Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

学校で学んだことは役立つのか?

2008年01月28日 | 教育

イタリアのペンフレンドは、20代前半から10代後半の息子さん2人と娘さん2人のお母さんです。

彼女の目下の悩みは末のお嬢さん。昨年9月から専門学校に通いだしたのですが、どうもいくつかの科目に問題があり、学業にあまり熱心ではなくなってしまったと言うのです。

ペンフレンドは「現在付き合っている友人に問題がある」そう言って、娘に外出禁止令を出したりしているのですが、娘は罰が重いと不平をいうばかり。落としそうになっている科目については努力すると言っているようですが・・。

友人との件に関し厳しい兄たちも、唯一教育に関しては、「学校では社会に出てから必要なことは教わらなかった。必要なことはすべて会社の先輩達から教わった」と妹に理解を示すことを言うといってぼやきます。

この息子さん達のコメント、娘さんの今後に関して、私は元同僚男性、日本在住ドイツ人のペンフレンド、アメリカ在住日本人ペンフレンド、マルタ人のペンフレンド、そしてアメリカ人の友人に意見を訊きました。

元同僚男性とドイツ人のペンフレンドはそもそも学ぶことに生きがいを感じるタイプなので、たとえ仕事に直結することでない勉強もすべきという考えです。

彼らに言わせれば、40代の今でさえ、(たとえ仕事と関係ないことでも)まだまだ学びたいことがたくさんあると言います。彼らは、娘さんが学校を中退でもするようなことになれば忍耐力の欠如にも繋がるということを一番心配していました。

アメリカに住む日本人ペンフレンドと私の意見はほぼ一緒。学校で学んだことがすべて仕事に直結するわけではないけれど、何かの役には立つ。しかし嫌々学んだことはすべて頭に入らない。中退することで将来の職業が限られてしまうこと、忍耐が損なわれるという害も含めて、本人が答えを見つけるしかない。

自ら職業学校の先生であるマルタのペンフレンドは、そもそも学校で教えたこと(彼の場合は数学)は、考える力をつけるためのもので、すべてどんな仕事にも役立つ、という考え方。そういう点ではアメリカの友人もマルタのペンフレンドと同じ。彼女は大学に通いながら働く20代の主婦ですが、「私は数学だって、なんだって、すべて学校で学んだことは役立っているから、息子さん達のコメントは理解できないわ。」

まあ、皆の意見を訊いたものの、私はこれをイタリアの友人に伝えるつもりはありませんでした。(ただ、即効的なものがあれば使わせてもらおうと思ってはいました。)

「私は娘を信じています。」

メールの最後に書かれた彼女の一言を目にし、娘さんが自分の道を見つけ出すのがそう遠いことでないことを感じているからです。

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ガソリン税を有効に使うなら

2008年01月27日 | 経済

今、3月に期限が来るガソリン税率暫定税率の継続、廃止で揉めています。

確かにガソリン税を下げて少しでも負担を減らして欲しいという国民は多いでしょう。そもそも原油価格の高騰で、税収そのものが増えている筈なのだから、この点でも議論があってもおかしくないと私は思っています。

とはいえ、民主党が「25円ガソリンを安くする」というのをうたい文句にしているのも子供っぽ過ぎます。いかにも安直で、国民の人気取りのために騒いでいるのが見え見えです。

日本は-以前にも書きましたが-先進国においてガソリン税率はそんなに高くありません。

欧州諸国そしてお隣韓国などは日本よりガソリン税率が高く、当然ガソリン価格も高いのです。欧州などのガソリン税の中には環境税も含んでいるところもあります。

その反対に、米国のガソリン価格は安く、消費も莫大。この国ではそれでも「ガソリン価格を下げろ」と国民は騒いでいます。まあ、百歩譲って考えれば、米国などは今や車がなければ暮らしていけない現状もあるし、そして一応産油国でもあるので多少は理解できます。

