Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

飛行機に預けたスーツケースから消えたスーツケースベルト

2022年12月21日 | 旅行

飛行機に乗る際、キャリーケースにバンドをつけて預けたけれど、到着後には消えていた<空港トラブルエピソード> | TRILL【トリル】 (trilltrill.jp)

初めてアメリカに旅行したときのこと。 キャリーケースにバンドをつけて預けていましたが、到着後に届いた荷物はバンドが消えていました。 ドキドキしながらバゲージクレームの場所に行き、拙い英語で説明をしたところ、言われた言葉が「私たちは荷物に責任は負うけど、バンドには負いません。(何もしません)」でした。海外の洗礼を初めて受けた出来事で、いまだに忘れられません。 (32歳/会社員)

 

2012年は、大学生の私の息子もつれてドイツ、イタリアを旅行しました。

このとき、フランクフルトからフィレンツェに移動し、ターンテーブルで荷物を待っている間、息子がつけていたスーツケースベルト(バンド)とよく似たベルトをつけたスーツケースが回ってくるのに気が付きました。

乗ってきた飛行機には日本人は私たち(総勢4名)のほかに、二人くらい。
息子のスーツケースは義母のスーツケースでベルトもそのまま借りたもので、「有名メーカーものでないのに、海外でも同じようなものが売っているんだな」と思いながらも4人は荷物をピックアップして、そのまま空港からホテルまでタクシー移動。

ホテルに着いたとたん、息子が、

「僕のスーツケースのベルトがない!」

普通だったら飛行場で荷物を引き上げた時気が付くのに、うっかり物の息子はベルトのあるなしに気が回らなかったよう。

あのターンテーブルの上の他人のスーツケースについていたベルトこそ、息子の(義母の)ベルトだったのでしょう。

息子が緩くベルトをつけすぎたのか、セキュリティで邪魔なので係員がベルトを取ったのか、そのどちらかで、「べルトを間違って他のスーツケースにつけられた」と考えるのが妥当そう。

はるか昔にスーツケースの鍵が開いてベルトでどうにか全開を免れたことがある私は、旅行中スーツケースベルトを探して購入しました。

(リナシェンテ(デパート)にスーツケースやベルトが売っていました。おそらく空港ではベルト位であれば日常茶飯事、荷物を壊されたりもよくあるのでしょう。

フィレンツェにはスーツケースや荷物をビニールテープでぐるぐる巻きにしてくれる商売がありましたが、見ていた限り、スーツケースを巻いてもらったのは、ブランド物のようなスーツケースを持った北アフリカまたは中東系の若い女性だけ、一緒に行った友人もそれを見てビニールを巻いてもらいましたが、それはスーツケースでなく、お土産の段ボールを乗せたカートの方でした。)

 

飛行機でスーツケースを壊されてまるごと弁償してもらった友人は2人(ルフトハンザ、フィンランド航空)いますが、スーツケースが閉まって雨水がしみ込んだりしなければ補償もされず泣き寝入りが普通なんでしょうから(←ANA便利用でスーツケースのキャスターのタイヤを支える部分に1センチくらいの穴が開いての問い合わせによる。)、ベルトは当然補償もされないでしょう。

 

スーツケースを紛失されないだけまし、と思うべきか。

 

参考:

80年代の冬ヒースロー空港で - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

日本とドイツのホテルのサービスの差 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

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フランスのペンフレンドが楽しみにしている祖谷旅行・祖谷の小便小僧とアレックス・カ-

2020年11月19日 | 旅行

毎年のように日本を訪れているフランスのペンフレンドが、来年の秋に徳島の祖谷(いや)への旅行を考えていると知らせてくれました。

もちろんコロナが収まらない限りは、フランスから日本にやってくるということ自体が難しくなるかもしれませんが、数年前から日本の観光地の劣化をなやんでいる彼女たち夫婦には、好ましい訪問先であると思います。

(私自身行ったことがありませんが、そのうち訪れようと考えていたところです。)

 

ところでこの地で小便小僧が一つの観光スポットとして表れているようですが、アレックス・カー氏ほか、この地を訪れた外国人たちの動画からも小便小僧を映したものを(たまたま)私は観た事がなかったので、新しく作られたスポットなのかと思い確認してみました。

日本三大秘境 徳島県祖谷(いや) 崖の上に立つ小便小僧に会いに行こう!
https://japan-web-magazine.com/recommended-tourist-attractionst-tokushima-iya-shoben-kozo

に、写真とともに、

高所恐怖症の方には「ありえない」ようなそんな場所、崖の上に一人たたずむ「小便小僧」は、祖谷街道の建設の際に残った岩の上に立っています。崖の上にせり出すようにある岩の上では、かつて周辺に住んでいた子供たちや通りかかった旅人達が、度胸試しの為に上に乗ったり、飛び跳ねたりしたそうで、この「小便小僧」はそんな逸話を元に1968年に作られたもの。

という説明があるので、どうやら1968年からあるようです。

(蛇足ですが、私が赤ん坊のとき、何を思ったか、父親が小さな庭に「小便小僧」の陶器を買っておいていたことがありました。結局壊れてすぐ撤去するはめになったのですが、「小便小僧」は60年代にはやっていたのでしょうか。)

しかし本当に1968年に小便小僧が設置されていたとしても、やはりそれを「観光名所」とするのは人によっては「興ざめ」になるのではないか(日光東照宮の三猿の修復が、元のものと違って漫画チックになっても違和感を感じない人達のような観光客にはうけますかね。)、と思いはします。

こちらはABC Internationalが2018年に作った祖谷プラス周辺の動画。
https://www.youtube.com/watch?v=8VnP4LN-278

こちらがyoutuberたち(後者はケーブルテレビ?)が同じく2018年に作った動画です。

https://www.youtube.com/watch?v=ztg_Js5uRX0

https://www.youtube.com/watch?v=hp9TxoHN1MA

 

それにしても、日本の観光業に外国人のアドバイザーとして相応しいのはデービット・アトキンソン氏のような人より、アレックス・カー氏のように日本の美を知っている人なのではないのでしょうかね。

日経ビジネス(2019年8月22日)
「観光公害は受け入れ側の問題」、アレックス・カーがほえる!
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00069/081600003/

New Life for old towns sustainable tourism : Alex Karr at TEDxkyoto 2013
https://www.youtube.com/watch?v=kLRanIhp2jg

日光東照宮の修復の惨状も責任をとらず、宮大工を生産性で語りるデービッド・アトキンソン氏。一度アレックス・カー氏と対談してほしいです。

(2017年の記事で、アトキンソン氏の「高級ホテル50新設」を書きましたが、観光地が魅力が無くなれば人は来なくなりますが、建ててしまえばよいのかな。そもそもホテル側は世界各国でコロナで痛手をおっていますが、「大ホテルの新設」が延期したりして痛手を負ったところはないのか。

https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/6c5bddc54925d9737c9211e0fbe97882

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新型コロナウィルスと“デカメロン”の国イタリア・ボッカチオが住んでいたチェルタルド

2020年03月15日 | 旅行

さすが、『デカメロン』が書かれた国、イタリアです。

新型コロナウィルスパンデミックで一番痛手を受けている国ですが、彼ら、彼女たちは歌い、演奏し、踊ります。

「過剰な恐怖や不安」に支配されることを拒みます。

Coronavirus outbreak: Italian residents join together to sing from balconies during lockdown
https://www.youtube.com/watch?v=x_rLw6SCSmE

Coronavirus: a Firenze i dipendenti Coop.fi cantano l'Inno d'Italia
https://www.youtube.com/watch?v=gy1qnjpy02o

Florence
Coronavirus: neighbours play instruments from balconies as Italy stays under lockdown
https://www.youtube.com/watch?v=k7bobc-vRbQ

Coronavirus, la tromba che commuove Milano suonando "O mia bela Madunina"
https://www.youtube.com/watch?v=wOYNRs_Z8Sg

Torino si affaccia alla finestra contro il Coronavirus Covid-19
https://www.youtube.com/watch?v=5_84FAm6P30

 『デカメロン』といえば、本当の気まぐれで訪れたフィレンツェ近郊の町が、作者ボッカチオが住んでいたチェルタルド。

実は私のブログのプロフィールの画像(色合いだけを使いたかったので、画像をぼかすために鮮度を非常に落としています。)は宮殿の最上階の部屋にあった、‟張りぼてのドレスを着た女性”です。 今もありますかね。

ただいま!
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/84ddbc7bcaf391bb39ad3944ddc0c679

抜粋:

今回の旅行で訪れた場所は、数回目のところも初めてのところもどこも良かったのですが、フィレンツェとシエナにあるチェルタルドという村が、ある意味私にとっては一番印象に残った村でした。

