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Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

食はバラエティに富んでいても政治には鈍感

2012年10月30日 | 国際・政治

海外旅行にいくたび、日本のよさを改めて感じることはいくつかありますが、その一つが日本の家庭料理、そして日本国内のレストランのバラエティの豊かさ。

世界の大都市では一応各国料理のレストランで食事をすることはできると思いますが、手頃なお蕎麦屋さんのようなものはないし、日本食を食べようと思えば値段が大幅に高かったり、値段が控え目でも『看板やメニューの日本語が間違った日本料理店』など、「これって、本当に営業許可をとっているの?」というようなうらぶれたレストランもあったりします。

そして家庭-自分の家にある食器を見てもわかるように、世界で、『和、洋、中』の食器が各家庭にそろっているような国はまず他ではなさそうな気がします。(家は小さいのにこうした多文化のものを受け入れる文化があることも、四季がはっきりしていることに並んで、日本人の家に物があふれる原因となっているんでしょう。)

また、先日のトリノ旅行では、ルイジさんの家でカレーライスを作ってきたのですが、このカレーライスのように、異文化の料理をうまく自国の料理と組み合わせて進化してしまえるのも、日本の特徴。

カレーライスだけでなくても、日本で『洋食』と呼ばれるもののなかで、「これらは西欧には絶対ないはず」と思えるものがいくつもあることに気が付きます。

近頃イタリアづいていますが、「イタリアに行った」というと、「食事がなんでも美味しいでしょう?」と人に聞かれます。

しかし、イタリア料理さえ、「総合的に評価したら、日本で食べたほうが美味しいかも」というのが私の本音。

これは私が選んだお店(イタリアでは高級店には入っていません)が悪かったのかもしれないし、私の口が『日本風イタリアン』しか受け付けなくなってしまっているのかもしれませんが、それでも日本の専門店であればあまりアタリハズレがないのに、イタリアではレストラン(ピザ専門店、トラットリアを含む)にアタリハズレがあるような気がします。

そして、いくら私がイタリア料理好きでも「毎日、イタリア料理を普通に食べているのって、飽きないのかな」と思え、これは毎日の食事でなくても、食べ方もそう。

イタリアのレストランで昼食時、若い女の子3人が恐ろしく巨大なピザをめいめい1枚頼み、それぞれの自分の皿のものを完食していましたが、日本だったら3名が違う種類のピザを3枚とってシェア、もしくはピザとは別のものを頼む、というやり方をしそうです。

日本人は『同じものをたくさん食べることができない人種(あきっぽい?)』なのかもしれませんが、やはり、私はその辺は日本人方式を好みます。

さて、こんな話を書き綴りましたが、ちょうど面白いコラムがありましたので、貼り付けます。

ニューズウィーク(20121030日)

日本のグルメ志向を政治家選びにも(by クォン・ヨンソク)http://www.newsweekjapan.jp/column/tokyoeye/2012/10/post-579.php

〔10月14日号掲載〕

 日本ほどグルメな国はない。和食だけでなく世界中の多様な料理が楽しめ、日々新しいメニューが生まれる。しかしそんな日本人も政治家の味については、まったくグルメとはいえない。同じものをずっと食わされることに慣れ切っているのはなぜか、理解に苦しむ。というわけで、今回はグルメという観点から今の日本の政治状況を味わってみようと思う。

 民主・自民両党の総裁選が、何の感動も興奮もなくあっけなく終わった。09年の政権交代の高揚感はどこ吹く風で、かつて食べ掛けのままテーブルから姿を消した安倍晋三総裁が、自ら掲げていた「再チャレンジ」に成功した。

 政党支持率でも自民党の復権が顕著だ。国民は長年親しんだ「自民亭」が提供するA定食の安定感のある味が忘れられないのだろうか。確かに自民亭は、多彩な食材を使ってバランスの取れた日替わり定食を長年提供し、戦後日本の平和と繁栄の歴史の糧となった。

 ところが近年、そのA定食も変わり始めた。総裁選の候補5人衆に見られたように、日替わりのはずがカツカレー、トンカツ、カツ丼と「カツ」ばかりにこだわっている。これでは精は付くかもしれないが、胃もたれとメタボが心配だ。かつて自民亭の料理長だった河野洋平が「自民党はずいぶん幅の狭い政党になったもんですねえ。保守の中の右翼ばかりだ」と苦言を呈するのも無理はない。

 一方、A定食に食傷気味だった国民に対し、「生活が第一」を掲げて新たに登場したはずの「民主庵」のB定食。しかし、物珍しかったその味も「3・11」を経て変わってしまい、ハンバーグやステーキなど自民亭と変わらぬヘビーさそのままに、消費税アップに熱心になってしまった。今や「政権維持が第一」だ。

 そこで大手の外食チェーンに対抗して大阪発の、行列のできる「橋下屋」が提供する「維新定食」が誕生した。こちらは「新鮮さ」が売りだったが、次第にその食材の危うさが分かってきた。いざふたを開けてみると、中身は「高カロリー」な自民亭と大差なかったのだ。

閑古鳥が鳴く社民処と共産軒

 もっと安くて目新しいメニューはないものか。そういえば自民亭の横で長年、弁当屋を営んできた「社民処」や「共産軒」は何をしているのだろう。最近ではまったく目にしなくなってしまったので、元気ですかと手紙でも書きたい気持ちだ。

 社民処と共産軒に閑古鳥が鳴いているのは、その名前のせいなのか、料理がまずいのか、客のニーズに合っていないのか、真摯な自己点検が必要だろう。だが、自民亭がかつて繁盛できたのは、お隣のライバル店の存在があったからともいえる。「両翼」のバランスが取れてこそ、安定飛行できるものだ。

 社民処や共産軒が、客からそっぽを向かれた弁当しか出せないなら、新たな「第三の勢力」による新メニューの開発が待たれる。格差是正、成長率、内需、脱原発、エコ、平和、福祉、幸福度など、実は時代の流れは、北欧型の「社会民主主義」の方向に向かっているともいえる。イデオロギー論争に埋没せず、世界からも注目される斬新でヘルシーで明るい「Cランチ」はないものだろうか?

 山中伸弥教授のノーベル賞受賞が示すとおり、学問、経済、スポーツ、文化面で日本は世界に通用する先進性と多様性を持っている。なのに、政治の世界となるとなぜいつも「おなじみの味」ばかりなのだろうか。まずは、国民がその持ち前のグルメ志向を発揮して、政治に対しても舌を肥やすしかない。

 グルメの基本は「普遍的独自性」だ。国内限定の味や威勢のいい宣伝文句だけでは世界に通用しない。ならば勇気を持って別の店を開拓するか、いっそ自分で新しい店をオープンしよう。客足が遠のけば大手も経営努力をするものだ。

 さて今日の昼食は何にしようかな?

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尖閣警備強化に170億円使えて福島の子どもにお金を使えない?日本政府の国連人権審査

2012年10月30日 | 国際・政治

尖閣警備強化のために日本政府は170億円のお金を使うといいます。

Japan Today (2012.10.30)

Noda says Japan will boost coast security

http://www.japantoday.com/category/national/view/noda-says-japan-to-boost-coast-security

TOKYO ?

Japan will “strengthen security” around its coasts, Prime Minister Yoshihiko Noda said on Monday, as Chinese ships again plied waters near disputed islands.

“While observing the pacifism that is a pillar of our constitution… I will make efforts in strengthening security in surrounding sea areas,” Noda said in a policy speech to the Diet.

“It is unmistakable that the security environment surrounding Japan is becoming more serious than ever. Various events touching on territorial and sovereign rights are occurring,” he said.

The comments came after Japan said on Friday that it will spend 17 billion yen to beef up its coast guard, as maritime confrontations continue over an archipelago in the East China Sea.

“With an unflagging resolve, I will carry out the function of protecting territorial lands and waters… while observing international law,” said Noda.

On Sunday, four Chinese maritime surveillance ships were spotted in territorial waters around the Tokyo-controlled Senkaku islands, which China claims as the Diaoyus.

On Monday, Chinese vessels were in the so-called contiguous zone, a band of waters that stretches 12 nautical miles from the edge of a state’s territorial waters.

Chinese vessels have moved in and out of what Japan says is its sovereign territory over the last nearly two months since Tokyo nationalized some of the islands.

