Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

親子それぞれの海外旅行

2008年10月23日 | 旅行

「成田に着いたとき、日本人の顔付きって怖いと思った。友達も言っていたよ。」「飛行機の隣の席がオーストラリア人の小父さんで、前がカンタスのスチュワーデスさん。話かけられたから少し英語使ったよ。」「向こうの赤ちゃんって、むちゃくちゃ可愛いね。」

昨夜、学校のオーストラリア研修旅行から帰国した息子の旅行の報告です。

息子が通う高校は、2年生の秋にオーストラリアの研修旅行があります。これは強制ではないので行かない生徒もいるし、行きたくても部活によっては試合と重なるために参加できない生徒もいます。

海外にはまったく興味を示さなかった息子も、“仲間と行く旅行”は別格だったようで、参加したいと言っていました。ただ直前まで、「成田までバスで行くけど、それで酔っちゃいそう」とか、「飛行機は大丈夫だろうか」と言うだけで、楽しみにしているそぶりもそんなになく、自分で旅行の準備もしようとしなかったので、私などは「別に無理に参加することもない。あいつは何様!?」とぶち切れては、夫になだめられていました。

それにしても、普段無口な息子が自分から報告するとは、旅行を終えて少しは親に感謝の気持ちがでてきたのでしょう。そんな彼がポツリと一言、「英語がもう少しできたら、もっとおしゃべりできて楽しかったのにな」と言いました。

「それじゃ、英語ももっと勉強すれば?大学受験が終わった頃、どこか海外に行こうか?」こういう私に、彼は「うん」と頷きました。

大学生になって親と出かけるかどうかは分かりませんが、まあ、海外に興味を持ち、しかも土地の人と接することの楽しさを知り、語学習得についても意欲を見せるようになって帰ってきた息子。高い研修費用も無駄ではなかったということです。

さて、息子の旅行が終わって、いよいよ次は私の出発です。

旅程も大体固まってきました。115日にパリに入り、元同僚のHと一緒に7日の午後にパリからフィレンツェに向かい、8日はD氏が住んでいる郊外へ。9日の午後は私のペンフレンド、ロビーさんボローニャ市在住)と会い、10日の朝にHはジェノヴァに列車移動、私はフランクフルト経由帰国。

K氏の都合がまだ分からないけれど、ほぼ日程が確定したので、高校生の頃に文通していたリアーナさんミラノ県在住)にもフィレンツェに行くことを昨日通知しました。ミラノはフィレンツェから特急で3時間以上かかるので会うことは期待していませんでしたが、一応報告をしておいたほうが良いと思ったので。

そうしたらなんと今朝彼女からメールが入っていて、「私もあなたに会いにフィレンツェに行くわ」とのこと。

会えるとしたら、9日のロビーさんと会う日に一緒に、ということになりそうですが、なんとか調整できるでしょう。

Hといえば、彼は当初9日にフィレンツェを発つはずでしたが、9日の晩は私がフィレンツェで一人ぼっちになってしまうということで、日程を変えてくれました。

9日にジェノヴァ近くのアルバという町で開かれる『トリュフ祭り』を覗いてみたかったけど、9日の晩にもしかしたら貴女一人になりそうなので止めて起きます。ただ、10日の朝立つので、あとは自分で帰って下さい。」

ぶっきら棒な言い方だけど、やっぱり彼も暖かい人です。

不安だらけのこの旅行、友人達のおかげでとても良い時間が過ごせそうです。

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ジャンヌ・ダルク(?)の溜息

2008年10月03日 | 友人・知人

「あなたはジャンヌ・ダルクのようね。」

こんなことを友人に言われたことがあります。

これをフランクフルトにいた友人Tに話したとき、「ジャンヌ・ダルクだって!?全く重ならない。彼女は君の闘うイメージに対してそう言ったのだろうか。」という返事が返ってきました。

「『理想主義、純粋』という意味でしょう。平和主義の私に『闘うイメージ』なんて失礼な!」と怒ってみましたが、馬にまたがり槍は持たずとも、「理不尽なことは何とか改善させたい(してほしい)」という気持ちは人一倍強いし、意見も言うので、それがこうしたイメージに繋がるのかな、と思いました。

先日、外交に関わる仕事をしている友人が、ある会議に出席した後、疲れ果てて私に愚痴を言いました。

「相手側(某国)は熱意ががない。パワーポイントも自国語。思わず叱り付けてしまった。会議の企画側にも問題がある。」

私はその時の様子を思い浮かべながらちょっと愉快に感じ、

「叱られた相手の反応を見てみたかったです。企画側に対しては期待するだけ無駄じゃないですか。」と返答しました。それに対し彼はすぐ言いました。

「確かにそうで、企画者には期待はしていないけど・・。でも諦めずに誰かが言わないと相手側はこれでいいのかということになるからね。」

元上司のA氏は、現在60代半ばになりましたが、現在も外資系大企業の顧問初め、大学関連他様々な部門で活躍されています。その彼が力を入れているものに、日本英語交流連盟(ESUJ)http://www.esuj.gr.jp/という国際的な相互理解と世界の人々との友好を主たる目的とする非営利、非政治のボランティア団体があります。

A氏は日本人の奥ゆかしさを美徳であると認めつつも、それでも自分の意見を発信できる人材の育成に努めています。

「世界の舞台で堂々と意見を申し述べられるような若者を育てる活動に精を出してきた結果、頼もしい人たちが育ちつつあるのを実感している。こうした地道なステップを踏んでいくことによって 意味のある日本人が生まれることを願っています。」

ジャンヌ・ダルクから一気に『国際的に通用する人材』にまで話は飛んでしまいましたが、「(改善の為や善意の気持ちから)思ったことを言葉で伝える」ことというのは国際社会だけでなく、職場のような狭い社会であってもマイナスにはならない筈。

どうして未だに日本人はそういう面で消極的なままなのだろうと常々残念に思います。別に意見を言うことは『闘う』というわけでもないし、『でしゃばり』でもないのに、そういうことをしづらい空気がまだ日本にはあります。

「損な役回りで、言うだけ無駄な場合もあるでしょう。でもそれで改善に向かうこともあるし、実は周りの人達(何も言わない羊達)もありがたく思い、評価もしてくれているのだと思います。もちろん『評価』などを気にしての行動ではないですけどね。」

前述の友人に自分が彼と同類であることを伝えたうえで、そうねぎらいました。

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