Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

哀れな人種差別者

2014年11月30日 | 異文化

11月28日の記事『ファーガソン事件-「差別かどうか」で争うよりも事件が起こるメカニズム検証を』
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/18f6ae64a9053ef24655152d3e9c6b27

で、「優越感による差別より経験による偏見(差別)」について書きましたが、もちろん、「典型的差別主義者」も存在します。 

ウォール・ストリート・ジャーナル(2014年11月28日)
「疑われること」に耐えた私の10代―黒人WSJ記者の回想http://jp.wsj.com/news/articles/SB11360550936975084497104580304430827096918?mod=WSJJP_hpp_RIGHTTopStoriesThird 

私はウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)の数少ない黒人男性記者の一人だ。これまでに白人の同僚には分からないが他の黒人男性にとっては珍しくない経験をしてきた。

(中略)

 私が17歳の高校生のときは1970年代後半で、体格は上記の通りだった。成績は良く、大学への進学を希望していた。あるすがすがしい土曜日の午後、私はルイジアナ州アレクサンドリア市のボーリング場から歩いて家に向かっていた。バッグの中には約7キロのボーリングボールとシューズ、タオルが入っていた。

 帰宅途中、私はパトカーが猛スピードで走っているのに気づいた。数台が通り過ぎた後にルイジアナ州警察のパトカーが停止し、乗っていた警官が私に気をつけるよう注意を促した。近くで射殺事件が発生し、身長170センチほどの黒人男性が自転車で逃亡したというのだ。

 そのまま歩き続けていたが、ブレーキの「キー」という音を聞いて振り返った。止まった車からはラピッズ郡保安官代理が飛び出してドアの後ろに身をかがめ、その上から357マグナムの銃口を私に向けたのだ。一歩間違えれば、マグナムの銃身は私にとってまさに死へのトンネルとなっていた。

(中略)

 保安官代理は私をボンネットに押し倒して手錠をかけたが、その際も私は口を閉じていた。

 最初に私に注意を促した州警察の警官が戻ってきたため、私は助かった。警官は保安官代理をしかり飛ばし、いくつか質問をしたが答えたのは私だった。状況が異なればコメディーになりかねない場面だった。

 「この子どもの身長が170センチに見えるのか」
 「私は192センチです」
 「この子どもが40代に見えるのか」
 「私は17歳です」
 「この子どもの体重が68キロに見えるのか」
 「私は104キロです」

 州警察官は容疑者の特徴をいくつか挙げたが、私に当てはまったのは1つだけだった。私は「基本的に黒人ということ以外に、どの特徴が私に当てはまりますか」と尋ねた。

 保安官代理は「偉そうにするな」と叫んだ。ただ、激怒していた白人警官は口論を遮った。彼には本当に感謝している。

(中略)

 知らない間に疑われたことは他にもある。ルイジアナ州の州都バトンルージュで1979年に開催されたジュニアボーリング大会で、私のチームメートの集団がホテルでごみを散らかし、酒を飲み、わめき散らし、ホールで騒いでいた。私は最初から彼らが悪ふざけをすると分かっていたため、ホテルでは反対側に部屋を取った。

 それでも、ホテルの警備員が市の警官とともに最初に私の部屋を訪れるのを止めることはできなかった。警官らは警察バッジを示しながら部屋に入ってきたが、発見されたのはベッドに散乱するテキストだけだった。私は月曜日の試験に向けて勉強していたのだ。私の知る限りでは、チームメートで私と同じように目を付けられたのは1人もいない。

(後略)

人種、民族、その他もろもろで、人を差別をする人-そういう人自体が「他人を貶めることで自分が偉いと思う」しか、自尊心を保てない哀れな人達です。

「人種差別の傾向がある人間は警察官や公務員になれない」という法律を、アメリカは作るべきでしょうね。

なお、日本人含む黄色人種も差別の対象になることもあり、ときに、「白人崇拝、黒人嫌いの日本人」が、「先進国に住んで人種差別を受けている黒人」から差別を受けることも。

旅行者は海外居住者よりも差別にあうことは少ないでしょうが、それでも「人種」で差別する人には居住者も旅行者も何の違いもありません。もし、嫌な思いをした人がいたら、下のコラムでも読んでください。

Madame Riri
[海外に住む日本人]人種差別されていると感じたらどうするべきか?
https://www.madameriri.com/2014/11/21/%e3%80%90%e6%b5%b7%e5%a4%96%e3%81%ab%e4%bd%8f%e3%82%80%e6%97%a5%e6%9c%ac%e4%ba%ba%e3%80%91%e4%ba%ba%e7%a8%ae%e5%b7%ae%e5%88%a5%e3%81%95%e3%82%8c%e3%81%a6%e3%81%84%e3%82%8b%e3%81%a8%e6%84%9f%e3%81%98/

コメント (2)
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日本人でも悩む日本語

2014年11月29日 | 友人・知人

若い頃、中国語を習ったことがありましたが、この時の先生は日本の大学で映画を(日本語で)学んでいた人。

そんな彼が
「日本語は、「一本、二本、三本」が、「いっぽん、さんぼん、よんほん」となる。どうして「本」の読み方がそれぞれ違うのだろうか。難しい」
と言ったとき、生徒たち(日本人)は、
「ああ、自分達は意識していないで使っていた!確かに、これは混乱しますね。」
と、日本語を学ぶ外国人に同情したものでした。

(中国語も、数字の単位はありますが、数字も単位も読み方は数字によって変化しません。(「2」は二種類あり)) 

その時のことを思い出す、数の数え方の質問メールを、日本語を独学で学ぶクラウディアさんからもらいました。

「日本語の教科書には、1から10までの例しか載っていないので、11以降のものの数え方がわからないのです。
たとえば、「(何)分」。1分から10分まではわかっても、11分以降の読み方がわかりません。
「(何)本」「(何)匹」についても、11以降はどう発音するんでしょう。

11本は「じゅういっぽん」、21本は「にじゅういっぽん」、匹は「じゅういっっぴき」「にじゅういっぴき」であっています?
11 peopleは、なんて言うんですか?
そして、「つ」で数えた場合の「11つ」は「じゅういっつ」と読んで良いんですか?」

私は彼女に、

「「じゅういっぽん」「じゅうにほん」「じゅういっぴき」「じゅうにひき」というのは正解です。11peopleについては、(ふつう)「人」で数えます。11人は「じゅういちにん」21人は「にじゅういちにん」。

「つ」については、これは9までしか使わず、10は「とお」。
一般的に「つ」は小さな個体や年齢をカジュアルな場面で使うことが多いですが、11以降は、「つ」は使わないで、「11個(じゅういっこ)」「11歳(じゅういっさい)」と、それぞれの単位で数えます。

いずれにしても、日本のものの数え方は、単位も物によって違う、数、単位ともに読み方がそれぞれ変化する・・・それだけでも覚えるのは大変だと思います。 

これは、あなたの勉強に役に立つと思うリンクです。 

Tae Kim's Guide to Learning Japanese
Numbers and Counting
http://www.guidetojapanese.org/learn/grammar/numbers

Wikipedia
Japanese Counter Word
http://en.wikipedia.org/wiki/Japanese_counter_word 」 

と返事をしました。 

この時の説明に使った2本のリンクを勉強に役立ててもらおうと、日本語を学ぶほかの外国人の友人たちにも送りました。

すると、今度はそれを読んだアメリカ人ティムさんから、

「日本語の「つ」は便利だよね。生き物以外は大抵使える。
「ビールもう一本!」のかわりに「ビールもう一つ!」とか。」

という感想メールが。それに対し、

「ティムさん、「ビールもう一つ」は、グラスやジョッキの追加オーダーである「ビールもう一杯」には使いますが、瓶の追加オーダー(店での購入も)「ビールもう一本」に「ビールもう一つ」というのは、おかしいです。」

