Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

社会活動家版「英雄色を好む」は危険

2020年01月31日 | 人物

以前、

グラドル保育士と駒崎弘樹氏(児童福祉専門家・内閣有識者会議の委員)
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/2320d2d5601f70b15a429054641d5fa0

を書きましたが、駒崎弘樹氏のツイッターがより酷くなっているようです。

杉並区議会議員、田中ゆうたろうのツイート:

フローレンスが許されない理由 ①写真や映像を目にした子供の心に傷を負わせる行為であること ②“現役保育士グラドル”のブランディングのために、税金が原資の運営費を使用していること ③歴代の保育者が築き上げた、福祉施設・幼児教育機関としての、保育所の専門性や社会的地位を貶めていること

画像を含めて、下のリンクからツイートをご覧ください。駒崎氏が使う画像もはりつけてあります。

https://twitter.com/tanakayutaro_w/status/1222714069163003905

 

自称社会活動家-児童福祉に貢献する-という駒崎弘樹氏のこの感覚ってなんでしょうか。彼がやっていることは、法律には違反しません。

しかし、なぜか国際支援団体の性虐待を連想してしまいます。

(一部社会活動家たちの異常な性的欲求の強さ・・・「英雄色を好む」とでも思っているのか、「支援してやっているのだから何をしても許される」とでも思っているのか。ま、実際性的搾取をした国際支援団体員は刑務所に入っていないんですけど。)

少女買春が横行する国際支援の闇「国連支援隊員が6万人レイプ。小児性愛者3,300人雇用」専門家告発
by 木村正人氏

https://news.yahoo.co.jp/byline/kimuramasato/20180221-00081863/

[ロンドン発]2010年のハイチ大地震で派遣されたイギリスの国際NGO(非政府活動)オックスファムの支援隊員(エイドワーカー)が少女買春に関わっていた疑惑が底知れない広がりを見せています。オックスファムでは90カ国以上で5,000人の職員と2万3,000人のボランティアが働いています。疑惑をタイムラインでおさらいしておきましょう。

【オックスファムのハイチ少女買春疑惑】 

2010年、ハイチ大地震で10万~16万人死亡、数百万人がホームレスに。オックスファムが支援隊員を派遣

2011年、ハイチに派遣された支援隊員数人がオックスファムの施設内で買春したり、いじめや脅迫を行ったりしていたとの疑惑が浮上。4人が解雇され、3人が辞職。

オックスファムに年間3170万ポンド(約47億円)の助成金を支払うイギリス政府の慈善委員会や国際開発省には報告。少女の何人かは性行為を持つことが許されないアンダーエイジ(未成年)との未確認情報も。

(中略)

疑惑はオックスファムだけにとどまりません。英紙タイムズによると、昨年1年間だけでオックスファムを含む主要慈善団体から120件を超える性的不品行疑惑が報告されているそうです。

オックスファムが87件で、このうち53件は警察に通報、20人が解雇されました。子供支援専門の国際NGOセーブ・ザ・チルドレンが31件で10件を警察などに通報。解雇されたのは16人でした。クリスチャン・エイドが2件だったそうです。

【国境なき医師団】

仏パリを拠点とする国際医療支援団体「国境なき医師団(MSF)」によると、昨年146件の苦情・警告が寄せられ、このうち40件が性的嫌がらせや性的暴行の訴えだった。24件について措置を取り、職員19人を解雇。

【セーブ・ザ・チルドレン】

現在、国連児童基金(ユニセフ)副事務局長を務める前CEO(最高経営責任者)が3件の不品行疑惑で糾弾される。

(中略)

国連PKO(平和維持活動)の深い闇について調査してきた英キングス・カレッジ・ロンドンのアンドリュー・マクラウド客員教授は昨年、パテル国際開発相(当時)に「過去10年間に国連職員によるレイプは6万件にのぼる恐れがあり、3,300人の児童性愛者が国連機関に雇用されたと推定される」と告発する文書を手渡しました。

(中略)

国連PKOや特別政治ミッションの要員によるレイプや性的虐待などの報告は2016年だけでも計145件(これ以外に安全保障理事会のマンデートによる非国連部隊関係が20件)。犠牲者の数は少なくとも311人にのぼりました。このうち子供に対するレイプは48件(このほか非国連部隊は12件)、大人に対して食料や衣服と交換に性行為を要求していた事例が38件にのぼりました。

組織別の内訳では難民を支援する国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の要員による被害が一番多く26件、国連パレスチナ難民救済事業機関は8件、ユニセフ3件、国連開発計画2件でした。

人権弁護士でエイドワーカーだったマクラウド氏は旧ユーゴスラビアやルワンダの内戦で赤十字社の国際委員会と働き、2005年のパキスタン震災では国連の緊急協力センターで責任者を務めました。

マクラウド氏は「これは氷山の一角だ。国連の人道支援活動に関して起きたレイプや性的虐待で起訴されたケースはこれまで1件もない」と国連のリーダーシップの欠如を厳しく指弾してきました。

国連PKO絡みの少女買春、性的虐待が非難されだしたのは1996年以降ですが、事態は全く改善されていません。

(中略)

マクラウド氏が挙げる問題点や課題は次の通りです。

1)国連は数百ものレイプや性的虐待が起きていることを認めているのに、ただ一人として刑務所に入っていない

(2)国連は小児性愛者の犯罪に対して寛容であるというシグナルを送り続けている。国連はカトリック教会に次ぐ小児性愛者の巣窟だ。いやカトリック教会より多いかもしれない

(3)職員やPKO要員を採用する際、小児性愛者であるかどうか特別なチェックが必要

(4)小児性愛者を見逃さない内部告発制度の確立

(5)子供へのレイプ犯罪に対するDNA検査の実施と法的免責の剥奪

(6)国際刑事裁判所に国連職員やPKO要員を訴追する権限を与え、被害者の難民登録を認める

(後略)

 

参考:

ポリアモリーやポリガミーと格差社会-駒崎弘樹氏も音喜多俊氏もイベント応援?
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/353af3022ad74bde6e88396b159e9cd3

『あなたになら言える秘密のこと』-3(※ネタバレあり)
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/f6517782199f87f8335694e9d40833bf

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2009年新型インフルエンザと今年の新型肺炎-ワクチン漬けのデメリット

2020年01月30日 | 福祉・医療

昨年2月に書いた記事のリンクと抜粋です。

「バイオテロに対抗するのはワクチンや抗ウィルス薬」とツイートする村中璃子氏・ビル・ゲイツ氏とバイオウィルス
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/a71242c421496d6247071918488d688f

(前略)

昨年6月に、ビル・ゲイツ氏が「生物兵器レベルの疫病の世界的な流行が今後15年以内に発生。」と予告警告しています。 

「次の疫病は遺伝子工学技術を持ったテロリストによってつくられたバイオテロかもしれません」と。 

(中略)

遺伝子工学技術を研究し、たとえばブラジルなどにジカ蚊を退治するといって、GMモスキートを解き放ったビル・ゲイツ氏。 

結果、ジカ蚊が撲滅されたわけでもなく、逆に妊婦がジカ蚊に刺され、ジカ熱に感染したのが原因だと言われている、小頭症の胎児、子供を出現させただけでした。

(ジカ蚊に刺された妊婦はGMモスキートを放つ前もたくさんいたはずですが、なぜGMモスキートを放った後小頭症の胎児が増えたのでしょうね?) 

 

蚊の駆除に『安全で環境にやさしいOxitec社のGMモスキート』をブラジルに放った結果は・・・
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/af282f5bc288a29ddd55d49d6facb1d0

彼らは失敗を認めませんが、GMモスキートは失敗。却って疑念まで残してしまいました。 

GMモスキートをばらまくのと、バイオウィルスをばらまくのとでは時限が違う話でしょう。

ただ明らかなことは、ビル・ゲイツが警告するバイオテロがあるとしたら、それはやはりその知識がある人達ではないでしょうか? 

遺伝子工学技術を使ったウィルスのバイオテロを警告している側こそが、その最先端の研究をしているという皮肉。 

彼らはおそらく自分達が「正義」と思っているでしょうが、ワクチン接種が思うように広がらないからといって、「遺伝子工学技術を使ったウィルスをばらまくテロがあるかもしれない」と脅した段階で、彼らは半分テロリストと同様のことをしている―人々に恐怖心を植えつけて目的を果たそうとしている―と言えるのではないか・・・そう思えます。 

現在流行している新型コロナウィルスはバイオテロではないと思いますが、2018年のビル・ゲイツ氏の予言、いや失礼、警告はどこから来ていたのでしょうか?

新型肺炎で亡くなっている人は、持病がある人という話もあります。

(GIGAZINE(2020年1月27日)
「新型コロナウイルスよりもインフルエンザが危険」な理由とは?https://gigazine.net/news/20200127-the-flu-bigger-threat-than-coronavirus/

感染しても無症状の人もいるという。

ほとんどの人が死なない感染症で亡くなる人は免疫機能が低下していると思うのですが(投薬、ワクチンを打つ機会が多い、ということも併せて)、現在「予防医療ビジネス」のおかげで、免疫力を付ける機会を奪われている私たち。

インフルエンザワクチンだけでも、1995年の生産額418億円、2012年2739億円。
インフルエンザワクチンよりも問題は、驚くほど増えている乳幼児に打つ予防接種ワクチン。

ワクチンと川崎病
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/b96ba8d1c387092cee34cd61c49ff8c3

乳幼児ワクチン接種-MIOの世界『ワクチン多すぎ!』
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/80c3a52c2c7d5386299fbdcfa5b3f18b

昔は感染しても大した症状を起こさない、または発症しなかったウィルスが、予防接種で過保護にされた人間には脅威になる、ということはないのでしょうか?

