Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

『国民を馬鹿にする政治家が笑う国』をおかしいと思う人達と思わない人達、どちらがまとも?

2015年08月31日 | 国際・政治

昨日の安保法案反対デモについて、Japan Todayの記事を。 

Japan Today (2015.8.31)
120,000 protest against security bills outside Diet
http://www.japantoday.com/category/politics/view/120000-protest-against-security-bills-outside-diet 

デモに参加をしない、できない人でもできることがあります。
それは、「自分の頭で考えること」、そして「投票に行くこと」。 

現在の選挙制度にはいろいろ問題がありますが、斜に構えて「自分が投票しても何も変わらない」「政治家はあてにならない」なんて言って投票を放棄していることが、結果的に「自分や自分のお仲間の利益しか考えない政治家」を生み出しているという自覚を持ちましょう。 

現在の選挙制度についていては、私は「一番の問題は、選挙の供託金が日本は高すぎること」だと思っています。 

国政選挙の供託金-日本は600万円、英7万円強、仏独伊は0円
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/87f1aa451b2245c39027e46bf41ebeec
 

これを変える運動も併せてして、『札束抱えて棺桶に片足を突っ込んだような議員』と『その腰ぎんちゃく議員』の排除に乗り出さなければならないですね。 

SEALDsのメンバーは、同じ若者の集まりであっても、欧州の
『海賊党』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E8%B3%8A%E5%85%9A
とは違った、matureな集団。 

彼ら、もしくは彼らのような感性を持った人達が政党を作れるようなことを本気で考えなければならないと思います。 (「政治家になってほしい人ほど政治家になりたがらない」のが常だとは思いますが。)

「国民や若者の声も聞かずに立憲主義を否定するような発言をしたりする政治家および「国民の命は自分のもの」とまで公言するような首相がいる国」に日本が成り下がっていることに危機感を持たなければなりません。 

オマケ:

マイナス1票-Negative Vote Movementを!
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/c4483b7567132ca7c4650e78bf611715 

Negative Vote、政治家の質と投票率
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/d8b553d5a252fd14f8a59f025c11d194 

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日本語の誤用-「日本人の命すべからく国の最高責任者である私にあります」

2015年08月30日 | 国際・政治

安倍首相が、
「日本人の命すべからく国の最高責任者である私にあります」
と言ったとか。

(『4丁目のCan蛙』さんより
http://d.hatena.ne.jp/cangael/20150830/1440903026 ) 

ちょうどこの「すべからく」、昨日のブログ記事『日本語の誤用-NHK『まれ』より』
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/d8f21a6b83fa5692c80ca3e1c2caefaf
でご紹介したポストセブンの記事が取り上げています。 

ポストセブン
わざわざ難しい言葉を得意げに誤用する似非インテリの日本語
http://www.news-postseven.com/archives/20140723_265566.html 

抜粋: 

私が持ちネタのようにしつこく糾弾している似非インテリの誤用が「すべからく」である。漢字で書けば「須く」、意味は「(ぜひ)~せよ」である。英語に翻訳するならoughtかshouldになる。「すべからず」が「禁止」、「すべからく」が「義務」である。

 この言葉は、本来、漢文訓読の中で使われたため、いかにも教養ありげに見えるので、酸豆腐の似非インテリが得意気に誤用する。

 産経新聞の校閲部長で後に論説委員にまで出世した塩原経央という男がいる。塩原は学生時代に詩集も出していた(自費出版で)文学通で、言葉には一家言ある。文語の美しさを紙面で強調し「言葉はすべからくそういうものだ」と酸豆腐を旨そうに食って見せた。同紙在職中から、美しい日本語についての講演もしばしば行なった。何と、日本語についての著作まである。

 水村美苗の『日本語が亡びるとき』は、何かの文学賞を受賞したはずだが、イグ・ノーベル賞だったかもしれない。この本の中に、こんな一節がある。

「カンボジアのクメール・ルージュにいたっては読書人をすべからく虐殺した」

 水村美苗は、読書人虐殺を義務だと思っているらしい。確かに、ある意味では正論のような気がする。 

安倍首相も、「すべからく」を「すべての」という意味で使っているんですかね。 

しかしまあ、誤用だろうが誤用じゃなかろうが、「国民の命を自分のものという人間」が国のリーダーですか?

北朝鮮の独裁者でさえ、(本音だとしても)公言しないでしょう。

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日本語の誤用-赤ん坊も言葉には敏感?

2015年08月29日 | 

先の記事『日本語の誤用-NHK『まれ』より』の追記として: 

日本語の変な使い方といえば、私は息子が1歳の頃、ストーブや危ないところに近づくと、「アブいよ!」と言いながら息子を抱きかかえて遠ざけていました。 

この「アブい」という言葉は、私独自の赤ちゃん言葉で、「危ない」の短縮形として使っていました。
(私の両親が愛知出身で、「横着な人」のことを「おうちゃくい」と言ったりしていたのが、頭にあったのか・・・。ま、愛知県民は「アブい」とは言いませんが。) 

そんな息子、そのうち私や夫から自分の意にそわないことをされそうになると、「ブイ」「ブーイ」と言いながら防御するよう様になりました。 

しばらく息子のこの豚のような言葉がどこから出てきているのか不思議だった私と夫、ある時、気が付きました。 

「ああ、いつも自分が「アブい!」と言われて移動させられるので、この子は「アブい」イコール「どきなさい(あっちへ行きなさい)」という意味だと思ったんだわ。そして、「アブい」が「ブイ」になった。」

