Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

非グローバルスタンダードの愛国者

2014年04月26日 | Nationalism

先日、イギリス人社会学者のD氏に20代の若者二人が作った日本紹介ウェブサイトのMATCHA http://mcha.jp/ とともに、こうした若者たちについての期待を書いて送ったところ、彼は「今の日本の若者たちに自分は期待できない」と言い、彼のもとに届いた右傾化する学生に頭を悩ます日本の大学関係者の手紙の抜粋のコピーを送ってきてくれました。

『日本に誇りを持つ若者』=『国粋主義の若者』という図式がD氏の頭にあったようだったので、私は、

MATCHAの運営者の若者や、彼らの周りにいる若者たちは、外から日本を見てきた体験を持っている子が多いこともあってか、「日本は美しい」「日本は偉大」と言って、中国や韓国を貶める発言をしている若者とは対極にいます。

彼らは海外に出てきて、自国を愛し自国の文化に自信を持っている外国人に触れたり、外国人から日本のことを訊かれたりしても自分が自国のことをあまり答えられなかったことで反省したり、といういろいろな経験をしてきています。

とにかく、「海外における日本の評価が高さ」を感じてきた彼らには、隣国の悪口を言って貶めることで自国を優位に立たせようとするようなことをする必要がありません。

また、「右だ」「左だ」と騒ぐより、時間を有効に使いたい。

「バカな学生や大人がふえてきたからこそ、そうした本当に軸を持った若者が出現してきた」ともいえるかもしれません。」

というようなことを書きました。

ところでこれを書きながら、私はふと、

「国粋的な言動をする人だったら本来、自国の伝統や文化を愛するものだと思うけど、現代の国粋主義者には自国の伝統文化に対して関心さえない人(ネット右翼含む)が多いのではないか」 

という気がしてきました。

 

以前、『伝統芸能を学校のイベントで鑑賞させてくれたことに感謝』 

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20120728 

で、2012年の橋下徹大阪市長の文楽補助金打ち切り騒動について書きましたが、本来自国を愛するという人間がこの程度。

 

橋下氏は異例なのかもしれませんが、勇ましいことを言っている最近のウルトラ国粋主義政治家のなかで「日本の伝統芸能、文化」に興味がありそうな人、私はひとりも見つけられませんでした。

 

さて、伝統云々については、私は学校の授業の一環で歌舞伎と狂言を観、付き合いで落語に行ったことがあるだけなので私も偉そうなことは言えないのですが、それでも、書道、華道(和風会、古流)は習い、伯母の家に行くとせがんでお茶をたててもらったり、俳句の先生もしていた伯父や、川柳の先生をしていた高齢の友人の勧めで俳句や川柳を作ったり・・ということはしていました。

 

興味があって、ふと友人達にも伝統芸能や文化へのかかわりを質問したところ、30代以降の女性の友人達は100パーセントの確率で華道and/or 茶道and/or 書道and/or 和楽器を学んでいます。そして男女含めた友人のなかでは、歌舞伎や能、狂言を観に行ったことがあるのは三分の二。

 

華道や茶道については、私の年代以下78歳くらいまでは、「花嫁修業的要素(女性のたしなみ)」として華道や茶道という習い事をした女性が多かったです。

今も華道や茶道を習う人はいますが、ただ前者に関しては、「カルチャー教室、フラワーアレンジメント」とされたりして、「油絵教室」「編み物教室」と単なる趣味教室になってしまった分、西洋風フラワーアレンジメントを教えるところも少なくないと思います。なので、本来の華道を習う人口は、230年前から激減している気がします。

 

歌舞伎や狂言、能、和太鼓、落語等々・・・現在これらに行ったことがある30代半ば以前の日本人の割合、私の周りの人のなかでもたぶん何十分の一ではないでしょうか。

 

230年前は日本の伝統芸能、文化の敷居は今より低く、そして風習(話は違いますが、息子が子供だった時代、ゴールデンウィーク前になると鯉のぼりが近所をはためいていましたが、今はあまり見ませんね・・・。)も今より残っていましたので、昔と今の若者を取り巻く環境が違います。

 

更に、ネット、SNSの普及、娯楽の多様化、経済的、時間的制約等があって、機会があってもそういうものを観に行ったり、習おうとする若者はそう多くないのが現状だと思います。

 

(例えば、MATCHAに関わっている「単純に日本を好き」という若者たちにしたって、日本の伝統芸能や文化に対して興味を持っている人は多くないと思います。が、深い敬意を持っているようです。(だいたい、このサイトの名前が、マッチャですからね。))

 

若者たちの伝統離れを憂う国粋主義的な政治家たちは、「剣道や柔道を必須科目に」などと言ったりしていますが、強制するというのも、ましてやその対象が武道だけというのもおかしいし、諸外国と比べて劣る文化芸術関連保護、なんとかすべきでしょう。

 

文化庁 

文化芸術関連データ 

http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/soukai/50/pdf/shiryo_10.pdf

 

さて、話が脱線してしまいましたが、話を元に戻せば-

 

冒頭に書いた、D氏の『日本に誇りを持つ若者』=『国粋主義の若者』というような発想。

 

D氏は常々「日本人はもっと自信を持って」と発信し続けてきている方なので、おそらく数年前であれば、単純に、MATCHA のようなものを作り上げる若者を称賛してくれたでしょう。

 

D氏に「日本を誇りに思い、海外に日本の情報を海外に発信する若者」を「ナチス政権下のヒトラーユーゲント」と同レベルにまで勘違いされてしまったのは、私の言葉不足のせいでもありましたが、実際、そういう若者たちが日本に増えているからこそ。

 

日本を誇りに思うのであれば、他国の誹謗中傷をネットに書き込んだり、大学などで教授や講師を悩ませたりする時間があるのなら、日本の文化、伝統について体験したり、外国人に説明できるくらいになってほしいです。

 

日本のことに対する知識もなく、知識も増やそうともしない人ほど「日本は偉大」と言い、攻撃的で非建設的。 

ま、これは日本に限らずではあると思いますが・・・。 

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勝手に作られてしまうYoutubeチャンネル

2014年04月22日 | 

先日気が付いたことですが、いつの間にか、Youtube が私のブログのチャンネルを作ってしまっていました。 

Various Topics トピック 

http://www.youtube.com/channel/UCGCZICbeb0Nx9u-ktY6iK-Q

 

私はYoutubeはもちろんgmailアカウントも持っていませんが(今はgmailのアカウントを作ると、YoutubeGoogle+のアカウントも出来上がってしまう仕組みになっているようです。)、ブログではYoutubeのリンクを紹介することがあったので、逆リンクされた、ということでしょう。

 

ま、実害はあまりないし、そもそもこのチャンネルを使う人はいないと思うのでこのままほおっておこうかと思いますが(そもそも削除の仕方もわからない)、やはり気分の良いものではありません。

 

このチャンネル、私のプロファイリング、ってことですからね。 

(マークに使われているのは動画の写真三つのうち二つは反原発動画の写真。偶然?)


