Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

辞任すべきは小佐古教授ではなく他のイエスマン達

2011年04月30日 | 原発・核・311

内閣官房参与として起用されていた小佐古敏荘・東大大学院教授が、29日の辞任会見で発言された一部です。(本日の東京新聞東京新聞『小佐古会見要旨・事態収束遅らせている』より)

「・・・・とりわけ原子力安全委員会は、法に基づく手順遂行、放射線防護の基本に基づく判断に欠けたところがあるように見受けられた。緊急時迅速放射能予測ネットワークシステム(SPEEDI)が、法令に定められている手順通りに運用されていない。結果も迅速に運用されていない。甲状腺被ばく線量、とりわけ小児については、その数値を(福島第一原発から半径)20.30キロの近傍のみならず、福島県全域、茨城、栃木、群馬各県、他の関東・東北全域で、隠さず迅速に公開すべきだ。広域をカバーできる、文部科学省所管の日本原子力研究開発機構のシステムのデータも開示すべきだ。

福島県の小学校などの校庭利用基準が年間20ミリシーベルトの被ばくを基礎に毎時3.8マイクロシーベルトと決まったが、間違いだ。

20ミリシーベルト近い被ばくは、約84,000人の放射線業務従事者でも極めて少ない。

この数値を乳児、幼児、小学校に求めることは、学問上の見地からも、私のヒューマニズムからも受け入れがたい。この数値に強く抗議し、見直しを求める。」

本日の午後、この校庭利用基準(安全基準)について菅首相は、

「子どもの健康が最優先だ。これで大丈夫というより、ここをスタートにして、線量を下げる努力をしなければならない」

と述べ、基準を厳しくする方向で見直す考えを表明したそうです。

(参照:http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&rel=j7&k=2011043000109)

「子供の健康が最優先」=「ここをスタートにして、線量を下げる努力」と言う菅首相の発言は、またまた論点を摩り替えています。

小佐古教授は、子供達が放射能に晒され続ける状態でも平気でいる政府に対しての疑問(怒り)をたたきつけているのに、その問題はまたうやむや。

放射能汚染については、「○○キロ圏内が危ない」というのがナンセンスなことくらい、政治家達は皆知っているでしょう。放射脳汚染がきれいに等間隔で広がるわけがないですし、範囲だってその日の風向きや雨などによってもっと遠方(他県)にも広がります。

これを認めたくないから、政府はデータを公開したがらないし、基準を厳しくすれば政府の負担(人、農作物等への補償や、産業界からの苦情)も増えるので、知らん顔、というところでしょう。

今回の、小佐古教授のお陰で政府の誠意のなさが世に知らしめられたのですが、本当は辞任すべきは小佐古教授ではなく、他のイエスマンでしかない内閣官房参与達のほうではなかったのだろうか、と思います。

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”あなたの為”に偽りがない城南信用金庫

2011年04月30日 | 企業・CSR

城南信用金庫の『脱原発推進』の取り組みを、本日の東京新聞から:

節電すれば金利優遇へ 「脱原発」推進の城南信金

「脱原発」の推進を表明している城南信用金庫(東京都品川区)は、節電に取り組んだ顧客を対象に預金金利や融資金利を優遇するキャンペーンを五月二日から始める。九月三十日まで受け付ける。

 節電のために、電力使用量の少ない発光ダイオード(LED)照明や太陽光発電などの設備を十万円以上購入した個人向けに、年利1・0%に設定した一年ものの定期預金を販売する。預金の上限は百万円。通常の一年定期は年利0・08%だから大幅な引き上げとなる。設備を購入したことを証明する領収書の提出が必要となる。

 また、ソーラーパネルや自家発電機など、省電力設備を購入する個人向けのローンサービスも始める。融資額は五十万~三百万円で、融資期間は三~八年。最初の一年間は無利子、二年目以降は年1・0%の固定金利とする。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2011043002000031.html

城南信用金庫、頭が下がります。

ここまで金融機関が“国民の為”に活躍してくれたということがあったでしょうか。あったとしたら、それこそ高度成長期くらいまでのことだったかもしれません。

現在の金融機関は“国民(預金者)の為”という名目で、「オレオレ詐欺等の犯罪防止のために、キャッシュディスペンサーで1日におろせる金額の上限を設定します」「預金の窓口引き出し、送金の際の厳しいチェック」などを実施していますが、これらは実は預金引き出しを阻止する手立て、引き出し手数料を稼げるという面もあり、預金者のメリットよりも金融機関のメリットの方が大きかったりする気がします。

(“あなた(国民、利用者)の為””環境、人類の為“etc.という言葉は、国、私企業に関りなく、「罰金での収入を増やしたいのだろう!」「業者とつるんでいるのではないか」「単に自分達がコストをカットする為なのに、恩付けがましく」と思えるものがよくあります。)

城南信用金庫にとっては、賛同する人からの預金が増えるというメリットはありますが、一信用金庫が金利のサービスをすることは、なかなかの冒険であります。彼らは先にあげたような“まやかし”はしていません。

“地元密着=人を大事にする”信用金庫ならではの貢献。

これを、各信用金庫も追随してくれたら、と願います。

(私の地元の信用金庫がそうしてくれたら、預金を移し変えます。)

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原発促進は反省して国家賠償、でも原子力安全神話は変わらず?

2011年04月29日 | 原発・核・311

『菅首相「原発賠償、最後まで国が面倒を見る」』という記事が本日の読売にありました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110429-00000276-yom-pol

菅首相は29日午前の衆院予算委員会で、東京電力福島第一原子力発電所の事故について、「一義的には東電に責任があることは言うまでもないが、原発を推進する立場で取り組んできた国の責任も免れるものでない」と述べ、国の責任を認めた。

 そのうえで、地域住民や農業、漁業の被害について「国としてしっかり補償する責任がある」と明言。さらに、事故の早期収拾と補償に関し、「最後の最後まで国が面倒を見るという姿勢で臨みたい」と強調した。民主党の渡部恒三氏の質問に答えた。

前日には、東電の清水社長の、『原発賠償、免責ありえる』という呆れた時事通信の記事。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110428-00000090-jij-bus_all

 東京電力の清水正孝社長は28日、福島第1原発事故の被害補償に関し、巨大災害の場合は電力会社の責任を免除する原子力損害賠償法の規定について「私どもとして、そういう理解があり得ると考えている」と述べ、東日本大震災による大津波が免責理由に該当する可能性があるとの認識を表明した。都内の本社で記者団に語った。