これをきっかけに、私は息子に「アブい」という言葉を使うのはやめ、「危ないよ」という様になりました。 

赤ん坊の息子にとって「危ない」という言葉が言いづらかったからかどうなのか、この後、息子の「ブーイ」という言葉もなくなると同時に、「勘違い」も消えていきました。 

「言霊」というとちょっと意味合いが違うのかもしれませんが、「言葉」って、何か秘められているんでしょうか、ね。 

追記: 

なお、「アブい」ですが、道路に建てられた安全標識では「危ない」を「危い」としているものがあるようです。これは、単に送り仮名のうち「な」を省略しているだけとのようで、「あぶない」と読んでくださいとのことです。

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日本語の誤用-NHK『まれ』より

2015年08月29日 | 

今日は土曜日で夫が観ていたNHK「まれ」。
TVから流れてきたセリフに、「わざわざ行く価値があるお店だ」というのがありました。 

この言葉も、脚本家が書いた言葉でしょうが、これは日本語として正しいのでしょうか。

「ぜんぜん好き」と同じような違和感を覚えて調べてみると、今は「わざわざ」という言葉についても、このような間違った使い方をする人が増えていることを知りました。 
(そいういえば、「超」+形容詞という誤用が80年代に流行りましたが、これは今はあまり使われていないように思いますが、どうでしょう。) 

違和感を覚えるといえば、今は市民権を得た「まぎゃく」。これは本来は「まさか」という読みだったと思いますが、なんて汚い言葉にしてしまったものか。 

日本語は難しく、今こんなことを書いている私自身も勘違いをして誤用するケースもありますし、専門家でも間違うことがあると言います。 

(ポストセブン
わざわざ難しい言葉を得意げに誤用する似非インテリの日本語
http://www.news-postseven.com/archives/20140723_265566.html) 

言葉は変化するもの-例えば「確信犯」という言葉のように、本来は「本人が悪いことでないと確信してなされる犯罪をする人間」であったことが、いつのまにか誤用の「悪いことだとわかっていながら行われた犯罪や行為をする人間」で使う人が増えてしまい、これが定着してしまうケースもある-というのはわかります。 

しかし「言葉は変わるもの」だとしても、昔は、物書きやアナウンサーなどには日本語に対する敬意があったのではないでしょうか。
(アナウンサーがイントネーションを流行り言葉のそれで発音するのも、聞き苦しい。) 

特にNHKの番組及びニュース番組では、言葉には気を使ってほしいものです。 

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鳥井弘文さんのブログ、そして『引き出し』と『ものさし』

2015年08月27日 | 友人・知人

私はSNSは一切しない、基本的に他のブログにコメントを入れることもしません。

ですので、ネットで知り合う人は、japan guide で知り合った海外・日本のペンフレンドと、私のブログにコメントを下さった方がほとんどです。 

この「ブログにコメントをいれない」という基本を破って連絡をしたのは、地域起こし協力隊の若者田口比呂貴さん。そして、彼を通じてMATCHAを運営している青木優さんと、元MATCHA編集長の鳥井弘文さんと知り合いました。
(彼らのことは、カテゴリーの『友人、知人』の2014年3月以降の記事からどうぞ。) 

この3人のなかで鳥井さんだけは実際にお会いしたことがないのですが、彼ら3人とも、私の甥のように思えて、遠くから見守らせてもらっています。
(母性的とは言い難い私ですが、なぜか外国人、日本人とも若い人達と繋がることが多く、彼ら一人一人が愛おしくて仕方がないんです・・・。「うぜぇー」っていう人もいるかもしれないですけどね。) 

今までも彼らの書いたものや彼らのことを紹介させてもらうことがありましたが、今日また鳥井さんのブログ記事を紹介させてもらいます。 

隠居系男子
自国の文化を深堀りした分だけ、他国の文化を理解できるようになる。
http://inkyodanshi21.com/lifestyle/7600/
 

彼の言葉を抜粋すると、 

「これは常々色々なところでお話しているのですが、僕は自国の文化の深堀りをした分だけ、他国の文化を理解できるようになるものだと思っています。」 

「世の中の仕組みというのは、思いのほか繋がっている。
その繋がりを見つけることができるぐらい広い視野を持ち、自分の中の「ものさし」で正しく計測できるかどうか。
物事への理解というのはそうやって深まっていくものだと思いますし、それを続けてきた結果、“物事の本質”と呼ばれるところに辿り着くことができるのだと思います。」 

以前の記事『ドイツに留学中のマリさんと『引き出し』』
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/770e3a67709352177d7d7ca60ba22bdb
のなかに、 

[『異文化交流』『異世代交流』をうまく活かせるのは、社交性や語学力は助けになりますが、やはりきちんとしたものが『引き出し』に詰まっていないと継続は難しい、または上辺だけの付き合いになってしまうのではないかと思います。

『引き出し』は言ってみれば『話題のもと(それは『知識』に限らず、『単なる興味』でも『疑問』でも良いと思います。)』。

マリさんはきっと既に詰まっている自分の『引き出し』を補充し、そしてまた、彼女の周りのドイツ人の『引き出し』の補充の手助けもしながら、充実したドイツ留学を過ごしていくことでしょう。]

と書きました。 

私はこの時、『異文化交流』『異世代交流』と書いていますが、これは人との交流のみならず、自分自身の為になることだと思います。 

また、引き出しをいっぱいにしたところで、鳥井さんが書いているような「世の中の仕組みというのは、思いのほか繋がっている」と意識し(シナプスを活性化)、そして自分の「ものさし」を確かなものにしていかないと、これは単なる「(引き出しの中にしまうものの)収集」で終わってしまうのではないか、と思います。 