2009年にWHOが新型インフルエンザの世界的流行を予測しそれがはずれました。当時、病気に感染したのは20歳以下の青少年だけ。
この不自然な患者の出方をWHOは調査したのでしょうか?

当時のウィルスでも、今なら感染者はもっと増えていたかもしれません。

ウィキペディア
2009年新型インフルエンザの世界的流行
https://ja.wikipedia.org/wiki/2009%E5%B9%B4%E6%96%B0%E5%9E%8B%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AB%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B6%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E7%9A%84%E6%B5%81%E8%A1%8C

抜粋:

2009年4月、メキシコで3か所、米国では2か所において、いずれも局地的な発生が確認された。その後、メキシコのメキシコシティ、米国のテキサス州とカリフォルニア州の3か所にて確認された。感染者は、いずれも20歳以下の青少年。

(中略)

2010年1月には、ドイツの副議長で、欧州評議会の保健委員会長のヴォルフガング・ワダルグが主張するには、大企業が、ワクチンを売るために「偽りのパンデミック」を宣言するよう、世界保健機関 (WHO) に圧力をかけるためのパニック・キャンペーンを画策してきた。政界最大の医学のスキャンダルの1つだと述べ、2009年5月にメキシコシティで始まったとされる「偽りのパンデミック」キャンペーンは、数百人程度の「通常」のインフルエンザ症例が報告され、これが新たなパンデミックの脅威だとされたが、その根拠は乏しかった。

3月には、欧州評議会は、国際的な豚インフルエンザ・キャンペーンは製薬会社の影響を受けているとして調査を開始。4月、WHOのインフルエンザの責任者であるケイジ・フクダは、パンデミック宣言を導いた体制が、H1N1についての混乱をもたらしたと述べ、その懸念を表明したがそれは、恐れるほどの致命性がないものだと判明したこの新しいウイルスに関する、不確実な部分について、情報伝達が失敗したということであり、マーガレット・チャン・WHO事務局長は、レビューを実施するために機関の外部の専門家を任命したことを伝えた。

6月、BMJのフィオナ・ゴッドリー編集長は調査をもとにWHOを批判し、パンデミックに関するWHOの顧問に、抗ウイルス薬とワクチンを生産している製薬会社との間に金銭関係があるという調査があるとした。マーガレット・チャンは以下のように応答し、製薬業界の影響を受けているという印象を残してしまうだろうが、パンデミック宣言の決定は定義された基準に基づいたもので、この基準をねじまげるのは難しい、と。

追記:

私が子どものころ集団予防接種では、同じ注射器、注射針で続けざまに注射。肝炎感染の原因となりました。

風邪をひくと必ず抗生物質。お腹を壊すと下痢止め。水銀が入った赤チン。歯の治療の合金。コレラのワクチン、機関銃のような風圧で打つ注射。

皆「良い」と信じ込まされてきましたが、これらの害は今わかっています。

これらの責任を誰かがとりましたか?

もっと昔には違う血液型の輸血や、病気になると血を抜くなどの医療がありました。
そういえば、ルイ14世は「虫歯になると体に悪い」と言われて歯を全て抜かれ、柔らかい者しか食べられなかった・・・という話もあります。

「今の常識」が「将来の常識」とは限りません。

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カルト宗教に嵌った「宇宙開発の真の父」・JAXAと宗教

2020年01月29日 | 人物

※前回からの続き

前回の記事の末尾に載せた記事の抜粋もはりつけさせてもらいます。

GIGAZINE(2018年12月25日)
オカルトにはまり過ぎて歴史から抹消された「宇宙開発の真の父」の生涯とは
https://gigazine.net/news/20181225-life-of-jack-parsons/

(前略)

1914年にカリフォルニア州パサデナで生まれたジャック・パーソンズは「SFの父」と呼ばれるジュール・ヴェルヌのSF小説に夢中になり、小学生の頃から生涯の友となるエドワード・フォアマンと共に、家の庭で花火を飛ばして遊んでいました。この遊びはやがて科学実験へと発展し、1928年になると2人は固体燃料ロケットの製作に本気で取り組むようになっていました。

(中略)

パーソンズの研究グループが発見した大きな業績の1つに、ロケット用固形燃料の成分混合比やJATO(ジェット補助推進離陸)システムを開発したというものがあります。1926年にゴダードが打ち上げたロケットは液体燃料でしたが、当時液体燃料は取り扱いが非常に困難でした。パーソンズらが開発した固形燃料は、その後のミサイル・ロケット技術には欠かせないものとなりました。特にパーソンズが開発した過塩素酸アンモニウムと合成ゴムを混練した推進薬は、スペースシャトルで使われたことでも知られています。

(中略)

1939年にパーソンズはイギリスのオカルティストであるアレイスター・クロウリーと出会います。クロウリーは当時「世界で最も邪悪な男」と呼ばれ、西洋魔術を下敷きにした神秘主義と快楽主義をうたう新興宗教を創設していました。幼少からオカルトにも興味があったパーソンズはこのクロウリーに取りつかれたように魅入られ、クロウリーの新興宗教に改宗。

(中略)

さらに、ほぼ同時期にパーソンズは、後に新興宗教サイエントロジーの教祖となるSF作家のL・ロン・ハバードと出会いました。ハバードは大きな資産を持つパーソンズに巧みな話術ですり寄り、「ババロンの働き」と呼ぶセックス儀式を行い、同じくクロウリーの信者であったマージョリー・キャメロンをパーソンズと引き合わせています。

1940年頃には、パーソンズはJPLやエアロジェットの一員としてよりもクロウリーの神秘主義に魅入られたオカルトマニアとしての活動に重きを置くようになっており、テストロケットの打ち上げ前に必ずクロウリーの「"Hymn to Pan」を唱えて踊るという奇行を見せたり、乱交儀式に同僚を招いたりと、生活態度が急激に悪化。パーソンズは最終的にJPLとエアロジェットから追放されてしまいます。

(後略)

参考:

ウィキペディア
アレイスター・クローリー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%83%BC

ウィキペディア
サイエントロジー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%83%BC

日本では、こういう危ない人が宇宙開発に関わっているとは思いたくないのですが、ただ少し気になったことがあります。

それは、JAXAには「はやぶさ」の研究に関わってきた科学者や、宇宙教育指導者に、カルト宗教と呼ばれる宗教の信者の方がいらっしゃること。

また、「宇宙開発 宗教」で検索すると、

「宗教哲学からのアプローチ 宇宙体験と宗教体験」

宗教の始まりと特徴. さて,宗教研究と宇宙研究の接点を探る前に,まず宗教はどこから始まるのか,またどの. ような特徴を持つかについて,いくつかの予備的考察をしておこう. もちろん,宗教  ...

というJAXAの資料が検索結果にでてきます。

(私はこのDFを開いていませんのでし、PDFのリンクは貼り付けません。)

JAXAはこういう研究もしているのですかね?

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科学者や投資家にとってうれしい宇宙開発-異常気象との関係は?科学者と投資家が支配する長い21世紀

2020年01月29日 | 環境・エネルギー

日本はもちろん、世界、地球も、宇宙も、科学者や投資家たちのおもちゃにされているようです。

地球温暖化と騒いでいる前に、宇宙開発が気候変動に影響を与えることもあるかもしれない、と考える科学者はいないのでしょうか?

年々増える各地の自然災害。
被災者支援を打ち切り、宇宙開発に税金を費やす・・・。

1月23日の記事で、1991年以降を「黄金&暗黒の長い21世紀」と呼びましたが、それは「科学者と投資家が支配する長い21世紀」ともいえると思います。

(「実はもう地球は地球人に成りすましている宇宙人がいる」と何人かの大物政治家が言っていますが、それよりも宇宙人と手を結んでいる地球人がいるのではないですかね?
こういう国際プロジェクトだって、地球や宇宙に害がない、とは言えず。

CERNがスイスにある理由・岩手県国際リニアコライダー建設誘致に住民は賛成しているのか?
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/402a14f61870ccbc379a11e1a0182a00

国際リニアコライダー誘致していた福岡県・佐賀県-限られた人にとっての「”夢”のリニアコライダー」
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/4cf9a7c6a35f37a04fefdbd9ab22b663

欧州の国際プロジェクトデザーテックとCERN
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/e8725c445cf0d68d3ec2be96486b835a 

)

 

「人工流れ星」日本の空に降るか――異端ベンチャーに集う俊英たちの動機と狙い1/29(水) 8:04 配信
https://news.yahoo.co.jp/feature/1550

2020年、日本の空で人工の流れ星が乱舞するかもしれない。世界初の「人工流れ星プロジェクト」。これに挑戦するベンチャー企業の周囲には、多くのスタッフや専門家が集い、支えている。

(中略)

JR浜松町駅から徒歩5分。芝公園の「増上寺」にも近いビルの1階と2階に「ALE(エール)」のオフィスはある。チーフエンジニアの蒲池康さん(41)はここで、容器の内部に真空をつくる「真空チャンバー」などを使って実験や機器開発に取り組んでいる。

蒲池さんの経歴に“宇宙”はなかった。プラズマを使った生産技術開発に15年ほど携わり、その後、ALEに加わった。宇宙業界で宇宙を一切研究したことがない人は珍しいという。

「でも、やるべきことは産業用装置の開発工程と全く一緒です」

(中略)

「人工流れ星は、世界で誰もやったことがない。自分の持っている知見を全て使って、ゼロからモノを作り上げるのは、エンジニアとして一番おもしろいところです。めったにできる経験じゃないですからね」

(中略)

