Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

"NYのセルツァーマン"に驚いたさちえさん

2013年08月30日 | 友人・知人

前回のブログ、『"NYのセルツァーマン"に驚いたティムさん』

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20130827

を読み、動画を見てくれた、日本人ペンフレンドのさちえさんから、感想をいただきました。

「・・・・昨日はセルツァーマンのサイトを有難うございました。

アメリカと言う国で、また場所もNY。 こんな古い方法で炭酸水を売っている所があるのですね。

このビデオを見たとき心がほっとしたのはどうしてでしょうか。 私は最近目まぐるしく変化する最先端のものに囲まれた生活にもしかしたら少し疲れているのかもしれません。

あのビデオで水を配達するセルツァーマンの人が各家庭を訪問するときそこには人と人とのつながりあるのだと思いました。 

今や日本でもスーパーへ行ってお金を出しさえすればほとんどのものが手に入る時代ですが、敢えて、あのセルツァーマンの配達をお願いしている人たちは、古くからの習慣に慣れていると言うこともあるかもしれませんが、訪問してくれる彼とそこから人と人とのつながりが生まれ、おしゃべりができたりして、それが心のオアシスになっているのかもしれません。

最近は日本でも独居老人や一人くらいの若者が増え、こんな風に家庭を訪問してくれる誰かがいてくれれば、ちょっとした心の潤いにもなると思います。

日本にも昔はそんな風情がたくさん残っていたと思いますが、今やほとんど見られなくなりました。

便利な反面どこか心が乾ききった現代人の姿が見え隠れします。

時間がかかって、一見面倒に思えるような所にもしかしたら人間の本当のつながりや温かさが生まれるのかもしれませんね。・・・・」

セルツァーマンまでいかなくとも、数十年前までは、日本では、買い物は街中の商店街にある、八百屋さん、魚屋さん、肉屋さん、金物屋さん、電器屋さん・・・そんなところでお店の人とふれあいながら買い物をしていなかったでしょうか。

今は、大型スーパーマーケットで一言も言葉を交わすことなく買い物ができます。

家電など大物は、大型量産店となっても、これは店員さんと言葉を交わすことが多いですが、これは、なんとなくマニュアル的で機械的なやりとりが多いです。

また、視覚障害者の友人が、

「昔は電球も家の近所の電器屋さんが取り付けにきてくれたけど、今はその電器屋さんもなくなってしまって・・・」

と言っていたのを思い出します。

さて、動画で紹介されていた、セルツァーマンのウォルターさんや、顧客達-たまたまなのかもしれませんが、出演者はほとんどがユダヤ系の人々のように感じます。

NYにはユダヤ系が多いですが、そうであっても彼らの存在が特別だった歴史があった故、仲間との交流を大切にしているのかもしれません。

そして、最先端をいっているはずのNYなどの大都市では、ユダヤ系の人たちに限らず、移民のコミュニティの結束は固く、だからこそこうした『人と人を結ぶ伝統』が大切にされる面もありそうです。

一方、日本ですが、年々コミュニティの結束どころか、『人と人との会話や交流を必要とせず、むしろ、会話を嫌う、もしくは恐れる日本人』が増えているように感じます。

その反面、ツイッターで呟いて見ず知らずの人に反応してもらうことで喜び、SNSでのお友達作りに躍起になる-本当の繋がりを得ることができない人たちの飢餓状態の表れなのかな、とも思えてしまいます。

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"NYのセルツァーマン"に驚いたティムさん

2013年08月27日 | 異文化

アメリカ人のペンフレンドのティムさんは。日本語の勉強もかねて、日本の動画を観ることが多いです。

彼は最近、NHKの『ニューヨーク街物語』を観て、

“I was very surprised to find a documentary in Japanese about New York City home seltzer delivery.  I am a big seltzer drinker, but simply buy the bottles at the store.  Nobody offers delivery here anymore.  I was actually surprised that it is still delivered even in New York City proper.”

と、いまだにこの町に『炭酸水配達-セルツァーマン』がいることを知り、驚き、送ってきてくれました。

NHK『ニューヨーク町物語』

Walter the Seltzerman

https://www.youtube.com/watch?v=SQYZK7vxgIM

NYについては、「古い建造物をそのまま使っているため排水施設が整っていないために、いまだに洗濯機を置けず、洗濯はコインランドリーやクリーニングを利用する人がいる」というのを聞いたことがあります。

アメリカも日本も効率、便利さの追求をしているお国柄がありますが、こういう『不便さ』に目を瞑っても、古いものと共存しようとする精神が根付いている、いないで大違い。

といっても、もちろん家の場合は、元々建物が煉瓦や石というのと、木造という違いがあってのこともあります。

しかし、このセルツァーマンの存在は材料の違いなど関係ありませんから、私にも衝撃的でした。

日本でも、昔は三河屋さんの配達などのようなものがありました。

そして、(これは私の記憶にはないのですが、)醤油やお酒は自分の家の一升瓶を再利用して中身だけ買ったということもしていました。そこまでしなくても、三河屋さんの配達などは、もう日本ではほとんど残っていないことでしょう。

彼らセルツァーマンが使っている瓶はもうこの番組を作ったときから50年前で製造中止になっていることもあり、使われている瓶はアンティークとしての価値もある代物。

(そして、形も色も美しいです!)

また、この番組にでてくるセルツァーマン、ウォルターさんの話も良いです。

『伝統』のみならず『血の通った暖かさ』の大切さを知っている人なら特に興味深く観ることができると思いますので、是非どうぞ。

追記:この番組で紹介されている『エッグ・クリーム』なるもの・・・これも私は初めて知りました。

(これは、ドイツ系ユダヤ人が発明し、「美味しいクリーム」と言うイディシュ語の名前が英語になって『エッグクリーム』になったようです。玉子は入っていません。)

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原爆の正義(?)を受け入れている被爆国

2013年08月24日 | 原発・核・311

815日のエントリー『『民主政治風専制政治』からヒトラー政権を手本にしはじめた理由』

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20130815

に続いて、今回もJBpressの伊藤乾氏のコラムのリンクと本文(一部省略)を貼り付けます。

(全文は早めにリンクからどうぞ。)

JBpress (2013.724)

日本に原爆を落とした米国が必ず言う「正義」

By 伊藤乾氏

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38528

(前略)

