友人が、フランス映画「サガン」を観てきたと言い、薦めてくれました。
この映画、「サガン」は50年代に「悲しみよこんにちは」を書いた、フランソワーズ・サガンの自伝ですが、この映画では「地位、名声、お金を得ても孤独だったサガン」をよく現しているといいます。
「孤独」という流れで、友人と2004年のイタリア映画「赤いアモーレ(現題「動かないで」)」(ペネロぺ・クルス、セルジオ・カステリット主演)の話になりました。
この映画は、裕福で、知的で美貌の妻を持つ外科医ティモーティオと、孤独な貧しい女性イタリアとの不倫ものといってよいのですが、その恋愛を軸に、主役の二人、そして医師の妻、そして主人公の友人達の孤独を描いた秀作です。(「不倫を正当化」ということで低い評価をする人もいるので、評価は真っ二つに分かれるようです。面白いことに中間層がいない。)
外科医で成功していて、裕福、自分を愛している美しい妻がいて、傍目では何の不自由がない男でも、なぜか自分の居場所を見つけられない。家にいる時はいつもネクタイを締め、尻に敷かれているわけでもないのに、妻の意見に逆らうこともないティモーティオ。
そんなティモーティオにひどいことをされても文句も言わず、彼を受け入れるイタリア。一人ぼっちで廃墟のような家に住み、彼女の仲良しは野良犬だけ。近所の酒場に知り合いはいても、親しいといえる友人がいるように思えない。理由は何であれ、ティモーティオが自分に会いにきてくれることで、初めて自分を気にかけてくれる人がいる喜びを知ります。
過去に母親と自分を捨てた冷たい父親が死んで、涙も流さないティモーティオの代わりに「あなたの代わりに泣いたの」という妻。夫は優しくても、心が自分や家庭にないことを感じている。しかし、そのために取り乱すこともない。
その他、家族や人を愛するのに不器用な周りの人達。
「孤独」はお金があろうとなかろうと、才能があろうとなかろうと、人間である限り誰もが持っているものだと思います。
生まれるのも独り、死ぬのも独り、悲しみや痛みを分かち合う人がいても、本人でなければその深さはわかりません。
家族、親しい友人は「孤独」を癒してくれますが、結局「孤独」から誰も逃れることはできません。ま、ポジティブに考えれば孤独は時に原動力ともなり、逆に「孤独」を楽しむ場合もなきにしもあらずでしょう。
「孤独」と「生」は一対。逆に考えると、「孤独」を感じるのは、まだ幸せなのかもしれません。