と答えた私ですが、「「追加でもう一つ(one more)」と、一つが〝追加”にかかると考えれば、「もう一つ」をビール瓶に使用してもおかしくないのだろうか」と悩んだり・・・。

私たちが無意識に使っている日本語の不規則、複雑なところ、外国人に質問されるまでなかなか気が付きません。(そして、時々答えに窮します。)

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ファーガソン事件-「差別かどうか」を争うよりも事件が起こるメカニズム検証を

2014年11月28日 | 海外ニュース・できごと

ファーガソン事件と大陪審の決定についての冷泉彰彦氏のこの意見はどうでしょうか。 

ニューズウィーク(2014年11月27日)
人種対立暴動の背景にある3段階の差別とは
By 冷泉彰彦
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2014/11/post-697.php

ミズーリ州ファーガソンでの白人警官による黒人少年射殺事件について、11月24日夜に大陪審が警官を不起訴の決定をしたことを受けて、現地では暴動が発生してしまいました。2夜連続して自動車や商店への放火を含む激しい暴力行為が続き、2日目だけで44人と多くの逮捕者を出しています。

 また抗議行動は全米に拡大し、現場に近いセントルイスをはじめ、シカゴ、ワシントンDCからロサンゼルスまで各地で発生しました。ニューヨークではタイムズスクエアが占拠される事態に対して、今年就任したデブラシオ市長はあくまでソフトな警備を指示しており、大きな混乱はありません。ですが、保守系のジュリアーニ元市長は「全国的には黒人同士の暴力行為が圧倒的に多い。それを収める白人警官こそ被害者」というような発言を続けており、事件に対して国論が分断されていることを象徴しています。

 この事件ですが、発端は白人警官による黒人少年の射殺という事件であり、それが今回は「不起訴」になったことが問題を大きくしました。そこに「人種差別」があるという認識が、抗議デモの背景にはあります。

 では、事件の背景に「差別」があるとして、そこにあるのは典型的な人種差別、つまり「白人が上位で有色人種は下位」というような「侮蔑、優越の心情」なのでしょうか?

 仮にこれを「第1の差別」だとしましょう。これは今回の事件には当てはまらないと思います。白人警官は「黒人青年は劣った存在だからその人命を奪った」のでもないし、大陪審は「被害者が黒人という下位の存在だから警官を不起訴にした」のでもないと考えられるからです。射殺という行為、あるいは不起訴という決定の背景にあるのは、そうした「侮蔑、優越の心情」ではないと思われます。

 そうではなくて、そこにあるのはおそらくは「無理解による誤った恐怖」です。ウィルソンという白人警官は、18歳の黒人青年マイケル・ブラウン氏と口論になった際に、「図体の大きい相手への恐怖感」を感じ、また「口論の中における敵意」を感じたのではないでしょうか。

 その場合に、無意識の感覚として、相手が白人であれば感じなかったような「ヤられるかもしれない怖さ」を感じた可能性、そして「黒人の俗語における強度の敵意表現が実は単なるレトリックだというニュアンス」が分からず、身の危険を感じてしまったという可能性があります。

あくまで推測ですが、カルチャーや言語の違いから来るコミュニケーション・エラーの結果、「無理解による誤った恐怖」を感じてしまった、仮にそれが事件の背景にあるのであれば、これは「第2の差別」と言えます。 

(中略)

今回の事件は、「第1の差別」つまり「差別する人」が「優越と侮蔑の意識を持って」被差別者に暴力を加えたわけではありません。また白人が「優越」であるから不起訴になったわけでもありません。

 事件そのものにおいては「言語とカルチャーの無理解」から来る「誤った恐怖心」つまり「第2の差別」が悲劇を生んだと推測されます。 

(後略)

冷泉氏の書くものは納得できるものが多いのですが、今回のコラムは読んでいて後味が悪かったです。

「黒人が(人種として)劣った存在だから警官が彼を射殺したわけでもないし、被害者が黒人で警官が白人だから、警官が不起訴になったわけでもない」とする部分はまだしも、「相手が黒人の大男で怖かったから撃ってしまった(これは警官自身が自己弁護に使っています。)」というくだりは、「見下していないから差別じゃない」と、まるで言葉遊びのように感じるからです。

また、彼は「無理解による誤った恐怖」「言語とカルチャーの無理解」と言いますが、これもどうでしょうか。

正直に言うと、私自身、先進国の黒人や有色人種の移民の人達に対して、「肌の色で劣っている」と思ってはいないものの、特に男性について偏見がややあります。(恥じています。)

それは自分の体験-①アメリカに旅行したとき黒人の少年に体当たりされてカバンを奪われそうになった、②パリでもジプシーの子供に囲まれたこともあった、③japan guide comで自分や友人達が知り合った、先進国(ほとんどが英語圏)の有色人種系の人に嘘つきだったり、遊び目的な下品な人が多かった-からです。

だから、私はまだ人柄をよく知らない有色人種の外国人(明らかに危険ではないというのがわかっている人物以外)を一瞬警戒してしまうということがあります。
これらは、「無理解による誤った恐怖」「言語やカルチャーの無理解」などではなく、「経験による偏見」なのです。

「経験による偏見」、おそらく、青年を撃った警察官も、警察官を不起訴とした人達も、そうした偏見を持っていたのではないかと思えます。
(ファーガソンの事件について「人種差別」と考えたとしても、生活レベルが高い黒人の人にも、貧しい黒人たちに対する偏見を持つ人はいる気がします。なので、正しく言えば、偏見は「人種」にではなく「貧困層(黒人・ヒスパニックが目立つ)」に向けられたもの、とも思います。)

警察官が60年代なみに、黒人に対して人種として優越感を持っていたかどうかは、それは本当に彼の身近な人達にしかわからないでしょう。
しかし、この地区の警察官は、黒人警察官がひとりしかいなかった、という事実があります。
ファーガソンでは、黒人の人権が低そうだということは、明らかなような気がします。 

60年代、アメリカでは白人と黒人は、目に見える仕切りで居場所を区切られていました。
今は見せかけの平等をうたいながら、見えない仕切りがあります。
それによって、黒人の人達は、貧困率が高い→教育を受けない→職に就けない→犯罪を犯すパターンが多く、黒人やヒスパニック系に対して偏見を持つ数は減らず・・の悪循環。

この騒動中に、またしても黒人の12歳の少年が白人の警察官に射殺される事件がありましたが、とにかく、悪循環をたちきることなしには、同じ事件がまだまだ続くでしょう。

なお、ファーガソンの事件、被害者にも非があったとはいえ、「本物の武器を持たなかった相手を射殺した」という事実があるかぎり、この警察官が不起訴になるのは私はおかしいと思います。

1992年、アメリカ南部の町バトンルージュに留学中の日本人高校生が、ハロウィンで間違えて訪問した家の男に射殺された事件がありました。この男は起訴されましたが、第一審では陪審員12名(白人10名、黒人2名)全員一致で無罪と評決-銃社会のこの国には、22年前も今も、西部開拓時代とかわらない常識が残っているのか。

追記:ファーガソンの最初の暴動のとき、警察が軍隊並の武装をして住民やレポーターを脅したり逮捕したりましたが、差別騒動でこれがうやむやになってしまうのは問題だと思います。