若い人に限らず、私も(そして若者以外のすべてが)日々『引き出し』に補充し(そして時々中身を整理し)、そして『シナプス』を駆使、『ものさし』が狂っていないかを確認していかなければいけないな、と改めて思います。

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「第二次世界大戦前欧米諸国が見捨てたユダヤ難民」と「現代の難民」が重なる

2015年08月26日 | 国際・政治

昨日のブログ記事「『イ課長ブログ』でインドシナ戦争おさらい」内のリンクを少し年上の友人Oに送りました。 

彼が、「アフガニスタンでもイラクでもシリアでも同じようなことがあるのでしょうね。
武器を作る人がいる以上戦争は永遠に続くのでしょう。」と言っていたので、以下のメールを送りました。 

「O様 

ポルポトの目的が、「国民を減らすためでもあったのではないか」疑う書き手の言葉がありましたが、私はそれを考えてしまいました。

武器を売ろうとするから戦争がある、宗教があるから戦争がある、そして国民や移民が増えるから戦争がある。

昨日、ハフィントンポストに、
ギリシャとの国境に治安部隊を動員し、催涙弾などを発射して難民の入国を阻止し、国境の中間地帯に足止めしている、という記事と写真があって、胸が締め付けられました。 

ハフィントンポスト(2015年8月25日)
マケドニア国境で泣き叫ぶ難民の子供たちに、平穏な生活は戻るのか
http://www.huffingtonpost.jp/2015/08/24/macedonia-border-migrants_n_8035018.html?utm_hp_ref=japan

スロバキアでは、受け入れる難民は「クリスチャンのみ」とする動きもあります。 

ニューズウィーク(2015年8月21日)
欧州難民危機で、スロバキアがイスラム難民の受け入れを拒否
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2015/08/post-3849.php


70年代の「さすらいの航海」という、ユダヤ難民を乗せた船がどこにも受け入れられずにさまよった事実の映画のことを思い出しましたが、
ユダヤ人達を持て余したのが、戦争につながった。

この事実も、表に出ることはないですね。↓

ユダヤ人に冷淡だった欧米諸国
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hb/a6fhb300.html

『戦争』は人間のエゴが作るものだと思いますが、自然の摂理(自然淘汰)でもあるのでしょうか。

悲しいです。

ゆかり 

参考:

ダーク・ツーリズムに向けた予習
http://iwanya.exblog.jp/24385465/
ダーク・ツーリズムに向けた予習その2
http://iwanya.exblog.jp/24395464/ 」 

日本も米国主導の戦争に加担する方向でいて、それを支持する人達もいます。 

戦争加担は難民を増やすことに貢献します。
(日本は今まで、難民を作り出すことに協力をしていなかったので受け入れが少なくても言い逃れできていましたが、今後は無理そうですね。)

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『イ課長ブログ』でインドシナ戦争おさらい

2015年08月25日 | 戦争・紛争

私が小学生のころ、ベトナム戦争(インドシナ戦争)がありました。

より正しく言うなら、ベトナム戦争は、私が生まれる以前に起こっていて、この戦争を強く意識したのが、小学生4年の頃ということです。 

これは、私の担任教諭および同学年のクラスの担任、美術(図工)の先生が、そういう世界で起こっている話を子供たちにしてくれたことからです。
(彼らは反戦ではあったものの、自分達の思想を押し付けるのではなく、自分の頭で物事を判断することを子供たちに伝えようとしていました。) 

小学校を卒業して以降、インドシナに新たに興味を持ったのは近藤紘一の本『サイゴンから来た妻と娘』から。この本に出会ってから近藤氏が病死するまで書き続けた本を読み続け、それ以外にも、『ライカでグッバイ』(ベトナムで殉職したベテラン戦場カメラマン沢田教一の評伝)、『地雷を踏んだらさようなら』(カンボジアで殉職した若い戦場カメラマン一の瀬泰三の本人による記録。映画化。)、『キリングフィールド』(カンボジアを取材していたニューヨークタイムズ記者の実話。映画化。)、『ベスト&ブライテスト』(戦争を拡大したジョンソン政権の政治エリート達を中心に描いたもの。作者、デイビット・ハルバースタムは2007年の教え子とともに交通事故で亡くなりました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%A0

イラク戦争の実情も追っていたので、私は本当に事故だったのか疑いの目をもっています。)
など、いくつかの関連本を読んだりしていました。

さて、今日なぜこのようなことを書いたかというと、私が時々読む「イ課長ブログ」のブログ主さんが、ベトナムとカンボジア戦争のことについての説明を書いてくださっていたのを読んだからです。 

イ課長ブログ 

ダーク・ツーリズムに向けた予習
http://iwanya.exblog.jp/24385465/

ダーク・ツーリズムに向けた予習その2
http://iwanya.exblog.jp/24395464/

予習その2は特に、多くの人に読んでもらいたいなと思います。 

それにしても、戦争・クーデター・内戦には「明らかな悪者」もいますが、「観る側や時期によって悪者になったり正義になったりする者」もいますね。 

No More "Killing Field".

そして

No More “Best & Brightest”.