As well as the potential mineral reserves to which ownership of the islands grants access, both countries have considerable amounts of national pride at stake in the decades-old spat.

The dispute has hit the huge trade relationship between the two largest economies in the region and senior representatives from both governments are reportedly readying for a third round of talks on the issue.

© 2012 AFP

昨日のブログでも紹介したとおり、“政府が災害復興予算で原発輸出先の適正調査までしてくださった”という事実が明らかになったのですが、(復興税だの、今後の消費税アップだのごまかしながら)これらの大金をバンバン振舞うことができて、何故、福島の子ども達を疎開させるなりせず、彼らの健康や命にはダンマリなんでしょうか?

10月31日、国連のジュネーブ事務局(通称、国連欧州本部)で、日本政府が日本で行なっている人権侵害問題について世界中の国から審査を受ける人権理事会のUPR(普遍的定期的審査)が行なわれ、『福島の子を救え』弁護団も出席します。

http://fukusima-sokai.blogspot.jp/2012/10/blog-post_8149.html

おそらく日本政府はそんなことお構いなしでしょうが、戦争責任もあいまって、この件でより一層「日本政府は代々人権無視の国」という汚名が上乗せされてしまうことでしょう。

(これ以前に既に日本の『人権尊重の世界ランク』は低かったと思います。)

「今は領土争いで日本は大金を費やすことができないので、申し訳ないが今後のことは話し合いにしてくれないか?たとえば、福島の子ども達の健康被害は進行中だし、緊急にしなければならないことがたくさんある」という声明を出そうという、合理的で強か、そして何より人の心を持った政治家が日本に出現することを願います。

(マッチョぶりを示すのが、強さと勘違いしている輩がなんと多いことか・・・。知性のなさを暴露しているようなもの。)

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震災復興予算で原発輸出調査-復興税や消費税アップは何のため?

2012年10月29日 | 原発・核・311

なんでこのような“ばかなこと(倫理観のかけらもない・・)”がまかり通るのでしょうか?

東京新聞 (20121029日)

震災復興予算 原発輸出調査にも流用

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012102990071411.html

東日本大震災の復興予算の不適切使用問題で、二〇一一年度三次補正予算に盛り込まれた復興予算のうち五億円を、経済産業省がベトナムへの原発輸出に関する調査事業費として支出していたことが本紙の取材で分かった。被災地復興と関係ない海外の原発推進事業にまで流用されていたことで、復興予算の使途決定のずさんさがあらためて浮き彫りになった。 (中根政人、清水俊介、岩崎健太朗)

 経産省によると復興予算を使ったのは、日本政府の受注が一〇年十月の日越首脳会談で決まったベトナムのニントゥアン第二原発の建設に向け、現地で地震を引き起こす恐れのある断層の有無などを把握する調査。

 調査は日本政府が今年一月、敦賀原発(福井県敦賀市)などを運営している日本原子力発電に随意契約で委託した。

 調査は、経産省が上下水道や鉄道、リサイクル技術などのインフラ技術の海外輸出を促すため、民間企業に現地調査を委託する「インフラ・システム輸出促進調査等委託事業」の一環。

 同調査等委託事業費は一一年度当初予算では約六億円だったが、三次補正予算で「東日本大震災の復旧・復興につながる貿易投資の促進に必要」として、約八十五億円が追加計上された。同事業からは、ベトナムの原発以外に、世界各国のインフラの調査費などが計上されている。

 経産省資源エネルギー庁の原子力政策課は「インフラの海外輸出を進めることが、被災地の関係企業に経済効果をもたらす」と強調。原発輸出の調査費を復興予算から計上することで被災者の心情を逆なでするとの本紙の指摘については「真摯(しんし)に受け止める」と話した。

 政府は、日本の成長戦略としてインフラ設備の海外輸出に力を入れている。だが、原発輸出については「三〇年代に原発稼働ゼロを目指す」とした革新的エネルギー・環境戦略と矛盾するとして政府・与党内からも批判が出ている。

 ニントゥアン第二原発は二基で、電力九社と原発メーカーなどが出資する国策会社「国際原子力開発」(東京)が輸出事業を担当。二一年稼働を目指す。

この問題(特に原発調査にまで復興予算を流用したこと)、追及するのが東京新聞が記事にするで終わってしまうのか。少なくとも東京新聞は、たとえば原発輸出に力を注いでいる内閣官房参与の1人

(『原発融資に意欲的なJBIC、原発融資をしない世銀』

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20110730 )

などにもインタビューするなどして、解明してほしいと思います。

(経産省やこの人物にも予算を決める権限は当然ないですが、彼のアドバイスをありがたがる人は、仙谷氏、前原氏・・・たくさんいます。彼に罪はなくとも、こうした人を内閣官房参与にいつまでも置いておいているようでは、民主党は原発事故の反省もなく、『復興』と言う言葉ははお金集めに利用し続け、当然国民の声に耳を貸すこともないでしょう。

ま、自民党になっても、同じことをされそうですが。)

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柯隆氏の寄稿文

2012年10月27日 | 国際・政治

今年3月に亡くなったK教授

(『K教授追悼』

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20120404

が注目していたカリュウ氏の寄稿文、多くの人に読んでほしいので、リンクとともに、全文貼り付けさせてもらいます。

JBpress (20121022)

それでも日中は互いに欠かせない存在である

中国人がこれほど激しく日本に反発する理由(by 柯隆http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36306

今回の尖閣問題に関して、多くの日本人は中国人がなぜここまで激しく反発するのか不思議に思っているようだ。

 一部の評論家は、「国有化」という言葉が意味するものが日本と中国で違うから誤解が生じている、と解釈をする。だが、領有権の争いが存在する島を国有化することは、言葉のニュアンスの違いだけでは片づけることはできない。

 筆者は、今回の両国の対立が激化する背景には、国民性の違いもあるのではないかと考えている。

 もしも中国と韓国の間で島の領有権の争いが存在し、韓国が実効支配している島に韓国大統領が上陸した場合、中国は同様に激しく反発するだろう。だが、竹島問題について日本は韓国に反発らしい反発を行っていない。

 これが中国ならば、すべての韓流ドラマの放送を禁止し、韓国へのキムチや白菜やニンニクの輸出を禁止するに違いない。揚げ句の果てに北朝鮮への援助を増額するかもしれない。

 しかし、竹島問題が騒がれても日本では韓流ドラマの放送はそれまで通りである。先日、新聞のテレビ番組欄で1日に放送される韓流ドラマをざっと数えてみたら15本もあった。竹島問題があっても日韓関係は冷えていない。

 尖閣問題以降、中国に住む日本人の友人から「柯さん、中国に滞在するのは怖い」という連絡をもらったことがある。ほぼ同時期に、中国にいる親族から「日本にいて大丈夫か? なにかあったらすぐに帰ってきなさい」と言われた。幸いにも、日本で生活する私と私の家族に日本人が危害を加えることは今のところないし、これからもないと信じている。

 むしろ、私の意見に賛同してくれる日本人も少なくない。ネット上では日本政府と日本の政治家を批判する書き込みが見られるが、ツイッターなどで私を罵る日本人は今のところ現れていない。反対に、中国版ツイッターの「微博」で、私が対日関係についてもっと冷静に対応すべしとつぶやいたら、「売国奴」と何回も罵られた。私は無一文で日本にやって来たし、中国の国有資産を処分する権限も一切持たない。一体何をもって私が国を売るというのだろうか。

私の願いはたった1つである。日本と中国が隣同士の国として「普通の関係」に回帰することだ。特別な友好関係を結ぶ必要はない。個人の関係に例えれば、道端で挨拶する程度で十分である。

被害者の戦争の記憶はなくならない

 日中関係を論じるうえで避けて通れないのはあの戦争の負の遺産である。日本人からすれば、十分に反省しているのに、なぜ中国人や韓国人に許してもらえないのか不思議かもしれない。中国人と韓国人はいまだにことあるたびに「日本は軍国主義を復活させようとしている」と指摘する。

 日本で生活する筆者は、軍国主義の復活を夢見る日本人はごく一部で、日本が軍国主義に回帰することはないと確信している。日本は軍事費をもっと増額すべしと主張する論者もいるが、現実的には不可能である。

