弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

尖閣“衝突”と日中関係

2010-12-05 08:40:28 | 歴史・社会
世界 2010年 12月号 [雑誌]

岩波書店

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「世界」12月号には、『特集 尖閣“衝突”と日中関係』として、以下の記事が掲載されています。
高原明生(東大)  中国にどのような変化が起きているか
辻康吾(現代中国資料研究会) 中国対外政策の決定過程
莫邦富(ジャーナリスト) 日中衝突の余波を拡大させてはならない
岡田充(共同通信)  「ボタンの掛け違え」はなぜ起こったか
栗林忠男(慶應大学)  海洋の新しい安全保障を構想する
蔡増家(台湾・国立政治大学) 尖閣騒動で中国の「和平崛起」は終わる

尖閣問題で日中関係はなぜあんなにこじれてしまったのか、という点について、このブログでは9月28日に「尖閣問題~初動のいきさつ」として、最初のつまずきのいきさつを考察しました。今回の「世界」を読んだところでは、この9月28日の考察から大きく外れた話はないようです。

「世界」誌の莫邦富氏の記事から追ってみます。
莫邦富氏は、漁船船長逮捕の直後に出張で中国を訪問し、船長釈放の直前まで中国にいたということで、中国の生の状況を体験してきています。
中国は、漁船船長逮捕の時点では、事件の軟着陸を楽観視していました。少なくとも事件の前記段階、つまり中国人船長が連行・勾留された最初の10日間は、むしろ中国政府は軟着陸できるだろうと見て、静かな態度を取っていた、と莫邦富氏は言います。中国政府はおそらく、19日の船長釈放という可能性もあると思って、それまでは抗議を行う外交官の階級を次第に上げていったものの、少なくとも共産党直轄管理下の機関誌では、地味な誌面編集に終始していました。
『しかし、この事件を強硬に日本の意思で片付けようと考えていた前原誠司外相には、こうした姿勢と言葉による中国側の意思表示がとどかなかった。そしてついに温家宝首相までが船長の釈放を求めるようになったのである。
最初、繰り返し講義する中国側に「冷静な対応を」と余裕を持って発言していた民主党の政治家たちが、フジタ社員の身柄拘束、レアアースの「禁輸」などの中国側の「対抗措置」を前に、過激な発言を繰り返すようになった。
こうした民主党側の閣僚や政治家の発言の過激さと幼稚さに、私は再び大きなショックを覚えた。私の印象に衝撃を残したこれらの発言を拾ってみよう。』

民主党側閣僚や政治家のどのような発言が、中国人には衝撃となったのでしょうか。
まずは民主党枝野幸男幹事長代理による「中国は悪しき隣人」という罵り。さらに「中国に進出する企業、取引をする企業はカントリーリスクを含め自己責任でやってもらわないと困る」という捨て台詞。
さらに管直人首相が求めている日中首脳会談に対して「焦らなくていい」と外務省幹部に指示し、中国の対応を「極めてヒステリック」と罵倒した前原外相の発言です。
『「ヒステリック」という、外務大臣としては最もふさわしくない言葉まで口にしてしまった前原外相の頭は、ショートを起こしてしまったようだ。
あまりに幼稚すぎる発言を繰り返して、口先の瞬間的な快感を安易に求めた一部の民主党政治家の精神的な幼稚さが、今度の事件の余波を人為的に拡大させてしまった。管首相と温家宝首相の「廊下会談」でようやく事件の解決に向けて歩み出した日中両国の足取りが、よりによって日本の外相に妨害され、攪乱されてしまったのである。』

中国人の目に前原外相の言葉がどのように写るかがよくわかる感想です。

さらに、「世界」誌の岡田満氏の記事に以下の記載があります。
中国外務省の胡正曜次官補は9月21日の記者会見で、前原外相を「毎日のように中国を攻撃する発言をし、口にすべきでない極端なことも言っている」と名指しで非難していました。前原外相のどのような発言かというと、18日国会答弁での上記「極めてヒステリック」との発言の他、21日には小平が提唱した「争い(領有権)の棚上げ」について「日本が合意した事実ではない」と述べたこと、またグーグルに対して地図上の尖閣諸島の中国名併記を削除するよう要求したことを指しています。

莫邦富氏は、日本の北方領土に関する主張に対する中国政府の態度の変化について関心を寄せています。
これまで中国は、日本の北方領土に関する主張を支持していたそうです。しかし今回の漁船事件以後、中国ははっきりとこれまでの日本寄りの姿勢を変えた、というのです。
9月下旬、中国を訪問したメドヴェージェフ露大統領と中国の胡錦涛主席は、第二次大戦での対日戦勝65周年に関する共同声明を発表し、その中で、中露両国はファシズムと軍国主義と闘った同盟国であることを再認識した上で、「第二次大戦の結果の見直しは許されない」との宣言文も盛り込まれました。
その直後、メドヴェージェフ大統領は北方領土を含むクリル諸島に「近いうちに必ず行く」と表明します。
『日本の北方領土が安保理常任理事国である中国の支持を失ったことを意味する瞬間だった。』

もうひとつ、最後に莫邦富氏が述べた内容を紹介します。
『戴秉国国務委員が12日未明、漁船事件のために日本の丹羽宇一郎駐中国大使を緊急に呼び出したが、実はその前に、当時外相だった岡田克也幹事長に直接、電話をかけたという。ところが、なぜかこの電話に岡田氏は出なかった。それで激怒した戴国務委員が、丹羽大使を未明に呼び出した、というのだ。』

事件全体を見渡してみると、やはり「船長逮捕はまだ中国の許容範囲内だった。しかし勾留延長が中国の限界を超える線だった。」ということになりそうです。なぜ民主党政権は、那覇地検が勾留延長するに際して政治判断できなかったのか。
9月17日の午後に管首相は内閣改造を断行します。外務大臣が岡田氏から前原氏に代わりました。2日後の19日が勾留期限です。外務省幹部は「あの時はちょうど内閣改造の最中で、岡田氏も幹事長就任が決まってからは『それは次の大臣がやること』と仕事に手をつけなかった。前原氏も、直後に控えた国連総会の準備しか頭になかった」(9月28日朝日新聞)と述べたそうです。
この間のいきさつをもっと掘り下げるべきですが、今回の「世界」誌はその点についての掘り下げがありませんでした。

いずれにしろ、事件発生から船長釈放に至るまで、管直人首相、岡田克也外務大臣、前原誠司外務大臣は一体何を考えていたのか。民主党政権の外交オンチがここまで来ているのかと思うと気が滅入ります。
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