Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

「柔道を必須科目」「スポーツ嫌いを半減」はナンセンス-Japan Timesの2010年の記事を

2017年06月21日 | 教育

朝日新聞
大外刈りで脳損傷、車いすの中1 母「一緒に死のうか」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170621-00000042-asahi-soci 

 スポーツの事故で重大な障害を負った少年の暮らしは壮絶だった。2014年3月、沖縄県豊見城(とみぐすく)市にある町道場の柔道教室での練習中に急性硬膜下血腫となった男子の母親は、「指導者には子どもを守る知識を備える責任がある」と、再発防止を訴える。 

大阪府岸和田市に住む中学1年、大城陽向(ひなた)君(13)は車いす生活で特別支援学校に通う。脳を損傷し、左手が動かず、左目の視野が極めて狭い。リハビリを通じ、会話はできるようになったが、歩行は短い距離に限られ、食事も介助が必要だ。2年前からてんかんの発作が頻発。倒れると自力で起き上がれず、母の香奈江さん(32)は目が離せない。 

中略・・リンクからどうぞ。) 

道場長は朝日新聞の取材に「(陽向君は)大外刈りの受け身はしっかりできていたが、実力差のある組み合わせにしたことを反省している。事故後は、学年と柔道歴を考慮して、慎重に組ませている。全柔連の指導者講習会に出るようにしている」と話した。

 鏡に映る自らの姿を見て、陽向君が涙を流していたことがあった。香奈江さんが思わず「一緒に死のうか」と言ったこともある。

 柔道では、陽向君の事故後の15、16年にも全国の中高の部活動中の事故で計3人が亡くなり、計3人が意識不明になっている。香奈江さんは言う。「このままでは何のためにこの子がけがをしたのか、わからない。末端の指導者が知識を持ち、教訓として生かしてもらいたい」 

安倍政権は柔道(武道)を必須科目にしました。
そして今月初めにスポーツ庁が、「スポーツ嫌いの中学生を半減させよう」と目標を掲げました。 

上の記事では、「15、16年にも全国の中高の部活動中の事故で計3人が亡くなり、計3人が意識不明になっている」と書いてありますが、2010年のJapan Timesの記事では、
「1983年〜2009年までの間に、12-17歳の生徒から108名の死者を出している」と書いてあります。 

死亡者年平均4名弱。怪我人、後遺症が残った生徒を含めると、どれだけの数になることか・・。 

Japan Times(2010年8月26日)
108 school judo class deaths but no charges, only silence
http://www.japantimes.co.jp/news/2010/08/26/national/108-school-judo-class-deaths-but-no-charges-only-silence/#.WUoIQjqQzIU 

“Over the 27-year period between 1983 and 2009, 108 students aged 12 to 17 died as a result of judo accidents in Japanese schools, an average of four a year,” Uchida said. “This is more than five times higher than in any other sport. About 65 percent of these fatalities came from brain injuries. This is clear evidence of a dangerous trend in Japanese schools.” 

文部科学省やスポーツ庁の役人には上記の記事をよーく読んでほしいですね。

(陽向君がリハビリで少しずつ回復できることを願います。
コメント欄で、同じように障害を持って、少しずつ回復している人のコメントがありましたが、希望をもってください。) 

追記: 

子供すべてが「本好き」ではないように、スポーツも好き嫌いがあって当然。
スポーツの中にも、すべて嫌いな子もいれば、「球技は好き(得意)だけど、陸上は嫌い(苦手)、という子もいるでしょう。 

体育の授業で特に致命的になるような怪我の可能性があるスポーツをする場合は、本人と親の同意書がない場合は見学を認めるようにするとか、それが無理でも「柔道かマット運動か」「柔道か剣道か弓道か」(柔道も剣道も武道とはいえ対決系なので、この二つだけの選択はおかしいと思う)という選択制にさせる等をするなどの方法を考えたらどうか、と思います。

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教養のシッポ3

2016年12月21日 | 教育

以前書いた記事- 

教養のシッポ1
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/d37a6b49063633644fbe9e9eb19461b2

教養のシッポ2
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/3e600297004b0674418a4ca91f59f6fc 

このなかには、イタリア、米国、英国の学生や、私の友人達の「教養とは何か?」という質問に対する彼らの考えを紹介しました。 

昨日のハフィントンポストに掲載された、『人生を面白くする本物の教養』著者の出口治明氏もどうぞ。 

ハフィントンポスト(2016年12月19日)
出口の入口:『本物の教養』第1回 教養とは、人生に面白いことを増やすためのツール
By 出口治明氏 (ライフネット生命保険(株)代表取締役会長)
http://www.huffingtonpost.jp/haruaki-deguchi/culture-knowledge_b_13713286.html?utm_hp_ref=japan
 

(前略) 

教養を身につけるには、ある程度の知識が必要です。教養と知識は、不可分の関係にあると言っても過言ではありません。しかし、勘違いしてはいけないのは、知識はあくまで道具であって手段にすぎないということです。決して知識を増やすこと自体が目的ではありません。

知識が必要なのは、それによって人生の楽しみが増えるからです。サッカーを知らなければテレビでワールドカップを放映していても面白くも何ともありませんが、サッカーを知っていれば最高の時間になります。知識はその人の興味の範囲を広げてくれます。それが「教養化した知識」です。 

(中略) 

グローバルビジネスにおける人間関係は、ビジネスの中身で決まると思われているかもしれません。欧米は契約社会だから、なおのこと、互いにとって利益になる、いわゆるウィン・ウィンの関係を築けるかどうかがすべてで、それ以外の要素が入る余地はないとイメージしている人も多いでしょう。しかし実際に、グローバルビジネスの現場で重視されているのは、「人間力」です。 

ウィン・ウィンの関係というだけなら、ビジネスパートナーの候補はいくらでもいます。たくさんいる候補のなかからビジネスパートナーを選ぶとき、大きくモノを言うのは、「この人と仕事をしたら面白そうだ」という属人的な要素です。欧米人には、同じ仕事をするのであれば、面白い人と仕事をしたいという気持ちがとりわけ強いように思います。 

そして「この人と仕事をしたら面白そうだ」と思ってもらうときの、「面白さ」の源になるのが「教養」なのです。具体的にはどういうことでしょうか。 

まず「ボキャブラリー」が挙げられます。日本語に訳せば「語彙(ごい)」ですが、ここでは、たんに知っている単語の数の問題ではなく、話題が豊富でさまざまなテーマで会話ができるという意味で、「ボキャブラリー」という言葉を使っています。「引き出しの数」と言い換えてもいいでしょう。 

(中略) 

リベラルアーツは今日なお、彼らの間に受け継がれています。彼らが「広く、ある程度深い知識」を身につけているのは、リベラルアーツの伝統に則(のっと)っているのです。 

教養は、人生を豊かにしてくれるものであると同時に、教養のあるなしがビジネスの成否を左右するというシビアな現実もあります。僕たち日本人は、そのような現実を直視し、どのような舞台でも通用するグローバル人材を目指すべき時期にきています。 

その一助になればとの思いから、この本では、これまで僕が公私にわたって経験してきたことを、いくつか説き明かしています。その少なからぬ部分は、多くの人、とくに若い世代の皆さんに役立ててもらえるのではないかと思っています。 

ですが、それらはすべて、あくまで僕が身をもって体得した原理原則です。ですから、誰にでも当てはまるものではないと思います。「あなたも絶対こうしてください」と言っているわけではありません。あくまで「僕の場合、こうしたらとても具合がよかったのでその方法を述べますが、採用するかどうかはあなた自身でよく考えて決めてください」というのが僕のスタンスです。 

(後略) 

ところで出口氏は末尾に、 

「「あなたも絶対こうしてください」と言っているわけではありません。あくまで「僕の場合、こうしたらとても具合がよかったのでその方法を述べますが、採用するかどうかはあなた自身でよく考えて決めてください」というのが僕のスタンスです。」 

とお書きになっていますが、これはまさしく出口氏が『教養が身についている人』だからこその言葉だと私は思います。 

(知識人、教養人と一般的には思われている人でも、「私の言う事が絶対正しい」というような発言を見るたびに、「この人は「(狭義の意味での)教養はある」のかもしれないけど、「教養が身についていない」のだな」と残念に思います。)  

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JETプログラム-英語圏以外の外国人も増やすべきではないか

2016年11月08日 | 教育

Japan Today (2016年11月8日)
JET int'l exchange, teaching program marks 30th anniversary
https://www.japantoday.com/category/national/view/jet-intl-exchange-teaching-program-marks-30th-anniversary 

TOKYO — 

Alumni and current participants of the Japan Exchange and Teaching Program vowed Monday to continue to act as bridges between Japanese and overseas communities as they gathered to mark the 30th year of the government-backed project for international exchanges. 