 いかなる側面から見ても、日本は平和な国である。とはいえ、中韓の日本に対する国民感情はなかなか変わらない。なぜなら、あの戦争の記憶は簡単には拭い去ることができないからである。

 考えてみれば、仮に日本が外国の軍隊に8年間も占領され、自国の軍人と平民が多数殺されたとすれば、70年前のことだから忘れてくださいと言われても、忘れることはできないはずである。

 24年前、私は名古屋へ留学するため南京を出発するとき、当時80歳の祖父に呼ばれ、「日本に行ったらしっかり勉強してきなさい」と激励された。そして、そばにいる祖母から「戦争のとき、おじいさんは無錫で日本軍に捕えられ、20日間留置所に入れられた」と初めて教えられた。幸い、祖父は知識人であり軍隊の兵士ではないことが判明し、その後釈放されたという。

 印象的だったのは、私を日本に送り出すとき祖父も祖母も淡々と過去の出来事を伝えただけで、日本への敵意や反感が感じられなかったことである。そうでなければ、今、私は日本にいないだろう。

 繰り返しになるが、戦争から70年経ったとはいえ、被害者は、自分がどんな仕打ちを受けたのかを忘れることはない。おそらく日本人も同じだろう。福島の会津若松の住民は、幕末の戊辰戦争の怨みでいまだに山口と鹿児島を快く思っていない、という話も聞く。無論、いつまでも過去の重荷を背負っては前へは進んでいかない。

中国との「交流」が足りない

 アメリカ人にとって中国人は世界の中で最も分かりにくい民族である。中国人特有の「適当」な性格はアメリカ人にとっては理解不能で、不安にも感じられるようだ。私がアメリカを訪れたとき、チャイナタウンはアメリカの普通の人が立ち入ってはならない場所になっているようだった。

 同時に、アメリカの宣教師は世界で一番の冒険家と言えるかもしれない。ノーベル文学賞を受賞したパール・バックは、アメリカから中国に渡った宣教師の娘だった(彼女もまた宣教師となった)。パール・バックは中国で育ち、中国人の心を洞察できたからこそ、あの不朽の名作『大地』を生み出せたのである。

 また、第2次世界大戦後に駐中国大使を務めたスチュアート・ライデンも宣教師だった。彼は、中国人以上に中国語と中国文化に精通する専門家だった。

 一方、今の日本には中国問題の本当の専門家がずいぶんと少ない。「中国の食べ物や文化が好きだ」という日本人はいるが、中国問題の専門家と思われる人はなかなかいない。

 まず語学の問題がある(これは日本の戦後教育の大きな欠点と言える)。英語教育はずっと英文読解教育だったし、中国語教育となるともっと低レベルであり、ろくに行われていない。「中国語ができる」と自称する日本人にいろいろな場で出会うが、正直言って中国語で普通にコミュニケーションできる日本人はごくわずかである。

 何よりも致命的だと思うのは、日本のグローバル化が遅れたせいか、日本人の外国人を見る目が一向に向上しない点である。付き合う人が玉か石かを見分けるのはその人の眼力次第である。

 中国に駐在する日本人には1つの傾向が顕著に見られる。それは、彼らが中国人の悪いところばかり身につけているのである。おそらく、教養のない、質の悪い中国人ばかりと付き合っているのではないかと思われる。

 子供のときに親から「いい人と友達となって、悪い仲間と友達にならないように」と教えられなかったのだろうか。もしかしたら飲み屋のホステスとばかり友達になっているからなのかもしれない。

 日本はもっと中国のことを研究し、理解すべきである。日中関係を正常化させるには、互いを知るための交流をもっと強化しなければならない。

双方が一歩ずつ下がるのが現実的な解決策

 日本政府は尖閣諸島を国有化した。それに対して中国政府は猛烈に反発している。日中関係は解のない方程式のような局面に直面している。

 おそらく尖閣危機を解決する唯一の方法は、日中双方が一歩ずつ下がることしかないと思われる。なぜ下がらないといけないかというと、日中のいずれにとっても相手の存在が欠かせないからである。

 ただ、簡単には下がれないだろう。双方の国益とメンツがかかっているからである。では、具体的にどのように下がればいいのか。

 今回の危機は、東京都による島購入から始まったが、日本政府による島の国有化は40年前の周恩来首相と田中角栄総理による「現状維持」の口約束に反している。そのため、日本の国益を損なわない前提で現状維持の方向へ戻す必要がある。

 しかし、ここまで来て島を個人に返すわけにはいかない。であるとすれば、第3の道を探る必要がある。

 第3の道とは国有化ではなく、元の個人所有でもない選択肢である。それは前回も述べたように、第三者の日本のNGO、あるいは財団法人や社団法人に島を譲渡することだ。第三者に譲渡すれば、中国のメンツもつぶれなくて済むはずである。

 ただし、東京都が島購入を宣言する前から、ここ数年、中国の船が尖閣諸島の海域に頻繁に出入りしていた。これが国民感情の対立を誘発している。尖閣諸島を第三者に譲渡するだけでは、問題の解決にならない。

 重要なのは、それを譲渡したあと、日中が尖閣諸島に関する協定を結ぶことである。すなわち、尖閣諸島の海域を立ち入り禁止海域にし、日本の船も中国の船も立ち入りしてはならないとする。この協定の有効期間は長ければ長いほどいい。例えば、今後50年間、誰も立ち入りできないようにすれば、向こう50年は尖閣紛争が爆発しなくて済む。

 そして最初の一歩を踏み出すために、国有化を決めた野田佳彦総理は胡錦濤国家主席に直談判を申し入れるべきではないだろうか。

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ラクイラ地震裁判、検察側の言い分-本当に裁かれるべきは・・・

2012年10月26日 | 海外ニュース・できごと

イタリアのラクイラ地震裁判の件、経緯が詳しく書いてあります。表題だけ見るとわかりませんが、公平に書かれているので、その前後関係、検察側の主張がわかります。

IB Times

イタリア地震「過失致死」判決、地震予知への影響に懸念高まる

http://jp.ibtimes.com/articles/36491/20121025/968255.htm

抜粋:

ラクイラを襲った大地震の前に、約1年半にわたり、小規模な群発地震が続いていた。 

 群発地震の回数は20091月に69回、2月に78回、3月には100回と次第に増加し、本震の約1週間前の329日にはマグニチュード3.9の地震があった。329日のマグニチュード3.9の地震の後、24時間以内に大地震が来ると予測し、今回の裁判の被告が所属する国立地球物理学火山学研究所(INGV)に伝えた市井の研究者がいた。ジャンポーロ・ギリアニ(Giampaolo Giuliani)氏だ。 

 ギリアニ氏は巨大地震の発生前に、岩盤のひずみからラドンガスが漏れ出て、地中のラドンガス濃度が上がると624時間後に地震が発生するという事実を突き止め、ラドンガス濃度計測器を地中数か所に埋めて地震発生の場所と時間を独自に予想し、マスコミにも発表していた。 

ギリアニ氏の巨大地震予知をテレビで知った多くの人々が、329日の夜、野外にテントを張り一夜を過ごした。しかし330日午後に発生した地震はマグニチュード4.1で「巨大地震」とは言えず、INGVは彼を住民に不要な恐怖を与える偽地震預言者と決めつけ、以後彼が地震予想をマスコミに発表することを禁じた。 

そうこうしているうちに44日、マグニチュード5.9の大きな地震が発生した。

今回の裁判の被告の1人であるボッシィ(Enzo Boschi)博士(ボローニャ大学教授)らは、330日の専門家会合で「これ以上の地震を心配する必要はない。地震は収束に向かっている」と発表した。 

 INGVは緊急の会合を招集し、怯えている人々を落ち着かせるため、この地震でほとんどのエネルギーが放出され、これ以上大きな地震が発生する危険がなくなったと、安全宣言を出した。 

 しかし45日、ギリアニ氏のラドンガス濃度測定器が再度急上昇した。その夜(6日午前332)、マグニチュード6.3の本震が発生した。 

 全体を見ると、正確な地震予知ではないかもしれないが、ギリアニ氏が予知できた大地震の危険性を市民に知らせる機会を奪い、逆に安全宣言を出して多数の住民の大惨事を招いた被告のボッシィ博士ら著名科学者の行為は、間違った情報を流布した過失により多数の死傷者を発生させた「過失致死罪」にあたるとして、検察側は7人全員に禁錮4年を求刑していた。 

 検察側は、専門家会合の見解について「不完全で、不正確で矛盾したものだった」と主張していた。 

検察側の言い分が真実だとすると、これは「(なんら圧力があってそうしたのかもしれませんが、)国立の研究所のINGVが権威を振りかざし、市井の研究者を排除したケース」であり、実際に市井の研究者が言った言葉で野外テントを張っていた人たちが大勢いて彼らが家に戻って亡くなったのだとすれば、『どこぞの御用学者』と一緒なので、主張を一点して私もこの裁判自体の正当性を問う気もなくなります。

(ただし、判決が6年の禁錮刑というのはおかしいと思うし、だいたい求刑4年で判決が6年って、なぜそうなるんでしょう?)

