Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

『知日派』と『親日派』

2013年10月31日 | R.Dore

外国人の日本を研究していたり、政治に関わっている人たちの紹介文には、親日派(家)の~もしくは、知日派(家)の~ と書かれていることが少なくないと思います。

今年初め、あるインターネットのディスカッションフォーラムで、私の知人の外国人学者が、

「私は『親日派』ではなくて『知日派』だ。『親日』という言葉は、ドナルド・キーン氏のような人に使うもの」

と書いているのを読みました。

その彼に対して、口の悪いオーストラリア人の学者が、

「いや、世間は君もしっかり『親日家』に分類しているだろう。」

と、書いていました。

このトピックのやり取りで私が感じたのは、

「『親日派(家)』という言葉は、外国人有識者にとっては、『知日派(家)』と言う言葉より、(主に政治や経済)学者として格下とか、おめでたい感じがあるのだろうか」

ということ。

つまり、彼らには「『親日家』というのはあまりに情緒的すぎ。私は日本を研究対象としてみているんだ」という一種のおごりがあるようにも感じました。

このディスカッションを読んだ私は、意地悪にも、

「日本語で『知日家』というと、単にJaponologist, Japan expertと訳されることが多いでしょうが、漢字には「日本のことを観察研究して(特に政治や社会面で)を良く知っている」と、保護者的、もしくは教師的なニュアンスがあります。

『親日家』は、”Japanophile”でよいと思いますが、『知日家』のすっきりする英訳があったら教えてください。」

と質問。

彼は、私の嫌味に気が付いたようで、

知日家=日本と言う運命共同体の一員でもなく、日本に関する知識が部分的であるのに、日本人にああしろ、そうしろと余計なお世話を焼く人。Interfering busybody

と返事をくれました。

先週久しぶりに彼と会うことができたのですが、彼は自分のことを『知日家』と言うのをやめ、『親日家』を使うようにしたようでした。

これは単に心境の変化だったのかもしれませんが、思わずにやり・・・。

さて、とはいえ『親○家』という言葉、これも本当はどうなのでしょう。

先ほど[情緒的」と書きましたが、単にそれだけではないのは、『親米』『親中』『親ロ』と書けばわかると思います。

日本の政治家や有識者に対して使う『親米』には「米政府の言いなりの人たち」と言うニュアンスがあり、『親中』には「売国奴的」ニュアンス、『親ロ』にも一種の偏見を含んだニュアンスがあるように感じることがあるからです。(使われる側は親しくしてくれる分には別に構わない。ただし、米国政府要人の『親日家』となるとピュアとはいえないかも。)

今回調べていて、韓国・朝鮮では、この『親日派(チニルパ)』というのが、「(主に占領中の)日本に協力してきた人」という意味があるのを知りました。

親日派 / Chinilpa

http://en.wikipedia.org/wiki/Chinilpa

これに対し、一般的日本通の人を『博日派(バギルバ)』、『知日派(チイルバ)』と呼ぶそうです。

日本も、『博日派』と言う言葉なり、もう一つ言葉を作れば、外国人有識者も悩まなくてすむことでしょう。

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特定秘密保護法の廃案・監視機構(最高裁主導)の設立を

2013年10月29日 | 国際・政治

以前ブログに取り上げさせてもらった、元原子力安全機構検査員・原子力公益通報者の藤原節男さんから、時々配信メールが届きます。

今回も、『特定秘密保護法の廃案・監視機構(最高裁主導)の設立を』署名キャンペーンの紹介メールをいただきました。

彼はこう続けます。

「特定秘密保護法が成立すると、公益通報者がいなくなり、行政府すべてが闇の中に閉ざされ、善意の国民が刑事罰として刑務所へ送られます。

現在の「公益通報者保護法」は実質「公益通報者摘発法」です。特定秘密保護法が成立すると「公益通報者保護法」が官僚の勝手解釈、勝手運用により「公益通報者刑罰法」になってしまいます。

原子力基本法の基本方針では、新しく「安全保障に資する」という目的が追加されました。原子力公益通報は、その性格上、当然、安全保障に資する原子力特定秘密を扱うことになり、特定秘密保護法が成立すると、原子力公益通報は刑罰でがんじがらめとなります。

たとえば、私が実施した原子力公益通報(4)は、規制当局による位置づけでは「原子力安全に関係しないので、規制当局としては受理しない。本件、問答無用」というものです。

これでは、以前の原子力公益通報も今後は、刑罰対象にされる可能性が十分にあります。

現在進行中の原子力公益通報、すなわち、福島原発事故での「福島3号爆発は使用済み燃料プール核爆発」「福島1号では津波以前に地震による配管破断があった」などは、みんなで議論するだけで、刑罰対象となることが必至です。

今でも、東電の証拠隠ぺいによって難航している福島原発事故原因究明が、今後は、刑罰対象となります。福島原発事故原因究明が、ますます、真っ暗な闇の中に入ってしまいます。」

さて、特別秘密保護法ですが、『秘密』の対象がまだ明確化されていないこともあり、私はまだ整理しきれていません。ただ「この法は『監視機構』とワンセットであるべき」と思います。

(しかし、日本の三権分立が怪しくなりつつあるのを感じているので、『最高裁主導の監視機構』には不安を覚えます。)

以下、関連のリンクと抜粋を貼り付けます。

特定秘密保護法の廃案・監視機構(最高裁主導)の設立を

http://www.change.org/ja/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%83%B3/%E5%AE%89%E5%80%8D%E5%86%85%E9%96%A3%E7%B7%8F%E7%90%86%E5%A4%A7%E8%87%A3-%E7%89%B9%E5%AE%9A%E7%A7%98%E5%AF%86%E4%BF%9D%E8%AD%B7%E6%B3%95%E3%81%AE%E5%BB%83%E6%A1%88-%E7%9B%A3%E8%A6%96%E6%A9%9F%E6%A7%8B-%E6%9C%80%E9%AB%98%E8%A3%81%E4%B8%BB%E5%B0%8E-%E3%81%AE%E8%A8%AD%E7%AB%8B