 また、役員報酬の50%カットを決めた東電の姿勢を海江田万里経済産業相が生ぬるいと批判したことに対し、「大変厳しい(リストラ策)と考えている」と反論。ただ、今後の対応は「未定」として、さらなる減額などに含みを持たせた。

二つの記事、趣旨は違うようでいて、東京電力を擁護することに変わりはありません。

それにしても、政府が「賠償の責任をとる」ということは、国民のお金を使うことです。「今まで福島を含む原発からの電気で恩恵を受けていた国民が負担をするということは、理にかなっている」と首相は思っていることでしょうが、原子力発電を当初から問題視し、「現状より高いお金を払っても(実のところ、トータルでみると、原子力が安い電力とはいえない)、原発以外からの電力が欲しい」と願ってきた人たちにしてみれば、とても受け入れがたいこと。

(もちろん、福島の被災者・風評被害者にとっては、「どこが補償するか」という議論より、「とにかく早く補償をして欲しい」ということであるとは思います。)

さて、この菅首相、26日の閣僚懇談会で、「エネルギー対策、原子力対策について、日本としての教訓をもとに、将来に向かっての構想を何らかの形で描く必要がある」と述べたそうです。

この前の21日には、オーストラリアのギラート首相と「原子力の安全性向上で合意」という記事もみかけましたが、この人は一体なにを考えているんでしょうか。

「原発を推進してきた政府にも事故の責任はある」と言いながら、『原子力安全神話』を作りあげてきたことについての反省が微塵も感じられません。エネルギー対策もガラパゴス的発想しかないことでしょう。

最後ですが、エネルギー関連で、本日のJBpress の本日のレポートを貼り付けます。

ここで取り上げている、シェールガスには問題が山済み(温暖ガス排出、採掘に化学物質を使う、また、新たな国家間の火種にもなり得る)で、手放しに喜べないのですが、少なくとも米国はじめ他の国々で、脱原発の流れはできつつあるように思えます。

原発を不要にする『シェールガス革命』

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5957

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今、政治家がしなければいけないことは?

2011年04月27日 | 社会(歴史・都市計画含む)

古いメールを探しているときに見つけ、触りを読んでいるうちに最後まで読み返してしまったメールがありました。

これは20068月のもので、小泉元首相が靖国参拝をしたときのことやマスコミへの批判を、外国人の知人に宛てて私が書いたものです。

現在の日本-「当事者」となったことで、国民もマスメディアも、このメールを書いた時点から意識は大分変わりました。

(もちろん、外交については別とします。以下のメールの貼り付け文を読んで、不快な気分になる方も多いことでしょう。)

しかし、「政治家」については、こんな時でも「自己利益の為に“乱”(現在の場合は“乱世”ではなく“混乱”)を好んで利用する輩」は残念ながらいるようです。

D様 

江戸時代の町医者、安藤昌益が「上に立つ君子の賢愚による乱世と平和、吉凶・善悪のあるのが世の中だ。」と考え、「乱が悪いことと排除し、一方の平和・吉・善のみを説くから、人はそれを求め、それは乱の元になる。」と言いました。

「人間は愚かな生き物であり、自分の属するもの(国、民族、宗教・・)のみを大切にしようと思うから、乱世、平和は繰り返すことは仕方がないものだ」と安藤昌益は言いたかったのでしょうか。

最近のエセ君子達は、それに加えて「自己利益の為に"を好んで利用する輩」、「(自分より力がないと思う相手に対して)威嚇、けん制することを良とする輩」が増えたお陰で、安藤昌益は言葉を変えなければならないようです、「乱を利用し、一方の平和・吉・善のみを説くから乱は終わらない。」とでも。

新聞を広げては溜息をつくしかできない私達にできることはせいぜい、「おごれるものは久しからず」(平家物語)という言葉を唱えるしかありません。

「レバノン」の取扱は最近でこそ変わってきていたけれど、日本のメディアでは当初不当に思えるくらい少なかったです。

「北朝鮮の実験ミサイル発射に始まり、イスラエルのレバノン侵攻や、昭和天皇のメモ発見、自民党の総裁選への鳴動など、7月はいろいろなことが起きた。

とてもじゃないけれど、一つには絞れない。ただし北朝鮮のミサイル発射から間もないうちに勃発したレバノン攻撃について、メディア全般が伝える量は健全ではなかったと僕は感じている。もちろん遠くの自分の町よりは自分の町のほうが関心は高い。顔も知らない他人よりは自分の親戚のほうが親身になれる。

それは当たり前。でもその当たり前さが、最近は臆面もなく進みすぎているように感じてしまうのだ。」

と書いた人がいました。

レバノン攻撃記事の少なさを「イスラエルの陰謀」としたジャーナリストもいましたが、日本においては「対岸の記事で、書いてもあまり関心をもたれない」と思われていたから、少なかったのだと私も思います。

身近のことしか興味を持たず、長い目でものを見ようとしないのは日本に限ったことではないでしょうが、それでも駐在員や留学生として長期外国に住んだことのある友人などは、日本のマスコミのあり方と、外国(西欧のみですが)のそれとの違いを語ってくれたことがありました。

小泉首相が靖国参拝をしたことに対して、周りにも肯定派が案外多く、その人達の多くが「日本は戦争の被害者」という意識のみが先行し、中国やアジアでしたことの知識もなければ、戦後中国が「戦争を引き起こしたのは一部の軍国主義者で日本国民は被害者」とする二分論で国民を教育してきたことなどもちろん知らないし、興味ももちませんでした。参拝肯定者の中には、「軍国主義者であろうと、死んだら仏様だからそんなの関係ない」という人もいましたが。

先日亡くなった元日本興行銀行の頭取で、安倍晋三の叔父である、故西村正雄氏(今月1日死去)が、東京新聞のインタビューで、「タカ派的なことを言って喜んでいる最近の若い政治家は、戦争を知らないから、平和でボケている」と言い、戦争を繰り返さない為に歴史に学ぶことの重要性を熱く語っていました。心ある人でした。(もし記事に興味がおありなら送ります。)

こういう叔父さんから晋三氏が学ぶことはなかったのでしょうか。

ふざけながらですが、息子が私にむかって「お母さんは中国、韓国びいき。(サッカー、オリンピック等で)日本を応援しない非国民。」と言いました。

私は「日本が好きだから、周りの国と仲良くして欲しいと思っていて言っていること。憂国者はりっぱな愛国者。やり方が違うだけ。」と言いました。息子はふざけて言ったとはいえ、半分本心も入っていたのではないかと思いました。

