Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

映画『ソーシャルネットワーク』・マーク・ザッカーバーグとローレンス・サマーズそしてジェフリー・エプスタイン

2021年03月29日 | 芸術・本・映画・TV・音楽

先月書いた記事

ジェフリー・エプスタイン~レス・ウエクスナー~ビクトリア・シークレットの創設者ロイ・レイモンド - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

で触れた映画『ソーシャルネットワーク』が現在GYAOで配信されています。(4月9日まで)

ソーシャル・ネットワーク 【字幕版】 | 映画 | 無料動画GYAO! (yahoo.co.jp)

2003年。ハーバード大学に通う19歳の学生マーク・ザッカーバーグは、親友のエドゥアルド・サヴェリンとともにある計画を立てる。それは友達を増やすため、大学内の出来事を自由に語りあえるサイトを作ろうというもの。閉ざされた“ハーバード”というエリート階級社会で、「自分をみくびった女子学生を振り向かせたい」―そんな若者らしい動機から始まった彼らの小さな計画は、いつしか思いもよらぬ大きな潮流の最中へと彼らを導く。IT界の伝説ナップスター創設者のショーン・パーカーとの出会い、そして、社会現象を巻き起こすほどの巨大サイトへの成長。一躍時代の寵児となった彼らは、若くして億万長者へと成り上がっていく。と同時に、最初の理想とは大きくかけ離れた孤独な場所にいる自分たちに気づくが―。

 

映画を観始めてすぐ、マーク・ザッカーバーグがフェイスブックを作りだしたときのハーバード大学の学長が、ローレンス・サマーズでったことに気が付きました。映画の中盤頃に、後にザッカーバーグと訴訟をすることになるキャメロンとタイラー・ウィンクルボス兄弟(双子)がザッカーバーグの不正行為を直訴しに行く場面に登場します。

映画では知性の欠片さえなさそうな学長が双子を追い払う場面がのみ出てきますが、マーク・ザッカーバーグにはこの時点でローレンス・サマーズの後ろ盾があったのではないでしょうか。

サマーズは、ジェフリー・エプスタインと親しく、ジェフリー・エプスタインはITの起業家などに寄付をしてきました。

そして、ジェフリー・エプスタインとサマーズはシオニスト人脈につながります。エプスタインとザッカーバーグ始め、IT起業家たち(特にユダヤ系)とエプスタインの繋がりは買春問題などが問われてうやむやになっていますが、実はフェイスブックのような情報が、シオニスト団体に流れていることもあったのではないか、そう思えてきます。

ジェフリー・エプスタインとローレンス・サマーズ - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

ジェフリー・エプスタインのユダヤ人(シオニスト)人脈-1 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

ジェフリー・エプスタインのユダヤ人(シオニスト)人脈-2 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

ジェフリー・エプスタインは児童買春以前の1980年代から負うべき - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

ついでに昨日書いた記事も間接的に関係しているかもしれないので-

ナチスドイツとホロコースト-5(ノーマン・フィンケルスタイン「ホロコースト産業」・プリーモ・レーヴィ)) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

映画の始まりに「(元ガールフレンドの)”ビクトリアシークレット”のブラ」のという単語を出したのは、これがキーワードとなっていたからでしょうか。

映画でショーン・パーカーは「ゴールデンゲートの海峡の水はメチャ冷たいぞ」と言っていますが、ぞっとします。(本当に彼が言ったのか、原作本の脚色か。)

この映画はエドゥアルド・サベリンを一番まともな人物に、マーク・ザッカーバーグはアスペルガー的な男と描きつつも最後にはを好意的にとらえ、結果的に一番の悪者はショーン・パーカーという様に描いていますが、いずれにしてもマーク・ザッカーバーグが許可してできた映画ですからね。

映画に少しだけ出てくるビル・ゲイツやピーター・ティールは、ザッカーバーグにとっての恩人なんでしょう。

映画では、フェイスブックを盗用として訴えましたウェルクルボス兄弟のことも描いていますが、Myspaceのトム・アンダーソンはなぜなにもいわなかったんでしょうか。
MySpaceの創始者は14歳で世間を騒がせたスーパーハッカーだった:らばQ (labaq.com)

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ナチスドイツとホロコースト-5(ノーマン・フィンケルスタイン「ホロコースト産業」・プリーモ・レーヴィ))

2021年03月29日 | ナチスドイツとホロコースト・ホロコースト産業

前回紹介させてもらった『ホロコースト』の動画でオープニングだけでもよければ見てください。

Holocaust : episode 1 of 5 (TV-serie 1978) - YouTube

暗く悲しいテーマミュージックの最後の方に、燃やされるダビデの星の映像。

元々は「古代ユダヤ教の祭事で獣を丸焼きにして神前に供える犠牲、「丸焼きの供物」、すなわち元来はユダヤ教の宗教用語にあたる 燔祭」であるのに、ナチスドイツの行為にに「ホロコースト」と使う様にしてしまったこのドラマは、実はユダヤ教徒にとって最大の侮辱であった、ということに今更ながら気が付きました。

 

先日の記事

ナチスドイツとホロコースト-3(セントルイス号の真実・ラウル・ヒルバーグ) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

の末尾に「メモ」として残しておいたリンクがあります。

「メモ:

ノーマン・フィンケルスタイン - Wikipedia

Norman Finkelstein - Wikipedia

ノーマン・フィンケルシュタインのシオニズム批判 (s-cat.ne.jp)

「味方がないのに真実を訴えるのは、学者として途方もない勇気がいる」 ホロコースト産業を批判するフィンケルスタイン教授に圧力 | Democracy Now!

ラウル・ヒルバークとともに「ホロコースト研究」をしてきているノーマン・フィンケルスタインは、「ホロコースト産業」という言葉を使います。

2000年6月に出版された彼の『ホロコースト産業』の目次を、上記の「ノーマン・フィルケルスタインのシオニズム批判(s-cat.ne.jp)」([ヘブライの館」さん)から引用させてもらいます。

イデオロギー兵器としてのザ・ホロコースト
◆ 戦後のある時期までホロコーストは注意を払われなかった
◆ 第三次中東戦争(1967年)が全てを変えた
◆ アメリカで“突然流行”し組織化されていったホロコーストの話題
◆ イスラエルが資産になった途端にシオニストに生まれ変わったユダヤ人
◆ ユダヤ人の選民意識を強化したザ・ホロコースト
◆ アラブにナチズムの汚名を着せようとするシオニスト
◆ でっち上げられたホロコースト否定論というお化け
◆ 年々水増しされる「生存するホロコースト生還者」の数
◆ スイスの次はドイツに対するゆすりが始まった
◆ 和解金のうちわずかしかホロコースト生還者・相続者には支払われない
◆ 生還者たちが死んでいくなかで更に多くの金がホロコースト産業の金庫に流れ込む
◆ 民主党の大統領選挙資金の約半分は「ユダヤ・マネー」
◆ 歴史的事実を発見するためではなく金が目当て
◆ スイスの銀行による和解案受け入れは正義ではなくゆすりの勝利だ
◆ なぜホロコースト産業はフランスの銀行には比較的好意的なのか
◆ ドイツは50年代以降、ホロコースト生還者に600億ドル以上支払ってきた
◆ 貪欲なホロコースト産業の要求はとどまるところを知らない
◆ 彼らの主張──ナチスの大虐殺を忘れるな、ただし他の大虐殺は全て忘れよ
◆ これまでアメリカは「過去の責任」について自身と直面したことがない
◆ アメリカ政府は過去115年間にわたり1372億ドルもだまし取ってきた