発信者 NGO Civilian Platfrom JAPAN

特定秘密保護法の廃案・さもなくば監視機構(最高裁主導)の設立。 特定秘密保護法が衆議院に上程され与党自民党と公明党は年内通過を目指し、来年早々にこの法案を発効させようとしています。 この法案はかねて岸内閣や中曽根内閣に於いて議会へ提出されましたが、国家による情報操作と戦前体制に日本の民主主義を押し戻す 法案として国会を通過させる事が出来なかったものです。 

今回の法案は今年の6月南アフリカのツワネの国際会議で合意された 「国家安全保障と情報への権利に関する国際原則」(『ツワネ原則』、”Tshwane Principles”  とは大きく乖離する法文となっています。 ここでの最大のポイントは、政府の身勝手な情報操作を監視するシステムが、厳密に規定されていることです。 今回の特定秘密保護法の何処にもそのような組織の設置は明示はされていません。

民主主義に対して厳しい国民目線を持つアメリカでもチェック機能の為の組織が設定されています。   <アメリカ政府の情報管理体制> *情報公開法(FOIA)があり、政府全体の情報管理が監視され、国民の知る権利として情報公開請求権が認められています。 *(大統領令13292)によって特に秘密管理が必要な情報(Classified Information)が定義されています。 *大統領府内にある行政管理局(OMB)は予算の管理による監視や、連邦情報マネジメント法(FISMA)の運用に目を光らせ  連邦議会(Congress)への報告が義務付けられています。 

(後はリンクからどうぞ)

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日本の若者によるFree Hugs, Free Hugs Campaignは世界で今も続く

2013年10月20日 | Peace

2009年に、Free Hugs Campaignについての記事を書きました。

Free Hugs Campaign

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20091006

日本の若者が、中国、韓国、台湾、タイで行ったものの動画のリンクをいくつか貼り付けます。

Free Hugs in Shanghai 2012

http://www.youtube.com/watch?v=p653TKem6KE

Free Hugs for China-Japan Peace 2013

http://www.youtube.com/watch?v=hpWIfxI0uwU

Free Hugs for Korea-Japan Peace 2013

http://www.youtube.com/watch?v=vbAZ_hbY7EU

Free Hugs for Taiwan-Japan Peace 2013

http://www.youtube.com/watch?v=vxkQ9rvD8T0

Free Hugs in Thailand Japan ×Your Country for Peace

http://www.youtube.com/watch?v=G_bOUGXfLeI

イタリアとベルギーのものもオマケです。

Free Hugs in Sondrio, Italy 2010

http://www.youtube.com/watch?v=hN8CKwdosjE

Free Hugs Campaign, Brussels 16, March, 2013

http://www.youtube.com/watch?v=L1wCLJnXetI

Free Hugs Campaign は今も世界各地で続いているようです。

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映画『ひまわり』、そしてアレッサンドラ・ムッソリーニ

2013年10月20日 | 芸術・本・映画・TV・音楽

現在GYAOで、イタリア映画の『ひまわり』を配信しています。

http://gyao.yahoo.co.jp/p/00569/v08425/

1110日まで。)

このビットリオ・デ・シーカ監督、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニ主演の名画、私は小学生の頃にTVで一度だけ観たことがありましたが、子どもであった私には、この映画のよさがあまりわかりませんでした。

なので、記憶に残っていたのは、ひまわり畑の映像と、とヘンリー・マンシーニの音楽のみ。

今回40年ぶりにこの映画を観たのは、ここ数年好きになったマルチェロ・マストロヤンニ観たさに他ならなかったのですが・・・・いや、泣けました。

そして、泣けると同時に、ソフィア・ローレン演じるジョヴァンナが、行方不明となった夫アントニオを探しに行くロシアの場面が興味深かったです。

モスクワの人々はイタリア人のジョヴァンナよりも洗練されていて親切。街もきれい。オマケにロシア外務省のハンサムな役人が、わざわざジョヴァンナの夫探しの旅にも付き合ってくれる。

大きなサッカースタジアムと当時としては機能的な駅、大きな火力か原子力発電所の炉、機能的な団地。

親切な田舎の人々、てきぱきとし、親切な鉄道の切符を手配してくれる女性(おそらく役人)、丁寧な売り子さん。

この辺、北朝鮮のプロパガンダ映画を観ているような気にもなりましたが、まあ、この映画のモスクワの撮影許可をとるためには、ここまでする必要があったのでしょう。

そうであっても、戦争が残酷に人の人生を破壊するかということは、おそらくソ連側も歓迎したからこそ、この映画撮影に協力をしたということもあったのだと思います。

さてさて、ところでソフィア・ローレンですが、この映画も含めて、『ふたりの女』などの反戦映画にも出演しています。

そんな彼女の実の妹は、ベニート・ムッソリーニの息子の1人と結婚していて、そして生まれた娘(つまり、ソフィア・ローレンにとっては姪)、アレッサンドラ・ムッソリーニは、バリバリのファシスト政治家。

Wikipedia アレッサンドラ・ムッソリーニ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%83%E3%82%BD%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8B )

抜粋:

1986年にリミニ大学で医学と外科の修士号を取得し、外科医となる。さらにファシズム政党イタリア社会運動・国民右翼(現在の国民同盟の前身)に入党し、政治家に転身した。

2003年、ジャンフランコ・フィーニ党首のファシズム否定発言に反発して国民同盟を離党、極右政党「行動の自由 (it:Libertà di Azione」(現在の「社会行動《it:Azione Sociale》」) を結党し、その党首となった。現在は欧州議会議員、イタリア下院議員、イタリア赤十字社の名誉会員を務めている。