阿部准教授は流れ星の専門家だ。JAXA(宇宙航空研究開発機構)の小惑星探査機「はやぶさ」プロジェクトでは、小惑星の表面からの光を波長ごとに分ける分光器の開発や、地球帰還カプセルの大気突入発光を人工流星に見立てた観測などを手掛けた。流れ星の温度や物質の組成比を分析したり、流れ星がどこから来たのかの軌道計算をしたりする。

千葉県船橋市にある日大理工学部のキャンパスを訪ね、研究室の扉をノックした。ホテルでの朝、新聞を見て、阿部准教授は何を思ったのだろうか。

その記事は「『人工流れ星』を作る事業を進めるベンチャー社長」という見出しのもと、当時34歳だった女性が紹介されている。600字足らずの短い記事には「一辺50センチの立方体の小型衛星を打ち上げ、高さ数百キロの宇宙から計算した時間と方向へ玉を放出。玉が大気圏で燃え尽きることで、イベントなどの演出に合わせた流れ星になる。総費用は5億円」などと書かれていた。

(中略)

人工流れ星プロジェクトを引っ張っているのは、ALE社長の岡島礼奈さんだ。

東京大学大学院で天文学を学び、博士号を取得した後、畑違いの金融業界へ。ゴールドマン・サックスで自己資本投資の部署に在籍していた。在学中、同級生らの能力に圧倒され、研究者の道よりも事業者として宇宙に関わりたいと思うようになったという。

それにしても、なぜ流れ星なのか。

岡島さんは「根底にあるのは基礎科学をどうやって発展させるかということ」と話す。

「研究は公的資金に頼っている部分がある。政治状況などによって公的資金の使いみちが変わり、プロジェクトがなくなるのも目の当たりにしてきました。ですから、公的資金に頼らずに基礎科学を発展させるために何ができるのか、と考えていた。流れ星はたくさんの人の関心を宇宙に向けさせるエンターテインメント。そのマネタイズで公的資金に頼らなくても科学研究をきちんとできる仕組みをつくる。その両輪をやりたい。私たちが流れ星を流すのは、そういう土台をつくる第一歩だと思っています」

(中略)

人工流れ星の先に何を見据えているのか。これについては、阿部准教授が説明してくれた。

「流れ星が光る地上高度50~80キロと80キロ以上をそれぞれ、中間圏と熱圏と言います。気球でも行けなし衛星も飛ばせないから直接探査が難しい。人工流れ星を観測すれば中間圏の情報を間接的に得ることもできるでしょう。中間圏を理解できれば、気象予報がより正確になると考えられているので、取得したデータには商用価値も発生します」

日本政府が2015年に定めた宇宙基本計画は、宇宙関連産業を10年間で計5兆円規模に拡大するとの目標を掲げている。

また、シンクタンクのニッセイ基礎研究所が2019年9月にまとめたレポートによると、宇宙ゴミの除去や宇宙飛行機といった分野に日本のベンチャー企業も続々と参入。巨額の資金調達に成功する宇宙ベンチャーも多く、月面での輸送・探査プロジェクトを進めるispace社(2010年設立)の101.5億円をはじめ、シンスペクティブ社(2018年設立)やアストロスケール社(2013年設立)など100億円以上を集めた例もある。ALEも2019年9月に香港の投資ベンチャーなどから計12億円を調達した。

(後略)

ところで、科学者にはSF好きが多いですが、こんな人もいました。

GIGAZINE(2018年12月25日)
オカルトにはまり過ぎて歴史から抹消された「宇宙開発の真の父」の生涯とはhttps://gigazine.net/news/20181225-life-of-jack-parsons/

※次回に続く

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スイスのチョコレートの発展とトリノ

2020年01月28日 | フランス革命・サヴォイア・ユグノー・バチカン

トリノのチョコレート産業とワルド派の人々・チョコレート広告のピラミッド
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/c0336143a781b1ae917acf0f42d1f378

を前に書きましたが、この時「スイスのチョコレート産業とトリノのチョコレート産業はどういう関係になっているのだろうか」と気になっていました。
ちょうどスイスインフォにこんな記事がありました。

Swiss Info
スイスに「チョコレート革命」を起こしたパイオニアたち
https://www.swissinfo.ch/jpn/%E3%83%81%E3%83%A7%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88%E7%8E%8B%E5%9B%BD_%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%81%AB-%E3%83%81%E3%83%A7%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88%E9%9D%A9%E5%91%BD-%E3%82%92%E8%B5%B7%E3%81%93%E3%81%97%E3%81%9F%E3%83%91%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%81%9F%E3%81%A1/43746010

(前略)

スイスは世界でも有数のチョコレート生産国だ。カカオも育たない国がどうやってその地位を築いたのか。スイスチョコレート発展の歴史は、数々の技術革新や移民の活躍、そして偶然や人の縁の上に成り立っている。

ヨーロッパでチョコレートが飲まれるようになったのは17世紀に入ってから。今のような固形のチョコレートができたのは19世紀のことで、主に一握りのスイス人菓子職人や企業家の努力のおかげだ。彼らの名前のいくつかは、今も世界で知られている。これら「チョコレート革命」の主役たちと彼らの主な功績を紹介しよう。

 英ヴィクトリア女王が生まれ、ジェームズ・モンローが米大統領だった1819年、スイスではフランソワ・ルイ・カイエ( François-Louis Cailler、1796〜1852)が作った世界初のチョコレート工場が操業を開始した。現存するスイス最古のチョコレートブランド「カイエ」の誕生だ。工場はヴォー州ヴヴェイ近郊のレマン湖を望む場所にある元粉ひき場を改造して作られた。

カイエはイタリアのトリノで4年間にわたり製菓修行を積んでいたが、スイスに帰国している間にチョコレートを固形状にすることに成功した(不運なイタリア人は彼を泥棒呼ばわりしている)。また、機械化のおかげで庶民にも買いやすい値段になった。

 スイスチョコレート史上、カイエの娘ファニーの結婚(1863年)も重要な意味を持つ。夫となったダニエル・ペーター(Daniel Peter、1836〜1919)は地元でろうそく製造業を営んでいたが、オイルランプの普及で売り上げが落ち込んだため転職を決意。67年、妻の実家でチョコレート作りを学び始める。その後まもなく独立するものの事業は苦戦、ペーターはユニークな商品の開発を求め模索する。そんな折、彼の親しくしている隣人でドイツ人移民のアンリが粉ミルク製品を開発した。ペーターはそれをチョコレートに混ぜ込むことを思いつく。カビの発生という問題が起こるが、彼は諦めなかった。粉ミルクの代わりにアンリに作ってもらったコンデンスミルクを使うことで、75年、とうとうミルクチョコレートの製品化に成功する。それはヨーロッパ中でたちまちヒットした。

主な功績:ミルクチョコレートの発明

 この隣人アンリが他でもないアンリ・ネスレ(Henri Nestlé、1814〜1890)だった。ドイツ、フランクフルトにハインリヒ・ネストレとして生まれた彼は、39年、ヴヴェイに移住した。ネスレ自身にチョコレート作りの経験はなかったが、ペーターやカイエの会社、あるいは1929年のシャルル・アメデー・コーラーとの合併などを通じ、ネスレを世界最大の食品会社に育て上げた。

(後略)

※記事の抜粋はここまでとしますが、全文リンクからどうぞ。
記事に出てくる人には「ユグノー」とされている人がいますが、たぶんカルヴァン派。

 

冒頭のブログ記事で紹介したDallas Foodの記事には、機械のミルを使って作る固形チョコレートは、1819年にジョパンニ・マルティーノ・ビアンチー二というイタリアとスイス国境のテッツイーノからトリノにやってきた人物によってつくられた、となっています。

Dallas Food
Part 4
http://dallasfood.org/2011/01/gianduia-gianduja-nutella-part-4/

抜粋:

The first early-industrial chocolate-making machine to appear in Piedmont was built in 1819 by Giovanni Martino Bianchini (an immigrant from Canton Ticino in Italian Switzerland), powered by a mill owned by Maddalena Watzenborn (12).  That was already seven years after the collapse of the Continental System and four years after the Hundred Days and Napoleon’s final exile to St. Helena.

Though it might be possible to produce a crude form of gianduia by separately hand-grinding and mixing cacao nibs, hazelnut butter, and sugar, it seems improbable that the novelty and labor intensiveness of such a process would leave no historical trail, had it become at all common.  A post-Napoleonic invention better fits what is known about the technological development of Turin’s chocolate industry through the nineteenth century.

The most obvious argument against the early nineteenth century invention of gianduia arises from the material state of the confection.  The earliest extant records of gianduia are in the context of gianduiotti—small, individually wrapped candies in the shape of an inverted canoe (13).  They were solid.  Yet through the first half of the nineteenth century, chocolate was still consumed almost exclusively as a beverage—as a liquid (14).  The appearance of gianduia during the Continental System would have made it among the earliest forms of solid chocolate suitable for eating out of hand (15).  The absence of any contemporary remark about such a revolutionary advance in chocolate strains credibility.