“As more and more Japanese companies look to expand their reach globally and adopt an international approach, it is more important than ever that JETs do their best to prepare their students and colleagues for a more multicultural Japan,” said the JET Declaration announced at a commemorative ceremony. 

“In view of the upcoming 2020 Tokyo Olympic and Paralympic Games, and the 2019 Rugby World Cup, we pledge to support the Japanese government in its pursuit to host and promote successful international events,” the declaration said. 

Under the JET Program, participants invited by the Japanese government work from one to five years for municipal governments in locations throughout Japan, serving mostly as assistant language teachers, with a smaller number of coordinators for international relations and sports exchange advisers. 

The project is part of Japan’s efforts to promote international grassroots exchanges in local communities in Japan. 

(中略) 

The JET Program officially started in 1987 with 848 participants from four countries. Currently there are roughly 5,000 active participants in the program, including new recruits and those extending their contracts, representing around 40 countries.

Some 65,000 people from 65 countries have participated in the JET Program, the organizer said, adding it is one of the biggest exchange programs throughout the world.

Of the number of participants in 2016, 57 percent were from the United States, followed by 10 percent from Canada and 8 percent from Britain. 

この記事のコメント欄には、 

“I was a JET. Best three year paid vacation I ever had. Learned to speak Japanese, got to travel around Japan and Asia and saved a lot of cash too.
Not sure Japan/the Japanese got much out of the deal though.” 

といった元JETのコメントあったり、「JETはむしろ若い外国人にとって美味しいシステム」という意見も少なくないようです。

実際、
ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E9%9D%92%E5%B9%B4%E6%8B%9B%E8%87%B4%E4%BA%8B%E6%A5%AD 

にも、 

「JETプログラムに採用された外国人は有給の臨時職員(有期)として職務にあたる。2011年までに任用された参加者の年収は税引き後約360万円。2012以降任用された参加者は1年目に約336万円、2年目に約360万円、3年目に約390万円、4年目、5年目いずれも約396万円の年収で、すべて税引き前となった。年収のほかに一回来日と帰国の渡航費用、社会保障費の半分ほかは採用団体、自治体が負担する。住居費を採用団体が負担することもある。契約は1年ごとの更新制で参加者と採用者との合意により最高4回(最長5年)まで更新できる。一般的な語学学校講師より高収入な職務であるといわれる。

「外国語指導助手」は教育の専門家でないため、教育の質や職業意識の低さが課題とされている。」 

と書いてありますが、これが英語圏の若者に美味しいプログラムなのは確かしょう。 

と、それは認めつつも、私には、“東日本大震災の後にボランティアで日本を訪れ、帰国後も米国の小学校の教師という職を辞して、JETとして再び福島にやってきて英語を教えたり、復興の手伝いをしているD君というペンフレンド”がいるおかげで(彼は本当に忙しくしています)、JETはそう悪いものだとも思っていません。

ただ、JETの割合「米国57%」「カナダ10%」「イギリス8%」、おそらくそれに、オーストラリアやニュージーランドが加わると思いますが、圧倒的に国籍に片寄りがあります。(これは英語教育という目的があるので当然と言えば当然ですが、GHQ(米主導、英国連邦協力)が重なってしまいます。) 

上に記事には、 

“ Although the greater percentage of Japanese adults I come across are not fluent in English, I think JET has had an impact on the Japanese people that may not be so obvious until you work in a Japanese office. 

If not for the JET program, there are quite a few towns and islands in Japan where foreigners may almost never visit, and the locals would never get direct exposure to foreign cultures. 

The program may not be perfect, and the ALTs may be underutilized, but when working with Japanese in their 20s and 30s, it is clear to me which had taken advantage of the opportunity to learn from JETs about international communication.  

You can't just force students to appreciate a strange foreigner in their classroom (and some are VERY strange), but at least they're getting exposed to different cultures at an early age.” 

というコメントも寄せられていますが、JET(特にALT)には、子供の語学向上に役立つというより、むしろ「外国人や異文化に触れる」という効果の方が大きいのではないでしょうか? 

現在、世界中に日本語ができる外国人も増えていることですし(そういう人のほとんどは英語もできますし、彼らの英語は本国人よりわかりやすいと思います)、英語圏の若い人だけでなく、非英語圏のJET受入れ割合を増やしてほしい、いや、増やすべきなのではないかと思います。 

非英語圏の人の英語についてはこちらを: 

まずはグロービッシュから
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/dce8d76752d984e3ce11bbd94fe5634f 

これはオマケ:

凡人向け英語教育を
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/5a4e453ba0ed39760c974831fe254ab3 

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人から「悲しみ」が失われている?

2016年07月08日 | 教育

「お父さんが亡くなったとき、とても悲しかったですか?」
数か月前、若い日本人の友人R君から受けました。

彼は、身内、身近な人が亡くなっても悲しいという感情は全くわかず、それを淡々と受け止めてしまうだけの自分がいる、と言いました。 

この質問を受けたとき私は彼に、 

「父が亡くなったと知った時は、「悲しい」という前に、葬儀のことや、次にすることが浮かんできて、涙を流すということはなかったです。

また、父は病院にチューブで繋がれ生かされているという状態であったこともあり、むしろその状態で生きていることの方が本人につらいのではないか、と思っていたせいもあり、何か安堵する気持ちも正直ありました。 

それは、私が薄情なのかもしれないし、もしかしたら、人間には「悲しみ」を強く感じた時にその気持ちが強いほどに一時的に麻痺させ、悲しみから逃避させる機能があるのかもしれないけど。 

とはいえ、父が亡くなってお通夜、葬儀中は父との思い出があふれて涙が止まりませんでしたけどね。 

あなたとほぼ同じ年齢の息子や姪たち(当時高校生と中学生)は、おじいちゃんに可愛がられたのにもかかわらず、亡くなったと知った後もずっと泣くことはなかったので、ちょっと違和感はありました。」 

と答えました。 

そんな会話を思い出す記事を読みました。ちょっと古いですが- 

Wired (2014年4月1日)
人から「悲しみ」が失われている:デトロイトの人工知能学者が唱える仮説
http://wired.jp/2014/04/01/aprilfool-2014/
 

人から「悲しみ」が失われている。そんな大胆な仮説を、米デトロイト工科大学(DIT)で人工知能の研究を行っているアッティカ・ブラウン教授が明らかにした。まだ、検証された研究成果ではないが、人間の脳にいま重大な変化が起きているのではないかという懸念から、その内容を仮説として、自身のブログで発表した。 

ブラウン教授は、人工知能研究の一環として数年間にわたって、感情と脳の関係性を数多くの被験者を使って実験してきたが、数千人に及ぶ被験者のなかの一定数のなかに(その比率を明かしていないのは、仮説段階で明かすには「あまりにショッキングな数字」だからだという)、とくに悲しみを司どる部位に、機能不全がみられるというのだ。 

「通常、悲しみの感情は、進化的に古い脳である大脳辺縁系の扁桃体と呼ばれる領域で生み出されるということが、これまでの研究から明らかになっているのですが、これらの被験者のなかには、悲しいという感情を本人が想起しているにもかかわらず、まったくこの部位が活性化しないという人がいるのです。代わりに、どちらかというと性的な昂りに近い分野が活性化されるのです」 

こうした脳の動きは一般には「擬態感情」などと呼んでいるが、ブラウン教授の被験者のように、悲しいと本人が思っているのに、該当部位がまったく反応を示さずに別の部位が活性することは、稀にしか起こらないという。ブラウン教授は、こうした動きを、新たに「捏造感情(仮)」と命名する。 

「わたしのデータによれば、捏造感情はとくに『悲しみ』の感情において現れます。悲しみが、感情の奥深いところ発生することなく、極めて表層的なレイヤーにおいて起こり、そこに一種の思い込みが生じていると考えられます。お腹いっぱいなのに、お腹がすいているように感じるのと、逆のことが起こるわけです」 

研究を進めてみた結果、捏造感情を発生させる脳の扁桃体と呼ばれる領域は、社会的なコミュニケーションを行う際に活性化されるもので、近年ではソーシャルネットワーク上に投稿などを行うときに、この部位が活発に作動すると言われている。 