が、マグニチュード6.3で崩壊する建物がたくさんあること、これが死傷者をたくさんだした原因になるので、市なり国なりの建物の管理、建築基準が第一に訴えられるべきであると思いますが・・・なぜそうならないのか・・・。

参考:

ラクイラ地震裁判の判決ーイタリアは文明国か?

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20121023

ラクイラ地震裁判の判決を支持する人の言い分ー司法と理性

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20121024

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アウシュビッツ生還者の手記は日本にあっても日本軍による被害者の手記は日本にはない?

2012年10月25日 | Nationalism

アメリカのペンフレンドのティムさんが、私に領土問題や日本のナショナリズムについての私の意見を聞きたがっていたのでそれに触れ、最後に、

「これをアメリカ人のあなたの言うのは失礼とは思いますが、今の領土闘争は日本、中国、韓国の政治家が利用しているだけではなくて、米国の政治家も利用しているとも思います。」

と率直な意見を書いたところ、

「気にしないで。確かに米政府は確かに今回のケースを利用していると僕も思う。でも、日本が戦争責任をきちんととっていないのが、問題の根本ではないのかな。」

と返ってきました。

(彼は私が前々から「日本はアジアに対しての反省が足りない」と思っているのを知っていますから、今更ですが。)

「『日本が国粋主義的な国であるから、戦後もずっとアジアに対して戦争の反省をできなかったという見解』を持つ学者は東アジアだけではなく、世界にいます。(だから、現在の日本の状況は領土問題を機に、おおっぴらな態度をとるようになっただけと取る人もいるでしょう。)

しかし、一方、米国が『日本に対して終戦に必要がない上、戦争犯罪ともいえる広島や長崎(特に長崎)へ原爆投下したこと』を謝ってくれたのであれば、日本人が自国の戦争被害にばかり焦点をあて、自分達がしてきたことから結果目を背けることもなかったのではないか、とも思います。」

と返答しました。

子供同士、先輩後輩、かつては多かった嫁姑のいじめ、いびり-これがなくならない一つが、「自分もやられてきて(謝ってもらわなくて)、我慢したのだから」と正当化して、自分をいじめたのではない弱者をいじめる人が案外います。

「自分がやられて嫌だったら、やらない」と考えず、「いじめられた自分は可哀想だった。この穴埋めをしなければ」という意識が働くのか、腹いせに他の相手をいじめ、その被害者に対して反省することもない。

個人と国家レベルでは違うので、唐突に思えるかもしれないですが、日本が嘗て酷い目にあわせたアジアに対し心から反省しないのは(少なくとも日本以外の人々は、この考え方が主流)、こういったことも関係するのではないか、と時々思います。

(イスラエル人がパレスチナ人を隔離したり、迫害をするのができるのも、この論理?)

ドイツに住んでいた友人Tが、統一記念日の夜にドイツの国営TV局で『戦場のピアニスト』を放映したことを、「日本じゃ、まずこういうことは考えられないね」とメールで書いてきたことがありました。

日本の終戦記念日は、原爆や東京大空襲の特集を組んだりしますが(近年は少なくなってきていますが、近隣諸国を気にしてか、単なる風化か)、間違っても日本軍の残虐行為を扱う映像も記録も扱わないでしょう。

先日から、プリーモ・レーヴィの話をしつこくしていますが、また彼の話をしてもらえば、彼のアウシュビッツでの体験を元にした本がドイツに出版されたのは1960年代。

自分の本がドイツで出版されると知って『目的』が果たされると思ったレーヴィですが、彼は翻訳で原作をいじくられることを心配します。

が、彼の本を翻訳することになったのは、戦時中、ナチス政権のドイツを嫌って、本国を出てイタリアに留学していたドイツ人。

そういえば、プリーモ・レーヴィやヴィクトール・フランクル、アンネ・フランクはじめ「第二次世界大戦時のユダヤ人」の翻訳本は日本に数多く翻訳されているものの、731部隊の生存者、南京大虐殺のときの体験者の中国人、従軍慰安婦にされた人たちの手記の翻訳本、こうしたものを私は見たことがないことに気がつきました。

「日本に翻訳されていないだけなのだろうか。あなたの国でそういう本を見たことがある?」・・・と今日ティムさんと、ドイツ人で日本在在住のラインホルトさんに質問しましたが、そうした本が出版されたことがあったとしても、戦後67年もたった今では、そうした本の英語なりドイツ語なりの翻訳本を見つけること自体は難しいでしょうね。

(中国や韓国の原作は今でも見つけるのは容易いことでしょう。)

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ラクイラ地震裁判の判決を支持する人の言い分ー司法と理性

2012年10月24日 | 海外ニュース・できごと

ラクイラ地震判決に抗議して、要職を辞任する人たちがいる一方、「これは「科学者」の裁判ではない」と言い、「「地震の危険はないから、家でリラックスしてワインを飲んでいて大丈夫」という発言までが出てしまった無責任さにある」ということを言っている人もいるようです。

Aljazeera (2012.10.23 )

Italy disaster chief quits over quake row

http://www.amoitalia.com/orvieto/index.html

The head of Italy's top disaster body has resigned in protest after seven of the organisation's members were sentenced to six years in jail for manslaughter for underestimating the risks of a deadly 2009 earthquake.

Luciano Maiami told Italy's ANSA news agency that he had quit as head of the Major Risks Committee because "there aren't the conditions to work serenely," a day after the watershed ruling that sent shockwaves through the international scientific community.

The seven defendants are appealing Monday's ruling by the court in the medieval town of L'Aquila in central Italy, an area devastated by the April 2009 earthquake that killed 309 people.   

Maiami, one of Italy's top physicists and a former head of the top partical physics laboratory Cern in Geneva, criticised the verdict as "a big mistake".

"These are professionals who spoke in good faith and were by no means motivated by personal interests, they had always said that it is not possible to predict an earthquake," he told the Corriere della Sera newspaper.

"It is impossible to produce serious, professional and disinterested advice under this mad judicial and media pressure. This sort of thing doesn't happen anywhere else in the world.

"This is the end of scientists giving consultations to the state."

All seven defendants were members of the Major Risks Committee which met in L'Aquila on March 31, 2009 - six days before the 6.3-magnitude quake devastated the region that left thousands homeless.

Under the Italian justice system, the seven remain free until they have used two chances to appeal the verdict, but the ruling has sparked outrage among the world's scientific community which says it has set a dangerous legal precedent.

'Incredulous'

Maiami said the committee's deputy head was also set to resign.

Michael Halpern of the US-based Union of Concerned Scientists said that without the right to speak freely and independently, they become vulnerable to scapegoating and persecution.

"Scientists need to be able to share what they know - and admit what they do not know - without the fear of being held criminally responsible should their predictions not hold up," he said in a blog.

The seven Italians will appeal their sentence in hearings set for the final months of 2013, according to Marcello Melandri, lawyer for Enzo Bosci, who was the head of Italy's national geophysics institute at the time of the earthquake.

"We will wait to read the grounds for the verdict and then the defence lawyers will work on the appeal, hoping for a better outcome," he said.

"I am still incredulous, I keep thinking about it and ask myself why," he said, referring to judge Marco Belli's decision to give the scientists a harsher sentence than called for by the prosecutor.

The defendants were also ordered to pay more than $12m in damages to survivors.

'No danger'

In L'Aquila and the surrounding towns, where rubble from crumbled houses and churches still lies in vast piles in off-limit zones, survivors and families of those killed said they were shocked by the global reaction.