観光地よりも小さなヨーロッパの古い街並みが残る村や町を歩くのが好きな私は、「フィレンツェ近郊で1時間以内に電車で行けて、駅からの移動が楽な村はないか」と当たりをつけてグーグルマップで検索で発見した村がチェルタルド。

抽出後にインターネットで検索したところ、この村がデカメロンの作者のボッカチオが晩年を過ごしたところであることや、群馬県の甘楽町と姉妹提携していてこの村に、甘楽町が茶室を寄贈していることも知りました。

駅からもケーブルカーがあって旧市街にも行きやすいし、中世の村にある茶室とやらも観てみたい」と出かけたところは、想像以上に素晴らしい。ケーブルカーを降りたとたん、中世の村にタイムスリップしたような錯覚を覚えるうえ、高台なので遠くにサンジミニャーノの塔も見えるのです。

そしてまた、何よりもここで観光案内所のジュリアナさんという50代くらいの職員の方と知り合えたことが大きいです。

英語を話さない彼女と身振り手振り、英語とイタリア語の単語を並べて、「日本の茶室があるというけど、どこにあるのか?」と質問したことから、俄然彼女はhospitality発揮。

まずは一番のメインである宮殿の階段が修復中で登れないこともあって、ボッカチオ博物館の階段を案内してくれ、一緒に上まで登ってくださり(階段を登る途中、「私は年齢が高いから階段を登るのが辛いの、ちょっと休ませて」というジェスチャー)、サンジミニャーノの方向を教えてくださったり。

更に驚いたことに、ボッカチオ博物館を出た後昼食をしていた私達を探し出し、わざわざ宮殿内にある茶室のある場所まで案内してくださった上、「私はお昼を食べてくるわね」と別れたのに、宮殿を出ると私達を宮殿の出口で待っていてくださったこと。

ジュリアナさんは英語をほとんど理解しないので、日本のキャラメルと一緒に英文の手紙を書いて彼女に手渡してきたら(同僚で英語ができる人がいる)大変喜んでくれました。

短時間であれ彼女といると非常に心安らいだこともあって、彼女と短時間でお別れは名残おしい・・・再会を約束しました。

再会・・・なかなかできませんが、彼女もバルコニーで歌っているでしょうか。

ボッカッチョゆかりの地チェルタルドに行ってみた!CERTALDO in ITALY
https://www.youtube.com/watch?v=bUTYhuHH2RY

Certaldo Fi
https://www.youtube.com/watch?v=5-bYlWABCPU

参考:

末廣医院
医療の歴史(6) ペスト大流行、デカメロンと検疫
https://www.suehiro-iin.com/arekore/history/6.html

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スペインPeñaranda近郊の修道院とアルザスのモン・サン・オディール修道院の動画

2016年05月25日 | 旅行

スペインのベゴーニャさんが、先週旅行に行ってきた町の写真が載ったリンクと、隣町の修道院の動画のリンクを送ってきてくれました。 

Peñaranda: 
http://www.topriberadelduero.com/en/towns/penaranda-duero-ribera-burgos 

Monasterio de Santa María de la Vid (Agustinos-Burgos-España)
https://www.youtube.com/watch?v=6mDyooMOIzA 

私はクリスチャンではないのですが、海外の大聖堂や修道院を訪問するのが好きです。 

今まで行った修道院の中で一番印象に残ったのは、フランスアルザス地方にある、モン・サン・オディール。 

Le couvent du Mont Sainte-Odile - Région Alsace - Le Monument Préféré des Français
https://www.youtube.com/watch?v=sgpOZpnB8Mw

HP
http://www.mont-sainte-odile.com/ 

また行きたいな・・・。 

オマケ: 

アルザスの山中の名所として、もう一つ-古城です。 

Alsace : le château du Haut-Koenigsbourg
https://www.youtube.com/watch?v=ec3QjpVDyZA

HP
http://www.haut-koenigsbourg.fr/fr/ 

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Transportation passes in Japan

2016年03月07日 | 旅行

To my foreign friends (and other foreign people) who are planning to travel Japan.

Japan Rail Pass (You need to buy it in your country.)
http://www.japanrailpass.net/en/index.html
http://www.japanrailpass.net/en/about_jrp.html 

7 days   ¥29,110.-
14 days  ¥46,390.-
21 days  ¥59,350.- 

(The JAPAN RAIL PASS is not valid for any seats, reserved or non-reserved, on “NOZOMI” and “MIZUHO” trains on the Tokaido, Sanyo and Kyushu Shinkansen lines. (The pass holders must take “HIKARI,” “SAKURA,” “KODAMA,” or “TSUBAME” trains.) If you use a “NOZOMI” or “MIZUHO” train, you must pay the basic fare and the limited express charge, and for a Green Car, the additional Green Car surcharge.
In addition, if you use the GranClass car of the Tohoku Shinkansen and Hokuriku Shinkansen, you must pay the limited express charge and the GranClass car surcharge.
Note also that passengers using JR trains on non-JR lines must pay additional fares and charges for sections traveled on such lines. Some JR trains use the lines of private railways for direct services.) 

Other passes-

JR passes
(On Friday, April 1, 2016, the JR EAST PASS will be split into two: the JR EAST PASS (Tohoku area) and the JR EAST PASS (Nagano, Niigata area).)
http://www.jreast.co.jp/e/pass/ 

Tokyo:

Tokyo Metropolitan District Pass (JR only)
http://www.jreast.co.jp/e/pass/tokunai_pass.html
¥750.-/day 

Tokyo Metropolitan District Pass (JR and Tokyo Metoro)
http://www.jreast.co.jp/e/pass/tokyo_free.html
¥1,590.-/days 

JR Holiday Pass Tokyo and its suburbs
休日おでかけパス (Kyujitu Odekake Pass)
 ※ Japanese language only

http://www.jreast.co.jp/tickets/info.aspx?GoodsCd=2093
¥2,670.-/day

Tokyo-Kanagawa:

Odakyu Electric Railway Tanzawa Oyama pass
http://www.odakyu.jp/english/deels/freepass/tanzawa_oyama/ 

Tokyo-Nikko

Tobu Railway Nikko 2 days pass (not including limited express tickets)
https://tobutoptours.com/en/2day-nikko-pass.html

Aichi:

Nagoya Bus & Subway
http://www.kotsu.city.nagoya.jp/english/english_tickets.html

JR Holiday Pass Nagoya and its suburbs
青空フリーパス(Aozora Free Pass)
 ※Japanese language only

http://railway.jr-central.co.jp/tickets/aozora-free-holiday/
¥2,570.-/days 

Kyoyo:

Transportation informantion and Bus/subway passes
https://www2.city.kyoto.lg.jp/koho/eng/access/transport.html

Osaka:

Osaka Amazing Pass 
https://www.osaka-info.jp/osp/en/index.html

Tohoku area:

JR Holiday pass
小さな旅ホリデー・パス(Chisana Tabi Holiday Pass)
※Japanese language only
http://www.jreast.co.jp/tickets/info.aspx?GoodsCd=2061

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ANAの強制24時間前オートチェックイン・「サービス」という言葉を使った合理化

2015年09月12日 | 旅行

昨年2月に息子がフランクフルト経由でヴェネツィアに行ったとき、ANAの往路便の24時間前オートチェックインで大変な思いをした話を、以前書きました。 

ヴェネツィア、ボローニャホテルのエレーナさん/ANAの強制サービス
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/18ef3cc1a84e4e1690bcb77762625a0f

ANAの強制サービス-報告
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/7f1796eaad788caa7645e46fd676dc27 

この時ブログに書いた問題点は、

①    ANAが本人の許可なく勝手にパスポートナンバーなどを登録してしまったこと。

②    パスポートナンバーがシステムにより登録されたことによって24時間オートチェックインの要件を満たしてしまい、復路の(ルフトハンザとANAのコードシェア便のヴェネツィア→フランクフルト便があるのは無視して)自社便のフランクフルト→成田便の方だけ勝手にオートチェックインをしてしまったこと。

(この時息子宛てに届いたメールは、Do Not Printと書かれたバーコード付きのメールには、
「いつもANAをご利用いただきありがとうございます。
ご登録の予約情報をもとに、2月〇日 NH210便/フランクフルト-東京(成田)のチェックインが完了しました。
本メールをスマートフォンで表示いただき、搭乗券としてご利用ください。」 
と書いてありました。

このときANAのお客様係りの担当者は、私の「先にフランクフルト→成田のオートチェックインがなされたままだと、ヴェネツィアの空港ではヴェネツィア→フランクフルト便のみのチェックインをすることになるが、預け荷物は成田までバゲージスルーで届くのか?」という質問にさえ言葉につまり、的確に答えられなかったんです。) 