 

1987年プリーモ・レーヴィがアパートから転落して亡くなりました。(自殺説が濃厚のようですが、遺書はありません。事故の可能性は触れられても、他殺は触れられません。)彼の周りの著名なイタリア系ユダヤ人の何人かが彼より前に自殺しています。

プリーモ・レーヴィ自身の本だったか、彼の研究者が書いたものだったかは覚えていませんが、この自殺者のことを、プリーモ・レーヴィは「自分だけ生き残ったことへの呵責からの自殺」と取っていたということを読んだことがあります。

プリーモ・レーヴィ - Wikipedia

アウシュビッツ強制収容所の生き残りとして体験談をしても、最初はドイツでもイタリアでも信じてもらえずにいたプリーモ・レーヴ。努力が実ったと思っていたところで、実は「ホロコースト産業」の様なものが出来つ上がり、政治的にも利用されているのに気が付いていた彼は、自分がしてきたことまでも利用されているような気持地になっていたかもしれません。

参考:

トリノの作家、プリーモ・レーヴィが残した宿題 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

ヴィクトール・フランクルとプリーモ・レーヴィ、アウシュビッツと原発 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

プリーモ・レーヴィのSoul mateだったドイツ人女性とアルベルト・シュペーア - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

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ナチスドイツとホロコースト-4(「ホロコースト」という言葉・1978年米国ミニシリーズ『ホロコースト』)

2021年03月28日 | ナチスドイツとホロコースト・ホロコースト産業

さて、今、「ホロコースト」が何を指すのかわからない日本人もいないと思います。

私が一番最初にこの言葉をきいたのは、1978年のアメリカドラマシリーズ、『ホロコースト』で。

『アンネの日記』を読んだのは、小4のころだったと思いますが、人間が本当にこんなことをするのだろうか、と他の強制収容所『マーシャの日記』『夜と霧』も読むほどだった私は当時、「英語で翻訳できないので、日本でこの言葉がつかわれてないだけだったのか?」と思っていました。。

今、再販されているこれらの本の表題や解説には「ホロコースト」という言葉が使われているものがあるようですが、当時の本にはその言葉はありませんでした。

そもそもホロコーストという言葉はいつからでてきたのかと思って改めて調べてみると、ウィキペディアにある説明は

ホロコースト - Wikipedia

抜粋:

ホロコーストは「全部 (ὅλος[注釈 1])」、「焼く (καυστός[注釈 2])」に由来するギリシア語「ὁλόκαυστον[注釈 3]」を語源とし[9]、ラテン語「holocaustum」からフランス語「holocauste」を経由して英語に入った語であり、元来は、古代ユダヤ教の祭事で獣を丸焼きにして神前に供える犠牲、「丸焼きの供物」、すなわち元来はユダヤ教の宗教用語にあたる 燔祭を意味していた[9][10][注釈 4]。こうしたことから殉教のための犠牲をも意味するようになり[9]、転じて火災による大虐殺、大破壊、全滅を意味するようになった[11]。英語では、ユダヤ人虐殺に対しては定冠詞をつけて固有名詞 (The Holocaust) とし、その他の用法を普通名詞 (holocaust) として区別している。例えばアルフレッド・ヒッチコックの映画『北北西に進路を取れ』では劇中タンクローリーの炎上事故を伝える新聞の見出しで「Holocaust」という言葉が使われていた。日本では永井隆が長崎への原爆投下を「神の大きな御摂理によってもたらされた」とし、原爆投下を「大いなる燔祭(ホロコースト)」と解釈したこと[12]が論評されている(浦上燔祭説参照)。

ジェノサイドからホロコーストへ

ナチスによるユダヤ人大量殺害を意味するようになったのは、大戦中から大戦後しばらくの間、ユダヤ人の間で、「ドイツはユダヤ人を生きたまま火の中に投げ入れて焼き殺している」との言説が広く信じられたことを起源に持ち[13]、エリ・ヴィーゼルが使い始めたと言われるが、ヴィーゼルはのちに撤回したがっていたと言われる[14]。英語圏では「ジェノサイド」などが用語として一般的であったが、1978年アメリカで放映されたテレビドラマ『ホロコースト』[注釈 5]によって流行語となり、「ユダヤ人大虐殺」を表す言葉として普及した。また、この作品がドイツを含む多くの国々で放送された結果、第二次世界大戦中のドイツによるユダヤ人迫害、特に民族絶滅政策の実行の過程を「ホロコースト」と呼ぶことが定着した。『夜と霧』などの戦争直後に出版された書籍に「ホロコースト」という語が見られないのは、こうした事情による。

と書いてありました。

 

ミニシリーズの『ホロコースト』の動画と英語版ウィキペディアはこちら。

Holocaust : episode 1 of 5 (TV-serie 1978) - YouTube

Holocaust (miniseries) - Wikipedia

ミニシリーズのドラマには、若い頃のメリル・ストリープが大きな役で出演しています。他、ティモシー・ボトムズの弟のジョセフ・ボトムズや、ジェームズ・ウッズ。
ちょうど、『さすらいの航海』に出演している、サム・ワナメーカーも出演しています。

メリル・ストリープはこのドラマではユダヤ人画家(ジェームズ・ウッズ)の非ユダヤ人の妻役。

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ナチスドイツとホロコースト-3(セントルイス号の真実・ラウル・ヒルバーグ)

2021年03月26日 | ナチスドイツとホロコースト・ホロコースト産業

※2021年4月24日追記:

なぜかアップデートの時間が『ナチスドイツとホロコースト-2』『〜3』が同時間(秒まで同じ)になってしまっている為、記事の順番が逆にでたり、どちらかが読めなくなったりします(記事『〜1』の次が『〜2』、その次が『〜4』になったり、記事『〜4』の前の記事が『〜3』、その前が『〜1』になったりします。)

『ナチスドイツとホロコースト-2』が出てこない場合は、カテゴリー『ナチスドイツとホロコースト、ホロコースト産業』として開いて記事を拾うか、『2021年3月26日』の記事を選択してください。

前回、映画『さすらいの航海』とセントルイス号のことを書きましたが、映画でも、一般的にも信じられている、『セントルイス号の乗客のほとんどがホロコーストの犠牲になった」ということですが、英語版のウィキペディアには、

MS St. Louis - Wikipedia

抜粋:

Based on the survival rates for Jews in various countries during the war and deportations, historians have estimated that 180 of St. Louis refugees in France, 152 of those in Belgium and 60 of those in the Netherlands survived the Holocos. Including the passengers who landed in England, of the original 936 refugees (one man died during the voyage), roughly 709 survived the war and 227 died. Later research tracing each passenger has determined that 254 [29.2 percent] of those who returned to continental Europe were murdered during the Holocaust.