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欧米人の王子様を求める女性たち

2014年11月26日 | 雑感

先々週「長く続くペンフレンドがいない」という友人二人に外国人ペンフレンド(およびSkypeパートナー)の紹介をしました。

この話を私の日本人ペンフレンドのクニコさんにしたところ、彼女も、「ドイツ語を勉強したいので、ドイツ語をしゃべる人で、日本語を勉強している人を探しているのだけれど、見つからない」とぼやきました。
それで再度また相手を探し、条件に合った人を二人紹介。 

ところで、この二人のうち一人の独身の欧州人男性、彼は「既婚女性」を条件に挙げていました。 

「最初は「ロマンス目的ではない」といって文通を始めたはずなのに、いつの間にか恋愛感情を持たれてしまうことがままあったんです。僕はいろいろ話せる日本人女性の親友がほしいのであって、恋人を探しているわけじゃないので、そうすると文通も友情も続かない。だから、既婚の女性なら、心配はないかな、と思って。」との理由。

そう、私も「文通相手が見つからない」という日本人に相手を紹介してきたりしていますが、中には恋人探し、婚活目的の人もいます。

それでも、「文通相手から、結果的に(真面目な)恋愛、結婚に発展するのも良いな」くらいなら良いでしょうが、目的が露骨な人も。

私は海外の友人知人のためのペンフレンド探しもすることもありますが、それにresponseをくれる人のなかには「誰かフランス人男性はいませんか?知的な感じの」「ドイツの彼を見つけたい」という日本人女性たちもいます。

また、知人を介して知り合った、「英語を使いたい。できれば欧州人を。」という日本人女性に、彼女より10歳以上年長の英語圏の国の男性Aさん(日本に興味がある私の知人)を紹介して嫌な思いをしたことがありました。

Aさんと文通をして彼を誉めそやしていた彼女、文通を始めて数か月後に、文通を続けるかどうか悩んでいると私に言ってくるようになりました。

私は、「相性が合わないのなら、文通を断るか、自然消滅させてください。紹介した私にお気遣いなく。彼も相性云々というのはわかっているはずなので。」と言っていたのに、彼女は彼と文通を続け、再三私には同じような悩みメールが届く。

この彼女、最終的には、
「私は別に婚活をしているわけではないけど、年下の男性にしか興味がない。私がAさんと文通を続けているのは、ゆかりさんが紹介してくれたので、礼儀として続けているのです。」
と、理想のペンフレンドを紹介しない私を暗に非難し、Aさんを侮辱してきたのです。

私は
「私は恋人・婚活相談所ではないし、Aさんと合わないのなら文通を止めて、と言ってきたはずです。Aさんに失礼なので、金輪際彼にメールをしないでください。」
と彼女に書き送りました。
(Aさんには詫びのメールを入れました。)

こうした女性たちの多くが「(欧米人との)国際結婚・国際恋愛」に対して、シンデレラ症候群的幻想を抱いているように思いますが、現実はそうあまくありません。

仮に欧米人のペンフレンドと恋愛・婚姻関係になれたとしても、TVで紹介されるような知的、裕福、性格、外見、その他もろもろの条件が揃った相手とそうなる確率はとても低いと思います。

これは海外文通で出会いでなくても、同じことが言えると思います。また、「国籍、人種」でターゲットを狙うような女性が上質な男性から好かれないのは、万国共通でしょう。
(実際に海外文通から遠距離恋愛、結婚に至った人は私の周りにも数人いますが、彼女たちのなかに上記のような人は一人もいません。)

追記:ペンパルサイトは真面目な外国人ばかりではなく、単なるlove affair目的の人、年齢、経歴、職業、国籍だけでなく、既婚なのに未婚と偽る人なども混じっていますので、国際結婚・国際恋愛を求めて使う人は特に注意を!「危険」が好きな人は、ご自由に。

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Negative Vote、政治家の質と投票率

2014年11月25日 | 国際・政治

Negative Vote (マイナス投票)について、フィンランド、イタリア、アメリカ、スロベニアの友人達に意見を聞いてみました。
(※Negative Voteについては、前回の記事を参照してください)

フィンランドの友人は、

「うーん、これはどうかな。
現在の投票(プラス投票)だから、候補者は大胆な意見(改革案等々)を言えるわけだけど、もしマイナス投票みたなものができたら、候補者は用心深くなってしまうんじゃないかな。
だから、僕はこのアイディアは好きじゃない。」

という意見。 

私は彼に、 

「あなたの意見を聞いて、フィンランドと日本の政治家の質の違いを感じるわ。
日本の政治家の多くは、国民のことより自分や自分の党、お仲間のことしか考えていないようで、フランス革命前の王侯貴族と何ら変わらないのではないか、と思えるときさえある。 

彼らが不祥事を起こしてもまた再選されるのは、彼・彼女の政治家としての資質ではなく、組織票や知名度が高いため。

20代の投票率が30パーセント台っていうのは、政治に無関心の人が多いのもそうだけど、「入れたい候補者。候補政党がない」「出来高選挙に投票にいくのは空しい」と思っているから。

私は、マイナス投票を導入することで、(特に若者の)投票率を上げられると思うし、「組織票」「有名人」ということで、何をしても許されてしまう政治家を落とすことも可能だと思い、これはより民主的に思えるのよね。」

と返事をしました。

ところで、マイナス投票ですが、私は、投票率 and/or 政治家の質(志がある政治家が多い)が高い国ほど否定的と、低い国では期待される、と思っています。
なので、フィンランドの彼が否定的であっても、それは想定済ではありました。

イタリアの友人も、イタリアの政治家の質を嘆きつつも、マイナス投票についての最初の一言は、“a bit messy”でした。
彼女は、「マイナス投票は、下手すれば、まともな候補者(志のある候補者)を落選させてまう。」と言います。

マフィアと繋がりがあると言われているベルルスコーニが長年首相を務めた国、イタリア。
投票は半強制的なので、投票率は高いです。

彼女はそもそも、「投票率を上げても、政治家の質は変わらない」と思っていることでしょう。 

投票率ですが、以下に、日本と、友人達の国の投票率を書いたリンクを貼り付けます。
(日本のデータは実際より数値が高い気がしますが・・・。)

IDEA

Voter turnout data for Japan
http://www.idea.int/vt/countryview.cfm?CountryCode=JP

Voter turnout data for Finland
http://www.idea.int/vt/countryview.cfm?CountryCode=FI

Voter turnout data for Italy
http://www.idea.int/vt/countryview.cfm?CountryCode=IT

Voter turnout data for Slovenia
http://www.idea.int/vt/countryview.cfm?CountryCode=SI

Voter turnout data for United States
http://www.idea.int/vt/countryview.cfm?CountryCode=US 

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マイナス1票-Negative Vote Movementを!