ブラウン教授はそこから、本来的な悲しみによる他者への同調作用(俗に共感と呼ばれる)が極めて社会的なコンテクストにのっとった、一過性の仮面のようなものへとすりかわっているのではないかと推測している。 

このブラウン教授の研究結果、仮説が2年後の今どう評価されているかはわかりませんが、(「代わりに、どちらかというと性的な昂りに近い分野が活性化される」という部分については、否定したい。)、この記事を読むと、(若者に限らず?)人間のなかで、『哀』の感じ方が弱い、表面的になっている傾向はあるのではないか、と思います。

ところで、これは『哀』のなかでも、他者に関する感情の話ですが― 

私の息子が小学生1,2年の頃、TVのドキュメンタリー(人権関係)を観ながら涙を流している私のそばにいた息子が、一緒に泣いていたことがありました。 

それに驚き、息子に、
「あんたも、このTVを観てこの人達が気の毒っていうのがわかったの?」
と訊いたところ、息子は、それは否定して、私が泣いているのを見てもらい泣きをしてしまった、と答えました。 

息子もTVを見ていたので、本当に単なるもらい泣きだったのかはわかりません。
しかし、息子の返事を聞いたときは驚き、

「『喜怒哀楽』の『哀』の主体は自分よりも他者という場合が多い。「自分が不幸」といった、自己に向ける『哀』は乳幼児のころからあると思うけど、他人の不幸に対して向けられる『哀』の感情-共感覚、同情するということ=他者感覚-、というのは、もしかしたら学習しながら後天的に身につくものなのかもしれない。」

と思ったりしました。 
本当のところ、これはどうなんでしょう。 

いずれにしても、ブラウン教授の研究は、人工知能研究の一環のもの。本来これは、特に教育学に関係している人達に取り組んでほしいです。
将来、ロボットの方が人間らしくなってしまいそうですから。

(ま、私の仮設が正しければ、人間的でない若い人間が増える責任は、まず親にあるわけですが・・。) 

なお、R君には、
「「身内や身近な人が亡くなっても悲しみの感情が起こらない」というのは、まだ本当に大切な人を失った経験をしていないからではないですか?
いずれにしても、そのことで自分を『異常』と思っているR君は、まだ健全でしょう。」
と言いました。

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英語以外の語学の勉強をどうぞ

2015年12月16日 | 教育

私の友人・知人で英語堪能の方のほとんどは、別の言語が中級以上、もしくは英語より英語以外の外国語が得意、という人達がいます。 (トリリンガル以上の人もいる・・・)

私は「英語は伝われば良い」程度。他の外国語では中国語を少し齧りましたが(これは「日本人には中国語が楽だろう」という程度での選択。)、中国には残念ながら興味がなかったので、これも入門〜初級程度でストップ。 言語としては、面白かったのですが。

こんな怠け者の私ですが、最近「日本語を学びたい」という外国人、「英語は喋れるから、他の言語も挑戦」という人達が周りに増えてきてちょっと形見が狭いので、来年はスウェーデン語でも独学で学んでみようかな、と思い始めています。

 さて、スウェーデン語に限らず、英語の他に皆さんも語学の勉強はどうでしょうか? 

面白いサイトを見つけました。 

日本語文法再入門
http://w01.i-next.ne.jp/~g140179870/index.html 

このサイトは日本語の文法だけではなく、外国語の学習に興味を持っている人は、楽しめると思います。 

語学学習に関してはこちらが特におすすめ。 

日本語・外国語
http://w01.i-next.ne.jp/~g140179870/sub01.html#sogomokuji 

書いているのは、元大学で外国語や日本語を教えていた方です、

吉川武時氏
http://w01.i-next.ne.jp/~g140179870/ryakureki.html 

※年末なので、しばらくブログをお休みします。(リンクの紹介等、短いものは時々アップするかも。)

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教員にも政府のフィルター・異才発掘プロジェクト「ROCKET」

2015年05月16日 | 教育

Japan Today(2015.5.16)
LDP panel proposes new teacher recruitment system
http://www.japantoday.com/category/national/view/ldp-panel-proposes-new-teacher-recruitment-system

の記事で、自民党が教員採用に新システムを提言していると知りました。
この記事は産経新聞が出所のようなので、その記事を探しました。 

産経新聞(2015年5月15日)
教員採用に「共通試験」 教育再生実行会議が提言「優秀な人材獲得」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150515-00000109-san-soci 

政府の教育再生実行会議(座長・鎌田薫早稲田大総長)は14日、都道府県や政令市の教育委員会が個別に実施している教員採用試験に、国が主導して作成する全国共通の筆記試験導入の検討を求める第7次提言を安倍晋三首相に提出した。教員歴や科目に応じた指導力を示す指標の策定や、教職大学院を活用した研修制度の拡充なども盛り込み、「教師力」の底上げを実現する制度設計の青写真を示した。 

 提言では、質の高い教育の前提として「優秀な人材を得ることが決定的に重要」と強調。大学4年間の教職課程だけでなく、着任後も研修を積み重ね能力向上を図ることを求めた。 

 提言が実現されれば、全国の教員の研修を一元的に担う拠点が整備される。研修拠点で教員採用試験の1次試験に使われる「共通試験」の問題を作成し、都道府県や政令市がその試験を活用する新方式が示された。各教委の負担を軽減し、面接や実技中心の2次試験に手厚い対応を取れるようにする狙いがある。 

 教員の資質や能力を示す「育成指標」の導入も求めた。教員歴や指導科目などに応じて、それぞれの教員が身につけておくべき能力を指標で明確化し、研修などに活用するとしている。校長など管理職登用に大学院での学位取得を奨励することも盛り込み、継続的な能力向上の必要性を強調した。このほか、デジタル教科書導入に向けたタブレット端末の普及なども推進していくよう求めた。 

自分の頭で考えることよりも、教科書に書いてあることを答えとし、暗記を奨励する教育が行われている日本。 

教職を目指す学生達は皆そうした教育を受けてきて、ついでに言えば、「どうしても教師になりたい」という人より、就活に挫折したり、安定を求めて教職を目指してきた人も多いでしょう。 

根本をたて直さずに、政府が教職採用にフィルターをかける(つまり、歴史認識や思想も取り締まるということでしょう。)という・・・。
(Japan Todayの記事に寄せられている外国人のコメントにも同じような意見がいくつかあります。) 

政府が考える「優秀」とは?そして日本の国公立学校はますます「画一的人間製造工場」になっていくのでしょうか?

さて、教育といえば、隠居系男子の鳥井弘文さんが『異才発掘プロジェクトROCKET』http://rocket.tokyo/の開校式に参加した様子を書いていたのを思い出しました。 

隠居系男子(2015年1月8日)
“異端児”に「本当に好きなことだけを追求できる」教育環境を提供する「異才発掘プロジェクト ROCKET」http://inkyodanshi21.com/events/6133/ 

(前略) 

異才発掘プロジェクト「ROCKET」とは? 

異才発掘プロジェクト「ROCKET」とは、東京大学先端科学技術研究センターと日本財団が共同で行うプロジェクトで、異才を発掘し、継続的なサポートを提供することで、将来の日本をリードしイノベーションをもたらす人材を養成することを目指すものです。 

突出した能力はあっても、現状の教育環境に馴染めず、不登校傾向にある小・中学校生を選抜し、継続的な学習保障及び生活のサポートを提供することで、将来の日本をリードする人材を養成することが事業の趣旨であり、目的となっています。 

戦後の日本をつくってきたのは、オールマイティーで協調性がある人達。しかし、今そのような人材に頼るには限界が来ている…。

だからこそ、突き抜けた人たちがこれからの日本を変えていくという考えのもと、学びの多様性のある社会の実現が必要であると、東京大学先端科学技術研究センター所長の西村幸夫さんは語ります。 

参加している子どもたちの特徴 

参加している子どもたちは、前述した通り「突出した能力はあるけれど、現状の教育環境に馴染めず、不登校傾向にある小・中学校生」であり、決して障害者などではありません。

むしろ、突出した能力を持った天才・異才な子どもたちばかり。IQが非常に高く、大学で学ぶ数学を既に理解できてしまう子どもがいたり、流暢にプレゼンテーションする子がいたり、動画編集の能力が非常に高い子もいました。 

実際に子どもたちに教えていくことは?