※チャンネルは閉鎖されたようです。2014.7.10

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ベゴーニャさんと東京散策、東京ステーションギャラリー『洋画家たちの青春、白馬会から光風会へ』

2014年04月21日 | 友人・知人

土曜日は、京都に滞在していたスペインの友人、ベゴーニャさんと、友人二人、夫と一緒に東京を散策してきました。

東京駅で待ち合わせをし、東京ステーションギャラリーで『洋画家たちの青春、白馬会から光風会へ』 http://www.ejrcf.or.jp/gallery/という、明治から昭和にかけての洋画家)の展覧会、そして皇居散策、東京国立近代美術館工芸館 http://www.momat.go.jp/CG/cg.html に。

日本人西洋画家たち-日本人であっても、「藤田嗣治や黒田清輝、佐伯祐三」くらいの名前を知っているだけ、という人が少なくないと思います。

こう書いている私自身も、あまりジャンルを問わずに絵を観ますが、そのなかにあってあまり日本洋画家の作品を観に行くことはありませんでした。しかし、前にベゴーニャさんと、大正時代の話をしていたとき、ベゴーニャさんのお祖母様の写真と貞奴、非水、雪洲』http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20131109 )

ジャポニズムに影響を受ける西洋の画家たちがでてきたころの西欧で学んでいた日本の洋画家の話をしていたこともあり、これは、ベゴーニャさんも喜ぶだろう、と思いました。

そして、実際、ベゴーニャさんは、日本人洋画家の作品を観ながら、一枚一枚、時間をかけながら丁寧に観て回るベゴーニャさん。

しかしまあ、残念ながらこの東京の表玄関にある美術館、英語のパンフレットがない上、しかも絵の説明プレートも画家の名前のローマ字を除いては日本語オンリー。

どんなに気に入った絵があったとしても、ベゴーニャさんが覚えて帰ることはできません。

(美術館では、写真も、筆記用具を使うのもダメなので、名前を暗記する以外手だてがない。)

19世紀、20世紀の洋画家たちの作品、当時の戦争がなかったのなら、もっともっと世界的に知られる存在になった人達もいたであろうと思います。

「これからでも彼らの評価は上がる可能性もあるかもしれないのに、せっかくの展覧会もこれでは・・・、うーん」と残念に思い、美術館を出るとき、

「せめて英語のパンフレットくらい作ってほしいものですね。」と、要望というより、苦言を呈してきてしまいました。

さて、この展覧会について、42日の日経新聞がアートレビューを載せていました。 

「洋画家たちの青春」展 美術史の隙間埋める 

http://www.nikkei.com/article/DGXDZO69204090R00C14A4BC8001/

 

(この記事で作品7つの写真が載っていますが、偶然にも1ページ目の一番上矢崎千代二「秋の園」はベゴーニャさん、2ページ目の上から二番目藤島武二「うつつ」は友人の一人アサコさんの、2ページ目の一番下の中澤弘光「カフェの女」は夫の、3ページ目一番上和田英作「彦根内湖」は私、それぞれのベストワン(私の場合は、ベストワンというか、印象に残った絵。本当は光風会のブースで、非水の反対側に飾ってあった、桜がある雨上がりの風景の小さな絵の色合いがとても気に入りました。でも、作者の名前も作品名も・・・忘れてしまった。)となっていました。

 

私以外は皆チラシも見ない、予備知識もなくして美術館に入り、それらの展示物が特別の飾られ方をしていたわけでも、人が群がっていたわけでもないのに、80作品のうち選んだ作品が紹介されている・・・やはり「人目を引く絵」というものはある?)

 

東京ステーションギャラリーでのこの展覧会、56日(火)までです。 

「洋画家に興味がない」という人も、ちょっと立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

 

東京駅丸の内北口改札を出てすぐ右手。大人900円です。 

赤レンガの壁むき出しにしていたり、上の通路から、丸の内北口を見下ろしたりできて、それだけでも面白いです。

 

また、ベゴーニャさんや私のような工芸品好きでなくても東京国立近代美術館工芸館は洋館自体も楽しめますし、大正ロマン好きにはタイムスリップした感覚も味わえます。 

通常は入場料210円。これも是非。 

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泉とMATCHA-青木優さん

2014年04月16日 | 友人・知人

最近何度かブログで取り上げさせてもらっているJapan Travel Magazine MATCHA http://mcha.jp/ 、これを元上司のA氏(今は大学で国際ビジネス・リーダーシップ論を教えています。)に紹介したところ、彼は大変感銘を受けてMATCHAのフェイスブックにメッセージを入れました。

これに運営者の青木優さんが返信。それを読んで一層彼に興味を持ったA氏はランチを企画。私にも声をかけていただいたので、今日は彼らとのランチに行ってきました。

(本当はもう一人の運営者の鳥井さんも一緒のはずでしたが、都合が悪くなり3人のランチでした。)

この青木さん、Hibilog “世界一周と日常と考察” http://www.aokiu.com/ を数年前から運営しています。

私は、鳥井さんの方とは少しメールでやり取りをしていたのですが、青木さんとはそれさえもしていなかったので、 

「大学を休学して世界一周。しかも若干24歳で起業して、公開後2か月にして多くのファンを持つようになるMATCHAの運営。そのイメージとかけ離れた文章を書く若者、いったいどういう人だろう?」 

と、ちょっと人間像が想像できませんでした。

そして・・・お会いしてみて第一印象は「シャイ、素朴、礼儀正しい若者」。これだけのことをしている人とは思えない、ごく普通の好青年。

 

そしてA氏と私の質問にも、ゆっくり考えながら丁寧に答え、こちらの話にも耳を傾けてくれる様子・・・やはりごく普通の好青年のまま。

 

しかし、彼が淡々と語ってくれたそのMATCHAの成り立ち、今後の計画-ヨイショではなく下手な企業家や政治家では太刀打ちできないくらいスキがないのです。

 

MATCHAに関わっている人達は現時点で90名くらいいるそうですが、そのほとんどが彼のHibilogの読者であったとのこと。

 

ブログを読んでくれていた人達の熱量を感じた青木さんと鳥井さんと組んで、これを形にしようとMATCHAを立ちあげました。

 