私生活では税関吏のマウロ・フロリアーニと結婚。カテリーナ、クラリッサ、ロマーノの3人の子供に恵まれた。子供たちが母方の姓も名乗れるようにするため、複雑な法的手続きを行った。

・・・マフィアと絡んでいるベルルスコーニが長年首相だったことだけでも目も当てられないのに、ムッソリーニの血を誇っている人が議員で、なおかつ彼女を支持をする人たちがいるということには驚きました。(欧州議会議員っていうのも・・・。)

    

とはいえ、日本も、戦犯であった母方の祖父(岸信介)を敬愛する孫が首相になってしまう国ですから、イタリアを批判できないのかもしれませんね。

追記: ところで、映画ですが、ソフィア・ローレンが米倉涼子に、マーシャ役のリュドミーラ・サヴェーリエヴァが剛力彩芽に似ているな・・・と気になってしまいました。

是非ご覧あれ。

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皆同じ穴の狢、「戦争が人を狂わせる」という自覚を

2013年10月18日 | 戦争・紛争

ネット右翼が喜びそうな記事ではありますが、ニューズウィークから

ニューズウィーク (20131016日)

韓国が戦争犯罪を認めない訳

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2013/10/post-3075.php

[201310 1日号掲載]

 ただでさえ東アジアは緊張しているのに、日本と韓国の保守強硬派は互いの国の過去を暴き、そっちのほうがひどいと非難の応酬をしている。そのあおりで、韓国兵がベトナム戦争で行った残虐行為に光が当たっている。

 日韓の因縁は1910年から45年まで続いた日本の統治時代にさかのぼる。近代化と称して強制労働が課され、性的虐待が行われ、学校では韓国語の使用が禁じられた。

 日本憎しの思いが高じて、アメリカは原爆で太平洋戦争を終わらせず、日本を徹底的に打ちのめせばよかったとネットに書き込む韓国人もいる。

 対して日本の保守派は、韓国兵の過去の残虐行為を持ち出して反撃に出ようとしている。

 ベトナム戦争の際、韓国は30万もの兵士を南ベトナムに送り込んだ。海外メディアは米軍の残虐行為に焦点を当てたが、韓国軍部隊はその非情さで知られていた。

 米軍の介入が本格化した60年代後半に、韓国軍はベトナムの中央高地の複数の村で住民を大量虐殺した。元韓国兵やベトナム人生存者の証言によれば、ビンタイでは村民の家屋に火を放ち、逃げ惑う人々に無差別に発砲したという。ソンティンやタイビンなどでは村民を無差別に処刑したとされる。

 日本の保守強硬派は、旧日本軍の「従軍慰安婦」と同様の事例が韓国軍にもあったと非難する(韓国兵とベトナム人女性の間に生まれた多数の混血児「ライダイハン」の存在は知られているが、そのどこまでが性的虐待の結果かは不明だ)。

 韓国兵がベトナムで村人を虐殺したのは、村人に紛れた共産ゲリラの襲撃を恐れたからだ。韓国軍は1度の攻撃で数十人ないし数百人を殺害したという。旧日本軍の行為に比べれば規模は小さいが、残虐行為に違いはない。韓国でも一部の市民団体は事実関係の検証を求めている。

認めても謝ってもいない

 だが日本政府と違って、韓国政府は自国の過去の蛮行を公式に認めようとしない。「このような意図的で組織的な民間人の虐殺を韓国軍が行うことはあり得ない」と韓国国防省の広報官は言う。「あればとっくに公になっていたはずだ」

「韓国軍は共産化を食い止めるために戦い、規律正しく任務を果たした。ベトナム女性への性的搾取は一切なかった」とも。

 専門家によれば、資料不足で韓国兵の関与は確認しづらい。アメリカでもベトナムでも、米軍のソンミ村虐殺事件や枯れ葉剤使用については精力的に調査が進められた。だが韓国は80年代後半まで独裁政権下にあったため、批判的な報道は存在しなかった。

(後略)

韓国によるベトナムの残虐行為はこの記事を読むまでもなく知られていました。

が、この問題を日本の保守派が「オマエのところだって、同じことをやっているじゃないか」と言うのは愚の骨頂。

米国が朝鮮戦争やベトナム戦争をしなければ韓国の一部の軍人がこれほど非情なことをしなかったでしょうし、そもそも米軍だって、戦争では昔から現在にいたるまで、一般市民の大量虐殺や、現地の女性のレイプを行っているので、大きなことはいえません。

文句を言わないベトナムが『大人』と言うか、『強か』なのか。

しかし、何にせよ、各国が「戦争は人を狂わせる」と言うことを認めて『戦争を起こさない努力』をするより以前にプライド合戦をすること、これを何とか止めたいものです。

韓国ですが、以下の記事もあったので、これも貼り付けます。

JBpress(20131018日)

韓国に誕生した世にも恐ろしい日べ(イルベ)虫差別発言を繰り返す勢力が伸張中

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38951

日本のネット右翼はよく、「韓国人はレイプ集団」等の書き込みをしますが、彼らにとっての韓国人はこうした『日刊ベスト』に書き込む韓国人のことだったのか・・・と納得しました。(もちろん皮肉です。)

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イギリス人の友人の『神道』についての意見

2013年10月15日 | 異文化

10月2日のエントリーに、『神道、ローマ・ギリシャ神話、曜日名』

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20131002

を書きましたが、このときメールを送ったイギリス人の友人Pさんから、『神道』についての意見が昨日送られてきました。

その一部の意訳を貼り付けます。

「神道について簡単には語れないと思うけど、僕も、君が話を聞いたガイドの男性の意見に同意するよ。

神道は、仏教やキリスト教のようにな“organised religion”とは違うと感じる。

Organised religion”というのは簡単に言ってしまえば、人をコントロールし、そしてお金をつくりだすものだ。

それらは、政府や警察国家にも似ている部分があるといえる。

もちろん、元々はどの宗教ももともとはそれが本筋ではなかったはずだけど、今、世界のほとんどの地域でそうなってしまってきている気がするんだ。

ま、一神教の信者には本来の(純粋で善良な)信者はたくさんいるけどね。

(中略)