それでは、実際にこのプロジェクトで子どもたちに教えていくことは何かといえば、それは以下のように多岐に渡ります。 

テクノロジーリテラシー、プレゼン能力、コミュニケーション能力、ビジネスセンス、科学的思考、美的センスなどを中心に教えていくとのこと。トップランナーを毎回招いて彼らの話を聞かせていくというようなカリキュラムもあります。その中で子どもが興味をもった内容を伸ばしていく形へとシフトしていくとのこと。 

(後略) 

「こうした子供たちにそれぞれの得意分野を生かした教育をする」ということは、この子供たちにとっても良いことなのかもれません。

が、このプロジェクトには何か非人間的な冷たさ、怖さを感じてしまいます。
このプロジェクトの趣旨が「将来の日本をリードする人材を養成すること」となっているから余計に。

(このプロジェクトについて最終的には肯定的に書いている鳥井さんですが、最初は「今回のプロジェクト概要を事前に知った上で参加していた自分でも、なんだか人体実験のようで少し不気味な光景だなと思ってしまいました。」と書いています。リンクから全文どうぞ。) 

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アウシュビッツの公認ガイド、中谷剛氏のインタビュー記事・「道徳」ならぬ「修身」の復活

2015年03月14日 | 教育

昨年の夏、イタリアのペンフレンド、クラウディアさんは、ご家族そろってポーランドに旅行し、アウシュビッツにも行ってきました。 

『アウシュビッツ見学の意味』
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/4bb5d191780ef9357c72ee79ac27e844 ) 

アウシュビッツには、中谷さんという、49歳日本人ガイドさんがいます。
(ベッドメーカーの営業マンだった中谷剛氏は91年に退社、学生時代に旅したポーランドにわたり、97年にポーランドの国家試験に合格。260人中唯一の日本人ガイドです。) 

彼のインタビュー記事が東京新聞にありましたので、一部省略して転載させてもらいます。 

東京新聞 (2015年2月1日朝刊)
あの人に迫る
中谷剛(アウシュビッツ公認ガイド) 

アウシュビッツの見学者が増えています。 

2014年は153万人で過去最高でした。特にホロコースト(ユダヤ人の大量虐殺)を学校で学ぶ若い世代が増えました。欧州連合(EU)が統合を強めるための教育の場として利用しているからです。 

念頭にあるのは移民問題。高齢化が進む欧州は、移民なしでは活力を維持できず、アジアや米国の経済に対抗できない。しかし現実には、フランスで風刺週刊誌が襲われるテロが起きたり、ドイツで反イスラム移民のデモが起きたりと摩擦は大きい。放置すれば社会の亀裂はますます大きくなる。人権というテーマだけでなく、経済発展の障害となる人種差別に対処する学びの場としてアウシュビッツが使われています。 

今に通じる教訓があると。 

ドイツは第一次世界大戦で敗れて巨額の賠償金を負わされ、経済は破綻しました。失業者が多く、ストレスがたまった、非常に追いこまれた社会状況でした。そこにヒトラーが現れ、民衆心理を巧みに利用して選挙で票を重ねた。うまくいかない部分はユダヤ人のせいにしながら。 

ヒトラーが連立政権で首相の座に就いたとき、国政選挙でナチ党単独の得票率は33パーセント。その程度の勢力であっても間違いが起こりうる。だからこそ、たとえ少数でも社会から疎外された人への対応が大事なのです。 

高齢化や移民受け入れも是非は日本が直面する問題でもあります。 

グローバル化で海外から人や投資が大量に入ってくると、日本人はより強く日本や民族のアイデンティティーを求めるでしょう。日本では移民というと外国人が足りないところを補い、日本人は全体が底上げされるような印象が強いですが、それだけでは済まない。競争の中で負ける日本人も出てくる。 

そういう状況で生まれる感情が「排斥」と「共生」のどちらに向かうのか。競争に負けて外国人や移民に反感を持つ人が二割、三割と増えれば、移民排斥を主張する政権ができかねない。際どい分かれ目が近いうちに日本にくる。 

なぜホロコーストがおきたのでしょうか。 

原因は十分わかっていません。アウシュビッツを運営していたナチス親衛隊が冷酷な人間の集まりだったぼかというと、そうではない。ごく普通の人間で、家に帰れば良き夫、良き父だった。収容者の中から選ばれた看守も生き残りの望みをかけて仲間に残虐な行為を働きました。 

つまり最大の教訓は、人間はそうしたシステムの中に置かれたら変わってしまうということなのです。人間を人間と思わなくなる。だからおかしなシステムができてしまう前に「超えてはいけない常識づくり」をする。それを超えた時にちゃんと反応して反対できる社会にする。それしかないのです。ドイツでイスラム排斥のデモが起きると、それと同じくらいの人数が対抗のデモに出る、というのが一つの例です。 

(中略) 

第二次世界大戦で日本は加害の当事者でした。日本がアウシュビッツから学べることは。 

「加害」という表現には反発もあるでしょう。開拓や戦争でアジアに行った日本人は現地の人を苦しめようと思っていたわけではないのですから。でもそれを自分たちで弁解しない方がよい。加害の歴史をきちんと受け止めているとのシグナルが日本から感じられないから中国や韓国が不信感を持つのだと思う。 

アウシュビッツで案内中に「日本はドイツと同盟国でした」と話すと、嫌な顔をする。「日本はドイツほどひどいことはしていない。なぜここで日本が出てくるんだ」という反応です。 

しかし、戦時を比較するのではなく、戦後の周辺国から抱かれた不信感を比べることは不適切ではない。戦後、欧州旅行の際にドイツ人であることを隠すため英語を使う人がいたほど、ドイツへの不信感は強かったのです。日本の方がドイツよりひどいことをしていないのならば、なぜドイツが周辺国と築いたような信頼関係を日本は持てていないのか、ということになる。 

近隣諸国との関係をどう改善しますか。 

国民の声を抑え込む中国の体制はいつまでも続かないでしょう。その時、日本の民主化をうまく支えてあげれば、彼らも過去の戦争にこだわるのではなく、日本は本当に自分たちのことを考えてくれた、と思うはずです。これからはアジア諸国が求めることにうまく応えられるかどうかで、日本が国際社会のリーダーになれるかどうかが決まる。 

若い人たちと話すと、戦争をめぐる近代史の知識が抜けている人が多いことに気づきます。アジアへの問題への対応で考える材料がないことになり、なんとかしてこの部分を穴埋めしないといけない。 

その上で若い人には「今から経済が弱くなって悪い時代になるわけではない。今までできなかった、もっと良いものが見つかるんだ」と伝えたい。日本人の良心は国際的に高く評価されているのですから、勇気をもって進めばますます日本は輝けます。 

唯一、最後の質問「近隣諸国との関係をどう改善しますか」に対する中谷氏の回答は、私には、「楽観的すぎる」「彼は「日本の(特に中国やアジアへの)優越性」を信じて疑っていないのだろう」と思えてしまうので、正直にいうと違和感があります。 

しかし、今世紀最大の悲劇のシンボルともいえるアウシュビッツで18年ガイドをし、多くの観光客と話し(今は、日本人だけを案内していると思います)、そしてポーランドから日本を見つめてきた彼の言葉の多くはグローバル社会の中の「井の中の蛙たち」には貴重です。

時代錯誤な常識しか持ち合わせていない曽野綾子氏の代わりに、彼を「道徳」の教本で紹介する、とした方が、教育上も、海外向けの日本のイメージ発信にも、日本にはメリットがあるでしょう。

追記:

なお、私は、『道徳』を評価科目にするのには反対です。
まあ、その前に、政府が考えているのはもはや「道徳」ではなく、戦前のような「修身」と呼ぶべきものだと思っています。

(そのうち、国語の教科書にも、「最後の授業」が復活するのではないでしょうか、ね。
ドーデ『最後の授業』の実態、これを教育に選んだ時代
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/64f8fb97665e51bad09d71898953bf25 ) 

「修身」は、戦後、GHQにより廃止され、その代わりにできたのが「道徳」です。

ナチス政権下、「ユダヤ人は劣った民族」「ドイツの純血種はホコリを」というような授業があったと思いますが、あれは特別授業だったのでしょうか・・・。(ドイツではは教会や学校での「宗教」の時間がいわゆる「道徳授業」だったのだと思いますが、まさか教会や宗教で、上のような教育はしていなかったでしょうから。)

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国立大学から文系学部廃止を目指す安倍首相

2014年11月02日 | 教育

安倍政権・文科省が、国立大学から文系学部を廃止していこうとしていることは、皆さまご存じでしょうか? 