歴史家は180人がフランスに、152名がベルギーへ、60名がオランダにわたり生き残り、イギリスの渡った難民を含めると、大まかで936名の乗客のうち709名が生き残り、227名が亡くなったと推定。後の研究によると、ヨーロッパ大陸に戻った難民でホロコーストで亡くなったのは254名と判明した、ということが書いてあります。

命が助かったとしても、ほとんどが強制収容所送りになったのであれば、「犠牲者数」の数はもちろん増えますが、それでも「乗客のほとんどがホロコーストで亡くなった」とするのは、映画(原作も?)は脚色してあった、ということになります。

 

また、この映画では「ナチスドイツがユダヤ難民を出国させたのは、世界でユダヤ人が嫌われているのを知らせようとしたプロパガンダ」ということを言っています。

そもそも「ナチスドイツは最初の頃からユダヤ人を絶滅しようと思っていたわけでないので、セントルイス号はその前からユダヤ人をドイツから出国させていたのではないか?」と私は疑問をもっているのですが、これは調べられません。

ただ、たまたまこの事件のことを調べているとき、フランスからセントルイス号の目的地だったキューバにわたったユダヤ系オーストリア人がいることに気づきました。

ラウル・ヒルバーグ - Wikipedia

ヒルバーグは、自らの親族の多くをホロコーストで亡くしましたが、(ヒルバークは「ホロコースト」という言葉を使うことに批判的でした。)、私情を交えることなく、ホロコーストを分析しました。

抜粋:

ナチズム研究では、ユダヤ人絶滅政策におけるヒトラーの意図を重視する「意図主義 Intentionalism」と、独ソ戦以降の特異な状況の中で部分的な絶滅作戦が、徐々に全面的なものへとエスカレートしていったとする「機能主義 Functionalism」の立場がある。ヒルバーグは、ヒトラーをユダヤ人絶滅への推進力として前提としているので「意図主義者」と考えられる。しかし、ヒルバーグの描く「絶滅過程」は、一ドイツ人の悪意によって一挙に創造されたものではない。官僚たちはユダヤ人たちを「憎悪」してはいなかった。ヒルバーグの示す絶滅過程での現場の状況では、4つの権力集団は自分たちの決断がどこに導くかを知らないまま独自に行動し、ある時には互いの仕事をさえぎり、ある時には調整し合い、前人未踏の犯罪へと邁進していく。これは「機能主義」による解釈に酷似している。ここでの主犯は一人ではなく、ドイツ官僚全体に及ぶ。

さらにヒルバーグは、(1)ユダヤ人の絶滅は「国策」であり、ドイツ全体が国を挙げて荷担した事業である、(2)ドイツ人が行政面で通達に従順にしたがうユダヤ人に頼り、ユダヤ人は自らの絶滅の共謀者になった、という2つの重大な指摘を行い、特に後者の結論を譲らなかったことで論争を招く。これはヒルバーグがユダヤ人評議会をドイツ官僚機構の延長ととらえていたことからして、不可避の結論だった。さらに進んで彼は「神・王・法律・契約を信頼するユダヤ人の伝統」に言及しないわけにいかなかったし、「経済的に利用価値のあるものを遂行者が破壊することはあるまいというユダヤ人の計算」についても熟考しないわけにいかなかった。ヒルバーグは、いち早く難を逃れた安全なアメリカからユダヤ人評議会の「加害責任」を問うたことで糾弾される。

彼のことは、英語版ウィキペディアに詳しく書かれています。

Raul Hilberg - Wikipedia

 

メモ:

ノーマン・フィンケルスタイン - Wikipedia

Norman Finkelstein - Wikipedia

ノーマン・フィンケルシュタインのシオニズム批判 (s-cat.ne.jp)

「味方がないのに真実を訴えるのは、学者として途方もない勇気がいる」 ホロコースト産業を批判するフィンケルスタイン教授に圧力 | Democracy Now!

 

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ナチスドイツとホロコースト-2(セントルイス号『さすらいの航海』)

2021年03月26日 | ナチスドイツとホロコースト・ホロコースト産業

アレン・ギンズバーグを描いた『キル・ユア・ダーリン』で知る第二次世界大戦中のアメリカ - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

にも書きましたが、アレン・ギンズバーグのような人がユダヤ人協会の援助でお気楽に大学にいっていた数年前にあった事件を描いた、197『さすらいの航海』というアメリカ映画がありました。

Voyage of the Damned (1976) - YouTube

さすらいの航海 - Wikipedia

これは、1939年5月に起こった実際の事件を元にしたものですが、映画も事件もあまり有名にはなっていないかと思います。
知られたとしても、「ユダヤ人の悲劇」の一つのエピソードとしてであり、「ナチスドイツを非難してきた国」がしてきた行いとしてスポットライトを当てることはないのではないでしょうか。

MS St. Louis - Wikipedia

 

2017年1月の、佐藤仁氏の記事を書かれていますが、この記事の中からに『ホロコースト全史』(マイケル・ベーレンバウム著、芝健介監修)の抜粋を引用させてもらいます。

ホロコーストの悲劇、米国に入国拒否された「セントルイス号」乗客のユダヤ人の運命を辿ったツイート(佐藤仁) - 個人 - Yahoo!ニュース

セントルイス号は、ハンブルグとアメリカを結ぶ豪華船だった。1939年5月13日、セントルイス号は936名の乗客を乗せて、ドイツからキューバに向かった。6人を除いて乗客の全員がユダヤ人だった。「水晶の夜」以来、何十万人ものユダヤ人がドイツを出国する方法を探している中で、彼らは幸運だと羨ましがれ、数日のうちに自由の地を踏めるものと思われた。

ハバナ入港が間近になると、乗客たちの多くはドイツにいる親戚たちに「無事についた」という電報を打った。だが5月27日にセントルイス号が港に入ると、キューバ政府はビザ発行を拒否した。船がドイツを出航する前日、キューバ大統領は、乗客のキューバ上陸許可を取り消していたのである。この事実は船会社には伝えられていたが、セントルイス号の船長の耳にまでは入っていなかった。

入国するには乗客1名につき500ドルの分担金が要求された。しかし船がハバナ港に接岸すると、分担金の総額は100万ドルに跳ね上がった。海外のユダヤ人の救援と社会復帰を助けることを目的としたユダヤ人組織、アメリカ・ユダヤ人合同配置委員会はジレンマに陥った。900人のユダヤ人のためにそれほど莫大な身代金を払うという前例を作れば、他国の政府も同程度かそれ以上の現金を要求してくる恐れがあったからである。ユダヤ人と非ユダヤ人の双方から要求をのむようにという圧力がかかる中で、合同配置委員会は交渉を続け、新聞、ラジオは乗客の運命を連日のように報道した。

