Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

安倍首相の靖国参拝が台無しにするもの

2013年12月30日 | 国際・政治

先日、元上司のA氏が近況報告として送ってきてくれたメールの抜粋を貼り付けます。

 私は約20年前に英国から帰って直後、あるご縁で三重県南部にある紀和町という町の紀南国際交流会という団体と出遭い、爾来、その中心になっている戸地功(トジ・イサオ)さんという方をお手伝いしています。

 戦時中、今の紀和町(入鹿<イルカ>の里)の石原産業の銅山に戦争捕虜の英国人兵士数百人をビルマ戦線から連れて来て使役させていましたが、栄養失調などで16人が異国の片田舎で亡くなりました。銅山での労働に体力を消耗する英国の若者に手厚く接し、亡くなった人のためには墓地("Little Britain")を作って、老人会の婦人方が今も毎日花を手向けて墓守をしています。

 紀南国際交流会は、毎年秋に英国国教の様式で慰霊祭を行っています。そして、そのようなヒューマニスティックな行動の大切さを若者達に伝え、将来の国際平和に役立つ人たちを輩出したい、という趣旨で活動しています。

(中略)

 このほど戸地氏は英国女王陛下から"Member of British Empire “MBE”"という勲位を授かり、114日に駐日英国大使館で叙勲式がとり行われました。

甚だ地味ながら大変一所懸命にやっている人たちの苦労が認められ報われたと、とても嬉しく思っています。

(後略)

以下は、この入鹿の里で強制労働をさせられたイギリス人たちと戦時中の町の人の様子です。

東紀州ホットネットより抜粋:

http://www.kumadoco.net/dictionary/report.php?no=206

英軍捕虜鉱山へ

昭和十九年六月十八日から、労働力不足を補い生産増大をはかるため、軍当局から捕虜英兵三〇〇名が紀州鉱山に配置された。彼等は太平洋戦争の初頭、マレー地区でわが軍と戦い、シンガボールの戦で捕虜となったもので英兵たちはシンガポールの港で働き、その後秦緬鉄道工事に十九年三月まで苦役に従事し、終了に伴い紀州鉱山に送られてきたのである。

マレー地区は、紀州鉱山を経営する石原産業が戦前より企業進出していた地であった。戦争中は南方資源開発の命をうけ、軍に協力してマレー地区の事業推進を担当して、ボーキサイトをはじめ、錫・鉄鉱の鉱山の開発経営にあたっていた。

彼等は、車の監督のもとに、板屋選鉱場の西側所山につくられた収容所で生活しながら、抗内作業その他に従箏していた佐々木仁三郎の『三重県終戦秘話』によれば、彼らは仕事に対しては勤勉であり、かつ能率的であると、職員から聞いたと記されている。収容所の生活も紳士的であった。イギリス人の自尊心と教養がさせたものか。

収容所では捕虜の処遇によく注意を払い、日本人さへ物資の不自由の中で、農園を丸山地区に開き野菜や馬鈴薯の確保をはかるとか、村民も乏しい野菜提供するなどの温情を示した。また、浴場やパン焼釜を設置するなどよく意を用いた、彼らからも収容中の処置について感謝をうけたという。しかし村民は、防諜の取締りもあり、話しかけることもなかったが、動員された学生などの中には好奇心から接触した者もいた。

八月十五日の終戦とともに、自由の身となり九月八日トラックに分乗して、ユニオンジャックの旗をなびかせ、車上から手を振りながら帰還していった。敗戦という現実が身にしみて感じられた。しかし、内一六名は、異境で故郷の空を慕いながら寂しく病没した。現在所山の英国兵墓地に葬られ十字架の墓標の下に眠っている。銅板の墓誌銘には英文をもって「神のより偉大なる栄光の下に一九四一~一九四五年の戦争中、ここ板屋、あるいはその付近で逝去せる、英国陸軍兵士のために」と刻まれている。

戦時中にこのような友好関係が捕虜と町の人にあったかどうかはわかりませんが、実はこれ似た交流を、福岡県水巻町でもやっています。

(現在は外務省による『日欄平和交流事業』-旧オランダ領東インドで日本占領を経験したオランダ人を招聘して、日本のあちこちを見てもらい、日本に対する理解を深める事業の一環)

福岡県水巻町のHPから抜粋:

https://www.town.mizumaki.lg.jp/town/intro/ned_02.html

水巻町とオランダとの関わりの歴史は第二次世界大戦にまでさかのぼります。第二次世界大戦の序盤、日本は南方で戦局を優位に進めており、それにともなって多数の連合国軍兵士が捕虜として日本国内に送還されてきました。

その内の一部である1,000人以上もの人が、当時の古賀区にあった豆炭工場の脇の収容所に収容され、炭坑の強制労働に従事させられます。捕虜としての扱いは、万国赤十字社の規定にのっとってはいたものの、坑内での作業は過酷を極め、また食習慣の違いなどからくる栄養障害や度重なる事故などにより多くの尊い命が失われました。

1945年、日本は戦争に敗れ、生き残った捕虜たちはそれぞれの本国へ帰還します。

同年、亡くなった捕虜53人の慰霊碑として古賀山中に「十字架の塔」が建立されました。

(後略)

戦時中の日本国内での捕虜への扱いは、その収容所によって違ったと思いますが、そのなかにあって上記二つのような例はめずらしかったことでしょう。

入鹿の里に話を戻しますが、A氏は言います。

「英国にはまだ「和解」には程遠い気持ちの元捕虜が少なからず残っています。

でも、入鹿の里を再び訪ねた人は、お孫さんまで連れて来るようになるそうです。」

年末になって安倍首相は靖国参拝をしましたが、彼はこうした交流を知っているのでしょうか?

彼の参拝をアジアだけではなく(中韓だけでなく、アジアのほかの国からも非難の声が上がっています。)欧米も非難していますが、それは第三者としてではなく、トラウマを抱えて生きる人々やその家族がいる-当事者としての失望や怒りもあってでしょう。

最後に、今月半ばに東京新聞に載ったコラム(ロンドン支局の記者さんのもの。名前を控えておくのを忘れました。)

イングランド北部ヨークにある戦争博物館で、父親が第二次世界大戦中に日本軍の捕虜になったというローラさんに出合った。

父親のヤンさんはオランダ人。オランダ領だったインドネシアで捕虜となり、ビルマに移送されて1942年から半年間、タイとを結ぶ泰緬鉄道の建設に従事させられた。

生前、当時のことはほとんど家族に話さなかったという。わずかに聞いたのは、バナナなどの食料を服の中に隠し、いかに監視員を欺いたか、という自慢話ぐらい。

見つかった捕虜は、全部食べさせられた上で吐かされ、あばら骨が折れるまで踏みつけられたそうだ。飢えと赤痢で多くの捕虜が死んでいく中で、多くの捕虜が死んでいく中で、ヤンさんは日本人監視員が内緒で檻の中に差し入れてくれた玉子で生き延びた。