晋三氏も、この叔父さんを「非国民」と思っていたのでしょうか。そこまで愚かでなければと願います。

先日、北方領土付近で日本漁船が撃たれ、一人が死亡し、他は拘留されています。

北方領土返還の議論は、こういう事件を元にしての進展はないでしょうね。(相手が韓国や中国だったらどんなに世論も加熱したことか。)

暑さで文章にまとまりがありませんでした。失礼しました。

ゆかり

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「原発は安全じゃない」と認めているフランス

2011年04月26日 | 原発・核・311

○○ 様

また原発関連になりますが、ニューズ・ウィーク日本版に、興味深いコラムがあったのでよかったらどうぞ。

フランス人は原発をどう受け入れたのかhttp://www.newsweekjapan.jp/newsroom/2011/04/post-217.php

(抜粋)

・・・もちろん、フランス人が事故や放射能を恐れないわけではない。だが国全体に占める原子力産業のシェアが大きいので、それだけ原発や関連企業で働いている家族や友人も多い。原発立地の負担だけでなく雇用などのメリットも理解されており、パルフレマンが取材したシヴォーの町の住民は誰もが、原発建設地に選ばれたことを喜び、誇りにしていたという。そのせいか、フランスの原発は日本のように隅に追いやられるのでなく全国にまんべんなく散っている。

 またフランス政府や業界は日本政府や電力業界のように「原発は安全」という神話に頼っていない。いざというときはすぐに遠くへ逃げる、ヨウ素剤を飲むなど、身を守る備えと国民教育をしてきたように見える。福島原発事故の直後に自国民に日本からの出国を勧告した時には過剰反応にも思えたが、今思えば、それも危機対応マニュアルに沿った行動だったのかもしれない。その後、東電がアレバ社に支援を要請しなければならなかったのも、事故を想定した備えがあったか否かの差が出たのではないか。

 いずれにせよフランス人は、既に抜き差しならないところまでどっぷり原発に依存してしまっている。本当に原発がいいと思って賛成しているのか、今更引き返せないから賛成だと思おうとしているのか、もはやそれを区別するのは難しい。良きにつけ悪しきにつけ、フランスは政府も業界も日本よりはるかに戦略的で策士だったのだと思う。

日本で2002年に原発内で危険な仕事をするロボットを三菱重工が発明したのに、「原発は安全だから、そんなもの不要だ」と小泉政権が叩きつぶした、と言う話がありました。

小泉政権が三菱重工のロボットを叩き潰したという真偽のほどは分りませんが、原発ロボット、操縦者の育成が他国(特にフランス)に比べて日本で遅れているのは事実(=人命に対しての敬意がない気がします)

原発も放射能汚染も「安全」と言う言葉を楯にするのは、原発を持っている国なら大抵はそうかもしれません。しかし、世界から今後すぐ原発がなくならないとすれば(脱原発を目指したとしても、現存する原発がなくなることは悲しいことに現在は非現実的)、その辺を転換させることが必要であると思います。

今回の福島での対処の度重なるミスや「想定外だった」という言い訳-最低限、これだけは繰り返して欲しくないです。

さて、上記コラムのなかにシヴォーの町の住人の話が書いてありますが、この状況は六箇所村他様々な原子力関連施設を受け入れている青森などを思い出します。

ゆかり

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インド-警察官がデモ隊住民を射殺する国の原発

2011年04月26日 | 海外ニュース・できごと

319日に、インドの西部で起きた、反原発デモ。このデモ隊に警察官が発砲し、一人の住民が亡くなりました。

そして、4日後の23日、北方の別の原発建設予定地でも小規模の反原発デモがあり、これを現地の警察官が拘束。

拘束された市民のなかには、元最高裁判事や元海軍高官もいたといいます。

西部の原発予定地について、24日の毎日新聞の優れたルポ記事がありましたので、リンクと全文を貼り付けます。

インド:「子供らのため阻止」西部の原発予定地ルポ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110424-00000058-mai-int

 世界最大の発電量となる「ジャイタプール原発」(総出力990万キロワット)の建設予定地、インド西部ラトナギリ地区。18日に起きた反対デモで住民1人が警察に射殺された現地を訪ねると、住民たちは、東京電力福島第1原発の事故に不安を募らせ、「子供たちの未来のために必ず阻止する」と言った。日本や米国など原発先進各国が本格参入を狙うインドだが、政府は「世界最大の民主国」をうたうだけに、原発推進策の見直しを求められる可能性が出てきた。【ジャイタプール(インド西部)で杉尾直哉】

 「ノーモア・チェルノブイリ、ノーモア・フクシマ(チェルノブイリ原発や福島第1原発のような事故はこれ以上ゴメンだ)」

 原発計画地の北方のタラプール。23日、市民ら約150人が集まり、インド政府の原子力推進策の見直しを求めた。地元マハラシュトラ州政府が「デモ禁止」を通告し、警察がうち100人を拘束した。しかし、被拘束者の中には元最高裁判事や元海軍高官らもおり、脱原発機運の多様な層への広がりに政府は衝撃を受けた。

 ジャイタプール原発の予定地は、アラビア海に突き出した高台だ。周囲には特産品のマンゴー畑やココナツ林が広がり、良好な漁港が点在する。マンゴーやエビは日本にも輸出されている。

 政府によると、ここにフランスなどの技術で原子炉6基を造り、最初の2基を6年後に稼働させる計画だ。

 18日の抗議デモは、4月中旬、地元住民に通告なく重機やセメントなどの資材が予定地に持ち込まれたのがきっかけだった。福島第1原発から海に放出された汚染水や土壌汚染の問題が関心を集めており、予定地に近いマドバン村の農民らが工事を阻止しようと立ち上がった。

 参加者の中には女性や子供も多くいたが、警察が警棒で殴ったという話が周辺住民の間に広がり、漁師ら数百人が警察署を襲撃、車両に放火する騒ぎに発展。ナテ村の漁師タブレズ・アブドル・サタールさん(30)が警察に射殺された。

 タブレズさんの自宅では、男たち十数人が父アブドルさん(55)を囲み、悲しみに沈んでいた。アブドルさんは「息子は騒ぎを傍観していただけ。なのになぜ……」と声を震わせた。タブレズさんの妻はショックで家の奥に引っ込んだままだ。

 漁師たちは記者が日本人だと知ると、「フクシマには漁場はあるのか」「漁師は今どうなっているのか」などと質問攻めにした。リアズ・サルカルさん(41)は「福島第1(1号機)の出力は約45万キロワットだが、ここは1基で165万キロワット。事故が起これば影響は日本の比ではない」と言った。