フランソワ・ルイ・カイエは、このビアンチー二の技術を盗んだ(or 「盗んだ」と言われた)のでしょうか。

いずれにしても、トリノのチョコレート産業はスイスのチョコレート産業ネスレの様に大衆化に向かわず、そうかといって、ベルギーチョコレート(有名なゴディバは、今はトルコのウルケルという食品会社の子会社)のように、おしゃれでもなく、そこまで高級でもありません。

ヌテラは別枠にせよ(ヌテラのフェレロ社は多国籍企業)、トリノは品質を守りながらも、庶民でも買えるチョコレートを作り続けていますが、これはワルド―派がトリノのチョコレート産業の中枢にいるからでしょうかね。

トリノの街は、白魔術、黒魔術のミステリアスな都市と言われる一方、その地の住民や土地も、かつてのイタリア王国の首都であったと思えないくらい地味です。

(この地味さは、むしろこの都市の長所だと私は思います。
トリノから感じる「ものがなしさ」「現代でありながら現代ではない感覚」「神秘的な雰囲気」は、この地味さがあってのことで、それは人を引き付けます。)

トリノのチョコレート工場での映像もありますので、こちらをご覧あれ。

Italy Unpacked - Turin
https://www.youtube.com/watch?v=uOjq0ZJIWPk

こちらもどうぞ。

ブーツの国の街角で
トリノ:ミステリースポット 探訪
http://tabilista.com/5-%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%8E%EF%BC%9A%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%83%E3%83%88%E6%8E%A2%E8%A8%AA/

ダビデのコラム
トリノ&ミステリー1
http://italia-daisuki.com/column/13-other/566-scuola-ciao-italy41.html

トリノ&ミステリー2
http://italia-daisuki.com/column/13-other/571-scuola-ciao-italy42.html

(白魔術、黒魔術の話は、カタリ派と関連していると私は思います。
カタリ派はトリノやミラノに多く逃げ込んでいます。)

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ユグノー(カタリ派)-2(トゥールーズ公とランバル公妃マリー・ルイーズとフランス革命)

2020年01月27日 | フランス革命・サヴォイア・ユグノー・バチカン

カタリ関連で南仏の歴史について大変わかりやすいウェブサイトを見つけました。リンクと、抜粋をはりつけさせてもらいます。

Zarac歴史サイト-南仏の暴風 アルビジョワ十字軍(1)-カタリ派http://reasonable.sakura.ne.jp/history/bl/Albigeois.html

抜粋:

カタリ(清浄)派という名前はかなり古く3-4世紀から存在するのだが、中世のカタリ派との直接の関係は明らかではなく、むしろワルド派と同様に、12世紀頃に起こった、より聖書に忠実に清貧な暮らしを勧める運動が、ブルガリアのボゴミル派の影響を受け、南ドイツから南仏、北イタリアに広まったものらしい。彼らには統一の指導者や組織はなく、地方ごとに色々な呼称があり、南仏ではアルビ派と呼ばれたものである。

(中略)

カタリ派の教義は全て破壊されて残っておらず、カトリック側から書かれた物、および同系統と見なされているボゴミル派の教義から推測されるだけだが、二元論的なグノーシス主義とマニ教の影響を受けており、マニ教はユダヤ教やキリスト教に加えて拝火(ゾロアスター)教や仏教の影響も受けているため*4、様々な宗教的要素を持っている。

(中略)

「悪魔学入門」でも触れたが、聖書を読むと、旧約と新約で唯一神の性格が随分変わっていることに驚くが、カタリ派では素直に旧約の神は悪神で新約の神を善神としており、神は清浄な魂として人間(天使)を創ったのだが、悪神(サタン)が人間を騙して、自らが創った地上(現生=地獄)に連れてきて(楽園追放)、肉体の檻に閉じ込めたと考えている。

このため、肉体を魂を捕えている枷と見なし、魂が肉体から解放され神の元にたどり着くことを願うが、生前の行いが悪ければ、再び生まれ変わって肉体に捕われるという思想は、まさに釈迦の教え仏教と似ているのである*5。仏教はバラモン教の輪廻思想により、魂は輪廻して、そのたびに肉体を持って病気、老いの苦痛を永遠に繰り返すが、悟りを開くことで成仏し永遠の存在になれるというもので、違いは神や天国の存在だけだが、浄土宗では阿弥陀仏と極楽浄土がその役割を果たしており、また厭離穢土という思想も似ている。

(中略)

現生と肉体を悪神の産物として嫌い、肉食、殺生、生殖、婚姻、所有など、いっさいの世俗生活を否定し、しばしば断食して苛烈な苦行を実行したと書かれると危険なカルトに見えるが、これは他宗教の聖職者や修行僧に値する人々のことで、どの宗教でも聖職者にはそのような制限が課されているものである。

カタリ派では完徳者と言って、聖職者階級とは違うのだが指導的な階層で、一般信者もいずれ完徳者になるのだが、それまでは普通の生活を営み、多くの一般信者は死を悟った時に唯一の秘蹟であるコンソラメントウム(救慰礼)を受けて完徳者として死去するため、肉体の枷から解き放たれるのである。

まあ、二元論や魂の輪廻などの教えを見れば、カトリックから異端扱いされるのは仕方がないと思えるが、実際に教義を理解しているのは聖職者階層だけで、一般信者は単にイエス=キリストを信じ、(新約)聖書に従えば天国に行けると理解しているだけで、豪奢な生活をして隠し妻などを持っているカトリックの聖職者より、より聖書に忠実で清貧なカタリ派の聖職者の方が尊敬に値すると考えて従っていたのである。

クリスチャン、カトリック、プロテスタント、というのもそれぞれが一括りで説明できないのと同じで、「カタリ派」についてもそれは同じこと-上記サイトの管理人さんの説明のようなことが、本来のカタリ派のスタンダードであった、とするほうが、現実的に思いますが、その中から、やはり悪魔教のようなものも出てきてはいた、とも思います。

そしてそれはカトリック側により、「カタリ教」=「悪魔教」⇒正義の元に改宗させるか、絶滅させなければならない」ということになったのだろうと。
(純粋な社会主義者の中から、過激派が出て、それが「社会主義」=「悪」というイメージを植え付けたのと同じように。)

13世紀始めに、このカタリ派を絶滅させるためにやってきた『アルビジョア十字軍』。
アルビジョア十字軍からカタリの人々を守ろうとした勢力の中心が、トゥールーズ伯レーモン6世でした。

ウィキペディア
レーモン6世
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%B36%E4%B8%96_(%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA%E4%BC%AF)

Croissade Albigeoise
『アルビジョア十字軍叙事詩』要約プロジェクト
http://www.medieviste.org/archive/versio/Croissade_Alb.html

ウィキペディア
トゥールーズ伯
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA%E4%BC%AF

トゥールーズの領土は、1285年にフランス横領に組み込まれ、1681年、ランバル公妃マリー・ルイーズのお舅ルイ・ジャン・マリーの父親であるルイ・アレクサンドル(モンテスパン公爵夫人の息子)の領土に、それがルイ・ジャン・マリーに受け継がれました。

(ルイ・ジャン・マリーの死後、オルレアン公に嫁いだ娘に。しかし、フランス革命で彼女の渡った財産は領土ともども没収されました。)。

こう考えると、ルイ・ジャン・マリーが、カタリ派(ユグノー)と繋がっていた、と考えてもおかしくないーユグノー(カルヴァン派)とユグノー(カタリ派、ワルド―派)、ユダヤ人が集結し、「フリーメイソン」ができた-つまりよく言われるような、「フリーメイソンはユダヤの陰謀」というより、「ユグノーとサヴォイア」がまとめ上げたものではないか、とも思えてきました。

なお、

マリー・アントワネットと女官長マリー・ルイーズの真実-美化されていたマリー・ルイーズ
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/dc66eb1dc2ef1ef487f049c89e543247

にも書きましたが、マリー・ルイーズも、義理の妹(義父ルイ・ジャン・マリーの娘)も、フリーメイソン婦人部(養子縁組)です。

以下は上の記事で紹介した、英文ウィキペディアからの抜粋です。

De Lamballe as well as her sister-in-law became inducted in the Freemasonic women's Adoption Lodge of St. Jean de la Candeur in 1777, and was made Grand Mistress of the Scottish Lodge, the head of all the Lodges of Adoption, in January 1781:

この文章のあとは、こう続きますが、もしマリー・アントワネットがマリー・ルイーズの誘いに乗って、フリーメイソン婦人部のメンバーになっていたのであれば、歴史は違っていましたかね?

though Marie Antoinette did not become a formal member, she was interested in Freemasonry and often asked Lamballe of the Adoption Lodge.

(この文章はこうも続きます。マリールイーズは、やはりマリー・アントワネットを陥れた側だったのではないでしょうか?
首飾り事件の容疑者を訪ねています。

During the famous Affair of the Diamond Necklace, Lamballe was seen in an unsuccessful attempt to visit the imprisoned Jeanne de la Motte at La Salpetriere; the purpose of this visit is unknown, but it created widespread rumors at the time.)

(続く)

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ユグノー(カタリ派)-1(ルイ14世の籠妃モンテスパン侯爵夫人とヴォワザン)

2020年01月26日 | フランス革命・サヴォイア・ユグノー・バチカン

ルイ14世の籠妃であったモンテスパン侯爵夫人の孫の1人がマリー・ルイーズの義父。(※前回、前々回のブログ参照)

そしてモンテスパン公爵夫人の黒ミサに関わったのが、ポリニャック夫人の先祖の1人。

この黒ミサを行ったのが、ヴォワザンと呼ばれた女性。

ウィキペディア
ラ・ヴォワザン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AF%E3%82%B6%E3%83%B3

抜粋:

ラ・ヴォワザン(フランス語: La Voisin、1640年4月11日- 1680年2月20日)は、17世紀のフランスの黒魔術師、毒薬製造・販売者。本名はカトリーヌ・モンヴォワザン(Catherine Montvoisin)、旧姓はカトリーヌ・デエー(Catherine Deshayes)。当時のフランスで流行していた数々の毒殺事件の主犯ともいえる女性である。

(中略)

ヴォワザンの死後に彼女の娘が、フランス王ルイ14世の寵姫であるモンテスパン侯爵夫人フランソワーズ・アテナイスまでもがヴォワザンに加担していたと供述した。

モンテスパン夫人は1678年頃からヴォワザンのもとへ通い始め、ルイ14世の寵愛を受けるために媚薬を入手したり、先の寵姫であるルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールを呪い殺す黒ミサを実行していたというのである。ルイ14世の寵愛を失った後、ヴォワザンからルイ14世暗殺の方法を伝授されたとの説や、ルイ14世と彼の愛妾のマリー・アンジェリク・ド・フォンタンジュを2人とも暗殺することで国の実権を握ろうと画策していたとの説もある。

これらの件での醜聞を恐れたルイ14世は、一連の毒殺事件の捜査の中断を命じ、さらに火刑裁判所を閉鎖させ、裁判調書などあらゆる証拠書類も焼却させた。これにより、一連の毒殺事件の真相や顧客たちの秘密は隠蔽されるに至った。

私の想像でしかありませんので、頓珍漢なことを言っているかもしれませんが、このヴォワザンは、カタリ派(ユグノー)だったのではないでしょうか?