4412月、シンガポールから船で日本へ。今度や山口県の宇部港に近い本山岬の炭鉱で、強制労働をさせられた。

満足な食料や衣服のない捕虜達は移送中の寒さでほとんどが息絶え、炭鉱でもヤンさんは栄養失調で、戦後は立って歩けなくなった。

「父は同じ年代の日本人と話すのは絶対に嫌だといっていました。」

トラウマは、20年前に他界する最後まで途絶えることは癒えるまでなかったと言う。

それにしても、戦時中国内で命を落としたアジア人へのこうした活動や国が主導する交流事業ってあるのでしょうか。

釜石市にある銅像くらいしか浮かびませんが・・・。

http://www.city.kamaishi.iwate.jp/kyoudo/event/tanbou2.html

さて、今日は長くなりましたが、

皆様、良いお年をお迎えください。

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『年の終わりに-2013』 by M氏

2013年12月25日 | 

M氏から今年も『年の終わりに』が届きましたので、転載させていただくことにしました。(私と意見が違うところもありますが・・・。)

皆様;

 今年も残すところ僅かとなりました。いつも思うことですが、歳をとるにつれて時間の流れが速くなるような気がします。あっという間に一年が経ち、また新しい年を迎える時期となりました。そんな中、前向きに、元気に、明るく過ごすようにしています。

 この一年、日本経済は概ね順調でした。4月から始まった大規模な金融緩和策は市場心理を大きく変えて、円安が進行し、株価は昨年末から6割近く上昇しました。日本社会の閉塞感みたいなものを払拭するためには、デフレを終息させて名目経済成長率をプラスに戻さなければいけないと、小生は、ここ10年ほど主張していましたが、ようやくそれが見えてきたようです。

つい最近発表された政府の2013年度のGDP成長見通しは名目2.5パーセント、実質2.6パーセント、2014年度の見通しは名目3.3パーセント、実質1.4パーセントでした。物価上昇率の2パーセントという目標を、来年度には、ほぼ達成したいという政府全体の強い意志を感じます。

この目標自体甘いのでは、という見方もありますが、何はともあれ来年度には、久しぶりにGDPが500兆円を超えるとも予測されています。実際問題として、デフレ経済のもとでは、消費税率を多少上げようが下げようが、深刻な財政問題を解決することはできません。その意味で現政権の掲げる目標には賛成しています。

小生は10年以上にわたって「日本経済のために日銀が存在しているのであって、その逆ではない。脱デフレのための大胆な金融政策を。」と言い続けてきました。遅まきながら日銀が正しい方向に舵を切ったことを高く評価しています。

 ただし、足元はおぼつかない。本年4月から6月にかけてのGDP成長率が好調(年率換算:名目3.7実質3.8)だったことから、また東京オリンピック誘致成功という好材料もあって、10月に政府は来年4月からの消費税3パーセント引き上げを決定しました。

小生は、これは時期尚早だったと思います。その後発表された7月から9月の数字(名目1.0実質1.1)は良くなかった。経済状況を見極めて、デフレ脱却が確実なものとなったことを確認してから、2015年4月に引き上げても遅くはなかったと思います。

来年3月までは、消費税引き上げ前の駆け込み需要のおかげで景気は良いでしょうが、4月以降が心配です。

思い起こせば1997年、時の橋本政権が消費税を3パーセントから5パーセントに引き上げた結果、大不況となり、結局税収も落ち込み、翌年の参院選で惨敗して自ら退陣したという前例があります。確かに、消費税はいつかは上げざるを得ないものですが、あとせめて1年先延ばしにしてほしかった。しかし、文句を言っても仕方ありません。来年4月に消費税は上がります。その時に日本経済が打撃を受けないように備えが肝要です。

政府も5.5兆円の本年度補正や来年度大型予算などによって悪影響の緩和策を講じる予定ですが、それだけでは足りません。やはり政府任せではなく、民間企業も、国民一人一人も意識して努力しましょう。

 まず第一に「賃上げ」です。国税庁調査の民間企業従業員年間給与平均は、1997年に467万円だったものが2012年には408万円にまで低下しました。これでは若い人たちの元気も購買意欲も出ません。先行きの不安から結婚もしないし、子供も作らないということになり、日本社会全体が尻すぼみになってきました。この際、久しぶりに大幅な「ベースアップ」を実施しましょう。

この言葉は、若い人たちには馴染みのないものですが、我々の世代にとっては懐かしいものです。「ベースアップ」とは、物価上昇率に対応する程度に会社全体の給与水準を底上げするもので、我々の若い頃にはこれと「定期昇給」の2段重ねで、毎年給与が上がって行きました。来年度は、2パーセントの物価上昇目標と、3パーセントの消費税増税ですから、大きな負担増となります。

物価目標と消費税増税と名目GDP成長率との間の相関関係が今ひとつ良くわからないのですが、まあ大雑把に言って勤労者家計は4-5パーセントの負担増になるでしょう。この他に、引き続き年金保険料の引き上げなども予定されています。長年デフレに慣れてきた我々にとって、実はとても異常な事態なのですが、来年4月以降のことなので、まだ実感が湧きません。

来年度の初め、4月になって国民が気がついた瞬間、消費の落ち込みが始まります。せっかく立ち直りかけた日本経済をまた奈落の底に突き落としてはなりません。前述のとおり、全産業において、最低でも4-5パーセントの「ベースアップ」を早目に実施すべきです。

幸いにというか、皮肉にもというか、よくわかりませんが、大震災以降7.8パーセント引き下げられていた全国家公務員と多くの地方公務員の給与を、元に戻すことが決まりました。来年4月からベースアップ7.8パーセント(正確には8.5パーセント)となるので、公務員世帯の消費落ち込みは避けられます。

賃上げの原資確保が厳しいでしょうが、民間企業もこれに追随しましょう。そのことが、結局は自社業績アップにもつながるという認識を持って。民主党関係者の方々、早く連合に働きかけて声を上げさせ、民間企業の早期大幅賃上げを実現させてください。同時に、政権側からの経団連ほか使用者側への働きかけも必要です。「賃上げが望ましい」、この一点において与野党の利害が一致しているという、珍しい局面だと思いますので躊躇なく。スピードが大事です。

 ところで、「賃上げ」は、年金暮らしの老人層には何の恩恵ももたらしません。むしろ、年金については、デフレでも減らさなかった支給額を、今後2年間かけて減額して本来の支給額に戻すという措置が実施されています。消費税も上がるし、物価も上がるし、と悲観的になるのが普通でしょう。しかしながら、個人差はありますが、今の老人層は貯金を持っています。

60歳以上の国民が、個人金融資産1500兆円の6割を保有しているようです。1500兆円の金融資産のうち、ほんの僅か1パーセントを取り崩して消費にまわすだけでGDP3パーセントの押し上げ効果があります。冥土にはお金を持っていけませんから、少し余裕のある老人は貯蓄を取り崩して、自らの消費行動を活発化させましょう。消費といっても、「今更何もほしくない」という老人(小生はそうです:むしろ今ある物を捨てたい)が多いので、旅行とか外食などサービス産業への支出を増やしましょう。