 ジャイタプール原発では、冷却水をくみ上げる電力節約のため、高台を海抜7メートルまで掘り下げて設置する計画で、漁師たちは「(東日本大震災のような)ツナミには耐えられない」と訴えた。

 デモに参加したマドバン村の女性ランジェナさん(61)は、「私たちは、フクシマの事故とその後の悲惨な状況を知り、『これでインド政府も計画を見直すだろう』と安心していた」と話す。そこに突然、重機が入ったことで住民を動揺させ、混乱に発展したというのだ。

 ナテの警察署では住民によって窓ガラスが割られ、破壊されたパソコンなどが外に積み上げられていた。

 匿名を条件に取材に応じた警察幹部は、「我々は法と秩序の維持だけが目的。今後、同じようなデモがあっても今回のような混乱は招かない」と語り、デモの阻止に全力を挙げると強調した。

 別の農村に、今回のデモを主導した活動家(41)を訪ねた。「暴力的な運動で支持が得られるのか」と尋ねると、「我々はガンジーの非暴力主義でやってきたが、政府から無視された。今、彼らは我々を殺そうとしている。暴力以外に手段はない」と言い切った。

 79年の米スリーマイル島原発事故や86年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故以降、世界に反原発の潮流が広がったが、21世紀に入り、欧米諸国で原発が見直され、「原発ルネサンス」と言われるようになった。特に米国のブッシュ前大統領が06年、「石油中毒」からの脱却を訴え、国内で凍結されていた原発新設を打ち出し、高成長国のインドと民生用原子力協定に合意したのが流れを作った。

 オバマ米政権もこれを踏襲し、インドは、フランスやロシア、日本からも「原発新市場」とみられていく。インドのシン首相は今回の騒乱の直前、「温暖化問題などを冷静に考えるべきだ」と述べ、福島の事故にかかわらず原発を推進する姿勢を見せた。

 しかし、当局がジャイタプール原発建設を強行すれば、混乱は全国に波及する可能性がある。今年2月、同原発に関するマハラシュトラ州政府主催の住民集会で反対を公言し、警察に拘束されたミリンド・デサイ医師(40)は、「原発ルネサンスはインドから終わりにする」と語った。

 土地収用を求められている地主2335世帯のうち、補償金の受け取りに同意したのはムンバイなどに住む70世帯のみ。計画地周辺に住む農家らは100%反対している。

さて、この記事を読んで最初に思ったのは、「デモをしている市民を拘束はもちろん、行動が暴力的だったにせよ、警察官が市民を撃ち殺してしまうような国に原子力発電所を建てるのって(ついでに言うと、核兵器保有が許されていることも)、おかしくない?」ということでした。

そんな話を友人としていたところ、友人が彼のインド人(ヒンズー教徒)の友人が、「現在インドでは、イスラム教徒の人口が急増していて、いずれアフガニスタンやパキスタンのようにタリバンに支配されるようになるのではないか」と心配していたという話をしてくれました。

イスラム教徒の人口割合増がどの程度のものであるかもわかりませんし、また、彼の友人がヒンズー教徒であるため、「イスラム=悪=タリバン」という思考回路が混じっているので、偏った考え方であるように思えます。

しかし、宗教に関わらず、(記事にあるような横暴が許されてしまう)圧政的な国であれば、上記の記事でインドの活動家が言う言葉、

「我々はガンジーの非暴力主義でやってきたが、政府から無視された。今、彼らは我々を殺そうとしている。暴力以外に手段はない」

のような考えを持つ人も増え、タリバンがいなくても、国が混乱に陥る可能性はでてくるのではないかと思います。(現にインドではムンバイで大規模なテロもありました。これが、原子力発電所に向けられないとも限りません。)

西部の原発に話を戻せば、このデモにのきっかけを作った原子炉メーカーは、どういう心境でいるんでしょうか。

(ちなみに、日本はもインドと原子力協定を結んでいて、原子力産業界もこれを当てにしています。)

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3月3日のJBIC関連のブルームバーグの記事

2011年04月25日 | 国際・政治

英語ですが、震災前のBloombergの記事を一つ思い出したので、貼り付けます。

2011.3.3

JBIC Plans to Help Fund Inpex, Toshiba Energy Projects Worth $40 Billion Yen

http://www.bloomberg.com/news/2011-03-03/jbic-plans-to-help-fund-inpex-toshiba-energy-projects-worth-40-billion.html

この記事のなかの主役はJBICですが、これを読むと、日本政府が描いていたエネルギーやインフラ事業(原発含む)促進計画の一部が分ると思います。

先月の大震災でその方向を変えざるを得ないことになった部分は多いと思いますが、内閣JBICの現職部長であり内閣参与でもあるこの前田匡史氏の言うことを、菅首相、仙谷官房副長官はありがたがって今まで従ってきています(米軍グアム移転関連含む)。今後どう転んでいくのかwatchしていきたいと思います。

(もちろん政府も前田氏も「日本の経済発展」を目指しているわけで、これ自体に反対する人は少ないでしょう。問題は、国および国民が知らないうちに「日本の為だから」と、“ごく一部”が筋道を作ってしまうこと。

ついでながら付け加えると、同日のブルームバーグの記事の日本語版で、JBIC関連は、

国際協力銀:トルコや豪向けインフラ融資に意欲-3~4兆円の事業(1)

http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90900001&sid=aqmLWHZ.43zQ

でした。

同じ内容を扱っていますが、記事の内容と長さにこんなに差があります。記事は“()”となっているので、続きがあったのかもしれませんが、とにかく何にせよ外国のマスメディアやシンクタンクの記事を読むときに、原語版も(全部理解できなくても)目を通してみると良いかと思います。

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『福島原発シンドローム』に陥る人と被災者の間にあるもの

2011年04月24日 | 原発・核・311

311日の大震災以降、地震および津波関連の映像、被災状況等を知りPTSD(心的外傷)に近い状態に陥っているところに加えて、福島第一原発の事故の恐怖とこれに対処する政府の情けなさから、今までの原発政策への怒りの爆発-(不謹慎な言い方ですが)それが『福島原発シンドローム(福島原発症候群)』とでもいえる状態になっている人は多いのではないのかと思います。