"There has not been any trial against science," said Anna Bonomi, spokeswoman for the 3and32 survivors' group which has campaigned for justice.

"If anything, there has been a trial against a system of power," she said, referring to the widely-held belief that the government had conjured up a media-friendly reassuring message to calm skittish citizens before the earthquake.

"They may convince Italians [that the trial was unfair] but they will not convince us residents: they played with people's lives."

The government committee met after a series of small tremors in the preceding weeks had sown panic among local inhabitants - particularly after a resident began making worrying unofficial earthquake predictions.

Italy's top seismologists were called in to evaluate the situation and the-then deputy director of the Civil Protection agency Bernardo De Bernardinis gave news interviews saying the seismic activity in L'Aquila posed "no danger".

He advised local residents to relax with a glass of wine. About 120,000 people were affected by the earthquake, which destroyed the city's historic centre and medieval churches as well as surrounding villages.

確かに、この「リラックスしてワインを」という言葉を信じ安心しきっていた人には、許しがたいことでしょうが、「逃げた方が良い」と言われて、皆それを信じて逃げたのでしょうか。

911のテロ事件のとき 世界貿易センタービルから一旦逃避しようと一階まで降りた人たちが、「外は危険なので留まるように」というアナウンスを聞き部屋に戻り、助かったはずの命も失われました。

このときのアナウンスがなければ犠牲者は減っていたと思いますが、「「リラックスしてワインを」と言われて留まったせいで多くが亡くなった」というのは、八つ当たり的過ぎるのではないでしょうか?(そして、建築基準が甘い国、ラクイラ市の責任回避に使われる。)

「戦時中、パルチザンが活動していないでドイツ軍の言うことを聞いていれば、村が襲われ、多くの人が命を失わなくても済んだはずだ」という裁判がイタリアであったということを、昔何かで読みました。

この裁判の判決がどうなったのかまではわからないのですが、この裁判も、地震の裁判も、犠牲者、その親族の心情が察しられるばかりに、理性だけを押し付けるのも気が引けます。

しかし、理性的な判断を司法が行わないことが許されるとしたら(特に今回のラクイラ地裁など、ラクイラ市の有力者の力が大分影響していることでしょう)、その国の未来は危ういと思えます。

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ラクイラ地震裁判の判決ーイタリアは文明国か?

2012年10月23日 | 海外ニュース・できごと

イタリアのラクイラ地震の裁判の地裁判決がでたようです。

科学者らに求刑上回る禁錮6年=地震警告失敗で有罪判決―伊地裁

時事通信 1023()035分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121023-00000005-jij-int

 【ジュネーブ時事】イタリア中部ラクイラで20094月に死者309人を出した大地震で、事前に住民に警告しなかったとして過失致死罪で科学者ら7人が起訴された裁判で、ラクイラ地裁は22日、全員に禁錮6年の有罪判決を下した。科学者らの判断が「不正確かつ不完全、矛盾に満ちている」と指摘。検察側求刑の禁錮4年を上回る厳しい判断を示した。

 地元メディアによると、被告弁護士の一人は「判決は信じられない内容だ」と述べ、控訴する意向を明らかにした。

 裁判は技術的に困難な地震予知をめぐり、科学者らに責任を問えるかどうかが争点となった。世界各国の5000人を超える科学者らが「科学を裁くことはできない」「専門家は責任追及を恐れ地震リスク評価に協力しなくなる」と批判していた。

 訴えられたのは、自然災害リスクを評価する政府市民保護局の委員会メンバーだった著名地震学者、地球物理学研究機関のトップ、同局幹部ら7人。ラクイラで続いていた微震のリスクに関し、地震発生6日前に「危険はない」と公表、住民が逃げ遅れるなど甚大な被害を招いたとして115月に起訴された。


 検察側は7人が「不完全かつ的外れで犯罪に値する誤った評価」を行ったとして責任を追及。地震予知ができたかどうかが問題ではなく、中世の歴史的建造物が残るラクイラが地震に弱く、住民へのリスク警告を怠った責任があると主張していた。 

昨年11月に、イタリアのラクイラ地震の裁判についての記事を書きました。

(『地震を予告できなかった専門家に責任を問うイタリア』

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20111106

この研究所は、私のイタリア人ペンフレンドの勤務先です。

トリノ旅行前、トリノ近郊に来ることもあるという彼とメールを交わしていました。(たまたま少し前に求刑禁錮4年という話を知ったので、)そのメールに短くこの裁判について書きましたが、今度は彼はこれには無応答でした。やり切れなさと保身が混じったものが彼のなかにあったのではないかと思います。

それにしても、ジェノバサミット時の事件

(『2001年ジェノバ・サミットの舞台裏で何があったか』

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20120717

や今回の事件などを聞くと、イタリアは(中世とまでは言いませんが)戦前の国のままであるような錯覚を覚えます。

イタリアが戦後王制廃止を決めサヴォイア王家を国外追放することになったのも(日本の天皇制存続の可否を国民投票で決めるなんて、考えられないですね)、原発廃止を決めたのも、これは国民投票によるものです。

そこまで“民主的”な国が、とてもじゃないけど、ときどき文明国とは思えないことをする。

この裁判、控訴して判決が覆る可能性もあるでしょうが、判決が覆されることがなければ、(再選を目指していると言われている)ベルルスコーニがまた大統領に復帰しても納得してしまいそうです。

それはそうと、日本の地震学者の皆さん、イタリアの同業者のために動いてくれないでしょうか。

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ヴィクトール・フランクルとプリーモ・レーヴィ、アウシュビッツと原発

2012年10月22日 | 人物

知人からメールが入り、彼女はそのなかでプリーモ・レーヴィについて語ってくれました。

(※ブログへの転載の許可を取ろうと連絡をすると、「講演会の引用に記憶違いや、間違った解釈があるかもしれない」と言いながら、快諾してくれました。感謝!)

「(前略)

プリーモ・レーヴィについてのコメントを興味深く拝見しました。

実は、丁度一昨年の10月に立命館大学でプリーモ・レーヴィ展があり、大掛かりな展示ではなかったのですが、とても心に残りました。同様によく比較されるヴィクトール・フランクルに私はとても興味があったので、プリーモ・レーヴィ展に付随する二つの記念講演会にも行ってきました。ひとつは竹山博英氏の「プリーモ・レーヴィーアウシュヴィッツを考え抜くこと」もうひとつは鵜飼哲氏の「人間であることの恥ふたたびー2011年の経験から」という講演でした。

竹山氏はプリーモ・レーヴィの年譜を追って行くことで、彼の最期を考える講演でした。私が覚えているのは、プリーモ・レーヴィの人生に残した5つの要素です。1 仲間内の粛清 2 ヴァンダ・マエストロ 3 溺れるもの 4 一般犯罪者やユダヤ人管理者に支配される収容所での体験 5 (合成ゴムの管理者ハンヴィツ博士に)プリーモ・レーヴィは有用な物とみなされたこと

彼が生き残った条件は偶然の重なり合いだったわけですが、そこで生きる意味を見いだします。しかし「悪に手をそめたものがよけい生き残っている。つまり、最良の人間は死んでしまった。自分は人を押しのけて生きているのではないか」という感情は生涯彼につきまとっていたようです。

鵜飼氏は人間の恥という観点から、昨年の福島の「原発が地方の構造的低開発を条件に建設され、社会的差別を条件に稼働し、潜在的被害者がそれなしには生計がたたない状況に追い込まれ、共犯関係に巻き込まれていること」という逃れられない点でアウシュビッツと対比しました。

プリーモ・レーヴィに関しては「レーヴィが彼自身の要求を文字通りに考えているなら、彼は絶望させられるだけである。明らかに彼はバーを高く上げすぎた(トドロフ)」を引用しました。

(後略)」

この知人への返事に、私は、

Hさんが「彼が生き残った条件は偶然の重なり合いだったわけですが、そこで生きる意味を見いだします。しかし「悪に手をそめたものがよけい生き残っている。つまり、最良の人間は死んでしまった。自分は人を押しのけて生きているのではないか」という感情は生涯彼につきまとっていたようです。」とおっしゃっているように、レーヴィにこうした罪悪感が生涯付きまとったのは確かであると私も思います。(だから収容所での体験はレーヴィの悪夢となり、彼を襲い続けました。)