(僕が知る限りではだけど、)神道は、戦争を仕掛けたり、テロ、弾圧に関与をしたことはないよね。

(後略)」

神道について、私も『神道は宗教ではないと思う派』であり、そのほかの点でも、Pさんと私は同じ意見です。

この「神道は宗教ではない」と言う意見、アメリカ人のティムさんは首を振り、Pさんと『神道ブログ』を書いたやはりイギリス人の男性(日本の大学の准教授)は『神道は宗教ではない派』であったという-たまたまとはいえ、興味深く思えました。

なぜなら、戦後、GHQは『神道』を危険な宗教として扱っていたから、米国人の中には、神道についての複雑な思いがあるのかな・・・などと思ったりしてしまったからです。

さて、『神道は宗教ではない派』の私、自然界、ものに宿る神について、私は漠然と感じていて、これは祈ったりすることではなく、大切に思う心は失わずにいます。

これは、フィンランドにも伝わる、ノーム信仰(?)と通ずるもののようなものでしょうか。

(『ファンタジー』

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20071226 )

ところで、Pさんが言うように『神道』がピュアかと言うと、私は現在の形はそうとも思えません。

人をコントロールはしませんが、『神道』も神社を存続させるためにお金を作り出すことはしています。

お賽銭、厄年のお祓い等、祈願の神社からダイレクトメール。

お賽銭や祈願についてですが、「お金を払って、神様に守ってもらう、お願いをする」ということを、敬虔なクリスチャンやイスラム教徒の人たちは、どう思うのでしょうか。そもそも、「信心は、願いを叶えてもらうため」なんて人は少ないでしょうし、ましてや、「お金で願いを叶える」ということを商取引みたいに思わないのか、なんて、思ってみたりしてしまいます。

(『苦しいときの神頼み』をする人は、願いが叶ったとしても、神社にお礼に来る人もいないでしょうが、これはお賽銭を払ったと言うことで取引が完了しているということか。)

数年前、ボランティアセンターで働いていたとき、近くにある神社から、お賽銭に混じっていた外国コインや貨幣を寄贈されたことがありました。これらは外国人観光客が入れたものでしょうが、彼らにとっては、お賽銭箱もトレヴィの泉みたいなものなのでしょう。

また、厄払いですが、たとえば、「厄除けをしたり、お守りを持っていないと、大病をしたり、事故にあうから、前厄、本厄、後厄は神社にお祓いに行かないといけない」などというのは、これは「この壷を買えば、不幸にならない」というのと紙一重に、私には思えます。

そう思うようになったせいか、私はいつの頃からか、伝統や習慣として初詣に行くときを除いては、お賽銭も何かの祈願やお祓いもしなくなってしまいました。

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ハーフ(hahu, half)

2013年10月09日 | 異文化

昨夜、アメリカ人のティムさんが、

I know we've spoken about this and I thought you might find this interesting.  It's a Japanese language documentary about growing up ハーフ.  I think it is more difficult in some ways to be in Japan and be ハーフ instead of being completely foreign. Because the US is so multicultural we usually don't differentiate by race, but instead country.

While there is certainly still racism in the US, but we as a nation are pretty well integrated when it comes to things like this.  My son goes to school with many children that are half asian, half african, half european, etc.

と言いながら、ウォールストリートジャーナルの記事のリンクを送ってきてくれました。

Wall Street Journal (2013.10.7)

‘Hafu’ Chronicles the Experience of Half-Japanese

http://blogs.wsj.com/scene/2013/10/07/hafu-chronicles-the-experience-of-half-japanese/

日本では、日本人の親と、外国人の親を持った子どもを、“ハーフ(”hafu” ? half)”と呼ぶことがあります。

これは生まれたときから日本に住んで、日本語しかできず、納豆大好き、日本国籍を持っていたとしても、父親か母親が外国人であるのなら、日本人にとっては異質の存在として扱われる - 多国籍国家アメリカ人の多くは人種で分類することが『後進的』に思えるし、そもそも“ハーフ”と言う言い方が異質。

(“ハーフ”という表現ですが、Halfは動物の掛け合わせに使ったりする言葉のようなので、これを『名詞』として使うことに違和感を持つ人は混血の人でなくても多いでしょう。

「“ハーフ”の代わりに“ダブル”を使えばよい」と言う人もいますが、個人的にはこの発想もナンセンスだと思います。)

それはさておき、このハーフと言う言葉について、ティムさんに私は、

「“ハーフ”と言う言葉は、1970年代に、日本人の母親と欧米人の父親※を持つ4人の女の子で構成された“ゴールデン・ハーフ”という歌手・タレントグループから一般的に広まったのではないか、と私は思います。

(※しかし、イタリア人の父と日本人に母を持つと言っていたメンバーは実は生粋の日本人でしたし、脱退したメンバーはタイ人の父親と日本人の母親の子どもだそうです。)

彼女達のイメージから、日本人が「ハーフ」と言う場合は、日本人と白人種の混血児をイメージする場合が多く、これはむしろ憧憬に似た感情で使われることが多かったように感じます。

日本人と白人種以外のカップルの子どもについても、近年になって「ハーフ」と呼ぶことは増えてきていると思いますが、それでもなお、東アジア人や日系人と日本人のカップルの子どもを「ハーフ」と呼ぶ人はあまりいないかもしれません。」

と書き、ゴールデンハーフのメンバーの1人だけ、英語版のウィキペディアがあったので、そのリンクを送りました。

Maria

http://en.wikipedia.org/wiki/Maria_Mori

(彼女のお父様は、FBIだったんですね・・・)