この、勝算のない戦争での戦争指導部の最悪の愚策群、最もよく知られているのは各種の「特殊奇襲攻撃」と思います。

 夏になるとしばしば、特攻関係の長時間テレビドラマが作られ、オンエアされるのを目にしますが、私には根本的な疑問があります。

 帰還することのない出撃命令、それに準じて若い命を失った軍人、兵士たちの悲惨は言葉に尽くせません。が、そのような出撃命令もまた人間が下したものです。

 こうした奇襲攻撃を立案した人々、それを推進した人々、彼らの責任を本来、ストレートに問わねばならないはずです。

 企画立案者の中には、自らもまた特殊奇襲攻撃(やその準備訓練)で命を落とした人もいます。が、命永らえ、限局された戦争責任への訴求をクリアしたのち戦後の日本社会で活動した人もいないわけではないと聞きます。

「国のために命を落とした人の慰霊」を言うとき、そこで「国のため」として、どういう出撃命令を下しているか、そういう一つひとつをきちんと問うのが、私は本来の筋道と思います。

 どうしても日本人は、「亡くなった人のことを言っても仕方ないから・・・」といった微温なメンタリティーで、被害者と加害者を一緒にしてしまう傾向があるように思います。

 あれもこれも何でも「国のため」で一緒くたにしてしまうことに、私は明確に疑問を持ちます。仮に真情をもって「国のため」を考えたとしても、それで若い多くの命をむざむざと失うような戦争の指導を行うなら、はっきりそれは責任を問われるべきでしょう。

 第2次世界大戦中、ドイツもイタリアも、またもちろん米国も英国も「国のため」もっと言えば「自分たちの国が勝ち、ほかの国を軍事的に制圧するため」に様々な策を講じました。

(中略)

「国のため」の2つの問題点

 いま、日本では見えにくいかもしれない問題を、ドイツのケースで考えてみましょう。

 ヒトラーやゲッペルスに言わせれば、ユダヤ人弾圧政策も欧州進駐もすべて「民族および国家の危難を除去するため」、つまり国のためにやったことになる。間違いなく彼らは、彼らなりの確信を持って、そう強弁するでしょう。

 ここには2つの問題があると思います。

1つは、

「国家が優先して国民が犠牲になる」という理屈がどうして正義として認められるだろうか?

という「全体主義」の問題。いま1つは、

 「自分たちの民族が優先して他民族、他国家が犠牲になる」という独善がどうして正義として認められるだろうか?

という他国、他民族への侵略の問題です。前者は自国民の蹂躙つまり暴政、後者は他国・他国民への蹂躙つまり国際秩序の擾乱で、このいずれも、21世紀の地球上で1つの「国家」がなすべき政策、採るべき姿勢ではありません。

 仮に自国民を弾圧する政府があれば、国連など国際機関が人道的な見地からそれを救う方途を検討することになります。これを「内政干渉」とは言わない。

(中略)

ある国家体制(例えばナチス時代のドイツ)が「自国民に対して働いた暴虐」に対して、国民自身が抗議の声を挙げるのは当然のことです。仮にこれを「内向きの抗議」と呼んでみます。

 逆に、ある国家体制(ナチスと思ってください)が自国民のために行った施策で、国民が感謝するということもあるでしょう。これを上との関連で「内向きの賛美」と呼ぶことにしましょう。ネオ・ナチのような動きは、社会が不況になるといつでも出てくるものです。

 さらにまた、ある国家体制(これもナチスと思ってください)が「他国の国民や、異なる民族の人々に対して働いた暴虐」に対して、被害に遭った国や民族、その子孫が抗議するのも当然でしょう。

 「外からの抗議」、例えばユダヤ人社会からナチス犯罪へのサイモン&ヴィーゼンタール・センターの抗議は戦後68年経過した現在でも終わることがありません。

 こうやって欧州の例で見ると当たり前のことが、日本を含む話になると、突然国内では通じにくくなってしまう傾向があります。竹島や尖閣諸島を巡る問題や、またそれらを念頭においた上での靖国参拝への各国の反応を考え、

 「A国民が、A国祖国を守ってくれた祖先に『内向きの賛美』を捧げる」 と言うとき、そのA国軍の軍事行動で命を落としたB国、C国の人々から、

 「自分たちBC国の祖国や祖先に危害を加えた者に『外からの抗議』がくる」 のは当然のことで、その立場の違いをきちんと了解したうえでなければ、通じる話も通じなくなってしまいます。

「原爆投下は正しかった」:日本で意識されない「別の正義」

 例えば、日本人の多くは「原爆」はよくないもの、核兵器は憎むべきものでその廃絶は人類の重要な課題、と認識していると思います。世論調査などすれば大半の国民が「平和は大切」と答えるでしょう。

 そんなとき「広島・長崎への原爆投下」は「正しい行動だったのか?」と問うと、答えは2つに分かれると思います。

 「原爆投下は正義だったんですか?」と問うと、

 1つは「正義? とんでもない。米軍の原爆投下は絶対に許されるべきではない」という明確なノーの声。存命の被爆者など、直接被害に遭った方で、決して米国を許さないと強く語られる人は少なくありません。

 もう1つは「・・・」と答えに窮するタイプで、若い世代ではこちらの方が多い気がします。これ「あやまちは繰り返しませんから」という主語不明の平和の祈りに似ているように思うのです。

 ところが、国際社会では「原爆=正義」という声は現在でも決して小さいものではない。そしてその常識が、良くも悪くも日本国内にはちっとも実感をもって伝わってこない。ここに情報の分断があると思うのです。

 米国や英国では、今も30年前も60年前も日本への原爆投下は「正義」であった、正しいことだと教えられ続けています。

 かつて2007年春、米国で米軍基地に体験入隊したときには、60年前オキナワやアツギに勤務していたという80代の退役軍人、売店の番をしていた爺さんから、真顔で、

 「お前たちはどこから来た? 日本か。俺もいたことがある。おまえたち、アメリカに原爆落としてもらって良かったな、感謝しなきゃダメだぞ。そうじゃなきゃロシアが北からやって来て、いまのコリアみたいなことになってたんだから、原爆落としてもらってありがたいと思え」