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TBSドラマ『天皇の料理番』と映画『赤いアモーレ』の共通点・『赤いアモーレ』から主題歌と挿入歌を

2015年08月23日 | 芸術・本・映画・TV・音楽

映画やドラマ、これはある人にとって「最高」と思えても、ある人にとっては「最低」という評価と、全く評価が真っ二つに分かれる場合があります。 

先月まで放映したTBSドラマ『天皇の料理番』の最終回しかり、今月の初めの『レッドクロス・女たちの赤紙』もそう。 

そう言う意味では、2009年に書いた記事、
『孤独との付き合い方』
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/c8edfb4cc958c7988abedb1834294884
で紹介した、イタリア映画『赤いアモーレ』なども、(レイプした側とされた側の)不倫を扱っているだけに「身勝手な男と突合の良い女の話」とする人たちがいる一方、私のように「人間の性(さが)を描いた一級映画」と、高く評価する人間もいます。 

この映画、私が好きになったのは、脚本(主役と監督を務めたセルジオ・カステリットの奥様が原作者)もですが、主役級から脇役の俳優の熱演、演出、映像、歌についても納得の作品であったということもあってです。
(スペイン人の美人女優のペネローペ・クルスが、歯に細工をし、歩き方や立ち振る舞いまで変えて別人のようになって演じているのは(しかもイタリア語)、これは『天皇の料理番』で佐藤健が役になりきったのと通ずるところがあると思います。) 

そんなことを思い出しながら、この映画の紹介動画、主題歌と挿入歌の動画を4本。 

映画スライド+主題歌: 

SERGIO CASTELLITTO PENELOPE CRUZ NON TI MUOVERE
https://www.youtube.com/watch?v=PMc9tu6KhiE 

主題歌のビデオクリップ: 

Vasco Rossi - Un senso (videoclip ufficiale)
https://www.youtube.com/watch?v=AhtW6Fm8jNQ 

イタリアのMolise地方での場面。景色もきれいですが、この主演の二人が一番幸せだった、私が好きな場面: 

Scene girate qui in Molise dal Film "Non ti muovere" (2004) di Sergio Castellitto; con Penelope Cruz
https://www.youtube.com/watch?v=aKEUSSyxZLI 

上の場面で、ペネローペ・クルスも口ずさむ車の中のラジオから流れる曲: 

Quanti Amori - Toto Cutugno
https://www.youtube.com/watch?v=5i5q3BGMUwM

(しかし、この邦題は原作者も映画製作にかかわった人も、がっかりするでしょうね。それだけが私は残念。)

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『Cantankerous Essays: Musings of a Disillusioned Japanophile』の目次

2015年08月21日 | R.Dore

ロナルド・ドーア氏の新著
Cantankerous Essays: Musings of a Disillusioned Japanophile
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/db33a238bd7823374ca62b5817a1eac6
参照。※英国では発売済。日本では8月30日発売。電子版有。 )が、一昨日手元に届きました。

現在英語と格闘中ですが、まずは目次だけご参考まで。 

Chapter 1:
The return of the near-native

※項目省略
(2014年夏と秋の日本滞在日誌。対話を通しての意見や感想もあり。) 

Chapter 2:
The social conditions for economic performance and the Piketty boom

※項目省略 

Chapter 3:
OPMF, Central Bank conservatism and financial economics

※項目省略 

Chapter 4:
Japan and China : Collision course

※項目省略

Chapter 5:
Japan and North Korea

※項目省略 

Chapter 6:
A new beginning?

※項目省略 

Chapter 7:
The New Cold Wars 

・The ending of the Cold War
・The Putin era
・The counter bloc
・What are the United States’ goals in region?
・MAD and Medvedev interlude.
・Good fences make good neighbours ;
 The problem of buffer states
・Ukraine
・Crimea
・Round number 3
・States and nation-states
・Conclusion 

Chapter 8:
Friends, allies and enemies

Chapter 9:
Human progress…?

※項目省略 

本をざっと拾い読みをしたあと、ドーア氏に、「日本語バージョンも出版してくれるとよいのですが・・」と伝えましたが、読み進めるうちに、「第一章に登場している人たちは、まさか自分の話が出ているとは思っていなかっただろうから、ちょっと無理かな」と思えてきました。 

(とはいえ第一章の日本の滞在中の話、ウィットに富んでいて面白いです。) 

参考:

Welcome to Japan, Alien!(ようこそ、外国人(!?))
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/f7af4f9494da772e03657720296929ba

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中学時代のインド人少年達との文通、38年を経て

2015年08月20日 | 友人・知人

先日、千葉に住んでいる妹から、
「インドのAが9月に東京で出張で来日することになって、ついでに奥さんと日本での休暇を楽しむらしいの。通訳お願い」
とメールがありました。 

このAさんは、妹(私と同学年です)が中学2,3年にエアメールのやりとりをした元ペンフレンド。 

妹は、私が20数年ぶりにイタリアとニューカレドニアの元ペンフレンド・友人と連絡を取るようになったのを見て、数年前にインターネットで彼の名前を検索。そこで彼の連絡先がわかりメールをし、今も時々短いメールを交わしていました。 

しかし、英語はもうずっと使っていなかったので英語は彼と文通をしていた中学時代よりできなくなってしまっています。しかも相手は今や成功したビジネスマンで、外国人出さえ関わることがない普通の主婦にはちょっと恐れ多い存在です。 

「通訳はむりだけど、一緒に東京か鎌倉案内するつもりなら、日にちが会えば付き合うけど」
と答える私に妹は、
「いや、ホテルのロビーでちょっとお話できればよいと思っているので、通訳を。」
と言います。 

これにはちょっと呆れて、
「彼はあなたに会うのを楽しみにしているんでしょ。「彼に日本で楽しんでほしい」と言う気持ちはないの?英語なんて、片言でも大丈夫。」
と尻を叩き、彼女からA君のメールアドレスを聞いて彼の意向を聞き、Aさん夫婦、妹と私+αでの鎌倉散策をセットしました。 