でした。 

このANAからオートチェックイン完了のメールが自宅のパソコンに届いたのに気が付いたのは、息子がヴェネツィアを出発する数時間前。
オートチェックインをされてしまった飛行機の発着時間は20時15分。日本時間は翌日の4時15分。これが家族用のメールに届いたため、家にいる私も早朝のメールにはすぐ気が付きませんでした。(メールが息子の元に届いていたとしても、こんなメールが届くことを想定していなかった息子は、スマホを機内モードにしたままで読めない。)

慌てて息子に質問と同時にANAのメールを転送しても息子から返事はなく、ホテルのフロントの人に協力してもらって、何とか連絡がつきました。 

(この日は不幸にして、日本は全国的に大雪に見舞われ電線事情が悪く、一瞬電気が消えてしまうことがたびたびありました。停電で消えてしまうパソコンを何度もつけたりする羽目になり、我が家のデスクトップ型パソコンはハードディスクが壊れ、直すこともできない状態になりました。
(パソコンは古いものだったので、買い替え予定があったので良いのですが、突然壊れたため、データを取り出すのに別にお金がかかりました。データが取り出せたからよかったとはいえ、ANAに損害賠償をしたいくらいでした
。)) 

そしてこの時ANAに電話で質問してもとんちんかん、その後メールで苦情をいっても慇懃無礼なこれまた要点を得ない回答だけ。 私はANAの傲慢さに腹をたて、呆れかえりました。

それでも今はあれから少しは改善されているのだろうと調べてみて、以下のブログを発見。 

Traveling man pt2 (2015年5月16日)
ANA国際線の自動チェックインは止められないのか?
http://ameblo.jp/travel-777/entry-12027016454.html 

このブログ記事から約4か月。ANAは今後も改善しないつもりなんでしょうか、ね。 

ANAに限らず、日本では、「サービス」という言葉が、顧客に向けられたものではなくなっていく気がします。

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楽園モルディブの30年後

2014年10月07日 | 旅行

私が最初にモルディブに行ったのは、1983年の暮れから1984年の年始。

モルディブが外国人観光客を受け入れだしたのは1976年からだと思いますが、その頃はまだ日本人にとってはあまり知られていないリゾートで、取り扱っていたツアー会社も限られていました。(ダイヴィングをしている人は、個人で行く人もいたでしょう。)

シンガポール1泊、スリランカ1泊、モルディブ5泊の9日間ツアー。値段も大晦日にかけてということもあって、当時で38万円代。職場の先輩と二人で参加。

私たち以外のツアー参加者は、世界各国を旅行してもう行き場所がなくなったという東京に貸しビルをいくつか持っているという6,70代の男性とその奥様と妹さん、そして名古屋から「従業員たちに年末年始の挨拶に気を使わせたくないから、年末年始は海外で過ごすことにしている」という5,60代の中小企業の社長と奥様だけでした。

モルディブのキャッチコピーは、「地上の楽園」「インド洋の真珠」。

私たちが利用したのは、空港の島からも近い、ヴィリンギリ島という、比較的大きなリゾートの島。

そこには、旅行者の駐在員をしていた20代前半の男性が一人、そして、ダイビングインストラクターとして20代後半の男性が一人、そして私たちツアーの面々しか日本人はおらず、あとはモルディブ人の従業員、欧米人の観光客、東洋系では1名の、タイ人の女性のみ。

海外旅行はそれまで、イギリスとフランス、フィリピンを経験していた私でしたが、小さな島のなかで外国人(ま、ここでは私が外国人ですが・・・)に囲まれて1週間弱過ごす経験は初めてでした。

「昔、軍で日本の八幡に滞在していたことがある」といっていた一人旅のギリシャ人のコスタス小父さんは、いつも気難しい顔をして、一人ぼっち。
お互いがお互いのカメラのシャッターを押すのを頼んだことをきっかけに、言葉を交わすようになりました。

「日本人をホームステイさせたことがある」と言っていたオーストラリアからの旅行のアンとジャック夫妻は、とても素敵なカップル。

ハンサムなスイス人のウィンドサーフィンインストラクターのウーリー、ウォッカの飲み比べをした陽気なイタリア人たち。

現地では、ホテルのオーナーだというディディ(リゾート自体はドイツ資本のものらしいので、「支配人」だったか。)-翌年日本人、さとみさんという女性と結婚するという話を嬉しそうにしてくれたり、大晦日の晩、コテージのカギを持った先輩とはぐれてしまって困っていた私を助けてくれたり。

コテージの電気工事をしに来て、自分が二人目の奥さんをもらうことを嬉しそうに話してくれた電気技師さん。(この人は再訪時に偶然再会)

甲斐甲斐しくお世話をしてくれた、一寸憂いを秘めたまなざしをしていたレストランのボーイさん(名前を失念。再訪のときは、彼はリゾートを去っていました。ボーイさんのラウルさんにその時聞いた話では、「断食中に、冷蔵庫の中から何かを取って食べた」という疑いを受けて辞めさせられたようでした。)。

そのほか、休憩時間に、小さなテレビの前に群がって、ドラマを見ていた従業員の人達や、写真を撮らせてもらおうとすると、直立不動になってしまう素朴な現地の人達。

リゾートは、全室シャワーのみ。シャワーから出るのは一応真水ではありましたが、水しか出ないし、シャワー室とトイレはむき出しのコンクリート。

そうであっても、何かコスモポリタン的な空間と、白いサンゴ礁に囲まれたこの素朴なリゾート-これはまさしく「地上の楽園」でした。

私がこの島を再訪したのは、1985年の春。

(成田に向かうリムジンのなかで新聞を読んでいましたが、トップニュースがこれから向かうモルディブで日本人の保険金殺人事件だったので、驚きました。)

このときは、モルディブは日本人のハネムーンに人気のスポットとなり、日本人も大勢押しかけるようになっていました。

モルディブの人達も近代化(失礼!)していて、お土産やチップ用に持っていったタバコを、以前は皆喜んでくれていましたが、85年には「タバコは体に悪い」と言って断る人も出てきたりしていました。
タバコをお土産に持って行った私(私はタバコは吸いません)が言うのはなんですが、これは喜ばしい変化。

リゾート
の朝食ビュッフェには、お味噌汁も並んだり、品数も豊富になっていました。
(モルディブは、作物が取れないし、牧畜もできないので、ほとんどが輸入もの。鰹は名産品なので、鰹節を使う料理は歓迎だったかも。)

コテージも、シャワーからはお湯が出て、バスタブ付きの部屋もできたり、と、観光客のニーズに合わせて近代化。

この国の旅行客
が増えたのと合わせて、無人島だった島も外国企業によって次から次へと設備を備えた高級リゾートに変わり、観光客も増えていきました。

しかし、2年弱の変化は良いことばかりではなく、リゾートの裏側に行くと、海岸に打ち上げられたペットボトルのごみがたくさんあったり、「ハワイと違って何もなくてつまらない」と愚痴を言う旅行者がいたり。 

「モルディブは裕福になるかもしれないけど、大きな代償も払うのではないか」 

この2度目の旅行も十分楽しんだものの、私のモルディブ熱は急激に冷めていってしまいました。

 

(私が宿泊したリゾートのヴィリンギリは、もうずっと前にリゾートを閉鎖。首都の島マーレからあふれた人達が住む島になりました。)
 

それでも気にはなるモルディブ-「地球温暖化でモルディブが沈むかもしれない」と心配し、日本の企業が水の技術提供(海水淡水化だったか・・)を行っているというのをTV番組で観れば、うれしく思い、政情不安があればニュースをチェックし・・・。
 

この何年もあまりモルディブの記事も目にしなくなっていましたが、昨日、ハフィントンポストにモルディブのタイトルを見つけ開いてみれば以下の記事。
 

ハフィントン・ポスト(2014106日) 

モルジブの無人島とビキニ。しかし、それはゴミでできている 

http://www.huffingtonpost.jp/2014/10/06/alison-teal-visits-the-maldives_n_5938086.html?utm_hp_ref=japan-world

そしてもう一つ、動画も見つけました。
 

AFPBB News 動画 

「地上の楽園」が抱える「毒の爆弾」、モルディブのゴミの島 

http://www.youtube.com/watch?v=tNPueyrj8zI

問題点には目をつむり続け、欲に任せて進み続ける結果、引き返すことができないほど問題を大きくしてしまうことが、世の中には多いです。 

戦争や原発もそう、そして環境悪化。

 

モルディブは今後どうなっていくのでしょうか。

 

モルディブだけではなく、最近、地球が本当に人間の住めるところではなくなってしまうのではないかとさえ思っています。 

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ヴェネツィア、ボローニャホテルのエレーナさん/ANAの強制サービス

2014年02月13日 | 旅行

息子と息子の友人達が、欧州旅行から帰ってきました。

彼らは1泊フランクフルト、4泊ヴェネツィアでしたが、フランクフルトのホテルは皆一緒、ヴェネツィアのホテルは、息子とC君はヴェネツィア本土にあるメストレ駅前のホテル。B君はヴェネツィア本島のサンタルチア駅付近のホテル(もともとは、A君も一緒に泊まる予定でした。)。

