一部を以下に転記します。
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雑誌「an an」(以下「アンアン」)は、1970年に創刊されました。
そのアンアンが、創刊から40年でどのように変わってきたのか、アンアンが創刊された70年代に“新しい女”の時代を生きた女たちは、今どんな60代を迎えているのか。そんなことを考えながら、著者の北原氏はアンアンを創刊号から読み直してみようと思いました。「キラキラしていた女の雑誌が、普通の雑誌になるまでの40年に、日本の女に何が起きたのかを考えてみたくなった。そして、自分のことも振り返りたい。」
《80年代~90年代前半》
『70年代のアンアンが高い志のもとに自由を謳歌するお姫様だったとしたら、80年代のアンアンは、今の感覚からいうと“悪ふざけ”にも見えるほど、徹底して軽く、明るく、おしゃべりで行動的な女の子に見える。』
そして1989年4月に発売されたアンアンの特集「

『欲望を丸出しにしているのに、きれい。そして、全然男に媚びていない。何が斬新だったのかを一言で表すなら、すべてが完璧な「女目線」だった、これに尽きる。』
《90年代後半~00年代》
97年の特集では「愛情と信頼と、すべてをゆだねられる一番好きな恋人とこそ」と「愛」が連呼されます。
『愛、愛、愛。そういえば、これまで「愛ある」

『一方で、97年と98年には、アンアンがいままで紹介したことがない、本格的なハウツーテクニックがページを占めていくことだ。』
・・・
2000年1月号でアンアンが掲げた目標『今年こそ、“恋愛の勝ち組”を目指すぞ!「男が追いかけたくなる女」になりたい』
『あの頃に発売された本や、歌を振り返ってみると、女の子たちの叫びのようなものが、聞こえてくる気がする。・・・この社会には、女の子の居場所がない、と。
バブル世代の女は、自分たちがいる場所が世界の中心だと思えていた。・・・若く未来のある女が、世界で一番自由で強く、世の中の真ん中にいられる。女であることの居心地の悪さを感じたことはないけれど、「居場所がない」と苦しむのは、少なくとも80年代の女にはなかった感性だ。
わずか数年で女の子から見える世界は180度変わってしまった。』
01年から03年ころには、アンアンの記事は完全に変わってしまいました。
80年代には「自分のため」だったものが、90年代後半以降「男に奉仕する」「男に媚びる」ものに変身してしまいました。
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北原氏の「アンアンの

北原著書の「あとがき」がはっきり示しています。
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それでも、「昔はよかった」という郷愁のようなものは、この本(アンアン)のあらゆるところから、ダダ漏れしてしまっていると思う。それは、確かに昔はよかった、と思えるものが確実に一つ、アンアンを読み進めるうちに浮き彫りになってしまったからだ。昔の女にあって今の女にないものが明快にわかってしまったからだ。
それは、自由への希望、のようなもの。アンアンを読み進めていくうちに、それがどんどん薄れていくのを確信するようなことが何度もあった。40年前のアンアンは「もっともっともっと、私たちは自由になろうよ!」と叫んでいた。けれど、今の女性にとって自由は憧れでも希望でもない。それは自由が達成できたから、というだけではないように思う。
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今回、三浦 ゆえさん著の『「an・an」の〈

を読む機会がありました。
北原著書と同じ、アンアンの記事の変遷について述べています。
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『始まった「迷走」
それでも夏の風物詩として

「・・・」「・・・」(2012年)などといった、男性を喜ばせる“テクニック指南”には度肝を抜かれた。もちろん、悪い意味で。
こうした指南を通して同誌が提案したのは「男性を喜ばせる

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北原さんがびっくりした、00年代のアンアンの特徴が、2012年までずっと続いていたことがわかります。北原著書は2011年発行ですから、発行後も同じ状況だったと言うことです。
それに対し、
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『今年は様子が違う…!
ところが、である。今年の「an・an」は、様子が変わっていた。

今年の「an・an」の




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若い女性を取り巻く環境に、良い変化の兆しが生まれているのでしょうか。そうであれば良いのですが・・・。
なお、三浦 ゆえさんの上記記事には、以下の北原著書が参照されていません。その点は残念でした。
アンアンの

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