 こんなふうに言われた経験があります。この爺さんに何を言っても通じないでしょう。あれからもう6年ほど経つので、爺さん自身、いま元気かどうかも定かではない。

 私の意見は明確です。日本の戦争指導部の施策も最悪でした。また米国というより連合軍の広島・長崎への原爆投下は、あらゆるローカルな法規を超えて、人類全体への犯罪行為であったと考えています。そして、個人で責任を負える範囲では、そのようにはっきりと国際会議などの場でも発言します。

 日本人の私が「原子爆弾の投下ということ自体を犯罪と思う」と言うと、知識人、大学教授など、ものの分かる人は、すまなそうな表情で言葉少なになります。が、朝鮮戦争に従軍したという、上の80代の老米兵は「正義」と信じたまま一生を送るでしょう。

(後略)

伊藤氏の視点、主張、疑問・・・彼のものは、今回のものに限らず、頷けることが多いです。

以前、私は『本当の戦後処理』

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20121118

のなかで、原爆投下の罪について書いていて、そして、ここにもでてくる、アメリカ人の友人ティムさんには、

「広島や長崎に原爆について、日本政府が「自分が悪かったから仕方がない」という態度をとってきていることは、一部の人の戦争責任や戦後処理に対する見解をゆがめていると思う」

と言ってきています。

(また、原爆と離れてナチスドイツの話ですが、日本でもよく読まれている『アンネの日記』。

日本人はこれを読み、他人ごとのようにナチスや協力者を非難する側に身を置きはするけど、「自分の国がこんなナチスドイツと同盟を結んでいたんだ」とまで思いをはせる人は1パーセントもいないでしょう。)

さて、上の伊藤氏のコラムに出てきた80代のアメリカ人退役軍人ですが、そんな彼に対して怒りを覚えたり、彼の浅はかさを笑う人は日本には多いでしょうが、中身は違えど、これと似たような思考回路を持ち、発言をする大物政治家が日本にもいます。

そんな人たちが率いる日本が国際社会で軽視されていったとしても、不思議はないように思います。

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要注意人物アメリカ人男性A -2

2013年08月20日 | 人物

8月12日に、『要注意人物アメリカ人男性A-1』

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20130812

を書きました。

そこでは詳しく書きませんでしたが、実はこの男性Aが私にした話のなかには、「(教え子である)10歳の少女Kちゃんが自分に恋をしている。」「これは相思相愛で、この少女の自宅、もしくは彼女の家で一緒にすごしている」という話が終盤に出てきていました。

私は、「Aが日本で9歳の女の子と付き合っていた」ということがわかるまでは、「AはKちゃんを好きであるけれど、それには『アニメの女の子を好きなのと同じ感情』『孤独な経験をしてきた自分だから、孤独な少女に寄り添いたい』という気持ちもあるし、Aちゃんがとにかく孤独から解放されることが大事。」という彼の言葉を信じてきました。

が、彼が「9歳のガールフレンドがいた」という話ほか、「Kちゃんのペンフレンドを探すといいながら、自分が新しい女の子を捜している」というのが見えてきたことで、彼が危険人物だとわかったわけです。

そうであっても、

「Kちゃんが本当に存在するのか(AはKちゃんの写真を私に送ってきていますが、写真はいくらでも個人のブログなどからでも取り込めます。)? それとも、Kちゃんの話は嘘でも実はモデルがいるのではないか」

「だいたい、Aが日本で英会話教師をしていたのは確認できたけれど、本国で、「彼がサイドビジネスで非英語圏の生徒に英語を教えている」というのも、嘘なのではないか」

と、自分がどう動くべきなのかがわからずにいました。

日本の友人や知人に相談しても、「あまり関わらないほうが良い」という意見が多数。

これを、海外の友人-アメリカ人のティム、スペイン人のベゴーニャさん、イタリア人のエリーさん、私の日本人ペンフレンドさちえさんのイギリス人の友人Gさん-にも相談させてもらったところ、

ベゴーニャさんとエリーさんは共に、「日本の警察に相談すれば、米国の警察と連携をとってくれるから、Aのメールを転送すべき」。

Gさんは、

「そんなAのような男は、今は事件を起こしていなくても、そのうち事件を起こす。やはりしかるべきところに連絡をして、本人に警告をすべきだ」

と言って、忙しいなか、相談ができる団体を探してくれようとしました。

(ティムさんは、Aのことを告発しても言い逃れされる可能性が大、ということで、日本人の友人多数と似たような意見。しかし、彼も他の外国人の友人同様、手助けを申し出てくれました。)

さちえさんとこの件で大分お世話になりましたが、彼女がいう

「やはり欧米人と日本人の、児童犯罪に対する危機感の違いは大きい」

というのは確かなのでしょう。

しかし、私としてはやはりまだ犯罪を犯しているわけでもないAを告発するつもりはなかった(ない)のですが、私の気がかりは、

①Kちゃんが実在して、AとKちゃんが言っていることが事実であった場合の今後。

(話がAの作り話であっても、狙っている女の子がKちゃんという可能性もあり。)

②Aが、アメリカで日本人児童に英語を教えている可能性があるということ。

でした。

よって、私ができることは、Aが住む場所の日本人にも、ペンパルサイト同様に警告文を出すこと。

そして、いろいろ模索した結果、ある機関に『警告文』の発信できないか相談することに。

するとその機関からはすぐ返事があり、まずKちゃがいるかどうかを調査、いるのならば本人の母親から聞き取りをしてくれることになりました。

今までこの問題に相談にのってくださった方々、心配してくれた方々への報告を兼ねて書いています。

皆様、ありがとうございました。

追記: 今、アニメや漫画規制の話が日本でありますが、私は『ロリコン』を刺激するアニメや漫画は、欧米並みの規制があってもよいのではないかと思います。

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『新大久保の痛い人達』に立ち向かう人は最初10名、今2500名

2013年08月17日 | Nationalism

5月に『新大久保の痛い人達-ヘイトスピーチ』を書きました。

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20130521

この時は、ワシントンポストに載ったリサーチ結果を見たティムさんの、

「ただし、傾向として、中国や韓国に比べて、日本は異人種に対しては寛容、ってことだよね」

という言葉を否定していた私ですが、この事実をティムさんに報告しようと思います。

ニューズウィーク (2013817日)

