「欧州に住むアラブ系の2世3世がテロリストとなっていく」「イスラム教徒は危険」
-テロが起こるたびに、「イスラム教徒や移民全体は危険」という空気が流れます。
私はイスラム過激派を擁護するつもりはないのですが、ただ、中には以下の記事のインド人と同じような人物がいたのではないかと思います。
ダイアモンドオンライン (2016年1月20日)
善良な人も極悪人に仕立て上げられる!
人間心理のトリック
By 渡部幹氏
http://diamond.jp/articles/-/84868
(前略)
筆者が違和感を抱くのは、ある行動をとった人物を分析する際、その人物が「望んで」そういう行動をとっている、と決めてかかる意見がかなり多いことだ。もちろん、そういう場合もあるだろうが、もう少し慎重に物事を見るべきと考えている。
ビジネスシーンではないが、1つの例を述べたい。
いまから数年前、インドのムンバイで列車爆破テロ事件があった。ムンバイはインドの金融センターというべき場所で、外国人も多い国際都市である。そこの主要駅を含む7ヵ所で11分の間に連続して爆破が起こった。複数の実行班が列車や駅に時限爆弾入りのかばんを置いたのだ。死者200人を超える大惨事となり、当時はその影響で東京株式市場も大幅に値を下げたほどだ。パキスタンに本拠を置くイスラム過激派が犯行声明を出し、インドとパキスタンの関係がさらに悪化するきっかけにもなった。
最近ではイスラム国(IS)による大規模テロが欧州で起こり、筆者の住むマレーシアでもつい先日、自爆テロ犯が未遂のまま拘束された。こういったテロへの不安が増大する一方、私たちはテロリストの実際についてはあまり知らない。正確には、「知ったつもりになっている」のだ。
多くの人は彼らについて、「狂信的なイスラム原理主義者で、自分たちの信ずるイスラム世界をつくるためには、他教徒を殺しても構わないと思っている人々」といったイメージを抱いているだろう。だが、少なくとも自爆テロ実行犯については、そのイメージは外れていることが多いのだ。
善良な苦学生がなぜ爆弾テロを引き起こしたか
筆者の友人であるインド系マレーシア人から、先日初めて聞いたのだが、その犯人のひとり、Aは、当時マレーシアに住んでいた。そして筆者の友人は、そのAの友人だったそうだ。
事件が起こる3年ほど前、Aはインドから出稼ぎのため、マレーシアにやってきた。Aの家は貧しく、満足に学校にも行かせてもらえなかった。そのため、インドではなく、マレーシアに来て外貨を稼ごうとしていた。しばらくは、肉体労働や掃除の仕事など、転々として、細々と暮らしていた。ちなみに彼はヒンズー教徒である。
筆者の友人は、別の友人の紹介でAと知り合いになった。Aは気の弱いところもあるが、真面目で善良な人物だったという。
友人とAはそれほど頻繁に会っていたわけではなかった。Aがマレーシアに来て1年ほど経ち、友人がAと久しぶりに会った時、友人はAが見違えるほど変わっていたことにびっくりした。
いつもボロボロの服を着ていたのが、きちんとした身なりをし、髪型も整えられていた。表情も明るく、生き生きとしていた。友人はその理由をAに尋ねた。
「イスラム教関係のコミュニティーが、いろいろと面倒をみてくれたんだ。俺が学校に行きたいといったら、専門学校の学費も、その間の生活費も出してくれた。学校が休みの時には仕事もあっせんしてくれるんだ。おかげで今、俺はまったくお金に困っていない。インドにいる家族にも送金してやれるんだ」
彼はとても嬉しそうに語っていたという。
それからしばらくして彼は「コミュニティーの人に、仕事を頼まれた。インドに行ってくる。旅費も滞在費もすべて出してくれるし、家族にも会いに行ってもいいそうだ。久しぶりに帰れるよ」と言って、旅立った。ムンバイで大規模テロが起こったのはその2日後だった。
(続きはリンクからどうぞ。)
私の中で、事件後も引っかかっているのはパリのシャルリエブド襲撃事件の実行犯とされた2人の兄弟。