高校のとき、父母ともに日本人であるのに、肌が白く、目も薄茶、茶色の髪を持つ同級生の女の子がいました。

彼女のことを同級生たちは、「ハーフみたいで素敵ね」とうらやましがりましたが、「電車に乗っていると、英語で話しかけられたりすることもたびたびある」という彼女は、自分の容姿にコンプレックスを持っていたし、そもそも“ハーフ”という言葉を嫌いました。

それで、私たちはこの愛すべき友人に“ハーフ”という言葉を使わなくなりました。

つい最近まで日本は、国際空港の外国人出入国窓口に“エイリアン(Alien)”と使っていましたが、英語訳や外来語の使い方、ちょっと見直しが必要なのかもしれません。

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故近藤紘一氏は産経新聞の今をどう思うか

2013年10月06日 | Nationalism

私が好きだった作家に、近藤紘一さんがいます。

(ウィキペディア

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%97%A4%E7%B4%98%E4%B8%80 )

彼は、産経新聞の記者でもありました。

記者としては、静岡支局勤務を経てフランス留学、サイゴン支局、バンコク支局、外信部特派員と記者人生の多くを外国で過ごし、プライベートではフランス留学中に愛妻を失い、心に深い傷を負いながら、サイゴンでであった子連れのベトナム人女性と結婚。

彼が仕事やプライベートで体験したこと、家族や友人達の話のエッセイ、インドシナの戦争関係の記録もの、小説-いくつかの賞も受賞し、人気もあった方でしたが、悲しいことに、1986年、45歳に胃がんで亡くなってしまいました。

(私が彼を知ったのは『サイゴンから来た妻と娘』からですが、一番好きな本は、彼の死後に出版された短編集『目撃者』(編集:沢木耕太郎)。なかでもフランス留学中に死別した前妻の想い出を書いた『夏の海』は秀逸です。)

私は作家としての彼に魅力を感じるだけでなく、記者としての彼も尊敬していました。

そんな近藤氏が現在もまだ生きていたとして、「現在の産経新聞を見ていたらどう思うのだろう」とため息をつくことが多くなりました。

たとえば、先日は、ある産経の記者が中国のレストランで韓国人の男性といざこざがあったあった話を書いていました。

確か、韓国人の女性と自分がビュッフェで鉢合わせをして、この女性が自分に対して順番を譲ってくれたが、そのあとこの女性の連れの男性がこの記者に向かって非常に感情的に抗議をしてきたと言うもの、です。

表題は『「日本人」を目の敵に・・・韓国人の迷惑なパフォーマンス』でしたが、たかが1人の韓国人に自分がイチャモンをつけられたことをプロの記者が記事にし、それが新聞にそのまま載ってしまうことには大呆れ。

しかもこの韓国人の男性の“鼻毛”をバカにしたりと、いくら韓国人男性が非常識であったとしても、むしろ記者の方を下げずみたくなります。

(だいたい海外ではレディファーストが今でも基本ではないでしょうか?この記者は、海外で日本人の評判を下げている可能性もあり。)

そしてまた、この記事に付いたコメントも、記事同様、品のないものばかりでした。

記事は記者の名前がわかるから(これでも)制御できていたのだと思いますが、コメントは匿名なのでさらにエスカレート。(件数も800件以上)

右寄りであろうとそれは構いませんが、産経新聞には『全国紙のプライド』はないのでしょうか。

インターネットで見る普通の社会面の記事も、産経の記事は週刊誌並みの表題が付き、書き方も「小学生には読ませたくないな」と思うことも。

その産経新聞も、もちろんまともな記事は健在です。たとえば今日はこんな記事が。

産経新聞(20131061423分配信)

「匿名コメント」廃止に踏み切った米メディア 「暗黒面」の誘惑

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131006-00000522-san-n_ame

【岡田敏一のエンタメよもやま話】

 さて、今週の本コラムは“インターネット先進国”である米国のネットをめぐる興味深い動きをご紹介いたします。

 インターネットの功罪についてはいろいろ言われていますが、最大の暗黒面は何と言っても「匿名コメント」に代表される無責任な投稿コメントでしょう。悪意に満ちたあらゆる罵詈(ばり)雑言が並び、人間の暗黒面をこれほど明確かつ露骨にさらすものは他にありません。人はなぜかネットの前ではいとも簡単に暗黒面に落ちてしまいます。「スター・ウォーズ」のダース・ベイダーの誘いより、ネットの暗黒面の誘惑の方が数百倍威力がありますね。

 しかし米国では、そんな悪意に満ちた投稿を野放しにしておいてはいけないという機運がいよいよ高まってきたようです。

(中略)

9月25日付フランス通信(AFP)は、ユーチューブのコメント投稿者について、昨年、米IT系専門誌ワイアードが評したこんな一文を引用しました。

 「ネット上における最悪の投稿者-人種差別的で、残酷で、愚かで、無意味で、かろうじて読み書きができる人々」

 さらに、ツイッターといった交流サイト(SNS)での話題を紹介する米人気サイト「バズフィード」も昨年実施したオンライン上の最悪コメント調査の結果として、ユーチューブについて「空前の規模でのコメント災害を引き起こしている。コメントは意味不明で他人と交流し合えているとは思えない。内容も、やかましいうえにナンセンスで、人種差別的で同性愛者を誹謗(ひぼう)するようなものだ」と、こちらもボロクソです。

(後略)

この記事に対するコメント、楽しみにしているのですが、18時現在でも6件しかありません。

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2020年東京オリンピック開催を喜んでくれる中国の若者

2013年10月04日 | 社会(歴史・都市計画含む)

“クールジャパン”と政府のとりくみ(だいたい、自分で自分のことを「coolな僕」と自称するのと同じで、coolを名称に使うのはちょっと気恥ずかしい気も・・・。)、2020年東京オリンピック、これらに対し、個人的にはいくつか疑問はあるのですが、それでもこんな記事を読むとうれしくなります。