それは私もそうなのですが、ふとこうした思いもあって今文章を書き連ねることは、それは自分の症状を和らげる、もしくは逃避という自衛手段になっていないか-時に「(とりあえず)安全で日常的な生活をしている場からの上から目線」での文章にもなり、被災者の方が目にしたら不愉快になることもあるのではないかと、後ろめたさ、不安を感じることもあります。

また、「東北の人は辛抱強くて温かい」という、(事実ではあるでしょうが)レッテルを貼ることが、結果、日本のみならず世界各国から被災地の方々に「我慢」「綺麗ごと」を強いていることになっているような気もして、ずっと違和感がくすぶってもいます。

そんななか、先日、大野佐紀子さんという愛知県在住の専門学校(芸術系)講師であり、ジェンダーについての本も書かれている方のブログ”Ohono 2”に、以下のものを見つけました。

(彼女のブログは時々覗きますが、とても考察の鋭い方であると思います。)

「不公平」感のもたらすもの

http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20110419/1303210610

このなかで彼女が書く、

「・・・こうした感情を、世界からその律せられた振る舞いと公共心に尊敬の眼差しを向けられた被災地の人々の、どのくらいが共有しているのかごく僅かなのか、私には判断がつかない。が、ここにも何らかの「不公平」感と人間不信が生まれているように感じた。終戦直後のような互いの足を引っ張り合うが如き殺伐とした雰囲気はなくても、震災被災者と非被災者、余震や原発事故の影響下にある東日本と西日本、といった非対称のあまりの過酷さ、メディアを通してどうしようもなく感知される彼我の温度差はある。それが心理面から見えない断絶を作り出す。

現実に、この圧倒的な不均衡が、原発事故の影響による風評被害や出身差別として表面化している。・・・」

は特に的を得ているように思えます。

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キエフからの提案、フランスで見た菜の花畑

2011年04月23日 | 原発・核・311

今月初めに、CO2排出権関連の仕事をしている知人とこんなメールのやり取りをしていました。

私「大変初歩的なことをお伺いしたいのですが、欧州では、暖房等にガス他薪を使うところもありますが、薪はCO2排出として換算されるのでしょうか。」

知人「木材は成長するときに二酸化炭素を吸収しているので、それを燃やしたときに二酸化炭素を排出しても、プラスマイナスゼロになるという考えで整理されています。」

私「ありがとうございました。

木材は、それではバイオエタノールと同じと考えてよいわけですね。

バイオエタノールといえば、チェルノブイリでは、事故のあった現場周辺に菜の花を植えて土地をよみがえらせると同時に、バイオエタノールにも菜種を使う、というような話を聞いたことがあります。

被ばくの中心地はわかりませんが、風評被害で農作物ができなくなった場所に、そうして(菜の花に限らず、バイオエタノールに使う植物)を植えるようになるかもしれませんね。」

知人「風評被害地域はその誤解を解いて食物を栽培し、販売することが自給率向上のためにも必要と考えます。

放射能汚染地域は実質的な国土の損失を最小限にするために工夫を凝らすということでしょう。」

そして、昨日読売新聞(1811分配信)以下の記事がありました。

福島でも菜種育てなければ…キエフで農水副大臣

 【キエフ=寺口亮一】篠原孝農水副大臣は21日、ウクライナの首都キエフで開かれたチェルノブイリ原発事故の教訓を検証する国際科学会議に出席。

 「福島でも菜種を育てなければならなくなると思う」と述べ、福島第一原発事故による放射能汚染を除去するため、菜種栽培を導入する意向を明らかにした。

 菜種は成長の過程でセシウムなどの放射性物質を吸収し、採取された油から汚染物質は検出されないという。チェルノブイリ原発西方のウクライナ北部ナロジチ村では日本の民間団体の支援を受け、土壌再生事業の一環として菜種が栽培されている。

 副大臣は「チェルノブイリと福島の事故状況はやや異なるが、(農作物への影響など)共通点も多い」と述べ、ナロジチでの経験を参考にする考えを強調した。22日には同村を視察する。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110422-00000795-yom-soci

このほか、菜の花を植えることのほか、ひまわりも検討されているという記事も目にしました。

さて、知人の言葉「風評被害はその誤解を解いて食物を栽培し」という言葉に対して同意できなかった私ですが、「自給率向上」の点については間違いなく一番大切な部分だと思います。

仮に菜種を植えることになった場合、その休耕時に地元が得られる収入はどうなるのか気になります。

菜の花といえば、昨年の春にフランスに行った時、飛行機から眺めると黄色い畑がたくさん見えました。

これが何の畑であるか、上空からでは分らなかったものの、パリからシャルトルに向かう列車から外を眺めて、それが菜の花であることを知りました。

「フランスって、菜種栽培が盛んなの?※」(※フランスに住んでいた友人から、「それは(同じアブラナ科の)からし菜もあるのでは?」と指摘されました。)

その時はそう思った私でしたが、昨日、私が子供の頃、菜の花畑が家(都内)の周りにたくさんあったことを思い出し、実家の母に、

「今では畑自体が少なくなってしまったけど、今も周りの畑に菜の花が植わっている?」

と電話で確認。母からは以下の答えが帰ってきました。

「今はもう、菜の花にまでして土地を休ませているところはこの辺ではないんじゃない。次から次へと栽培しているでしょう。昔だって大地主の畑くらいでしょ、畑を遊ばせておけたのは。」

そう考えると、フランスの菜の花も、菜種のためだけでなく、土地を豊かにするためのものなのでしょうが(化学肥料を使えばそれは必要ない)、ここではその間農家は採算が合うようにできているのでしょう。

菜種で放射線除-(まだ検討段階ですし、)福島原発周辺のどの範囲の土地を対象にするのか、それから菜種はどの期間続けて植えることになるのかによって違うとは思いますが、発表をコロコロ変えたりして風評被害を作る原因を作り続けているより、政府は農林水産省ともっと提携して、地元農家、そして国民の安全、安心の為にも、力を注いで欲しいと思います。

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福島原発-技師、被災者に対する更なる暴挙

2011年04月22日 | 原発・核・311

産経新聞 (4211419分配信)から:

住民の健康を数十年調査へ 広島・長崎モデルに放射線研究機関

 東京電力福島第1原発事故で、放射線の専門研究機関でつくる「放射線影響研究機関協議会」が、原発周辺住民の健康状態をモニターする長期疫学調査をスタートさせる方針であることが21日、わかった。事故収束後に調査を始める予定で、広島、長崎での被爆者調査をモデルに数十年間にわたり調査を続ける。