Litera (2014年10月1日)
国立学部から文系学部が消える!安倍首相と文科省の文化破壊的大学改革
By村田哲志
http://lite-ra.com/2014/10/post-508.html

抜粋:

安倍首相は5月6日のOECD閣僚理事会基調演説でこう語っている。

「だからこそ、私は、教育改革を進めています。学術研究を深めるのではなく、もっと社会のニーズを見据えた、もっと実践的な、職業教育を行う。そうした新たな枠組みを、高等教育に取り込みたいと考えています。」

 安倍にとって「学術研究を深める」ことなどまったく無意味で、社会のニーズにあった職業に就けるための教育こそが必要だと考えられている。ほとんど大学教育そのもの否定である。大学の専門学校化といってもいい。象徴的にいえば、文学部の存在意義など見い出しようのない教育観、学問観である。

「人間とは何か」「社会はどうあるべきか」そしてそもそも「学問とは何か」を問い、先人の知的蓄積を継承し、未来を構想する知的活動を「教養」と呼ぶことにしてみよう。こうした教養を欠いたままで、科学技術の発展を追求することがどういう結果を招くのか。つい最近、この社会はそれを見てしまったのではなかったのか。

さて、国立大といえば、米国の国立大は12校ですが、それらはすべて軍事、外交、官僚、船員、消防、スパイ養成所。 
Wikipedia
アメリカの国立大学
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E5%A4%A7%E5%AD%A6 

もちろん、アメリカの公立としては、UCLAなども含むの州立大学が多くあります。
しかし、教養部門については、圧倒的に優秀なのは私立ハーバード大などの名門私立大学8校(アイビーリーグ)。 

前に、アメリカ人のティムさんと「教養」について話をしていた時に、彼は、 
「僕は金融・経営の学位をとったから今の仕事についたけど、歴史の学位をとったとしても、アイビーリーグくらいの大学でもなければ良い仕事を探すのは難しかったと思う。」
(『Education』より
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20100121 )
と言っていたのを思い出します。 

彼はこの時、
「説明が少し不足していたけど、僕は教養科目の履修がビジネスライフに役に立たないと言っているわけではないんだ。たとえば、歴史、国語、フランス語、ラテン語、哲学・・・間接的ではあるけど間違いなく役立っている。それに文系・教養的要素の高い学問を軽んじる気もない。
ただ、僕にはこの問題にフラストレーションを感じるんだ。大学の助成金や奨学金は税金で賄われている。だから納税者としては、(特にレベルがそんなに高くない大学の)学生は実用的な学問を学んで、将来社会的に役立てて返して欲しいという気持ちもあるからね。」
(『Education 2』より
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/ffc64e93759b2c4878520247d9a12e58
とも言っていました。

現在、世界中の若者が、大学、大学院を卒業したとしても就職が難しくなっています。 

知人のポルトガル人の大学生の男の子は、語学も堪能、本来文学を学びたかったのですが、就職に有利になるために、「数学・コンピューターサイエンス」を国立の大学で学んでいます。
イタリアに住んでいる友人の息子さんも、どちらかというと文系科目が好きだったのですが、「就職に有利」ということで、イタリア名門国立の理工系を目指すそうです。

同様に、教育改革云々前に、学生が、安倍首相の言う『実践的科目専攻』を選ぶ傾向は日本でも当然あると思いますが、それと「国立では実践的科目以外は不要」というのは違うと思います。

これは世界的にみてどうなのでしょうか。
アメリカを除く先進国で、人文・社会科学をここまで軽視するリーダーがいる国はあるのでしょうか?

ところで、大学のほとんどが国立のイギリスでも、オックスフォードを超えるといわれる金持ち対象の人文学私立大学ができたそうです。

クーリエ・ジャポン 2012年10月27日
オックスフォードを超えるエリート大学が誕生!?
http://courrier.jp/blog/?p=12885 

これには、イギリスでは「大学を金儲けの道具にしている」という批判が出ていたようです。 

日本がもし国公立から文系を追い出していくようになったら、慶応、早稲田クラスの私立は恩恵を得ることでしょう。(アイビーリーグレベルには程遠い私立ですが。)

教育改革と大学ー私は、九九ができないような子でも入れる私立、目的もなくキャンパスライフを楽しむような大学を廃止して、その助成金を削減する方が意味がある気がしますが、これは手をつけないのでしょうか、ね。

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教養のシッポ2

2014年08月26日 | 教育

『リカちゃんハウス症候群』
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20140813
『教養のシッポ
1
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20140819

を書くと同時に、海外、国内の友人・知人達に「あなたにとって、教養とは?」というものを聞いたり、ディスカッションをしてきました。

教養に含める科目の様なものは、広義と狭義で違うので、意見が分かれたりもしましたが、最終的にほとんどが言わんとしているのは、
「なんだかんだ言っても、教養は人生を楽しむためのスパイス」
 

回答のなかで印象に残ったのが、スペインの友人の、 

culture という単語には、「養殖、栽培」って意味もあるわよね」

 

という言葉と、フィンランドの友人の、 

「芸術を学ぶってことは大切。なぜかっていうと、芸術はただ一つの世界共通語」
 

また、これは日本人の20代の男性にその質問をした時の返事ですが、これも本質だと思えるので、紹介させてもらいます。

 

「自分の好奇心の幅を広げる心持ちと、他人の好奇心をつついてあげられる心意気。」
 

さて、一般的に言う教養ですがそれは確かに頭を柔らかくすると思うし、知らないだけで知れば面白いものもあると思うので、今関心を示さない人達、特に若者に一寸でだけもまず覗いてほしい、と私はやはり思います。

 

そうはいっても、「教養がある、ない」ということと「人の上下」は基本的に関係ないとも思います。

 

それは、「スポーツにほとんど興味がなくて、クラシックに詳しい人が上」といっているのと同じで、ナンセンス。

(この勘違いが、もしかしたら、『箔付けのための教養』『教養アレルギー』を生んでしまったのかな、って気もします。)

上の「教養って何?」の答えを見て、(狭義でも広義でもよいので)『教養』というものについて考えるきっかけにしてくれたら、うれしいです。

(個人的には、『広義の教養』というのは心を豊かにし、興味の幅を広げられ、異文化、異世代の理解に役立つ―自分の言葉で語ることができる源となるものすべてについていえると思います。) 

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教養のシッポ1

2014年08月19日 | 教育

ソレを「ある?」と聞かれて「あります」と答えられる人が何人いるだろうか。「ある」と言うと嫌味だけど、「ない」と言い切るのも少し寂しいような。あるいは、「私にはありますよ」と言った時点で、ソレが「ない」ことになるのでは。そもそも、ソレの定義は何なのか。

わかりにくい書き出しですみません。でも、「ソレ=教養」って非常に難しいテーマだと思いませんか。人によって見方が違うし、だいたい「キョウヨウ」なんて口にするのすら恥ずかしい。下手に書けば「偉そうに」と言われそうだし、欧米の事情を紹介することで「西洋かぶれした輩(やから)だ」と思われるのも困る。

こんな文から始まる、Asahi Globeの特集(郷富佐子記者、築島稔記者による2009年、イタリア、米国、日本での聞き取りを使った特集)がありました。

「教養」のシッポはつかめるか?(全5回)

[1] ソレって「ある」?、それとも「ない」?
http://globe.asahi.com/feature/090126/side/01.html

[2] 読むべき1冊はなにか?
http://globe.asahi.com/feature/090126/side/02.html

[
第3回] 「多様性」と「他文化理解」
http://globe.asahi.com/feature/090126/side/03.html


[
第4回] シッポはつかめたか?
http://globe.asahi.com/feature/090126/side/04.html

各地で聞いてみた。「教養って何ですか?」

http://globe.asahi.com/feature/090126/side/05.html


「教養」というのは、一般的に、「芸術や文学の嗜みや興味があり、知識が豊富であること」というようなイメージがありますが、教養って、そんなに単純なものではないと思います。

いくら絵画、クラシック音楽を愛そうと、本を読もうと、博士号をとろうと、語学が達者だろうと、それで「教養がある」ということにはならないでしょう。

以下、特集の最後、「各地で聞いてみた。「教養って何ですか?」」にある回答からいくつか貼り付けます。

「高校時代までのように本を丁寧に読めば身に付くものではない。自分だけの意見や視点を外へ伝えるために必要なもの」
(イタリア、スクオーラ・ノルマーレ・スペリオーレ3年、21歳)

100年、1000年たっても変わらない価値観。それを身につけるためには好奇心と異文化への柔軟性が必要」
(イタリア、スクオーラ・ノルマーレ・スーペリオーレ学長)

「頭脳への投資。知り、理解し、考えたことを相手に伝えられること。そのためにはコミュニケーション能力が必要」
(イタリア、中部ピアチェンツァの古典高校校長)

「幅広い分野の新しい知識に興味を持ち、学びたいと思う姿勢」
(英国グレシャム・カレッジ学長)

「異なる学問の分野や文化をばらばらでなく、結びつけて考えられる力。それによってより大きな全体図が見えるからね」
(英国、グレシャム・カレッジ聴講生、30歳)

「新しい考え方にオープンで、最も重要で逆説的なのは、自分の知識が足りない、と認識していること」
(米国、ハーバード大2年、19歳)

「興味のあることを吸収して、いろいろな状況に対応できること。自分のいる世界を外から見られること」
(米国、ミドルベリー大3年、20歳)

「不確実さを楽しんで、人生に対して新しい答えを持てるよう、絶えず新しいものの考え方を歓迎すること」
(ハーバード大エクステンションスクール生、27歳)

「精神の筋肉を鍛えること。人間を理解し、自分の文化とともに他者の文化も正しく理解していること」
(米国、ミドルベリー大学長)

あなたにとっての、教養って何ですか?

