「旅鳥」(東京都、山口県)
もはや 出来合いの思想には 倚りかかりたくない
もはや 出来合いの宗教には 倚りかかりたくない
もはや 出来合いの学問には 倚りかかりたくない
もはや いかなる権威にも 倚りかかりたくない
永く生きて心底学んだのは それぐらい
自分の耳目
自分の二本足のみで 立っていて
何不自由の ことやある
倚りかかるとすれば
それは 椅子の背もたれだけ
(茨木 のり子)
「旅鳥」(東京都、山口県)
もはや 出来合いの思想には 倚りかかりたくない
もはや 出来合いの宗教には 倚りかかりたくない
もはや 出来合いの学問には 倚りかかりたくない
もはや いかなる権威にも 倚りかかりたくない
永く生きて心底学んだのは それぐらい
自分の耳目
自分の二本足のみで 立っていて
何不自由の ことやある
倚りかかるとすれば
それは 椅子の背もたれだけ
(茨木 のり子)
「万屋千家 百物語」(東京都豊島区)
きみの心を 彗星に乗せて
さみしさなど 追いつけないスピードで
宇宙の果てに 連れて行ってあげる
美しい星々
そこに誰もいなくても きみはさみしくなくて
まるで叶えたい夢を 見つけに来たようなときめきだ
恋など 追いつかない炎になって
さみしさは 世界がきみのものになるその予感
きみを微塵も奪わない私の手を どうか取って
(最果 タヒ)
「七福よさこい連祝禧」(東京都)
「朝霞なるこ遊和会」(埼玉県朝霞市)
いちばん 思いが募ってしようがなかった時
私は呼吸することさえも 苦しかった
どうしても考えてしまう あの人のことを
理性では抑えられるのに 感情が動く
これは何の試練だろう これはどんな意味があるのか
静かな夜のしじまの中の 苦しいほどの自問自答に
答えなんて ない
それって悲しくないですかと あの人は言った
何の話か 忘れてしまったけど
私は 答えをうやむやにした
言葉は流れ合い 心に注ぎ込み
新たな関係を 生み出す
どんな関係をあの人と 私は築けるだろう
その答えは いつかわかる
振り返った時の景色の中に いつかはっきりと浮かび上がる
それが 私を支えるものとなるように
私はあの人を どこまでも信じよう
(銀色 夏生)
「朝霞鳴子一族め組」(埼玉県朝霞市)
「早稲田大学 踊り侍」(東京都)
きみが ぼくを好きならいいのにと思うとき
僕は 愛されたいのではなく
きみを 月のように光らせる 愛になりたかった
その光で月はお昼間 春 穏やかな時間
幸せで いてほしい
ぼくはそこにいなくてもいいと 本当は言えるのに
ぼくはきみの前で 散る花だ
今すぐ 抱きしめてくれないと
何もきみのためにできないまま 消える花束だった
(最果 タヒ)
先日久しぶりにお台場に行ってきました。
当初の目的は日本科学未来館で行われている「パリ・ノートルダム大聖堂展」をみること。
2019年に火災で焼失した大聖堂の復活の模様を展示するという企画。私は火災の数か月前にパリに滞在していたこともあって、あの記憶は生々しく残っていました。
出かけてみると、展示は工事中模様や大聖堂の歴史などを専用タブレットで見るという内容。
中には崩壊してしまった尖塔部分を空中から捉えた写真などもあり、興味をひかれたが、やっぱり本物を見ないと実感はわかないものだなあ、といった感想を持ちました。
それと、12月は毎週土曜日の夜に花火を開催しているとの告知があったので、花火も見ようと浜沿いに出かけました。
しかしこの日は強風注意報も出そうな強い風が吹き荒れていました。花火撮影には不可欠な三脚を立てたのですが、強風にあおられてすぐに倒れそうになるなど、支えるのが大変。
しかも花火実施時間がわずかの5分間という短時間で、あっという間に終了。結局どうにかまともに写ったのは、冒頭に掲載した1枚だけという惨憺たる結果でした。
帰りがけ、ダイバーシティ東京の前にあるガンダム像がライトアップされていたので1枚。
この1年間私のブログに御出でくださった皆様、本当にありがとうございました。お陰様でこのところ連日アクセス数が1000件を突破し続けています。
来年も細々ながら続けて行く予定ですので、どうぞよろしくお願い致します。