Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

Education 2

2010年01月23日 | 教育

「説明が少し不足していたけど、僕は教養科目の履修がビジネスライフに役に立たないと言っているわけではないんだ。たとえば、歴史、国語、フランス語、ラテン語、哲学・・・間接的ではあるけど間違いなく役立っている。それに文系・教養的要素の高い学問を軽んじる気もない。

ただ、僕にはこの問題にフラストレーションを感じるんだ。大学の助成金や奨学金は税金で賄われている。だから納税者としては、(特にレベルがそんなに高くない大学の)学生は実用的な学問を学んで、将来社会的に役立てて返して欲しいという気持ちもあるからね。

高等教育についてティムさんと話を続けているなかで、彼はこう付け加えます。

この意見のうち、後者を極端な言い方に変えるなら、「税金で教育の手助けをしているのだから、学生は職業と直結しないコースを選考してもらっては迷惑」ということになると思います。そう考えるのは普通でしょう。

ただ、助成金はともかくとして、奨学金-借金してまで高等教育機関で勉強をしようとする学生で「単に知的好奇心を満足させるため」という考えの人は、私には少なく思えます。

借金といえば、奨学金を借りたり、親に大学費用を卒業後に返す学生が、日本にはどのくらいいるのでしょうか。

日本では「大学費用を出すのも親の義務」という風潮があります。よって返済義務のないスカラシップの希望者は多くても、返済義務のある奨学金の希望する割合はあまり高くない、と聞きます。

それに対してアメリカのある統計では、一人あたりの大学費用50%弱は親が負担、30%強は本人負担、残りは助成金等、というデータがあるそうです(ティムさん情報)

学費はアメリカも安くないでしょうが、平均した個人負担額では、世界の中で日本は圧倒的に高いようです。私大の文系では4年間で400万円台、理系では600万円台。医学部となれば2000万円(6年分?)を超えるとか。

日本の場合、公立の大学の数が多くないこと、そして公立は(公立だからこそ)レベルが高いことで公立に入れる学生は一握り。それ故私大生が増えるわけですが、たとえ費用が高くても、親は大学費用を全額負担することが多いようです。そして子どもは当然の権利としてそれらを受けているので、彼らに“ある種のハングリー精神”が欠けてしまっているのも自然なのかもしれません。

(「子どもにしてあげられるのは、これくらいだから・・」と言いながら、ちゃっかり「塾にもお金をつぎ込んできた。これは自分達が将来面倒を見てもらうための投資」という気持ちが潜在的に親にあったりするので、どっちもどっちですが。)

さて、我が家の受験生に関してですが、もともと塾や習い事に大してお金をつぎ込んでいませんし、あまり良い投資先のも思えないので、「大学の費用は、将来半額返してもらうから、そのつもりでしっかりね。」と言い渡してあります。

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Education

2010年01月21日 | 教育

日本において学生の理系離れ(特にモノ作り系)が加速している、と言われています。そして「理系の就職先はほとんどがメーカー。生涯年収で5000万円の差がつく」「(理系が比較的多い)男子が、ゲーム機の普及でモノ作りに対しての興味がなくなった」「学校で実験などをしなくなって、理科系の魅力がなくなった」等々いろいろその理由があげられます。

しかしながら、普通高校であれば3年生で理系・文系クラスに分かれることが多いと思いますが、単純に成績による評価以外で「文系か理系か」を選んでいる子がどれほどいるのか。

うちの息子も現在高校3年生(平均的高校生)ですが、「英語が嫌い。理数の成績の方が良い」というだけで理系コース。だから理数系学問に対する好奇心もさほどなく、将来像も描けていないので、受験する大学、そして専攻は消去法で決めていました。

「何で大学に行くの?」と息子に訊いてみると、「就職する為」。「大学に行かなくても同じ会社に入れるなら(年収や出世に学歴が関係ないものとする)、大学に行かない?」という問いには「まだ就職したくないから、それでも大学に行く」という返事。

高校ではただ良い大学に行く戦略に基づいた勉強を強いられ、「テストで高い点数をとる、偏差値を上げる」というのが第一目標だった彼らには、夢や将来像を描いている余裕はなかったのかもしれません。

さて、話は少し変わりますが、最近「理系と文系」「教養部門、実践部門教育」について仲間と話をしていました。そしてタイミングよく、1月3日のニューヨークタイムズに、「文系大学の教養コースが実は就職には有利」というような記事が。

http://www.nytimes.com/2010/01/03/education/edlife/03careerism-t.html?scp=1&sq=%22making%20college%20relevant%22&st=cse