緊急の誓願がアメリカ国務省に提出されたが、国務省は干渉しないことを決めた。乗客たちはルーズベルト大統領に電報を打ったが、返答はなく、ホワイトハウスも難民問題について沈黙を守った。ニューヨークでは合同配置委員会がコロンビア、チリ、パラグアイ、アルゼンチンから思わしくない返答を受け取っていた。

6月5日、24時間以内に453,000ドルを支払えばキューバに難民を上陸させるという申し出もあった。だが合同配置委員会は24時間以内にそれだけの金額は用意できなかった。結局セントルイス号はハバナを去り、ドイツ人船長グスタフ・シュレーダーは合衆国に対して寄港を要請したが、努力は徒労に終わった。船はマイアミの明かりを見ながら、フロリダの海岸沿いを航行した。

そして合衆国海岸警備隊が海に飛び込んで密入国する者が出ないかと監視する中、セントルイス号はヨーロッパに戻った。船内では自殺者が出ることを防ぐためにパトロールが行われていた。その後、セントルイス号の悲劇は一転して幸福な結末を迎えたかに見えた。ベルギー、オランダ、イギリス、フランスが乗客を受け入れたのである。だがその数か月後、ナチは西ヨーロッパの諸国を占領した。このためセントルイス号の乗客のうちホロコーストを免れたのはイギリスに上陸した288名だけであり、その他の乗客で終戦まで生き延びた人はほとんどいなかった。

 

追記:

『さすらいの航海』のあらすじで詳しく書かかれたものが嘗てネットでみたことがあったのですが、今は見つかりません。

こちらはそれを探しているときに見つけたものですが、

オールスター映画の「さすらいの航海」(1976)は、2時間38分版でも“短縮版”? | mixiユーザー(id:6327611)の日記

2時間38分版がカットバージョンだとしたら、アメリカなどの面目がたつようにユダヤ人受け入れを自分達で決断したように変更しているのでしょうかね。原作を読みたいです。

抜粋:

僕が今回見たバージョンは2時間38分ありました。しかし僕が初めて手にしたマグネチック・ビデオ社のベータ・テープは2本組で、3時間と少しあったと記憶しています。この3時間版が日本語版で存在したと思うのですが、僕の手元にはありません。2枚のDVD-Rに録画したものがありますが、後半には、いまおかしんじ監督の「みだれ妻」(63分)が入っているから、3時間以内だと思う。

今回の展開は、船を座礁させようとしたところに無電で情報が入り、オランダ、ベルギー、イギリスなど各国が、セントルイス号を受け入れるという結末でした。しかし僕の記憶では、ナチの恫喝に手を出せない各国に対し、船長が独断で船を座礁させて、人道的見地からイギリスに上陸を認めさせる”という展開だったと思うのです。僕の記憶の結末の方が、圧倒的に意味があると思う。危機一髪で各国が手助けしたなんて、政治家たちを安心させるだけじゃんか。

 

2021年4月24日追記:

ブログ記事の投稿日時が秒単位まで2本同時になっているため(いつ変わったのかは不明)、次のブログが『ナチスドイツとホロコースト-3』ではなく、『〜4』になっていたり、カテゴリーや日にちで検索した場合、『〜2』と『〜3』が逆に並んでいたりします。

ナチスドイツとホロコースト-2と3の不思議な現象 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

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ナチスドイツとホロコースト-1(歴史は時に真実を隠す)

2021年03月26日 | ナチスドイツとホロコースト・ホロコースト産業

前回

ヒトラーとゲーリングはユダヤ人嫌いではなかったのでは? - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

を書きましたが、歴史や伝記は「都合の悪いこと、辻褄が合わなくなることは触れず」なのだ、と思います。

伝記に関しては、80年代に映画『アマデウス』でモーツアルトのハチャメチャぶりが描かれたときから、
アマデウス (映画) - Wikipedia

『世界の偉人全集』に決まってはいっていた、エジソンや野口英世などの実像もわかるようになりました。

しかし、歴史の主流は相変わらず、強いものに都合よく、単純化させて後世のものに覚えさていきます。

 

2009年にドイツの友人とのやりとりを書きました。

ドイツ人が考える日本のタブー - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

「ドイツの日本のガイドブックに、「日本人に南京大虐殺の話はタブー」って書いてあるけど、僕達“gaijin”はそれを受け入れるべき?」

ドイツ人の友人トーマスさんから先日こんな質問を受けました。

実は、この質問の前に私達が話題にしていたのはドイツ(他周辺国)にある『ホロコースト否認を禁じる法律』。

トーマスさんは、「ホロコースト否認論者はネオナチで、言論の自由の問題はあるにしても、例外的にこの法律は必要。」と言います。

これに対して私は、「法律のあるなしに関係なく、人に人種差別の気持ちがある限りネオナチはいくらでも出てくる。それに第二次世界大戦のこの悲劇は、ナチスやドイツだけでなく、欧米の他の国にも原因はある。この法律があることによって、他の国が自分達も実はユダヤ人(およびロマ人や同性愛者等)絶滅について間接的加害者の部分があったということから目をそらしてしまう。よって、法律は反対。」という意見。

また、こうした法律が及ばない日本でも、1995年に「ナチスドイツがユダヤ人を差別・迫害したことは事実でも、彼らを絶滅しようとしていたという証拠がない」「ガス室は捏造」という記事を掲載した雑誌『マルコポーロ』が廃刊に追い込まれた事件がありました。これはユダヤ人団体の圧力によるものですが、ユダヤ人の悲劇に同情する私でも、この事件には疑問を感じずにはいられませんでした。

とはいえ、私が問題にしているのは、「言論の自由が脅かされる法律はいけない」ということの前に、「法律があっても人の心まで規制できない」ということが一番。これにはトーマスさんも納得してくれました。

(後略)

私はネオナチでもないし、ホロコースト否認者でもないですが、ナチスやホロコーストに関してはシオニスト側の言い分だけで解明していくことには疑問を感じます。

2016年9月15日のシノドスのこのような記事がありました。

2016年当時、このテレビドキュメンタリー『ホロコースト』はドイツの人やシオニストたちにどう受け取られたのでしょうか。

 

時間の経過がもたらしたホロコーストの重層的なとらえ方――ドイツ映画を手掛かりに / 齊藤公輔 / 文化科学 | SYNODOS -シノドス-

ここでさらに年月を遡り、2000年代と1980年代のメディア作品に焦点を当ててみたい。2000年公開のテレビドキュメンタリー『ホロコースト』(Holokaust)と、1985年公開の映画『ショアー』(Shoah)である。