そして彼はMATCHAが大きくなろうとも、今後もずっと現在の形のまま、書き手に「ここの記事を書いてほしい」と依頼するのではなく、それぞれの人が本当に書きたい時に本当に書きたい、発信したい、というものを書いてもらう、と強調します。

 

MATCHAの運営者は、先にも行ったように彼と鳥井さんです。

 

しかし、彼らは、MATCHAはこの90名の人達がいてこそできるものということを知っていて、だから彼らといつまでも同目線でいることを目指しています。(=感謝しています。)

 

また、これはブログを書いている人などはよく感じると思いますが、「学校の課題で書く文章」と「自分が「書きたい」「発信したい」と思うことを、好きな時に好きなように書く文章」では、後者の方が断然魅力的で面白くなる、ということがあります。

 

(期限や内容の制約があっても面白いものを書ける人はプロの物書き。ま、文章だけでなく、絵や音楽でもそうですが、その分スランプに陥入り、抜け出せなくなる人も出てきます。)

 

こうした形をとることが、MATCHAにとっても、これにかかわる人、そして読者にとって-誰に対してもプラスになるということを、このごく普通の青年(達)は、計算するでもなく、自然に感じ取ったのです。

 

これらのことやMATCHA運営や将来について、青木さんは、部外者でなんの利害関係もない私たちに語ってくれました。これらは詳しくは書けませんが、とにかく、彼と話していた約二時間、彼らが若いが故、「存続しないと意味がない」「初心を忘れないように」なんて鳥井さんに書いたりしていた自分がちょっと恥ずかしくなりました。

 

さて、そんな青木さん、大胆なことを次から次へとしているので、自分に自信があり、人の目などは気にしないのかと思いきや、

 

「いや、最初は人からどう見られるのかを気にしたりしています。が、やりだした途端、気にならなくなるんです。」。

 

私の息子と2歳しか違わない青木さんに、 

「お母様たちは世界一周旅行や、他の同級生と違う道を歩んでいること、なんて言っています?」 

と尋ねると、

 

「本当に家族には感謝しています。 

親は、ひとりで生活できることを条件に、見守ってくれています。」 

と。

 

(ご両親は偉いと思います。が、これは息子さんの主軸がしっかりしていることがあってこそ信頼されているのでしょう。 

彼がそうなったのは、もちろん育て方の結果でもありますが、青木さんの持って生まれた力(運・能力)というものがあると思います。)

 

更に彼は良い恩師や元上司に恵まれ今でもその繋がりを、そして新しい出会いも大切にしています。(ひとりでする限界も知っている上、「素直さ」を持っているというのは大きい。)

 

今こうしてブログに書いていますが、この昼食会、MATCHAを紹介してくれた田口比呂貴さん(ひろろーぐhttp://hirotaguchi.net/)や、MACHAファンになってくれた日本と海外の友人達にも報告しなければ・・・と思いつつ、青木さんのことを一言で表すのは本当に難しい。

 

たとえば、物を説明するのに「大きくて小さい」「固くて柔らかい」「白くて黒い」というような、変な言い回しをするような感じになりそう、というか。

 

結局、それはあきらめることにして、ただ彼のイメージを。

 

青木さんは『泉』。

 

静けさの中でわく泉は人や動物をそこにあるだけで呼び寄せ、癒します。 

そしてこの泉は無限です。

 

参考: 

『インターネットの恩恵、MATCHAが大きくなると思う理由』 

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20140411

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親心と『レール』

2014年04月15日 | 雑感

息子の小学校からの友人に、N君という男の子がいます。

二人が小学校5年のとき、家庭訪問に来た担任がN君に、「将来何になりたいの?」と尋ねたことがありました。 

N君は元気いっぱい、 

「僕は将来漁師になりたい」 

と答えたのだけど、それを聞いた担任はお腹を抱えて大笑い。涙がでるほど笑ったこの担任教師、笑いを止めることに必死だったそうです。

 

この話をしてくれたのは、私の友人でもあったN君の母親。

 

彼女のお父様と弟さんは、海の町の漁師をしていました。 

N君はそんなお祖父さんと叔父さんを誇りに思ってきていました。

娘である友人とて同じ。

 

「ひどいでしょ、そしてなんだか、とても悲しかった」 

この話を私にしながら、普段穏やかな彼女は憤慨し、直後に顔を曇らせました。

 

しかしこの友人も、N君が中学に上がると、当然のように彼に「大学に行き、サラリーマンになることを目指す」ことを目標にさせるようになりました。

 

さて、この話からずっと昔に遡って・・・

 

私がまだ赤ん坊だったころ、娘が左利きと気が付いた母は私の左手に包帯を巻いて使えないようにし、右利きに矯正しました。

 

そのため、私は一応右利き(ただし、手だけ右利き。腕と脚は左利きとも右利きともいえない中途半端。)になりました。

 

左利きを左利きに矯正された(した)人によくあるという、「左右の判断がとっさにできない」という後遺症、これは一生のお付き合いのようです。

 

左利き、今では無理に直さないという親が増えてきたでしょう。

 

しかしまだまだ「左利きは不便」「皆が右でお箸を使っているのに、左でお箸を使うのは迷惑だし、みっともない」と言う人はいます。

 

が、そういう彼らとて、「左利き自体が悪いというわけではない」というのは自覚しています。

 

(この左利き矯正や偏見、実は日本に限ったことではなく、世界でも同じようです。 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A6%E5%88%A9%E3%81%8D

 

このN君、私、両方の親がそうであったように、親は得てして子供に「皆と同じようにした方が、子供の幸せ」と思いがちです。

 

「漁師になることが悪いわけではない」、「左利きが悪いわけではない」、というのは理解していても、やはり自分の子だけ「他の子と違う」ということをハンデと思う親心。

 

皆と同じことをする・・・・最近、「皆が一律同じ人生を歩むこと」に疑問を持ちだし、それぞれ一旦レールから降りて考えることを始めた若者と話をしています。

 

私は「時代が変わってきているのに、理想とされる生き方は今でも変わらない」ということに疑問を持っているので、こうした若者が増えてくることは良いことだと思っています。

 

ただ、昔、加藤周一が、 

(これは人生設計について語ったことではないですが。) 

「人と違ったことをするには、それなりの強さが必要。そうでないなら、皆と同じでいた方が良いかもしれない」 

というようなことを言っていたのを思いだします。

 

今のような『レール』がなくなり、生き方の多様性を親も世間も当たり前に思う時代がくるまでは、皆と違う生き方をすることというのはリスクがある分、精神的にも物理的にも大変だと思います。

 

が、親たちに限っては、「漁師」、「左利き」自体を悪いことと思っていない人が少なくないように、「レールを降りること」自体を心から問題と思っている親は思っているより少ないと思います。