しかし、産油国でもなければ、広大な土地を持つわけでもない日本が、アメリカの真似をするわけにもいかないでしょう。


原油価格が上がっている理由(資源は有限)のみを考えても、値段を下げるのはあまり賢い選択とは思えません。

最近になって与党がアピールしだした「リッター25円下げると、消費が増えて環境に悪い」というのも、これだけ価格が上がっている今はあまり説得力があるとは思いませんが、それでも今値段をわずかであっても下げることは地球規模、CO2排出削減の観点で見ればおかしいのは確かです。もっと違うところで議論すべきです。

「ガソリンや、灯油が高くて、この寒い冬に暖房を我慢したり、足が悪くて車がなくては買い物さえ大変になのに車を使えない貧しい人達がいる・・・」

一昨年の冬、灯油やガソリン価格の高いドイツから知り合いの女性がメールをくれました。先進国のドイツでこんな人達がいると知って、衝撃を受けたものです。今や日本も他人事ではありません。

私の周りには、ガソリン税が「道路特定財源」ではなく「一般財源」「環境税」になるなら現状の税率でも・・・という人も案外います。

現在暫定税率を問題視するのではなく、それによって集められた税金の使い道を見直す、たとえば、こうした人達の支援、輸送機関、公共の乗り物の補助にまわすなど、いろいろあると思います。

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超合理主義者とプルリング

2008年01月20日 | 福祉・医療

知り合いの若い男性が、ビニール袋に何か銀色のものを入れてうれしそうにしていました。

「それ何?」

「プルリングですよ。これを集めて車椅子を貰うんです」

近くにいくと、確かに缶ジュースなどの飲み口についているプルリング。ボランティアをサポート、育成する職場にいた私は、プルリングを集めて車椅子に変えてもらえることは当然知っていました。

ただし、車椅子に変えられるまで大量のプルリングが要ること、実際引き取ってくれる業者、団体が数少ないことから、センターではプルリングの収集に対して消極的でした。しかし、それでも「何か人のために出来ないかと思って、プルリングを集めました」と言ってセンターにプルリングを持ち込む人もいたのです。

こうして集まっていたプルリングは、私が退職するころはバケツ1杯分。もう少し集まったら、収集しているところに相談するということになっていました。

まだプルリングがセンターに残っているのなら引き取らせて貰おう、そう思って、センターの現在の担当者に電話すると、「あれは結局資源ごみに出した。車椅子に換算しても、資源としての値段もそんなに変わらないから・・・」との答え。

私は思わず罵倒しそうになりました。彼が”超合理主義者“だということは知っていても、まさかそんなことまでするとは思ってもいませんでした。

ボランティア育成を仕事とする人が、市民の善意を無にし、しかもそのことについて全く悪びれていないというのは許し難いことです。

プルリングには純度の高いアルミが使われているので、バケツ1杯分とはいえ、それを剥がされたら市の財源に影響があると思ったのでしょうか。まあ、そこまで思慮深い人であれば、プルリングを持ち込んだ人の気持ちも汲み取れるはずです。

「仕方がないから、今度プルリングが持ち込まれたら、それをとっておいて」

そう一応頼みながら、生返事の彼が協力してくれるとも思えず、私は電話を切りました。

この話をセンターの前任者に話したところ、大変無念に思っていました。センターで代々引き継がれてきた精神が、担当者が変わったことで、簡単に一変してしまったのです。そして、それを食い止める手立てはありません。

センターは民間ではないので、たとえ現在の担当者が不適切だということがわかっても、よほどのことがない限り配置転換されることもないでしょう。

「民営化すること」がいかにも優れているように言われ続けることに違和感を覚える私でも、今回のようなことに接すると、「だから叩かれるのだ」と言いたくなってしまいます。

集めたプルリングをうれしそうに見ている若い男性の姿を思い返しては、この貴重さを理解できない人がボランティア育成でお給料を貰っていることに、溜息がでてしまいます。

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桜と京都

2008年01月19日 | 友人・知人

デンマークのペンフレンドのミアさんから昨夜突然メールが来ました。

彼女はやっと長期休暇がとれることになったので、念願の日本への旅行を実現できるようになったと言うのです。それで、「できるなら桜を見に来たい。インターネットで調べると、『お花見の時期は3月下旬から』としか書いてないけど、いったいいつがよいのでしょう?」と訊いてきました。