いずれもホロコーストを生き延びたユダヤ人やホロコーストに関わったドイツ人たちによる証言によって構成された作品であり、強制収容所で行われた大量虐殺の実情を伝える資料として非常に貴重なものである。西暦2000年は戦後55年に、1985年は戦後40年にあたり、いずれもホロコースト体験者や目撃者がまだ多く存命であったことは間違いない。

しかしこの時からすでに、両者におけるホロコーストの「語り」に差異があることが観察される。特にホロコーストの加害者であるドイツ人と被害者であるユダヤ人の描かれ方が、この2つのメディア作品では決定的に異なっている。以下ではまずドイツ人描写について概観する。

『ショアー』ではドイツ人をわずかでも肯定的に評価する証言は皆無である。例としてジャーナリストおよび作家であるベルリン生まれのユダヤ人インゲ・ドイチュクローン(Inge Deutschkron)の証言を取り上げる。彼女は第二次世界大戦当時ベルリンに潜伏することでホロコーストを生き延びた過去をもっている。

I・ドイチュクローンは『ショアー』の中で、戦後に「ホロコーストを知らなかった」と弁解しはじめたドイツ人を厳しく批判するとともに、潜伏時代を振り返り「すっかり孤独になった」「人間らしい温かみが、身の回りから、消え去りました」と潜伏期間中を独りで乗り切った印象を与える証言をしている。

一方『ホロコースト』の中で彼女は、1942年末にユダヤ人がガスで殺されているという”うわさ”話があったことのみを証言している。ここに、『ショアー』と『ホロコースト』のあいだにある証言の隔たりを読み取ることができる。この両者におけるドイツ人描写の隔たりは、先述した『ホロコースト』のI・ドイチュクローンの証言に続く次の文章によって決定的となる。

「およそ六〇〇〇人のユダヤ人が「Uボート」と呼ばれながら、非合法にベルリンの地下に潜伏して生き延びた。少なくとも同数の「アーリア人」協力者が食糧を運び、隠れ家を提供し、密告者から守ってくれたからだ」。(グイド・クノップ著、高木玲/藤島淳一訳:『ホロコースト全証言』、原書房、2004年、358ページ)

『ホロコースト』では、当時ベルリンに潜伏していたユダヤ人たちに対してドイツ人が助けの手を差し延べていたことを明らかにしている。このほかにも『ホロコースト』には、ヘルマン・ゲーリング元帥の実弟アルベルト・ゲーリング(Albert Göring)がユダヤ人を救済していた事実や、SS伍長がユダヤ人輸送の際に命の危険を顧みず数人ずつ逃がしていた話、国防軍少尉が処刑現場に偶然出くわし、中止させた上で実行者を逮捕させたことなどが証言されている。

もちろん、同作品は手放しにドイツ人のユダヤ人救済を賞賛しているわけではない。しかし当時のドイツ人がホロコーストを前にどのような反応を見せたかについては、次のような描写があった。

「嫌悪感をあらわにした」「抗議した者はごくまれだった」「犯罪についてまったく知らず、前線で自分が生き延びることだけに忙しかった者も少なくなかった」「虐殺に喝采を送り、実行者をたきつけ、死を目前にした犠牲者をなおも愚弄する」――このように、非常に多面的に描き出していることは注目に値する。このドイツ人描写の多様性こそ、『ホロコースト』における『ショアー』との大きな差異のひとつといえる。

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ヒトラーとゲーリングはユダヤ人嫌いではなかったのでは?

2021年03月25日 | ナチスドイツとホロコースト・ホロコースト産業

『ヒトラーの父』初の伝記で明らかにされた息子との不気味な類似点とは?(クーリエ・ジャポン) - Yahoo!ニュース

(前略)

ヒトラーの父が書いた手紙

不気味なサイン

1930年代にはハヌッセンの舞台は大盛況で、非常に人気があった。アドルフ・ヒトラーとは1932年11月ドイツ国会選挙以前から交流を持ち、軍人上がりのヒトラーの演説に対し、ボディ・ランゲージを指導すると同時にヒトラーお抱えの預言者としても活躍する[2]。また、ヨーゼフ・ゲッベルス、ヴォルフ=ハインリヒ・フォン・ヘルドルフ、カール・エルンスト、フリードリヒ・ヴィルヘルム・オースト(ドイツ語版)などのナチ党幹部との間にも太いパイプを構築していった。

1931年にブレスラウの印刷会社を購入し、オカルト雑誌『ハヌッセン・マガジン』『ブンテ・ボッヘンシャウ』を刊行する[3]。ハヌッセンは雑誌の印税や舞台で得た収入で屋敷を購入・改築し、この屋敷は人々から「オカルト宮殿」と呼ばれるようになった。「オカルト宮殿」の一室では交霊会が行われ、大きな円卓の周りに座り下から照らされるガラスに掌を置いた招待客にハヌッセンが預言を伝え、人気を集めた。ドイツ国会議事堂放火事件を予言し、更に注目を集めるようになり、上流階級からの招待を受ける際は常に従者を伴うようになった。

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養子縁組と「生殖テクノロジー」

2021年03月24日 | 福祉・医療

前回の記事で、

生殖テクノロジーとヘルスケアを考える研究会 | イベント (kanazawa-u.ac.jp)

出口顯(島根大学・法文学部/文化人類学)
「養父母になった国際養子たち:スカンジナビアの国際養子縁組におけるアイデンティティと親子関係」

を紹介させてもらいましたが、

この時に出口教授と一緒に調査を行った方の2017年のインタビュー記事をご覧ください。

「親子は血が繋がっていてあたりまえ」という思い込みをなくしていく――日本と諸外国の養子縁組 / 産婦人科医、石原理氏インタビュー | SYNODOS -シノドス-

抜粋:

――石原先生は医師でありながら、養子縁組についても国内外で調査されていますが、一般的には、産科・婦人科に行けば不妊治療のみを勧められる場合も多いと思います。医療者側の、特別養子縁組制度への理解や、患者への情報提供についてはどうお考えでしょうか。

残念ながら、わが国では、こどもを持つこと、妊娠することをお手伝いする立場にある産婦人科医師に、養子など不妊治療以外の他の選択肢を想起させるきっかけが、明らかに乏しいといわざるを得ません。

特別養子制度は存在しても、現実に成立する件数がきわめて少ないこと、卵子提供による治療など第三者がかかわる不妊治療を提供することが事実上不可能であることなど、私を含め、不妊治療をおこなう医師には、他の選択肢を提案しづらい、あるいは思いつきにくいことについて、言い訳はたくさんあります。

何よりも、こどもと親には血縁関係があることが当たり前という、思い込みが、医師にも、不妊治療を希望するカップルにも、共に強くあることは間違いありません。

けれども、治療を長期間受けてきたカップルの多くは、どこかで他の選択肢の可能性についても、少なからず思いをめぐらせます。そして、その実現は難しいという現実を知って、ふたたび治療に戻る場合が多々あるのです。同じように実現性の乏しさを知る医師と共に、後戻りできなくなってしまいます。