私は上記の言葉には皆頷きながら読みましたが、この中の5番目(グレシャム・カレッジ30歳)については、強く共感します。

物事も知識も、1点だけ見ているのと、10点を見ているのとは見解は変わってくるし、たとえば、一見何の脈絡がないと思っていたものとの関連を発見したときの喜び、そしてそこから物事をより深く知ることができます。

これは、古典を原著で読んだことがなくとも、クラシック音楽が苦手な人でも、感じたことがある人は少なくないのではないでしょうか?

逆に言うと、このような「シナプスの刺激を体験できない人」は、結果、「人間力」「思考力」が鍛えられない人、ということで、いくら難しい書物を読んだり、知識があっても、その人にとっては、それらは「教養」ということになっていないと私は思います。

言い換えれば、教養とは「引き出しを持ち、それを活用(人と共有も)できる力」とでもいいましょうか。

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リカちゃんハウス症候群

2014年08月13日 | 教育

私が幼かった頃、持っていた着せ替え人形で遊ぶとき、筆箱をナプキンで包んでベッドに見立て、消しゴムのまくら、ハンカチの掛布団。カーペットはタオル。テーブルはお菓子の箱・・・等々、いろいろ知恵を使って遊びました。

そのうち父が『リカちゃんハウス』なる、バッグを娘達に買ってきてくれました。

このバッグをあけると、ファンシーな小部屋に変身。ソファーやテーブルのミニチュアもあります。

当初はこれをたいへん喜んでいた私や姉妹ですが、すぐに飽きて、再び家具や布団を自分で工夫して遊びだしました。

外国製のミニチュア家具、箱庭などは、幼かったときから私には魅力的にうつりましたが、発泡スチロールで作られたようなソファーなどより、筆箱や空き箱の箱で遊ぶ方が楽しかったからです。

 

さて、どうしてこんなことを思い出したかというと、ここ数年、気になることがあるからです。

 

それは、日本において読書好きは昔に比べて減っていないと思うのですが、若い人で、『ベンチャー企業の社長や有名人の哲学書』の類ばかり読んでありがたがっている人が増えていると感じることです。

 

(これは、実は若い人に限って言えるわけでもなく、たとえば、自分と同じ意見を言う人を信望し、その人達が書いた本やウエブサイトをバイブルとするような人は、中高年にもいるようです。)

 

それは、出来合いのリカちゃんハウスで遊ぶのと、ちょっと似ているな、と思います。

読んだ意見を自分の意見のように言えば、ちょっと格好よいかもしれないですが、オリジナル性がなく、画一的。

 

また、以前、「外国に興味がある」「外国人の友人がほしい」と言って、英語を一生懸命勉強していた大学生の男の子と話したことがありますが、 

「語学の上達は、話すことがあってのこと。世界共通となる、文学、芸術、映画のことは、ある程度知っていると、話題もつながりやすい。」 

という話をしたところ、彼は、

 

「日本のアニメや漫画、ポップカルチャーは凄い。今は、国際的に有名な絵画、本を知らなくても、日本のサブカルチャーの話で海外と盛り上がれる」と、大真面目に持論を展開しました。

 

彼が言っていることと「リカちゃんハウスで遊ぶことと一緒」という話は関係がないようですが、大変勿体なく思える点では同じです。

 

リカちゃんハウス的なもの、テレビのヒーローもの武器の模造品で遊び、そしてテレビゲーム三昧だった子たちと、60年代に子供だった私の年代と、価値観、考え方は違っているのは仕方がないことでしょう。

 

が、世界共通の常識となることに無関心で、自国のサブカルチャーや自国のベストセラー、他人の哲学しか語れない人は、能力ややる気が空回りしているようで、残念だな、と思います。

 

以下、『エコロジカルインテリジェンス』(by川上武氏)さんが書いてくださっていることに、私は同感です。 

リンクと抜粋を二本貼り付けさせてもらいます。

 

(川上さん、承諾を得ていませんが、すみません。)

 

若者よ、本を読め- それは《古典》だ。 

http://samuraicolumn.blog109.fc2.com/blog-entry-95.html

 

(抜粋)

 

「今後の日本が迎えていくであろう社会においては、深い思考力が必要になるはずですが、それには歴史、人類の考えてきた思考の歴史-哲学思想、社会経済政治問題に対する深い理解を得るための、社会科学系の勉強がこれまで以上に重要なものになるはずですが、これまた政府の政策からして手薄状態で、現在の教育をうけている子供たちは、世界に進出していく際には、正直犠牲者となるはずです。」

 

「世界の教育状況を見渡してみて感じることは、哀しいことに、二極分化が今後ますます加速していくだろうと言うことです。 オルテガが言及した《大衆》という群集と、人類の知的遺産をしっかりと受け付きながら、次の知的ステップへと発達していける人々に、これまで以上に急速に二分化していると思います。 一方では、まともに考えられない大衆という群れと、しっかりと考えられる人々の群れに分かれていくと思います。哀しい事実ですが。 」

 

音楽や絵画や写真を聴いたり見たりすること教養の基礎です。 

http://samuraicolumn.blog109.fc2.com/blog-entry-99.html

 

(抜粋)

 

「ところで、最近の子供たちと話をしていて気付くことは、趣味らしい趣味も特にない子が多いような気がします。 思春期時代でしたら、誰でも音楽などを聴いているかと思いきや、そうでもないようです。暇なときは何をしているかと聞けば、ボッーとしていたり、ネットでゲームをしたりしている子が目立ちます。洋楽などを聴いていたり、洋画などを見ていたりする子は、珍しい部類ではないでしょうか。 


 
クラシック音楽など学校でも指導すると思うのですが、これまたほとんど有名な作曲家の名前すら知りません。有名な画家の名前などまず無知です。
 
日本の学校教育では、音楽や美術は、情操教育の一環として指導していたようですが、この分野においても、最近の子だもたちは、一部の専門的な指導を受けている特殊な子供たちを除けば、無知蒙昧の状態にあるのではないでしょうか。そんな感じがします。

ヨーロッパでは、自由七科とは、人間を無知蒙昧の奴隷状態から解放し自由にすることから、このような呼び方がされてきたわけです。ですから、現在でも、ヨーロッパの伝統的な大学、教育ではこの自由七科いわゆるリベラル・アーツが大切にされているのです。リベラル・アーツを軽視してきたのは、戦後の日本の大学が駄目になった大きな原因です。 リベラル・アーツなどを芸術などと訳したり、その程度に理解しているから、教養などという、人としての基本的素養ができないのです。」 

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夢追いキリギリスたちへの処方箋

2013年07月02日 | 教育

「国際的な人、国際人になりたい」「国際舞台での仕事がしたい」と言う若い人と話すことがたまにあります。

「国際人に・・・」(『国際人』って定義はないと思いますが・・・)-こういうことを言う人には、「国際人とは、語学が堪能であることや、外国人の友人達がたくさんいること」なんて、勘違いをしている人も少なくなくありません。

とはいえ、やはり国際人を目指すなら、語学習得も必要。

(参考:『内向き志向の若者』

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20100619

だけど、上記のような人達は語学の勉強を基礎から見直すのではなく、「外国人と知り合えば語学も出来る」と外国人の友人作りから始めようとしがち。が、よほどの相手(「この人のことをもっと知りたい」と双方が思うようになれる相手)にめぐり合わない限り、それは無理というもの。

こうして、彼らは「なぜ自分には外国人の友人ができないの?」「どうすればよい?」というところから悩みだしはしますが、相変わらず「国際的な人間になりたい」というだけで空回り。

これは、「国際人云々」だけに限らず、将来像にわたって、『夢だけ追って、大変なことは避けている人』共通ですが、なぜ彼らは、苦労してまで夢をつかもうとしないのか、できないのか-

ちょうど、こんなものがありました。

Business Journal (201371)

自己啓発ビジネスの餌食になる人々…能力や資格より大切なこととは?