2014年11月22日 | 国際・政治

つい最近不祥事を起こして大臣を辞めた人がまた選挙に出馬とか、これまた不祥事を起こした、党の元党首とかが、83歳の無責任男とかが、堂々と出馬すると言います。

こんな厚かましい人達でもお金と組織票があるため当選できる現在の選挙方式(世界一高額の供託金、小選挙区、プラス投票のみ・・・等々)そして、そして低い投票率、なんとかならないでしょうかね。

今までも何度か書いてきていますが、私は、「入れたい候補者、候補政党がないけど、信頼できない候補者や候補政党がある有権者がプラス1票ではなく、マイナス1票を入れられるように、投票システムを変更すること」が、今、日本には必要になっていると思うのです。

「選挙に行っても、何も変わらない」と諦めて選挙に行かない人(特に若者)が多いですが、マイナス票があれば、たとえばバックに宗教団体を含む何某の組織がくっついていている議員や政党、世襲議員、有名人議員を当選させないことができると思います。

調べてみると、日本でも、週刊ポストが昨年に以下の記事を書いています。

「マイナス1票」投票権の創設で日本の政治が劇的に変わるか
http://www.news-postseven.com/archives/20130729_202581.html

抜粋:

 選挙で民意が反映されなくなれば、政治は腐敗し、「権力の暴走」の危険が高まる。自民党の公共事業バラマキのように、政治家は“投票に行かない主権者など恐くない”と安心して「2割」の支持層だけに利益誘導して喜ばせる政治をするようになるからだ。

 ならば、どうするか。実は、ユニークな解決方法がある。投票のやり方をほんの少し変えるだけで、日本の政治は劇的に変わる。「マイナス1票」の投票権を創設するのだ。

「投票したい候補はいないが、落としたい候補はいる」
 今回の選挙でそんな思いを抱いた有権者は少なくないはずだ。だが、現在の制度では1票をプラスにしか投じることができないから、棄権という選択をした人は多い。

 しかし、その1票でダメ政治家を落選させることができるとなれば、選挙が俄然、面白くなる。間違いなく、民意をより正確に反映した選挙結果をもたらすはずだ。

海外、アメリカやインドなど(大学、メディア)でもやはり「マイナス投票導入を」という意見を書いたものもあるし、これは確認していませんが、チェコやルーマニアではこのマイナス投票のようなものがあった(ある)ようでもあります。

このマイナス投票について意見を聞いた海外の友人の一人は、

「これについて僕は何も言えない。
僕は無政府主義者じゃないけど、政治家ってものを信用していないから。民主主義に失望しているわけではないけど、啓蒙思想付絶対主義の方がマシかも、って思ったりする。」
と言っていましたが、確かに「どの政治家や政権にも期待できない」というように思っている人、日本にも多いでしょう。 

(私は後半の彼の言葉にも同意します。
『ハプスブルクのヨーゼフ2世と現代の政治家たち』
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/2cf324d459bebd759a8169a24d916646) 

しかし、マイナス投票では、国民のことより自分や自分の党や仲間しか見ていない政治家たちを、多少なりとも淘汰することができると思うのです。 

とはいっても、自分達に不利になることは一切しない政治家たちはマイナス投票意見は封じ込めるでしょうから、これは難しい。
日本で、これを支持する運動でも起こらないだろうか・・と強く願います。 (政治家の質が低い他の国と連携して。)

ついでに、アメリカのフォーブスの記事も貼り付けます。 (一回開いても読めないときがあるので、一度それを閉じて、再度リンクをクリックしてみてください。)

Forbes (2014.10.28)
Unhappy with a hold your nose election? You should be allowed  to vote against candidate
http://www.forbes.com/sites/georgeleef/2014/10/28/states-should-change-their-election-laws-to-permit-negative-voting/ 

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外国人の若者からの文通申込み、ポルトガルのR君

2014年11月21日 | 友人・知人

ペンパルサイトに募集を出すとき、「30歳以上」という条件を書いていても、10代、20代の子から申込みを受けることがあります。

今まで一番若かったのは、16、7歳のインドネシアの女の子。

しかし彼女は本来ずっと年が離れた日本人ペンフレンドを探していたわけではなく、「日本語をマスターしてそのうち日本の大学で学びたいけど、ペンフレンドが見つからない。私と文通をしてくれませんか?」ということだったし、日本語もかなりできたので、彼女には同世代の女の子のペンフレンドを見つけてあげました。

彼女と違って、「年齢がずっと上の日本人と話がしたい」という若者もいます。

最近30代半ばの友人の代わりにペンフレンド募集を出したときも、17歳のドイツ人と19歳のスウェーデン人から、文通の申込みがありました。

ドイツ人の男の子は、
「僕は、38歳の子供がいる日本人女性とは続いています。あなたのお友達でもあなたでも、僕の長く文通をする相手になってくれたらうれしいです。」
というようなことを書いてきました。

しかし、友人も私も流石に高校生とメールを交わす気にはなれないので、
「ご連絡ありがとう。しかし、広告に書いたとおり、友人は30歳以上のペンフレンドを求めています。
私自身は、若い人と話すのは好きで実際に若い友人もいますが、タンデムパートナーとしてする以外は、50代が学生さんと文通を長く続けるのは難しいと思うのです。」
と返事をしました。

こうした海外の若い人からの文通申込みをもらったり、返事を書くたびに、
「日本人の高校生や大学生(とくに男の子で)、自分の親の年代の女性に文通を申し込むケースってまずないだろうな・・・。それにしても皆、若いながら社交的で紳士淑女」
と、羨ましく思います。

さて、ということで、私はほとんど若い人から文通を申し込まれても断っていますが、相手がmatureで、私に申込をしてきた理由が消去法でないと感じたときは、試しにメールを交換することにしています。

たとえば、ロシアのアレクセイ君。
(『田舎の商店主、ロシア』
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/f7aa0ff22c1a33d7629ff30376e411ab

彼とは、結局自然消滅をしてしまいましたが、それでも短い期間でしたが、楽しい文通をさせてもらいました。

そして先月は、21歳のポルトガルの大学生R君と知り合いました。

本当は、彼から文通申込みをもらったときはもうドイツ人Hさんが見つかった後だったので、最初は断ろうかと思ったのです。
が、「日本の古い映画―黒沢、小津、大島監督の映画、日本の本、伝統芸術が好き。詩を作るのが好き、俳句も興味がある。若い人より、年上の日本人と話がしたい」という彼が、年上のペンフレンドを求める理由は明らかなので、イレギュラーでの文通をすることに。

(日本映画といえば、実はドイツ人のHさんも日本の昭和の映画が好き。ドイツ人の友人ラインホルトさんに至っては、日本の古い映画マニア。マニアまでいかなくても、フランスのアリーヌさんも黒沢ファン。
彼らが日本映画についてもう熱くなって書いてくるたびに、ちょっと後ろめたくなったりします。私には題名さえ知らない映画が多すぎて・・・。)

R君は、実のところ、日本のサブカルチャーにも興味がある今風の若者の部分もあるのですが、自分の住んでいる町の特産ワインの話から、ポルトガルの植民地の話・・・話題も豊富、英語も堪能、おまけに学費を自分のアルバイトで賄っている青年。

そんな彼のメールを読むたびに、

「こんな大学生、今日本にいる?大丈夫か、日本!?」
と、羨ましさを通り越して、焦りを感じさせられます。

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Empty pride

2014年11月19日 | Nationalism

あるドイツ人に文通申込みをしてもらった返事のなかに、
"What comes into your mind, when you think about Germany?(君、ドイツのことを考えるとき、何を思う?)"
という質問がありました。 

私は、
「ドイツ人の友人がいるせいか、私にとってあなたの国を「特別な国」と感じません。なので、ドイツ云々の話をするつもりもないのです。文通申込みは取り下げます。」
と返事。

この彼は、悪い人ではなかったようで再度返事をくれ、
「いや、僕は君がどういう考えの人か知りたかったから、あの質問をしたんです。そもそも僕は自分のことは、「ドイツ人ではなくてヨーロッパ人」って考えています。」
と書いてきました。

しかし、私がこのあと正直に
「私は欧州の歴史、文化、芸術すべてに興味があるものの、正直にいえば、私はドイツよりもイタリアとフランスに興味があるものが多いです。それでも良かったらまたお返事をください。」
と書いたせいか、彼からの連絡はその後ありませんでした。(私自身も、彼から返事があることは期待せず。)

