Various Topics 2

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8月15日は「大日本帝国終焉の日」

2015年08月15日 | 雑感

今日8月15日は、「終戦記念日」。 

私は、1945年8月15日は「終戦」というよりは「敗戦を認めた日」という方がよい正しいと思っているので、言葉通りに書くなら「敗戦記念日」にすべきだと思います。 

ただし、私の中で「記念日」「anniversary」という単語にはおめでたいイメージの方が強いので、そういう意味では「敗戦記念日」と呼ぶのもあまりピンときません。 

たとえば、911や東日本大震災の日も、〇〇周年には英語ではanniversaryを使いますが、これを日本語で、「米同時多発テロ記念日」「東日本大震災記念日」と呼ぶのに躊躇いがあるのと同じです。

(また、「特に(広島や長崎の原爆投下、無差別大空襲という戦争犯罪を犯してきた)米国に対しての敗戦」という受け止められ方をされるのは嫌ですね。「太平洋戦争」を「大東亜戦争」という名称に戻すのが先でしょうか。)

一層のこと8月15日を「大日本帝国終焉の日」とでもしてくれていればよかったんですけどね。

さて、以下興味深い意見をみつけました。
日本から言い出すのはちょっと気が引けますが、日本や周辺国の未来に向けては建設的な意見だと思います。 

アゴラ (2012年8月19日)
無条件降伏は「終戦」か「敗戦」か、それとも「解放」か?
By 北村隆司氏
http://profile.livedoor.com/kitamurany/ 

「戦争が終わったから終戦記念日だ」「無条件降伏なら敗戦記念日だろう」「平和国家日本として、戦争から解放された日なら、解放記念日では?」……。8月15日を迎える度に、自問を続けて来た。 

(中略)

戦後のドイツにも、降伏・終戦をめぐって様々な解釈があって、曖昧のままだった期間が長く続き、1975年のシェール西ドイツ大統領演説で、ドイツの終戦を敗戦としてではなく「解放」──つまりナチズムからの解放──と初めて公の場で定義し、さらに、日本人にも良く知られたヴァイツゼッカー大統領の戦後40周年記念式典での演説で、「終戦」を「ナチス独裁からの解放」と公式に位置づける事となった。

又、サーラ博士によると、ドイツ国民は「終戦」を「敗戦」とみなすより、「戦闘状態の終結」と考える国民が多いと言う。 

(中略)

現在のドイツの歴史認識においてこれ程大きな位置を占めるヒロシマ・ナガサキ原爆投下事件が、東アジア諸国では日本に対し「原爆の被害者という面を強すぎる」言う批判が出たり、日本国内でも「原発反対」運動の何処かに「党派性」の匂いを感ずるのは残念である。 

戦後日本の外交政策も、「唯一の被爆国」と言う政治的な側面を強く押し出し過ぎたり、「米国「への過度な遠慮が「原爆の惨禍」と言う人類共通のテーマを世界に認識させる事に失敗してしまった。 

日本も、終戦を「連合国による勝利は日本に対する勝利ではなく、全体主義と帝国主義から解放されたアジアための勝利の日」と捉え「軍国体制の終焉」をアジアの近隣諸国と共に祝える事が出来れば、終戦処理を巡る近隣アジア諸国との感情的な紛争も少しは沈静化できるに違いない。

その為には「脱亜入欧」を日本の近代をと捉えて、近隣アジア諸国を見下して来た政策に別れを告げる事は勿論、貿易相手国として重要性を増したからと言って擦り寄る最近の外交政策も改めなければならない。 

ドイツ国民が欧州の一員であるという強い自己認識を持つた様に、日本国民も心底からアジアの一員である事を誇りに思い、アジアと一体感を持つ事が出来れば、「終戦」の大きな収穫である。 

日本の祝日も「みどりの日」「海の日」「体育の日」など意味無い祝日は廃止して、「ヒロシマ」「ナガサキ」の日を、政治やイデオロギーとは無縁な「人類的な悲劇からの解放記念日」として国境と思想を超えた記念日にする努力をするべきだと思いながら迎えた、今年の8月15日であった。 

この記事が書かれたのは2012年。今は記事下線部とは反対路線を日本は歩みつつある-軍国主義化、全体主義化、隣国との対立を煽る-。 

首相が原稿を読んだだけのお詫びをするより、この路線を変えることの方が、本当の反省だと思うのですが・・・。

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