イランのニュースサイトの記事から:
Iran Japanese Radio (2013年1月22日)
中東地域における、西側政府の分断政策
(リンクが張れないので、HP:http://japanese.irib.ir/)
中東地域は宗教、軍事、政治、そして経済の面で非常に重要な地域です。過去2年間で世界の政治的、経済的なバランスが大きく変化したにもかかわらず、その戦略的な地位と重要性は小さくなっていません。中東は、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教の3つの大きな宗教の発祥地です。中東と北アフリカ地域に住む人々の90%以上の宗教はイスラム教です。つまり、中東地域の重要な立場は、イスラム教と結びついているのです。
世界全体の政治、経済、安全保障のバランスにおいて、中東地域が重要な役割を果たしていることから、覇権主義的な政府は常に様々な方法でこの地域の支配を追求しています。第一次世界大戦前から、ヨーロッパの植民地主義的な政府は直接的に中東地域を支配しようとしてきました。彼らはこの地域を自分たちの影響の及ぶ範囲に分割してきました。最大の植民地主義国イギリスは他の植民地主義的な政府よりも、中東地域の国民の資源の多くを略奪しました。
第一次世界戦争とオスマン帝国の崩壊後、中東で新たな潮流が出現しました。イギリスとフランスの植民地主義政府はオスマン帝国が統括していた地域を分割し、自国の支配を強化しようとしました。第二次世界大戦の開戦と直接的な植民地支配の衰退の始まりから、ヨーロッパの植民地主義的な政策は、その支配権を守るためのものに変化しました。それは、アメリカやソ連という新しいライバルが出現したからです。
第二次世界大戦後著しく弱体化したイギリスとフランスは、アメリカの傘下に入り、以前の中東地域の植民地で持っていた利益を守ろうとしました。彼らの政策はパレスチナの占領でシオニストを支援し、シオニスト政権イスラエルを樹立させ、中東地域の他の国には独裁政権を樹立させる、というものでした。イスラム諸国では、独立を求めるあらゆる運動が厳しく弾圧されました。こうした中、彼らはイスラム教徒の様々な宗派対立や部族対立を最大限利用しようとしました。1979年のイラン・イスラム革命の勝利は、中東地域の支配に抵抗する上で、重要な転換点となりました。イラン・イスラム革命は、中東地域における植民地主義政府の利益を危機に陥れたのです。
アメリカをはじめとする植民地主義政府は、イランのイスラム革命の勝利に際して、自国の重要な拠点であるイランを手放したことに加えて、イランが覇権主義体制におかれた他国のイスラム教徒にとってのモデルとなることを懸念しました。アメリカとヨーロッパの同盟国は、イランイスラム革命の勝利を受けて、イスラム革命に打撃を与える為にあらゆる措置を行ってきました。彼らは中東地域で宗派対立や部族対立を扇動し、イスラム革命はシーア派のみの革命であり、他の中東地域といかなる類似点もないと見せかけ、シーア派とイランへの恐怖症を起こすプロパガンダを大量に発信しました。
イランに対するマイナスのプロパガンダの影響下で、西側政府により支援されたアラブ諸国の専制的な政府は、イラクのサッダーム政権によるイラン侵攻を政治、軍事、経済の面で全面的に支援しました。しかしこの措置は、イランのイスラム革命が他国のイスラム教徒の国民にとってのモデルとなることを妨害することはできませんでした。
およそ2年前にチュニジアで発生したイスラム覚醒運動は、西側諸国が支援する独裁政権の一部を急速に崩壊させ、一部を崩壊の危機に陥れました。東洋学者のバーナード・ルイスは、何度もイスラム覚醒運動への対抗措置として、分断という手段を強調しています。彼は演説の中で次のように語っています。
「イスラム覚醒という全速力で走る列車を止めるには、この列車の関係者として中に入り、部族や宗派間の対立を起こすことでさまざまな形で車両を分類し、次にそれらを切り離すしかない。こうした形によってのみイスラム覚醒運動の波を押しとどめることができるのである」。
