相模原市の障害者施設の殺傷事件、夕飯を食べていた時、息子が、
「あの犯人は、彼にとっては、あれが『正義』だったんだよ。ヒトラーと同じように。」
と感想をもらしたとき(ニュース解説の受け売りでしょうが)、思わず声を荒げてしまいました。
「あの犯人にしろ、ヒトラーにしろ、彼ら自身が弱いものを虐殺することに『正義』という言葉を使ったとしても、それに対し、第三者が「彼(彼ら)の正義」と認めるような言い方をしたときが一番危ない。それが「自分(自分達)の正義」になることもある。
大体、『正義』は人それぞれであろうと、「罪がない人間を他者が殺傷するということ」は、戦争を含め、絶対に『正義』にはならない。」
息子は、私の剣幕に驚いたのか、何か言いかけながら、言葉をひっこめました。
今日の東京新聞『こちら特捜部』はちょうど、『相模原殺傷 植松容疑者の「正気」と闘うために』でした。
Web版では前文しか載っていませんが、一応、こちら。
東京新聞 (2016年7月30日)
植松容疑者の「正気」に抗うために
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2016073002000144.html
相模原市の障害者施設で起きた殺傷事件。和光大の最首悟名誉教授(79)=環境哲学=は、事件の一報を聞いて「ついに来たか」と思ったという。三女の星子さん(40)はダウン症で、複合障害がある。最首さんは植松聖(さとし)容疑者を「正気。共感する人たちもいるだろう」とみる。「命の大切さ」という言葉では尽くせない重度障害者を持つ親の苦悩を語りつつ、「だからこそ、この青年の行為を許してはならない」と語る。 (佐藤大、田原牧)
このなかで、最首氏はこう分析しています。
「今回の事件は猟奇的な犯行ではない。植松容疑者は『正気』だったと思う。そして、口には出さずとも、内心で彼に共感する人もいるだろう」
「彼は被害者の家族には謝罪している。個人の倫理としては殺人を認めない。しかし、生産能力がない者は『国家の敵』や『社会の敵』であり、そうした人達を殺すことは正義だと見なす。誰かが国家のために始末しなければならないと考えている。確信犯だ」
これを読みながら、子宮頸がんワクチン被害者の関係である医師のtwitterを読んでいたとき、彼に突っかかっていた、うろうろどくとる(urourosurgeon)という、自称医師の人のtwitterのツイートを思い出してしまいました。
(プロフィール欄
泌尿器科医です。得意な領域は腎癌分子標的治療/Endourology/腎不全外科/ロボット手術)
2016年7月21日
(慶大病院のミスで女児に脳に重い障害と提訴のNHKニュースに対して)
「まともな体の子供を産めなかった自分たちを恨めよ笑」
2016年7月23日
「明らかに65歳以上なら本気で蘇生してはいけません。そっと逝かせてあげましょう。」
「今の日本人の死生観は狂ってる。80,90の老人を病院に連れてきて具合悪そうなんですけど、とか言ってくる家族に歳だからお迎えが近いんでしょうって言って知り合いの往診Dr紹介して帰そうとしたらキレられた。何を求めてるのか。血液検査してCTとって何がしたいのか不明。老衰じゃダメな訳?」
本気か受け狙いかわかりませんが、言論の自由はあれど、彼or彼女が医師というのが本当であれば、こんな怖ろしい医師が存在するくらいになってしまっている昨今。
Twitterでなくても、例えば障害者の電車事故などがあったとき、必ずニュースコメント欄に「障害者は家を出るな」というコメントを残す輩もいます。
こういった悪質なツィートやコメントに嫌悪を感じる人達にしても、多くの人は障害者や高齢者に対し、バリアを作っている人も多い日本。
白杖SOSシグナル・透明人間(?)に気配りを
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/212c76a7996c74b881046259661c4109
(このブログ記事内で紹介している記事も読んでください。)
「ヒトラー」にも「植松容疑者」にも共鳴する人が今後も増えるとは思わないものの、今回の相模原市の事件に対し、息子がしたような反応(ニヒリズム、自分との切り離し)をした人なら、少なくないのでははないか、と思えます。