ニューズウィーク (2013年10月3日)

1年後の北京。人気は和食にラーメン、そして「半沢直樹」

By ふるまいよしこ氏

http://www.newsweekjapan.jp/column/furumai/2013/10/1-2.php

 昨年9月に中国で起こった、激しい反日デモから1年余りが経った。わたしも中国大陸の先っちょにある香港での暮らしを入れればすでに大陸生活も20年を軽く超えたわけだが、確かにあそこまで大規模な「うねり」を感じたことはこれまでなかった。だが、そこから1年、北京のような都会ではすっかりあの「うねり」などどこ吹く風といったように街は姿を変えている。

 ちょっと最近、数軒の日本料理店に行くチャンスが続いたのだが、そこで見た光景はあの激しいデモと、その後デモには参加していなかった人たちにも「感染」した重苦しい空気とはまったく相容れないものだった。

(中略) 

 店舗自体も確実に増えている。1年前に日本大使館前に並んだ和食店が、日本人経営だろうが中国人経営だろうが台湾人経営だろうが、慌てて店名を隠していたのもどこへやら(そのうち台湾人経営の店は潰れましたけど)。北京の街にはあちこちで和食店が増殖している。日本人が増えているわけではないことは自明だから、それらの店は明らかに中国人客で支えられているのだ。

 さらに驚いたのが、最近の「半沢直樹」ブームだ。特に日頃日本関連のお付き合いをしているわけでもない若い友人から「『半沢直樹』見た?」と何度か聞かれた。テレビで放送されているのではなく、ネットビデオサイトで字幕付きで流れており、日本で放送が始まったばかりの頃からほぼ1週間遅れで観られていたようだ。つい先週、日本で話題になった最終回もすでにアップされ、さっそく観終えたという人もいる。そのうちの一人は1日から始まった国慶節(建国記念日)の7連休にはアニメ「進撃の巨人」を観るのだと楽しげに言った。

 そんな彼らのほとんどが80年代生まれの世代だ。子供の頃は経済成長期で日本から輸入されたアニメ「一休さん」や「ドラゴンボール」「セーラームーン」を見て育った。彼らにとって日本アニメの存在は自然だし、大学を出て大都会で一人暮らしを始めた今、インターネットにあふれるそうした日本の娯楽情報は彼らにとって普通の選択肢の一つになっている。

 先月、2020年の東京オリンピック開催が決まった時も、微博やツイッターの上ではあっけらかーんと、「東京、やったねー!」「おめでとう!」の声が飛び交った。取ってつけたように2008年の北京オリンピックと2020年東京オリンピックを比べたつぶやきも流れたが、実のところ中国でも今では2008年北京オリンピックを覚えている人はもうあまりいない。当時政府が厳しい入場管理制限を敷いたためにせっかくの「地元」でもその興奮が共有されず、その結果人々の記憶からもうすでに遠ざかってしまっているのだ。

(中略)

もし、日本が2020年オリンピックに未来を託すとしたら、今はまだ若いけれども7年後には社会を支える重要な力になっている世代の存在を忘れてはいけないと思う。いや忘れるどころか彼らにとってオリンピックがどんな場になるのかを今から考えるべきだろう。今会社のトップや社会の重鎮担っている人たちは7年後にはすでに前線から外れているだろう。それからの社会はその後の未来を作っていく人たちに任せるべきなのだ。

 そしてもし、2020年オリンピックをきっかけに近隣諸国との関係が少しでも変化してくれれば、と願うのであれば、今の古臭い頭で7年後を決めつける必要はないはずだ。あなたは知らないかもしれないが、今この時この瞬間に日本の文化を楽しみ、そこに日本の価値観を認めている若者がいるのである。すでに老眼でそれすらも霞んで見えない人に7年後の心配なぞしていただかなくてもいいだろう。

(後略)

日本のアニメや漫画、小説、ドラマ、アイドル-これらはまさしく『北風と太陽』の『太陽』。

オリンピックではないですが。20117月のエントリー、

『「なでしこジャパン優勝はアジア初の快挙」と喜んでくれる韓国の友人』

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20110719

で、韓国人の友人(正しくはペンフレンド)のCさんの言葉を紹介しました。

「昨日、日本の女子サッカーがワールドカップで優勝しましたね。

おめでとうございます。

大地震以後に少し落ち込んでいた日本人に勇気を与える大きいな勝利でしたね。

この優勝は日本初めての優勝だけではなく、アジアの初めての優勝で、韓国も、中国もやればできるんだとわかったと思います。

それがみんなに与えた影響ですね。・・・」

2020年のオリンピックで日本が優勝したとして、Cさんのように、(東)アジアの一員として喜んでくれる人が増えているとまでは思いませんが、『親同士の争いに巻き込まれて、隣の子と遊べない子ども達』は確実に『大人』になります。そして、楽しいことや美味しいことが好きな彼らは、おそらく親世代より楽観的・生産的な隣国との付き合いを好むようになるでしょう。

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マイケル・プロンコ氏のコラムと英語好き日本人

2013年10月03日 | 異文化

ニューズウィークのコラムはなかなか面白いのですが、そのなかでもいつもウィットに富んだコラムを書いてくれるプロンコ氏のものをご紹介:

ニューズウィーク (2013102)

ガイジンと東京人の不思議な英会話ダンス

By マイケル・プロンコ

http://www.newsweekjapan.jp/column/tokyoeye/2013/10/post-729.php

夏の初めに、地ビール店のカウンターに座ってビールを注文したときのこと。隣にいた中年カップルの声が小さくなった。こっそり私のほうを見た2人は、東京でしょっちゅう耳にするあのセリフを口にした。「英語、全然できない!」

