私は社会学、経済学の素人ですが、たまたま縁あって、イギリス人社会学者(日本へ提言してきていました。)や、日本の経済学者などと意見交換させてもらってきました。
貴重な時間を使って、彼らがそれを続けたのは、おそらく「社会学も経済学も限界がある」ということを知っていて、私の「子供のような疑問」が彼らの考える糧になったからではないかと思います。
(このブログも彼らに読んでもらったり、自分の整理するためのもの。)
この中で、私が「師」と思っていたお二人は残念ながら亡くなってしまいましたが、最近の矢野財務事務次官の寄稿についてどうおっしゃっただろうかと考えながら昔の記事を読み返していました。
矢野財務事務次官の懸念寄稿に威嚇しかできない岸田政権 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
自分自身は、10年前書いたものに全く違和感はありません。
矢野財務事務次官の寄稿にそれぞれの考えがあってそれでよいのに、あまりに自信をもって反論しているの経済学者の経済学者より、俳優の谷原章介氏の発言のほうが「無知の知」的で、受け入れやすいです。
谷原章介 財務事務次官の異例寄稿に「国は破綻するんだよって方と、いやいや破綻しないんだよって方が…」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
昔のブログ記事を張り付けます。(後者はリンクから内山節氏のコラムも読んでください。)
2010年3月31日に書いた記事:
No Free Lunch - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
抜粋:
先日、東京新聞の記者が、「大手金融機関の役員と飲みに行った時、『日本はどうして借金大国なのに大丈夫なんですか?』という子ども相談室のような質問をした」ということを書いていました。その役員は、「それは、国民の預貯金があるから、大丈夫なんですよ」とにっこりした顔で答えられて、彼は酔いが冷めたとか。
個人が飲み屋でツケで飲んでも、お店のママが月末回収に来ますので、ツケは常識的金額に納まりますが、国(次世代)へのツケに歯止めを掛けるものが何もありません。
( しかもこれの運用を、国債に留まらず、好き勝手にされた日には・・・。)
現在、子ども手当や高校授業料無償化などが実現することになっています。無計画な子ども手当は、個人的には大反対ですが、福祉を厚くすること自体は異論がありません。
ただし、これは北欧などの福祉国家を真似たもの。福祉国家がそれで成り立つのは、高い税率、高い税収故。そしてそれが可能なのは、国民の政府に対する信頼あってのこと。
票を集める為に「美味しいこと」を言って、後始末は先延ばし-
国民も、”No free lunch”(只より高いものはない、うまい話にゃ罠がある)に気がつくべきです。
2012年3月25日の記事:
時代を読む『「科学だけに依存」を問う』 by 内山節氏 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
抜粋:
ある若い、有望な経済学者が、先輩の経済学者から「最新の経済学の粋を駆使してこういうことを分析、結論を出してくれないか」と頼まれ、「それは無理ですよ、経済学は、あくまで前提をおいた上で、仮説を検証するということしかできませんから」と答えました。
更に「前提をおいて仮説を検証をする必要性も分かるが、第一線の学問的成果がすべてそういうやりかただけでなされ、それだけで評価がなされるということでは、なぜ、何年もかけて経済学を勉強するのか、という基本的疑問に答えられず、結局、経済学は世の中のためには役に立たないという俗説を正当化することになってしまうのでは」と言われた彼の返事は、
「確かにそういう面もあります。しかし、経済学を使って、常識では分からないことを解明できることもありますから」。
科学と経済学は違うとしても、世の学識者たちが、この若い学者のような謙虚さ-それは真の聡明さ-を持ち備えた人が多ければ、と願います。