が、実のところこれ自体を彼は『パルチザンの仲間の処刑』ほど嫌悪は感じていなかったのではないか、と私は思います。

なぜなら、この『偶然』はレーヴィにはどうしようもなかったことであるのに対し(ただし、収容所内で、レーヴィはひょっとしたら他の人から食べ物を盗む等の行為をしてしまったことは、あったかもしれないですね。生きるためにそれは当時はあたりまえの行為で、レーヴィはそれを恥とは思ったけれど、一歩客観的になることができたように思います。)、パルチザンの件は、彼が直接処刑を実行したわけでもなく支持をしたわけでもないけれど、レーヴィは処刑に間接的に関わってしまったわけですから。」

と書きました。(一部編集)

とはいえ、私はレーヴィの作品、関連本を最近再び読み出しただけであり、彼のことを研究しているわけではないので、これはもう想像でしかありません。

また、ユダヤ系オーストリア人ヴィクトール・フランクルについても、私は彼の『夜と霧』を中学の頃に読んだ記憶があるものの、(当時はこの本の深さを理解できなかったのか、)さほど印象に残っていません。だからこう書くのは二人や研究者に失礼ですが、私にはフランクルもレーヴィも、彼らがアウシュビッツの体験を書き綴ったのは、「生き残った者としての使命感」からだと思えます。

レーヴィに「他者を押しのけて生き残ってしまった罪悪感」があったのなら、「使命感」を持つまでの気力も起こりえなかったと思えるので、余計レーヴィの言葉を文字通り受け取ることもないのではないかと思えてしまいます。

さて、話はHさんの話してくれた鵜飼氏の福島とアウシュビッツの対比に移りますが、私は以前、『Cagotと、フランスと日本』

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20110928

のなかで、日本の原発が建設された場所とと呼ばれる集落の関係を書きました。

こうしたにできた原発を知る人はわずかでしょうし、また、今回の福島事故現場の第一線で働く従事者がとてもではないけど人権が守られていると言えない人たちがいること(生きていくために身売りしたり、だまされたりしたような人たち)を大手メディアが報じても、未だに知っている、興味を持つ人はさほど多くないと思います。

原発が電気を多く使う東京ではなく、地方に作るようにできる構造なども、311以降あぶりだされました(地方は原発でも建てないと雇用が生まれない)が、どれだけの人がこれをひっくるめて原発と関連付けて考えるのか。

原発従事者ではなくても、現在まだ汚染が残る地区で暮らさざるを得ない人々を差別する人たちもいる日本。

レーヴィは収容所から帰還する途中、ドイツの一般人を目にしながら「彼らは何が起こっていたのか知っているのだろうか。知らなければ、知る必要がある」と心のなかで呟きましたが、「ドイツ人の多くが収容所で起こっていたことを知っていたら歴史が変わったと確信すること」は、残念ながらなかったのではないかという気がします。

ただ、それでもドイツ人に知らせる(同時に世界に広める)意義、それで何かを変えられるという希望はあったでしょう。

311以降、フランクルの『夜と霧』がよく読まれるようになったと聞きました。

これが読まれるようになったのは、収容されていたユダヤ人が極限状態にあるときの人間性というものと、震災、津波、原発事故の被災者のそれを重ねる部分があって、ということのようです。

フランクルの次はレーヴィの本も読まれるようになったら、よいなと思います。

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触ったものが金に変る魔法をかけてもらった王様とモンサント

2012年10月20日 | 武器輸出・TPP・モンサント・農薬

自分たちの健康を、そして自然を、一握りの人たちの利益のために犠牲にさせられることって、“普通”のことですか?

『モンサントの不自然な食べ物』公式サイト

http://www.uplink.co.jp/monsanto/

題名や作者を思い出せないのですが、魔法で願いをかなえてくれると言われた欲張りの王様が、「手に触れるものすべてを金に変わるようにして欲しい」と頼んで、自分が食べようとするものまで金に変わってしまうので飢え死にしてしまう話がありました。

この王様、愛娘も抱きしめようとして金の塊にしてしまったと思いますが、欲のために犠牲にされてはたまりません。

原発も、モンサントのような企業がのさばれるのも、根は一緒ですね。

さて、モンサント関連のパブコメは今までも募集され、おそらく反対意見があったとしても、モンサントの申請が通るか否かは「先に答えありき」であったでしょう。

その茶番にはうんざりしますが、一応お知らせまで。

農林水産省

遺伝子組換えダイズの第一種使用等に関する審査結果についての意見・情報の募集(パブリックコメント)について (締め切り1026日)

http://www.maff.go.jp/j/press/syouan/nouan/120927.html

参考:

遺伝子組み換え作物とTPPとモンサント

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20111112

枯葉剤を作ったモンサントとベトナム政府

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20120209

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控えめな勇気が示せる人々

2012年10月20日 | 芸術・本・映画・TV・音楽

小学生中学年から高学年にかけての担任の教師が、私のものの見方、考え方に影響を与えている話は前に書きました。

『理想の先生』

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20110419

実家でも本好きの父が様々なジャンルの本を子ども達に与えてくれ、なぜか西洋、ロシア文学が好きで読んでいたこと、父ほど本好きでなかった母も太平洋戦争のときの話をしてくれたり、その時代の子どもの生活をつづった本を選んできて話を聞かせてくれたこともあって、私は他の子ども達よりませていて、そして「戦争および人間」というものを考えることがよくある子どもでした。

そんな私が今に至るまで持っている疑問が、「第二次世界大戦時、ユダヤ人に嫌がらせをしたり、密告する人がいた一方、見知らぬ人であろうとユダヤ人を匿ったり、親切にしてきた普通の人(政治的だったり、宗教的だったりする人ではない、普通の農家の人など)がいたけれど、この違いを決定するものは何か。」ということでした。

それには家庭・生活環境、信心の度合い、教養も関係はするけれど、それだけではない何かがあるように思われます。

レジスタンス活動に身を投じるにいたるまでの人たちは信条、信念があり、ある程度共通点も浮かんできそうですが、こうした「レジスタンス活動までしないまでも、流されない善意の人たち」の行動や勇気が、何に基づくものかがはっきりわかりません。

そういえば、前回プリーモ・レーヴィの話を書きましたが、彼が終戦間際に体験した話に、アウシュビッツで空襲にあったときに、レーヴィらユダヤ人を防空壕に一緒についてくるように誘い、防空壕の入り口で見張りの兵隊と殴り合いをするドイツ人の話がでてきます。

194411月、私たちはアウシュビッツで働いていた。私は二人の仲間とともに、他の場所で述べた化学実験室にいた。その時、空襲警報が鳴って、その直後に爆撃機が見えた。百機ほどの編隊で、恐ろしい空襲が行われそうだった。工事現場にはいくつかの大きな防空壕があったが、それはドイツ人用で、私たちには禁じられていた。私たちは柵で囲まれた、すでに雪が積もっている未耕地で我慢すべきであった。

囚人も民間人も全員が、階段を駆け下りて、それぞれの目的地に向かった。しかし、実験室長が、ドイツ人技師が、私たち科学者=囚人を引き止めた。「おまえたち三人は私と一緒に来い」。私たちは驚きながら、彼に従って防空壕に走ったが、入り口に、腕に鉤十字の印をつけた、武装した見張りが立っていた。

見張りは言った。「あなたは入れ。他のものは出て行くんだ」。すると実験室長は言い返した。「彼らは私と一緒だ。全員入れろ、そうでなければ出て行く」。そして彼は強引に入ろうとした。殴り合いになった。見張りの方が頑丈な体格をしていたので、分が良かった。

だが全員にとって幸運なことに、警報解除のサイレンが鳴った。空襲の目的地は私たちの収容所ではなく、飛行機は北に向かって飛んで行った。もしこうした控えめな勇気が示せる、例外的なドイツ人がもっとたくさんいたら、当時の歴史や今日の地図は違ったものになっていただろう(これもまた仮定の話だ。しかし枝分かれする道の魅力にどうしたら抵抗できるだろうか)。」

(朝日新聞社『溺れるものと救われるもの』プリーモ・レーヴィ著、竹山博英訳)