 こういう場面に出くわすと、私は家電量販店の店員が腕にしている「アイ・スピーク・イングリッシュ!」と書かれた腕章を着けた気分になる。もっとも私がそこにいるだけで、そんな小声のセリフが聞こえてくるのだから、そんな腕章は必要ないのだが。

 東京の人のほとんどが自分は英語を話せないと言うが、実際にはしゃべれる人が少なくない。カウンターで隣にいた女性だって、ニューヨークに行ったら英語でビールを注文できるだろう。

 本当は英語を話せる人と日本語で話していると、微妙な駆け引きが始まる。それは英語に切り替える準備段階としての「会話のダンス」のようなものだ。

 その儀式はこういう段取りで行われる。まず、日本語で天気の話などする。それから出身地や、東京にいる理由などを聞かれる。そうしているうちに、相手は英単語を1つ2つ、会話に交ぜ始める。ちょうど水に飛び込む前に、ちょっとずつ体に水をかけてみるように。そこで私は彼らのヒントに反応して、英語で何か質問してみる。ほら! そこから会話は英語に切り替わるのだ。

 英会話の始まり方としては、昔に比べるとずいぶん洗練されてきたといえる。かつては酔っぱらったサラリーマンが私の箸の使い方にお世辞を言うところから、英語での会話が始まることが多かった。

 当時はよく、全然知らない人たちに英会話の実験台にされた。彼らは教科書に書いてあるとおりに話し掛けてきた。その頃に比べると、最近の東京の人たちはずいぶん英語が上手になった。

(中略)

 電車の中で高校生が英単語の勉強をしていたりすると、面白いことが起こる。勉強に疲れた学生はふと顔を上げ、私を見てギョッとする。なんと、英語を話す外人が目の前にいるからだ。まさか、魔法でこの本の中から飛び出したのか......

 「こういう人と話すために、単語を覚えているんだろうか」と、彼らは自問しているように見える。私は時には厳格な顔で見詰める。いいから勉強を続けるんだとばかりに。だが、優しく日本語で言葉を掛けることもある。「頑張って!」。彼らはうなずき、顔を赤らめる。

(後略)

日本人は、『英語が苦手な人』『英語が苦手ではない人』という2種類の人がいると思います。

さらに分類をすると、

①『英語が苦手だから嫌いな人』

②『英語が苦手だけど好きな人』

③『英語は苦手ではないけど、英語はツールと考える人』

④『英語は得意、かつ好きな人』

今回、プロンコ氏が出会った人たちの大半は②の人たちでしょう。

時々外国人(英語圏にかかわらず)、「僕が日本語で道を聞いても、英語で答えてくるのはなぜなんだ!」と日本に来て憤慨する外国人もいます。

(実はこれ日本の専売特許ではないのか、フランスのレストランで、友人Tがフランス語でオーダーしているのにもかかわらず、英語で受け答えしたり、説明した若いウェーターさんがいました。

彼の場合、英語を学習中で英語が使いたかったのか、それとも、私ほか数名がフランス語がわからないのを知って、英語で話をつづけたかはわかりません。

また、アメリカ人のティムさんが、フランス国境に近いイタリアの小さな町に滞在したとき、「この地域の人はフランス語のほうがよいだろう」とフランス語で話しかけても、町の人は皆英語で返し、英語で話したがったと言う話も聞きました。

このイタリア人達がフランス語を本当に話せなかったというかもしれませんが、彼らの中には「英語を試したい」と思っていた人もいたことでしょう。)

さて、私ですが、英語は流暢ではないですが、それでも一番近いのは③タイプ。

日本語ができる外国人の前では、英語は基本的にしゃべりません。

(日本語がわからない人が混じっている時は英語。)

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ドイツ人青年Sさんが日本で遭遇した場面

2013年10月03日 | 異文化

ミュンヘン在住の日本人ペンフレンドが、フィンランドの旅から帰ってきました。

彼女とご主人はフィンランドがお気に入りのようで、何度か出かけられているのですが、今回の旅行は一人旅。

その彼女が、今回の旅行記を彼女はブログhttp://flute925.exblog.jp/

にアップしています。フィンランドがお好きな方はどうぞ(9月26日以降数本)。

ところで、彼女が旅行記の前に書いたもの(25日分)に、興味深いものがありましたので、リンクと文章(一部省略)を貼り付けさせてもらってしまいます。

初の日本旅行にでかけた彼女のタンデムパートナーのドイツ青年が抱いた疑問とは

タンデムSさんからのメール

http://flute925.exblog.jp/21115623/

(前略)

・・・そのSさんのメールには、質問が書かれていました。

どのお店でもいらっしゃいませと言われるのだけど、自分はどう答えたらいいのか。

ホテルでチェックアウトする時に、ホテルの人が、かしこまりましたと言うのだけど、どういう意味?

そしてホテルを出る時に、Sさんはいつもさようならと言っているのだけど、他の日本人は言ってないようだけど、正しいのはどれ?

という質問でした。

かしこまりましたは、わかりましたの丁寧な言い方です、と返事をしたのですが、あとの2つについては、日本とドイツの習慣の違いからくるので、Sさんが戸惑うのもわかるような気がします。

いらっしゃいませについては、こんにちは、という挨拶の意味と、何かお探しですか、という意味があるということを説明して、いらっしゃいませと言われたら、こんにちはまたはこんばんは、と挨拶を返せば大丈夫、そして、もし店員さんに何か質問があるのなら、こんにちは。すみません、質問があるのですけど~と言ったら大丈夫、と答えました。

そして、ホテルを出る時に、何と言ったらいいのか、という質問は、さようならで大丈夫、または、ありがとうと言ったらいいし、もしそう言ってもらえたらホテルの人も嬉しく感じると思う、と答えました。

お店に入った時やレジで、いらっしゃいませと言われて、挨拶を返す日本人がどれだけいるのでしょう。多分スーパーやコンビニのレジで言われても、何も言わない人が殆どだと思うし、ショップなどの小さなお店に入った時に挨拶を返す人も稀かもしれません。ホテルを出る時も、チェックアウトを済ませて、ありがとうございました、とホテルの人に言われても何も挨拶を返さない人もいると思います。