ヴェネツィアは、秋、冬は、アクアアルタという高潮による冠水もあるし、そもそもヴェネツィア本島はローマ広場までしか車は乗り入れないこともあり、「英語ができない、個人旅行」の彼らに、万が一のことを考えて私はメストレのホテルを薦めました。

おまけに、今の時期はホテル料金も通常時より安いとはいえ、息子たちの予算にあうホテルでヴェネツィアのホテルに泊まるとなると、「古い、蟹の横ばいで歩くくらい狭い、不便」が重なるのが目に見えたからです。

しかし、B君が「絶対ヴェネツィア本島に泊まりたい」といったこともあり、「本島が魅力だけど、今回はあまり高くなく、清潔、移動が楽ならどこでも良い」という息子とC君はメストレのホテルに滞在。残り2人が本島のサンタルチア駅近くのホテルを予約することになりました。

これは、皆がメストレか本島の同じホテルに宿泊するより、

①サンタルチア駅前は比較的アクアアルタの被害は少ないけど、到着したとき駅前も水浸しということになったときや、帰国日に大きな被害予想があるとき、メストレ組がサンタルチア組のスーツケースを預かることができる。

(※帰国日前日、アクアアルタの被害があり、サンタルチア付近はぎりぎり冠水はしませんでしたが、通路に使う台が設置されたそうです。)

②自動車乗り入れがローマ広場までしかないので、ヴェネツィア本島組はローマ広場から橋を渡ったり道を迷ったりするより、空港⇔メストレ⇔サンタルチア(1駅か2駅、10分~12分、片道1.25ユーロ)という移動をしたほうが楽。(特に雨天)その場合、メストレのホテルでバスの時間などを待っていられる。

③ヴェネツィア本島の観光時、トイレに行きたくなったり疲れたときは、(本島のどこにいるかにもよるけど)メストレ組もサンタルチアのホテルで一休みできる。

というメリットがあるので、一番理想的に思えました。

(A君が旅行に行けなくなったので、B君は1人でホテルに泊まるようになりましたが、そのせいでちょっと度胸が付いたようでした。)

さて、ホテルの息子とC君が泊まったホテルですが、ここは、メストレ駅前にある、ベストウエスタン・ボローニャホテル。

http://www.booking.com/hotel/it/bestwestern.ja.html

ここのホテルは空港バスも近くに泊まるし、部屋はきれいで新しい、スタッフは皆フレンドリーで親切、ということもあって、息子もC君も大満足でした。

しかも、このホテルのフロントのElenaさんという女性、私が息子に至急の連絡を取ろうと思っても連絡がとれず、やむを得ずにホテルのフロントにメールをして伝言を頼んだことが2回ありましたが、共に打って3分以内に「承りました。ご安心を」の返事をくれました。

帰国後、息子にElenaさんの事を聞いたところ、チェックアウトの数時間前の伝言メールでは、わざわざプリントしてくれたメールを部屋まで持っていってくれたり、チェックアウトのときに50セントが足りなかったとき、オマケしてくれたり(たぶん、彼女がポケットマネーで補填してくれたと思う。)、それ以外も大変親切だったそうです。

日本のホテルでさえ、伝言メッセージメールを無視したりするところがあるなか、彼女の心配りに大感激し、「私がヴェネツィアに行ったときも、お世話になります。また、日本にくることがあったら、連絡を」とメールをしました。

(彼女から、はにかんだような、お礼のメールが届きました。)

さて、ついでに、私が伝言メールをすることになった件もついでに。

実は息子たちが利用したのはANA

彼らがメストレのホテルをチェックアウトするおよそ1、2時間前、私のメールアカウントにANAから

「ご登録の予約情報をもとに、2月××日 NH×××便/フランクフルト-東京(成田)のチェックインが完了しました。

本メールをスマートフォンで表示いただき、搭乗券としてご利用ください。」

というメールが届いていることに気が付きました。

(息子の航空券の購入手続きは私がしているため、登録の連絡先は私のメールになっています。)

「旅行に不慣れな息子が勝手に自動チェックインをしてしまった。(注:座席はチケット予約・購入時に指定済。)メールは私に届くし、転送しても使い方もわからないし、おまけにフランクフルト→成田便だけチェックインをしてどうするの!」とあわてて息子にメールをしても、連絡がとれず、それでホテルのフロントを頼ったわけです。

Elenaさんの迅速な対応のおかげで息子からメールが入り、息子は一切オンラインチェックインも何もしていないことが判明。そしてB君もC君も、何もしていないのに、1便のみのチェックイン完了のメールを受け取っています。

この後私がネットで調べて、昨年の春からANAが、「パスポート番号登録、座席指定済みの乗客の航空券については24時間以内に自動チェックインをするということになっている」というサービスを始めたのを知りました。

が、息子とB君はパスポート番号の登録は、あえてしていません。

(行きにチェックイン機でチェックインしたときに、パスポート番号をANAは本人の同意なしに登録してしまうとのことです。※追記:帰国後また未登録に戻っていました。)

また、今回の帰国便、フランクフルト→成田だけ自動チェックインされたところで、ヴェネツィア→フランクルト間もどのみちヴェネツィアの空港でチェックインをしなければならないものなので、勝手に自動チェックインされるというのは、乗客にとって混乱を招くだけで、サービスになどなりません。

そして、本人がスマホを持っていなかったり、Wifiが使えない、充電が切れているなど、使えなかった場合はどうするんでしょう?搭乗券として使うことも、これをキャンセルしたり、空港受け取りにする操作もできません。

今回は、息子も彼の友人もスマホを持っていたのと、私の元に息子宛の自動チェックイン完了メールが届いたおかげで、息子たちに、どうすべきかを教え、問題なく帰国できましたが。

(ANAのデスクに私が、「NH×××便が自動チェックインをされているけど、この場合、ヴェネツィアから成田へバゲージスルーにするのは問題がないのか?」と電話で問い合わせをしたところ、係りの人が即答できなかったので、自動チェックインをキャンセル、その後帰国2便をヴェネツィア空港でチェックイン、バゲージスルーで荷物を預けました。)

「本人の同意なしに自動的にパスポート番号を登録してしまう。」ということは今まではなかったですし、勝手にパスポート番号を盗み登録し、本人が知らないところで「24時間前自動チェックインサービス」を行ってしまうのは、「サービス」ではなく、ANAの「自己都合」でしかなく、顧客にとっては「強制」です。

これと同じことをJALがやっているかどうかわかりませんが、もしJALがそうでなかったら、私は今後JALを使おうと思います。

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2006年アルザス・ロレーヌで

2014年01月22日 | 旅行

2006年初夏に、私はフランクフルトに駐在していた友人Tと彼のご家族を尋ねてフランクフルトに入り、そこから、アルザス・ロレーヌに車で連れて行ってもらいました。

(このときの私の旅のパートナーは同世代の友人Aさんで、友人Tとは初対面。)

この旅行から帰ったあとに彼に送ったメール、たまたま、昔宿泊したホテルのことを調べようとしたときに見つけたのですが、よかったらどうぞ。

(前略)

私がフランスで感じたのは「親日的」というより、「日本文化に対する憧憬を感じた」と言った方がよかったかもしれません。

今回の旅行では現地に人とふれあうことがなかったのですが、シャトーホテルのレストランシェフ(オーナー?)が日本びいき、レストランのお皿なども日本から買ってきている、と、慣れぬ英語でしてくれたボーイさん。ナンシー派博物館でガイドさんから「ジャポニズム」の説明を受けているフランス人学生の団体は、近くを通りかかった私に嬉しそうに微笑みかけてくれたり。それ以外にも観光中のちょっとした視線などからそう感じたのです。

ナンシーはアールヌーボーの町で、ガレなどが日本の影響をうけていることなどから日本に対する思いいれみたいなものがあったのかもしれません。そしてナンシーに限らず他の町でも、私は何度か「ジャポネ~」という言葉を耳にしたような気がします。そしてそれは揃って好意的な響きを持っていました。

そういえば昔モルディブに行った時も似たようなことはありました。当時大晦日をモルディブで過ごす日本人は少なく、客はほとんど欧州人でした。夕食の時など私達の後ろで「フジタ(画家の)」名前が出たりして、振り向くと必ず微笑みが返って来たり、日本の芸術、文化について聞かれたり。

また、気難しそうで誰とも打ち解けなかったギリシャ人の一人旅男性(当時たぶん60代後半くらい)は、私に対し伯父のように接し、可愛がってくれました。彼は若い頃九州の八幡にいたことがあったらしく、文化がどうのというわけではなかったようでしたが、何か良い思い出があるようでした。

(中略)