同時に、若い人たちへの金融資産移転も増やしましょう。自分の寿命はわからないからなるべく貯蓄を減らさない、という行動は、確かに合理的ですが、そこを少し頭を柔らかくして(というか根拠なき楽観主義で)好きなことに消費したり、子や孫に贈与したりしましょう。今の問題は消費・投資意欲の高い層に金がなく、金を持っている層が消費意欲がなく、将来への不安から使わないというところです。このあたりはご異論も多々あろうかと思いますが、これが第二の方策です。

 第三の方策は、過度の悲観主義をやめよう、ということです。年金の問題や医療・介護など社会保障関係の問題について、政府自身やマスコミが将来の不安を煽っているために、全ての世代の国民が洗脳され、委縮しています。委縮して消費行動を手控え、その結果経済が悪くなり、問題が更に増幅されるという悪循環に陥っています。

あの「高度成長期」からバブルに向けての時代(すなわち60年代から90年代初めまで)にあったような雰囲気を望むことは出来ないまでも、せめて「明日は今日より明るいのだ」と信じてみましょう。そう言うと何かの宗教みたいですが、もともと景気は「気」からとも言います。とにかく「明るく元気に行き(生き)ましょう」です。

 目を世界に転じれば、今年も多くの事がありました。全世界をいくつかにわけて見ると「特に問題のない北中南米と欧州」「発展を続ける平和でダイナミックなアジア」「戦乱絶え間なく社会矛盾や宗教対立が激化する中近東・北アフリカ」「混乱と貧困が続き出口の見えないサブサハラアフリカ」というところでしょうか。

北東アジアの国際関係(日中韓・北朝鮮)には不穏なムードがありますが、これも全世界的に客観視すれば、中近東・北アフリカ全体(特にシリア・イラク・イラン・エジプト・リビア・スーダン・南スーダン・イエメン・イスラエル)での戦乱や対立関係と比べたら、たいしたことはないと思います。

特にシリアでは、内戦勃発以来十数万人の死者が出ていて、そのうち子供の死者が一万人を超えたとされています。何の罪もない子供たちが一万人単位で殺されるような状況というものは許せません。シリアや同じような状況にある南スーダンほか、この地域での内戦については、一日も早く国際社会が適切に対処すべきでしょう。

同時に、中東地域での宗教対立(ユダヤ教対イスラム教およびイスラム教内部各派での)が諸悪の根源のようなので、いろいろありますが、なかでも積年のパレスチナ問題については、できるだけ早く公正な解決がなされなければならないと思っています。日本国民やマスコミ(最近の報道は北朝鮮でなければ中国か猪瀬直樹氏:シリアのシの字もない)の関心の薄い地域ですので、あえて注意を喚起します。

(中略)

  2014年、どのような年になるでしょうか。世界と日本そして皆様方それぞれにとって新しい年がより良いものとなることを祈りつつ。明年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

参考:『年の終わりに-2012by M

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20121225

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ハグとキスの挨拶

2013年12月19日 | 異文化

以前、日本人による東アジアでのフリーハグの動画を外国のペンフレンド達に送ったとき、スペインのベゴーニャさんとアメリカのティムさんと私で、ラテン、アングロサクソン、日本の習慣についての親しみの表現の話になりました。

そのとき、ティムさんが、

「前に息子の日本人の友人のお母さんが、別れ際に、僕の頬にキスをしてくれたので、驚いたことがあった。日本人は友人や知人にキスする習慣はないからね。

あとで照れたように、彼女は、「アメリカの習慣を学んだ」と後で説明してくれたんだ。

キスといえば、ベゴーニャ、君達ラテンの国が挨拶のキスを両頬にするけど、アメリカは片側しかしない。こうしたスキンシップによる挨拶の度合いは、日本<アメリカ(アングロサクソン)<スペイン(ラテン)だろう。」

と言っていました。

もちろん、アメリカ人には様々な人種、宗教の人がること、地域によっても違うので、ティムさんが言う『片側の頬キスルール』がどこまで浸透しているのかわかりませんでしたが、ただ思ったことは、「アメリカ人の(友人や知人に対しての)スキンシップの感覚は、日本人が思うほど開放的ではないんだ。」ということでした。

昨日、たまたま調べ者をしていたときに、見つけたウォールストリートジャーナルのコラムです。

キスではなく、ハグについてですが、面白かったので貼り付けます。

ウォールストリートジャーナル(2013918日)

ハグの微妙なルール-職場では要注意

http://jp.wsj.com/article/SB10001424127887324481004579082261661102486.html

筆者はハグをよくするタイプではない。パーティーでパーソナルスペース(他人に近づかれると不快に感じる空間)を侵すことで知られる人が自分に近づいてくると、頭の中に「ジョーズ」の音楽が流れてくる。筆者のように、特に対人恐怖症というわけではなく、それなりに社交的だが、身体的愛情表現がやや控えめな人はたくさんいる。

 米国は「そこそこ接触を好む」文化だ。出会いから別れまでほぼ全てのあいさつにお辞儀を用いる日本と比較すれば身体的な感情表現に積極的だ。しかし、ハグがしっかり根付いていて、両ほほにキスすることさえある中南米や欧州諸国と比べれば、それほどでもない。

これまで握手が当たり前のあいさつだった米国人男性にとって、ハグは新たな悩みの種となっている。社交の場面に応じて素早い状況判断を強いられるためだ。適切な身ぶりやその長さ、相手との関係性、場所、アルコールの影響、相手の意向などを瞬時に見極める必要がある。

男性の友人は、1秒ルール(1秒数えてハグをやめる)を徹底していると話す。また、「A 字ハグ」もよくするという。相手の肩に触れながら高い位置で握手し、背中を軽く23回たたくあいさつの仕方だ。女性にはそのような中間的な方法はなく、握手かハグのどちらかだ。

 男女間のハグにまで探求の幅を広げると、事態は危うくなる。特に職場ではそうだ。

 科学者によると、ハグは健康にいいという。幸福ホルモンであるエンドルフィンの放出や免疫システムの強化、自尊心の向上、きずなの深化が促される。しかし、人事記録に警告マークが付けられることにもなりかねない。

 チームが大きな成果を上げたときや人員縮小で職場を去るときなど、オフィスでハグする正当な理由はたくさんある。しかし、企業で上級幹部職に就く知り合いは、仕事上の普遍的なアドバイスとして「怒鳴るな、泣くな、ハグするな」を徹底するよう教えてくれた。その裏付けとなっているのが、大半の人は同僚に親密さは求めていないという調査結果だ。

 ハグすべきかどうかの判断が状況に応じて必要になるにつれ、気まずい事態に陥る可能性も高まっている。中でも厄介なのが、ハグをしかけたときに相手にその気がないことが分かったときだ。ハグをしかけ、いまさら引き下がれないとなった場合、専門家が口をそろえて言うのは、途中でやめるな、だ。そのまま押し通せばいい。ただし、すぐに終わらせることだ。

(後略)

なお、ラテン系のにしろアングロソン系にしろ、『頬にキス』は必ずしも本当にキスをするのではなく、ハグをしながら頬と頬を近づけるだけだったり、キスの真似だったりする場合も、少なくないのではないか、と思っています。