ウィキペディア
カタリ派
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%83%AA%E6%B4%BE

カタリ派は、14世紀前半には消えてしまったといわれていますが、それは表に出てこれなくなった、というだけでしょう。

2011年に書いた

Cagotと部落、フランスと日本
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/64e6a509b847e4f3943e6addfe0e76e0

に、フランス人の男性(ナンシー近郊生まれ、ミディ・ピレネー在住の警察官)で、メールに「カタリ」の話ばかりしてくる人の話を書きました。

彼の「カタリ派」に対する思いは、「研究家」の域を超えているようでしたが、21世紀でもそういう人がいるくらいなのだから、当然17世紀頃からずっとカタリ派の人々がいてもおかしくないと思います。

「カタリ派」のウィキペディアに書かれていることは、おそらく悪く書かれ過ぎているようにも思います。実際、本当に黒ミサを行っていたのか、毒薬を作っていたのか(毒薬というと、アンリ2世の妻でもあったカトリーヌ・ド・メディチのイメージがあります。)はわかりませんが、カタリ派、カタリの生き残りが、ナント勅令を廃棄して、ユグノーをカトリックに改宗させようとしたり、国外追放にしたルイ14世はユグノーにとって目障りな存在。

ヴォワザンの周りに集まった人々-モンテスパン夫人やポリニャック夫人の先祖の1人は単純にヴォワザンの毒薬に魅せられていただけなのか…という疑問と、

ルイ14世は、ヴォワザンは処刑したものの、モンテスパン侯爵夫人等、ヴォワザンに関わった貴族たちを厳しく罰することがなかったのはなんでなのだろう・・・と、これまた疑問があります。

歴史本~ウィキペディアまで、書かれていることをそのまま読むと辻褄の合わないことが多いです。

追記:

2015年に作られた動画に、「ユグノーの子孫がカタリとユダヤ人」という説を唱える動画がありました。

Huguenots and Jews of the Languedoc
https://www.youtube.com/watch?v=xQPpAr8-oR0

この説の妥当性はともかく、作者(紹介している本の著者?)はカタリ派を称賛していますね。

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ランバル公妃マリー・ルイーズとポリニャック伯爵夫人ールイ14世の寵姫、黒ミサで失脚のモンテスパン侯爵夫人との繋がり

2020年01月25日 | フランス革命・サヴォイア・ユグノー・バチカン

ところで、マリー・アントワネットの友情を争いあったランバル公妃マリー・ルイーズ・ポリニャック伯爵夫人。

共に生年月日と、結婚した年が同じですが、それ以外に二人に共通していることは、「祖先とモンテスパン公爵夫人が繋がっている」ということ。              

ウィキペディア
ポリニャック公爵夫人ヨランド・ド・ポラストロン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%83%8B%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E5%85%AC%E7%88%B5%E5%A4%AB%E4%BA%BA%E3%83%A8%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%B3

抜粋:

ヨランド・マルティーヌ・ガブリエル・ド・ポラストロン(仏: Yolande Martine Gabrielle de Polastron, comtesse puis duchesse de Polignac, marquise de Mancini, 1749年9月8日-1793年12月9日)は、フランス王ルイ16世の王妃マリー・アントワネットの取り巻きの一人である。

寵臣としてさまざまな恩恵を王家から引き出したことで悪名高い、とされている。奇しくもランバル公妃マリー・ルイーズとは婚姻年及び生年月日が同じである。

(中略)

1767年、16歳の時に婚約した許婚であるポリニャック伯爵ジュール (en) と結婚した。嫁ぎ先のポリニャック家は代々ブルボン王家に仕えた家柄で、特にメルキオール枢機卿 (en) はルイ14世とルイ15世の代表的な外交官として重用された。しかし、ルイ14世の寵姫のモンテスパン侯爵夫人が1678年に起こした黒ミサ事件に関与者を出し、またメルキオール自身もメーヌ公爵夫人の幼君ルイ15世摂政の地位に関わるクーデター計画事件に関与して失脚したため、家運は衰退していた。

モンテスパン侯爵夫人とルイ14世の間に生まれたルイ・アレクサンドルの孫が、ランバル公妃マリー・ルイーズの舅(ルイ・ジャン・マリー:トゥールーズ公)、でした。

ウィキペディア
モンテスパン侯爵夫人フランソワーズ・アテナイス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%91%E3%83%B3%E4%BE%AF%E7%88%B5%E5%A4%AB%E4%BA%BA%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%82%B9

Wikipedia
Françoise-Athénaïs de Rochechouart, Marquise de Montespan
https://en.wikipedia.org/wiki/Fran%C3%A7oise-Ath%C3%A9na%C3%AFs_de_Rochechouart,_Marquise_de_Montespan

なお、

モナコのレーニエ三世大公の父親は、ポリニャック家の血筋です。
先代のピエール大公のウィキペディアを。

https://en.wikipedia.org/wiki/Prince_Pierre,_Duke_of_Valentinois

Prince Pierre of Monaco, Duke of Valentinois (Count Pierre Marie Xavier Raphaël Antoine Melchior de Polignac; 24 October 1895 – 10 November 1964) was the father of Rainier III of Monaco.  He was a promoter of art, music, and literature in Monaco and served as the head of the country's delegation to the United Nations Educational, Scientific, and Cultural Organization (UNESCO) and to the International Olympic Committee.

(ミシンのシンガー、ファッションブランドのLANVIN(ランヴァン)に子孫がかかわっているらしいです。

Maison de Bourbon
ポリニャック家の血筋
https://ameblo.jp/ma-japan/entry-10858361501.html

※次回に続く

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マリー・アントワネットと女官長マリー・ルイーズの真実-美化されていたマリー・ルイーズ

2020年01月25日 | フランス革命・サヴォイア・ユグノー・バチカン

2013年に書いたマリー・アントワネットの女官長のマリー・ルイーズのことを、「マリー・アントワネットを最後まで守ろうとして最後には市民に虐殺された悲劇のヒロイン」という話をそのまま信じて書きました。

マリー・アントワネットとフランス革命の女官長マリー・ルイーズ、そして現代
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/af909a7fa75d3e0b351a4b26df0eb928

しかし、「そのマリー・ルイーズの美談は、本当のことなのだろうか?」と、フランス革命のことを調べれば調べるほど疑問に思えてきます。

18世紀フランスのフリーメイソングランドマスターだったオルレアン公はどのような人物だったか
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/bfbbc745952aa19499ec20da4a435766

マリー・ルイーズの英語版ウィキペディアには、①マリールイーズが、ポリニャック伯爵夫人と大差ないことをしていたこと、②マリー・アントワネットの母親マリア・テレジアが、マリー・ルイーズがサヴォイア家の利益のためにマリー・アントワネットの友情を利用しているのではと案じていたたこともあります。

また、彼女は彼女の義理の妹(マリー・アントワネットの中傷を繰り返し、フランス革命の立役者の一人ともいわれたオルレアン公ルイ・フィリップ2世の妻)とフリーメイソン女性ロッジに入会。

フランスと敵対していた英国ともズブズブでした。

(マリー・ルイーズのお舅ルイ・ジャン・マリー・ブルボンとマリー・ルイーズは大変親しいのですが、そもそもこの舅は、なぜに自分の娘アデレードをオルレアン公に嫁がせたのでしょうか?)

マリー・ルイーズの話は、やはり美化されていると思います。

以下英語版と日本語版ウィキペディアのリンクです。日本語版は美化版。イタリア語版やフランス語版はどうなっていますか。

Wikipedia
Marie Thérèse Louise of Savoy, Princesse de Lamballe
https://en.wikipedia.org/wiki/Marie_Th%C3%A9r%C3%A8se_Louise_of_Savoy,_Princesse_de_Lamballe 

(ウィキペディア
ランバル公妃マリー・ルイーズ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%AB%E5%85%AC%E5%A6%83%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%BA


英語版ウィキペディアから抜粋:

(前略)

In 1768, at the age of nineteen, Marie Thérèse became a widow when her husband died of a venereal disease at the Château de Louveciennes, nursed by his spouse and sister. She inherited her husband's considerable fortune, making her wealthy in her own right. Her father-in-law successfully persuaded her to abandon her wish to become a nun and instead stay with him as his daughter. She comforted him in his grief, and joined him in his extensive charitable projects at Rambouillet, an activity which earned him the name "King of the Poor" and her the nickname "The Angel of Penthiévre".

(中略)

"Her Majesty continually sees the Princesse de Lamballe in her rooms [...] This lady joins to much sweetness a very sincere character, far from intrigue and all such worries. The Queen has conceived for some time a real friendship for this young Princess, and the choice is excellent, for although a Piedmontese, Madame de Lamballe is not at all identified with the interests of Mesdames de Provence and d'Artois. All the same, I have taken the precaution to point out to the Queen that her favour and goodness to the Princesse de Lamballe are somewhat excessive, in order to prevent abuse of them from that quarter."