嫌韓デモの現場で見た日本の底力

By レジス・アルノー

http://www.newsweekjapan.jp/column/tokyoeye/2013/08/post-715.php

 6月30日、私は最近話題になっている嫌韓デモに行ってみた。このデモは東京の新大久保で何年も前から、毎週日曜日に行われているものだ。私は不安を胸に家を出た。自分の身も心配だったが、新大久保の人々のことも、日本の対外イメージのことも心配だった。

 実は新大久保はサンフランシスコのチャイナタウンやパリの日本人街と同じような「観光スポット」だ。外国人にとって、新大久保のコリアンタウンを歩くことは伊勢丹新宿店の地階と同じくらい楽しさと驚きに満ちている。伊勢丹が日本がいかに洗練されているかを示しているとすれば、新大久保の街が示しているのは日本が外国人に対してフレンドリーで開かれた国であり、他国の文化が生き生きと存在できる国だということだ。

 だがデモのせいで、新大久保は日本が外国人にとっていかに不快な国になり得るかを象徴する場所となった。嫌韓デモの数百人の参加者は自らを愛国者だと考えているのだろうが、実際は日本の力をそいでいるに等しい。憎しみをまき散らすデモ隊の存在を許すのは日本の恥だ。

 新大久保で店を営む在日コリアンは、税金を払って日本政府の財政を潤している一方で誰の脅威にもなっていない。だが「朝鮮人を殺せ」と日本人の誰かが言えば、それは日本という国を自ら攻撃していることにほかならない。こうした発言はジャーナリストや一般の人々によって世界中に伝えられると考えていい。そして日本のイメージにも、尖閣問題や東京への五輪誘致における日本の立場にも悪影響を与えるだろう。アメリカやフランスも、外国人居住者や韓国系の自国民をきちんと守れない国の側になど、簡単に立ちはしないはずだ。

 私は不安を胸に家を出たと書いたが、帰宅したとき、私の心は喜びに満ちていた。在日の人々は決して嫌韓デモの挑発に乗らない。だからこそ約2500人の日本人が彼らを守るために自発的に集まり、嫌韓デモに反対するデモを行っている。また、警察は嫌韓デモ隊が新大久保の中心部に入ることを許さなかった。彼らは自らの任務を果たし、私にはジャーナリストの仕事をすることを許した。

 感動の瞬間を何度も目にした。反対デモの人々に「本当にありがとう」とささやいていた在日コリアンの姿もあった。普通のサラリーマンや学生、OLが一緒になって嫌韓デモ隊に立ち向かい、「差別反対!」と叫んでいた。私から見ればこの人たちこそ、真の愛国者だ。彼らは日本の名誉を守っていたのだから。

健全な民主主義は日本の誇り

 このうち1人はフタミさんという法律を学ぶ学生で、以前から嫌韓デモへの抗議活動をしてきた。彼は多くの日本の若者が忘れている政治参加の尊さを身をもって示していた。「最初は10人しかいなくて、警察の車に守ってもらった。それが今では2500人だ」と彼は言う。

(後略)

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『民主政治風専制政治』からヒトラー政権を手本にしはじめた理由

2013年08月15日 | 国際・政治

85日のブログ『ナチスは悪者、でも自分たちが手法を真似るのには抵抗がない安倍政権とイスラエル』http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20130805

に、

「ヒトラー政権もムッソリーニ政権もイメージ作りから不満を抱えていた国民の支持を伸ばしていきました。そして、実際彼らが大胆な経済政策を打ち出したことで国民は自信を取り戻し、不況を脱出させたことで国民は彼らを英雄視。

もうこうなると、あとは「あれ?おかしいぞ」と思う政治家や国民が出てこようと、もう好き放題。」

と書きました

ヒトラー政権は『独裁政治』でした。

日本は形の上では『民主政治』。

しかし、明治以降の日本の政治は『民主政治』の形はとっても、世襲大物政治家が国の実験を握り、彼らは実業界の大物の子どもと婚姻関係を結んだりして癒着。国民は羊のよう。なので、実際は「専制政治」に近いようにも思えました。

ところが、福島原発事故以降、少なくない国民は、『羊』であることをやめました。

こうなると、『民主政治のふりをした専制政治』は成り立たなくなります。

よって、彼らはヒトラーを真似し始めます。

が、独裁政治と専制政治は一夜にしてできあがりません。

1.耳に優しいことを言ったり、『憎悪の対象』を作り出す

2.ストッパーを無くす

3.都合の悪いものは排除

の手順でできあがります。

以下のJBpressの伊藤乾氏の記事を読んで、現在とくらべてみてください。

JBpressの記事はある期間を過ぎると、会員以外は1ページ目しか読めなくなりますので、早めにリンクから本文を読んでください。)

JBpress (2013815)

終戦の日にナチス・ドイツ誕生の経緯を振り返る

いま、私たちが同じ過ちを繰り返す危険性は本当にないか?

By 伊藤乾氏

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38447

(前略)

憲法は「正義」ではなく「正義のストッパー」

このところ「憲法」が社会的に議論に上ることが少なくありません。ここでちょっと変わった質問をしてみましょう。

 皆さんは「憲法」は「正義」だとお考えになりますか?

 「何を言っているんだ、憲法は正義に決まっているじゃないか」という声が聞こえてきそうですが、実は私はそうは思わないのです。この確信を私は、刑事罰を巡るEU本部とドイツ連邦共和国の合同プログラムを通じて強く持つようになりました。

 そもそも「正義」とは何か・・・?

 これ自体が難しい問題です。しかし、いま私たちが通常の社会で生活していて、何か争いがあるとき、何が正義で何が不正であると判断するかと言えば、マスコミの不正確な報道などは別として、筋道としては裁判所、つまり法廷が、その別を決定しているはずです。

 これは法律的な意味での「正義」「不正」であって、法廷の決定、つまり「判決」が字義としては「正義」を表すはずです。が、実際にはあらゆる判決に不服や不平はつき物です。日本では裁判は3審制で、自らに有利な「正義」が争われる。

 つまるところ、法的な「正義」というのは、実は相対的なものでしかありません。

 憲法というのは、そういう「個別の正義」を代表するようなものであってよいのか・・・? もちろん「否」と言わねばならないでしょう。

 むろん、憲法の内容が「不正義」であってはなりません。その意味では憲法もまた「不正」の反対側に立つものですが、憲法は単に「個別の正義」を実践するものではない。

 既存の法律に従って、裁判所が下す「個別の正義」、あるいは政府が実施する「個別の政策」や立法府が新たに定める「個別の法律」、こうしたもの全体をチェックする役割、もっと言えば、それら「正義の暴走」に対するストッパーというのが、憲法という法律、つまり国の基本法典が持つべき、最も重要な役割であると思うのです。

