これは今までも思っていたことですが、今月のファビオさんの一件、そして時々観光スポットで見かけたり、道をたずねたりしてくる外国人に接したことがあって、日本にやってくる(基本は一人旅の)外国人と、一人旅でやってくる外国人を支援したいという日本人を、結び付けたいな・・・と思っています。
私は、若い頃から外国人に道を尋ねられやすく(英語が堪能に見えるわけでもないはずなので、『警戒されないタイプ』なんでしょうね。旅行で行ったロンドンでも、地元民とみられる女性に郵便局の場所を聞かれました。)、高校生の頃、サンフランシスコから来たアメリカ人親子旅行者に、「銀座まで歩いていきたい」と言われ、説明がうまくできなくて、神田界隈から一緒に銀座まで歩いてしまったことがありました。
このあとも、何人かが友人や家族が一緒にいても、道を聞かれるのは私。ということで、困っていそうな外国人を見つけると、自分の方から先に「何かお手伝いできますか?」と声をかけるようになり、1人旅で写真を撮っている外国人を見ると、「(あなたの)写真をとりましょうか?」と声をかけるようになりました。
今、『おもてなし』と言う言葉がブームのようですが、『おもてなし』というより『おせっかい』とでも言うか。
(『おもてなし』にあたる”hospitality” は80年代フィリピン観光局が自国売り込みに使っていたと記憶しています。『おせっかい』と一言で表す単語は思いつかないのですが、なにかあるんでしょうか。)
と、話を元に戻しますと、こんなこともあって、先週、『外国から日本にやってくる外国人で、手助けが必要な人と、興味がある日本人(双方が先に友人になることが条件)』の募集をかけたところ、8名ほどの外国人と、4名の日本人の方からお返事をもらいました。
しかし、実際、外国人の中で具体的に日本への旅行を決め、人物的に問題なさそうなのは2名のみ。彼らには日本人を紹介。
他の残りの外国人は、旅行の手助けではなく、「あなたと友人になりたい」と書いてきたがほとんどで、ただ唯一、20代のインド人男性がは神奈川在住で、「仕事で日本にやってきたけど、日本語がわからない。日本語を教えてほしい。」という内容。
彼には、「自治体によっては外国人に日本語を教えるボランティアグループがあります。あなたの住んでいる○○市にも5つありますから、こちらのメールアドレスに連絡してみてはいかがでしょうか?無料ですし(初回テキスト代として500円)、お友達もできるでしょう。連絡でうまく話が通じなかったら、またご連絡ください。」
と返事。
このインド人青年は、「日本人はだから好きなんです」と大変ありがたがってくれました。(このセリフ、外国人の口から良く聞きます。)
さてさて、こうしたボランティアグループ、自治体によっては市役所、社会福祉協議会、もしくは国際交流協会がバックについて活動していますが、この○○市の日本語教室の案内およびスケジュール表、英語版がありません。
もちろん、こうした日本語教室で学ぶ外国人の多くが英語を母国語としない人たちだから作らないのかもしれませんが、『日本語がわからない外国人のための日本語教室案内』が、日本語オンリーって、どういうことなのでしょうか。
そういえば、私がボランティアセンターで働いていたときも、市の日本語教室のスケジュール表は日本語のものしかなかったので、私が英語の表のチラシを作ったことがありました。
(現在も市のHPでは日本語の案内しかありません。)
日本語教室のボランティアさんたちは、必ずしも英語がしゃべれる人たちばかりではないですが、それでも英語ができる人は少なくないでしょうし、日本語教室の人ができなくても、たとえば市に登録しているボランティアさんや国際交流協会の人には、英語が堪能(場合によっては、中国語、韓国語、スペイン語、ポルトガル語等ができる人も)な人がいるはずなので、彼らに協力を求めれば良いだけだと思います。
穿った考え方をすると、「実は日本語ボランティアの数が少ないから、多くの外国人が押しかけないように、英語や他国語によるチラシやHPをつくらない」ということも考えられますが、これがアタリなのか・・・。
いずれにしても、「少子化の日本に移民を受け入れる」という政治家や識者は多いですが、海外からやってきて、言葉がわからずに孤立してしまう外国人が今もたくさん日本にいることを、彼らには考えて欲しいと思います。
(中国残留孤児の方などでも困っていた方がいらっしゃいました。)
外国人のお客様(=お金のある人)に『おもてなし』もよいですが、『現在国内にいる外国人』が住みやすいように、していく方が先ではないでしょうか、ね。