Empress Maria Theresa tried to discourage the friendship out of fear that Lamballe, as a former princess of Savoy, would try to benefit Savoyan interest through the queen. During her first year as queen, Marie Antoinette reportedly said to Louis XVI, who himself was very approving of her friendship with Lamballe: "Ah, sire, the Princesse de Lamballe's friendship is the charm of my life." Lamballe welcomed her brothers at court, and upon the queen's wish, Lamballe's favorite brother Eugène was granted a lucrative post with his own regiment in the French army to please his sister; later, Lamballe was also granted the governorship of Poitiou for her brother-in-law by the queen.

Princesse de Lamballe was described as proud, sensitive and with a delicate though irregular beauty. Not a wit and not one to participate in plots, she was able to amuse Marie Antoinette, but she was of a reclusive nature and preferred to spend time with the queen alone rather than to participate in high society: she suffered from what was described as "nerves, convulsions, fainting-fits", and could reportedly faint and remain unconscious for hours. The office of Superintendent required that she confirmed all orders regarding the queen before they could be performed, that all letters, petitions, or memoranda to the queen was to be channeled through her, and that she entertain in the name of the queen. The office aroused great envy and insulted a great number of people at court because of the precedence in rank it gave. It also gave the enormous salary of 50,000 crowns a year, and because of the condition of the state's economy and the great wealth of Lamballe, she was asked to renounce the salary. When she refused for the sake of rank and stated that she would either have all the privileges of the office or retire, she was granted the salary by the queen: this incident aroused much bad publicity and Lamballe was painted as a greedy royal favorite, and her famous fainting spells widely mocked as manipulative simulations. She was openly talked about as the favorite of the queen, and was greeted almost as visiting royalty when she traveled around the country during her free time, and had poems dedicated to her.

In 1775, however, Lamballe was gradually replaced in her position as the favorite of the queen by Yolande de Polastron, duchesse de Polignac.

(中略)

De Lamballe as well as her sister-in-law became inducted in the Freemasonic women's Adoption Lodge of St. Jean de la Candeur in 1777, and was made Grand Mistress of the Scottish Lodge, the head of all the Lodges of Adoption, in January 1781: though Marie Antoinette did not become a formal member, she was interested in Freemasonry and often asked Lamballe of the Adoption Lodge. During the famous Affair of the Diamond Necklace, Lamballe was seen in an unsuccessful attempt to visit the imprisoned Jeanne de la Motte at La Salpetriere; the purpose of this visit is unknown, but it created widespread rumors at the time.

(中略)

De Lamballe had long suffered from a weak health, which deteriorated so much during the mid 1780s that she was often unable to perform the duties of her office; at one occasion, she even engaged Deslon, a pupil of Mesmer, to magnetize her. She spent the summer of 1787 in England, advised by doctors to take the English waters in Bath to cure her health. This trip was much publicized as a secret diplomatic mission on behalf of the queen, with speculations that she was to ask the exiled Minister Calonne to omit certain incidents from the memoirs he was about to publish, but Calonne was in fact not in England at that time.

※次回に続く

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サラエボ事件~マルタジャーナリスト殺害事件

2020年01月24日 | フランス革命・サヴォイア・ユグノー・バチカン

るいネットにこのような記事がありました。

十字軍→騎士団の流れを汲む赤十字、WHO、ユニセフ ②~神聖ローマ帝国に対抗して出来上がった国がスイス~
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=300351

今月はものすごい勢力をつかって、ユグノー(ロックフェラー含む)やサヴォイ家に関連することを書き続けています。

ドラマ『ポルダーク』・フランス革命とマダム・タッソー、そしてフリーメイソン
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/7d6631de70d01f7b3945ae4b8b633a49

18世紀フランスのフリーメイソングランドマスターだったオルレアン公はどのような人物だったか
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/bfbbc745952aa19499ec20da4a435766

フランス革命に関わったフリーメイソン達・フリーメイソンも「駒」では?
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/a0ed6745c92181d4afe12bd72d5728f8

フランス革命とトリノ-ピエモンテのワルド派
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/855e1156720257bd50ea9719e68d72e7

トリノのチョコレート産業とワルド派の人々・チョコレート広告のピラミッド
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/c0336143a781b1ae917acf0f42d1f378

フランス革命とユグノー&18世紀のアカデミックな業界人たち
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/a63360b48afddff747fc9a7529b1f5ae

世界の発展に寄与したユグノーと現在の国連や社会活動家たち-1
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/9ddbc6d10091ef50c09639c92ab7d6e4

世界の発展に寄与したユグノーと現在の国連や社会活動家たちー2
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/b55ac61e2555fdb8cbe4e88755fffed5

イタリアCOOPと共産党とユダヤ人・セルファルド系ユダヤ人とスペイン人
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/fe445cc6dfbbe2e33c04afb6a18be7e4

マルタ騎士団とモンサント・マルタ騎士団メンバーのロックフェラー親子とフレデリック・テイラー・ゲイツ氏
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/2bdac801cbfc1e947cbf0ed9f0623e44

マルタ騎士団~サヴォイア王国(?)騎士団-ニューヨーク、東京、トリノを結ぶ
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/2903da810a2a56bdc5174d9db764586b

「自由・平等・博愛」に「公平」を加えなった人々が支配する世界-1(CIAの背景とグラディオ作戦)
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/9b1ceadee651a5342b2552b8b1b633c1

「自由・平等・博愛」に「公平」を加えなかった人々が支配する世界-2(黄金&暗黒の"長い21世紀”)
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/62a0be365ad21718c96748702099b166

 

るいネットに書いてあること全てを支持できませんが、今月いろいろ調べた結果、かなり近い考え方になっています。
(るいネットの記事は今日見つけたものですので、ブログ記事は影響はうけていません。)

サボイ財団のチャリティパーティの記事には、

Savoy Royal Family Visits New York City for 19th Annual Savoy Foundation Charity Ball for Earthquake and Hurricane Victims
https://www.prweb.com/releases/2016/12/prweb13924916.htm

His Royal Highness Prince Emmanuel Philibert of Savoy, Prince of Venice, and his cousins H.R.H. Prince Dimitri of Yugoslavia and Azaea Beatrice Reyna di Savoia, were guests of honor at the American Foundation of Savoy Orders annual charity event, the Savoy Ball (Ballo di Savoia). The gala benefit was held at the Metropolitan Club in New York City on Saturday evening, December 10, 2016.

サヴォイのエマニュエル・フィルベルトの従兄弟だという、ユーゴスラビアの王子も出席。

(ディミトリ王子はエマニュエル・フィルベルト王子のイベントにはほとんど出席しているようでもあり。)

Wikipedia
Prince Dimitri of Yugoslavia
https://en.wikipedia.org/wiki/Prince_Dimitri_of_Yugoslavia

もちろん、現在の王子(?)達とは関係がありませんが、第一次世界大の発端となった、オーストリア大公フランツ・フェルデナント大公殺害の場所や犯人を考えても、

(ウィキペディア
サラエボ事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%9C%E4%BA%8B%E4%BB%B6)

それ以前の、フランツ・ヨーゼフ1世の息子ルドルフの1889年の心中事件(ルドルフの友人に、リヒャルト・クーデンホーフカレルギーがいました、)、フランツ・ヨーゼフ1世の妻エリーザベトのスイスレマン湖での暗殺事件(1898年-犯人はフランス人無政府主義者、イタリア軍兵士~スイスに移住)などにしても・・。

フランツ・ヨーゼフ1世自身も、トリエステのイタリア人(その時はオーストリア人)に暗殺されかかっています。

ハプスブルク家を崩壊させるつもりはなくとも、イタリアは第一次世界大戦で、オーストリアから南チロルやトリエステ等を取り戻すことができました。

(ウィキペディア
未回収のイタリア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AA%E5%9B%9E%E5%8F%8E%E3%81%AE%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2)

2019年11月の記事、

マルタのジャーナリスト暗殺事件の本当の黒幕は・カジノとマネーロンダリング
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/4c8504842cc4e739b1ade9959e6fcede

に、

「ジャーナリスト殺害の実行犯グループがアルバニアの犯行グループだったせいか(?)、アルバニア、ボスニア、モンテネグロ、セルビア-バルカン半島のメディアがこのフェネック容疑者逮捕のニュースを大きく報じているように思えます。(名前の表示はYorgen Fenech→Jorgen Fenek)」

と書きましたが、事件の犯人がアルバニアのグループであったのも、これらのニュースを旧ユーゴスラビアの国が大きく報道したわけも理解。

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「自由・平等・博愛」に「公平」を加えなかった人々が支配する世界-番外編

2020年01月24日 | フランス革命・サヴォイア・ユグノー・バチカン

「自由・平等・博愛」に「公平」を加えなった人々が支配する世界-1(CIAの背景とグラディオ作戦)
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/9b1ceadee651a5342b2552b8b1b633c1

で紹介させていただいた、Passioneさん(平島幹さん)のブログの2018年12月と今月の記事のリンクと、印象に残った箇所をはりつけさせてもらいます。

(2018年12月12日)
ナチ・ファシストからイタリアを解放、戦後の民主主義を担ったパルチザンたち:A.N.P.I.と現在
https://passione-roma.com/%e3%83%8a%e3%83%81%e3%83%bb%e3%83%95%e3%82%a1%e3%82%b7%e3%82%b9%e3%83%88%e3%81%8b%e3%82%89%e3%82%a4%e3%82%bf%e3%83%aa%e3%82%a2%e3%82%92%e8%a7%a3%e6%94%be%e3%80%81%e6%88%a6%e5%be%8c%e3%81%ae%e6%b0%91/