By 鈴木領一氏

http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20130701-00010001-biz_bj-nb&ref=rank

「私の夢はホテルのオーナーになることです。どうすれば夢が実現するでしょうか?」

 コーチングをしていると、かなりの頻度で、このような相談を受けることがあります。こういった相談をされる方の多くが、なんらかの自己啓発書やセミナーに影響されているようです。私はこのような相談を受けると、究極の質問を1つします。それは、

「では、今日、何をしましたか?」

です。

 この究極の質問をして具体的な答えが出てくる人は、間違いなくその夢に向かって進める人です。しかし、9割の人が、「え?」という反応をします。「何をすればいいかわからないから、相談しているのです」と。あなたは、この反応のおかしさがわかりますか?

(中略)

私はコーチングの経験から、夢を語る人を3つのタイプに分類しています。その中で、現実に夢を実現するのは1つのタイプしかありません。では、その3タイプを順番に説明していきましょう。

1)逃避タイプ

 このタイプは現状から逃げるために「夢」を口実にしようとするタイプです。「サラリーマンが嫌だから独立したい」と言う人に多いです。現状から逃れるために消極的な選択をしているだけで、積極的に「夢」に向かう姿勢はありません。「なんのビジネスで独立するのですか?」と質問しても、「まだ探しています」としか答えられません。

 起業塾のような勉強会やビジネススクールに参加している人にこのタイプが多く、ずっと起業の勉強をし続けても会社を辞めることはありません。口から出てくる言葉は常に現状の不満であり、そこから逃避したいという願望のみです。しかし「夢」に向かって一歩踏み出す勇気もなく、結局、不満を持つ現状に戻っていきます。

 現状の不満だけに頭が満たされた人が夢を実現した例を、私は一度も見たことはありません。

2)錯覚タイプ

 先ほどの「ホテルのオーナーになりたい」というタイプです。漠然とした夢を抱き続けているのですが、毎日ほとんど何も行動していません。

 最近はこのタイプが非常に急増しているのですが、これは自己啓発セミナーの急増とリンクしているように思います。夢を大きく持ちましょう、絶対に実現しますよ、とモチベーションをあおられ、その場の雰囲気で夢を設定してしまった人が、このタイプに陥りやすいです。

 この夢を実現できればカッコイイ、この夢が実現できたら素敵、という雰囲気だけで設定しているにもかかわらず、「夢をイメージすれば魔法のように実現できる」と錯覚しているのです。このタイプは自己啓発ビジネスの良いお客さんです。

3)恋愛タイプ

 夢を実現するのはこのタイプです。1つのことで頭がいっぱいで、24時間頭から離れることなく、それに向かって毎日行動せずにはいられない状態の人です。まるで熱烈な恋愛をしているように「夢」に夢中になって、どんな苦労や逆境も乗り越えていきます。

 このタイプに、「今日、何をしましたか?」と聞けば、とめどもなく“やったこと”が出てきます。些細なことでも。

 それはなぜか。好きだからです。好きならば周囲がとめたとしても、その夢に向かって行動するものです。これは恋愛と同じですよね? あなたには経験がありませんか?

 夢を語りながら何もしない人は、結局、それが好きでないことを証明しているにすぎません。

 好きでもないのに、「カッコイイから」「成功者っぽいから」という理由だけで、好きでもない夢を設定している人が実に多いのです。それは単なる見栄以外の何ものでもありません。

(後略)

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消された『大東亜戦争』という名称、本当の教育とは

2012年11月06日 | 教育

『楽しい』の反対語は『苦しい』と学校では教えていると知りました。(私も昔教わったはずですが、すっかり忘れている)

テストでこの答えを書かなければ間違いとされ、たとえば「つまらない」と書けばバッテンとなってしまうらしい。

こうした単純化した教育は、国語の場合はその理不尽さには気が付きやすいですが、歴史の教育については気が付かない人が多いと思います。

最近、アメリカ人のティムさんや、ドイツ人のトーマスさんが尖閣諸島問題もからんで、戦争、政治について書いてくることが多いのですが、その都度ドイツと日本の教育のギャップを感じます。

一方、日米では大差なく感じ、特に「教育は自国に都合の悪いことはあまり教えていない」という点も同じ。

アメリカ人のティムさんは、日本のパールハーバー襲撃を米政府がキャッチしていたことも知っているし、教科書で「原爆投下は正しい」と教えていても、鵜呑みにしていません。また、従軍慰安婦が韓国人だけではなく、中国人やフィリピン人、それからオランダ人などがいたことまで知っているくらい、太平洋戦争について調べたりしているようです。

とはいえやはり彼は戦争の加害者、被害者を単純化する傾向があり、戦争においての『米国の正義』は揺らぎません。

そして、日本が中国や韓国に対してしたことの反省ができないでいることと、日本の大企業が不祥事を起こしたとき(最近では東電)の反省のなさの共通点だけを問題にします。

日本がアジアにしてきたことの反省が足りないことや、日本の大企業の責任の取り方の問題については、私も彼と同意見ですが、『米国の正義』という点には私は首をかしげることも多いです。

そんな彼に先日、

「米国が、戦後、『大東亜戦争』という言葉を使うことを禁じて、『太平洋戦争』と呼ばせることにしたのを知っていますか?

この名前によって、日本人はこの戦争の相手が『米国(連合国)』であるだけのような錯覚をおこし、米国はこれを利用。日本も、こうした教育をほどこされてきたことで、米国に従いはするけど、アジアに対しての反省心は希薄、ということもあるのではないか、とも思ったりします」

と書きました。

ティムさんは、これは全く知らなかったようですが、あまり重要とも思えていないようでした。

大東亜戦争について米国がこれを変えさせた表向きの理由は、「日本が、『あの戦争をアジアを西欧の植民地化から守るための戦争』というつもりで名づけていた」ということだったと思いますが、だからといって、(戦争の期間限定の)『太平洋戦争』という名称だけを使わせるようにしたこと、これは特に中国や韓国、北朝鮮、台湾への謝罪までも、米国に向けさせることになっていったのではないか、と私は思います。

大東亜戦争といえば、以前、私より5歳ほど年齢が上の女性に、

「“大東亜戦争”って、一般的に何年からを指していると思います?(大東亜戦争を1941年からの太平洋戦争と同義とする説ほか、1931年の満州事変以降、1937年盧溝橋事件以降説があり)」と聞いたときがありますが、そのとき彼女は、

「ダイトウア戦争って、どこの国の戦争でしたっけ?」と照れながら質問し返してきたことがありました。

この女性は資格を持って働くキャリアウーマンであり、休日にボランティア活動をするような人だったので、私はこの回答に驚きました。しかし、まあ良く考えてみれば、『大東亜共栄圏』という言葉こそ教科書に載っていたかもしれませんが、『大東亜戦争』という言葉は載っていなかった(載っていても注意書き程度)でしょうから、この彼女の返答があってもおかしくなかったのかもしれません。

ともかくも、昔教育を受けた小父さん、小母さんはもう手遅れの人がほとんどでしょうが、これからの子ども達には、暗記させるだけだったり、単純化ではなく、『考える、いろいろな見方、事実があることを教える教育』を受けさせるようにしていってほしいと思います。

なお、教育というと教育現場だけの責任にされてしまいますが、たとえば、偏った教科書を反対するのなら、親達が「こういう見方もある」「こういう事実もある」と子どもに教えてあげたらよいのでは、と思います。(「テストで子どもが混乱する」と心配する親は無理かな・・・)

蛇足ですが、戦争、戦後史に関して、ジョン・ダワー氏の本など、読んでみるのもよいかもしれません。

ウィキペディア ジョン・ダワー

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%AF%E3%83%BC

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伝統芸能を学校のイベントで鑑賞させてくれたことに感謝

2012年07月28日 | 教育

小学校から高校まで私は公立の学校に通いましたが、小学校のときは、欧州の少年合唱団(名前は忘れましたが、『もみの木』だったか『木の十字架』だったか、とにかく木に由来するものだった。)、NHK楽団のクラシック鑑賞、中学では劇団青年座が体育館の舞台で『真夏の夜の夢』を出張上演してくれ(このとき研修生だった朝加真由美が出演していて、ボトム役の役者さんは西田敏行に似ていました。)たり、狂言『蝸牛』も出張上演で観ました。