 

ただ、「最終的に自立する術を身に着けること」、この条件は使い切れないくらいのお金がある資産家でない限り、どの親も、子供に願うと思います。

 

それは、 

「レールを降りるだけの根性があることを自ら選んだのであったなら、それは線香花火のような楽しさを求めるものではなく、『やりがい』と『持続性』を持てるものを見つけてほしい」 

という意味でもあります。

 

普通のレールから降りた生き方、これを理解しない大人がいたら、 

「昔と今は時代が違うのに。」 と思う前に、自分たちのビジョンを、きちんと伝えてみてほしいです。

 

(ま、N君の夢を笑った担任教師のような大人、これは何を言っても無駄なので、無視してください。)

 

また、レールといえば、今の椅子取りゲームのようになっている就職活動で、形の上で途中停止している人達。

 

ちょっと電車から出て、世界を見渡してみてください。(これは、旅行に出るという具体的なことから、就活から離れて今までの自分の垣根を取り払ってみる、ということ。)

 

今、自分が一時停止していることにあせるかもしれない、しかし、今先に行ってしまったと思っている人達であっても、別の時にどこかで停止する可能性があります。

 

停止している時間を先に行った人を思ってあせるより、狭くなりがちだった視野や世界を広げる努力をしてください。

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ウクライナ情勢を収めるために

2014年04月14日 | 戦争・紛争

 ウクライナ情勢、大変なことになりつつあります。 

ソ連崩壊後、ロシアは西側諸国に歩み寄ろうとしてきましたが、欧米はロシアをのけ者扱い。 

逆に、ロシアの周辺国に、ミサイルを配備したり、次々と旧共産圏の国々をEUに引き込んだり、NATO加盟をさせようとしたり。

 

2010年のブログ
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/62efdbf9e2deec2f7418d9fc4f632186で、私は、

 

「ロシアは強そうに見えて、ソ連崩壊後、一番恐れているのは「孤立」だと思う。それ故本心は仲間が欲しい。 

(ロシアは1992年NATOに加入したがったのですが、門前払いされました。それが今でもトラウマになっていると思います。今、ロシアはNATOに協力していますが、加盟の可能性は低いのではないでしょうか。)」

と書きました。

 

この「ロシアは1992年NATOに加盟したがったのですが・・」というところ、おそらく昔米国のシンクタンクCATO Institutionの「東西冷戦が終わったのだから、いい加減、米国はNATOから撤退すべき」というような記事を読んで書いたと思うのですが、記事がみつからないので、確かではないですし、そもそも読み違えて勘違いしていたかもしれません。

 

ただ、やはり、ロシアを都合のよい時だけ仲間扱いしているけど、花いちもんめじゃあるまいし、周辺国を、「あの子がほしい」と次々自分の陣営に引っ張り込んでいく米国チーム、ロシアも堪忍袋を切れるでしょうし、実はそれも計算に入れていたのか。

 

そういえば、2010年のフォーリン・アフェアーズで、こんな記事がありました。

 

ロシアのNATO加盟を 

―― 汎ヨーロッパ安全保障秩序の確立を 

By チャールズ・クプチャン 

http://www.foreignaffairsj.co.jp/essay/201011/Kupchan.htm

 

米が、ロシアのことを「戦略的なはぐれ者」として扱い続けるのは、歴史的な間違いだ。ナポレオン戦争後や第二次世界大戦後に大国間の平和が実現したのは、かつての敵対勢力を戦後秩序に参加させたからだという歴史の教訓を思い起こす必要がある。

冷戦後の現在、ロシアのNATO加盟を実現させることが、汎ヨーロッパ秩序を構築する上でも、NATOの今後に関する論理的な矛盾をなくす上でも最善の方法だろう。グローバルな課題、G
20などの国際機関の改革に取り組んでいくにはロシアの協力が不可欠だし、ロシアを参加させれば、加盟国間の内なる平和を促すという、NATOのかつての機能を再確立することにもなる。

平和的な汎ヨーロッパコミュニティの実現という新しい目的は、NATOの存在理由を取り戻すことにもつながる。確かに、ハードルは高い。だが、プーチン首相は、大統領になって間もない時期に「ロシアの利益が考慮され、ロシアが(欧米の)完全なパートナーになれるのなら、自分はNATOへのロシアの参加という選択肢を排除しない」と述べている。いまこそ、欧米は決意を持ってプーチンの真意を確かめるべきだろう。

 

ロシアをポスト冷戦秩序のどこに位置付けるか

 

2010年11月に開催される北大西洋条約機構(NATO)首脳会議で、加盟国首脳はNATOを進化させる指針として新戦略概念を採択する手はずになっている。現状で、最優先課題に据えられているのがNATOとロシアとの関係をどうするかだ。 

 

 ソビエト崩壊以降、NATO同盟国は、ロシアを締め出す形でポスト冷戦秩序を形作ってきた。事実、NATOと欧州連合(EU)は、中央・東ヨーロッパ諸国を内に取り込みつつも、ロシアをアウトサイダーとして扱い、ユーロアトランティック(米欧)コミュニティの主要な制度・機構から締め出してきた。もちろん、ロシアが孤立したのは、それを欧米が意図したからだけではなく、ロシア側にも責任がある。民主制度への移行が遅々として進展せず、しばしば外交的勇み足を踏んだために、NATOは拡大主義のロシアの復活に備えた保険策をとらざるを得なかった。 

 

 とはいえ、欧米が、ロシアのことを「戦略的なはぐれ者」として今後も扱い続けるのは、歴史的な間違いだ。「ナポレオン戦争後や第二次世界大戦後に(日独を含む)大国間の平和が実現したのは、かつての敵対勢力を戦後秩序に参加させたからだ」という歴史の教訓を思い起こす必要がある。対照的に(戦後枠組みからドイツを疎外した)第一次世界大戦後の秩序は短命に終わっている。つまり、拡大ユーロアトランティック秩序にロシアをしっかりと組み込むことが、現在のNATOの最優先課題でなければならない。

 

 NATOが1990年初頭に旧ソビエトの新生諸国をメンバーに迎え入れ始めて以降、ロシアはNATOの東方拡大に対して強く反発してきた。だが、当時はロシアが経済的、軍事的に衰退する一方で、欧米が優位を保っていたために、NATO加盟国は、ロシアの不満や反発がどのような帰結を招き入れるかなど、そう気にかけることもなかった。

 

 政治学者のダニエル・デュードニーとジョン・アイケンベリーが指摘するように、「アメリカのパワーが高まるにつれて、ロシアのパワーが低下するという環境のもと、ワシントンの政策決定者は、ロシアなどもはや問題ではなく、アメリカは好きなことを思い通りにできると考えているかのような行動をとるようになった」 