ところで、最近、ドイツ人のペンフレンドのHさんに、
「日本でここ数年「日本はすごい」「日本人で誇らしい」という自画自賛のTVや雑誌記事が多い事への反発心があって、私は海外のペンフレンドに日本について書くことも控えたい気分なんです。それでも、「日本好きの外国人」から日本のものについて褒められたり、質問されたりすると、うれしいのは変わりませんね。」
と書き、日本に国粋主義的な人が増えている話を少ししました。

それに対してHさんは、
「国粋主義者が増えているのは、日本に限らず、中国、韓国、欧州、米州、アジア・・・皆そうだわ。
まったくもって、「○○人で誇らしい」って私は理解できない。それは、まるで「私の黒髪は誇らしい」と言っているようなもの。その人の能力や実績なら誇ってもよいけど、○○人だからと誇るのはおかしい。」
と書いてきました。

この意見、アメリカ人のティムさんやイタリア人のクラウディアさんにどう思うかと聞いてみたところ、二人ともほぼ同意見。
「彼女に同感。でも、同時に「自分の国を愛する」ということも大切。」
(書いていなかっただけで、Hさんも健全な自国愛を大切に思っていると思います。)

クラウディアさんはさらに、
「残念ながら、今のイタリアではどこに行っても国に対する愚痴ばかり。若い人はイタリアから外国にでて行こうとする人がすごく多い。」
と続けました。 

確かにこのイタリアの状況は悲しいものがあるでしょう。

が、「支持率が高い」というだけの政治家・権力者に甘い国民とマスメディアや、どこぞの独裁国家のような自画自賛番組がある国よりは、「まだ健全」と思えてしまいます。 

しかしまあ、「日本はすごいぞ」「日本人でよかった」と外に向けて言う人達(メディア・政治家・etc)は、本当に日本に自信をもっているのでしょうか?

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afternoon tea club、そして異文化の人と文通を長く続ける秘訣

2014年11月18日 | 友人・知人

私のこのブログに使っているURL内のafternoon-tea-club-2ですが、これは2007年11月に始めたブログのURLを決めるときに、考えたものがいくつかはじかれてしまったことから、最終的に落ち着いたものです。(先のOCNのリンクでは、afternoon-tea-clubを使用。)

元上司のA氏からは、「まさか、アメリカのティーパーティ(Tea Party、2007年12月に始まった保守派の草の根運動)のもじりじゃないよね?」とからかわれたことがありますが、これは、もともとは、出産のため退職した私が、職場を退職した仲間たち数人の近況報告等に作った通信レター名。

(実は私はコーヒー党。
ついでにいえば、URLにafternoon teaを使いながらテンプレートの絵柄がOCNブログ人の時も現在のGooブログもコーヒーなのは、紅茶の絵柄では良いものがなかったからですが、これは友人Tに、「afternoon teaとしながら、コーヒーの図案?」と突っ込まれたことがありました。)

そういうわけで、afternoon tea clubというのをブログに使った事自体は意味はなかったのですが、気が付くとここ数年、japan guide comで知り合った日本人の女性を含めて遅い昼食+お茶をする機会が数回。 

実はafternoon tea clubという名称は、現在のこの状況を予知して使ったようなものだったのかな、なんて思います。

さて、そんなことで先週末は、ケイコさん、アサコさん、サトコさん(カテゴリーの『友人・知人』の中に彼女たちのことを書いてある記事が入っています。)に加えて、japan guideで知り合ったA子さんとB子さんと遅いお昼とお茶をしてきました。 

A子さんは30代半ばで、イギリスに語学留学をしたこともある女性。彼女と私が知り合ったのは、今年の夏、イタリアのルイジさんとファビオさんが来日するときに、一緒に町歩きをしてくれる人を募集しようと、私がjapan guideに「イタリアに興味がある方」と広告を載せたとき。(日程が合わなかったため彼女がルイジさんとファビオさん来日時に会うことはなかったのですが、メールのやりとりで彼女の人柄に好感を持ちました。)

B子さんは、私が時々出す「英語と日本語ができる女性」の広告を見つけ、お返事くださった方。実はそのお返事は、会の前夜遅く。これを見て、
「明日ちょうど、japan guide comで知り合った女性を含めた女性だけで遅めのランチをとります。突然ですが、気が向いたらどうぞ。もちろん警戒されても当然なので、断ってくださっても構いません。改めて後日連絡させてください。」
と書いた私を警戒することもなく、快く参加をしてくださった方でした。 

彼女は40代後半。アメリカやカナダで学んだり働いたりしてきましたが、お家の事情で帰国。
A子さんと違って、私はB子さんについては会うまでまったくどんな人かも予測できませんでしたが、『縁』があった人だったせいか(メッセージを下さったタイミング、彼女の予定が空いていたこと、そしてすぐ決断してくださったということ・・・これは『縁』があってのことでしょう。)、彼女もA子さん同様に、私たち元々の友人達とすぐうちとけ、皆でとても素敵な午後を過ごしました。

(A子さん、B子さんもですが、60代のケイコさん、40代初めのサトコさんもアサコさんも、そして50代の私も、性格もバックグラウンドも違うのに、皆が私以外は初対面同士(A子さんとB子さんは私とも初対面)。皆が相手に対して「初めて会った気がしない」と感じたというのは、面白いことです。)

さて、この時、ペンフレンドの話も当然でたのですが、A子さんもB子さんも、「長く続くペンフレンドができない。」とぼやいていました。

これは、この二人に以外にも何人かの国内外の人達からも聞かされていて、ときに私はそういう人同士を結び付けたりもしてきました。しかし、そうやって紹介した同士でも、関係が続いているのは、半分以下。

私にしたところで、17歳から友人のイタリアのリアーナさんと友人から始まったベゴーニャさんは別として、2006年秋から利用しているjapan guide comで知り合った外国人で、「死ぬまで友人でいられるだろう」と思える相手は、現在のところ6、7名。そのなかで、近い関係の日本人の友人感覚でメールのやりとりができるのは、ティムさんとクラウディアさんだけです。

一人の人と長く文通をすることは容易くないと思います。文通を長く続けられる秘訣があるとすれば、それはまず「相性が合う人を見つける」ということが大切ではないでしょうか。
その「相性が合う人」というのは「お互いで尊敬しあえる相手(地位や肩書ではなく、人柄でのこと)」という事だと思いますが、その場合はメールの頻度が多くなくても続きます。

なお、私の場合、そうした相性が合う中でも、以下の条件にあう相手の場合は特に親しくなれます。

1.趣味や関心が似ていて共通の話題がたくさんある、もしくは好奇心旺盛

2.書くのが好きな人であり、話のキャッチボールー受け答えだけでなく、話題を次の話に繋げ発展させる力がある(自分の書きたいことだけずらずら書いたりしない、質問にはできるだけ律儀に答えてくれる)

3.自分の意見を持っているが、他者の意見も尊重する

4.温和

5.礼儀正しく、律儀 

これらはもちろん人によりけりでしょうが、それでもこれらの条件を備えた人が楽しい文通相手であることは確かで、逆に考えると、自分がその条件を身につけようとすることが、文通を長く続ける秘訣かもしれません。ま、外国人、文通に限らずでしょうね。

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偽造2ユーロ硬貨?

