弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

内之浦宇宙空間観測所訪問

2014-10-06 22:37:57 | サイエンス・パソコン
9月19~23日、家族で鹿児島に旅行してきました。
19日(金)羽田から鹿児島へ飛行機で移動、レンタカーを借りてダグリ岬(志布志)へ
20日(土)ダグリ岬遊園地→内之浦宇宙空間観測所→根占→フェリー→指宿
21日(日)流しそうめん→鹿児島(城山)→西郷遺跡(城山周辺)
22日(月)鹿児島中央→はやとの風→吉松→しんべい→人吉→SL人吉→新八代→新幹線→鹿児島中央
23日(火)鹿児島→羽田

まずは、20日(土)に訪問した内之浦宇宙空間観測所です。

内之浦の市街を経て観測所に近づくと、突然道ばたにアンテナが現れます。説明によると、昭和41年(136MHz)、44年(400MHz)に設置され、62年度まで人工衛星の軌道決定に活躍したアンテナということです。国産初の人工衛星「おおすみ」の電波を最初に受信しました。
人工衛星追跡用自動追尾アンテナ
  
左:400MHz  右:136MHz            136MHz自動追尾アンテナ

人工衛星「おおすみ」の像も建っています。

おおすみ
人工衛星は銀色の円錐台の部分だけで、黒い球形部分は切り離されずについてきた最終段ロケットです。

アンテナのすぐ横に、コンクリート製の古い洞窟が開いています。
 
『米軍オリンピック作戦(志布志湾上陸)に備えた内之浦砲台跡
この洞窟は、昭和19年第二次世界大戦のときに米軍の志布志湾上陸を阻止するために造られた砲台跡です。
「この陣地の大砲は、もともと佐賀関町に本部のあった豊予要塞砲を取り外してきたものである。」「砲台構築を目的とした有明作業隊が来たのが昭和19年9月」「そしてこの作業隊は海蔵から高崎へかけての砲台陣地と志布志湾に浮かぶ2つの島に10センチ加農砲2問と12センチ砲2門を据えつける砲兵洞窟陣地を完成させると、20年3月中旬、・・・次の築城場所である佐多の伊座敷へ移動していくことになった。」』(説明板)

「オリンピック作戦」ですか。突然ですね。
昭和45年8月にもし終戦を迎えていなかったら、連合軍(米軍)は日本本土上陸作戦を敢行するところでした。最初は九州、続いて関東です。九州上陸作戦を米軍は「オリンピック作戦」と読んでいましたが、これは終戦後にわかることです。
この話になると、堀栄三著「大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇 (文春文庫)」を思い出します(こちらの記事)。
堀氏は日本帝国陸軍の情報参謀で、ルソンの山下奉文司令官の情報参謀を経て、昭和20年に大本営に転属になりました。大本営で堀氏らは、米軍の九州上陸作戦(米国名オリンピック作戦)を
「米軍の九州への使用可能兵力は15個師団、上陸の最重点指向地点は志布志湾、時期は10月末から11月初旬の頃」
と予測し、これが実にピタリだったようです。関東への第二次上陸作戦についてもピタリと当てます。
終戦後、堀氏は連合軍総司令部(GHQ)から呼び出しを受けました。行ってみると、「日本はなぜ米軍のオリンピック作戦をこれだけ正確に予測できたか。米国の暗号が解読されていたのではないか」という疑問に対する尋問だったのです。
ここ内之浦は、その志布志湾の一部なのでした。
洞窟の説明書きによれば、この砲台は、堀氏が大本営で米軍志布志湾上陸を予測する以前から着工されていたようです。

《内之浦宇宙空間観測所》
 
内之浦宇宙空間観測所施設配置図

観測所入り口で入場の受付を済ませ、レンタカーでそのまま場内に入りました。
 
34mφパラボラアンテナ

門衛所から入ると、まず糸川英夫博士の像と人工衛星「おおすみ」打ち上げ記念碑です。やはり、内之浦にとっての最大のメモリアルは、糸川英夫博士と「おおすみ」なのでしょうね。糸川博士は、朝日新聞が掲載した記事が原因でバッシングを受け、東大を退官しました。おおすみの打ち上げ成功は糸川博士の退官後のこととなりました(糸川英夫氏生誕100年と朝日新聞)。
なお、内之浦に立つ糸川博士の銅像(下写真)も、博士の生誕百年を記念して平成24年に建立されたようです。
  
糸川英夫博士の像         人工衛星「おおすみ」打ち上げ記念碑

さらに進むとKSセンターです。コンクリート製の大きな構築物があります。どうもこれがランチャードームのようです。
 
KSセンター(観測ロケット打ち上げ場)ランチャードーム

一度門衛所まで戻り、別の道を進んでM(ミュー)センターへ行きます。
《M(みゅー)センター》
ここは、小惑星探査機「はやぶさ」を打ち上げたM-V(ミューファイブ)の打ち上げ場でした。そして現在は、イプシロンロケットの打ち上げ場になっています。
 
左:ロケット組み立て室  右:発射装置

 
左:ロケット組み立て室 右:衛星整備室 奥に発射装置

 
発射装置

ロケットは、各段ごとにロケット組み立て室で組み立てられるのでしょうか。衛星本体は衛星整備室で整備されるのでしょうね。そして個々に組み立て室から整備塔に運ばれ、この整備塔で全体が組み立てられる、という段取りだと思われます。
上の写真で、高い鉄骨構造物(やや古ぼけている)が整備塔、ちょっとだけ見える赤い構造物がランチャー、右端のコンクリート構造物が発射台と思われます。整備塔で組み上がったロケットはランチャーにあずけられ、そのランチャーが整備塔側からコンクリート発射台側にくるっと回転し、コンクリート発射台の上にロケットが載置されるのでしょう。

「はやぶさ」を載せたM-Vも、イプシロンの1号機も、同じこの整備塔で整備されて大空へ飛び立っていったのでしょう。

 
M-V-1(ミュー・ファイブ・1)模型

内之浦宇宙空間観測所の滞在時間は、30分程度でした。
午前中はダグリ遊園地で孫たちを遊ばせ、途中の道の駅でゆっくり昼食をとりました。そしてこのあと、根占からの最終フェリー30分前に根占につこうとすると、内之浦の滞在時間が30分しかとれないことがわかったのです。
雨も降ってきました。それもあって、内之浦の見学はそれこそ駆け足で、屋外の施設を写真に撮るだけに終わりました。

続く
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