フランクフルトの友人Tがとうとう今週末帰国することになりました。
彼は昔職場で机を並べた同僚ですが、今でもメールで芸術、時事問題から子供の話などを取り交わす大切な友人です。そしてその付き合いは私が27歳の頃から始まりました。
Tはワグネリアン、元聖書研究会会員(趣味として)、辞書好き、というようなマニアックな面を持ち、また、フランス料理から会席料理まで作ってしまう腕前を持っています。当然食べることにも人並みならぬ情熱を持ち、ミシュランガイドの星付きレストランから路地裏のラーメン屋まで、「美味しい」と聞けば飛んでゆくグルメ。
若いころはそれに加えてりんごダイエットを試みたり、はやりの恋愛ドラマをビデオに録画してまで見たがったり、一際個性的な人物でした。
Tのもう一つの特徴は良くしゃべるということ。私がいた部署に配属されたとき静かだったのは1日2日だけ。それを過ぎてからは、仕事の合間合間に隣の席の私に話しかけてきたので、一度は私が彼との机の境に空き箱で壁を作ったこともあったくらいです。
(不思議なことに、こんなに良くしゃべっていても彼は仕事に支障をきたしませんでした。)
そんなおしゃべり好きで明るいTがある朝困った顔で出勤してきたことがありました。
「昨夜飲みすぎてタクシーに乗ったところまでは覚えているんだけれど、あとは記憶がなくて。朝目覚めたら全く知らない部屋にいて、周りを見渡していると、「誰だ!」って隣から男の怒鳴り声。あわてて飛び出してきたんだ。外に出てポケットに手をやると、なぜか小銭がびっしり入っている。一体僕は気の何をしたんだろう?不安だ。」
一旦家に戻ってから出勤したという彼は頭を抱えました。同僚達は心配はしてはみたものの、最後には調子に乗って「それ、ヤクザだったんじゃないの。後をつけられたかも。」とか、「いや、タクシーの運転手さんで、酔っ払ってつり専用の小銭もってきちゃったんじゃないの?」とかいい加減なことを言って、Tを苦悩させて喜びました。
彼はお酒では数々の失敗をやらかしています。
また、彼は「美味しいものが食べたい」というリクエストに応えて、課員全員を自宅に招いて中華料理の腕前を披露してくれたこともありました。その時、他の課員より一足先にアシスタントとしてついて行った私に「君でもこのくらいならできるだろう」といってチマキに蛸紐を巻く仕事を与えてくれたのですが、結局私の不器用さにあきれて後は彼がほとんど一人でやってしまいました。
普段いい加減なところもあるのに、料理に関しては今でも妥協を許さないようです。
退職後は私も忙しくてせいぜい年賀状を取りかわすくらいでしたが、7,8年前にフランスに駐在中だった彼にメールを送ったのがきっかけ(食材の問い合わせ)で、頻繁な交流をするようになり、今に続いています。
出産準備で退職する私の送別会の帰り、「それではまたいつか皆で会いましょう。」と握手を求めた私に、「皆分かれるときはそう言うけれど、その後に会うことはなく、こうやって友人が一人二人と去っていく・・・」と寂しそうに言ったT。
確かに人は口でなんといっても、大抵は離れたら最後。「また連絡するね。」「またそのうち会いましょう」というのが「さようなら」を意味する言葉であったとしても人はそれに気が付かないし、気が付いたとしても口には出しません。
こんなことを拗ねたように言う同僚。この時私は「意地でも自分から連絡を絶つことはしない」と決めました。
当時お腹に入っていた息子は16歳、その後数年してから結婚した彼の息子さんは小学生。それにしても、十数年も経ってお互いの息子の相談をしあったり、両家族で旅行をしたりなんて、誰に想像できたでしょう。
実は今回、Tは今までいた“古巣(職場)”から“新天地”に移ります。
若い頃と違ってそれなりに地位と貫禄(?)を身につけた彼ですが、それでも新天地に移ることには期待と同時に不安もあるでしょう。
ここ数年は自分が喋ることより私の聞き役をしていてくれた彼ですが、しばらくは私が聞き役を引き受ける番のようです。