(今回もまた、外国人の東京案内を手伝ってくれているキョウコさんにも連絡をとり、Aさん夫婦が希望して、キョウコさんと彼らの日程調整ができれば、浅草界隈を案内しているようにお願いしました。
妹には、身も知らない外国人でも、日本を楽しんでもらいたいと思っていつも最善を尽くすキョウコさんの爪の垢でも煎じて飲んでほしいです。) 

さて、このAさんとメールを交わしていて、私の元ペンフレンドのボビーさんを思い出しました。 

彼もAさんも、共に妹の友人が文通をしていたインド人の男の子からの紹介。

この2人は住んでいる町も同じではあるのですが、ボビーさんはクリスチャン、Aさんはヒンズー教徒だったことから、学校まで同じであるかどうかはわかっていませんでした。 

「Aさん、実は私も15歳前後にインド人の少年と文通していました。彼もあなたと同じ、妹の友人のペンフレンドから紹介してもらったのですが、あなたは、彼をご存じではないですか?」
と、ボビー君のフルネームも書き添えてAさんに尋ねると、 

「いやはや、ボビーは僕の学友で、ちょうど旅行前に卒業後35年の同窓会があって、彼も来ると思うんだ。彼が出席していたら、あなたの話をして、連絡先を聞いて送りましょう!」
と、うれしいことを。 

ボビーさんが、同窓会に来るかどうかはまだわかりません。しかし、もし彼が同窓会に出席して、そしてまた再び連絡ついたとしたら、37,8年ぶりです。 

人の繋がりって、調べたり聞くことで、またつながることって、案外あるのですね。 

「縁」は大切に、って改めて思います。 

※ 彼らが来日した際の話

インド人夫妻と鎌倉で・英語が通じない国でのおもてなし
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/930150ee6f611ac81cc234f35259b634


参考: 

海外文通をしてみては
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/94d8b51986090e7bbaa6b3377bc56935

イタリアの友人
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/877ff048357a0b51dd4aa025ff92683f

フィレンツェで腕を組んで
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/1249ca94371b6dfff9cbe190c52d8a0b

トリノでパーティ、フレンドリーな仲間たち
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/e6c08436d3eaa3edb50f760819cec82c

シドニー空港で出会った姉弟
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/ed7764cc148808a8abf26ab5193eb961

24年ぶりに再会したアンソニー君 / マイケル・プロンコ氏のコラム
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/554339970680728c927a12e302372a87

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ベルギー人デザイナーを非難してまで"彼ら”が佐野研二郎氏を擁護する理由は・サンリオ社の反省

2015年08月19日 | 国際・政治

オリンピックエンブレムをデザインした佐野研二郎氏、

「本人が博報堂出身、
お兄様が経済産業省経済産業省 商務情報政策局 情報経済課長佐野究一郎氏
(ビッグデータ担当、仕事自体が博報堂と繋がりが濃い)、
親戚が、日本スポーツ振興センター佐野総一郎氏(JOC 河野一郎の右腕)
選考委員の一人は研二郎氏の元上司で、究一郎氏とも仕事の付き合いがある」

ということもあるのか…皆必死ですね。 

ハフィントンポスト(2015年8月17日)
佐野研二郎氏のエンブレム問題、大会組織委がベルギー人デザイナーを強く非難
http://www.huffingtonpost.jp/2015/08/17/olympic-emblem-toc_n_7996708.html?utm_hp_ref=japan
 

佐野研二郎さんがデザインした2020年東京オリンピックのエンブレムに対し、ベルギー人デザイナーが自身の制作した劇場のロゴマークと似ているとして提訴している問題で、東京オリンピックの大会組織委員会は8月17日、提訴したデザイナー側を非難する声明を発表した。「われわれの詳細な説明に耳を傾けようとせず、提訴するという道を選んだ」としている。47NEWSなどが報じた。 

東京オリンピックのエンブレムを巡っては、ベルギーのデザイナー、オリビエ・ドビ氏とベルギー・リエージュ劇場側の代理人が14日、著作権を侵害されたとして、国際オリンピック委員会(IOC)に対し使用の差し止めなどを求める訴訟をリエージュの民事裁判所に起こしていた。ロゴの使用を続けた場合、IOCや公的機関、ロゴを使った企業などに、賠償金各5万ユーロ(約690万円)を支払わせると、求めていたとされる。 

これに対し、大会組織委員会は14日、「訴状を見て対応を協議したい」とコメントしていたが、内容を確認したうえで、デザイナー側に書面で回答を行ったとしている。組織委はドビ氏らに対して、「自らの主張を対外発信し続けたうえ、提訴する道を選んだ態度は公共団体としての振る舞いとしては受け入れがたい」と、強く非難した。 

IOCや日本オリンピック委員会(JOC)、大会組織委員会は佐野氏デザインのエンブレムについて、「独自の創造過程に基づく完全にオリジナルな作品であり、大会の価値やメッセージを内包し、1964年(大会)のエンブレムとの結び付きも示した作品であることを強調した」とドビ氏に伝えていた。 

さて、デザインの盗用といえば、1974年に登場したハローキティ、これをミッフィ(ミッフィはイギリスでつけられた名前、オリジナルはオランダ語のナインチェ・プラウス)を創作したオランダ人ディック・ブルーナ氏は「ハローキティはミッフィのコピーだ」と不快感を表明していました。

英国のデイリーテレグラフがインタビュー記事より:
Bruna expressed his dislike for Hello Kitty. "'That,' he says darkly, 'is a copy [of Miffy], I think. I don't like that at all. I always think, "No, don't do that. Try to make something that you think of yourself" 

(Wikipedia
Miffy
https://en.wikipedia.org/wiki/Miffy) 

