弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

北朝鮮核疑惑危機とペリー米国防長官

2010-12-23 18:12:20 | 歴史・社会
日経新聞「私の履歴書」ウィリアム・J・ペリー氏の執筆が続いています。12月21~22日は、1994年の北朝鮮核疑惑危機についてでした。

当時、ペリー氏はクリントン政権における米国防長官です。
1994年諸島、北朝鮮は寧辺の実験用の原子炉から8千本の使用済み核燃料棒を抽出しようとしていました。これは、北朝鮮が核爆弾にして最低でも5、6発分のプルトニウムを手中に収めることを意味します。
クリントン政権は、これを何としてでも阻止すべく、外交交渉を進めると同時に、軍事的なオプションについても検討を行っていました。そのオプションの中には、北朝鮮の核施設を空爆する計画も含まれていました。海洋から発射する巡航ミサイルを使うというものです。
『北朝鮮があのまま核燃料棒の再処理に突入し、プルトニウムの抽出に移行する事態になっていたら、我々は寧辺への空爆に踏み切っていたかもしれない。』
『私は「ありとあらゆる外交手段が尽きるまで、このオプションに手を出すべきではない」と心に決めていた。』ペリー国防長官がクリントン大統領に進言したこともありませんでした。
『このオプションを水面下で検討していた当時、我々は極度に緊張した状況にあった。それは第一次世界大戦勃発前、戦争参加当事国が次第に相互不信を強めた結果、大規模な戦争へとのめり込んでいったプロセスに告示していた。当時の様子を描いた歴史家、バーバラ・タックマンの言葉をなぞって私はガルーチら周辺に思わずこう漏らしている。
「8月の砲声」が聞こえてくるようだ・・・。』(12月20日記事)

バーバラ・タックマンの「8月の砲声」・・・

一昨日、このブログでキューバ危機に関連してとして、ロバート・ケネディ著「13日間―キューバ危機回顧録 (中公文庫BIBLIO20世紀)」から1962年のキューバ危機最中におけるケネディ大統領とケネディ司法長官の会話を紹介しました。ケネディ大統領は直前にバーバラ・タックマンの「8月の大砲」を読んでおり、キューバ危機を第一次大戦勃発時のような事態にしてはならない、と肝に銘じていたのです。

そして今回の北朝鮮核疑惑時のペリー国防長官の対応、バーバラ・タックマンの「8月の砲声」を肝に銘じていたのですね。原題「The Guns of August」ですから、邦題「8月の砲声」と「8月の大砲」は同じ著書を指しているようです。

1994年の北朝鮮核疑惑においては、元米大統領のジミー・カーター氏が単身で平壌に乗り込み、6月16日に当時の北朝鮮最高指導者、金日成主席とサシで会談を行いました。その会談でも、北朝鮮が使用済み核燃料棒の再処理を中断することは受け入れていません。電話連絡を受けたクリントンは、(核開発関連の)行動をやめるのであれば我々は(話し合い解決に)応じる、とカーターに伝えます。
こうしたやりとりを経て、カーターは金日成と再会談し、最終的には金日成がこのクリントンの要求をのむことで決着しました。
カーターからクリントンへの電話連絡があったとき、ペリー国防長官はクリントン大統領に、北朝鮮による使用済み核燃料棒の再処理をやめさせるため、5万人規模の在韓米軍への追加派兵を進言するところでした。
『今、振り返ってみて、私はあの瞬間、カーターからの電話によって救われた気持ちになった。防衛のためとはいえ、数万人規模の兵力を朝鮮半島に増派すれば、それが引き金となって北朝鮮による電撃的な侵攻作戦が始まる恐れは十分にあったからだ。そして、米朝間で話し合い解決に向けた空気が醸成されていなかったら、我々は恐らく(疑惑施設への)空爆作戦へと傾斜していったことだろう。』(12月21日記事)

1994年春といえば、私が1回目の弁理士試験を受けていた頃です。何も知らずに受験勉強に邁進していましたが、米朝間ではこのような緊張関係に揺れていたのですね。
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