ドイツ人に関しても、フランクフルト空港で電話のかけ方がわからなくて困っていたのを助けてくれたお兄さん、電車でニコニコ私達をみていたおじいさん(彼に駅について質問したら、本当にうれしそうに答えてくれました。)、ストラスブールに観光に来ていた日本のサッカー選手が贔屓の高齢夫妻等々。まあ、そういう人たちは別に相手が日本人でなくても親切なんだとは思いますが・・。

同じく全般的に旅行を楽しんで帰ったAさんですが、彼女は、フランクフルトのデパートの店員12名に無視された、値段をごまかされた、と言い、また、フランス、ドイツ共、(あまり好意的でない)視線を時々感じたと言っていました。

私はメッスの大聖堂を観光していた東洋系のカップルのうち男性が、若干敵意のような眼差し(女性の方からは敵意は感じませんでした)を向けているのを感じたくらいで、あまりいやな記憶はないです。単に鈍感、能天気になっただけだったのか・・・。

(後略)

さて、このとき一泊したシャトーホテルは、ナンシーの近くの村、リュネビルにあるシャトー・ダドミニル。

ちょうど、『上から読んでも下から読んでも』さんが、このシャトーホテルに宿泊したときのことをブログで紹介してくださっていましたので、リンクを。

http://ameblo.jp/matsuge8/entry-11218010167.html

http://ameblo.jp/matsuge8/entry-11218016891.html

http://ameblo.jp/matsuge8/entry-11218527310.html

http://ameblo.jp/matsuge8/entry-11219355295.html

http://ameblo.jp/matsuge8/entry-11219817624.html

当時私もAさんも「シャトーホテルなんて一生縁がなさそう」と思っていましたが、Tのたっての希望もあって、宿泊しました。

(シャトーホテルといっても、私たちが宿泊したとき(20066月)は、一泊一部屋160ユーロ(朝食なし)、つまり180ユーロ。日本では考えられません。

こうしたこじんまりしたシャトーホテルは不便な場所にあるものがほとんどなので、今後は行くこともないと思いますから、これは良い経験になりました。)

このブログ主さんが泊まられた部屋は、窓からの眺めや家具など見る限りでは、友人T家族が泊まった部屋と一緒の気がします。私とAさんの部屋はその隣のツインで、壁紙はバラ色一色のファンシーな部屋でした。

ところで、このシャトーホテルの部屋で印象に残ったのは、お風呂と洗面所で一室、トイレで一室と独立していたこと。(お風呂からトイレ出入り不可。)

実はこの前日に泊まったストラスブールのホテル(ベストウェスタン系の三ツ星)なども、完全に独立はしていないものの、バスルーム内は左側バスタブ、正面トイレ、右手に洗面台との字型に配置されていて、トイレは扉付き(つまり非常に狭い個室。)でした。

日本のホテルでも、部屋内トイレが個室になっていることは稀なのに、立て続けにこうした扉付のトイレ。

アルザス・ロレーヌにはバスルームとトイレが独立していることが良くあるのか、それとも、これも日本の影響なのか(特にシャトーホテルの場合、日本びいきのシェフがオーナーを兼ねていたとしたら、日本式を真似たのかも。)、謎です(→英国、フランス、オーストラリア、ニュージーランドの住居に独立トイレ仕様はあるみたいです。http://en.wikipedia.org/wiki/Bathroom

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トリノから帰国

2012年10月11日 | 旅行

昨夜トリノから帰国しました。

私は昔から「旅行やイベントの感想文」が苦手なので、日本のペンフレンドたちに送ったメールを一部編集して貼り付けさせてもらいます。

(貼り付け始まり)

さちえさん、

ゆかりさん、

まきさん、

きょうこさん、 

連名宛で失礼します。

マインツ・トリノ・アオスタ旅行から昨日帰国しました。 

マインツは到着して翌朝町を散歩しただけだったのでほとんど印象に残っていませんが(しかも寒くて小雨がぱらついたりした)、トリノ、アオスタはお天気もよく、トリノ、ミラノの日本好きの友人達との時間は格別でしたが、その前にトリノの町の品のよさ-清潔さ、安全さ、人の感じのよさ(控えめ、親切)でこの町が大好きになりました。 

トリノに着いたのは5日(金)午後。翌日の6日(土)夕方からトリノのルイジさんと彼の従姉の19歳の息子、ミラノの17歳からのペンフレンドリアーナさんと彼女のパートナーファビオさんとホテルで待ちあわせ、夜まで街を散策した後、ルイジさんの自宅でルイジさんの日本語の先生スマレ先生とも合流してカレーパーティ。

カレーを作り、カレーライスとカレーうどんを作り上げたのが9時ごろだったので、ホテルに帰ってきたのは午前様でした。 

(ルイジさんには、肉、ジャガイモ、たまねぎ、人参だけを用意するようにお願いしたのですが、なんとカレールーや日本米までも現地の日本食材が含むお店で調達してしまっていました。 

お店の人は友人ルイジさんに、「7人でカレーを食べるなら、肉600gくらい、カレー粉二つ、お米2キロ、日本酒が必要」といってたくさんの買い物をさせてしまったのは、知ったかぶりだったのか・・・。)

7日(日)は、まきさんの元ペンフレンドのファビオさんとホテル近くのパスタ専門店で昼食をとり、おしゃべり。 

8日(月)は、トリノから電車で2時間のアオスタというモンブランが見える町に出かけました。 

トリノ自体は、小さな古き時代のパリという趣の町ですが、アオスタはフランス田舎町とよく似た雰囲気の町。ただし、ローマ遺跡が残っていたり、山に囲まれていてスイス風だったりするので、なんとも面白い雰囲気の町でした。 

アオスタからのこの帰りは、電車の乗り換えを間違えて困っていた中国人の青年(弟さんと妹さんがトリノ在住)を助けてトリノまで一緒に連れて帰るという、奇妙な体験もしました。 

トリノに住んでいる弟と妹さんを訪ねてきていた中国語しかできない彼と、約25年前の習った中国語と、漢字を使って会話をし、最後に食事に招いてまでくれるようになりました。

しかし、一番最初に私と夫が日本人と知って一瞬「まいったな・・」と言う表情をしたことは、彼が好青年だっただけに、せつなかったです。

そしてこの日の夜はお世話になったルイジさんを夕食に誘っていたのですが、急遽7日にご馳走になってしまっていたファビオさんも一緒にどうかと電話をして快諾してもらいました。 

ルイジさんとファビオさんは全くタイプが違うのに、「日本のポップカルチャー好き、日本語を勉強している」ということもあるし、政治などについても興味を持っているので、これはまた6日のカレーパーティよりも突っ込んだ話(といっても、片言英語でなんですが・・・)もできたりして、有意義な時間を過ごすことができました。(お礼に招待したのに、結局また二人にご馳走になってしまいました。)

と、トリノでの観光以外のことを書き連ねましたが、この町は美術館、博物館、王宮や聖堂と見所満載(トリノカードという、観光パスを使って、入館し放題。)、食べるものも美味しい町です。 

機会があったら、是非訪れてください。 

(後略)

ゆかり

(貼り付け終わり)

なお、今回の旅行で利用したトリノのホテルは、トリノ・アタホテル・コンコルドというトリノの中央駅から近い場所にあるホテルでしたが、ここは空港からタクシーで35ユーロ前後で着きますし、スタッフも感じがよく、お部屋もバスルームも清潔でよかったと思います。

(部屋の掃除の時間が遅かったり、毎日フェイスタオルが1枚足りないか、タオルの替え忘れがあったりということで4日間毎日メイドさんに連絡してタオルを持ってきてもらう羽目になったのですが、タオルを届けてくれるメイドさん達が皆感じがよく、ご愛嬌ということで・・・(「こういう場合もチップを渡すべきか」と考えたりしましたが、皆タオルを届けるとチップを渡す隙も与えず走り去ってしまいました。まあ、毎朝ベッドにわずかなチップは置いておきましたが。))

ホテルもそうですが、トリノは観光に力を入れだしている途中ということもあり、住民自体がすれていない気がします。

その分大きな美術館や博物館でも英語を理解する人が少ないのですが、なんとか相手のためになろうと苦心してくれたり、とびきりの笑顔を送ってくれたりと、今まで訪れたどの欧州の町より人が親切、暖かだったように思えます。

(ただし、ルイジさんやファビオさんによると、トリノでももちろん引ったくりやスリは多いといいますので、ご注意を。また、物乞いをする人(ジプシーっぽい人の割合は少ない)も少なくはありません。)

それから、トリノ空港は町からもそんなに遠くないし、こじんまりして清潔、小さい飛行場ですが飛行機からターミナルの移動もバスではなく通路。

北イタリアに来る場合、ミラノの空港を使うより、トリノ空港を使うのもよいのではないかと思います。

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さちえさんの旅行記(英国編)