しかしミッフィとキティについては個人的不快感表明はしたけど裁判は起こさずにいました。けれどサンリオがキティのお友達であるウサギのキャシーを売り出したときは流石に怒り、裁判に。
(2011年3月11日に東日本大震災が発生。メルシスとサンリオは「訴訟を行うことにより費やす両社の諸費用をむしろ日本の復旧・復興のために寄付すべきである」という結論を出し、和解に合意。) 

(Gigazine (2011年6月7日)
ミッフィー作者がサンリオを提訴していた係争で両者が和解合意、きっかけは東日本大震災
http://gigazine.net/news/20110607_sanrio_mercis/
) 

また、こちらはまだサンリオが有名でなかった頃だか、サンリオはキティ以前にリトルハニーというキャラクターも作っていたようでした。 

(ウォールストリートジャーナル(2010年11月7日)
キャシーだけじゃないリトルハニーも-サンリオのミッフィー酷似疑惑
http://realtime.wsj.com/japan/2010/11/04/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%81%A0%E3%81%91%E3%81%98%E3%82%83%E3%81%AA%E3%81%84%E3%83%AA%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%82%82%EF%BC%8D%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%82%AA/
) 

※リトルハニーについては、「サンリオ リトルハニー 画像」と検索するとみることができると思いますが、こちらはバツ印の口許で、よりミッフィに似ています。 

デザインの盗用、これは単純なものであればあるほどその判断は難しいかもしれません。
しかし、偶然同じものを作ってしまっただけであっても、それはやはり先に作った人に分があるものだと一般的には考えられるのではないのでしょうか。 

サンリオ社とメルシス社(ミッフィの著作権・商標権元)の裁判ですが、作者のブルーナの気持ちを置いておけば、メルシス社もハローキティブームにあやかって日本で大きく売り上げを伸ばした過去もあるし、裁判があまり良いイメージにつながらないので、できるものなら丸く収めたい、と思っていて、サンリオ社のほうでもこれまたメルシス社の訴えを、真摯な気持ちで受け止めたのはもちろんですが、自社のイメージとともに、日本のイメージを悪くすること(日本も過去には、今の中国並に、「西側のものを盗用する国」というイメージがありました。)を恐れたのではないか、と思うのです。

オリンピックのエンブレム以外にも次から次へと盗用疑惑が出てきている佐野氏、そしてオリンピック関係者、自分たちが世界に日本の恥をさらしているとは、思っていないでしょうね。

ベルギーと日本は来年外交・友好関係樹立150周年。どうぞ、ベルギーの有力者に掛け合ってベルギー人デザイナーに圧力をかけるようなことをしませんように!
・・・考えすぎですかね・・・しかし、ここまで強気に出ると、何か裏取引をするつもりではないかと訝ってしまいます。オリンピックエンブレムのデザイナーが佐野研二郎氏になった経緯も怪しいし。

しかし、日本人のほとんどが支持しないエンブレム使用のごり押しをするために裁判するとしたら、この費用もオリンピック予算から?競技場もデザインで裁判や賠償金の支払いがあるだろうけど、誰も責任をとらないんですよね。責任をとらないですむから、当然「反省」もしないで同じ過ちを繰り返す。

東京オリンピックは返上した方が、日本国民のためになるのではないでしょうか?

(そもそも、オリンピックはもはや「ババ抜きのババ」ではないかと思います。いらない建築物を作り巨大な借金を増やすし、開催中はテロも怖い。)

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クラウディアさんの日本語の先生が日本のTVに

2015年08月18日 | 友人・知人

これも、日本礼賛番組ではありますが、イタリア人クラウディアさんに日本語を教えてくれている若い先生が出ているので、紹介します。
(8:00から出演、エントリーナンバー2番のヴァレーリアさん。) 

日本ビックバラエティ (2016年8月16日)
世界!ニッポン行きたい人グランプリ2 2015年8月16日
https://www.youtube.com/watch?v=oAkBEb9F6Nk

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ドイツと日本の戦後・朝鮮戦争のアメリカ軍戦車スクラップで作られた東京タワー

2015年08月17日 | 国際・政治

8月15日のハフィントンポストに興味深い記事がありました。 

ハフィントンポスト(2015年8月15日)
【戦後70年】奈良美智さんがドイツで驚いた「敗戦国の歴史認識」
http://www.huffingtonpost.jp/2015/08/15/yoshitomo-nara-no-war2_n_7991432.html
 

よく比べられるドイツと日本の戦後。 
ドイツの戦後について、歴史家の故トニー・ジャットが、朝日グローブの中のインタビュー 

第8回]1989年暮れ、ウィーン
南駅と西駅との明暗が ある使命感を、私に与えた
http://globe.asahi.com/author/090803/01_01.html
で、 

「もちろんドイツほど過去と向き合った国はありません。戦後、ナチス幹部は処断され、一般市民はナチスの蛮行を収めた映像を見ることを課されました。その一方、敗戦から数年後にもう西ドイツは「過去との決別」を宣言し、将校や公務員の過去調査を打ち切りました。官庁幹部、会社経営者、医師、教師など重要な職業で彼らはすばやく元の地位に返り咲いています。たとえば1951年の時点で、ある州では判事、検事の9割が元ナチス党員で、大蔵省職員でも7割がそうでした。復興には元ナチス党員の力が欠かせなかったからです。ドイツは、ヒトラーを(悪者として)世界に差し出すことで、処罰も道義的責任も逃れたのです。」 

