外国人の日本を研究していたり、政治に関わっている人たちの紹介文には、”親日派(家)の~”もしくは、”知日派(家)の~” と書かれていることが少なくないと思います。
今年初め、あるインターネットのディスカッションフォーラムで、私の知人の外国人学者が、
「私は『親日派』ではなくて『知日派』だ。『親日』という言葉は、ドナルド・キーン氏のような人に使うもの」
と書いているのを読みました。
その彼に対して、口の悪いオーストラリア人の学者が、
「いや、世間は君もしっかり『親日家』に分類しているだろう。」
と、書いていました。
このトピックのやり取りで私が感じたのは、
「『親日派(家)』という言葉は、外国人有識者にとっては、『知日派(家)』と言う言葉より、(主に政治や経済)学者として格下とか、おめでたい感じがあるのだろうか」
ということ。
つまり、彼らには「『親日家』というのはあまりに情緒的すぎ。私は日本を研究対象としてみているんだ」という一種のおごりがあるようにも感じました。
このディスカッションを読んだ私は、意地悪にも、
「日本語で『知日家』というと、単にJaponologist, Japan expertと訳されることが多いでしょうが、漢字には「日本のことを観察研究して(特に政治や社会面で)を良く知っている」と、保護者的、もしくは教師的なニュアンスがあります。
『親日家』は、”Japanophile”でよいと思いますが、『知日家』のすっきりする英訳があったら教えてください。」
と質問。
彼は、私の嫌味に気が付いたようで、
「知日家=日本と言う運命共同体の一員でもなく、日本に関する知識が部分的であるのに、日本人にああしろ、そうしろと余計なお世話を焼く人。Interfering busybody」
と返事をくれました。
先週久しぶりに彼と会うことができたのですが、彼は自分のことを『知日家』と言うのをやめ、『親日家』を使うようにしたようでした。
これは単に心境の変化だったのかもしれませんが、思わずにやり・・・。
さて、とはいえ『親○家』という言葉、これも本当はどうなのでしょう。
先ほど[情緒的」と書きましたが、単にそれだけではないのは、『親米』『親中』『親ロ』と書けばわかると思います。
日本の政治家や有識者に対して使う『親米』には「米政府の言いなりの人たち」と言うニュアンスがあり、『親中』には「売国奴的」ニュアンス、『親ロ』にも一種の偏見を含んだニュアンスがあるように感じることがあるからです。(使われる側は親しくしてくれる分には別に構わない。ただし、米国政府要人の『親日家』となるとピュアとはいえないかも。)
今回調べていて、韓国・朝鮮では、この『親日派(チニルパ)』というのが、「(主に占領中の)日本に協力してきた人」という意味があるのを知りました。
親日派 / Chinilpa
http://en.wikipedia.org/wiki/Chinilpa
これに対し、一般的日本通の人を『博日派(バギルバ)』、『知日派(チイルバ)』と呼ぶそうです。
日本も、『博日派』と言う言葉なり、もう一つ言葉を作れば、外国人有識者も悩まなくてすむことでしょう。