Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

24年ぶりに再会したアンソニー君 / マイケル・プロンコ氏のコラム

2013年04月23日 | 友人・知人

先日は、フランス系ニューカレドニア人のアンソニー君と、24年ぶりに再会しました。

彼は、彼が3歳の頃にシドニー空港で出会った男の子。現在27歳になった彼、今はホテルのセールスマネージャーをしていて、世界各地を飛び回っています。

(『シドニー空港で出会った姉弟』

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20090930 参照)

彼が日本に滞在するのは1週間。彼と日程調整をしているとき、せいぜい会えてもランチを一緒にとるくらいかと諦めたこともありましたが、土曜日到着の飛行機にチェンジすることができて、日曜日丸一日を一緒に過ごすことができました。

この日はお昼過ぎまで雨が降りしかもとても寒い日でしたが、その分観光客も少なく、しっとりした風情の古都。

寺院を訪れ、「僕自身は特別な信仰を持っているわけではないけど、なにかしら『神』が存在する気はする。教会でもモスクでも寺院でも、そこにいると何かパワーを貰える気がするんだ」と言ったり、お汁粉を食べに入った趣のある甘味処では、窓から見える雨と池のコントラストに見入りながら、米国で大ヒットしたという、日本の寿司職人のドキュメンタリー映画『二郎は鮨の夢を見る』

http://www.youtube.com/watch?v=9h9H26X0O1I

の話をしてくれたりする彼。

(この映画は銀座の名店「すきやばし次郎」の店主・小野二郎さん(87歳)を取材したもの。

この老寿司職人に彼が感銘を受けるのは、アンソニー君自身が自分の仕事に情熱、愛情、誇りを持っているからでしょう。実際彼は、私が『ワーカホリック』と茶化すほど、仕事に入れ込んでいます。)

アンソニー君はかつこさんや私の質問に一つ一つ丁寧に答えてくれ、英語ができない夫に「英語の会話ですまない」と気遣ってくれ-24年前、シドニー空港を走り回っていた男の子が、このように若いのに品格、知性のある魅力的な若者になったこと、これは、彼の資質もありますが、ご両親、そして年の離れた姉であるヴァネッサさんから愛情をいっぱい注がれて育った結果だろうな、と改めて思いました。(オマケに俳優になれるくらい、ハンサムで優雅なんですから・・・まあ。)

この「24年」といえば、円覚寺で出会った東洋系アメリカ人の老夫婦にアンソニー君が「僕らは、24年前に空港で知り合ったんだ」と説明したときの話を。

「あなたは日本人のお友達がいてラッキーね」とにっこり微笑んだ老婦人、少したってから引き返し、「24年前って・・・一体あなたはおいくつなの!?」と質問。

アンソニー君が自分の年齢を言って、シドニー空港の話をしたことで、この老夫婦は疑問が解けて気分がすっきりしたように微笑みました。それは同時に、当時3歳と27歳だった私の24年を経ての再会の喜びをシェアしてくれたようなうれしそうな笑み。

そう、この24年間を経ての再会って奇跡に近いのでしょう。

24年前であった3歳の異国のやんちゃ坊主とこうして再会することなど、思ってもいなかったわ」

この日彼と別れて彼に送ったメールに私はこう書き、そして

24年前、ヴァネッサさん、そしてお母さんに大人しくするように怒られて、私と話していたヴァネッサさんのもとに逃げてきたあなた、あなたを追いかけてきたお母様、あなたの家族に会えたことを感謝します。」と結びました。

さて話変わって-

この散策時、私がかつこさんと話していた、欧州と日本の街の景観について-古都はともかく、日本、そして東アジア独特の町並みの雑然とした統一性のなさ。

これはこれで一部の外国人にはそれも一つの魅力と映るようではありますが、以下のようなコラムがちょうどありましたので、これをオマケに貼り付けます。

(観光業に携わるアンソニー君の意見もプロンコ氏の意見に近いようです。)

ニューズウィーク (2013422日)