 協議会は、放射線の健康への影響について情報交換しており、放射線医学総合研究所(放医研、千葉)、広島大学、長崎大学、放射線影響研究所(放影研、広島市)などで構成されている。

 長期にわたる放射線の人体への影響については、広島、長崎で昭和22年に米国が設置した原爆傷害調査委員会が健康調査を開始。昭和50年から放影研が引き継ぎ被爆者9万4千人を追跡調査している。これまでにがんの発症率などの膨大なデータは放射線リスク予測の基礎資料になっている。

 放影研によると、今回の福島第1原発事故に関連して、海外から調査の実施要請が、すでにあるという。

 大規模調査は、それぞれの自治体や医療機関が個別に小規模の調査を行うことを避け、調査方法や条件を統一してデータの精度を高める。被害が現在のレベルにとどまれば、低線量の放射線による健康への影響が主な調査対象となる。また、時間の経過とともに増える転居者を追跡するため、国や自治体に協力を求める方針という。

 放影研の大久保利晃理事長は「長期にわたる調査には、ノウハウだけでなく、被爆者の十分な理解が不可欠だった。放影研の経験が福島での調査でも生かせる」と話している。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110421-00000541-san-soci

416日のブログ“ウォール・ストリート・ジャーナルの『石炭は核よりも危ない』を読んで” http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20110416

のなかに、

「・・・また、「広島と長崎の研究」と聞くと、どうしても「原爆投下の目的の一つが、人体実験データが欲しかったのではないか」と言う疑惑が浮かんでしまいます。

化学や医療の進歩には、綺麗ごとばかり言っていられないとは分りつつ、原爆を落とされた広島、長崎、枯葉剤を使われたベトナム、劣化ウランを使われたイラン、イラク、アフガニスタン、核実験の土地(フランスは自国から離れた南太平洋で行っていました)から、スリーマイル、チェルノブイリ、今回の福島-人間もその他の生き物も自然も、これがデータとなっていくことに、もともとのきっかけが人間が起こしたもの、もしくは原因を作ったものであるが故に、非常に割り切れない思いが残ります。」

と書きましたが、こういう記事をこんなに早く目にするとは思ってもみませんでした。

しかも内容がまるでモルモットのことについて語っているよう。

(いずれ研究対象にされるだろうことは大人なら予測していたでしょうが、)現在、原発内の技師さん達、付近の住民や、現場で活動されている自衛隊や警察官はこれを読んでどんな思いでいられることか。

(それにしても、「放射能の危険性がよく分らない、研究が必要」というのなら、早期帰宅の安全目安って何でしょう?)

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「原発ルネッサンス」という掛け声

2011年04月21日 | 原発・核・311

Ecoolという、自然エネルギープロジェクト等を紹介しているサイトがあります。

http://www.ecool.jp/

このサイトを見ると、欧州に続けとばかりに、米国でも太陽熱プロジェクト等(太陽光発電ではなく、太陽熱発電で、24時間蓄電ができます)にも力を入れだしているのがわかります。

「「原発ルネッサンス」「原発がなければ駄目」というのは、これは単なる希望であって、世界的に見れば事実と若干異なっているのではないか?」と私は思っています。

もちろん、いくら自然エネルギー(太陽光、太陽熱、地熱、風力、波力、etc.)だと言ってっても人工的なものを作るのですから、「完全に自然に優しい」とは言えないでしょう。利点は、再生可能エネルギーとして、化石燃料を使わずCO2を(ほとんど)排出しないということ。

ですので、やはり自然に一番優しいのは「省エネ・無駄なものの排除=社会システム、生活の見直し」なのですが、一応ご参考までにサイトを覗いてみてください。

バックナンバーを見ると、日本の自然エネルギー関連記事が少ないことに気がつきます。また、欧州ではないのですが、46日の記事で、アラブ首長国連邦が国際再生可能エネルギー機関(IRENA)の本拠地に決定した記事があります。

http://www.ecool.jp/global_press/2011/04/uaeirena11-0406.html

この機関ができる当初、参加を渋っていた米国に追随して、日本も参加をしないと言っていました。(後に米国が参加することになり、日本も転換。)

なお余談ですが、上記記事に書いてあるマスダール、本家のムバダラ開発(政府出資)は、米国のGEと提携しています。

http://www.genewscenter.com/content/detailemail.aspx?newsareaid=2&releaseid=5531

また、自民党の河野太郎氏が自身のブログにIRENAについていくつか取り上げているようですので、一つのリンクを貼り付けます。

http://www.taro.org/2010/08/post-798.php

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“Maybe in Japan there is no discussion about nuclear energy?”

2011年04月21日 | 原発・核・311

この記事の書いてあることが正確なのかどうかはわかりませんが、ジャーナリズムというサイトで、「三菱重工が02年に開発していた原発レスキューロボットが、翌年「原発事故は絶対におきない」という小泉政権によって翌年廃棄された」という週刊新潮の記事が紹介されています。

http://voicevoice.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-c9a4.html

このレスキューロボットがあって、それを運転できる人がいたとしても、現在の福島原発で作業していた人達の変わりに仕事をする能力があったかどうかは不明ですが、同じように原発を作っているフランスなどがこうしたロボット開発もしていたのとあまりに対象的で、「民主国家といわれる日本、人間の命はそれほど大切にされていないのではないか」と思えてしまいます。

また、このロボットに関しては多くの人が知らないことだったかとは思いますが、この福島原発の危険がまだ去っていない現在も、「原発存続支持派」のみならず「原発促進派」が「脱原発支持派」を上回るという調査結果(操作されている可能性もありますが。)もあります。「人間の命」に関しての意識の低いのは政治家だけでないかもしれません。

そういえば、昨年11月にドイツの友人の一人がこんなことをメールに書いてきました。

“・・・In the end of the seventies/beginning of the eighties I was one of the demonstrators against the risky nuclear energy. I was always a peaceful demonstrator and disliked violence (although I watched some vilolent demonstrators and violent policemen).

<shapetype id="_x0000_t75" coordsize="21600,21600" o:spt="75" o:preferrelative="t" path="m@4@5l@4@11@9@11@9@5xe" filled="f" stroked="f"></shapetype><stroke joinstyle="miter"></stroke><formulas></formulas><f eqn="if lineDrawn pixelLineWidth 0"></f><f eqn="sum @0 1 0"></f><f eqn="sum 0 0 @1"></f><f eqn="prod @2 1 2"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelWidth"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @0 0 1"></f><f eqn="prod @6 1 2"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelWidth"></f><f eqn="sum @8 21600 0"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @10 21600 0"></f><path o:extrusionok="f" gradientshapeok="t" o:connecttype="rect"></path><lock v:ext="edit" aspectratio="t"></lock><shape id="_x0000_i1025" type="#_x0000_t75" style="WIDTH: 12pt; HEIGHT: 12pt"></shape>

Now the parliament (= German Bundetag) has decided. But often the “Federal Council of Germany” (= Bundesrat) has to be asked. The government thinks this is not necessaray but the federal states have a different view.  The government has no majority in this upper chamber! Maybe now the connstitutional court has to decide.