司法、立法、行政という、一つの国が持つ3つの主要な国権。これらが独立せず、わがまま勝手な国の経営が許されれば、民主的な社会を築くことはできません。これらがきちんと動くことが、普通の意味での「正義」に必ず求められます。

これが少しでも狂うとどういうことになるか、という実例として、ナチス・ドイツを見てみましょう。実際に狂ったのは本当に「少し」の部分でした。そして、それは十分ドイツのみならず全欧州、全世界を壊滅的危機にまで追い込むものでした。

「ナチス憲法」なんてものはない

どこかで不勉強な政治家が「ナチス憲法」とかいう言葉を使っていましたが、ナチスに憲法、つまり国権の制限する基本法典がなかったから、ああいうことになってしまった。その本質を理解していない時点で、まじめな議論が基本的に成立していません。

 実際にあったのは以下のような出来事です。

 1932年、ワイマール共和国大統領選挙でアドルフ・ヒトラー候補はパウル・フォン・ヒンデンブルク候補に次いで次点となります。同年731日、116日の国会議員選挙でナチス・ドイツは相次いで第1党の地位を占め、翌1933130日ヒンデンブルク大統領はヒトラーを「首相」に任命します。

 次いで連邦各州内閣の権限が「国家弁務官」に譲渡される権力の集中が始まりますが、決定的だったのは227日、ベルリンの国会議事堂が放火される「ライヒスタークスブラント」事件が発生、これを「共産主義者による反乱計画の一部」と見なしたナチス政権は事件を政治的に徹底的に利用しました。

 実際、つい十数年前にロシア革命によってソ連が誕生していたため「共産主義者の反乱」という言葉は一定以上の説得力を持っていたのも事実でしょう。

ヒトラーはまず緊急事態を宣言する大統領令を発布、ワイマール共和国憲法で定められていた基本的人権や労働者の諸権利を停止します。

「誰も気がつかないうちにいつの間にか憲法が変わっていた」なんて推移ではありません。誰もが「国家の危機」と思い込んだ瞬間に、物事はさっさと、公然と進められていきました。

(中略)

ワイマール共和国憲法は「憲法改正には議員の3分の2の賛成を必要」と定めていました。そのため、議席の半分は占めていたものの3分の2には達していないナチス連合与党は憲法改正ができません。

 そこで議院運用規則を「修正」して、欠席議席数を分母から取り除き、より容易な実質的な「憲法改正」を実現しようとします。

 どこかの国でも似たような改正手続きからの再検討が机上に乗っているような気がしますが・・・。

 そして、実際に運用規則を「修正」し、非常事態を理由に「円満に」ナチス政権、内閣・行政府が立法権を掌握する「「民族および国家の危難を除去するための法律」を成立させてしまいます。

 「民族および国家の危難を除去するための法律」この扇情的なネーミングに注意しておく必要があります。後年、専門家はそんな名前は使わず「全権委任法」という露骨な呼称でのみ、これを呼ぶようになります。

(中略)

 そんな中で、法律条文のほんの少しの改変が、国の大本をすっかり様変わりさせてしまうこと。元来は相互監視やストッパーの役割にあったものを「兼任」などしてしまうことで、誰も暴走を止めることができない機構の怪物を生み出すことが可能であること・・・。

 歴史の事例から、私たちが学ぶべきものは、決して少なくないのではないでしょうか?

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要注意人物のアメリカ人男性A-1

2013年08月12日 | 人物

週末から私が海外文通交流サイトのフォーラムに載せている広告です。

「※ 小学生、中学生の女の子への警告
(週末なので再度載せます)

「(自分が英語を教えている)10歳の日本人女の子が寂しがっているので、ペンフレンドを探したい。彼女は日本語を忘れつつある。」

と私に相談してきたアメリカ人男性(30歳、ゲーム関係の仕事)がいます。

彼はそう言いながら、実は知り合った女の子(子ども)と自分が友達になる気でいるようでした。

このフォーラムの10歳から13歳の日本人の女の子にも「教え子の代わりに文通申し込みをしている」と言って、メッセージを送ったりしているようです。
(自らが、女の子に成りすます可能性もあり。)

注意してください」

そして、この広告を載せたところ、会員の日本人男性から、

「サイト管理者に報告してみては?」

と意見を貰い、彼に返事をしたのが以下の通り(一部編集をしています。)

F 様

メッセージありがとうございました。

はい、私も最初、管理人に報告をしようかと思い、途中まで文章も書いていたのですが、残念ながら決定的な『成りすまし』の証拠をつかんでいないので、広告で警告を載せることをしました。

この男性A(ヒスパニック系)は、実は6月に私が友人(30代)のペンフレンドを探しているときに、「あなた、もしくはあなたと同年代の日本人女性と文通をしたい」と私にメッセージをよこした人です。

私はもう既にたくさんのペンフレンドがいるので「あなたのペンフレンドにはなれないけど、どうしても見つからないときは、文通相手を探す手伝いをしましょう。」と言っておきました。

そして、彼は先日「やはりペンフレンドが見つからない」と連絡をよこし、そして「日本人の教え子(Kちゃん、10歳)がいるが、彼女の(企業家の)母親が忙しく、彼女の面倒をみれないので酷く寂しがり、屈折してきている」と、新たに相談をしてきました。

それで私は彼に私の日本人ペンフレンドYさんと別の女性Mさんともう1人の女性を紹介。また、Kちゃんの件はKちゃんにも日本人と文通をさせたらどうか」と言ったところ、彼はまず小学生のお嬢さんがいるYさんに依頼しました。

(心優しいYさんは、Kちゃんに同情し、お嬢さんに聞いてこれを引き受けたのは、私は後で知りました。)

その後もたびたびAは私にメールをしてきて、彼は「フォーラムの広告を載せている子たちに、Kちゃんのペンフレンドを申し込んでみたが、誰からも返事をもらえない」と愚痴を書いてきたので、「なぜ、Kちゃん自らにペンフレンドを探させないのですか?」という質問をしたところ、のらりくらり。