今後、時間をかけて、少しずつ人々のこのような考え方や思い込みを変えていくこと、それを支援するための教育が必要と思います。この教育は、カップルを対象とするのではなく、やはり初等、中等教育の段階から始めないと効果がないと思います。

そして、さまざまなカタチのライフスタイルがあり、さまざまなカタチの家族があること、あっていいこと、異なっていることを互いにリスペクトできるようになるといいですね。

 

日本でも「子どもを授かりたいけど出来ない人」が特別養子縁組というのは良いと思いますが、「子どもと親に血縁関係があるのが当たりまえという思い込みを正していかねばならない」というのはどうしたものか。

『養子縁組』を勧める人達の中にこういう方たちがいることに驚きます。

参考

生殖テクノロジーとヘルスケアを考える研究会 (kanazawa-u.ac.jp)

子望むLGBTに生殖医療 指針想定外、4施設実施: 日本経済新聞 (nikkei.com)

 

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日本の特別養子縁組の実態調査を

2021年03月24日 | 福祉・医療

【独自】養子あっせん300人の半数超、養親が外国籍…「原則国内」反故で多数の子供が海外へ(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース

特別養子縁組をあっせんする民間団体「ベビーライフ」(東京)が昨年7月に突然事業を停止した問題で、団体が2012~18年度にあっせんした約300人のうち、半数超の養親が外国籍だったことがわかった。養子縁組のあっせんは「国内が原則」とされるが、東京都は大半の養親が国外在住とみており、多数の子供が海外に渡っていた可能性がある。

(後略)

【独自】日本から海外へ養子、9年で336人…政府は把握しておらず(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース

日本から国際養子縁組で海外に渡った子供が、2011~19年の約9年で少なくとも336人に上ることが、読売新聞の集計でわかった。7割弱が1歳未満の乳児だった。国際養子縁組を巡っては、人身売買に巻き込まれることや、子供の出自に関する情報を得ることが難しくなるといった問題が指摘される。世界的に減少傾向にある一方、日本からは多数の子供が国外に出ていた実態が浮かび上がった。

(後略)

ベビーライフの国際養子縁組から150人近くが国際養子縁組なら、残りの子供達がどこから海外に養子縁組されていったかも発表してほしいですね。

ところで、政府が国際養子縁組を把握していないって本当でしょうか?

 

2011年出口 顯島根大学教授の研究会発表に、国際養子縁組調査の話があります。

 

生殖テクノロジーとヘルスケアを考える研究会 | イベント (kanazawa-u.ac.jp)

抜粋:

国際養子縁組の数がもっとも多かった年が2004年です。数の上ではアメリカ合衆国が一番多くて2万2,884人、次いでスペイン、フランス、イタリア、カナダと続きます。スカンジナビア三国の場合は、1,109人、706人、528人と、絶対数は少ないですが、人口10万人に対する国際養子の割合では、ノルウェーが15.4%で一番高いわけです。1998年の段階ではパーセンテージは低かったスペインが、21世紀に入ってから世界第2位や3位になるが多くなってきている。第3位がスウェーデン、デンマークです。養子の割合で行くと、ノルウェー、スウェーデン、デンマークと、スカンジナビア三国が上位を占めるわけです。これはどういうことかと言うと、街を普通に歩いていると、白人の親がアジア・アフリカ系の子ども手を引いているという姿をよく見られるということです。

今日の話と直接関係しませんが、アイルランドが、やはり21世紀になってから割合の上では数が増えて、どちらかと言うと例外的な国になりました。1970年ぐらいまで、あるいはもう少し後まで、実は国際養子の拠出国でした。ところが、1990年頃から旧社会主義国の政権が倒れて、東欧で貧困から孤児になる子どもが増えていることが伝わると、そのころから経済的な発展が著しくなったアイルランドでは、国際養子の拠出国から受け入れ国に転換していきます。そのように、拠出国もしていたし、受け入れ国も高い割合でしている例外的な国がアイルランドになります。

話を戻します。次に、スウェーデンではどこから国際養子として子どもがもらわれてくるのかです。あくまでも上位に限ってのことですが、1990年代以降、国際養子の拠出国として世界第1位に台頭したのは中国です。人口が多いから捨てられるというか、そういう子どもが圧倒的に多いのです。韓国も高く、朝鮮戦争以降、外国に養子を出す国として、ずっと上位1位を占めてきていました。

1988年にソウルオリンピックが開かれるとき、韓国は自分たちで面倒をみ切れない子どもを外国に売っているということで西側諸国から非難が出て、国内養子の実践を言われるようになってきました。それ以降、国内養子の数を増やそうとしているのですが、韓国はなかなかうまくいきません。21世紀になり、もう一度そういう取り組みに乗り出し、功を奏していますが、それでも国内養子拠出国のトップ5からトップ10ぐらいには必ず顔を出しているのが韓国です。ほかにコロンビア、エチオピア、ロシアという国々が上位拠出国になっています。

簡単に言うと、経済格差の大きいインドや中国のような貧困層、エチオピアのように、やはり貧困であり、長らく内戦が続いていた国、コロンビアのように、カトリックで貧困層が子どもを中絶することが認められないような場合、社会主義政権崩壊後の経済困難があったロシアをはじめとする東欧などの国が、国際養子拠出国になっています。

 

だいたい海外向け特別養子縁組業者というものは、「子供の幸せ」より、むしろ「ペット業」に近いように思います。
そしてそのあと押しは「国」。

 

参考:

The Baby Business-185万円+αの養子縁組費用は妥当か? - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

生まれる赤ちゃんの養子縁組斡旋は病院に委託できないものか - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

マザー・テレサ修道会で赤ちゃんの人身売買-Child-sellingと慈善団体 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

オーストリア学派主導の社会運動・「経済効果」にプライオリティを置いた養子縁組推進? - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

特別養子縁組 - Wikipedia

かつて20万人が韓国から海外へ 祖国に戻り始めた国際養子たちの胸の内:朝日新聞GLOBE+ (asahi.com)

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3月21日(日)にメッセージを下さったN様

2021年03月23日 | 

3月21日(日)に、たぶん2011年4月に書いた以下の記事の関係でメッセージを下さった、Nさん、

菊地洋一氏(元原発技師)が語る福島原発の建設現場 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

メッセージにに気が付いたのが遅くなり、申し訳ありません。

ただ、いきなり「宗教じゃあるまいし」「宗教の人に何を言っても信じてもらえませんが」と書いたうえ、私の知らない人の悪口を書いて送ってらっしゃる方の意図が分かりません。

私は無宗教ですので(というか、宗教に限らず、「原理主義者」「自分だけが正しい」という人が嫌い)、唐突に「宗教」という単語を出す人こそ、警戒します。

仰っていることが、もし真実であったとしても、私は関係ありません。

メールアドレスを頂いておりますが、返信は失礼させていただきます。

 

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リモートワーク(テレワーク)in Finland・日本や世界の今後の動き

2021年03月19日 | 友人・知人

こちらは、昨年5月の記事ですので、人々の意識が変わっているかもしれませんが、フィンランドなどは、今後もっともっとリモートワーク(テレワーク)を勧めていくことが予測できる記事。

Study: Finland quickest in EU to shift to teleworking in corona era | Yle Uutiset | yle.fi

Finland has had the biggest shift to telecommuting of any European Union country during the coronavirus pandemic, according to a survey by an EU agency.