Maybe in Japan there is no discussion about nuclear energy? (Don´t be afraid: I can accept different views but I have my view and I am afraid of the risks). Have you ever heard of the city called “Gorleben”? There are plans to build a deep geological depository for the radioactive waste (in a salt deposit).

The waste comes from nuclear power plants in Germany  It was reprocessed in France (La Hague). The unusable remains are sent back to Germany. There are some facts that Gorleben is not a safe place for radioactive waste.

We now had nuclear tansports from France to Gorleben and there were a lot of protests along the railway where socalled CASTOR ( cask for storage and transport of radioactive material“) containers are transported.・・・”

(この友人は、若い頃から政治に関心がある人ですが、活動家になったことはありません。

彼以外の私の欧米の友人ほとんども、政治や国の歴史についての知識はごく当たり前にもち、問題意識も持っていて、この手の内容もよく書いてきます。)

メール内の彼の言葉、“Maybe in Japan there is no discussion about nuclear energy?(日本では原子力エネルギーについて議論されることはないのでしょう?)”に別に悪気はなかったのですが、これはまるで、「日本人は危ない原発に対する意識が低い=自然や人間の生命に対しての意識が低い」というレッテルを貼られているだろうことを、容易に想像させてくれた文言でした。

追記:最近、城南信用金庫や、ソフトバンクの孫社長が、脱原発を言葉だけで終わらせないように頑張ってくれています。

政治家より、政治家らしく思えます。

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「原子炉メーカーの製造物責任は問わず」というのが国際標準!?-2

2011年04月20日 | 原発・核・311

前回のブログで、韓国野原発事故について触れましたが、その関係の記事が本日のJBpressにありましたので、リンクを貼り付けます。

福島に怯える韓国、原発大国の野望に暗雲

急速に広がる反原発の声、古里1号機再稼働は無期延期

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5899

なお、記事に、「古里原発1号機は、韓国初の原発だ。米ウエスティングハウスが原子炉を、米ゼネラル・エレクトリック(GE)が発電機を建設し、1978年に運転を開始した。」と書いてあります。

おそらくこの原発がもし大きな事故を起こしたとしていたとしても、WH社もGE社も韓国から賠償を求められないということでしょう。

福島や数々の中小の原発事故を受けて、国民に原発反対者が増え、原発購入を考えていた国も今後は慎重にならざるを得ないと思いますが、それでも原発購入はしばらく減らないでしょう。せめて今後購入国が原発メーカー及び輸出国に製造物責任を問えるよう、契約書に盛り込むような動きが出てくることを望みます。

そうすれば、「前の原子炉はちょっと問題ありだったけど、今の原子炉は大丈夫」などと、まるで「旧タイプの洗剤では落ちなかった汚れが、新しい洗剤ではこんなにすっきり落ちます」と同じような語り口で言う原発関係者もいなくなるでしょう。

それにしても、前回のブログで紹介したコラム

http://www.westlawjapan.com/column/2011/110207/

を読んだりすると、IAEAの存在意義にますます疑問を感じます。国際機関が守るべきものは、最終的には地球と人間であるのではないかと思うのですが、どうも違って見えます。

(蛇足ですが、IAEA(国際原子力機関)他、IEA(国際エネルギー機関)、ITER(国際熱核融合実験炉機構)というエネルギー関係の国際機関のトップは現在すべて日本人であることを付け加えます。)

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「原子炉メーカーの製造物責任は問わず」というのが国際標準!?

2011年04月20日 | 原発・核・311

私「原子力発電を輸出して、人災・天災による事故の不具合、その後の技術的対応がうまくフォローできずに放射能漏れを起こした場合、その賠償はどうなると思う?

放射能汚染が酷くてその国の人的・経済に多大な被害を及ぼしたとしたら、下手したら戦争にも発展しそう。」

友人「まあ、戦争にはならないでしょうが、確実に国家賠償マターになりそうですね。」

私「最近のアメリカのワシントン州の原発での事故は人為的ミスだったけど、韓国の原発の場合は欠陥があって止めたみたい。韓国が作った原発だったのかどうか。

それにしても、今までだったら「危ない原発を作るな」と日本は言えたけど、もう言えなくなってしまったわ。」

・・・なんて話を今日友人としていましたが、賠償に関しての参考となるレポートがありましたので、貼り付けます。

http://www.westlawjapan.com/column/2011/110207/よりすべて貼り付け

原子炉メーカーの製造物責任 

(早稲田大学大学院法務研究室教授・弁護士 道垣内正人)

メーカーにとって製造物責任は大きなリスクである。しかし、原子力損害の賠償に関する法律43項は、「原子炉の運転等により生じた原子力損害については、・・・製造物責任法 (平成六年法律第八十五号)の規定は、適用しない。」と定めている。原子力事故の場合の責任主体は原子力事業者(電力会社等)だけであって、原子炉メーカーは責任を負わないのである。 これは責任集中と呼ばれる。

なぜ、原子炉メーカーは製造物責任法の適用除外を受けているのであろうか。それは、日本がアメリカから原子力関連技術の供与を受け、原子力発電事業を始める際にアメリカから提示された条件のひとつだったからである。アメリカの原子炉メーカーとしては、原子炉設備の瑕疵による事故が万一起これば巨額の賠償責任を負うことになりかねず、そのようなリスクを負うことはできないというビジネス判断をしたのである。 

アメリカの技術をもとにして原子力発電を始めた国々は、原子力事故の民事責任についてはほぼ同一の法制となっており、それらの国の間では原子炉メーカーの製造物責任は問わないというルールが国際標準となっている。

1986年、チェルノブイリ原子力発電所事故が発生した。ソ連時代に発生した事故であるから、死の灰の飛散により西側諸国の酪農家等が被った損害についてソ連が何らの賠償をしなかったことは不当とはいえ、当時はいかんともしがたいことであった。ソ連の崩壊後、ドイツはロシア型原子炉の危険性を理由として、旧東ドイツの原子力発電所をすべて停止したが、ロシア・東欧の多くの国は主要なエネルギー源として原子炉を稼働し続けた。これをめぐって、上記の問題がクローズアップされた。すなわち、それらの国の多くは製造物責任の特則を設けていないため、西側のメーカーは、ロシア型原子炉の補修工事を受注することによって生ずるリスクを回避したのである。 