このドイツ人実験室長は、レーヴィたちを失うと仕事に支障が出ると思ったのかもしれないですが、一緒に働くうちに尊敬の念や情がわいていたこともあるでしょう。

が、やはりそれにいたるには、収容所で働くことになってしまっていたとはいえ、ユダヤ人を非人間的に扱うことを良しとしなかった人ではないか、と思えます。

彼は収容所に来る前には、ここまでユダヤ人が非人道的扱いを受けていることを知らず、惨状を目にし耳にしたことで、人間性に目覚めたということもあるかもしれませんが、いずれも収容所内での惨状を知りつつも、そのことに良心の呵責も同情もしなかったドイツ人たちが多かった事実。

こうした、実験室長や、ユダヤ人を匿ったり、同情の気持ちを持って接した名もない人々-レーヴィ風に言わせると、「控えめな勇気が示せる人々」と言うことになると思いますが、彼らのような人が多くいたのであれば、私も歴史は変わっていたのではないかと思えます。

こうした、「控えめな勇気が示せる人々(=流されない善意の人たち=戦争に限らず、踊らせられない人たち)」が出てくる確率は、全人口においてある程度の確率でしか存在しないものなのか、実はなんらかで増やせるものなのか・・・この問いは一生続きそうです。

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トリノの作家、プリーモ・レーヴィが残した宿題

2012年10月17日 | 人物

トリノは興味深い二人の人物の出身地でもあります。

一人はフィアット、オリベッティの経営、アリタリア創設に携わり、ローマクラブ創設者となった、アウレリオ・ペッチェイ。もう一人は、ユダヤ人で作家、科学者のプリーモ・レーヴィ。

(ローマクラブのウィキペディア:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96

ペッチェイは1908年生まれでレーヴィは1919年生まれですが、ともにトリノ大学で学び、第二次世界大戦ではレジスタンス運動の闘士でした。ペッチェイは1944年の捕まり、投獄。レーヴィは1943年12月にファシスト軍に捕らえられ、収容所送りになっています。

戦後はペッチェイは実業界で活躍。レーヴィは化学者として働きながら、作家活動、そして収容所体験を若い人たちに語り継ぎ、ペッチェイは1984年に原因不明のヘリコプター事故で亡くなり、レーヴィは1987年に自殺(事故説もあり)で亡くなっています。

この二人の経歴は似ているだけではなく、戦後は正反対の生き方をしたとはいえ、彼らが“人類に対して宿題を残していった”と言う意味では、同じであったのだと思います。

さて、このペッチェイ氏のほうは、日本語の文献があまり見つからないのですが(日本では某大物宗教家が彼と親しかったようで共著も出しているようですが、これがかえってマイナスイメージを作りだしたり、ペッチェイやローマクラブ自体を陰謀論で捉えている人もいるようで、残念。)、プリーモ・レーヴィのほうは、著作が翻訳されていたり、彼を研究している人も多くいます。

日本語の文献は少ないもののペッチェイのことを知っていた私、レーヴィについて、実のところはるか昔に彼の本を一冊読み、その後NHKで放映された彼の軌跡をたどる番組を見ただけで、今回のトリノ旅行から帰ってくるまでは彼がトリノ出身だということは、意識していませんでした。

しかし、旅行から帰ってきて、トリノ出身のユダヤ人を調べるきっかけがあり、そのなかにプリーモ・レーヴィの名前を発見。

そして今回の旅行前、たまたま図書館で中身も見ないまま作家の名前で選んで借りていた本のなかに彼の本、および彼について書かれた本があり、思わずとびついてしまいました。

さて、先ほど私は、「彼らが“人類に対して宿題を残していった”」と書きましたが、レーヴィが残した宿題、それは「人類が二度と無益な争い、戦争を起こさない道を探す」ということだと思います。

トリノは歴史的にユダヤ人の差別が少ない町でしたが、戦争前後には、それが一変してしまいます。今まで親しくしていた非ユダヤ系の友人や教授がよそよそしくなり、宗教にあまり熱心でないレーヴィも自分がユダヤ人であるということを思い知ることになります。

しかし、そんな中でも、戦前と全く変わりなく接してくれる友人や助教授もおり、レーヴィはそうした仲間とともに、レジスタンス活動に入ることになりますが(潜入先が私が今回足を伸ばしたアオスタ!激戦地だったようで、市庁舎の前で兵士等の慰霊碑がありました。)、今度はその部隊のなかで、規則に従わなかったり、略奪等の行為を行った二名を部隊が処刑することになり、これはレーヴィの心の傷となります。

そして、1943年12月、レジスタンスにスパイが紛れ込んでいて、レーヴィもつかまり、イタリアの収容所に送られ、そこからアウシュビッツに送られてしまいます。

死と隣り合わせの収容所での直接収容所の収容者を酷い目に合わせたのは同胞、まるで人間を見ているような視線を向けないナチスの高官、収容所から解放された後の自分を見るポーランド人の同情ではなくて下げずむ視線、本来自分が“選別”されたであろうに、手違いでガス室送りになった収容者、素朴で暖かかったロシア人、自分に食料を与え、何の見返りも求めなかった、民間イタリア人(収容所内)労働者・・・・どんなときも人間を観察し続けたレーヴィ。戦中戦後も「ナチスドイツが何故ここまで非人間的なことができるのだろうか」と問い続けながら、一方で「戦争をヒトラーだけの責任しているようであれば、また同じ戦争が起こる」と危惧。

戦後も、トリノを初め、各地の高校などで、アウシュビッツの体験の講演会にも出かけ(これが自分を非常に消耗させるのに・・・)、米国にも呼ばれますが、イスラエルがパレスチナでしていることを批判して、米国保守派ユダヤ人のみならず、本国のユダヤ人からも阻害感を味あわされることもあったようです。

また、「ホロコーストは作り事」という意見を公の場で言う人たちにも反論をしてきましたが、政治的発言や、闘争を好まなかった彼のやりきれなさは計り知れません。

(戦後の学校での講演会でも、「収容所から逃げられたはずだ」という右派の生徒の声や、元ファシストの校長なども、彼は同じ思いをしたと思います。)

いつも控えめ、穏やかだったレーヴィは3階(日本式だと4階)の窓から落ちて亡くなりました。これは遺書がなかったものの、1メートル弱の手すりがあって、事故とは考えづらいこと、レーヴィが実母、義母の看病と自身が鬱病にかかっていたことから、突発的な自殺だろうと言われています。(そして私もそう思います。)

このレーヴィの自殺について、生涯戦争で追った心の傷も原因となったでしょうし、他にも、私は彼が友人や仕事にはめぐまれていたにも関わらず「自分の居場所・目的を失ってしまった」と感じたせいではないか、と思っています。(「戦い」を好まなかったレーヴィがレジスタンス活動に身を投じたのも、その仲間こそが自身の仲間と感じられた人たちだったからではないかと思います。)

そしてまた歴史を学ばない人類に対しての絶望感もあったに違いない、とも思えます。

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Economist誌が心配する日本のナショナリズム

2012年10月15日 | Nationalism

JBpressのエコノミスト翻訳文です。

JBpress (20121015)

日本のナショナリズム:ポピュリストに要注意(Economist

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36314

2次世界大戦を終わらせた敗北以来、日本はアジアの平和と繁栄の強力な原動力となってきた。とりわけ対外支援では日本は優に一番寛大な国で、貧しい近隣国が貧困から抜け出すのを助けてきた。

 日本が近隣諸国から浴びせられる罵りの言葉からは、そんな事実は窺い知れないだろう。しかも、非難の対象は、数千万人のアジア人が命を落とした1945年までの日本の侵略行為だけではない。日本を中傷する人々は、日本の帝国主義は一度として消滅したことはなく、単に卑劣な手口で隠され、復活の機会を窺っているだけだと言う。

 この主張はナンセンスだ。確かに音はけたたましいが、黒い「街宣車」で軍歌を鳴り響かせながら東京を走り回る右翼の輩はごくわずかだ。それでも時折、国家主義の政治家が不用意に、近隣諸国とのこじれた関係をほぐす長年の努力をふいにしてしまうことがある。

日中関係に楔を打ち込んだ張本人

ごく最近それをやったのは、東京都知事で、日本の右派の老いた荒くれ者、石原慎太郎氏だ。

 日本では尖閣諸島、中国では魚釣島として知られている小さな島々を東京都として買い取ろうとした石原氏の試みは、世界第2位、第3位の経済大国同士の論争に火をつけた。

 この争いは3500億ドル相当の日中貿易に害を及ぼしかねず、日本を景気後退に逆戻りさせてしまう恐れさえある。

(中略)