そして、Yさんのお嬢さんについて、「Yさんが娘さんの為にスカイプのアカウントを作ってくれようとしているけど、まだできない。僕は彼女とスカイプで話をするのを楽しみにしている。」と書いてきたので、「Yさんのお嬢さんは、あなたと友人になるともりはない。なぜあなたがスカイプで彼女と話す気でいるのか?」と詰問。これに返事はなし。

そのメールを送った晩、Aとスカイプで一度話したMさんから、「Aは、2009年に日本にいたとき、9歳の日本人女の子と付き合っていたようだ。異常だと思える。」と連絡があり、慌てて、Yさんと他の1人に連絡。スカイプのアカウントを作る前で事なきを得ました。

(日本にいたというのは、私は初耳。)

Aには、私から、「二度と私や他の友人達に連絡をよこさないで!」とメールをしたので、私にも、他の女性たちのも返事はありませんが、ふと、フォーラムに広告を載せている女の子たちのことが心配になって、警告メールを出すことにしました。

なお、A9月に日本にやってきます。

(私に自分の会社のアドレスを当初使い、また、日本での彼の取引先の会社の話もしているので、私達に悪さはできないと思うので強くでれました。)

ただ、彼は9歳から10歳の女の子にしか興味がわかないようですので、おそらく彼が「成りすまし」をしたとしても、せいぜい日本語は片言だと思うので、引っかかる子どもはいないと思っています。

長くなりましたが、こんなところです。

アドバイス、ありがとうございました。」

さて、上のFさんへの説明は、話が長くなるので事実を簡略化して書いた部分もあります。

簡略化したものの一つですが、 実はAKちゃんに私のメールアドレスを渡したといい、Kちゃんからも私にメールが届きました。

そのメールの内容はここで詳しく書けませんが、それは10歳の女の子が書くにはこまっしゃくれた内容で、彼女の屈折ぶりがわかりました。

ただし、彼女のメールはすべて英語で、これは「日本語はできるけど、4年間米国にいるので、日本語を書くのがもう苦手になってしまっている」という説明があっても、ちょっと不自然。しかし、本当に本人が書いた可能性も棄てきれないので、他人には見せられませんでした。

後に、Aのロリコン趣味および成りすまし疑惑が持ち上がって、このメールはほぼ、Aの自作自演だろう、と、アメリカの友人に鑑定してもらったところ、

「このメールは、子どもが書いたものではないはず」

と認定。

ただし、その認定も100パーセントではないですし、Aは、Kちゃんのスナップ写真を私に送ってきており、それも気になります。

ロリコンのAが、サイドビジネスで、「学校にいる外国人(子どもだけ?)に英語の補習をしている」というのも不安。

今回、A2009年に日本で英語の教師をしていたことを聞いて、ネットで検索をしてみたら、ある「英語教師派遣会社」のHPに、Aの写真と自己紹介が載っているものも見つけました。(彼はゲームの仕事で来日しているので、このときもビザに問題がなかったのか?)

日本でも彼がまた働く可能性もありそうです。

少し、この件は気にしていこうと思います。

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ヒトラーを怪物にしなかったとしたら

2013年08月10日 | Nationalism

GYAOではまた映画『ヒットラー』映画を配信しています。

http://gyao.yahoo.co.jp/p/00569/v08301/

818日までの配信ですので、ご覧になられる方は急いでどうぞ。(無料)

さて、私はヒトラーが多くのドイツ国民から支持を得ることができた理由の一つが、大胆な経済改革で敗戦国ドイツを立ち直らせたことにあるという話は何度か書きました。

しかし、彼はそのほかに、『公害防止』『国民の健康衛生』に力を入れていたというのは知りませんでした。

『ヘブライの館 2

意外にも評価が高かった初期のヒトラーの政治手腕

http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc612.html

(抜粋1)

更にヒトラーは、「公害の防止」にも非常に熱心だった。

大気汚染を防止するために有毒ガスの完全除去を産業界に奨励し、実際、多くの工場に汚染防止装置が設置された。新設工場は水質汚染防止のための装置を取り付けることを義務づけられた。

新たに進められる都市計画では、自動化された地下駐車場や、車両通行禁止の広場、無数の公園、緑地などを設けて、大気汚染が厳重に規制された。

(抜粋2

ところで、ヒトラーの国家的な健康管理は、想像以上の効果をあげていた。

当時のドイツの医学雑誌は、食物や飲み物の中の人工着色剤や防腐剤の悪影響について警告し、薬品、化粧品、肥料、食物についても、有機的で自然な素材のものに戻るように力説していた。ヒトラーの侍医であったテオドール・モレルは、殺虫剤のDDTは無効であるばかりか危険であると断言し、健康に対する脅威であるという理由で、1943年まで配布を延ばさせた。また、ナチスは党の事務所や待合室など、公共の場での喫煙を禁止した。

(ヒトラーとナチスドイツの蛮行を思えば、彼らをほめているようで言うのもなんですが・・・)ヒトラー政権に対して、「原発再稼動も辞さない(原発輸出も推進)」「遺伝子組み換え食品や化学物質満載の食品を日本に入ってくるハードルを低くしている」という安倍政権 - 『国民』に対しての思い入れは、ヒトラー政権に遠く及ばないようです。

ところで、『ヘブライの館2』さんが、文芸評論家の加藤弘一氏の言葉を紹介しています。

資本主義の発達は伝統的な共同体を解体し、人間を孤独な個人として競争社会の中に放り出したが、寄るべない個であることからの救いを宗教以外に探すとしたなら、マルクス・レーニン主義のように、自己の根拠を国際的な労働者の連帯という階級神話に求めるか、国家社会主義のように民族の連帯という人種神話に求めるしかない。

ヒトラーは『国際的な労働者の連帯』を『ユダヤ的社会主義』と呼んで否定したが、ユダヤ的云々はともかく、そのような抽象的な『連帯』で人間が救えるかという主張と見るなら、困ったことに、それなりの説得力を持っている。

ハイデガーをはじめとするヨーロッパ最高の知識人がナチスに傾倒したのは、『民族の連帯』という神話にある種のリアリティを認めたからだが、しかし、あくまで神話にすぎない以上、ナチズムも共産主義同様、団結を維持するために人民の『敵』と強制収容所を必要とした。個であることの不安から逃れようとする人々がいる限り、新たなヒトラーはこれからも登場するだろう。」