「たとえばフランスでは、「ビシー政府症候群」と呼ばれる現象が起きました。南仏ビシーにあったナチス傀儡政府に協力したフランス人たちが、ナチスに協力した記憶を封じ込めてしまったことを指します。フランスに限りません。ナチスと妥協してしまった国では戦後どこでも、暗い記憶から目をそむけ、あるいは好都合な方向に記憶を変えるという現象が起きた。戦後の欧州は「悪いことは何も起きなかったことにしよう」という集団的記憶喪失の道を選んだのです。復興のためには、他に方法がありませんでした。」 

こう述べたように、ドイツおよびナチスドイツに協力した国において、必ずしも誇れるものでなかった時期がありました。 

(「反省がなかった」というのは、ナチス協力者でなくても同様のようで、たとえば、イタリア人作家のプリーモ・レーヴィが、彼がアウシュビッツからトリノに帰還中に(少なくない)ドイツ人達から反省を込めたまなざしではなく、下げずむような視線を送られたことを記しています。)

また、現在もネオナチがいたり、「ホロコーストを知らない」なんて言うドイツ人の子供、若者もいるというような話もあったりするので、過度にドイツを美化する必要はないとはは思います。(記事中奈良氏も、「ドイツが完全無欠に潔癖って言うつもりはない」と言っています。)

しかし、「ここ10年以上近隣国と争っている日本」と、「西側、東側とも敵対しないが別に媚びを売ることもなく、信頼を勝ち得ていったドイツ」、評価はもちろんドイツに軍配が上がるでしょう。 

ところで、今回のこの奈良氏のインタビュー(リンクからすべて読んでください)のなかで、初めて知り驚いた部分を: 

奈良:東京タワーの原料の話は知ってますか? 

――えっ。知りません。 

奈良:東京タワーって、鉄でできてるんですが、朝鮮戦争でスクラップになったアメリカ軍の戦車が使われてるんです。 

この件を調べてみると、 「朝鮮戦争後の日本は鉄鋼が少なく、アメリカとしても、古い戦車を直して使うよりも、日本に売却して、そのお金で新しい戦車を作った方が良かった為」という説明がいくつかのサイトにありました。 

公平を期すなら、戦後の復興、ドイツも東西冷戦があったこともあり、武器産業が復興を支えたという面もあったと思います。 

参考:
ニュースダイジェスト(2012年6月22日)
武器輸出大国ドイツ
By 熊谷徹氏
http://www.newsdigest.de/newsde/column/dokudan/4281-924.html ) 

そういう意味では、(武器はつくれど)武器輸出を禁じてきた日本のほうが、褒められるべき存在だったと思います。(今は安倍政権が、日本の武器輸出を推進しているわけですが・・・)
しかし、この「東京タワー」の話のようなことは、ドイツではまずなかったことでしょう。 

「日本は朝鮮戦争やベトナム戦争の特需があったから復興できた」ということは認識していましたが、東京タワーのような形での戦争加担、過去のこととはいえ(国としての)情けなさ、そしてやりきれなさを感じます。

流石に、東京スカイツリーが、米軍の戦車のスクラップで建てられているとは思えません。
しかし、ベトナム戦争以降も日本は米国にとって都合がよい国のまま。

今後、スクラップ買い取りでなく、(政治家ではない)人の命まで、差しだせるようにしようとしているのですから、なんと言うべきか・・・。

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8月15日は「大日本帝国終焉の日」

2015年08月15日 | 雑感

今日8月15日は、「終戦記念日」。 

私は、1945年8月15日は「終戦」というよりは「敗戦を認めた日」という方がよい正しいと思っているので、言葉通りに書くなら「敗戦記念日」にすべきだと思います。 

ただし、私の中で「記念日」「anniversary」という単語にはおめでたいイメージの方が強いので、そういう意味では「敗戦記念日」と呼ぶのもあまりピンときません。 

たとえば、911や東日本大震災の日も、〇〇周年には英語ではanniversaryを使いますが、これを日本語で、「米同時多発テロ記念日」「東日本大震災記念日」と呼ぶのに躊躇いがあるのと同じです。

(また、「特に(広島や長崎の原爆投下、無差別大空襲という戦争犯罪を犯してきた)米国に対しての敗戦」という受け止められ方をされるのは嫌ですね。「太平洋戦争」を「大東亜戦争」という名称に戻すのが先でしょうか。)

一層のこと8月15日を「大日本帝国終焉の日」とでもしてくれていればよかったんですけどね。

さて、以下興味深い意見をみつけました。
日本から言い出すのはちょっと気が引けますが、日本や周辺国の未来に向けては建設的な意見だと思います。 

アゴラ (2012年8月19日)
無条件降伏は「終戦」か「敗戦」か、それとも「解放」か?
By 北村隆司氏
http://profile.livedoor.com/kitamurany/ 

「戦争が終わったから終戦記念日だ」「無条件降伏なら敗戦記念日だろう」「平和国家日本として、戦争から解放された日なら、解放記念日では?」……。8月15日を迎える度に、自問を続けて来た。 

(中略)

戦後のドイツにも、降伏・終戦をめぐって様々な解釈があって、曖昧のままだった期間が長く続き、1975年のシェール西ドイツ大統領演説で、ドイツの終戦を敗戦としてではなく「解放」──つまりナチズムからの解放──と初めて公の場で定義し、さらに、日本人にも良く知られたヴァイツゼッカー大統領の戦後40周年記念式典での演説で、「終戦」を「ナチス独裁からの解放」と公式に位置づける事となった。

又、サーラ博士によると、ドイツ国民は「終戦」を「敗戦」とみなすより、「戦闘状態の終結」と考える国民が多いと言う。 

(中略)