2012年08月20日 | 旅行

さちえさんの旅行記後編です。

彼女が旅行を楽しめたのは、Gさんのおかげもありますが、いつまでも好奇心と感受性を大切にしているからですね。

彼女のメールはいつも楽しみですが、今回のような旅行記を読ませてもらうたび、彼女のような人と知り合えたことに感謝します。

(英国編)

ベルギーからイギリスへの旅行の続きを書こうと思います。 早く書かないと記憶がだんだん薄れていきそうです。 

2時間のフェリー乗船の後、とうとうイギリスのドーバーへ到着。 ここから車の運転は右から左側通行に変わります。よくGは混乱しないものだと感心しました。

お天気は雨が降ったり、たまに晴れたりと変わりやすい天気でした。 雨が降ると寒いくらいでした。でも、晴れればやはり気持ちの良いお天気になりました。

まず、車をコッツウォルズに走らせました。 私はこの度の旅行で湖水地方へ行きたいと思っていましたが、何と神経痛になってしまい、無理をするのはよそうという結論になり長年行きたかったコッツウォルズに行くことに決めました。

ベルギーのブルージュへ行ったときにはこんな美しい町は見たことはないと思っていましたが、コッツウォルズの家々や建物はベルギーのそれらとは随分違い、背の高い建物はなく家も背が低く小さな家が多かったです。 蜂蜜色の壁のかわいらしい家が並んでいました。

ブルージュでは建物も大きくその美しさに圧倒されましたが、コッツウォルズの町はそのかわいい家や町の静かな雰囲気になぜか心落ち着きました。 

たまたまでしょうか観光客もそれほど多くなく私は静かで時間が止まってしまったようなその町がとても好きになりました。 

おそらくこの度の旅行の中で一番好きな場所だったと思います。

その日はB&Bに泊まりました。 若い夫婦が経営されていましたが、都会のほうからコッツウォルズが気にいりわずか数ヶ月前に宿泊施設の経営を始めたとか。

朝はイングリッシュブレックファストかシリアル、またはスモークサーモンから朝食を選ぶことができました。 

イギリスは田舎に行くと至る所に遊歩道がつくってあるのだとGが言ってました。私たちはその遊歩道をあちこち二人で歩きました。小さな川のせせらぎや、小さな橋がそこにかかっていて、その川の両側に木が植えられていて、御伽噺の中を歩いているような気持ちになりました。

私はGにお願いしてそのB&Bでもう1泊することとなりました。1泊した後次の朝、二人で遊歩道をまた散歩しました。その後 シェイクスピアの生誕地ストラトフォード、アポン、エイボンへ車を走らせました。学生時代の専攻が英文学だった私はこの地にもいつか行きたいとずっと思っていました。地図をみて、コッツウォルズからそれほど遠くなかったので、行くことに決めました。 

ストラトフォードは随分観光地化されていて私はちょっとがっかりしました。 道路などはきれいに整備され、とてもたくさんの土産屋が軒を連ねてました。

あと観光客で一杯で静かな所かと想像していましたが、随分違っていました。

着いた時間が遅かったのであまり周れませんでしたが、有名なエイボン川は見れましたよ。シェイクスピアの家はとても古いものでしたが、きれいに保管され一つ一つの部屋が小さくかわいらしい家でした。 English gardenがとても素敵で花がとてもかわいらしく咲いていました。 やはり夏のヨーロッパは花がきれいで、良いですね。

その後シェイクスピアの妻だったアン ハザウェイの家も見ました。 時間が遅かったので残念ながら家の中までは入れませんでした。わらぶき屋根のとても素敵な家でした。

庭がここも花がきれいに植えられていました。

イギリス人は古いものを大切に使うとよく言われますが、コッツウォルズでもひとつ間違うととても汚い古い家を玄関や家の周りに上手に花を植えたり飾ったりしてとてもセンスよくアレンジして使っているように思いました。使い捨ての好きな日本人には見習わなければいけない事がたくさんあるとその時に感じました。

ストラトフォードから又、コッツウォルズに戻り、もう1泊。次の日にはGが行きたいと言っていたWalesに向かいました。 

ここは牧草地帯が特に多く羊や馬を多く見ました。 ウールが多く生産されています。 質の良い肩掛けやひざ掛けがそれほど高くない値段で売っていて欲しかったのですが、間違いなくスーツケースが一杯になるので今回は諦めました。

いくつか古城を訪れましたが、ほとんどのものが原型をとどめていません。Gはイングランドが破壊したのだと言ってました。 本当にイングランドは悪いことをしたものだと言ってましたけどね。それでも、今でもその威厳はそのままで、ここはキッチンだったとか美しい部屋だったのだとか想像を色々かき立てられました。

その日の晩はWalesB&Bに泊まりました。車で山の中を20分くらい走ると丘の上にありました。 それは景色の美しい場所にあって、どこまでも続く草原が一望できました。

そこのお母さん、70歳くらいだと思います。 まぁ、おしゃべり! あまりの早口で私は彼女の英語がほとんど聞き取れないほどでした。 それでもにこにこしてとてもフレンドリーな女性でした。一人暮らしをしていて、その家の一間がサンルームになっていてそこへ色々な花の鉢植えが植えられてました。そのサンルームから見える景色が一番の贅沢だと彼女は言ってました。

そこで一晩泊まり、次の日の朝、そのB&Bにはもう一人来客があり彼はイングランドのKENTから来ていた40歳代の男性でした。Gと3人で朝食を食べながら色々楽しいおしゃべりができました。 彼の息子さんが日本に交換留学したことがあって、色々な国を旅したけど好きな国がスリランカと日本だと言うそうです。 それを聞いて彼もぜひ日本に行ってみたいと言ってました。こんな日本から遠くの国で日本のことをほめてもらえるとやはり嬉しいものです。 自分は夏季休暇を10週間とっていると信じられないようなことを言っていました。 私が2週間の休暇でここへきていると言うと、そんなに短いのか?って驚いてました。 2週間でさへ日本人はなかなか休暇をとるのは難しいのだと伝えましたけどね。 

その日、そのB&Bを後にして、山の中を車で彼の住んでいたNorthamptonに向けて走りました。 丘の上に広がる牧草地帯。 馬、羊、牛などが放牧されていて車から降りるとすぐそこに動物たちがいました。 看板には犬の散歩は必ずリースをつけること、もし、そこに放牧されている動物を脅かすようなことがあれば犬でさへ射殺されることがあると注意書きがありました。 本当に放牧されているその動物たちがストレスがたまらないように、保護された地域でした。 高台から見える平原(牧草地帯や畑)はどこまでも続いていて狭い日本では決して見られない美しい景色でした。

(中略)

Northamptonで一泊。 その後またフェリーでドーバーからフランス、そしてベルギーへと戻りました。 

(中略)

最後に行ったのがブリュッセル。 ここへは彼の町から列車で行きました(車だと駐車場に困るそうです)。 お天気の良い日でしたが、なんと列車の中は冷房がありません。本当に暑くて息苦しいほどでした。 日本だとクーラーがガンガンかかっている季節ですけどね。

さすが都会のブリュッセル。楽しい店がたくさんあって、買い物には面白い場所かと思います。 それと様々国からの観光客がいました。 ベルギーらしい美しい建物が建てられているグランプラス。ここは世界遺産に登録されています。 改めてベルギーの建物の荘厳さに圧倒されました。店やカフェでは皆店員さんやウェートレスの人たちが英語を話すので買い物や食事を食べたり、お茶をしたりするときに困ることはありませんでした。

小便小僧は思ったよりずっと小さくかわいらしかったです。 驚いたのはそこへも信じられないくらい多くの中国人観光客が来ていました。 中国人(一部でしょうけど)は今や本当にお金持ちになりましたね~

このたびの旅行で残念だったのは美術館へ行けなかったことです。 博物館へはいったのですが、時間が足りませんでした。 私は絵画を見るのが好きなので次回はぜひ行きたいです。 

イギリス旅行中に一番困ったのはやはり食事がオイリーだったことです。 最初の数日は大丈夫でしたが、4-5日もたつと胸やけがしてきました。 fish & chipsも油で揚げたfish と ポテトだし、白身の魚も半端なく大きい! 最後にはGに私はもう揚げ物はほしくないからそうでないものを注文してとお願いしました。 何がほしいのか?と聞かれて、それ以外はステーキのような肉しかなく、最後はサラダばかり食べていました。 ベルギーにはスモークした魚や魚介類もあったので、ベルギーの食事のほうがヘルシーだと思いました。

旅行中の食事は本当に大切ですよね。 楽しみの多くを占めますものね。

イギリスではマフィンとイングリッシュティー、それにスウィーツは絶品でしたけどね。

この度の旅行はGがいなければできない旅行でした。 そういう意味で彼にはとても感謝しています。

(終わり)

