弁理士の日々

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尖閣問題~初動のいきさつ

2010-09-28 22:49:00 | 歴史・社会
尖閣問題で海上保安庁が中国漁船船長の身柄を拘束した後、この事件のポイントは3回ありました。
第1は船長の逮捕に踏み切ったとき、第2は勾留延長に踏み切ったとき、そして第3は釈放したときです。それぞれの時点で日本の政権内ではどのようにして意思決定がなされたのか。
9月28日の朝日朝刊に掲載されていたのでメモしておきます。

《逮捕に踏み切る》
当時国土交通相だった前原誠司氏は7日の事件発生後、鈴木久泰・海上保安庁長官に電話で「中国漁船の船長は逮捕すべきだ」と指示しました。首相官邸にいた仙谷官房長官にも電話で「中国には毅然とした態度を貫いた方が良い」と伝えました。
岡田外相は、外遊先のドイツで事件発生の連絡を受け、電車の乗り継ぎのわずかな合間に前原氏が主張した船長逮捕をあわただしく受け入れました。
7日の夕刻に、仙谷氏は民主党代表選の渦中にあった管首相に代わり、海上保安庁と外務省の幹部から尖閣諸島沖での衝突事件の報告を受けていました。出席者の認識は「事件の悪質性を考えると逮捕はやむを得ない」で一致しました。

逮捕後も、当初は中国側の反応も比較的穏やかだったようです。
逮捕後の成り行きについて、中国側には「日本側は中国との関係に配慮して船長の勾留延長はしないだろう」との読みがありました。異例の5回に及んだ丹羽大使の呼び出しで、「中国側の意図を十分にくみ取り、釈放してくれる」とみていたからです。

《勾留延長に踏み切る》
17日の午後に管首相は内閣改造を断行します。外務大臣が岡田氏から前原氏に代わりました。
2日後の19日が勾留期限です。外務省幹部は「あの時はちょうど内閣改造の最中で、岡田氏も幹事長就任が決まってからは『それは次の大臣がやること』と仕事に手をつけなかった。前原氏も、直後に控えた国連総会の準備しか頭になかった」

しかし、即時釈放を求めてきた中国は19日を境に、急激に態度を硬化させました。後は見てきたとおりです。

副大臣や政務官の人事構想を終えた21日以降、管首相は悪化の一途をたどる日中関係と向き合うことになります。
このころの首相について、政府関係者は「訪米前に『イラ管』が出て、周辺を怒鳴ることもあった」と明かします。
《中国人船長を釈放する》
首相と外相がともに国連総会に出席し、留守を預かる仙谷官房長官の下で緊急回避策が進みました。官邸と協議をした上で、23日に外務省担当課長が那覇地検に行きました。24日に那覇地検の次席検事が中国人船長の釈放を発表した際、「我が国の国民への影響と今後の日中関係を考慮した」と説明したのは、前日に外務省担当課長から聞かされた意見が根拠となったと見られます。

こうして新聞記事でたどってみると、日本にとっては不幸な状況が重なっていたのですね。「いつどんな場合でも、危機管理の準備を怠りなく」ということがいかに難しいか。今の民主党政権に望んでも無理ではありましょうが。
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