 

 しかし、その後、戦略環境は大きく変化し、ユーロアトランティック秩序からロシアを排除することのコストは大きく増大した。クレムリンが再び権力独占志向を強めるなか、エネルギー価格の上昇で経済が息を吹き返し、ロシアは再び活力を取り戻した。いまやロシアは、NATOを押し返せる自信と力を持っている。 

 

 しかも欧米はモスクワの協力を切実に必要としている。イランの核開発封じ込めに始まり、軍備管理、核不拡散、アフガニスタンの安定、対テロ戦争、エネルギー安全保障までの一連の課題に対処していくにはモスクワの協力が不可欠だ。 

 

 一方で、NATO拡大がいまも続いているために、ユーロアトランティック秩序におけるロシアの位置づけをどうするかが、ますます切実な対応を要する問題になってきている。

 

 2010年2月に公表されたロシアの新戦略ドクトリンは、NATO拡大を主要な外的脅威として位置づけている。グルジアとウクライナをメンバーにすることを検討してきたNATOの動きによって、欧米とロシアの緊張が危険なまでに高まったのも事実だ。実際、2008年のロシア・グルジア戦争の背景には、グルジア西部が地政学的にNATOに編入される可能性に対するロシア側の焦りと不安があった。 

 

 NATO拡大にたんに反対するだけでなく、ロシアはユーロアトランティックの安全保障構造を再編・再活性化するための選択肢をすでに示している。2009年11月、ロシア政府は、汎ヨーロッパ安全保障構造を示した新ヨーロッパ安全保障条約案を発表している。NATO同盟国にとっても、「ポスト冷戦秩序におけるロシアの立場をいかに位置づけるか」という課題の検討を、永遠に先送りできる状態ではなくなってきている。

 

ロシアをユーロアトランティック・コミュニティ空間に組み込むという構想を実現するのは不可能ではない。はっきり言えば、ロシアをNATOのメンバーにすべきなのだ。ロシアのNATO参加を認めれば、NATOが主要な安全保障機構として機能しているユーロアトランティック秩序が論理的に完結する。ソビエトブロックの崩壊を受けて、NATOの東方拡大プロセスに乗り出した欧米は、いまこそ、ロシアとその他の独立国家共同体(CIS)をNATOに組み込み、このプロセスの完結を試みるべきだろう。 

 

 もちろん、汎ヨーロッパ秩序を模索していくための選択肢はほかにもある。ロシアが主導し、アルメニア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタンが参加している集団安全保障機構(CSTO)とNATOが条約を締結することもできるし、ロシアが参加する全欧安保協力機構(OSCE)の権限を強化することもできるだろう。また、ロシアが提案する新ヨーロッパ安全保障条約案を受け入れることも一案だろう。

 

 しかし、世界でもっともパワフルな軍事同盟であるNATOにはすでに28カ国が参加しているし、今後も加盟国が増大していくと考えられる以上、その他の機構や条約という選択肢は、NATOという選択肢に比べればサイドショーでしかない。汎ヨーロッパ秩序構築への唯一の合理的な道筋は、ロシアをNATOに参加させることだ。

 

 加盟すれば守らなければならないルールや制約がつきまとうために、ロシアは、NATOへの参加を見送り、独自の道を選択するかもしれない。だが、欧米の民主国家は汎ヨーロッパの秩序のなかにロシアを受け入れるためのビジョンと意思を示し、少なくとも、ユーロアトランティック・コミュニティの主要機関であるNATOがロシアを取り込めない場合でも、それがクレムリンの判断ミスであるという構図を作る必要がある。

 

さて、最近、「ロシアはフィンランドも狙いだした」というような記事が米国にありましたが、フィンランドおよびスウェーデンはNATOに加盟していません。

 

今のところ、フィンランドは「NATO加盟を自分たちがすれば、返ってロシアを刺激する。国民も多くはそれを望んでいない。しかし片方が加盟したら、加盟するかもしれない。」

と言っています。

 

Worldcrunch 

Sweden and Finland Face Their Russian Fears 

http://www.worldcrunch.com/world-affairs/sweden-and-finland-face-their-russian-fears/crimea-nato-scandinavian-countries-finland-sweden/c1s15485/#.U0n_KrBZpMt

 

ま、こうした冷静な国があるのが救いです。

 

国ではないですが、欧州の極右達は、ロシアを応援。 

これはことをややこしくするだけで、迷惑です。

 

Reuters 

France ‘s Le Pen, in Moscow blames for EU for new cold war 

http://www.reuters.com/article/2014/04/12/us-ukraine-crisis-le-pen-russia-idUSBREA3B09I20140412

 

それにしても、国家同士の陣取り合戦もしくは花いいもんめ、もうすでに死傷者がたくさん出ています。フィンランドやスウェーデンのように冷静さを持つ国が出てきてくれないと、大変なことになりそうです。 

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インターネットの恩恵、MATCHAが大きくなると思う理由

2014年04月11日 | 友人・知人

 スペインの友人、ベゴーニャさんが今日マドリードから日本に向かいます。

今回は京都を拠点とし、1日日帰りで東京にでてきてくれることになっています。

京都では私の知人のHさんが彼女をサポートしてくださり、そして日帰り旅行の奈良には私の兵庫のペンフレンドゆかりMさん(アメリカのティムさん、フランスのアリーヌさんのペンフレンドでもある)がご一緒してくださるということに。

この二人と連絡を取ったベゴーニャさんは、会う前からもう二人のことが大好きになったようです。

食いしん坊・・・いや、おいしいものに目がないゆかりMさんと彼女は、特にその辺で話が弾んだようで、私とベゴーニャさんのメールをそのままティムさんに転送したところ、「うーん、うらやましい!」と、自分より早くゆかりMさんに会うベゴーニャさんに、冗談で嫉妬の言葉を。

インターネットがなかった時代、こんな風に海外の人や地方の人、彼らと友人にすぐなれるなんてことはなかったですから、本当にそういう点では、これはありがたいツールだと思います。

さて、インターネットで簡単に人と知り合えるようになったといえば、以前書いたMATCHA と日本の小型モーターとなりうる若者たち』http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20140325の山形地域興し協力隊員の田口さん、MATCHA運営者の一人鳥井さんと、あれからも何度かメールを交わさせてもらっています。 