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さちえさんの旅行記(ベルギー編)

2012年08月20日 | 旅行

友人のさちえさんが7月のベルギーとイギリス旅行についての報告メールをくれました。

あまりに生き生きと書かれているので、彼女に無理を言って私のブログへ転載をOKしてもらいました。

一部分、カットしてありますが、皆様どうぞ。

(ベルギー編)

毎日暑い日が続いていますね~  私はヨーロッパのあのカラッとした暑さが懐かしいです。  関空におりたとたん賑やかな蝉の声とムワッとした暑さで体中の毛穴から汗が吹き出る感じがしまいした。 おまけにあまりの湿気で息苦しいくらいでした。 今は体も慣れてきましたけど・・・。

私の出発は7月12日でしたが、最初の1週間は雨が多く、寒かったです。向こうで着ようと思っていた夏用のワンピースなどはほとんど袖を通すことがありませんでした。

その代わり、もしもの為に持っていていたハイネックのシャツや娘に借りていった長めの紺のコットンのジャケットが活躍しました。色の配色も考えて持っていっていなかったので、写真の中でもちょっと変な格好にみえるかもしれません。

Gの家まで、アムステルダムから列車でアントワープまで2時間、そのご乗り換えて彼の住んでいる町まで20分かかりました。着いたころはクタクタでしたが、何といっても日が長く9時半くらいまで明るいので、着いてもしばらかく外で楽しめるような明るさで本当に長い1日でした。彼の町は田舎町で写真にもあるように裏の牧地に馬が毎日放し飼いされているような所で、馬や牛は本当によく見ました。馬は競技用とかではなく飼い主が乗馬教室などを開くのに飼っているそうです。それで、何となく馬ものんびりしているように見えました。

次の日は彼の町を散策しました。本当に小さな町でこれといって特徴はありませんが、写真にあった公園は静かで良かったです。野生の鳥やうさぎがいたりして、お天気が良い日はここでのんびりできたら最高!って思いましたよ。

その後ベルギーのアントワープ、そしてブルージュというところへ行きました。ベルギーは北部と南部に分けて、北部がオランダ語(そこをフランダース地方と呼ばれています。 フランダースの犬のフランダースはここから来たのだと知りました)、南部はフランス語です。ベルギー語というものはありません。アントワープもブルージュもかわいい家が印象的でした。特にブルージュは美しい町で感動しました。町の中を運河があって、そこをGと小さな船に乗って観光しました。そのときたまたま船を待っているときに横に座った白人のおばあちゃんが(おしゃれで上品な感じの方でした)私に話しかけてきて-はじめは何を言ってるかよくわかりませんでしたが(G曰くフランス語訛りの英語だったようです。でも、ベルギー人でした) 日本の津波のことを心配してくれていました。 ニコニコしてとても素敵な女性でした。

4日目にはwaterloo.  ゆかりさんはwaterlooの戦いをご存知かと思います。それはそれは広い平原でここでそんな大きな戦いがあって多くの人が命を落としたんだって、タイムスリップしたような感じでした。その戦いがなされた場所を(かなりのがたがた道でしたが)車で回りました。かなり時間がかかりました。

次の日にはフランスの国境付近の町へ行きましたが、さすがにフランスに近くなると町の趣が変わってきました。 Gはフランス語もオランダ語も話せるので旅行で困ることはありませんでした。彼曰くそれほど流暢ではないと言っていましたが、困ったときに道を聞いたり、店で買い物ができるレベルくらいは話していました。

(中略)

イギリスへはベルギーからフランスへ入り、そこからイギリスのドーバーまでフェリーに乗りました。 2時間ほどの船旅です。 列車でドーバー海峡のトンネルを通れば20分で行けるそうです。 フランス側で出国、イギリスへ入国の手続きをすませ、乗船しました。

大きなフェリーでしたが、イギリスへ着く少し前に船の揺れを感じました。(たいした揺れではありませんでしたが)  冬はやはり船の揺れはもっとあるそうです。 

イギリス旅行の話は長くなるのでまた、書きますね。 それでは、また時間をみつけて後半を書きます。

(英国編に続く)

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貧乏贅沢?トリノへ

2012年08月07日 | 旅行

夫が今年度中消化のリフレッシュ休暇を貰ったので、10月にまた欧州に行くことにしました。

夫は、「自分はモンサンミッシェルとかヴェニスとか、行ってみたいけど、まあそれはツアーの方が効率がよさそうだから、好きなところを選んで良いよ」

と言うものの、プランを出すと、難癖をつけたりします。(本当に優しいのか?「好きなところを選んでよいよ?」は単なる丸投げ?)

飛行機も、滞在を2箇所にする場合、組み合わせと予算がなかなか合わないし、飛行機がよければホテルが高い。

そういうわけで行き先が二転三転、しかも旅行の相談をした海外の友人達が、「遊びに来い」「泊りに来い」と言ってくれたりして、これも(すべては無理でも幾人かには会うべく)実現をしたいと思い悩み続け、会社に休暇の日の申請や相談をしなければならない夫は出張続き。

欧州はせめて1011月でないと寒くなってしまうし、来年の3月くらいにすると、これこそ仕事の具合でいけなくなるかもしれないし・・・と考え気はあせるばかり。

それで週末やっとプランを決め、昨日オフィスに出られた夫に休暇申請をしてもらい、航空券を昨夜購入しました。

(今回の旅行は、またもや私の鬼門ともいえるフランクフルト経由で、イタリアのトリノ滞在。

私はトリノ、ミラノと友人・知人にも会えますし(トリノの日本語学校に潜入することも検討)、山好きの夫は、近郊のアオスタまで行って、モンブランを見てくることもできます。)

さて、この旅行を相談していた、スペイン人のベゴーニャさん、彼女は6月にロンドンを旅行、そして先月終わりはフランス、ロワール地方の庭の祭典へ。高校生のお嬢さんは、アメリカ旅行。

イタリア人のリアーナさんは、コルシカ島とドイツ旅行。

「スペイン、イタリア、経済危機といっても、一般庶民(とはいえベゴーニャさんは歯科医のほかの仕事もしているし、ご主人は銀行員なので収入は高いはず)でこれだけお休みをとって海外で過ごす人が、まだいるのよね。」

と奇妙な思いもある一方、ベゴーニャさんもリアーナさんも「倹約家」であるのを知っているので、親近感。

私もそうですが、私の友人達(さちえさんはベルギー旅行を済ませ、ゆかりMさん、きょうこさんも、秋の海外旅行を検討中。)、皆そんなに裕福とはいえませんが趣味が海外旅行であるがために、倹約をしているので、これが唯一の贅沢(しかしブランド物や一流ホテルとは無縁)。

海外旅行自体が、年々自分の体力や周りの環境などによって行きづらくなっているので、「これが最後の欧州」という気持ちで行っているのも、私、そして40代以降の友人達にはあると思いますが。

ちょうど、時々覗くブログに、面白いものがありましたので、リンクを貼り付けます。

金融そしてときどき山

「貧乏贅沢」対「裕福質素」

http://kitanotabibito.blog.ocn.ne.jp/kinyuu/2012/08/vs_4755.html

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フィレンツェのホテルとフランクフルト空港でついたため息

2012年03月28日 | 旅行

ドイツ、イタリア旅行ですが、全般的にはもちろんとても楽しんできたのですが、2点の不愉快なこともありました。

まず一点は、イタリアのフィレンツェのホテル。

このホテルは2008年の秋に、友人Hとフィレンツェにきたときに宿泊したホテルです。一応4つ星で、アンティーク、駅から至近。

実はこのホテルはその時も問題はあり。

たとえば、朝食を済ませて部屋に帰って来るような時間にメイドさんが部屋の掃除に来てしまったり(8時台前半です。普通は食事をしたら、歯を磨きに帰って来るのくらいわかりそうですが、これに懲りて、食事に行く早い時間も“Don’t disturb”の札を下げました。)、昼に荷物を置きに帰ったら、メイドさんが部屋に入ってきたまま居座り、私がベッドに置いた紙袋を、手で軽く開いて覗いたり。

ホテルのレストランでディナーを取ったときは、ボーイさんのあまりの失礼さに、友人Hが取っ組み合いのけんかになる一歩手前。

 

そのあとも、紅茶のように底が見えるコーヒーがでてきたり、注文の品に違うものがでてきたりと、とんでもない対応でした。

今回ホテルを決めるにあたって、それでもこのホテルにしたのは、「あのときの2人の従業員は酷かったとはいえ、ホテルの部屋は素晴らしかったし、駅にも近い。値段もあのグレードのホテルとしては格安。ま、問題は個人の問題」と思ってのことでした。

ところが、チェックインして通された部屋は、息子達のツィンルームはベッドだけで部屋が一杯でスーツケースを入り口の短い廊下で広げなければならないくらい狭く、オマケに窓が小さく、開けば工事中の中庭。