2014年11月16日 | 異文化

2月にヴェネツィア旅行に行ってきた息子に貸していた財布、息子はそのままユーロ紙幣と硬貨を入れっぱなしで机にしまい込んでいました。

ふと思い出して彼から財布を取り返し、その時に中身の紙幣と硬貨を取り出しましたが、硬貨は財布の中で黒くなってしまっていました。

それで、銅貨はお醤油につけたり、すすけた他の硬貨は歯磨き粉で拭い、終わりに水洗いをしたのですが、1枚の2ユーロ硬貨が、ちょっと変。2ユーロ硬貨は真ん中が金色、縁が銀色のコインですが、真ん中の金色の下部の一部の色が剥げて銀色っぽく見えるのです。 

「ユーロ硬貨の金色部分って、メッキ?色が剥げるってあり?」と不思議に思い、イタリアのクラウディアさん、スペインのベゴーニャさん(コピーでアメリカ人のティムさんにも)、およびドイツに住んでいたクニコさんに、「ユーロ硬貨で、色が剥げているのを見たことがありますか?それともこれ、偽造硬貨でしょうか?」と質問をしました。 

クニコさんは、ドイツ滞在中もそんな硬貨を見たことがなかったようでした。

ベゴーニャさんもそういう硬貨に遭遇したことはないと言いながら、「色が剥げるなんておかしい」といって、偽造硬貨の写真を送ってきてくれました。

イタリアのクラウディアさんは、ご主人が銀行勤めなので彼に聞いてくれましたが、ご主人は、「2ユーロ硬貨の偽造は割に合わない」といって否定的。クラウディアさんもご主人と同意見。

(ティムさんは、偽造硬貨の話とちょっと離れて、「米国では1ドル札は(耐久性を含めて考えると)高くつくので、1ドル硬貨を導入したが、自分の財布がコインで膨れるのを嫌がる人が多い。よって米国では25セント硬貨が一番流通している」と話をしてくれました。つまり、偽造硬貨云々より、米国人にはユーロのようにいろいろな硬貨が流通していること自体を理解できない人もいるのでしょう。) 

それで、私はクラウディアさん宛て、他の人にはCCで以下のように返事を書きました。

「私も、最初は2ユーロ硬貨(現在のレートでいうと300円弱)の偽造は、割に合わないと思っていました。が、調べてみると、以下のような、イタリアやスペインでの偽造硬貨のことについて書いてあるものを見つけたんです。 

年に一度は遭遇しています…ユーロ偽札・偽コイン
http://www.e384.com/imadoki/003italy/italy_49.html


イタリアの偽ユーロコイン
http://yukipetrella.blog130.fc2.com/blog-entry-7.html

偽2ユーロ硬貨大量摘発
http://www.spain-ya.com/Pages/nt0080925.htm

Three Arrested in Italian Counterfeit Coin Raid
http://ec.europa.eu/anti_fraud/euro-protection/euro-coins/counterfeit_coin_raid_en.htm

Coin counterfeiting
http://en.wikipedia.org/wiki/Coin_counterfeiting

Fake euro coin: How to check
http://www.youtube.com/watch?v=Wb1Z1tedYfY

息子の2ユーロ硬貨が偽物なのかどうかはわからないけど、偽造ユーロ硬貨は確かに流通しているようです。」
と。

私自身が持っているユーロ硬貨、一番高額は1ユーロ。

これは、最後に行った2012年のトリノ旅行では、おつりでもらう硬貨には1度も2ユーロ硬貨がなかったせいでもあります。 

なので、「2000円札と5000円札が紛らわしいのと同じで、2ユーロ硬貨と1ユーロ硬貨が紛らわしいから、2ユーロは嫌厭されているのだろうか。でも、フィレンツェでも、ドイツやフランスでもそんなことなかったな。トリノだけ?」と思っていましたが、実は偽造2ユーロを警戒したお店がトリノに多かったのかもしれません。

さて、偽硬貨といえば、日本において、私が子供のころ、自動販売機から一銭硬貨がでてきたこともありましたし(これは大人がほしがりました。)、大人になっても、100円のかわりに価値が低い韓国ウォン硬貨がでてきたこともありました。(私は遭遇していませんが、自動販売機で500円硬貨のかわりに、やはり韓国硬貨が出てくることもあるようですね。)

この韓国ウォンのように、ユーロ硬貨のかわりにリベリアの硬貨が自動販売機から出てくる・・・というようなことも、あるにはあるようですが、日本やアメリカではあまりなさそうな(高額の500円硬貨に限れば偽造有)偽造硬貨も欧州では少なくない-

これは、ユーロコインの種類自体が多すぎて-裏面はそれぞれの国が独自のデザインで作っているだけではなく、一つの国のなかにも記念硬貨も流通していこともあるので、偽物を作っても、それが偽物であるか本物であるかわかりづらいことも関係しているでしょう。 

(参考:ユーロと貨幣 (by ちゅーやんさん)
http://homepage2.nifty.com/arumukos/ththrs/b-c-euro/

それにしても、ユーロもですが、国によっては信じられないくらい大きすぎたり(イギリス、旧フランスの硬貨、香港、シンガポール、スリランカ、モルディブ・・巨大(厚みがあるものも)だった思い出が。)小さすぎたりする硬貨があります。ユーロは大きさ、小ささの問題と同時に、コインの種類が少し多め、見分けるのが難しいものも。

フィレンツェ旅行のとき、コインが増えすぎたので、ミニシャンプーセットが入っていた、ジップロック付のビニールケースにユーロ硬貨を入れて買い物をしていました。

これをたまたま、フィレンツェ旅行の時に立ち寄る革製品の個人経営店での支払いするのに取り出したところ、店の女性と製造をしていた若い男性(おそらく息子)が笑い、「こういうコインケースもあるよ」と品物を見せてくれました。(馬鹿にした風でも、売りつけるようでもなく、嫌味は全く感じられませんでした。)が、皆そんなに大きくない日本でもみるようなコインケース。 

私は、
「コインケースなら私も持っているけど、ユーロは大きいコインもある上、種類も多い。たとえコインケースを紙幣入れと別に使ったとしても、すぐいっぱいになってしまいます。そして、慣れない外国人には、この透明のビニールが使いやすいんです。」
と言ったところ、二人は納得してくれました。

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1989年11月9日、ベルリンにいたドイツ人の友人

2014年11月14日 | 友人・知人

1989年11月9日は、ベルリンの壁が崩壊した日でした。

ドイツ人の友人Bさん(60代)は現在ヘッセン州に住んでいますが、もともとは中部ドイツ出身、大学進学後はベルリンで暮らしていました。

数年前、ベルリンの壁の話をした時、こんなことを話してくれました。

「・・そう、ベルリンの壁崩壊は、私たちドイツ人にとってspecialなことだったんです。

そのとき、私はちょうどベルリンに住んでいました。

TVやラジオから流れるニュースを信じることができず、私たち夫婦はベルリンの壁に向かいましたが、そこには西側に向かおうとする幸福に酔いしれている人達で混雑して、たどり着くことはできなかったんです。

でも、私たちは(壁にたどり着けなかった)大勢の人にハグをし、そしてまた大勢の人からハグをされました。

そしてまた、遠方からもこのイヴェントに駆けつけてくる人達もいました。

その日はとても寒い日で、ラジオやテレビからは、「遠方からやってくる人たちをその晩宿泊させてほしい」という呼びかけがありました。
それで私はは一つのTV局に電話をして、一組の人を宿泊させることに決めたんです。

私たちが宿泊してもらったのは、ドレスデン近郊からやってきた、年配のご夫婦。
この後、数通の手紙のやりとりをしたものの、すぐにコンタクトは途絶えてしまったけど、きっと、どこかでノーマルな生活を送るようになったんだと思います。多くの人がそうであったように。