この記事を、投資アナリストであるアメリカ人の友人ティムさんに送ったところ、「この記事は、中レベルの大学の文系の(都合の良い)言い分。中レベルの大学なら実践的スキルをつけるのが現実的。」「僕は金融・経営の学位をとったから今の仕事についたけど、歴史の学位をとったとしても、アイビーリーグくらいの大学でもなければ良い仕事を探すのは難しかったと思う。」というコメントをくれました。

とはいえ、「就職に問題がなければ、歴史を専門に勉強したかった」というティムさん、大学では、音楽や演劇と、非文系の学生でありながら中世の歴史の授業も選んだと言います(大学3年の非文系生徒の中で、『中世の歴史』を選んだは彼一人)。しかし、そのことについてのコメントは、「これらの科目はenjoyはしたものの、それは自分の成長に役立っただけ。(自分のキャリアには役立たなかった)」。

けれど、私にはこれらの教養科目の履修が本当に彼のキャリアにまったくプラスにならなかったとは思えません。直接的には関わらなくても、間接的にはそれらは彼の評価以上に彼のプラスになっていると私には思えます。

最近、大学で教えている知人から、 「理系」と「文系」の垣根は学際的にも低くなり、大学の理系でも、いわば「人間学」が重視されるようになっている、という話を聞きました。

これは現在、経済学が数理経済学に偏りすぎたことの反省がされているのと同じことだと思います。

教育機関の方向転換、企業の採用の基準変換があれば、学生達も「教育の意義」に気がつき、人間らしさを取り戻せるでしょう。

評価や点数は二次的なもので良い、(学問的にも人間自体も)理系や文系の区分けは曖昧で良い-「柔軟な思考力と予測能力の基礎作り、コミュニケーション能力をつけるためのもの」、これが本来の教育の姿であると思います。そして付け加えるなら、それは高等教育機関でなくても養えるもので、また、経験を重ねながら一生学び続けるものだとも思います。

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友人はボーダーレス2

2010年01月11日 | 人物

最近はカードではなく、メールで済ませてしまうクリスマスや新年の挨拶。外国のペンフレンド・友人やら、生活の変化等で文通をストップした元ペンフレンド達に送った数は20通。

外国から送られてくるものには、
e-cardの場合も少なくありませんが、どうしてもe-cardには、印刷された年賀状と同じような印象が残るので、私はあまり好きではありません。

まあ、友人達が送ってくれるe-cardについては、単なる挨拶だけでなく、個人的な暖かいメッセージも書き添えてあるのがほとんどですので、もらっても悪い気はしないのですが・・。

さて、ということでこのクリスマスのメールの交換とともに、あまり連絡を取らない友人達の消息もわかってきます。

コーンウォール地方のセントアイブスに住む根付師のピーターさん(『St.Ivesの二人』参照)は、あれからずっと体調を壊していて、11月末に手術をしたとのこと。まだ体調はすぐれないものの、娘さんに赤ちゃんが生まれるのを楽しみにしていることを書いてきて、そして彼が観察している海岸線に現れるアザラシたちの写真を送ってきてくれました。

実はこのピーターさん、私があのニューカレドニアの姉弟(『シドニー空港で出会った姉弟』参照)を探す広告をjapan guide comに載せたときに返事をくれて、彼らを探すのに助言や協力を申し出てくれた人です。

そしてそのニューカレドニアの家族からe-cardと、弟の方のアンソニー君からは近況を伝える短いメールが届きました。彼はタヒチにあるホテルで働いていますが、このたび職場が変わったことを教えてくれました。現在はフォーシーズンズ・リゾート・ボラボラに勤務にようです。(どなたかこのホテルに行くことがあったら、日本語ができるハンサムな青年アンソニー君を探してみてください。)

そのほか現在の文通相手や友人達から続々届くメールに、「こういう面白い人達に知り合う運は、確かに私には備わっているな。」と幸運に思いながら、返事を書くのに追われたお正月でした(実はまだ返事を書いていない人もいます。)

さて、面白い人といえば、昨年12月にもう一人面白いペンフレンドができました。彼は投資アナリストのアメリカ人、ティムさん。

「(英語の)ネイティヴは、自国語が何処でも大抵通じるから、外国語を学ぶのに怠慢。」「その国の文化を知るには、まず語学習得から。」という40代前半の男性。

これだけ聞くと、堅物を想像しますが、実はオヤジギャグや日本の4コママンガやアニメが大好きなとても明るい人。

彼がマニアックなアニメも知っていたりするので茶化すと、「おたくじゃないですよ。 (^_^)」と日本語で返ってきたりします。

日本語を習ってまだ1年というのに、彼は(翻訳ソフトを使いながらとはいえ、)私のこのブログを読めるくらいですので、語学の才能があるのでしょう。

彼の日本語に対するコメントはなかなか面白いので、これも今年は紹介していきたいと思います。

コメント (2)
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