ある中国人は、シャルリエブドの事件が起こった日の11時22分に黒ずくめの男二人組が自分のオフィスに押し入ってきて、彼に「怖がらないで。僕らはあなたを傷つけないよ」と言って銃を上に向けて打ち、その後外に出て行った話をしています。この男性は最初はこの二人は「警官」だと思い、後に「強盗」と思ったと言い、なぜ彼らが来たのかわからないと言っています。つまり、報道にあるような、ビルを間違い「ここはシャルリエブドか?」と襲撃犯が尋ねたという話とは違います。
彼の話のままだと、「凶悪犯」のイメージと重ならないから?もしかしたら男二人組は二組いたりして・・・。
昨年11月のパリ同時多発テロの時の容疑者の中にも、「事件前は普通の人だった」と言われている人達がいます。こういう人達(末端)は、自爆したか、射殺されたかのどちらかで、彼らがどうしてテロリストとなったかの真相は憶測だけで進められます。
昨年11月ジャーナリストの木村正人氏がすばらしいレポートをニューズウィークに書かれていました。しかし、こうした記事はすでに大元に残っていません。
しつこく探してみたら、Yahooニュースで見つけることができたので、(こちらはある一定の期間が過ぎたら削除されると思うので、)全文(表と写真以外)を貼り付けさせてもらってしまいます。
【パリ無差別テロ】メディアが報じる「ジハーディストの温床」モレンベークの虚像
By 木村正人氏
http://bylines.news.yahoo.co.jp/kimuramasato/20151119-00051597/
ブリュッセル首都圏モレンベークを訪れた
[ベルギー・モレンベーク発]死者132人、負傷者349人を出したパリ同時多発テロの首謀者で、過激派組織「イスラム国(IS)」戦士のモロッコ系ベルギー人、アブデルハミド・アバウド容疑者(27)は、「ジハーディスト(聖戦士)の温床」と指摘されているベルギー・ブリュッセル首都圏モレンベークの出身だ。
アバウドは18日、フランス当局によるパリ北郊サンドニのアジト急襲で殺害されたとの情報もあるが、英BBC放送は「首謀者の消息は不明」と報じている。
犯行に使われたフォルクスワーゲン車をベルギーで借り、パリの現場から姿を消したサラ・アブデスラム(26)、90人近い犠牲者を出したバタクラン劇場近くのカフェで自爆したブラヒム・アブデスラム(31)両容疑者もモレンベークで育った。2人は実の兄弟だ。
ベルギーのミシェル首相は「モレンベークには大きな問題がある」と指摘、過激化したモスク(イスラム教の礼拝所)を閉鎖する考えを示した。
モレンベークはしかし、政治家やメディアが刻印を押すように「ジハーディストの温床」なのか。武器がいとも簡単に手に入る危険な地域なのか。パリから高速鉄道に乗って人口10万人のモレンベークを訪れた。
街には、スカーフで髪を覆ったイスラム女性が行き交っていた。イスラム教徒専用の食肉店が目立つ。アラビア語で書かれた看板も目につく。少し寂れた感じはするが、体感治安はそれほど悪くない。
これまでの報道ではブラヒムは首謀者アバウドとの接点が指摘されている。アバウドの家族がかつて住んでいた通りとアブデスラム兄弟の家族が今でも暮らしている広場は目と鼻の先だ。2人の年齢を考えると、この距離では知らない方がおかしい。
テロリストはモスクには行かなかった
アブデスラム兄弟を子供の頃から知る近所の人は筆者にこう語る。
「サラも、ブラヒムも子供の頃から知っています。サラは広場でサッカーをして遊んでいました。人懐っこくって、誰にでも話しかける明るい少年でした。仕事についたことがなく、ぶらぶらしていました。だからカネに釣られて悪い道に誘い込まれたんだと思います」
「2人がモスクに行く姿は見かけたことはなく、イスラム教への信仰と今回のテロは何の関係もありません。仕事があれば、こんなことにはなっていなかったはずです」
ブラヒムは父親が所有するカフェをモレンベークで経営していた。このカフェは薬物が扱われていたとして今月2日、市役所から閉店を命じられている。カフェでブラヒムとよくカード遊びをしたという知人は「最後に見かけたのは10日前。特に変わった様子はなかった」と語る。