「世界一見苦しい街」に隠された美を探して by マイケル・プロンコ

http://www.newsweekjapan.jp/column/tokyoeye/2013/04/post-662.php

先月、帰りの成田エクスプレスの車内から10日ぶりに東京の街を眺めて、私は思った。「東京はきっと世界一見苦しい街だ!」と。ほかの世界都市から戻ってくるたびに、そうした都市と比べて東京は野蛮で無節操で味気ない感じがする。

 今回はローマから戻ったのだが、何も東京がいきなりローマみたいな街になって、完璧な町並みに噴水やカフェテラスがあるなんて期待していたわけじゃない。それでもごちゃ混ぜに立っているビルを見たら、座席に身を沈めて、東京がルネサンス期に大理石で造られていたら、などと想像してしまった。時差ボケでぼんやりしたまま、東京にもミケランジェロのような人物がいたらよかったのにと考えた。

 例えば東京には街を一望できる場所がない。ローマのような立派な広場もなければ、パリのようなロマンチックな橋もない。ニューヨークやロンドンでは、周囲を見回して「いい眺めだ!」と言えるけれど、東京で同じ気分を味わうにはスカイツリーにでも登るしかない。ひょっとしたら、あの長い行列はそのせいかも。東京を見るためじゃなく見ないためだ。あの高さからなら、どんな都市でもアラが見えないだろうから。 

 東京には「こっちを見て」とアピールしている町並みはほとんどない。「見るな」という町並みだらけだ。東京の象徴的存在でかつてはその中心だった日本橋は、今では首都高速道路のガード下だ。どこも歩道橋やパチンコ店だらけで、昔ながらのいい眺めはほとんどない。

 東京にはヨーロッパの都市のようなアースカラーと高度な職人技の調和がないせいで、商業的な感じがしがちだ。人工的な色が人工的に配置され、まるで安物のバスローブを引っ掛けたかのようだ。もちろんローマにだって商業主義はあふれているが、ビルというビルの外側に塗りたくるんじゃなく、内側に隠してある。

 言ってみれば東京は裏返しの街だ。ローマは見苦しい部分を隠しているが、東京は電線や梁やパイプやエアコンがむき出しでもお構いなし。よその素晴らしい都市から東京に帰ってくるたびに「目障りだよ!」と叫びたくなる。まあ、隠そうにも場所がないのは分かるけど。

 帰ってきて2週間くらいすると東京の魅力をもっと注意深く探すようになるが、簡単には見つからない。東京は自分の魅力を隠しているから。素晴らしい公園、見事なビル、しゃれた通りがあちこちにあるのだが、意識して探すか、運よく出くわすかしない限り見つからない。東京の美に出合うには時間と努力が必要だ。

ミケランジェロも脱帽の美しさ

 東京の魅力は着物を思わせる何層ものベールの奥に隠されている。新しくなった東京駅のロビーは外からは見えず、素晴らしい庭園は寺の裏手にある。東京の美しさはトータルの美しさではなく、そこかしこにちらりと見える個別の美だ。

 しかも東京の美は芸術とは違う。近代都市なので、ローマやパリが誇るようなスケールの大きい芸術的設計や明確な計画には欠ける。東京の芸術的センスはむしろ実用的で機能的な感じで民芸の美に近い。ごちゃ混ぜといってもどこか民主的で、建設者も都市デザイナーもみんな公平にアイデアを表現している。東京ではどの建築家にも発言権がある。

 東京の美を味わうには忍耐も必要だ。春になって突然、街が桜の花に覆われると、いつもは東京をやかましく批判している人間でも心が和む。普段は川や歩道や公園沿いにひっそり立っている桜の木が1年のこの時期だけ咲き誇るなんて、噴水のある広場や恋人たちが集う橋に負けないくらい芸術的で計画的だ。

 ともかく2週間くらいは、桜による都市設計が東京に世界のほかの大都市に負けない美しさと見事な一貫性を与える。東京の花見にはかのミケランジェロだって大満足したはずだ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« grassではなくherb, vegetabl... | トップ | NBRフォーラム突然の閉鎖 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

友人・知人」カテゴリの最新記事