現在のドイツの歴史認識においてこれ程大きな位置を占めるヒロシマ・ナガサキ原爆投下事件が、東アジア諸国では日本に対し「原爆の被害者という面を強すぎる」言う批判が出たり、日本国内でも「原発反対」運動の何処かに「党派性」の匂いを感ずるのは残念である。 

戦後日本の外交政策も、「唯一の被爆国」と言う政治的な側面を強く押し出し過ぎたり、「米国「への過度な遠慮が「原爆の惨禍」と言う人類共通のテーマを世界に認識させる事に失敗してしまった。 

日本も、終戦を「連合国による勝利は日本に対する勝利ではなく、全体主義と帝国主義から解放されたアジアための勝利の日」と捉え「軍国体制の終焉」をアジアの近隣諸国と共に祝える事が出来れば、終戦処理を巡る近隣アジア諸国との感情的な紛争も少しは沈静化できるに違いない。

その為には「脱亜入欧」を日本の近代をと捉えて、近隣アジア諸国を見下して来た政策に別れを告げる事は勿論、貿易相手国として重要性を増したからと言って擦り寄る最近の外交政策も改めなければならない。 

ドイツ国民が欧州の一員であるという強い自己認識を持つた様に、日本国民も心底からアジアの一員である事を誇りに思い、アジアと一体感を持つ事が出来れば、「終戦」の大きな収穫である。 

日本の祝日も「みどりの日」「海の日」「体育の日」など意味無い祝日は廃止して、「ヒロシマ」「ナガサキ」の日を、政治やイデオロギーとは無縁な「人類的な悲劇からの解放記念日」として国境と思想を超えた記念日にする努力をするべきだと思いながら迎えた、今年の8月15日であった。 

この記事が書かれたのは2012年。今は記事下線部とは反対路線を日本は歩みつつある-軍国主義化、全体主義化、隣国との対立を煽る-。 

首相が原稿を読んだだけのお詫びをするより、この路線を変えることの方が、本当の反省だと思うのですが・・・。

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スペインと日本とユダヤ人・安倍政権が親イスラエル路線なのは・・・

2015年08月14日 | 国際・政治

私のスペイン人の友人の一人は、非常に熱心なカトリック信者です。 

彼女が以前、
「日本に、キリストの墓があると聞いたことがあるし、日本人とユダヤ人が同じ祖を持つという人もいるみたいね。知っている?」
と訊いてきたときに、私は、 

「青森県戸来村にあるお墓の話ね。あれはだいぶ疑わしいようだけどね。
1980年代に、イザヤ・ペンダザンというペンネームを使った日本人が、『日本人とユダヤ人』という本を書いて、なぜか非常に注目を浴びたことがあったけど、ユダヤ人にはいろいろな意味で興味を持つ人が日本には少なくないと思います。」
と答えました。 

この時とは別に、彼女は1,2か月前、私が他の外国人と二人としていた人間性についての話をしていたとき、そのメールにあったNazisの部分だけを読んで、スペインのユダヤ人の話を書いてきたこともありました。 

彼女は、セファルド系ユダヤ人(セファルドは地中海周辺及び欧州の一部。Sephardはヘブライ語のスペイン、ということらしい。)の説明をした後、
「スペインの祖先の一部であるユダヤ人に対して、スペイン人は好意的に見ている。ただ、左派の人達は偏った情報しか知らないので、アンチ・ユダヤ。ついでに言うと、彼らはアンチ・カトリックでアンチ・アメリカ」
と。 

左派云々は、あまりに単純化、主観的すぎて、私や他の仲間はスルーしましたが、ただ戦前のドイツでは「ナチスドイツ対コミュニストとユダヤ人」だったのに対し、スペインでは「保守とユダヤ人対左派」と考える人がいるというのが、私には興味深く思えました。 

スペインのユダヤ人、これに関してはリーマンショックの直後だったか、「スペインで反ユダヤが増えている」という記事がありました。これを読んだ私は戦前のドイツと重ねていたから猶更。 

さて、「保守(?)とユダヤ人」といえば、日本では安倍政権とイスラエルのハネムーンがあります。 

この件も私は単純に、「米国共和党と親しい安倍政権がイスラエルに近づいた」「イスラエルと商売をしたい経済界のプッシュ」という点でだけ考えていました。

しかし最近たまたま、『日本会議』に入っている『キリストの幕屋』という1961年に創設された、国粋主義の新興宗教が、イスラエルと親密ということを知りました。 

リンクは貼りたくないのでつけませんので、興味があれば直接開いていただきたいですが、ウィキペディアの「キリストの幕屋」には、 

「創始者が、ユダヤ系の思想家や宗教家・イスラエル要人との交流が深く、現在でもイスラエルに巡礼団を送ったりユダヤ教との交流を行っていたこと、イスラエルの国家政策に賛同することも多く、日本における代表的なシオニズム(クリスチャン・シオニズム)グループと目されている。」

というような説明があります。 

政治家と政財界、学界のつながりは表に出てきて把握しやすいのに対し、政治家と宗教団体とのつながりは表に出ずらく、一般人が知ることもできない、そして気が付いたときはもう何も手出しができないという点で、性質が悪いものです。

団体とその会員だけがイスラエル、北朝鮮、その他どこの国と親しくなっても、誰も文句は言えないと思いますが。(「イスラム国」が「国」となって、どこかの宗教団体が仲良くなったら、政府は反対するでしょうね。)

参考: 

ハーバービジネスオンライン
日本会議に集まる宗教団体の面々――シリーズ【草の根保守の蠢動 第3回】
http://hbol.jp/28320

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