しかし、英BBC放送に知人の1人が「ブラヒムからソ連製の自動小銃AK-47(カラシニコフ)を隠すよう頼まれた」と証言している。
サラ、ブラヒムの兄であるモハンマドさんは事件に関連して一時、拘束されたが、釈放された。テロとは何の関係もなかったからだ。モハンマドさんは2006年からモレンベーク区役所に勤務し、仕事がないサラにお小遣いを渡していたと近所の人は語る。サラとブラヒムは家族や地域から孤立していたわけではない。
手を伸ばせば届くような距離にいても2人がテロリストになるのを家族も地域も防ぐことはできなかった。定職が見つかっていたなら、テロリストにはなっていなかったかもしれない。
過激化リストの中に兄弟は含まれていた
モレンベークの女性区長は「数カ月前に上から下りてきたリストには過激化している恐れがあるとみられる約100人の名前があり、その中にサラとブラヒムの名前もあった」と認める。区役所の仕事は行政サービスが中心だ。モレンベークには22のモスクがあり、区役所は大きなモスクとは頻繁に連絡を取っていたという。
兄弟はモスクを通してではなく、「シャリア(イスラム法)4(for)ベルギー」というイスラム過激派団体に出入りするうち過激化し、テロリストに変貌したとみられている。女性区長は「過激化している恐れのある若者の監視は国家や警察の責任で、区役所にはどうしようもない。そもそも、そんなお金も人出もない」と繰り返した。
女性区長によると、モレンベークの失業率は28%で、ベルギー全体の21%に比べて高くなっている。若者の失業率はいずれも50%を超えている。欧州債務危機で、白人でキリスト教徒の若者でも就職するのは容易ではない。イスラム教徒の若者ならなおさらだ。
の結束を促進するNGO(非政府組織)で働くイスラム女性のハジャールさん(25)はこう語る。
「イスラム系移民に対する差別はあります。スカーフをかぶっていると採用してくれない仕事があります。役所などの受付や病院で働こうと思ったら、スカーフを脱がなければなりません。生活していくため、嫌々脱いでいるイスラム女性は決して少なくありません」
どれぐらいのイスラム教徒がモレンベークにいるのだろう。約1年半前からこの街で暮らすポーランド人女性のジャスティンさん(28)は6歳の息子を小学校に通わせている。24人学級のうち18人がイスラム教徒の子供たち。残り6人がポーランドやルーマニアなど旧東欧からの移民労働者の子供たちだ。
純粋なベルギー人は1人もいない。イスラム教徒が多いというより、ベルギー人がモレンベークから消えつつあるという方が実情に近い。
ロウソクの火を消すな
英キングス・カレッジ・ロンドン大学過激化・政治暴力研究国際センター(ICSR)の調査(今年1月時点)では、欧州からシリアやイラクの「イスラム国(IS)」に参加した外国人戦士の数(推定)は、人口100万人に対する割合ではベルギーが40人と突出している。
また、ベルギーのジハーディズムを研究しているオステイエン氏はブログの中で「ベルギーのムスリム人口はモロッコ系やトルコ系が中心で約64万人。シリアやイラクの過激派組織にベルギーから参加した人数は516人に達している。実に1260人に1人のムスリムが外国人戦士になっている計算だ」と指摘する。
18日夕、モレンベーク区役所前の広場に地元住民や子供たち、他の街からも市民が集まってきた。ロウソクの火を灯して犠牲者の冥福を祈るとともに、地域の結束と平和への誓いを共有するためだ。「政治家もメディアもモレンベークに問題があると強調しますが、ここは住みやすい街です。テロリズムとイスラム系移民を結びつけるのは間違っています」と参加者は皆、口をそろえた。
テロリストになったアブデスラム兄弟の自宅でも兄のモハンマドさんが窓の外にロウソクの火を灯した。窓の向こうで人影が動いた。市民社会はテロリズムの前に為す術がないのだろうか。家族の悲しみを映して、はかなく揺れる小さなロウソクの火を私たちは絶対に消してはいけないと思う。
「憎しみの連鎖」「悲しみの連鎖」を作るのは人間ですが、人間はそれを断ち切ることができると信じたいです。