これは私が日本人であるからかもしれませんが、本当に頬にキスをされたのは、私の場合、高齢の男性外国人2人(イギリス人とギリシャ人)からだけで、後はハグしながら頬を寄せるだけの挨拶をする人ばかりでした。

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ある青年の話から

2013年12月18日 | 福祉・医療

127日の東京新聞夕刊に載っていた『障がいという個性で』記事、大元の中日新聞のHPに載っていましたので、そちらから。

中日新聞1117

個性 君だけのもの、自信持って

By 水谷修氏

http://www.chunichi.co.jp/article/feature/yomawari/list/CK2013111902000003.html

私は、先日、ある大学の大学祭で講演をしました。今回は、そこで出会った、一人の大学生について書きます。

 私が、講演のために大学の正門をくぐると、大学祭の実行委員会の学生たちが、みんなで並び、出迎えてくれました。私は、その中の、一人の男子学生に、すぐに目が行きました。彼の顔の三分の一は、大きな青黒いあざ、からだも小さく、足にも障がいがありました。

 彼は、ひときわ大きい声で、「水谷先生、ようこそ、うちの大学に来てくださいました。私が、先生の担当です。よろしくお願いいたします」とあいさつをしてくれました。私が、「年寄りじゃないから、自分のカバンは自分で」と言っても、「私の仕事です」と、重いカバンを、控室まで運んでくれました。その午後は、彼は、私のそばで、私に不自由がないように、誠心誠意働いてくれました。

 その日の講演後は、実行委員会の学生たちと、小さなパーティーをしました。空いている教室で、ジュースやお茶で乾杯、そして、お菓子を食べながら二時間近く語り合いました。その時、あの彼が話してくれたことに、私は、深く感動し、そして反省させられました。

 彼は、乾杯の後、話し始めました。「水谷先生、今日は素晴らしい講演をありがとうございました。少し、私のことを話させてください。私は、生まれつき、このからだとこの顔という障がいがありました。小学校や中学校では、ひどいいじめにあい、死を考えたこともあります。それでも、生き残れたのは、私をいつも優しく守ってくれた両親のおかげです。

それでも、高校には進学せず、家で引きこもりの日々を過ごしていました。こんなからだで私を産んだ母を憎み、暴れ回っていました。そんな私に、父が一冊の本を渡してくれました。それが、先生の本『夜回り先生』でした。私は、泣きました。私より、はるかにつらい子どもたちが、こんなにいたんだ。自分は、こんな恵まれた環境にいたのに、何ていいかげんな人生を生きているのかと。それからは、先生になって、水谷先生のように、子どもたちを助けたい。そう思って必死に勉強しました。

そして、この大学に。先生、ここにいるみんなは、私の魂の友です。私にこう言ってくれました。『君の、そのからだや顔は、君の個性なんだ。自信を持て。君を見て、哀れんだり嫌ったりする人間がいたら、実は、そいつが哀(かな)しい哀れなヤツなんだ』。先生、きっと、私のこの個性で救われる子どもたち、たくさんいます。そんな先生になります」

 みんなで、目から汗を少し流しました。

文中、水谷氏が「深く感動し、そして反省させられました」と書いていますが、読み終わって、「水谷氏は何に反省したのだろう」と考えてしまいました。

水谷氏は、大学に講演に行って出迎えてくれたときに、この青年を特別視(驚き、哀れみ)してしまった自分を恥じてしまったのかもしれません。

しかし、これは水谷氏に限らず私もそういう反応をしてしまうと思うし、そしてこの青年のソウルメイトとなった友人たちも最初はそうだったのではないか、と思います。

残念ながら、この青年は今後も一歩外にでれば、『一瞬の特別視』を感じ続けて生きていかなければならないでしょう。

この『一瞬の特別視』、現代では偏見に繋がるものは少なくなっているとはいえ、まだまだ克服するまでには至りません。(自分自身も含めて反省)

しかし、そうした人間の弱さを受け入れて、目的を持って進みだした彼には、おのずと上質な人間である仲間が増えていきます。

それは、彼を苛めたり、嫌ったりする人たちに、質の低い人達が集まるのと対照的です。

コメント (4)
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空の空なればこそ

2013年12月13日 | 友人・知人

私は時々日本人のペンフレンドがほしいと言う外国人に、日本人を紹介することがあります。

2ヶ月くらい前だったか、「日本の文化の話やインド哲学の話などで意見交換ができる日本人と文通がしたい」という60代のインドの男性Jさんの文通相手を探していたとき、快く引き受けてくださったのが、地方在住のMさんという既婚・アラフォーの女性です。

彼女はインド哲学にそんなに興味があるわけでもなかったのですが好奇心旺盛で、今も毎日のようにJさんとメールを交わし、いろいろ教えてもらったり、話題も途切れず楽しんでいるようです。

そのMさん、他にも香港にもペンフレンドがいるようで、このペンフレンドは、「尖閣問題について中国が日本から奪いとったものである」「日本は中国と戦争をするつもりか」と書いてくるらしく、Mさんは私になんて答えればよいかと、アドバイスを求めてきました。

それで私は、

「香港の方の件ですが、メールではあらぬ誤解を生じるので、下手によくわからない政治の話題をするのは私はお薦めしません。また、領土問題について、日本側の意見を説明して香港の方が納得するようなら、どの政治学者も悩まないで済むわけです。

なので、「安倍政権を危ぶんでいる日本国民も少なくないし、今は第二次世界大戦前と違って先進国同士戦争をするのを国際社会が許さないと知っているので、中国、日本とも、(今のところは)戦争までは考えていないと思う。」と書いて、私だったらそれで打ち切ります。 

私は韓国人のペンフレンド(今はもう年末年始の挨拶だけ)がいますが、政治の話はしても、お互いの国を責めるより、仲良くなる方法を探す話をしていました。 

Mさんは、その香港の方とは文通暦は長いのですか?

私は話題がどうであれ、相手を困らせる文章を書く人とは、文通はやめます。

(私には、経済、政治、意見が正反対の友人、ペンフレンドはいますが、皆は意見交換の術を知っています。)」

と返事をし、ついでにMさんにニューズウィークのコラムも送りました。

ニューズウィーク 20131210

「雨ニモマケズ」な交流が日中関係を改善する

By 李小牧

http://www.newsweekjapan.jp/column/tokyoeye/2013/12/post-769.php

日中の若者の交流促進に取り組む「日中の未来を考える会」をご存じだろうか。中国人留学生と日本人学生に東北の被災地の現状を知ってもらうバスツアーを企画している団体で、私も11月初めに岩手県への旅に同行した。被災自治体のトップとも会える有益な視察だが、実は訪問先の釜石市で「空飛ぶ中国人」を見て涙を流すという思いがけない体験をした。

 アルコール度数50%の白酒の飲み過ぎで、歌舞伎町案内人の頭がついにおかしくなった......と思わないでほしい。空を飛んでいたのは「奥特曼(ウルトラマン)」などではなく銅像だ。約5㍍の支柱の上に、横たわって何かを求めるように手を伸ばす中国人の像が据え付けられている。見ようによっては、その様子が空を飛んでいるように見える。