ほぼ私の息子と同じ年齢であり、インターネットがなければ一生会うこともなかった人達-特に田口さんに関しては考え方に共通点が多いこと、そして彼の発信するので目を覚まさせられることが多い、ということもあるのですが、とにかく、(彼がどうかわかりませんが、)私は話していてとても楽しい - これは、海外の仲の良いペンフレンドや友人たち、そして年齢の離れた議論仲間と話しているときのような心地よさ-それもこれも、インターネットのおかげですね。

 

さて、こんなことを言っている間に、先日MATCHAとその運営者たちのことを紹介した元上司のA氏、MATCHAに感銘を受け、SNSを通じてMATCHAの運営者とコンタクトを取りあうように。(しかもランチの約束も。)

 

こうして、また新しい繋がり(しかも、『輪』)ができあがり・・・といっても、インターネットも素晴らしいけど、やはりそれはそこにいる人達が人との繋がりの貴重さを知らなかったり、そもそも人に興味がなければ繋がりません。

 

つまりは、こうして出来上がる『縁』は今でも結局は人次第。そして『縁』の持続させる能力があるということ、これは力になると思います。

 

さて、MATCHA、私は海外のペンフレンド、友人達、日本の友人、知人達に紹介。

このサイトは2月にできたのに、ドイツのダニエラさんとイギリスの知人はすでに知っていて、それ以外の友人達も本当に楽しんでくれています。 

(特にこれから日本に来る予定をしている人達は、大変ありがたがっています。)

 

最初は、日本語、英語、中国語、韓国語バージョンだけでしたが、もう日本語学習者向け、やさしい日本語バージョンも作り上げています。

http://www.aokiu.com/2014/04/09/mcha-easy/

 

海外の友人たちがいる方、紹介してみてください。 

また、日本人であっても、このサイトは楽しめて、私の女性の友人二人もファンになっています。

再びリンクを; 

MATCHA 

http://mcha.jp/ 

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日本企業の強み

2014年04月10日 | R.Dore

 息子も新社会人になりました。

息子の就活は一昨年12月にスタート、しかし苦戦し、彼がここの内定をもらったのは昨年9月。

高校時代も大学(※ともに超難関レベルではない)とも比較的上位にいられた息子にとって、初めて挫折を味わうことになった就活であり、そしてまた、大学院進学にも未練があったこともあり、複雑な就活でもありました。

そんな息子が、研修を終えて帰ってくると、上司から、数か月間、ある資格の研究生として学びに行くように言われたと言って、嬉しそうに報告してくれました。

この資格はすぐに取れるものではないので、「それは取れれば万々歳だけど、その科目を学んで、今後に生かしてもらうことが目的だ」と、上司に言われたそうです。(とはいえ、言われた方はありがたく思い、一層資格獲得を目指すでしょう。)

この話を聞いた後、たまたま別件で英国人社会学者のD氏にメールをすることがあったので、最後にこの話を書き添えました。 

D氏は、息子の幸運を喜んでくれて、 

「社員にお金をかけてトレーニングさせるということ、これは日本企業の強みですね」 

と言い、そしてちょっと遠回しな言い回しでありましたが、息子が勉強をさせてもらったところで、すぐにその資格(知識)をもとに転職をしてしまった場合」のことに触れてきました。

 

これに対し、私はD氏に、 

「社員・職員教育にお金をかけてくれるクラシカルタイプの職場は得てして居心地がよく、その恩恵を被った日本の若者たちでそこを去ろうとする人は少ないでしょう。そして、そのことは、経営陣もよくわかっているので、なにかしら誓約書を取る必要もなく、双方の『暗黙の了解』で成り立っているんだと思います。」 

と返事をしました。

 

さて、社員教育-今でもある程度の大きさの職場であれば昔から現在まであると思いますが、その研修の中身や質はどうでしょう。

 

もうだいぶ前から雇用側は買い手市場。新入社員選びも「知識、資格を持っている」というのを前提に選ぶので、あまり教育に時間をかける必要もなくなったでしょう。

(語学に関しては、内定が決まった学生に「入社前までにTOEIC800点以上取得を義務付ける」などというケースもあるでしょう。)

 

そして、終身雇用制が一般的ではない欧米の会社が『転職するかもしれない社員のためにお金と時間を使っていられない』というのと同じで、日本も転職率が高くなっている現状(日本の転職は残念ながらステップアップのための転職というより、ブラック企業に見切りをつけた転職が多いかも・・・。)で、社員・職員教育の教育はその職場でしか通用しないようなことの教育がほとんどになっていないでしょうか。

 

そもそも今は、非正規労働者が、正規労働者と同じような仕事を平気でさせられるようになっていて、彼らの場合、ほとんどは実務的なことを短い時間で教わるくらいなのではないか、とも思います。

 

私が新人だった80年代初め、非正規労働者は一般的ではなく、雇用側は今の就活生が入社前に取得を求められているような知識、能力は、入社後、実践を経験させながら、研修や通信教育、時に留学などさせ(留学制度が昔からあったところは、まだ今も続いてあるでしょう。)身につけさせてくれました。

 

この80年代の形式は、景気が良い時代だったからこそ、できたことかもしれません。 

そして、各々が身に着けられる能力、資格などについては、学生時代に身に着けておくのも、就職後に職場からの研修で身につけるのも、表面上は大差ないかもしれません。

 

また、欧米式のように、「ステップアップとしての就職」をし、「一つの会社でずっと働き続ける」ことを思わない就活生が一定数いるのも事実でしょう。

さらに言えば、「就職してまで勉強させられるなんていや。」と思う人も、これまた一定数いると思うので、必ずしも、80年代のような日本企業型の社員教育が良いかどうかは一概に言えないと思います。

 

ただ、こうした社員・職員教育をしてくれる企業や組織には、「その企業、組織の新人」である前に、「学生から社会人となったひとりの若者」としてサポートし、研修では身につかないマナー、コミュニケーション術、ときに、業務に直結しないことでも、時間を割いて教えてくれた上司や先輩がいる、という傾向があるのではないか、と思えるのです。

 

D氏がいう、「社員にお金をかけてトレーニングをさせること、これは育てること、それは日本の強み」というのも一理ありますが、そしてまた「社会人を上司や先輩が損得なしにサポートする」というのは日本以外ではあまりないことで、これこそ日本の強みになっていたのではないか、と思います。

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環境、そして多くの人の犠牲の上に成り立つビジネス

2014年04月06日 | 原発・核・311

ウクライナの動乱で、ウクライナもですが、東欧に原発の商機となると喜ぶ面々、 

Reuters (2014.3.21) 

Nuclear industry hopes Ukraine crisis to boost business in Europe 

http://www.reuters.com/article/2014/03/21/nuclear-ukraine-idUSL6N0MH4VT20140321

 モンゴルでは、ウラン鉱山、はたまた核廃棄場・・・・環境保護活動家がテロリストとして逮捕されたり、拷問を受けたり・・・ 

Global Research Canada (2014.2.8) 