もう10年以上も花粉症に悩ませる私にとって、春は苦手な季節となりました。お花見も、東京で働いていた頃は職場の仲間と連れ立ってオフィス近くの桜の名所へ行ったものですが、今はせいぜい近所の公園や学校前の桜を散歩がてらに見るくらい。おかげで桜前線など、あまり気にとめなくなりました。

温暖化の影響で、以前より開花が早まる傾向があるのでしょうが、それでもこればっかりは完全な予測は無理と言うもの。

「開花は、その年、そして場所によって違うので、予測するのは難しい」そう答えながら、なんとか良い手立てがないかどうか思案中です。

彼女は私と同じようにパッケージ旅行が嫌いなタイプ。旅行はすべて自分でアレンジしたいと言っていて、それに際してお勧めの場所も訊いてきています。彼女は日本の歴史(江戸時代)や、日本の文化に興味があるので、まず京都は外せないでしょう。

京都は外国人が日本に来たとき訪れる定番の土地。日本に数回来たことのあるフランス人のペンフレンドも京都はお気に入りです。その反対にドイツ人のペンフレンドは京都に辛口の感想を持ちます。彼は「日本の中であまり好きではない所は京都。そういうと周りの人に不思議がられるんだけど。」と言っていました。

しかし、私には彼の気持ちも理解できます。私は若い頃、友人が住んでいたことがあって、年1、2回くらい京都に行っていました。「東京、東京近郊以外で住むとしたら、京都がいいかな。」と言っていたくらい、京都は私の好きな場所でした。京都のお茶屋さんに連れて行ってもらい、そこの“おかあさん”と差し向かいでお酒を飲んだ経験は今でも忘れられない思い出です。

そんな京都を再訪したのは5年くらい前でしたが、とても俗化してしまっている気がして非常にがっかりしました。25年前の京都と比べてもこんなにがっかりするのですから、もっと昔を知っている人達の嘆きはもっと大きいものでしょう。

日本の古都に深い思い入れがあるミアさんはどう思うでしょう。

俗化の激しい地域でないところを選んで案内すればよいでしょうが、中心地を避けるわけにもいきませんし・・。

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動物以下のホームレス

2008年01月09日 | 福祉・医療

お正月に実家に行くのに電車で多摩川を渡る際、川沿いに連なるホームレスのテントの多さを見て驚くと同時に、変なことですが少しほっとしました。

ブルーシートで作られただけの家であっても、撤去されてしまうよりマシだろうと思ったからです。

ホームレスといえば福祉関係団体の仕事をしていたときに、市役所の福祉課の職員と話をしていたことがあります。

「『ホームレスは働きたくても働かない怠け者だから支援するべきではない』と言うけど、今の時代に働きたくても仕事がなくてホームレスになっている人もいるのは分かっているはず。その部分について市は見えないふりをしているだけでは?」

彼は私の問いには否定できないと言いながらも、もし市がホームレスに支援するようになったら、他の市からもホームレスが集まってきてしまうと市民の反発も出てくるのでできないと弁明しました。その話を彼としたのは、私の家の資源ごみ収集場所に現れた高齢のホームレスの話がきっかけでした。

ある冬の寒い朝、70歳はもう過ぎているだろうと思われる男性のホームレスがまだ食べ物の残りかすが残っている空き缶を探し当てて、その場に座り込んで食べていました。

薄汚れた服を着こんでいるものの、その朝の寒さではまだ十分といえない格好。

気になってその男性に「大丈夫ですか?」と声をかけると、一生懸命何か話そうとする男性の言葉は聞き取れません。外国語というわけではなく、言語障害があるようでした。

そんな男性の姿を見た町内の人々は、その男性から見えないところで集まってひそひそと話していました。

「あんなところで死なれたら困るわ・・。警察か市役所に通報しなければ・・」

こんなことを言っていたのは、その少し前に近所に現れた老いた捨て犬に自宅の猫の缶詰を与えた心優しい隣人です。

彼女は「そんなことをしてその犬が居ついたらどうする
!?」という他の人の反対を無視して、その老犬に餌を与えようとしていました。(老犬は猫の缶詰を食べませんでした。食欲さえも失われていたような哀れな犬は、その後すぐ姿を見せなくなりました。おそらく保健所に通報されてしまったのだと思います。)