抜粋:

戦後のイタリアを担ったキリスト教民主党は、多くのパルチザンによって構成された政党だったし、野党であるイタリア共産党、イタリア社会党、自由党、国民党もパルチザンによるアンチファシスト政党だった。そしてそれらの政党の存在そのものが、過去の記憶を人々に思い起こさせる鏡であり、アンチファシストという価値観を、教育のレベルとして次の世代にしっかりと伝えることができていた。ところが、その政治が、ある時を境にラディカルに変化した。さらにさまざまな社会問題、経済危機、そしてテクノロジーのイノベーションを経て、いまや社会は大きく変わってしまったんだ。

変化してからのイタリアは、ごく一部の権力グループの独占支配となり、人々を搾取の対象にしていった。その独占支配の代表的な人物のひとりは、件のベルルスコーニ元首相だが、事実、彼が戦後はじめて、ファシズムへの肯定的な言及をしはじめた人物でもあるんだよ。

ベルルスコーニの権力グループからは、マフィアとの関わりが指摘され、司法に裁かれた人物(デル・ウトゥリ)も存在するぐらいでね。そのベルルスコーニが所有するマスメディアグループのテレビ番組が、各家庭の中に入り込んでプロパガンダをはじめるようになり、今までのイタリアにはまったく見られなかった新しい風俗、つまりヌードの踊り子や、差別的なジョークを連発するといった番組が放映されるようになった。

そして、テレビによってこの時に根づいた風俗と価値観は、いまや30年もの間、イタリアの家族を侵食し続けているわけだが、この風俗のあり方が、それまで存在していたアンチファシストの大政党を壊滅させてしまうことになってしまったんだ。現在のイタリアは、と言えば、経済危機による困難な生活に疲れ果てた人々の怒りが社会に蔓延、その怒りが間違った方向、つまり外国人やジャーナリズム、さらには司法官に向けられようとしているが、これは非常に危険な状況だよ。

 

(2020年1月20日)
『フォンターナ広場爆破事件』から50年、『鉛の時代』がイタリアに遺したもの

https://passione-roma.com/%e3%80%8e%e3%83%95%e3%82%a9%e3%83%b3%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%83%8a%e5%ba%83%e5%a0%b4%e7%88%86%e7%a0%b4%e4%ba%8b%e4%bb%b6%e3%80%8f%e3%81%8b%e3%82%8950%e5%b9%b4%e3%80%81%e3%80%8e%e9%89%9b%e3%81%ae%e6%99%82/

抜粋:

戦後から70年代までの政治的な動きは、敗戦国である日本とイタリアはとてもよく似ていると感じます。イタリアと日本で大きく違うのは、日本は学生運動の終焉を迎えたとほぼ同時期にバブルへと突進をはじめ、イタリアは68の『フランスの5月』をきっかけに学生と労働者の共闘が生まれ、やがて極端な極右、極左テロリズムが社会を覆う『鉛の時代』に突入したことでしょうか。

しかしよく考えてみると、バブルを経た日本も、『鉛の時代』から一転、ベルルスコーニ政権を経たイタリアも、あまり建設的ではない心理的『喪失感』へ向かった、と言えるのかもしれません。特に2008年のサブプライム金融危機の後は、貧富の格差が広がり、社会が苛立ちはじめた。

わたし自身は、学生運動は、政治思想は恐ろしい、政治なんか関係ない、という日本の論調のなかで過ごしたのちにイタリアに住むようになり、若い女性も含めて、誰もが日常的に政治を語るだけではなく、当時の学生運動について肯定的な意見が多くあることに驚きました。

そのうちに、たとえ社会にとっては不快な時代であっても、頭ごなしに『悪』と決めつけず、柔軟性を持って時代の背景を直視することこそ、未来への展望を抱くためにも大切なのではないか、という考えに至った次第です。歴史のあらゆる動向には、善悪では評価できない尊い側面があるのだと考えるようになりました。

物事や国、組織、人は単純に『善悪』『正・誤』で判断できないというのは、大人になれば大抵わかると思いますが(テロや無差別殺人のような『悪』としか分類できないものはあり)、ついつい「自分の考えに近いもの」「自分にとってより得になること」を“善”と考えてしまう人が多いです。

今は政府やメディアがその単純思考。

SNSやネットの世界も玉石混交ですから「玉」を発見するとうれしくなります。

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慶應大学とロックフェラー-諭吉の娘婿の福澤桃介

2020年01月24日 | 人物

2013年に書いた記事です。

ベゴーニャさんのお祖母様の写真と貞奴、非水、雪洲
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/dcb58924913962da6834e36aa424ce9a

抜粋:

「彼女は、昔よく知られていました、が、若い人はあまり知らないのではないですか。しかし、ピカソが彼女を描いていたのは、私は知りませんでした。ありがとう。」

と彼女に返事をし、貞奴のことが書いてある英語のリンクなどを送りました。

さて、これは日本語のウィキペディアですが、貞奴をご存知でない方はどうぞ。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E8%B2%9E%E5%A5%B4

貞奴の文献を改めて調べて気が付いたのは、貞奴が川上音二郎亡き後、一緒に住んでいた福沢桃助福澤桃介(福沢諭吉の娘婿、養子)の実の妹が、杉浦翠子という歌人で、彼女は杉浦非水の妻だということ。

多摩美大 杉浦翠子 
http://www.tamabi.ac.jp/idd/tau-history/hisui/suiko.html

杉浦非水 多摩美大
http://www.tamabi.ac.jp/idd/tau-history/hisui/hisui.html

非水は日本に欧州のアールヌーボーやデコを取り入れました。

また、これも偶然知ったことですが、音二郎と貞奴が一度自分の養女にして、アメリカで手放してきた子(音二郎の姪)青木鶴子は、後の日本人初の国際的映画俳優早川雪洲の妻だとのこと。

ウィキペディア 青木鶴子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%9C%A8%E9%B6%B4%E5%AD%90

ウィキペディア 早川雪洲
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A9%E5%B7%9D%E9%9B%AA%E6%B4%B2

この記事を書いている時点では福澤桃介についてあまり気にしていなかったのですが、彼についてあるウィキペディアを改めて読むと、桃介はロックフェラーの影響を受けていてもおかしくないように思えます。

ウィキペディア
福澤桃介
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E6%BE%A4%E6%A1%83%E4%BB%8B

抜粋: 福澤 桃介(ふくざわ ももすけ、慶應4年6月25日(新暦:1868年8月13日) - 1938年(昭和13年)2月15日)は、明治から昭和初期にかけて活動した日本実業家。

旧姓は岩崎で、福澤諭吉の婿養子となり福澤姓を名乗る。相場師として日露戦争後の株式投機で財を成し、その後実業界に転ずる。主として電気事業に関与し、名古屋電灯を買収して社長となり木曾川などで水力開発を手がけ、後に大手電力会社大同電力の初代社長となった。これらの電気事業での活動により「電気王」「電力王」と呼ばれるに至る。また、実業家としての活動の傍ら、一時期衆議院議員(1期)も務めたことがある。

Wikipedia
Momosuke Fukuzawa
https://en.wikipedia.org/wiki/Momosuke_Fukuzawa

抜粋:   

Momosuke Iwasaki was born in a small village near Kawagoe “where his family had been village elders and prosperous farmers for three hundred years.” His father Kiichi was the second son so he only inherited a few paddy fields. “Kiichi was a rather impractical, scholarly type, who much preferred sitting at home with his brush, perfecting his calligraphy, to breaking his back in the fields.” To support the family his mother Sada opened a shop but they “were frequently on the verge of bankruptcy.”

As Momosuke was finishing school, a neighbor, “a lower-ranking keeper of the town office,” noticed his academic abilities and told Kiichi to have Momosuke apply to Keio University, only recently founded. Also a second son, Momosuke's only other option would have been to help in the family fields. With the financial support of his father's elder brother  Momosuke began his studies there.

桃介について書いていらっしゃる方がいました。

2012年7月1日
元祖ホリエモン。福沢諭吉の義理の息子は毒舌拝金キャラ
http://kanemochi.kyokasho.biz/archives/270

(↑興味深いですが、

①「桃介の実家が極貧であった」という点では、桃介の父親の紀一は、仕事よりも学問、書道をしていたようですし、そもそも、いくら次男であれ、地元の明主の次男坊が(岩崎家という地元の名主の分家であるという)水呑百姓の家に養子に行くことが不自然であるように思うので、そこまで酷かったとは思えない、

②桃介と娘を離縁させなかった福澤諭吉は、桃介の拝金主義を好意的に見ていた気がする(つまり、諭吉さんも桃介と同類ということ。竹中平蔵氏とホリエモンが同類に思えるのも、不思議はないってことですかね。)、

という点でという点が同意できないですが。)

他の近代化に寄与した実業家に比べて知名度は低い福澤桃介。
そろそろ、(新しい価値観を持った)自称社会活動家やメディアが脚色もまぜて持ち上げるようになりますか。

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「自由・平等・博愛」に「公平」を加えなかった人々が支配する世界-2(黄金&暗黒の"長い21世紀”)

2020年01月23日 | フランス革命・サヴォイア・ユグノー・バチカン

「自由・平等・博愛」に「公平」を加えなった人々が支配する世界-1(CIAの背景とグラディオ作戦)
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/9b1ceadee651a5342b2552b8b1b633c1

の続きです。

 