 実際、彼は空を飛びたかったのかもしれない。この像は、日中戦争末期に釜石市の鉱山へ強制連行され、厳しい労働環境で酷使され亡くなった124人の中国人労働者の霊を慰めるために73年に造られた。銅像の中国人が手を伸ばした方向はほかでもない、帰りたかった祖国・中国だ。

 尖閣をめぐって関係が悪化してから、日本にやって来る中国人観光客の数は大きく減った。ようやく9月に持ち直したが、まだまだこれまでの減少分を取り返せていない。その最大の原因が、中国人の日本人に対する誤解だ。大半の日本人は、強制連行されて亡くなった中国人の慰霊碑を建てたときの気持ちを忘れていない。なのに、日本人のそんなまじめな態度は中国で十分知られていない。

「コワモテ路線」は正しいのか

 釜石の中国人像の存在も当然、中国では知られていない。日本人もほとんどが知らないから、中国に向かって情報発信することもない。やむなくその溝を埋めているのが多くの在日中国人たちだ。

 先日、日本に住むある女性の微博(ウェイボー)ユーザーが、日本の小学生向け歴史書が侵略の歴史についてきちんと触れていることを紹介。この書き込みは9400回も「転発(リツイート)」された。「歌舞伎町駐在中国大使」を自称する私も、日本の首相11人が70年以来、計23回もアジアの国々に対して謝罪してきたことを微博で伝えた。反響にはもちろん否定的なものも多い。「日本の政治家が『妄言』を繰り返すなら、いくら国民が反省したところで無意味」という感情ゆえだ。

 残念ながら、最近は多くの日本の政治家が「日本がきちんと謝罪してきた」という事実を、「こんなに謝ってきたのに、まだ謝り足りないのか」という文脈で発信している。これでは溝は埋まらず、むしろ深くなるばかりだ。

 先週、日本の経済団体トップと中国の汪洋(ワン・ヤン)副首相が面談した。両国関係はいい方向に流れが変わりつつある。好転の理由は中国の歩み寄りだ。中国が歩み寄るのは、日本企業が万一撤退すると、1000万人の中国人の仕事がなくなってしまうから。ただこのまま日中首脳会談が実現すれば、日本の政治家たちはコワモテ路線が成功したと誤解しかねない。

 今回の岩手ツアーで花巻市の宮沢賢治記念館を訪れたとき、宮沢賢治と中国の意外なつながりを聞いた。彼は著作が生前ほとんど出版されず、死後に認められた作家として知られているが、日中戦争さなかの1941年、日本文学の研究者でもあった当時の北京大学総長が、有名な「雨ニモマケズ」を中国語に翻訳して出版したという。彼は中国で「漢奸(売国奴)」呼ばわりされることもある人物だ。ただこの詩を訳したのは、日本人の素朴さや我慢強さを伝えるまじめな気持ちからだったと思う。

 歌舞伎町案内人も宮沢賢治に倣って詩を書いてみたい。「雨ニモマケズ、風ニモマケズ、トキニ売国奴ト罵シラレヨウトモ、タダシイコトヲ伝エル、ソウイウ人間ニワタシモナリタイ」──。

さて、中国も日本も、情報があろうとなかろうと、自分が「信じたい」ことしか信じず、自分が「知りたい」ことしか知ろうとしない人達がたくさんいます。

そしてこういう人達は、「自分達が正しい、正義」なのだと譲ろうとしませんが、点でなく線、多角的にものを見れば、これは思い込みに過ぎないと、私は思います。

(そして、研究者でもない限り、その思い込みは、教わったり、メディアおよび政府から仕入れた情報から仕入れたものでしかないのに、皆素直だこと・・・。)

私の好きな作家、堀田善衛の本に『空の空なればこそ』というのがありますが、『空(くう)』は仏教用語にも、旧約聖書の『伝道の書』にもあるそうで、『実体がないこと』を指します。

『実体がないこと』に対して「自分が正しい」と争うことは時間の無駄で、そして内容によっては不幸なことに思えます。

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『永遠のゼロ戦』=零戦を、あなた自身の手で蘇らせて』というキャッチフレーズ

2013年12月12日 | 社会(歴史・都市計画含む)

今日の東京新聞の2ページ目を開いて、凍りつきました。

「少年時代に憧れた「夢」=零戦を、あなた自身の手で蘇らせて-。

週刊 永遠のゼロ戦プラモデル

『永遠の0』にも搭乗する零戦を含めた4機が勢ぞろい!

作って楽しい、読んで楽しい、プラモデル付きマガジン!

かつて日本の少年たちが熱中した「日本が世界に誇る戦闘機・零戦」が、超精密なプラモデルとなってこの冬、復活!『週刊 永遠のゼロ戦プラモデル』は、全巻揃えて付録のプラモデルを組み立てると、航空母艦の甲板を模したパネルに歴代零戦4機、さらに燃料補給車や人物フィギュア付きのジオラマが完成します。

(後略)

これは、紙面約3分の1を占める講談社の広告です。

映画の『永遠の0』(原作はさすがに、『永遠のゼロ戦』にするのは憚られたのか・・・)とタイアップしたものとはいえ、こうした雑誌を発売し、こんな文言の広告を出す講談社の方は、零戦で殺された人、零戦とともに特攻隊として死ななければならなかった人、その家族のことを考えて欲しいと思います。

『零戦』を『B29』に置き換えてみれば、その異常さに気が付くでしょう、普通の感覚の人なら。

零戦賛美-ミリタリー、戦闘機マニアはどの国にもいて(石破自民党幹事長もそうですね)、100歩譲って、“戦闘機”そのものは『作品』と考えれば罪はないのかもしれません。

(人殺しの道具のマニアなど、私には人間的に何か欠けているように思えますが・・・。)

そして、戦時中、「戦闘機に乗り、お国のために戦いたい」と心から願っていた子ども達がいたのも本当なので、『少年時代に憧れた「夢」=零戦』と書くのも、嘘ではないでしょう。

しかし、彼らは洗脳されていて、その洗脳を行ったのは、『日本政府』でした。

こうした、零戦美化広告は、さすがに今までは載せたくても載せられなかったのではないでしょうか。

今、自衛隊の広報活動も益々盛んで、アイドルが自衛隊の格好をしたり、自衛隊のアイドルもいると言います。

これも、昔はなかったことです。

『洗脳』が怖いのは、じわじわゆっくりされるということです。

それにしても、東京新聞、お得意様を失いたくないのはわかりますが、反戦を唱えているのであれば、さすがにこの広告だけは断って欲しかった、と思います。

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悪の凡庸さ(陳腐さ)

2013年12月10日 | 人物

週末の東京新聞のコラムです。

東京新聞 2013127

おびえて暮らす

By 木内昇

作家・小林多喜二は思想犯と目され、投獄の果てに若い命を散らした。戦時中、与謝野晶子『君死にたまふことなかれ』を読んだだけで検挙される者があったと聞く。女優の沢村貞子も劇団員時代、治安維持法に引っかかり、獄中生活を送っている。だが多喜二の「蟹工船」は未だ熱烈な支持を受け、与謝野晶子の歌集も読み継がれている。沢村貞子は名優として名を馳せた。