Since April 9, the European Foundation for the Improvement of Living and Working Conditions (Eurofound) has been studying the impact of the pandemic on work and other aspects of European life. By the end of the month, more than 85,000 people from around the continent had responded to the questionnaire.

The first results, published on Wednesday, show Finland as having the highest share of the workforce moving toward telecommuting since the crisis began, with nearly 60 percent of employees doing so. The only other countries above 50 percent were Luxembourg, the Netherlands, Belgium and Denmark.

Overall 37 percent of those currently working in the EU began to telework as a result of the pandemic, the study says.

More teleworking, less reduction in working time

Significantly, in countries where more people began telecommuting, fewer workers reported that their working time decreased.

About half of respondents across the EU said they have experienced a reduction in their working time. Hardest hit have been employees in Greece, France, Italy and Cyprus. Meanwhile the largest proportion of workers whose working time has not changed was reported in Sweden and Finland (52 percent and 49 percent respectively).

Poll: Many happy to telecommute, but miss workmates

Based on another survey closer to home, most people in Finland said they were satisfied with teleworking, their own productivity and work-life balance.

The online survey answered by 5,450 public and private sector workers was a joint project between universities and research institutes in Finland that looked at the experiences of teleworkers.

(続きはリンクから)

フィンランドの友人にリモートワークの話を聞いたところ、

「コロナ以前にすでに一週間に1日2日は自宅でリモートワークをしていたが、この1年は毎日。もともと会議の相手は海外に散らばっているので、インターネットの会議をオフィスか自宅でやるかの違い。なので、リモートワークが増えても実質あまり変わらない。だけど、(この1年で)気が付いたことは、カフェテリアや廊下でする世間話やゴシップの類が(良い意味で)あったからこそできていたコミュニケーションがあったってことだね。それらができないから、一寸話すために次から次へとインターネット会議の申しこみが増え、この1年はそれらに大変時間を割かれることになった。」

と説明してくれると同時に、ぼやいていました。

コロナ以前から週に1,2日リモートワークだったというのが、彼の場合が特別だったのか、それともフィンランドでは珍しくなかったのかはわかりませんが、「冬にマイナス20度になったり、日照時間が異様に短くなるフィンランド」だからこそ、リモートワークを求める声は昔から強かったのでは、ないかな・・・と想像してみたり。

それと、これはフィンランドに限らないとは思いますが、専業主婦/主夫が少ない国ほど、家事や子育てに時間を効率的に使える働き方が育っていくのかな、とも。残業無し、時短、の次はリモートワーク。

ニューヨークの友人は、コロナパンデミックの最初の頃は週の半分は自宅でリモートワークでしたが、今は100%が家。
「週に半分ずつ2チームに分けてでるのが決まっているおかげで、ずっと顔を合わせられない同僚が出てきてしまう」と言っていた彼も今では、

「週2,3日のリモートワークでも、問題なくやれることが分かった」と言っていました。

 

CONVID-19でリモートワークをニューノーマルとさせようとしている人達に、私は良い感情はもっていませんが、(自分が「家族の助け」が必要な立場になり、)家族のリモートワークの恩恵をしっかり受けてしまった今、リモートワークはせめて週に1,2日はできるようになると良いなと思うように放ってしまっているのが正直なところです。

最近同世代2人に親の介護のために早期退職をしたり、今月末で早期退職する人がでてきていたので、余計そう考えるようになりました。

 

ただ、リモートワークが増えても、できない職種の人達、正社員の犠牲となることが多い非正規社員の問題、大企業と中小零細企業でのリモートワーク格差、働き方の変化による消費の低迷や倒産、5G,6Gの問題、うやむやにされそうな問題を気にしなければなりません。

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神足裕司氏の『コータリさんからの手紙』

2021年03月18日 | 脳出血・リハビリ・他

脳卒中(脳梗塞、脳出血、くも膜下出血)を発症した方の書いたものを読むと、たくさんの発見と反省点に気が付かせてもらったり、共感したり。

特に、コラムニストの神足裕司さんの連載コラムです。

 

コータリさんからの手紙|みんなの介護ニュース (minnanokaigo.com)

抜粋:

「忘れる」~クモ膜下出血による後遺症で要介護5に~|コータリさんからの手紙|みんなの介護 (minnanokaigo.com)

「ヘルパーさんは大変だなぁ」~怒る入居者、悩むボク~|コータリさんからの手紙|みんなの介護 (minnanokaigo.com)

どんなに感謝してもし尽くせない~自慢の息子がついに結婚!いままでありがとう~|コータリさんからの手紙|みんなの介護 (minnanokaigo.com)

【ハワイ特別編 (前編)】ボクが普通に旅行しても大丈夫なんだ~妻も娘も幸せすぎて泣いている~|コータリさんからの手紙|みんなの介護 (minnanokaigo.com)

【ハワイ特別編 (後編)】自分で自分を差別していた~ハードルを一歩越えて次の旅へ~|コータリさんからの手紙|みんなの介護 (minnanokaigo.com)

「家族が喜ぶ顔を見たい!ボクは必死に頑張った」~スパルタ・リハビリ生活の末、奇跡的に“梨”がむけるまでに回復!~|コータリさんからの手紙|みんなの介護 (minnanokaigo.com)

 

彼の取材番組です。

【要介護5】「死んでしまっていたら、家族はいまよりラクなのではないか」言葉を失ったコラムニストと家族の戦い "医療×テック"VR旅行で取材も【神足裕司】|#アベプラ《アベマで放送中》 - YouTube

 

 

他に、財部誠一氏の連載コラムも。

財部誠一 脳梗塞からの帰還:日経ビジネス電子版 (nikkei.com)

財部氏羽、傍目では後遺症があるとわからないくらい回復し、仕事に復帰しています。

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モデルナのコロナワクチン-脂質ナノ粒子の原料

2021年03月17日 | 福祉・医療

Moderna’s Mysterious Coronavirus Vaccine Delivery System (forbes.com)

抜粋:

With the stakes incredibly high, the mystery around a key technological component of Moderna’s coronavirus vaccine has only become deeper. Last week, the U.S. Patent Trial and Appeal Board rejected Moderna’s challenge to a patent owned by Arbutus Biopharma ABUS +3.4% related to the lipid nanoparticle (LNP) technology that is crucial to Moderna’s mRNA medicines.