Foreign Mining, State Corruption and Human Rights in Mongolia 

http://www.globalresearch.ca/foreign-mining-state-corruption-and-human-rights-in-mongolia/5367622

 

日本もまだ、モンゴルの核廃棄場計画をあきらめていないでしょうね。

 

参考: 

『モンゴル放射性物質廃掃場案はまだ完全消滅ではない?』 

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20120208 

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ストが頻発するドイツ※ブログ引っ越しの際文章後半消滅

2014年04月03日 | 異文化

80年代中頃まで、春は公共交通機関のストライキがよくありました。

電車もバスも止まって職場にたどり着く手段がない人は自宅待機を許されたり(もちろん、バスの仕事内容や状況によっては、家人に自家用車で送ってもらったり、タクシー等で行った。)、学校が休校となったり、春闘は風物詩となっていました。

が、このストライキ、バブルとともになくなり、そしてバブル崩壊後は、組合が弱くなったのか、ほとんどストで悩まされることはなくなりました。

しかし、日本にいると忘れがちなストライキ、欧州にはまだまだあります。 

(アメリカ人の友人曰く、アメリカでは日本同様、交通機関のストは今はもうほとんどないそうです。)

 

2008年に一緒にフィレンツェに行った、当時パリ在住者の友人Hは、フィレンツェからピエモンテ州のアルバのトリュフ祭りを見てからジェノバから飛行機でパリに帰る予定でいたものの、列車のストに合ってしまいました。(私は彼とホテルで別れ、タクシーでフィレンツェ空港に行ったので、ストは知らなかった。)

 

機転が利くというか、押しの強いH、列車でフィレンツェからニースに向かおうとして足止めを食ったアメリカ人家族が、レンタカーを借りてニースに行こうと話しているのに気が付き、

 

「僕がレンタカー代を半額持つから、ジェノバまで一緒に乗せていってくれないか?」と家族のお父さんに交渉。

 

ひげ面で日に焼けた、イラクのフセイン大統領に似ている日本人に声をかけられた家族は直ちに家族集まってごにょごにょ相談。

 

レンタカー半分を負担してもらうことと、家族旅行に一人旅のちょっと変わった日本人を同乗させることを天秤にかけていたのでしょうが、結局彼らは、Hをレンタカーでジェノバまで連れて行ってくれることに同意してくれました。

 

あとで、 

「レンタカー代半額でも、高かったんじゃないの?」 

とHに聞くと、 

 

「まあね。でも、あのままフィレンツェに足止めされて飛行機を逃すと仕事に支障も出たし、レンタカーもひとりで借りれば二倍。運転もそのお父さんがずっとしてくれたし、皆良い人達だったから、ま、よかったんじゃないかな。」 

と。

 

さて、イタリア同様、ストが多いと言われているフランス。

 

フランス人の友人は、  

「私は日本に行くときはエールフランスではなく、ルフトハンザを使います。エールフランスはストが多くて信用できない」  

と数年前に言っていました。

 

2005年から2008年までフランクフルトに駐在していた日本人の友人Tも、月に何度も飛行機や列車を使っていましたのに「ストで困った」という話をしたことがなかったので、なんとなく、

 

「イタリアとフランスはストに要注意。ドイツはさほど心配がないのか。」 

なんて、私は漠然と思ってきていて、欧州旅行はフランクフルトをハブ空港として利用してきていました。

 

しかし、どうもここ数年(リーマンショック以降?)は、ドイツではフランス、イタリア以上に非道なスト(時期を選ばず頻発、期間も長かったり。)が増えてきているような気がします。

 

ハブ空港を変えるのも手ですが、それでもパリの方がよくなったとも言えないので、比較的慣れたフランクフルト経由がまだ自分の中では優先順位が高いので、ターミナルの関係で、EU間はルフトハンザ便を使うことがほとんど。

 

そろそろ、それも考えなおす時期なのか・・・。

 

JBpress2014326日)  

ストで年間63万日以上の労働日が失われる国役所、病院、ゴミ収集  

・・・年がら年中誰かが労働者の権利を主張するドイツ  

By 川口マーン恵美氏  

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40238

 

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個人のメールスキャンもサービスだという・・・

2014年04月01日 | 

友人から会社移籍案内するメールをもらった直後、私のMy YahooPRに、彼の会社名が広告として現れました。(ちなみにこの会社、一般人が買うものを取り扱っていません。)

また、先日は、他の友人と京都のホテルについてメールで情報交換をしていた直後、勝手にその人が勧めてきたホテルのリンクが・・・。

前者はYahooメール、後者はOCNメールでのやり取りでした。

広告に関しては、ネット検索データから、PC利用者が望むであろう商品の広告をYahooなり、楽天なりが表示をすることはよく知られていますが、2012年から始まったYahooのサービス(!?)では、メールの中身までも、その広告のためにスキャンされているということ、これはあまり知られていないのではないでしょうか。

ちなみに、Yahooに関しては、『Yahooメール、インタレストマッチ広告について』というものを検索し開き、項目を『無効にする』を選ぶことで、解析はされなくなる、ということです。(リンクは貼りませんので、ご自分で検索してください。)

これがどこまで、効果があるかはわかりません。また、Yahooだけでなく、OCNのメールもスキャンされているとしたら、どう防御すればよいのか・・・。

なんて言っているところ、プライバシーでは一番問題視されているGoogleについても(YahooGoogle傘下ですね。)、ちょうどこんな記事がありましたので、ご参考まで。 

CNN (201441日) 

Gメール開設から10年、ユーザーが払う「無料」の代償 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140401-35045970-cnn-int

 

米インターネット大手グーグルのウェブメールサービス「Gメール」が4月1日で提供開始から10年目を迎えた。同サービスは無料で使えるが、代償を伴わないわけではない。グーグルはユーザーに関する膨大な量の個人情報という形で元を取っている。

 

(中略)

 

Gメールで収益を上げる手段として使われているのが、メールを自動的にスキャンして整理し、そのデータを使ってユーザーが興味を持ちそうな広告を表示させる方法だ。

 

「安定した電子メールサービスの提供と引き換えに、あなたの電子メールの隣に広告を表示させ、あなたのメールをスキャンしてどの広告がふさわしいかを判断させてほしい、というのがGメールの約束事だ」。米サンタクララ大学のエリック・ゴールドマン教授はそう解説する。

 

Gメールでは使用頻度や文脈などを元にキーワードを探し出し、そのメールに関連付けた広告を表示する。例えばスピニングエクササイズについてのメールをやり取りすれば、ダイエット製品の広告が表示されたりする。