では、それを規制し検閲し弾圧した側の人間はどうだろう。“彼”は本来、統制を好まなかった。ただそれは彼の職務であった。見逃せば、自身が組織から排斥される。彼にも養うべき家族があるのだ。どこからどこまでが規制なのか、漠とした基準がない中で、彼は見に周りすべてに神経を尖らせていく。犬の鳴き声に、酔っぱらいの鼻歌に。戦地に送られる息子に「死んでくれるな」という母にも。次第に彼の、人としての感覚や良識は鈍磨していく。

いずれ時代は移り、彼は仕事を退く。あるとき家族の集まった座で幼い孫が問う。

「おじいさんはどんな仕事をしていたの」。家族は慌てて話題を変え、彼はうつむく。あれは俺の意志でない-だが彼の身体は鮮明に覚えている。自分のなした非常な行いを、吐いた暴言を。

国家的な規制は、一旦はじまると範囲を広げ、エスカレートしていく。その刃は必ず弱いものに向けられる。けれど真の悲劇は、規制する側にこそ訪れるのではないか。人生を丸ごと権力に乗っ取られるという悲劇である。

このコラムを作者は、おそらくハンナ・アーレントを意識して書いたものでしょう。

(ハンナ・アーレントの映画が上映中ですが、この予告編です。

http://www.youtube.com/watch?v=WOZ1JglJL78 )

「「ユダヤ人虐殺は自分の意志でなく、(職務に従順であろうとして、)命令に従ったため」と言い逃れをしているナチスの高官アイヒマンを擁護した」と、アーレントはユダヤ人や友人達から裏切り者扱いをされました。

ユダヤ人であり強制収容所を体験しているアーレントは、当然アイヒマンを擁護したのではなく、「誰もがアイヒマンに成りえる」と言う可能性を示唆しただけでした。

さて、「本来の自分の価値観を押し殺して権力者(もしくは多数派)に従ううちに、権力者の手先となってしまう」というのは、役人や警察の国家の監視だけに限らず、サラリーマン、そして小学生の世界でさえ、あると思います。

「小学生」と言いましたが、一番わかりやすいことで言えば、『苛め』。

『苛め』に加担している子ども達は、それがよくないことだとわかっていても、反対すると自分がターゲットになるから苛めをしている子に対し注意もしないで、傍観者や加担者になっていく。

126日のブログ、『安倍首相とヒトラーの手法、マルティン・ニーメラーの過ち』

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20131206

のなかでは、「自分の鬱憤晴らしや自己利益のために権力者を怪物にしてしまう人達」について書きましたが、これら、『思考の停止』をしてしまう人達(せざるを得ない人達)は、最後まで意思が独立できない分、厄介なのかもしれません。

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NHK松本会長退任、15年は安倍首相が喜ぶ長州藩の大河ドラマ

2013年12月07日 | 

NHKの今年の大河ドラマ『八重の桜』は会津藩の新島八重が主役。

これは東日本大震災があったことも関係していたと思いますが、それでも、安倍首相初め長州閥の面々は気に食わなかったことでしょう。

平成15年の大河ドラマは、吉田松陰の妹が主人公らしいですが、NHKも長州閥に完全に牛耳られていくのを今から感じます。

東京新聞 (2013126日)

「安倍色人事」外堀埋める NHK松本会長退任へ

http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2013120602000189.html

NHKの松本正之会長が五日の定例会見で、続投の意思がないことを表明した。会長の任免権を持つ経営委員会に、「お友達人事」といわれる新任メンバーを送り込んだ安倍晋三政権。突然の退任表明は、政権に外堀を埋められたからという見方が広がっている。 (前田朋子、藤浪繁雄、中村信也)

 五日は年内で最後の定例会見。松本氏は会長を続投する意思を聞かれ、慎重な言葉遣いながらも退任する意向を明らかにした。

 NHK関係者の一人は「自分の意思で退任を決めたというように繕った」とみる。松本氏が就任したのは民主党政権下の二〇一一年一月。就任を内諾した私立大の前トップが拒否した混乱を受け、JR東海副会長だった松本氏が引き受けた。自民、公明両党が政権を取り戻すと、菅義偉(すがよしひで)官房長官を軸とした官邸主導で、日銀総裁や内閣法制局長官など次々と人事を入れ替えた。

 菅氏は第一次安倍内閣の総務相で、受信料の値下げなどをNHKに求めた。松本氏は満額ではないものの値下げを実現し、国会で高すぎると問題視された職員給与にもメスを入れた。二〇一三年度上期には受信契約総数が三千八百四十九万件と過去最高になるなど、「マイナスが見つからない」(NHK幹部)という業績を挙げた。

 経済ジャーナリストの町田徹さんは「いずれも今までの会長ではできなかったこと。政権の意向をくんだ会長では誰であれ、NHKは一つになれない。予算や人事を国会に握られ、自由じゃないNHKがますます萎縮する」と、国営放送ではない、公共放送としてのNHKを憂える。

 松本氏はなぜ、突然退任を表明したのか。「首相の信任が厚い菅氏に外堀をどんどん埋められ、外から連れてこられた人として、ドロをかぶってまで続投する必然性はないと判断したのだろう」とNHK関係者は話す。

 安倍首相の財界ブレーンの一人は「原発とかオスプレイとか、NHKの放送がひどいと聞いている。ほかの国の国営や公共放送で、あんなに政府をたたくことはない」と批判。「NHKの病巣は深いみたいだから、外から会長を持ってくるしかない」と話す。

 先月三十日、奈良市であった「語る会」。視聴者から「報道やドキュメンタリーが左翼的、反日的なプロパガンダの場になっていいのか」との声が出た。NHK関係者は「視聴者側にまで官邸の手が回った、と松本氏が思ったとしてもおかしくない」と話した。

経営委「年内に選任を」

 NHKの会長は、経営委員十二人のうち、九人以上の賛成で決まる。松本正之会長は有力な候補者の一人とされていただけに、新会長人事の見通しは不透明だ。

 十一月に国会同意を得た新委員のうち、作家の百田尚樹氏と日本たばこ産業(JT)顧問の本田勝彦氏は欠員補充のために既に委員に就任。今月十一日には、埼玉大名誉教授の長谷川三千子氏と海陽学園海陽中等教育学校長の中島尚正氏が加わる。四人はいずれも安倍晋三首相に近いとされる。

 経営委に設けられている「指名部会」は、「公共放送としての使命を十分に理解している」「政治的に中立である」など、会長の資格要件六項目を決定。浜田健一郎委員長(ANA総合研究所会長)は先月三十日、奈良市で行われた視聴者との会合終了後、「年内に選任を終えたい」と明言。一方で、経営委員一人一人が会長候補者を推薦できるため、「(候補者が)何人になるのか見えない」とも話しており、臨時会合の開催も視野に、選任を急ぐ方針を示している。

(後略)