これは、加藤氏のジョン・トーランド『アドルフ・ヒトラー』の書評の結びの言葉です。

http://www.horagai.com/www/book/rev/rev044.htm

説得力があります、

ただ、『新たなヒトラー』はいくらでも登場するかもしれませんが、彼らを怪物にするかしないかは民衆によるでしょう。

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ピーター・カズニック准教授の講演会に駆けつけた、水戸喜世子さんからのコメント

2013年08月08日 | 原発・核・311

2011年7月に、アメリカン大学の、ピーター・カズニック准教授についてブログを書きましたが、彼は、オリバー・ストーン監督と現在日本に滞在中。

(『ピーター・カズニックの論文』

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20110727 )

8月5日には広島、9日は長崎、そして11日には東京、14日は沖縄で公開イベントがあります。

Peace Philosophy Centre

今夏8月、『もう一つのアメリカ史』のオリバー・ストーン監督、ピーター・カズニック教授が来日-広島、長崎、東京、沖縄で公開イベント開催!

http://peacephilosophy.blogspot.jp/2013/06/blog-post_10.html

さて、8月5日の広島でのイベントに参加された水戸喜世子さんから、先のブログにコメントをいただきましたので、ご紹介させていただきます。

「8・6広島集会に参加されるというので、大阪から お話を聞きに行きました。聞く人のことを考えたゆっくりしたわかりやすい英語で、素晴らしい話をしてくださいました。アメリカの中で、多分アメリカを愛するからこそ、第二次世界大戦後のアメリカが世界で果たしてきた犯罪行為=核の拡散、戦争の拡大、=について厳しく糾弾しておられることを知りました。マスコミからも抹殺されながら、この6年間(?)8・6には毎年学生を連れて広島に来ておられるとか。心打たれ感銘を受けました。エノラゲイの無反省な展示についても抗議活動を展開されてきたのですね。

集会での発言に、福島に触れられることがなかったので、会場を出られたところを捕まえて、ぜひとも福島にも行ってください と話しかけました。オリバーストーンさんは沈黙でしたが、カズニック氏はI know I knowと言って、うなずいてくださったのです。うれしかった!!

アメリカの世界核戦略の中での2度目の被ばくを受けているのです。もちろん悪いのはアメリカだけではなく日本政府も同罪ですが。

(後略)」

彼女のご主人は、故水戸巌氏-反原発の核物理学者です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%88%B8%E5%8E%B3

喜世子さんご自身もご主人の志を継いで、反核、反原発の活動なさっています。

ところで、巌氏は戦時中に福島に疎開していらっしゃったそうですが、福島が戦時中、米国による模擬爆弾を投下された場所の一つであったことを思い出しましたので、ついでに関連記事を貼り付けます。(以前に一度紹介済み。)

東京新聞 (2012718日)

弟奪った「模擬原爆」に原発事故重ね 大事なこと知らされねぇ

http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/nucerror/list/CK2012071802100008.html

日本政府は、中国や韓国に強く出れても、米国には、まるっきり形無しです。

「どこの国だから強く言う」というのではなく、『理論』で考えることをして欲しいと思います。

『(中国や韓国に)強い国』などを目指している時間があったら、『若者や子どもたちが「この国の国民でよかった」と思える国』を、是非作ってほしいものです。

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ナチスは悪者、でも自分たちが手法を真似るのには抵抗がない安倍政権とイスラエル

2013年08月05日 | Nationalism

先週のナチスの麻生発言、私の海外の友人達は、麻生氏について非常にあきれ果てています。

彼らは、こんな発言をした人物が大臣に居座れる日本が不思議。

さて、今日はJBpressに82日のフィナンシャルタイムズの記事(和訳)が載っていました。

JBpress (201385)

ナチス失言に垣間見える自民党の憲法改正の野望

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38385

(前略)

怒りを煽る燃料となったことは別として、このエピソードは与党自民党を牛耳る文化的保守派が修正主義の夢を捨てていないことを思い出させる一件だ。安倍首相は先月の選挙の後、憲法の問題を後回しにし、経済に集中すると約束した。この約束は、憲法改正について意見が割れている国民と、憲法を巡る戦いが経済改革から注意をそらしてしまうことを懸念する投資家を安心させることを意図していた。

 多くの人の見るところ、右派が今抱く計画は、十中八九次の選挙が実施される3年後に憲法改正問題を再び取り上げることだ。アベノミクスが好景気を維持し、より多くの有権者を自民党に引き寄せ、憲法改正に着手するために必要な圧倒的多数を党に与えてくれるという想定だ。

 だが、その間、保守派の支援者をしっかり仲間に引き込んでおく必要性――麻生氏はこれを試みているように見受けられる――のため、この計画を隠しておくのは難しい。

 新憲法を得た方が日本のためになるかどうかは議論の余地がある。2005年に自民党が起草した改正案は、軍の保持の禁止を解くだけではない。この条文はいずれにせよ、半世紀続いた柔軟な解釈の下でほとんど無視されてきた。改正案は市民権に対する注記も加えており、批判派いわく、そうした権利を「社会秩序」の概念より下位に置くことになる。

現行憲法から大きな恩恵を受けてきた自民党

 矛盾しているようだが、現行憲法の最大の受益者に数えられるのは自民党自身かもしれない。同党は大半の有権者より右寄りの思想を持つにもかかわらず、1955年以降、4年間を除いて日本を支配してきた。憲法が多くのことをするのを許さないため、国民は自民党が軍隊(自衛隊)や自分たちの権利についてどんなことをするか心配せずに同党に票を投じることができたからだ。

 安倍氏や麻生氏、その仲間たちは、有権者が自分たちの課題を全面的に支持してくれると考えている。新憲法を提言することは、より正直な政治かもしれないが、もしかしたら日本と自民党にとっては、よりリスクが高いものかもしれない。

ヒトラー政権もムッソリーニ政権もイメージ作りから不満を抱えていた国民の支持を伸ばしていきました。そして、実際彼らが大胆な経済政策を打ち出したことで国民は自信を取り戻し、不況を脱出させたことで国民は彼らを英雄視。