その時点で私があのホームレスに何か食べ物を持っていったら町内の人を敵に回しそうだったので断念したものの、気になって後で見に行くと、もう収集所の前に姿はありませんでした。

ホームレス支援については、本当に難しい問題です。しかし、うまくは言えないのですが、確かにお金や物資で支援するのはいろいろな問題を生みますが、ホームレスに対する思いやり、理解はもう少しあっても良い気がします。

ある病院の若いケアワーカーが「病院に収容したホームレスの着替えがないので何とかならないか」とその患者の境遇に同情して電話をかけてきたことがありました。

その時に私が声をかけたボランティアのリーダー
2人は、即座に古着から真新しい靴下等まで仲間から集めてきてくれました。彼女達は、その病院のケアワーカーの気持ちに応えたかったという部分もあったようです。

この後、この病院に他のホームレスが押しかけたとも聞いていません。 

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武器輸出三原則緩和!?

2008年01月06日 | 武器輸出・TPP・モンサント・農薬

本日の新聞によると、日本政府は武器輸出三原則を緩和する方向で検討に入ったということです。年明け早々、本当に不愉快な記事です。

1967年佐藤栄作首相在任時には武器輸出禁止対象国を共産圏諸国他数カ国でしたが、1976年三木武夫首相の時に対象国を広げほぼ前面禁止になっていました。
しかし、近年はアメリカ向輸出、技術供与は次々と例外化されていっていたのです。

そして今はもう、たとえこの三原則がなし崩しになったとしても、マスコミが大きく取り上げ、世論が大きく反発することは残念ながらないと思います。

政府は、三原則を緩和することで、「防衛産業の国際競争力強化を狙う」と言いますが、『防衛産業』イコール『軍需産業』、要は人殺しの道具を作りそれで儲ける産業のことです。

日本の軍需産業といってもぴんと来ない人も多いかもしれませんが、大手鉄鋼、エンジニアリング会社はそうした兵器も作っているのです。この緩和を望んでいるのはそうした大企業、そして日本の技術に期待する大国でしょう。

こうして開発、生産された兵器は罪もない人達を殺したり障害を負わせるだけでなく、自然界にも最大の環境破壊を引き起こします-製造実験する過程、そして戦争の道具となったとき。

このダメージに大国の“賢いのリーダー達”が気が付いていないわけがないのに、こうした製品を作りながら、「CO2削減を」「温暖化ストップ」と声だかに訴えているあつかましさ。いよいよ日本も完全にそのあつかましい国の仲間入りとなるかもしれません。

(『CO2排出権取引』を私が胡散臭く感じるのは、こうした矛盾があるからでもあります。

もちろん、本気で取り組もうとしている善意の人達の方が多いのですが・・。)

ジョージ・オーウェルの『動物農場』という本を機会があったら読んでみてください。

人間から自由を勝ち取って、自分達の社会を勝ち得た動物達の世界は人間の世界の縮図です。

人間を追い出した農場では、一部の動物達によってその社会は統治されていくことになります。彼らは決まりごとを決めて壁に張り出しますが、実のところ一般の動物達は文字を読めないもののほうが多いのです。

気が付くとその張り紙は気が付かぬうちにリーダー達の都合の良いように書き換えられていくのですが、それになんとなく違和感を持つもつものがあっても、他の動物達ははっきりとそれに気が付きません。

武器輸出三原則だけでなく、憲法初め多くの法律、決まりごとが、権力者達の都合の良いように変えられていくとしたら、それは権力者達だけの責任ばかりではないでしょう。

少なくとも、私達のほとんどは字は読め、ものも考えるだけの頭は持っています。

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