アメリカが発端となった金融危機は相変わらず解決の糸口も見つからず、各国とも大不況、失業者増の問題を抱えたままです。
暴動こそ起こりませんが、これを機に、今までのアングロサクソン型資本主義、経営というものを疑問視する声も大きくなり、政府から財政援助を受けたAIGの幹部の桁外れのボーナスなどがそれに拍車をかけています。
(まあ、マスコミも、そして一度は散々アングロサクソン型を持ち上げていた学者なども、ただ態度を一転させたりするのは無節操で、もう少し冷静に分析すべきです。)
知り合いのイギリス人社会学者D氏は近年でも『働くということ』『誰のための会社にするか』という本を書いていますが、彼はアングロサクソン型経営を批判し続け、そして日本型経営のすばらしさを訴え、日本が日本型を失ったことを嘆きます。
アングロサクソン型というのは簡単にいえば成果重視型でドライ(割り切りの良さ、格差)、日本型はチームプレイ型なのでウェット(人情型)と言う面があります。
日本型の何が優れていたのか-その一つは「人を人として扱うこと」という善行であったとともに、それが結果、製品(もしくはサービス)の完成度の高さ、質の高さも生み出していったことだと思います。
それは「会社に対する信頼があると共に、自分が会社から信頼されているという自信」→「仕事にプライドを持つ」→「品質向上」「アフターサービスの充実」→「製品の人気」「信頼」→「売り上げ上昇」という図式で表せるように、アングロサクソン型のように合理的ではなかったにしろ、結果到達部分は同じだったのです。
とはいえ、日本型が完全であるというわけではありません。なんでもそうですが、時代の変化や環境の変化に応じて変わっていかないと生き残れないからです。
日本には一時期アングロサクソン型をもてはやす風潮ができあがり、それに乗ってしまった経営者が心を失い、拝金主義、成果主義に走ったのも事実です。
しかし、グローバル化された市場、経済で生き残るためには、昔と同じままではいられない、こうして試行錯誤しながら経営の形を変えていった経営者の方が多いのだと思います。
「日本は日本型よりアングロサクソン型が良くて選んだのではない。昔が良かったから昔に戻れというのは無理なんだ。日本型とアングロサクソン型の良いところを併せ持ったものを。」と、経済学者のB氏は言います。
実はD氏は来月来日するので、彼と引き合わせるつもりでしたが、日程調整が付かず、叶いませんでした。
D氏とB氏、意見はすれ違うかもしれませんが、”Cool head with warm heart”のお二人の意見交換を是非実現したかったと思います。