もうこうなると、あとは「あれ?おかしいぞ」と思う政治家や国民が出てこようと、もう好き放題。(法を思いのままにしたことから始まりました。

これを安倍政権がお手本にしていると思っているからこそ、麻生も口を滑らしたのでしょう。

さて、ところで、ょっと失言云々とは話がずれるのですが、アメリカ人のティムさんが、面白い法則を教えてくれました。

Godwin’s Law

http://en.wikipedia.org/wiki/Godwin's_law

これは、マイク・ゴッドウィンという人が1990年に提唱した法則。

「ネットでの議論が長引けば長引くほど、ヒトラーやナチを引き合いに出すことが多くなる」ということのようです。

が、これはインターネットに限らずで、その場合はヒトラー、ナチスドイツ用は『悪しきもの』として引用されることが多いのに、安倍政権がそれを手本にするとはいったいどういうことでしょうね。

さて、話変わって-今回の麻生発言にはユダヤ人権団体がまっさきに抗議をしていました。

こうした団体およびアメリカ、西側政府やメディアは、(今に始まったことではない)イスラエルのナチス化は全く問題視しないんですね。

IBtimes (201385日)

イスラエル: ネゲブ砂漠のベドウィン(遊牧民)を強制移住

http://jp.ibtimes.com/articles/47534/20130805/746406.htm

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ムッソリーニ支持者のイタリアの教師、そして麻生副首相のスピーチ

2013年08月01日 | Nationalism

先日、イタリアのペンフレンドのエリーさん(30歳)が、

「私が小学校の頃。ある教師(ムッソリーニ支持者)がファシストがしたよいところをずらずらあげて話したの。私は家に帰って、両親にこの話をしたところ、父親はとても怒って、学校に怒鳴り込んでいったわ。」

と書いてきました。

彼女が小学校の頃といったら、90年代でしょう。

(確かにヒトラーもムッソリーニもインフラ整備等、国にとって有益な実績をあげていたが)これをドイツの学校で教師がやったら懲戒免職だろうし、『ファシスト支持者』として話したとしたら、犯罪に問われたかもしれません。

私は、一般の人個人としての信条は行動に出さない限りあまり法などで取り締まるべきではないと思いますが、教師が学校で幼い生徒たち相手にこうした話をするとなると、これはもう懲戒免職で会ってしかるべきだと思います。

(この後どうなったのかはエリーさんに聞いていませんが、彼女が言及しなかったということは、そのままで終わってしまったのではないかと思います。)

さて、そんなイタリアを笑えません。

麻生副首相が、先月29日の東京都内の講演で、憲法改正について、静かな環境で進めるべきだとの主張の中で「ドイツのワイマール憲法はいつの間にかナチス憲法に変わっていた。誰も気が付かなかった。あの手口に学んだらどうかね」と発言していたとのこと。

これがバッシングを受けたとたん、

「喧騒(けんそう)に紛れて十分な国民的理解及び議論のないまま進んでしまったあしき例として挙げた。極めて否定的にとらえていることは、発言全体から明らかだ」などと釈明 とのことですが、苦しい言い訳です。(釈明まで時間が掛かったのはなぜ?)

撤回する前にJapan Todayに載った記事は以下のとおり。

http://www.japantoday.com/category/politics/view/aso-says-japan-could-learn-from-nazis-on-constitutional-reforms

のリンクでしたが、これは内容が更新(→Aso retracts Nazi remarks)されてしまったようなので、本文を貼り付けます。)

Japan Today (2013.8.1)

Aso says Japan could learn from Nazis on constitutional reforms

TOKYO ―

Japan’s gaffe-prone deputy prime minister has said Tokyo could learn from Nazi Germany when it comes to constitutional reform, prompting a rebuke from a Jewish human rights group.

In a statement on its website late Tuesday, the U.S.-based Simon Wiesenthal Center called on Taro Aso to clarify his comments that Tokyo, which is mulling a change to its pacifist constitution, should look to the way the Nazis quietly adopted reforms.

“First, mass media started to make noises about Japan’s proposed reforms, and then China and South Korea followed suit,” Aso was quoted by Japanese media as saying in a speech Monday to a conservative think tank.

“The German Weimar constitution changed, without being noticed, to the Nazi German constitution. Why don’t we learn from their tactics?”

In response, the Jewish rights group said: “The only lessons on governance that the world should draw from the Nazi Third Reich is how those in positions of power should not behave”.

Chief Cabinet Secretary Yoshihide Suga, the Japanese government’s top spokesman, on Wednesday declined to answer media questions about the comments, saying “deputy prime minister Aso should answer that question”.

Prime Minister Shinzo Abe’s ruling Liberal Democratic Party has said it wants to revise the US-imposed pacifist constitution to define Japan’s defense forces as a full-fledged military force, amid territorial tensions with neighbours China and South Korea.

That has stirred strong emotions in Beijing and Seoul which have long maintained that Japan has never come to terms with its militaristic past.

Aso, who is also Japan’s finance minister, is known for his sometimes uncomfortable remarks, including saying earlier this year that elderly people should “hurry up and die” to avoid taxing the country’s medical system.

エリーさん他、海外の友人達にこの記事を送りました。

この1人、ドイツのブルクハルトさんは、少し前に「正しい行いができるようになるのは、親が手本になるのが大事」と言っていました。

私は、それに同意しつつ、「祖父母でも伯父叔母でも、近所の人でも、学校の先生でもよいから、身近に信頼できる大人が両親の代わりになることもできますね。」と言っていましたが、麻生太郎はお祖父さんからは何も学ばなかったようです。

吉田茂には問題点もありましたが、彼はナチスドイツを嫌い、そして戦後は「平和の国日本」を作ることに奔放、そして、吉田内閣において平和国憲法は制定されました。

さて、Japan Today ”Aso retracts Nazi remarks“に記事に寄せられていたコメントのうち、高評価だった二つのコメントをついでに貼り付けます。

① It's not the first name this guy refers to the Nazi regime. A few years ago, he paraphrased Hitler when he said during a public speech: "Japan is one nation, one race, one culture". It's easy to dismiss Aso as a moron (which he probably his, based on his record). But this guy is clearly dangerous. It's not a secret, he and some of his friends want to get away with the postwar democratic regime and replace it with a strong State with "Japanese characteristics".

② Well, Japan did ally with the Nazis, did they not? No politician should EVER suggest emulating the Nazis. It will never be perceived in the intended manner. Perception IS reality in politics.

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