IAEAは国境を越える原子力事故に備える様々な法的対応をとったが、そのひとつとして、1997年に「原子力損害の補完的補償に関する条約(CSC)」を作成した。CSCは、責任集中のほか、無過失責任、一定額以上の賠償措置(責任保険、国の措置等による)等を定める法制を有している国が締約国となることができ、締約国で原子力事故が発生した場合には、原則として事故発生国のみが裁判管轄を有することとするとともに、国際基金から一定額が賠償資金として提供されるという仕組みを定めるものである。ロシア・東欧のほか、新たに原子力発電を始めようとする国々に国際基金というバックアップを提供する代わりに、国際標準の原子力損害賠償法制を作ってもらおうというわけである。そのため、CSCは原子力ルネサンスを謳歌して設備の輸出を積極的に行おうとする原子炉メーカー、その多くを擁する日本のためのものであると言われている。

もし、国際標準の原子力損害賠償法制を有していないA国に日本の原子炉メーカーYが設備を輸出し、同国の電力会社Bが発電中にY製設備の瑕疵により原子力事故が発生した場合、A国居住者を中心とする被害者Xらは、日本の裁判所においてYを被告として損害賠償請求訴訟を提起することになろう。この場合、日本は被告住所地国であるので、日本の裁判所は国際裁判管轄を認め、本案の審理に入る。そして、国際私法によれば事故の発生地であるA国法が準拠法となり、同法には通常の民事責任法しかないとすれば、Yは倒産リスクにさらされることになる。

これに対して、もしA国も日本もCSCの締約国になっていれば、裁判管轄は事故発生国に限定されるので、Xらが日本で提訴してもその訴えは却下され、A国で請求するほかない。そして、責任集中を定めるA国法により、A国の電力会社Bにのみ賠償責任があり(A国法上、Bは原子力損害賠償のための責任保険等の措置をとっているはずであり、それに加え、その賠償能力を補うため国際基金から一定額の拠出がされる)、Yに対する請求は認められない。 

最近、ベトナムに対する日本からの原子炉の輸出が決まったという報道に接し、日本は進んでCSCを批准するとともに、その世界各国での批准を推進する役割を果たすべき時期に来たのではないかと思う。 (なお、ロシアは現在、責任集中等を定めるIAEAの古い条約の締約国となっている。他方、アメリカ等4ヵ国がCSCをすでに批准しているものの、発効要件である5ヵ国に達せず、CSCは未発効である。) 

(掲載日 201127日)

それにしても、「危険物なのに、売る側に製造物責任を負わせない」というのがスタンダードになってしまっているというのは、これは普通の感覚では理解できません。

(このおかげで、福島の欠陥品といわれる原子炉Mark Iを設計したGEはつつかれないのでしょうね。米国に対してもどの国も文句は言わないだろうし。)

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東電の株主を気にする前にすべきこと

2011年04月19日 | 原発・核・311

ウォール・ストリート・ジャーナル日本版 (2011419)

[オピニオン]東電は必要なら破綻も-電力会社は銀行ではない』

http://jp.wsj.com/Japan/node_224798

より、冒頭と末尾を貼り付けます。(本文すべてはリンクからどうぞ。)

 福島第1原子力発電所の危機収束に苦闘する日本政府にとって、対応を迫られている課題がもう一つある。福島第1や場合によっては他の原発も含む廃炉費用や原発危機の被害者に対する補償費用を東京電力がどのように調達するのかという問題だ。 

 東電の株主や債権者は、不透明なコストが巨額に膨れ上がるのを恐れ、神経質になっている。報道によると、金融市場の鎮静を図るため日本政府は東電の救済を検討している。だが、それは最悪の選択肢だ。むしろ必要とあらば東電を破綻(はたん)に直面させるべきだ。 

 報道では、政府が後ろ盾となって保険機構を創設し、機構に補償金と廃炉費用の支払いを肩代わりさせる案が検討されている。代わりに東電は政府に優先株を発行し、その配当で長期間かけて政府に返済を行う。 

(中略)

日本政府は、東電を銀行ではなく、元世界最大手のエネルギー取引会社、米エンロンと同様に考えるべきだ。エンロンは誤った経営判断で会社を危険に陥れ、その結果破綻に追い込まれたことで知られている。同社の破綻は混乱を引き起こしたが、システム全体を不安定化させることはなかった。

 東電は重要な日本企業だ。だが、通常の企業に課された法律を免れるほど重要ではない。 

さて、これはこれで仕方がないのかもしれませんが、どうも政府が今一番気になっていることは『東電の株主や債権者』であるのではないか、と思えるときが度々あります。

先日、菅首相が福島第一原発の近隣の住民である避難者に向かって、「10年、20年帰れない、と言った、言わない」の騒ぎがありましたが、その件につき菅首相がどう言ったかはわかりませんが、彼は本当にそう思っていると私は思っています。

これは酷なようですが、住民が戻れるようになるのは、10年、20年先になると思う人は多く、そもそもその時期がもっと短いのか長いのか、現状では誰もわからないはず。

住民達にすぐ帰れる見込みがないのに、「数ヶ月の辛抱で、戻れるようになりますよ。」と無責任に希望を持たせたり、「半年で帰れます、と先に約束したから」「住民達が帰りたいと言っているから」といって、放射線濃度が高いうちに家に帰すことになるより、むしろ今「10年、20年帰れないかもしれない」と言うことの方が誠実であったと思えます。

結果、この言葉は菅首相や枝野官房長官によって撤回されたわけですが、何故これを撤回しなければならなかったのか。

それはもちろん、期間に根拠がなかったこともありますし、住民達から反発を受けたから、ということもあるでしょう。

でも実は、「10年、20年の長期にわたり帰れない」などと首相が今言ってしまったら、東電や政府が住民達に直ちに『補償』を求められるから、誰かが「待った」をかけたような気がします。

現在、原発事故に関して政府が最優先にすべきことは、福島原発の近隣の住民、そして放射能汚染・風評被害で作物や魚が売れなくなった農家や漁業関係者等への(補償を含めた具体的)ビジョン。

それが、何故か先延ばし、うやむやにされているように感じます。

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