For a decade, Moderna has been working to develop mRNA technology that could turn the body’s cells into drug factories. In order for the approach to work, Moderna needs to safely deliver the mRNA to the body’s cells without the payload breaking down in the bloodstream. As a result, any mRNA vaccine or therapeutic consists of two components, the actual sequence mRNA and the delivery mechanism. Moderna has clearly engineered the first component, but there remain questions about the second. No mRNA vaccine or medicine has ever been approved by U.S. or European regulators.

モデルナのワクチンって、Arbutus Biopharmaの技術ですか?

ちょっと私には複雑すぎてわからないのですが、このArbutus Biopharma自体が歴史が短いし、そもそも成り立ちが複雑。

(モデルナ自体が新しい会社ですが。)

Arbutus Biopharma - Wikipedia

ところで、モデルナのワクチンには脂質ナノ粒子(LNP)がはいっているようですが、主な原料に脂肪酸、ステロイド、界面活性化剤が入っているのですか?

脂質ナノ粒子:日経バイオテクONLINE (nikkeibp.co.jp)

 直径10nmから1000nmの脂質を主成分とする粒子で、核酸医薬などを内側に内包させて薬物送達システム(DDS)として利用されている。脂質ナノ粒子の主な原料は、トリグリセリド、ジグリセリド、モノグリセリド、脂肪酸、ステロイドなどの生体適合性がある脂質と、界面活性剤だ。粒子の内側に、親油性分子を内包できる。また、内側が固体となっているのが特徴だ。

新しい技術を導入するワクチンは、中身や仕組みを教えてもらいたいものです。

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ワクチン(免疫)パスポートと「国際保健規制第31条第1項」

2021年03月16日 | 福祉・医療

河野大臣 “ワクチンパスポート”国際的に必要になれば日本も対応(TBS系(JNN)) - Yahoo!ニュース

 

1980年代、フィリピン、シンガポール、スリランカ、モルディブ、香港に行きました。

自分の記憶では、フィリピンに入国するときだけコレラの予防接種が強制で、その証明書が黄色だったことで『イエローカード』と呼ばれる予防接種報告書を入国の際提出をしなければなりませんでした。

が、香港以外の旅行の際も、私は自ら進んでコレラの予防接種をしていきました。

後になって、当時のコレラワクチンにはあまり効果がなくてやめたというのを知り、「あれは治験みたいなものだったのか?」とも思いましたが、今より衛生状態が良くない国に行くには、気休めとなったのは確か。

(フィリピンに行く際、コレラのワクチンの説明をしてくれた旅行代理店の人から「実は今セブではむしろ赤痢がはやっているんですよ。こちらはワクチンがありませんけど。」と言われたときは複雑でしたが。)

 

今、イエローカードを調べてみると、こう書いてありました。

イエローカード (予防接種) - Wikipedia

イエローカード(英: Yellow Card、仏: Carte Jaune)は、予防接種の国際証明書である。国際保健規則に基づき発行されるもので、特定の国では入国検疫の一環で提示を要求される。1980年以降は黄熱のみが対象であるが、以前はコレラや天然痘についても対象となっていた。また国によってはその他の疾患に対する予防接種の接種証明を兼ねた冊子を発行している場合もある。

国際保健規則の第31条1項において、原則的に予防接種を入国の条件として要求すべきでないとしており、その例外の中に附録第6と第7に則って全ての旅行者に対して要求する場合が認められている。また第36条2項では、附録第6と第7に準拠して交付された証明書(イエローカード)を持つ旅行者は、そこに記載された疾病の流行地域から来た場合でもその疾病を理由に入国を拒否されてはならないとしている。

私がフィリピンに行ったのは1983年と1984年。ウィキペディアでは「1980年以降は黄熱病のみが対象」となっていますが、1983年のフィリピンでは間違いなく、コレラの予防接種は必要でした。1984年は旅行代理店の人から言われた記憶がないので、本当は打たなくてもよかったかもしれません。(数年前、大部前にコレラワクチンは効果がなく、むしろ害だと言って中止になったことを知りました。)

イエローカードや、予防接種の証明書というと、「むしろ衛生状態の悪い国にいく人達が病気にかかって、病気を世界に広めないためのもの」

と考えていましたが、

ウィキペディアに書いてある国際保健規則第31条1項などを読むと、「国内に病気を持ち込まないためのもの」とも取れます。

まあ、どちらの見方もできると思いますが、ただはっきりわかることは、「国際保健規則第31条1項」が「予防接種を打たない権利」を守るものでであったこと。

「ワクチンパスポート」は、この世界国民保険第31条1項の精神に反します。

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リハビリ病院の90近い患者Oさん-「ありがとう」

2021年03月15日 | 脳出血・リハビリ・他

リハビリ病院に入院したとき、最初に同室だったのは、90才近いOさんと、80代半ばのAさん。Oさんは骨折後のリハビリ、Aさんは手の麻痺のリハビリでした。

Oさんは痴呆があり、気が付くと禁止されているベッドの柵を持ち上げてベッドから降りようとし、最初痴呆はないと思っていたAさんも、そんなOさんに、「あら、お手伝いしましょうか?」なんて声をかけたりするので、必然私は「止め役」、「人を呼ぶ係(自分のベッドのナースコールで人を呼ぶ)」になっていました。

Oさんは、目が覚めている間はベッドから降りてしまう危険があるので、患者の中では「要注意人物」でしたが、あの明るさとユーモアで、皆に愛されていました。

痴呆ゆえ、職員さんのお顔と名前を覚えられないので(20代以外は顔は覚えていそう)、なにかしてもらう事に、

「あら、こんなハンサムな若い人に相手をしてもらうなんて、私は幸せ者だわ。」
「Oさん、昨日もあったじゃないですか!」
「あらっ!そうなの?」と言っておでこを叩いて、「でもほんと、ありがとね。」

という具合に、いつも「ありがとう」を繰り返します。

 

「私は見苦しかったから、学校の先生になるしかなかったのよ。みんな綺麗で羨ましいわ」
と若い頃にもどり、

「ネバーランドにいく」
と、突飛でないことを言い出す。

 

入院中、彼女のお目付け役となっていた私が部屋にいないと、「お姉さん(=私)はどこへ行ったの?」と気にしてくれていたOさん。(Oさんより先に退院したAさんの後に入院してきた女性から聞いた話。)

退院してで帰る直前、私に深々と頭を下げて、ゆっくり手を取り「本当にお大事にね」といったOさんは、あの一瞬、自分のコントロールでもとのOさんに戻ったのだと思います。

それは、私が別れを悲しんでいるのをOさんが感じ取ったことと、そこに迎えに来ていた息子さんがいたというシチュエーションが起こした奇跡と思えるのです。

(もちろん、痴呆症の人でも、時に正気に戻ることはあります。)

 

それにしても,昔の水前寺清子のドラマではないですが、いつまでも「ありがとう」という言葉を忘れない人でいたいです。

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