ロックフェラーのアドバイザーのフレデリック・テイラー・ゲイツ(1853年ニューヨーク生まれ)や、現代に生きるビル・ゲイツ氏が参考としたフレデリック・ウインスロー・テイラー(1856年ペンシルべニア生まれ)の科学的管理法。

ウィキペディア
フレデリック・テイラー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BC

ウィキペディア
科学的管理法
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%91%E5%AD%A6%E7%9A%84%E7%AE%A1%E7%90%86%E6%B3%95

(ビル・ゲイツ氏のインタビュー記事)
https://www.forbes.com/sites/stevedenning/2011/07/29/wakeup-call-for-the-gates-foundation-think-bigger/

この科学的管理法を危険なものとする意見があります。

Frederick Taylor and the Connection Between Eugenics, Capitalism, and Communism: Scientific Management
(フレデリック・テイラーと優生学、資本主義、共産主義の関係:科学的管理法)http://eugenics.us/frederick-taylor-and-the-connection-between-eugenics-capitalism-and-communism-scientific-management/67.htm

この方の理論が妥当かどうかはわかりませんが、この意見からは、ロックフェラー家がナチスドイツ支援をしたことも、彼らがラドローという労働キャンプの様なものを作り、ストライキをした炭鉱夫や家族である女性や子供まで殺したのも、分かるような気がします。

ルドロー(ラドロー)虐殺

The Ludlow Massacre: Rockefeller's Nightmare NHD
https://www.youtube.com/watch?v=7FLC0ON1x1Y

Woody Guthrie Ludlow Massacre
https://www.youtube.com/watch?v=XDd64suDz1A

さいはてメモ帳
https://satehate.exblog.jp/13442892/

※ロバート・オーウェンが作った従業員たちの宿舎や施設と比べてみてください。

産業革命 その6 ロバート・オーエン
https://www.youtube.com/watch?v=e5477SPv8QM

 

「ロックフェラーがこのコロラドで虐殺を行ったのも、ナチスドイツを支援したのも、20世紀初頭の話。
あの時代の庶民の命の重さは現在と全く同じではない。」

と言う人がいるかもしれませんが、本当にそうでしょうか?

イギリスの歴史学者のエリック・ホブズボームが1789年~1914年までを「長い19世紀」、1914〜1991年を「短い20世紀」と分類しました。

ウィキペディア
短い20世紀
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%AD%E3%81%8420%E4%B8%96%E7%B4%80

ホブズボームは1973年から1991年を「危機の時代」としています。
1991年は冷戦が終わった年ですが、戦争だけ見ても、その後の湾岸戦争やユーゴスラビア紛争、2001年以降の中東やアフリカの戦争まで、戦争を続いています。これらの戦争は「正義の戦争」それは「欧米や西側、それこそロックフェラー組やサヴォイア組にとっての‟正義”を元にした時代が始まった年でした。

短い20世紀の「危機の時代」は、その一部の人にとっては終わったかもしれません。
しかし、その一部の人達に邪魔な人や国は、殺害され、破壊され・・・それらの行為は「正義の為」と言って肯定されるようになりました。

つまり、1991年以降は、一部の人(IT・テクノロジー関係者がさらに加わる)にとっては「黄金の時代」となり、その人達以外にとっては「暗黒の時代」となったえわけです。

戦争でなくとも-

サヴォイ家系列であろう医療関係機関の標語が、「Your Life is Our Business」

現在慈社会活動を「ビジネス」と大っぴらに言う自称草の根運動家、ビジネスのためのSDGs。

予防医療では、パターナリズムではなく、ファシズムが当たり前になってきています。
(癌ウィルス説は、ロックフェラーに支援された医学者が言い出したのが始まりなのですね。)

AIが人に代わって仕事をする世界(人よりロボットに価値を置く)を作るため、人間の尊厳を失わせる(自活や仕事を楽しむ権利のはく奪)ベーシックインカムを肯定。

複数婚(一夫多妻、一妻多夫、複数結婚)

妙な「フェミニズム運動」やスポーツ、エンターテイメントのごり押し。

これらは皆「あなたのために」と言われますが、実は恩恵を受けるのは、主張する側の人間たち、です。

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堀義人氏のシンガポールのインタビュー記事

2020年01月23日 | 人物

慶応大学とロックフェラーの関係を調べているときに、シンガポールのビジネス情報誌(?)のこんな記事を見つけました。

SGSME(2018.9.16)
Top business school founder Yoshito Hori started small in a rented room

Yoshito Hori raised US$8k from his friends and began night school with his flat as office in 1992

https://www.sgsme.sg/news/it-changed-my-life-top-business-school-founder-yoshito-hori-started-small-rented-room

抜粋:

Mr Hori didn't stop at a management school. Along the way, he also started Globis Capital Partners, which has a fund size of 16 billion yen (S$196 million).

Now 56, Mr Hori is one of Japan's most influential businessmen. He comes from a family of intellectuals.

"My (paternal) grandfather studied at Cambridge and was a professor at Keio University. My father was a nuclear scientist, and my mother comes from a family of politicians," says the youngest of three children.

Because of his father's job, he spent a few years in the United States as a child - first in Long Island and, later, in Michigan - but he grew up mainly in Tokai village in Ibaraki.

"We lived in a newly built community of scientists. Tokai is the home of Japan's first nuclear power plant. After the war, Japan had to look for new sources of energy since it doesn't have oil or gas," says Mr Hori, who in his teens spent a year in Sydney as an exchange student.

Good in maths and the sciences, he could have followed family tradition and gone into engineering.

一実業家であるのに、ダボス会議に出席するまで上り詰めた堀義人氏。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E7%BE%A9%E4%BA%BA

Nuclear scientist-堀雅夫氏というのが、堀氏のお父様でしょうか?
http://www.ueri.co.jp/hori.html

(「父方の祖父」となっていますので堀氏とは関係がないでしょうが、ケンブリッジに留学し、慶応大学教授になっている「野村兼太郎氏」という人物がいます。堀氏のおじいさまとは縁がありましたかね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E6%9D%91%E5%85%BC%E5%A4%AA%E9%83%8E
いずれにせよ、1920年に福沢諭吉が設立した慶応大学。当時の教授たちは、福沢諭吉を尊敬し、三井家とも縁があったことでしょう。)

原子力を研究していた父親、慶応設立して間もない頃の慶応大学教授であった父方の祖父、政治家の母方の祖父-というのを考えても、堀氏やそのGlobisの方向性が分かるような気がします。

2011年に書いた、

『方程式』の中の『欲』
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/302dbdbfe9bc4fc667a75fbd7ffe9800

には、筑波大の助教授で、タジキスタンで殺害された、秋野豊氏のことを書きました。
堀義人氏は、秋野氏の親戚であることを公開しています。

秋野氏が『脅かされず、踊らされず 踊る』という言葉を信条にしていた理由が分かるような気がします。

※ブログ記事の末尾で紹介していた堀義人氏の秋野氏への追悼記事および秋野氏、堀氏のウィキペディアから「二人が親戚」という記述が削除されているようです。

追記:

Gooブログの編集の仕方が本日から変わり、色付けは楽にできるようになったものの、記事に追加したリンクが生きません。リンクが生きていない部分(堀義人氏と野村兼太郎氏のウィキペディア)は、名前で検索するか、URLをコピーしてお使いください。

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NHK大河ドラマ『麒麟がくる』の衣装とスタイリスト黒澤和子氏-受信料を強制徴収する時代は終わりでは?

2020年01月22日 | 芸術・本・映画・TV・音楽

※1月19日に書いたものの、二度と観ることることはないだろう番組の事なので(夫ももう観ないかもしれない)、一旦非公開にした記事です。しかし、アクセスしてくる人がいるので、日にちを改めて公開します。

私は大河ドラマを観ないのですが、夫が観るので、今日から始まった大河ドラマ『麒麟が来る』を見て驚きました。
韓国・朝鮮の民族衣装で使うようなビビッドな色合いと、現代風のガラの着物が目につきます。 

衣装デザインは、黒澤和子さん。 

黒澤明監督の御長女の方で、黒澤監督の映画、『夢』も担当したという方でした。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E6%BE%A4%E5%92%8C%E5%AD%90

 

彼女はNHKのインタビューで、
https://www.nhk.or.jp/kirin/make/sekai_1.html 

こう言います。 

今回はエキストラの方の衣装を含め膨大な数をデザインしています。しかも、既存の織物屋さんや生地屋さんにあうもので代用できないものが多いので、新たに染めたり、柄をつけたり・・・。染め屋さんで私がイメージしている微妙な色合いを出すのが難しいときは、自分達で染めたり、柄付けをしたりしています。

量が多いからといって流れ作業にしてはいけない。一つ一つにこだわり丁寧に色を落とし込んでいく。それを楽しみながらやっています。

作っている私たちが楽しまなければ見てくださっている方たちに楽しんでもらえないはずです。

 

 NHK大河ドラマは、強制的に国民から集めた受信料で作られています。スタイリストが楽しむために仕事をすることを望む人はほとんどいないでしょう。 

視聴者が望まないスタイリストの独善という意味では、NHKは、朝ドラ『まれ』の衣装でもおなじようなことをしています。 

NHK『まれ』のスタイリストのインタビュー記事・お子ちゃま型プロ意識
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/f0e245bf9a74a9c9d9f53e6622e2c77c

 しかし、まれのスタイリストより黒澤氏の方が悪質。 

今回の黒澤和子氏(およびプロデューサー)は(いくら戦国時代の衣装が派手だといったとしても)、時代考証をきちんとしているように思えませんし、そもそも時代劇の衣装は、使いまわしができるはずなのに、それを使わず、次回の時代劇にも使えない衣装を大金をかけて作っている。 

受信料の支払いは、強制にする時代は終わりました。 

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