でも海外では、お店に入った時(スーパーでは言いませんが)にはこんにちはと言うし、スーパーやガソリンスタンドのレジでも必ずこんにちはと言うし、あとホテルでも最後にはさようならというので、それが当たり前の習慣となっています。

だからSさんは戸惑ってしまったのだと思います。私も彼にいらっしゃいませと言われた時の返し方は、教えてなかったかもしれません・・・。

レジでいらっしゃいませと言われて、こんにちはと返すことは良い習慣だと私は思うので、せっかくなのでSさんにも日本語で言ってほしいなあと思います。そう言われて困る店員さんはいませんよね。

初の日本滞在なので、色々と戸惑う事もあるようですが、頑張って日本語を使ってきてほしいと思いました。

そういえば、メールに、めっちゃ、あつい!と書かれていました。日本で会う予定の友達とスカイプをしていた時に覚えた言葉だそうです。

さて、彼女も書いているように、日本では、お店のレジで会計を済ませて商品を受け取るとき、店員さんに「ありがとうございました」と言われても、客側は相手と目も合わさずに無言で商品を受け取る、ということは今でも多々あります。

それに対し、欧米では店員さんから商品を受け取るときに客も相手の顔を見てお礼を言うことが多いと思います。

(無愛想な店員だったら無言で商品を渡し、客だけがお礼を言うというパターンもあるような・・・。)

質問には書いてはいませんでしたが、こうした場面にこのドイツ人青年も遭遇し、違和感を持ったのではないでしょうか。

日本には『お客様は神様』の文化があり、その利点はたくさんあります。

が、『お客様は神様』と思うのは売主側が言うことであって、買主側がそれを当然と受け止めて傲慢になるという構図は、ちょっといただけないのではないかと思います。

間違いなく、「日本人は礼儀正しい」と思い込んでいる外国人にとっては不思議に思えるでしょう。

参考:

『日本とドイツのホテルのサービスの差』

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20120330

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神道、ローマ・ギリシャ神話、曜日名

2013年10月02日 | 異文化

先月、イタリア人のファビオさんとある博物館に行ったとき、英語で展示物を案内してくれていた年配の男性館員が、神棚の説明をしながら、「これは私の個人的意見にすぎないのですが、私は、『新道』は宗教ではなくて、習慣や伝統であると思っているんですよ。」

と英語で説明してくれました。

確かに、『神前式』『七五三』『初詣』『地鎮祭』-これらは、信心からではなく、今では習慣やイベントでするだけの日本人は多いし、私も実際そうですので、この男性の話に思わず大きく頷いてしまいました。

(多くの日本人は『建前仏教徒』であると思うので、法要などを内心で『慣習』と思っている人も少なくないでしょう。)

さて、「『神道』は宗教ではない」と言う意見、ネットで調べてみたら、これはそんなに斬新な考えというわけでもなかったようです。

これについて、山口大の准教授をしている英国人男性が、興味深いレポートを書いていたので、興味がありそうな外国人の友人やペンフレンドたちにリンクを送りました。

(この男性の神道以外について書いたブログJapanese culture http://www.burogu.com/ も面白いです。)

Shinto Blog

Is Shinto a religion?

http://www.nihonbunka.com/shinto/

このブログの始まりが、“Do not read the US government's explanation of Shinto. It is wrong! You will only find the following, correct, explanation here!” だったせいもあって、「いや、神道は宗教だ。」と、若干このブログには気分を害したようなアメリカ人のティムさん(一応プロテスタントですが、あまり熱心な信者ではない)。

ドイツ人のブルクハルトさん(プロテスタント)やスペインのベゴーニャさんとお嬢さん(カトリック)は、とても興味を持ったようでした。

このあと、ベゴーニャさんとメールを交わしていたのですが、私がつい「そういえば、日本の神話とギリシャ神話には似たようなエピソードがあります。」と言ったばかりに、彼女は俄然それに興味を持ってしまったため、関係の英語のリンクを彼女に送付。

これを合わせてまた他の外国人何人かにも送ったところ、日本語を習っているティムさんが、

One thing I always found interesting is that Monday in Japanese is also a "moon" day.

Monday is shortened form old English "moon's day".  And in your friend's native Spanish Monday is "Lunes" 月曜日derived from the Latin "Luna" which means .  “

と話を振ってきました。

そこで、私はティムさんに、日本語の月、火、水、木、金、土、日が、月、火星(マース)、水星(マーキュリー)、木星(ジュピター)、金星(ヴィーナス)、土星(サターン)、太陽から来ていることを書き、ついでに、「中国語では、月曜日から土曜日までが星期一から星期六となり、日曜日が星期日となる」とつけ加えました。

これに対しティムさんは、ラテン語、フランス語、スペイン語、イタリア語、英語の曜日をそれぞれ記し、

“The Latin column is translated as follows:

The day of: Sun, Moon, Mars, Mercury, Jupiter, Venus or Saturn.

The English Days of the week are influenced by the Germanic influences, so Romance languages like Spanish are much closer to the Japanese. “

と教えてくれました。

(さて、ついでに調べたところ、スペインのお隣のポルトガル、こちらでは曜日は、日曜日以外は番号を用いているようです。ただし週の始まりが日からとしていることもあって、月曜日に使う番号は2番で、土曜が7番。 

(参考:『ポルトガルの森』

http://portugues-mori.blogspot.jp/2013/04/blog-post.html 

ポルトガルは、異教の神の名前を使うのを「良し」としなかったのでしょうか。)

神道、神話、曜日、しりとりみたいになってしまいましたが、外国の友人達と話すたび、新しい発見と疑問が増えていきます。

※曜日に星を使う発想はエジプト起源

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