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安倍首相とヒトラーの手法、マルティン・ニーメラーの過ち

2013年12月06日 | 人物

現在の日本とナチスドイツの時代が重なります。

最初はナチスを受け入れ、後に反ナチ運動家となって、自らも収容所送りになった神学者のマルティン・ニーメラーの『彼らが最初に共産主義者を攻撃したとき』から:

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、

私は声をあげなかった

私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、

私は声をあげなかった

私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、

私は声をあげなかった

私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき

私のために声をあげる者は、

誰一人残っていなかった

(※実際には彼は、ユダヤ人の迫害が始まったとき、何もしなかったと言うことに言及しています。)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%BC%E3%82%89%E3%81%8C%E6%9C%80%E5%88%9D%E5%85%B1%E7%94%A3%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E8%80%85%E3%82%92%E6%94%BB%E6%92%83%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%A8%E3%81%8D

ニーメラーですが、彼と一緒に強制収容所にいたLeo Stein(政治犯ではなくてユダヤ人としての囚人でしょう)が、彼に「なぜ最初にナチを支持したのか」と聞いたとき、こう答えたそうです。

I find myself wondering about that too. I wonder about it as much as I regret it. Still, it is true that Hitler betrayed me. I had an audience with him, as a representative of the Protestant Church, shortly before he became Chancellor, in 1932. Hitler promised me on his word of honor, to protect the Church, and not to issue any anti-Church laws.

He also agreed not to allow pogroms against the Jews, assuring me as follows: "There will be restrictions against the Jews, but there will be no ghettos, no pogroms, in Germany."

I really believed, given the widespread anti-Semitism in Germany, at that time?that Jews should avoid aspiring to Government positions or seats in the Reichstag. There were many Jews, especially among the Zionists, who took a similar stand. Hitler's assurance satisfied me at the time.

On the other hand, I hated the growing atheistic movement, which was fostered and promoted by the Social Democrats and the Communists. Their hostility toward the Church made me pin my hopes on Hitler for a while.

I am paying for that mistake now; and not me alone, but thousands of other persons like me.

つまり、ルーメラーは、①「教会やユダヤ人に圧力や危害を加えない」というヒトラーの約束を信じ、そして②ドイツに無神論者が増えることを苦々しく思っていたが故、無神論を駆り立てていた社会主義者や共産主義者を弾圧するヒトラーを支持した、と答えます。

そして、「私は今過ちの償いをしている、そしてそれは私1人ではなく、同類がたくさんいる」と。

さて、ニーメラーの過ちとはなんだったのか-彼の最大の過ちは、「ユダヤ人を迫害するとは思っていなかったのでナチスを支持してしまった」ことではなく、「社会主義者たちへの自分の鬱憤を晴らしてくれたナチスを支持してしまった」というところにあると思います。

今の日本には、ニーメラーと同じような過ちに気が付かない輩が大勢います。

安倍政権が公約を反故にしたり、本当は時間をかけて審議しなければならない法案を(『造反者』を脅したり野党の委員を自分の党の議員に挿げ替えたりしながら)無理やり可決したりしても、「中国や韓国が嫌いだから、彼らに強く立ち向かえる安倍首相はかっこいい」「自分達を有利にしてくれる」と、盲目的、短絡的な人々。

こうした大勢の『過ちに気が付く前のニーメラー』に支えられた日本のヒトラーやナチスの高笑いが聞こえてくるようです。

(そいえば、消費税アップが決まったときに、安倍首相は「増税したのは自分だから、好き勝手に使う」といった趣旨の発言をしたとか・・・。)

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Turin, Miran,Munich, Zurich, Prague・・・はどこ?

2013年12月04日 | 異文化

私はもうペンフレンドを増やす気がなかったのですが、先月またエミリア・ロマーニャに住む、48歳のイタリア女性と文通をすることにしてしまいました。

彼女の名前はクラウディアさん。2人の男の子のお母さんで、子どものころ見た本で東アジアの図鑑を見てから東アジアにあこがれ、その後、日本のアニメや本、映画がきっかけに日本全般に興味を持つようになり、今はインターネット他、日本語堪能のイタリア人の大学生から日本語を学んでいます。

そんな彼女からのメールは、3分の2が英語、残りが日本語。

先日の彼女のメールには、フィレンツェの日本フェスティバルに行った話が書かれていましたが、固有名詞である地名や名所名が、

「フィレンゼ」

「ポンテヴェッチオ」

「ピアッザデッァシニョーリア」

「サンタマリアデルフィオレ」

「ムセオアィナリ」

となっていたので、普段頼まれない限り添削をしない私も、これらについて一般的に使われている日本語読みに添削して返しました。

ところで、この中の「フィレンゼ」は、Firenzeをそのまま変換した結果でしょうが、彼女は日本人が欧州の地名を英語ではなく現地読みにすることを知っていたのでしょうか。

トリノのペンフレンドのファビオさんが、最初に私にメールをくれたとき、

“I live in Turin.” と書いてきたので、私は彼がどこに住んでいるのか、調べるまでわかりませんでした。

チュリンはトリノの英語読み。(元はピエモンテ語)

フィレンツェが英語でフローレンス、ヴェネツィアが英語でヴェニスになることは頭にあっても、トリノが英語でチュリン、ミラノがミランというのまでは頭が働きませんでした。(「ミラン」はサッカーチームのおかげでよく知られるようになりましたが・・・。)

これはイタリアの地名に限らず、ミュンヘン、ケルン、ウィーン、チューリッヒ、ジュネーブ、プラハ等々、非英語圏の地名で、英語読みにされると戸惑うものがいくつかあります。

また、フィレンツェに話を戻せば、以前ルフトハンザのサイト(英語版)で、フランクフルトからフィレンツェへの便を検索しようとして、一機も検索できないことがありました。

なんのことはない、Firenzeではなく、Florenceと入力しなければならなかったからでした。

(ドイツ語版からの検索はドイツ語のFlorenzのみの対応か?

エールフランスの英語版は、Firenzeでも対応してくれた気がしましたが(フランス語でフィレンツェは、Florence(フロランス))、確かではありません。

英語が国際共通語であっても、アルファベットを使用する国は、地名は現地の綴り(内名)を使ってくれれがよいのにな・・と思ってしまいます。

さて、趣旨は違うのですが、ちょうど英語表記について触れているコラムがありましたので、リンクと抜粋を貼り付けます。

ニューズウィーク (2013122日)

道路標識の英語化は「おもてなし」にならない

By スティーブン・ウォルシュ

http://www.newsweekjapan.jp/column/tokyoeye/2013/12/post-765.php

(前略)

先日の新聞に、国土交通省が東京五輪に向けて、道路案内標識のアルファベットをローマ字表記から英語表記に変えようとしているという記事が載った。ただし、記事の書き手はひどく混乱していた。英語表記の新標識も、英語圏の人間には理解できないと主張する外国人居住者に出会ったからだ。

 実は"The National Diet"が何を意味するか、英語を母語とする人でピンとくる人は多くない。たぶん、彼らは日本食に関係する何かだと連想するだろう。これは大変だ! 旅行者がみんな迷子になったら、日本はおもてなしの本場を名乗れない。