高校では、新橋演舞場で、歌舞伎『義経千本桜』を鑑賞。

音楽鑑賞と演劇に関しては、これらは心から楽しみにしていたのですが、正直に言うと、狂言と歌舞伎に関しては、当時、「どうせやるなら、別のものにして欲しい」と最初は思っていました。

しかし、この伝統芸能の鑑賞は、ファンにこそなりませんでしたが、充分楽しめ、「学校がこれを企画しなかったら、私は一回も観ることもなかっただろう。感謝。」と、本当に学校に感謝しました。

(これは、私と同じく不満をいっていた多くのクラスメートも同じ感想を言っていました。これを機に興味を持った子もいたかもしれません。)

また、伝統芸能を大切に思う気持ちは、これらを鑑賞する以前にもありましたが、実際に鑑賞したことで、『日本の伝統芸能』を誇りに思えるようになったのだと思います。

現在の橋下大阪市長の文楽補助金打ち切りについて、これは、財政難という現状他もろもろのことを考えたら、「言い出す」ことも一概に責められないと思いますが、「文楽批判」にいたっては稚拙すぎて、こちらが赤面するほど。

(産経新聞

橋下大阪市長、止まらぬ批判 「勉強不足では」文楽関係者も困惑顔

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120728-00000540-san-ent

文楽がどういうものか、文化的ではない一個人”の見解だけでなく、多くの若い人に見せることでもして、彼らに判断してもらってはどうでしょう。

(もちろん、現在の学生が、娯楽が少なかった私が学生のときの子達より、伝統芸能に対して親しめるかどうかはわかりません。

しかし、こうした芸能を見せる努力もしないで、「努力が足りない。内容も自分がつまらないからなんとかしろ」と言うのはいかがなものか。)

それにしても、英語教育に力をいれることが国際的な人材を作ることだと信じている方々が多いですが、「英語ができて、自国の伝統文化・芸能に対してほんのわずかな知識もない」という人たちが「国際的な人材」には為りえないと思うのですが、その辺はどうでもよいのでしょうか。

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Education 3

2011年12月27日 | 教育

2010年1月のブログ

Educationhttp://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20100121

Education 2 http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20100123

の続偏として、以下のコラムを紹介します。

Newsweek (20111222)

『大学教育を否定する、ユニクロ「大学14月採用」の衝撃』

By 池田信夫氏

http://www.newsweekjapan.jp/column/ikeda/2011/12/14.php

毎年、秋になると授業に出てくる学生が減るが、今年は12月になってがっくり減った。就職活動の解禁が12月になったからだ。就活には「学業のさまたげになる」という批判が強いが、これは今に始まったことではない。私が学生のころから「青田買い」批判があり、政府が規制したこともあったが、企業が抜け駆けするため空文化し、その実態に合わせて協定が廃止されると就活が繰り上がる・・・といういたちごっこが繰り返されてきた。

 これはゲーム理論でおなじみの「囚人のジレンマ」で、みんなが協定を守っている場合には自社だけ抜け駆けしていい人材を採ったほうが得だし、みんなが協定を守らないなら自分だけ守ると損をするので、協定を守らないことが合理的になるのだ。これを徹底すると、就職協定を無視して大学1年で採用することが合理的行動になる。

 そういう企業が登場した。「ユニクロ」を経営するファーストリテイリングの柳井正社長は、大学1年で採用する方針を表明した。すでに今年の42日に、内定を出したという。この社員は在学中は店舗でアルバイトをし、卒業と同時に正社員になる予定だが、43日に退学して正社員になったほうがいい。ユニクロの年収は300万円ぐらいなので、4年間で1200万円になる。大学の授業料は私立だと3年分で400万円以上になるから、大学を中退して就職すれば、合計1600万円以上も得になる。

 こういう雇用慣行は、昔はあった。外交官には大卒の資格が必要なかったので、外交官試験に在学中に合格した学生は中退するのが普通で、外務省では「大学中退」がエリートだった(今は外交官試験が廃止されたので普通の公務員と同じ)。しかし、これは役所が「大学で4年間勉強しても社会では役に立たない」と考えていることになる。それなら高校生は、なぜ多大なエネルギーをかけて受験勉強するのだろうか?

 それは大学がシグナリングの機能をもっているからだ。企業が労働者を採用するとき、誰の能力が高いかを判別することはむずかしい。面接しても誰もが「私は能力がある」とアピールするので、優劣がつけにくい。こういうとき多くの人が合格に多大な労力をかけ、点数で序列がはっきりしている入学試験があれば、卒業した大学を見るだけで学力試験をしなくてもいい。

 つまり学歴は「私は**大学の入学試験に合格できる能力がある」というシグナルを出しているだけで、4年間の勉強は企業にほとんど評価されていないのだ。世界銀行などの調査でも、経済成長に教育のもたらす効果は統計的に有意ではなく、特に大学教育はほとんど寄与していない。しかし大学に進学することによって生涯賃金は上がり、高卒との収益率の差は拡大している。これは学歴のシグナリング機能によって、いい職につけるからだ。

 だから大学は第一義的にはシグナリングの装置であり、大学進学は私的には収益率が高いが社会的には浪費だ、というのが多くの実証研究の結果である。もちろん高度な技術を身につける場としては意味があるが、そういう学生は理科系の一部である。一般教養を学ぶ場も必要だが、それは社会に出てからでも身につく。

 特に日本の企業は、文科系の大学で何を勉強したかは問わず、専門とは無関係の部署に配属して社内教育で人材を育成する。長期雇用でいろいろな仕事をさせるためには、大学の専門なんか意味がなく「コミュニケーション能力」や「バイタリティ」があればいいのだ。もちろん元気だけよくても頭が悪いと使い物にならないので、それは学歴が重要なシグナルになる。

 だから大学1年の4月に採用するユニクロは「日本の大学にはシグナリング装置としての意味はあるが、教育機関としては意味がない」と宣告しているのであり、残念ながらそれは正しいのだ。形骸化した就職協定なんかやめて企業が自由に採用し、「大卒採用」をやめて「大学合格」を入社の条件にすれば、就活は大学1年に繰り上がり、採用が内定した優秀な学生から中退するようになるだろう。そのとき大学教育の内容が本当に問われる。

ユニクロの柳井社長のアイディアやチャレンジ精神には感心させられることも多いですが、この大学シグナリング装置のロジックには付いていけません。

そして、池田信夫氏の意見は、ほとんど私の意見と対極にありますが、今回のコラムは「反対か反対でないか」という以前の問題。

柳井社長は何故“大学受験のふるい(学力だけのふるい。まあ、根性のバロメーターにもなりはするでしょうが。)”にこだわるのでしょうか。

「大学を中退して仕事」というのは池田氏の意見にすぎないのでしょうが、大学を中途退学して仕事をすることを柳井氏も望んでいるのでしょうか。

苦労して一流大学に入っても就職が難しい時代の学生の不安を利用して、学ぶ機会を奪ってしまうような経営者がもてはやされるようになるとしたら、世も末です。

高卒者に就職の門出を開き、社内で教育をしていた時代は健全でしたね。

参考:

The Asia Pacific Journal: Japan Focus

Youth Employment in Japan’s Economic Recovery: ‘Freeters’ and ‘NEETs’”

By Kosugi Reiko

http://www.japanfocus.org/-Kosugi-Reiko/2022

抜粋:

In Japan, however, a system in which companies trained young employees remained intact, and this shielded Japanese youth with secondary and higher education from unemployment during a period of industrial transition. In the 1990s recession, however, firms began to restrict this training and became more selective in hiring new graduates. As a result, the number of youth failing in the school-to-work transition increased sharply, and it is they who comprise the population of unemployed, freeters, and NEETs. In short, youth lacking specialized education and drop-outs (from high schools and colleges) bear the brunt of employment problems in the transition.

In fact, the number of positions available for prospective high school graduates declined sharply, and at the beginning of the 1990s it dropped to one eighth of previous levels, while on the contrary, the number of positions available for prospective university graduates, even at its worst, only dropped by one half. At present, the latter has recovered to levels comparable to those of the first half of the 1990s. The demand for workers with lower educational backgrounds, however, has remained low.

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