私の部屋も狭くはあり、窓も非常に小さかった上、隣は(おそらく従業員用の)トイレがあります。

前と同じくアップルワールドを通し同じ手配会社経由の予約。それに格安とはいえ、円高を考えれば、前回より高い金額を払っているのに何故・・と納得できないものの、まあ混んでいればこんなこともあるだろうと我慢。

しかし、私の部屋はしかないとはいえ、さすがに息子たちの部屋は交渉しようと、フロントに行ったところ、「バスタブなしの部屋だけど、それでも良いか?」とのことでした。

結局息子達に部屋を見てもらうと、「バスタブは使わないから、こっちで良い」ということで部屋をチェンジ。

そして、16時くらいから出かけ一旦ホテルに戻り、19時くらいから再び食事に出かけ22時過ぎにホテルに戻ると、ベッドメイキングが入ったようで、荷物が異動しています。

まあ、確かに高級ホテルでは、夜にベッドカバーを外しに来ることもあったとは思いますが、この時動かされたカバンのファスナーが若干開いているのが気になり、ちょっと不愉快に。

それでも気を取り直してベッドで精算の記録、計算をしていると、ひっきりなしに隣のトイレの水を流す音がします。これは計算が終わったあとの23時近くになっても続くので、またもやフロントに行き、(明日の朝で良いので)部屋を変えて欲しい、と訴えたところ、1人しかいないフロントは掃除をしていたフィリピン人のボーイさんに、「マダムと一緒に部屋に行って、様子を見て報告してくれ」と頼みました。

その後、このボーイさんが非常に良い人だったことが幸いしてその時点でグレードの高い部屋にかえてもらうことができたのですが・・・この部屋の室温は30度でそれより下がらない上、ここも息子達とは別の中庭に面しているのですが、1階(0階)にある従業員室からなぜか歌声や、大声が聞えます。(夜中まで続き、しかも二晩連続。あれはなんだったのだったんだろう。)

流石に3回も部屋変えをしてもらったところで大差ないだろうと、窓を開け(騒音が酷くなるけど、暑さに適わず)、眠りにつきました。

このホテルについては、ブッキングコムにある口コミの評価は比較的高いのですが、それでもちらほら、私と同じ体験をした人達の苦情も載っていて、あるロシア人は3回も部屋を変えてもらったと書き、「部屋が暑すぎ」と書くイギリス人、「クローゼットを開けるのに、一人がベッドに登り、ベッドも動かさなければならない」というアメリカ人もいましたし、騒音に辟易した人たちの声もありました。

まあとりあえずは、「これもイタリアさ」と割り切るべきでしょうか。

もう一つの嫌なことは、またしてもドイツのフランクフルト空港での出入国の際の人種差別的管理官(アジア人の挨拶無視、侮蔑した態度)、それと、新人研修の実験材料となったとしか思えないセキュリティチェックです(先進国とは思えない対応)。

フランクフルト空港では2007年にも嫌な目にあい、セキュリティ責任者とメールを取り交わし、「またなにかあったら知らせてください」とまで言ってもらったので、彼にメールをしようと一旦思いましたが、ネットで調べると、私以上に酷い目に会っている人も少なくないようなので、「もう言っても無駄。今度からフランクフルト空港は使わないようにしよう」と、割り切ることにしました
(※その担当者の協力のもと、やはり抗議をし、「(どの空港にもいえますが)係員に名札があればよいですね。ルールや法では差別はなくせないでしょう。」と提言。)

2007年については、『空港でのできごと』

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20071124

まあ、図太くなるのと、諦めも、海外では必要でしょう。

(でも、最初から泣き寝入りは止めましょう。)

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ただいま!

2012年03月22日 | 旅行

昨日ドイツ、イタリア旅行から帰ってきました。

今回の旅行は前にも書いたとおり、友人のトモエさん、欧州旅行初体験の息子、海外旅行初体験の息子の友人、R君の4人の珍道中。

天候にも恵まれた8日間でした。

ドイツではフランクフルト近郊のオーバーウルゼルに2泊し、イトシュタインというフランクフルトから電車で40分くらいの町に出かけ、ドイツ人の友人ブルクハルトさんと一緒に観光、食事。

ブルクハルトさんはルフトハンザのメカニックを昨年末完全退職、在職中から趣味でガラス工房を開いているのですが、彼から彼の作品をプレゼントされただけでなく、トモエさんが次回行う日本文化のプレゼンテーションのお手伝いをしてもらう約束もしてくださいました。

イタリアでは、私と息子と息子の友人R君はフィレンツェに4泊。トモエさんは1泊目フィレンツェ、2泊目グリッツァーナ、3泊目サンジミニャーノ、4泊目フィレンツェ泊。

グリツァーナではD氏の奥様マリアさんやトモエさんが滞在したB&Bの宿の奥様ルースさんと彼女の7歳の息子さんのアルトゥーロ君(偶然にも2軒は家族ぐるみでの付き合い)と、若い案内係のアリーチェさんとジョルジュ・モランディのアトリエを訪問したり(アトリエ見学も無料ですが、アリーチェさん自体がボランティアとして案内)、村の人々が集うレストランで昼食(メニューがない!チーズを固まりごと回して客が皆で食べたり、話したり!)D家でマリアさんと原発事故の話も含めて、楽しいひと時を過ごしてきました。

今回の旅行で訪れた場所は、数回目のところも初めてのところもどこも良かったのですが、フィレンツェとシエナにあるチェルタルドという村が、ある意味私にとっては一番印象に残った村でした。

観光地よりも小さなヨーロッパの古い街並みが残る村や町を歩くのが好きな私は、「フィレンツェ近郊で1時間以内に電車で行けて、駅からの移動が楽な村はないか」と当たりをつけてグーグルマップで検索で発見した村がチェルタルド。

抽出後にインターネットで検索したところ、この村がデカメロンの作者のボッカチオが晩年を過ごしたところであることや、群馬県の甘楽町と姉妹提携していてこの村に、甘楽町が茶室を寄贈していることも知りました。

駅からもケーブルカーがあって旧市街にも行きやすいし、中世の村にある茶室とやらも観てみたい」と出かけたところは、想像以上に素晴らしい。ケーブルカーを降りたとたん、中世の村にタイムスリップしたような錯覚を覚えるうえ、高台なので遠くにサンジミニャーノの塔も見えるのです。

そしてまた、何よりもここで観光案内所のジュリアナさんという50代くらいの職員の方と知り合えたことが大きいです。

英語を話さない彼女と身振り手振り、英語とイタリア語の単語を並べて、「日本の茶室があるというけど、どこにあるのか?」と質問したことから、俄然彼女はhospitality発揮。

まずは一番のメインである宮殿の階段が修復中で登れないこともあって、ボッカチオ博物館の階段を案内してくれ、一緒に上まで登ってくださり(階段を登る途中、「私は年齢が高いから階段を登るのが辛いの、ちょっと休ませて」というジェスチャー)、サンジミニャーノの方向を教えてくださったり。

更に驚いたことに、ボッカチオ博物館を出た後昼食をしていた私達を探し出し、わざわざ宮殿内にある茶室のある場所まで案内してくださった上、「私はお昼を食べてくるわね」と別れたのに、宮殿を出ると私達を宮殿の出口で待っていてくださったこと。

ジュリアナさんは英語をほとんど理解しないので、日本のキャラメルと一緒に英文の手紙を書いて彼女に手渡してきたら(同僚で英語ができる人がいる)大変喜んでくれました。

短時間であれ彼女といると非常に心安らいだこともあって、彼女と短時間でお別れは名残おしい・・・再会を約束しました。

彼女と一緒に映った写真は、イタリアのルイジさんにでもイタリア語に訳してもらってメールで送ることにしましたが、こういうとき、英語以外の言葉がたくさんできる人が羨ましい。)

今回の旅行では他にも、アイルランドのミュージシャン(22歳の大学生)と飛行機の座席が隣り合わせになって若者の就労、福島原発の話をしたり、スコットランドから父親の還暦旅行に来ていたキルトスカートをはいた20歳の男の子とも話をしたり、イタリアの電車での幼児を連れた親子とのふれあいもでき、4人連れではあまりできない経験もできました。

簡単な旅行報告をした友人が返事をくれて、

「最近、旅は、何かを買うとか、何かを見る、ということより、その土地の人との出会いが面白い気がしています。物欲とか何かが無くなってきた年のせいでしょうか。」

と言っていましたが、一緒に行った息子とR君も、買い物や観光より、土地の人との出会いが一番楽しかったようです。

さて・・・次回はどこにいきましょうか・・・。

なんていう前に、ブルクハルトさんやイタリアの友人達(旅行中電話で話した人々)、旅行で知り合った人々、お世話になった人々へのメールを書かなくては・・・。

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