 ローマ字と英語のどちらがいいか、明確な答えはない。小学校3年生の私の娘は最近、カタカナをローマ字で書く方法を学んだ。娘は最初のうち、英語で知っている単語や自分の姓のローマ字表記に混乱した。ローマ字表記にすると、英語では間違ったつづりになる(例えばプールはpûru)。

 それでも、娘は「面白いね」と言っただけだった。日本を訪れる旅行者の多くも、同じ反応を示すだろう。道路標識に"The National Diet Main Gate"ではなく、"Kokkaiseimon"と書かれていても、誰も不親切とは思わない。それどころか、"Kokkaiseimon"という表記には大きな利点がある。日本の人々と話すチャンスが広がるのだ。

 現地の言葉をいくらか学び、地元の人たちと交流することは、「本格派」の旅行者にとって大きな楽しみの1つだ。道に迷ったりトイレを探したりするのは、地元の人々と話をするいい口実になる。日本人にとっても、「ナショナル・ダイエット・メイン・ゲートはどこですか?」より「コッカイセイモンはどこですか?」と聞かれたほうが答えやすい。

(後略)

日本の道路標識ですが、私もむやみやたらとローマ字表記を英語表記に直す必要もないのではないか、と思います。

ただ、(日本橋、京橋などの地名ではない)『~橋』や、『~公園』『~寺』『~通り』などを英語に変えるのは「あり」でしょうが。

(英語圏の人や英語ができる人ばかりが日本に来るわけでもないし、本当に、外国人から道を尋ねられて答えられない日本人が増えてしまいそう。

パリのタクシーで「北駅」と英語で行き先を告げても通じないので、日本人だけが肩身の狭い思いをしなくてもよいかも。)

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長州閥の野望2

2013年12月03日 | 社会(歴史・都市計画含む)

前回の『長州閥の野望』に頂いたコメントへの私の返事を貼り付けます。

Can蛙さん、ご丁寧にご連絡ありがとうございます。

長州閥について、安倍一族でもある、鮎川義介を調べると、もっといろいろなことが見えてきます。

満州~原発問題、治安維持法と特別秘密保護法案。

正力氏とのつながり、中曽根康弘元首相と長州閥の接点も。

以下は中でも興味深いものでした。

『平太郎独白録
現代も生き続ける長州閥の恐るべき閨閥形成への貪欲性』

http://heitaroh.exblog.jp/7690859

明治天皇替え玉、イギリスやアメリカ、ユダヤ団体との繋がりの話は確かめようがありませんが、日本のボルジア家並の野望が長州閥にはある気がします。

そういえば、子どもの頃、伊藤博文や岩倉具視が紙幣に使われていたことが不思議でしたが、繋がりました。

(長州とは関係ない新渡戸稲造はですが、彼はフリーメーソンがらみ、という説がありますね。)

山口出身者は政治家(主に自民党)だけでなく、官僚にも多いようです。

日立、東芝ほか、財閥系との繋がりも強そう。

また、長州出身者の政治家や実業界の大物(安倍一族筆頭)には戦犯もいましたが、多くが放免されたのは、「米国との裏取引があったから」と考える方が自然な気がします。

いずれにしても、『歴史教科書』に書かれていることは本当にごく一部であり、真実は教科書に頼ったりしているだけでは見えてこないでしょう。

(まあ、長州閥にせよ、個人にせよ、罪もありますが、功績もあったことは事実ではあります。)

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長州閥の野望1

2013年12月01日 | 社会(歴史・都市計画含む)

20072月、第一次安倍内閣のとき、中曽根元首相はジャパンタイムズへの寄稿文の末尾に、こんなことを書きました。

What Abe should do now is add some color to the banner of mainstream conservative politics. He might be criticized as a “rightist” or a “nationalist,” but unless he transcends such criticism, he won’t be able to solidify the foundation of his administration. Underpinning his proposal to create a “beautiful Japan” are the historical and cultural traditions that form the basis of Japan’s identity and the innovative spirit in which pioneers of old carried out the Taika Reform (645) and the Meiji Restoration (1868).

Abe hails from the western prefecture of Yamaguchi, which was formerly called “Choshu.” The political history of modern Japan shows that men from Choshu achieved great things by virtue of perseverance. I strongly hope that Abe, a Choshu man who inherited this virtue, will come through the difficult political situation he faces today.

(http://www.japantimes.co.jp/opinion/2007/02/10/commentary/shinzo-abe-at-a-crossroads/

安倍首相が、近代日本の礎を築いてきた“長州人”であることを強調し、だから期待すると。(ま、このあとすぐ、「お腹が痛い」と言って、安倍首相が辞任してしまったわけですが・・・。)

さて、この長州人ですが、安倍首相自身も自己アピールするのに使います。

3本の矢の話も長州藩がらみですし、彼が描く日本というのも、長州藩の考え方そのまま。

そして、靖国参拝に拘るのも、実は・・・

IWJ

祖父から教えられた「ヤスクニ」と長州藩中心に形成された「靖国」とのはざまで(<IWJの視点>平山茂樹の「ニュース下から目線」:IWJウィークリー13号より)

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/96143

(抜粋)

大鳥居をくぐり、少し歩くと視界に入るのが、大村益次郎の銅像だ。

 靖国神社のほぼ中心に立つ銅像が、長州藩出身で、日本近代陸軍の創始者である大村益次郎であることは、いったい何を意味するのであろうか。

 大村益次郎は、後に初代総理となる伊藤博文や木戸孝允、高杉晋作、井上馨らとともに戊辰戦争を戦い、天皇をかつぐことで江戸幕府を「朝敵」として「成敗」した、長州藩の軍事的リーダーだ。明治維新以後、大村は、国民皆兵や兵学校の設置による近代陸軍の青写真を描いていたとされる。大村の死後、その思想を受け継ぎ、明治3年に徴兵令を発布したのが、大村と先輩・後輩の仲であり、初代陸軍卿に就任する山県有朋であった。

 靖国神社設立の起源を調べてみると、やはり長州藩にいきつく。1865年、長州藩が奇兵隊の死者を祀るために建立した桜山招魂社が、靖国神社の起源である。その後、禁門の変、戊辰戦争などで戦死した長州軍の兵を合祀。明治維新後、明治天皇の上京にともない、天皇の錦の御旗が与えられることで、官幣の神社として靖国神社が設立された。

 以上の経緯を踏まえると、靖国神社は、明治維新以降、実権を握った長州閥の意向が色濃く反映された神社だと言える。事実、会津藩家老を先祖に持つ右翼の大物・田中清玄は、靖国神社を「長州藩の守り神にすぎないもの」と切り捨てたという。

長州藩出身者の美学にあわなかった大正天皇なども抹消された存在のようなもの。

安倍首相の家系から4名の首相と首相候補が出ていることもすべて、明治維新から今に至るまで、日本には『長州閥(軍閥)』が健在、ということではないでしょうか。

系図でみる近現代

安倍晋三

http://episode.kingendaikeizu.net/7.htm

追記: 山口県でも長州藩ではなくて岩国藩だった岩国市の扱いは、ご存知のとおりです。

原発を福島にたくさん作ったのも、会津藩が敵だったからですかね。

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