Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

シドニー空港で出合った姉弟

2009年09月30日 | 友人・知人

昨年の11月のパリ行きの飛行機が6時間の遅延のせいで、素敵な女性二人と知り合えたことを前にお話しました。(『パリ到着は夜中』参照)

実は前にも飛行機の遅れの為に、知り合えた人達がいます。

それは今から20年前のシドニー空港。主人と私は新婚旅行から帰国する為に朝早くシドニー空港へ向かいました。ところがその日はひどい霧が出ていて、飛行機離陸を危ぶむほどでした。そして案の定飛行機は4時間送れ。

この時は飛行機に搭乗する前でしたので、アナウンスに従って私たちはラウンジ待機。もちろん他の飛行機の乗客も同様。

成田の迎えに来てくれる父に連絡がつけられないこと、飛行機がこのまま飛ばないと翌日からの仕事に差し支える、と不安な私たちの前に、ブロンドの可愛い幼児がチョコマカ。それを追いかける高校生くらいの栗色の髪の女の子。

あまりの可愛らしさに私達が笑いかけ、そして何気なくその女の子と話し始めました。

女の子はバネッサさん17歳。その弟アンソニー君は3歳。二人は両親と共にニューカレドニアからオーストラリア旅行に来た帰りでした。バネッサさんは弟が本当に愛おしそう。私たちが話している時に間をぬって走り回るアンソニー君もお母さんに取り押えられると、お姉さんの方に助けを求めたりしていました。

このバネッサさんとは帰国してから数回手紙をやり取りして、彼女は息子が生まれたときにはプレゼントを贈ってくれたりもしました。しかし、彼女がフランスにモードの勉強に行ったことや、私達が引っ越したこともあってか、文通も自然消滅。

しかし、私達の息子があの時のバネッサさんと同じ年頃になったということや、また更に昨年11月に、20年前まで文通をしていたイタリアのリアーナさんと会ったこともあり、昨年から私は彼女達のことをよく思い出すようになっていました。

とはいえ、手紙が行方不明な上、ネットで調べても彼ららしき人が載ったものは見つかるものの、連絡先はわからず。それで連絡するのは諦めていましたが、ヒョンなことから弟のアンソニー君の新しい勤務先のメールアドレスを見つけることに成功し、一昨日やっとコンタクトすることができたのです。

I also remember you very well, even though I was only 3 years old at that time, and I still have this picture of the 4 of us!!!!

多分私達を覚えていないと思いながらバネッサさんの連絡先を尋ねようと送ったメールに対して、アンソニー君からは思わぬ答えが。幼児だった彼は私達を覚えていて、日本に興味を持ち、フランスで教育を受けながら、日本語も学んでいたと言います。

この後、バネッサさんからもメールが届き、

As Anthony said, we never forget your family and your smiles since this day in the airport.”と、再び連絡が取れたことを喜んでくれました。彼女は現在パリでスタイリストとして活躍しているようです。彼女は高校生の時の夢を実現していました。

20年前、5時間近く成田空港で私達を待つ羽目になった父は今はいませんし、若いバネッサさんが洗練されたこと、小さな子供だったアンソニー君がとてもハンサムで知的な男性になったというのに時の流れを感じますが、時を経ても、思い出や親愛は色あせていませんでした。

飛行機の遅延はありがたくありませんが、まあ、こんなこともあるものです。

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