この数日間は、本当に自分の人生のなかでもっとも大きな出来事でした。」

Bさんが当時は若かったとはいえ、物静かで落ち着いた彼がその晩にはもう外に飛び出したわけですから、壁が壊れたときの東側の人達の興奮ぶりは想像できました。

(Bさんの出身がドイツ中央部の小さな村だったこと、そしてベルリンに一時期住んでいたというのも彼と知り合ってすぐ知ったのですが、それだけでは東西どちらのドイツ出身だったのかわかりませんでした。
彼は東ドイツ出身ということを隠していたわけではなかったでしょうが、彼が旧東ドイツ出身だったということを知ったのはこのベルリンの壁の話からでした。)

さて、この日のことについて、ニューズウィークには以下のコラムがありました。
このなかの(2)については良く知られているでしょうが、(1)と(3)についてはどうでしょうか。特に、(3)のギュンター・シャボウスキーの“勘違い”。本当に“勘違い”だったのでしょうか、ね。

ニューズウィーク(2014年11月11日)
ベルリンの壁崩壊をめぐる3つの誤解
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2014/11/post-3455.php  

抜粋: 

(3)政治家の勘違いが壁を崩壊させた

 ジーンズ姿の東ベルリン市民が次々に壁をよじ登るシーンを見ると、東欧最強といわれた東ドイツの秘密警察「シュタージ(正式名称・国家保安省)」に社会主義体制の維持を断念させたのは、自由を求める市民の力だったと思いたくなる。だがベルリンの壁崩壊の引き金を引いたのは、ある政治家の勘違いだった。

 11月9日、東ドイツを率いる社会主義統一党のスポークスマンだったギュンター・シャボウスキーは、国民の大量出国問題に関する記者会見で、政府が「すべての東ドイツ国民に国境検問所からの出国を認める」決定を下したと語った。いつからこの決定が適用されるのかと記者に質問されたシャボウスキーは、資料をめくりながら「私の理解では、直ちにだ」と回答。数時間後には、ボルンホルマー通りの検問所に市民が大挙して押し寄せ、壁を乗り越えていった。

 後になって、政府はすべての国民の自由な国境通過など認めるつもりではなかったことが明らかになった。政府が狙っていたのは、東ドイツ国内で抗議活動を主導する一部の不満分子を国外追放して再入国させないというシナリオだった。

 シャボウスキーはその計画が話し合われた会合に出席しておらず、誤った発表をしてしまった。歴史を変えた最大の功労者は、政治の混乱だったわけだ。

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日本のペット事情

2014年11月12日 | 動物愛護

2007年11月12日は、私がブログを始めた日でした。 

この時書いた記事は、 

『欧米のペット事情』
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/7b81f85f3f22a8651a20a40dc1f8494c 

アメリカ在住の日本人の元ペンフレンド、他、海外の友人達のペットの話と、日本のペット産業に対する批判の声を紹介しました。

今、関東や九州で犬の死骸を大量投棄(死骸だけではなく生きたまま置きっぱなしにされた病気の犬も)のニュースが立て続けに流れています。

「この事件の背景には、今までこうした繁殖業者やペットショップから売れ残った犬猫を保健所で殺処分(!)していた保健所がそれをしなくなったために業者が不法投棄」と書いていた人がいました。 

これが本当かどうかはわかりませんが、保健所云々の前に、日本ではどうして現状の日本のペットショップの在り方を変えようとしないのでしょうか?

7年経った後も、改善されないばかりか、改悪です。

保健所でペットショップの売れ残っていた動物を行政が引き取って殺していたこと、そしてそれができなくなって山中に大量に犬の死骸が捨てられたことが海外のニュースで流れたら、「日本は野蛮な国」と思う人がでてくるでしょうね、動物愛護協会やGreenpeaceの人でなくても。

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ラクイラ地震裁判-逆転無罪

2014年11月11日 | 海外ニュース・できごと

ラクイラ地震の裁判について、以下の記事がありました。 

読売新聞 (2014年11月11日)
地震直前に安全宣言、専門家に逆転無罪…伊高裁
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141111-00050067-yom-int 

【ローマ=青木佐知子】300人以上が死亡した2009年のイタリア中部ラクイラ震災の直前、事実上の「安全宣言」を出したとして過失致死罪などに問われ、1審で禁錮6年の実刑判決を受けた地震などを専門とする科学者ら7人のうちの6人に対し、ラクイラ高裁は10日、1審判決を破棄し、無罪を言い渡した。

 逆転無罪となったのは、政府の防災諮問委員会に所属していた科学者6人。防災庁のデベルナルディニス副長官(当時)については、執行猶予付きの禁錮2年が言い渡された。12年の1審判決では、地震の危険性を適切に警告しなかったとして7人に禁錮6年が言い渡され、全員が控訴していた。

 同国では、判決理由は後日に公表される。科学者の刑事責任を認めた1審判決は、「科学者は地震予知に協力できなくなる」と、世界で議論を巻き起こした。

この事件の一人の被告はイタリア国立地球物理学火山研究所(Italy's National Institute of Geophysics and Volcanology 略称INGV)の所長(President)、Enzo Boschi氏でしたが、偶然、私のイタリアのペンフレンドの一人が、彼の秘書をしていました。

その関係で、2011年11月からこの裁判を追ってきていましたので、興味がある方はどうぞ。海外のニュースサイトのリンクはほとんどまだ生きているようです。

『地震を予告できなかった専門家に責任を問うイタリア』
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/1078d1438dc3c07c65abaf6853770ef4

『イタリアとブルガリアの地震で考える』
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/f366a91891afc3f1431b62ab6d06d2f8

『イタリア地震裁判の判決-イタリアは文明国か?』
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/d82123ceb4e8d9e57c06c081dfe1567d

『イタリア地震の判決を支持する人の言い分-司法と理性』
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/512b7f6f7757fd5821fae645180bf9b3

『ラクイラ地震裁判、検察側の言い分-本当に裁かれるべきは・・・』
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/5b287f8fcc22739d177cf4f21ac7be2a
 

前に書いた通り、私はマグニチュード6.3で壊れる建物を許すような国やラクイラ市が訴えられないばかりか、批判をされないということについて、フェアではなかったと思います。

(2012年にブルガリアのソフィアでも大きな地震がありました。でも、建物にひびが入ったりしても、崩壊した建物はなかったといいます。  

それに比べて、イタリアでは、ちょっとした地震で建物がこわれたりすることもあるようです。ボローニャ近郊の地震のときもそうでしたが。(地震がなくとも、ミラノのアーケードから大きな煉瓦がおちてくることもあるらしいです。))
 
結局、ラクイラ裁判で得をしたのは、訴えられないでごまかしきった国とラクイラ市でしょうから、実は今回の無罪まで含めて、シナリオ通りだったのかもしれません。
 
といっても、INGVにも、やはり落ち度があるわけです。
(地震の兆候を指摘していた市井の研究者の意見を退けるだけだったのは、専門家のプライドを優先させるためだったと思います。これについては一番下の『ラクイラ地震裁判、検察分の言い分-本当に裁かれるべきは』の中に、詳しい記事のリンクがあります。) 

今回の裁判の判決には、「普賢岳で火山の変化を察知しながら、危険レベルを上げないでいた日本の気象庁にお咎めなし」ということも、ひょっとしたら関係しているのではないか、と思ってしまいます。 

いずれにしても、ラクイラ地震の被災者たちや遺族は気持ちのやりどころがないでしょう。

なんともすっきりしない結果に終わりました。

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日本人にとってのアフリカ、心温まるウガンダの子供たちの動画