バーナード・ルイスは、現在アラブ諸国は欧米諸国の利益を脅かす能力を持ちうると考えています。こうしたことから、自然資源の収奪をより容易なものにし、これらのアラブ諸国の威嚇能力をうしなわせる為に、アラブ諸国を力の弱い部族政府に分割すべきであるとしています。もっとも、地域におけるそれぞれのイスラム教国のための宗派対立や部族対立を扇動する様々な計画が練られています。
イスラム教徒の国々の中でも、中東地域での目的達成のために宗派対立や部族対立を作り出す上で西側諸国の大きな助けとなっているのが、サラフィー主義の潮流です。これは、サウジアラビアのサウード政権やカタール、トルコの政権の支援を受けているものです。
サラフィー主義者たちは自分たちとはちがう思想や傾向を受け入れることなく、シーア派や預言者一門を愛する人々に対して敵意を持っています。彼らは、西側の覇権主義的な政府よりもシーア派に対してより大きな敵意を持っています。実際、このサラフィー主義こそが、あらゆるテロを行うアルカイダという組織の基本的な構成要素なのです。これまで数万人のイスラム教徒が、サラフィー主義者によるイスラム諸国での多くの爆弾テロ事件で死傷しています。
サラフィー主義は、西側政府にとって、北アフリカや中東地域のイスラム諸国への干渉を正当化するための手段となり、また標的となっています。アフガニスタンやパキスタン、イエメンといった国々に対する、テロとの戦いを名目とした西側諸国の武力介入が正当化されているように、一部の国ではサラフィー主義者は西側の標的となっています。一方で、サラフィー主義者はシリアなどの一部の国では、現政権の転覆という目的達成の中で、西側政府によって利用されています。
イスラムの教えを偏った見方でとらえるサラフィー主義者の間違った解釈や逸脱は、現在も西側政府にとってイスラム覚醒の潮流に抵抗するための重要な手段です。サラフィー主義者がイスラム法を曲解することで、イスラム教は野蛮な宗教であると提示しています。同時に彼らサラフィー主義者は、西側がイスラムを敵視するプロパガンダを正当化し、様々な宗派のイスラム教徒の間に対立を引き起こす要因となっています。
バーナード・ルイスが語っているように、西側諸国がイスラム覚醒運動に対抗する最もよい手段は、イスラム諸国の分離政策です。この方法は、アメリカを始めとする西側政府が自らの戦略に基づき、中東地域での目的達成を進めるため、中東情勢の変化のプロセスに留意する中で実施している政策です。イラクを分断し、シリアでの内戦を作り出すための努力、そして人々の自由化運動を逸脱させることで、バーレーンのシーア派イスラム教徒とスンニー派教徒の内紛を誘導することは、西側政府がイスラムの目覚めに抵抗する措置のひとつなのです。
「分断して統治せよ」という文言は、植民地主義時代にイギリスが覇権主義的な目的を追求するために駆使してきた伝統的な政策のスローガンです。この政策は現在も、西側諸国が中東地域で影響力を保持し、拡大するための基本となっています
これは、イラン側から観た分析、意見であり、イランにとって都合の悪いことは書いていないものですから鵜呑みにするつもりもないのですが、ただ、確かに『西側政府の分断政策』というものは、あるように思えます。
ところで、『部族・宗派間の対立による分断』ではなく、『植民地だったゆえに西欧の国によって作られた分断』として国境があります。
(マリのフランス軍侵攻で改めてきたアフリカの地図を見ることも多くなりましたが、マリの形はいびつ)
旧統治国の都合で無理やり分けられたせいでで遊牧民を含む部族が分断されたわけですが、独立をしたときもそのまま。この国境線がなくても部族対立は消えないでしょうが、これが対立を複雑にしているのではないでしょうか?(しかも未だ引っ掻き回す旧統治国やその仲間もいて。)
蛇足ですが、『国境』で思い出したある言葉を付け加えます。
スペースシャトル「ディスカバリー」に搭乗したサウジアラビア人宇宙飛行士スルタン・ビン・サルマンは、宇宙から地球を見てこう言ったとのこと-、
「最初の1日か2日は、みんなが自分の国を指していた。3日目、4日目は、それぞれ自分の大陸を指さした。5日目にはみんな黙ってしまった。そこにはたった1つの地球しかなかった」