 

メールをスキャンして収集した情報は、以後の広告のためのユーザープロフィル作成にも使われる。

 

ユーザーはあまり認識していないかもしれないが、グーグルのような企業はさらに、検索や地図、メールといった別々のサービスから収集した情報をもとに、個々のユーザーについて包括的なプロフィルを作成している。

 

法律専門家のベナム・デヤニム氏は「無料のものなど存在しない。だから自分が無料サービスにどんな価値を提供しているのかを理解しておくことが重要だ」と話す。

 

無料サービスでメールを送受信すれば、自分の関心事や人間関係、経済状態などに関する情報を提供することになる。こうした情報を抽出して整理すれば、広告会社や広告主にとって大きな価値をもつ。

 

マイクロソフトの「アウトルック」やヤフーなどの大手はいずれも、無料サービスの提供を通じて何らかの利益を確保している。ハイテク企業の間では、ユーザー情報に基づくターゲット広告がビジネスモデルの主流になり、フェイスブックなどのソーシャルメディアもこの方法で収益を上げている。

(中略)

 

グーグルを相手取った訴訟では、Gメールを使っていない人がGメールのユーザー宛てにメールを送った場合、同社のプライバシーポリシーに同意していないにもかかわらず、影響を受けてしまうことも問題視された。

 

これに対してグーグルは、Gメールのユーザーにメールを送っている非ユーザーは、プライバシー保護を期待していないと反論している。

 

Gメールのサービスが始まった10年前、ユーザー情報の収集に関する規制はまだ緩やかだった。だがプライバシーを巡る環境はこの10年で激変した。

 

(後略)

 

前から何度か書いていますが、『タダ』には何かわけがあります。 

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『負』を追い払う人、集める人

2014年04月01日 | 雑感

ここずっと続く不況で海外のペンフレンド・友人たちも自分や家族が仕事を失ったり、仕事が順調でなかったりする人がちらほらでてきました。仕事のストレスは体調にも変化をもたらし、体を壊すケースも。

そんな中、この逆境を乗り越えて民間から政府の要職に就いた友人、「50になって仕事を失うなんて、まったく。でも希望は捨ててない」と言い、フリーの仕事をしだした友人、「パートナーが仕事を失ったから、今は私の頑張時。転職は大変だろうけど、夢を捨てない」という友人-

「愚痴を言っても始まらない」という逞しさを持っている彼ら、一番目の挙げた友人に続くべく、(今でも求職中の人もいますが、)良い方向に動いているようです。

その反対に、仕事の量は減ったというものの、専門職を持ち、彼自身の仕事は一応順調なAさん(適当なイニシャル)。

2年前くらいから、彼ら夫婦が住むフラットに、警察騒ぎを起こす住人が引っ越してきて以来不運続き。

これで住み慣れたフラットから引っ越すことになったこと、彼自身や彼の親戚や友人たちの体調や病気の話、親族の離婚の話、奥様の仕事が順調ではない話・・・これでもか、これでもか、と不幸の話を書き連ねてくるようになりました。

最初は彼の不運に非常に同情をし、慰めの言葉を書いていた私も、こうした、しかも長いメールを何回も受け取っていくうちに、もう慰めの言葉も尽きて、返事も滞りがちになってしまっていましたが、まだ、「私は何も助けてあげられないけれど、異国の友人に愚痴を書くことで落ち着くなら」と思っていました。 

しかし、先日、彼に、他の友人たち同様、ダニエラさんが撮ってくれたリンブルクとトモエさんのイヴェントの写真を海外の友人達とシェアすべく、彼にも送ったところ、彼から届いたコメントは、

 

「君は先日、リンブルクの写真を送ってくれたけど、ちょうど、リンブルクの司祭がお金を使い込んだというニュースが最近あった。 

リンクを送ります。(リンク)(リンク2 

もちろん、君はすべて読む必要はないけど、カトリックの人間には、こんな信用できない人間がいるということを、僕は君に知ってほしいんだ。仏教や神道では、こういうことはないだろうね。」

 

という、感想ならぬ、カトリックの悪口だけ。

 

Aさんは元カトリック教徒でしたが、大人になってプロテスタントに改宗した人。 

改宗したくらいですから、それなりに信仰心は厚かったのですが、彼は異教である仏教や神道にも興味を持ち、寺院などを訪れる人であったし、「信仰を持つことは大切」と言いながらも無宗教の私をも理解してくれていました。

 

だから、プロテスタント関係の話をしたりすることもあったのですが、あまりこれは障害になりませんでした。

 

しかし、そんな彼も、不幸が続くころから、カトリックの悪口、カトリックの不祥事の記事も送ってくるようになりました。 

私はそれらの記事を読むこともなかったですし、それについてはスルーで何もコメントは返さなかったのですが、それを諌めもしなかったからか、何度か。

 

そう対応していた私も、今回は流石に耐え切れず、

 

「何度も言いますが、私はカトリック教徒でもないし、特別の信仰を持っているわけではありません。 

しかし、どの信仰に対しても、それと違う信仰の人が悪口を言うことを、私は受け入れません。

 

私には、カトリックの友人、ロシア正教の友人、ヒンズーの友人、イスラムの友人、いろいろいますが、彼らは自分の伝統やイヴェント、芸術の説明として彼らの宗教の話をしてくることはありますが、誰ひとりとして、他の宗教や宗派の批判を私に書いてきた人はいません。

 

私が言うことを理解してくれることを望みます。」

 

と、彼にはっきり書きました。

 

このAさん、人種差別者、民族差別者、あらゆる差別を憎み、非民主的、不寛容を嫌う人でした。

 

が、その彼は今自分が『宗教差別』なるものをしてしまっていることに気が付かないばかりか、リンブルクとイヴェントの写真を観ながら、その感想がカトリックの悪口だけなんて、軌道を逸しています。

 

これは、彼の状況が好転したら、私の言葉に自分のことを恥じることがあるのかもしれませんが、今のところ、彼からのメールはありませんので、それはまだまだ先か。

 

人は不幸なときに、自分(特に不幸な話)のことにしか興味がなくなったり、何かを憎む、嫌う、恨む、という感情を持ちやすいものだと思います。

 

そして、こういう時、人は「自分がより一層の『負』を呼び込んでいること」に気が付かないのでしょう。

 

(このAさんは経済的にもそんなに困っているわけでもないので、全体のダメージは他の友人に比べて低いはずなので、)Aさんに自分自身でそれに気付いてくれることを望むと同時に、私も、「どんな状況であっても、先の楽天的な友人達を見習っていきたい」と改めて思いました。 

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