2014年11月09日 | Peace

ここ半年、なぜかアフリカのことを耳にする機会が多くなりました。

それは、エボラ出血熱のニュースでアフリカの地名を聞くことが多くなったというだけではなく、個人的にも。

まずは、①年長の友人のケイコさんがマダガスカルに続いて、春に南アフリカのナマクアランドにお花見旅行に出かけたこと。
(ケイコさんは園芸家ではありませんが、「南アフリカは、園芸に関わる人にとって聖地のようなもの」という話を聞いたことがあります。)

②フランス人の元ペンフレンドが1994年にルワンダで医療活動をしていた、と知ったこと。

③そして最近、ポルトガルの若い知人から、彼が幼い頃、祖父母が働いていたというナミビアに行ったという話を聞いたこと。

④また、これは、半年以内の話ではないのですが、イタリア人の若い知人(30代、子供一人)が、「二人目はエチオピアから養子をもらいたい」と言っていたのも思い出しだしていました。
彼女は、エチオピアで仕事をしていた伯父夫婦がエチオピアから養子を迎えようとして結局できなかった、という話を子供の頃から聞いていて、自分がそれを実現させようと思っているようでした。

恥ずかしながら、私がアフリカの白地図に自信を持って国名をうめられるのは、北アフリカ諸国以外では、マリ、南アフリカ、ソマリア、ケニア、タンザニア、マダガスカル、セイシェル・・・くらいでした。

日本には、ほとんどのアフリカの国の場所を知らない人は少なくない思いますが、それだけ日本人にとってのアフリカは、地理的にも心理的にも遠い、ということでしょうか。

このアフリカの話を欧米の友人達としますが、旧宗主国であったり、移民、難民が多い国の人達にとってのアフリカは日本人が想像できないくらい近いものである気がします。

ところで、上に挙げたアフリカの国々ではないですが、アフリカの一国に、ウガンダという国があります。

ウガンダといえば、40代半ば代以上の人であれば聞いたことがあると思いますが、「アミン大統領」というとんでもない独裁者がいた国です。
『ウィキペディア イディ・アミン』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%9F%E3%83%B3

(彼が残虐なのは確かですが、最初は西側に協力、のちにソ連と手を組んだことから、彼の悪行は西側メディアで誇張されていた部分もあると思います。) 

このウガンダから、心温まる動画を二本紹介します。 

Happy, Pharrell Willams - Uganda Village version
http://www.youtube.com/watch?v=BLTlSRMOZVQ

The Vassar College Choir travels to Japan
http://www.youtube.com/watch?v=YO04HwQC_F4

後者の動画については、ミュージカル演出家のジョン・ケアード夫人の今井真緒子さん(女優・翻訳家)のブログをご覧ください。 

世界がわが家 Part I
http://maoko-imai.blog.so-net.ne.jp/2014-04-01-1

世界がわが家 Part II
http://maoko-imai.blog.so-net.ne.jp/2014-04-09

このご夫婦は、動画にある活動の功労者ですが、麻緒子さんがPart I で述べられている言葉、考えさせられます。 

「途上国への援助の重要性は否定しません。けれども、例えばアフリカの子供たちや若者を先進国で教育すること、アフリカの国々を今の先進国のようにすることが援助なのか? 先進国の価値観で考えない、同じ轍を踏ませない、それも大切なのではないか、と。」 

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「日本人は西洋人より優れている」という調査、肯定派44%

2014年11月08日 | 社会(歴史・都市計画含む)

数日前、アメリカのティムさんからウォールストリートジャーナルの記事が送られてきました。

Wall Street Journal (2014.11.4)
Survey Shows Rising National Pride
http://blogs.wsj.com/japanrealtime/2014/11/04/survey-shows-rising-national-pride/

“An interesting survey question: 

‘On one question, 44% said they thought “Japanese are superior to Westerners.” Thirty-seven percent said the same in 2008. ’ 

In the US, you  could not actually ask such a question in a public survey - it would be considered racist.” 

調査には「日本人は西洋人より優れていると思う」という質問もあり、ティムさんは、「アメリカではこんな質問を公の調査ですることは、人種差別として受け入れられない」と驚いていました。
しかし、2008年の調査では37%の人が肯定しているのに対し、今年の調査では44%が肯定をしていることに興味を持ったようです。 

私は、(彼同様「国の機関の統計数理研究所がこんな質問をすること自体に問題あり」と思う気持ちをわきに置き、)この肯定派が増えたことについて、
「記事の中でも書かれているように、私もこの結果には、日本、日本人自画自賛TV番組の影響もあると思います。一部は独裁国家のTVのように思えるものもあります。」
と感想を述べ、そうした番組の中でも、知っている中では最も酷いと思う番組のHPのリンクを送りました。 

所さんのニッポンの出番
http://www.tbs.co.jp/nippon-deban/ 

この番組は、たまたまTVを付けていて気が付いたものですが、一回目は、観ているのが恥ずかしくなってすぐ消してしまいました。

二回目にこの番組に遭遇したときは、試しに消さずに料理をしながら観ていたので、「外国人レポーターが日本の良さをレポートしにきて、日本を褒めまくる」という架空の番組を通して、日本や日本人の良さを褒めるコーナーまであるのに気が付きました。

「『自画自賛』じゃなくて、(日本のテレビ局のシナリオどおりであっても)外国人に日本を褒めてもらうのは問題ないだろう」ということでしょうか。 

(日本を愛してくれている外国人の友人達がこの番組を観たら・・・と恐れました。日本在住の外国人の友人は、TVを観ない人なのが幸いでした。)

このような番組を、子供のころから観て、「日本は優れている」「日本は海外でとても尊敬されている」と思って育った日本人が、海外に行って、現実を知った時、どうなるのでしょう。

欧米で、日本好きの人は確かにいますが、「日本、日本人、日本製品は世界一」と誉めそやす人に会うことはほとんどないでしょう。(知り合いでもないのに誉めそやす現地人がいたら注意。下心ありかも。)
むしろ、日本人(アジア人)を馬鹿にする人にたまに出くわすかもしれません。 

欧米以外については-先日、仕事で海外によく行く知人が、
「アジア、アフリカ、南米の子供たちが「外人」を見て囃す相手は東アジア系のみで、どの国でも多少の軽侮をこめて「チーノ」と呼ばれますが、白人系に対してそうした囃し立てをすることを見聞したことがありません。」
と言っていましたが、これまた一部の人を除いては、日本人もバカにされる対象。

(これを「日本人を馬鹿にしているのではない。中国人に間違えてバカにしているだけだ。」と反論する日本人もいるでしょうが、差別したり囃し立てる種類の人間には、日本人と中国人の違いなどどうでもよい。)

こうした番組のない時代に育って、逆に「欧米信仰」の様なものを持っていて海外に行った私を含む人間は、その地で日本の優れている点に気が付いて誇らしくなり、そして、親日家の人に会うとうれしくなり・・・というパターンでしたが、これが逆パターンになるとどうなるのでしょうか。

ところで、WSJに紹介された調査の中では、「今度また生まれてきたら、また日本人が良いか」という質問があり、その年代別回答の変化の表があります。この結果、『全体』では、今年は2008年に比べて5%の伸びだそうですが、『20代男性』に限れば20%も伸びています。 

これは、2008年の20歳代男性の肯定派が他の年代、同年代の女性に比べて異常に低かったこと(リーマンショックが原因か)も関係しているでしょう。そう考えれば、本来喜ぶべき結果なのでしょうが、TVや政治の影響もある気もして、ちょっと心配です。 

追記:私もまた生まれてきても、現段階ではまだ日本が良いと思います。が、それは平均以上の家庭に生まれれば、と言う条件付きで。
ま、先進国に生まれたほとんどの人(失業率の高い国の若者以外)も同様に、「自国が良い」と答えることでしょう。

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