 日中関係の改善に努める非政府組織「言論NPO」代表の工藤泰志氏は、日本ではポピュリストが政治目的で中国問題を利用する危険性が高まっていると見ている。高まる反中感情は、格好の温床となる。反日デモへの懸念に加えて、人々は中国の経済力と軍事力への懸念も強めていると工藤氏は言う。

筋金入りの保守派も懸念するポピュリズム

6月に発表された言論NPOの世論調査の結果によると、過去最高となる84.3%の日本人が、中国に良くない印象を持っているという。しかも、これは尖閣諸島を巡る直近の諍いが起きる前の話だ。

 一部の筋金入りの保守派でさえ、石原流のポピュリズムを懸念している。日本財団は日本の海洋権益の主張を支持するシンクタンクだ。ムッソリーニの信奉者だった財団創始者(故人)は、罪に問われることはなかったが、戦犯の容疑をかけられた人物だ。

 それでも現理事長の尾形武寿氏は、都知事が「これらすべての問題の原因だ」と言う。そもそも、都知事は眠っていた領土問題を引っ掻き回すべきではなかった、というのがその理由だ。

(中略)

 日本における大衆ナショナリズムの高まりは、メディアによって巧みに扇動されている。似たような迎合は中国では当たり前だが、日本には本来、自由で探求的なメディアが存在するはずだ。

東京にあるテンプル大学のジェフ・キングストン氏は、尖閣問題では、メディアは応援団と化していると言う。「彼らは理性の声を反逆の声と見なす」

同様に、次の選挙で政権への返り咲きを狙う自民党も石原氏を抑え込むことができなかった。実際、自民党の中には、石原氏のナショナリズムの勢いに乗じようとする人もいる。自民党は1999年以来ずっと、東京都知事として石原氏を支持してきた。

国内よりも海外に大きな波紋

 しかし、ポピュリズムや一面的な報道、及び腰の政治にもかかわらず、日本では今のところ、中国で見られたような国民の暴動は皆無に近い。

 言論NPOが日本の有力者を対象に行った最新の世論調査(103日公表)では、大半の人が、尖閣諸島の国有化に反対し、尖閣問題が軍事衝突に発展するとは考えておらず、この問題が棚上げされることを願っているという結果が出た。

 キングストン氏は、日本のナショナリズムは「片手でする拍手程度の力」しかないと言う。しかし海外では、この拍手は東京のあのけたたましい黒い街宣車と同じくらい大音量で鳴り響いている。 

926日前に書いたブログ『和製ネオナチが政権をとったとしたら』http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20120926

に、ディラン2012年と言う方から以下のようナコメントを頂きました。

日本中が粗野なナショナリストに占領されてしまったかと思えるような昨今ですが、ここに来てほっとしました。

まだこの国にも冷静な国民が存在しているのを知って安心します。

ただ心配なのは若い人です。

無知と言っては悪いかもしれませんが、扇情的なメディアの影響を受けやすい人々がどう考えているかが一番心配ですねえ。」

それに対して私は、

「・・・バブルがはじけた後あたりから、日本は右傾化しているという指摘は外国のメディアでしばしば取り上げられてきましたが、小泉政権時をこえる今回の領土問題での爆発。
右傾も日本のなかでは徐々に浸透していっているので、とくに若い世代などは、それをおかしいと思わなくなっている人が少なくないのかもしれません。

もっとも、若い人たちに、「今後日本と中国の仲がこじれて、徴兵制度ができたり、日本のために戦争に召集されるようになったとしたら戦えるか?」と訊いて、「お国のためならもちろん」と答える人はほとんどいないでしょうけど。・・・」

と書きましたが、この領土争いで日韓中がおかしくなっているときにも、日本を訪問する韓国の若い友人を持成す男の子、中国籍の友人と変わりなく接する若者を見ていたりするので、「マスメディアに踊らされている若者は多いけど、冷静さを失っているのは大人の方が多かったりして・・」などとも思ったりもします。

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トリノから帰国

2012年10月11日 | 旅行

昨夜トリノから帰国しました。

私は昔から「旅行やイベントの感想文」が苦手なので、日本のペンフレンドたちに送ったメールを一部編集して貼り付けさせてもらいます。

(貼り付け始まり)

さちえさん、

ゆかりさん、

まきさん、

きょうこさん、 

連名宛で失礼します。

マインツ・トリノ・アオスタ旅行から昨日帰国しました。 

マインツは到着して翌朝町を散歩しただけだったのでほとんど印象に残っていませんが(しかも寒くて小雨がぱらついたりした)、トリノ、アオスタはお天気もよく、トリノ、ミラノの日本好きの友人達との時間は格別でしたが、その前にトリノの町の品のよさ-清潔さ、安全さ、人の感じのよさ(控えめ、親切)でこの町が大好きになりました。 

トリノに着いたのは5日(金)午後。翌日の6日(土)夕方からトリノのルイジさんと彼の従姉の19歳の息子、ミラノの17歳からのペンフレンドリアーナさんと彼女のパートナーファビオさんとホテルで待ちあわせ、夜まで街を散策した後、ルイジさんの自宅でルイジさんの日本語の先生スマレ先生とも合流してカレーパーティ。

カレーを作り、カレーライスとカレーうどんを作り上げたのが9時ごろだったので、ホテルに帰ってきたのは午前様でした。 

(ルイジさんには、肉、ジャガイモ、たまねぎ、人参だけを用意するようにお願いしたのですが、なんとカレールーや日本米までも現地の日本食材が含むお店で調達してしまっていました。 

お店の人は友人ルイジさんに、「7人でカレーを食べるなら、肉600gくらい、カレー粉二つ、お米2キロ、日本酒が必要」といってたくさんの買い物をさせてしまったのは、知ったかぶりだったのか・・・。)

7日(日)は、まきさんの元ペンフレンドのファビオさんとホテル近くのパスタ専門店で昼食をとり、おしゃべり。 

8日(月)は、トリノから電車で2時間のアオスタというモンブランが見える町に出かけました。 

トリノ自体は、小さな古き時代のパリという趣の町ですが、アオスタはフランス田舎町とよく似た雰囲気の町。ただし、ローマ遺跡が残っていたり、山に囲まれていてスイス風だったりするので、なんとも面白い雰囲気の町でした。 

アオスタからのこの帰りは、電車の乗り換えを間違えて困っていた中国人の青年(弟さんと妹さんがトリノ在住)を助けてトリノまで一緒に連れて帰るという、奇妙な体験もしました。 

トリノに住んでいる弟と妹さんを訪ねてきていた中国語しかできない彼と、約25年前の習った中国語と、漢字を使って会話をし、最後に食事に招いてまでくれるようになりました。

しかし、一番最初に私と夫が日本人と知って一瞬「まいったな・・」と言う表情をしたことは、彼が好青年だっただけに、せつなかったです。

そしてこの日の夜はお世話になったルイジさんを夕食に誘っていたのですが、急遽7日にご馳走になってしまっていたファビオさんも一緒にどうかと電話をして快諾してもらいました。 

ルイジさんとファビオさんは全くタイプが違うのに、「日本のポップカルチャー好き、日本語を勉強している」ということもあるし、政治などについても興味を持っているので、これはまた6日のカレーパーティよりも突っ込んだ話(といっても、片言英語でなんですが・・・)もできたりして、有意義な時間を過ごすことができました。(お礼に招待したのに、結局また二人にご馳走になってしまいました。)

と、トリノでの観光以外のことを書き連ねましたが、この町は美術館、博物館、王宮や聖堂と見所満載(トリノカードという、観光パスを使って、入館し放題。)、食べるものも美味しい町です。 

機会があったら、是非訪れてください。 

(後略)

ゆかり

(貼り付け終わり)

なお、今回の旅行で利用したトリノのホテルは、トリノ・アタホテル・コンコルドというトリノの中央駅から近い場所にあるホテルでしたが、ここは空港からタクシーで35ユーロ前後で着きますし、スタッフも感じがよく、お部屋もバスルームも清潔でよかったと思います。

(部屋の掃除の時間が遅かったり、毎日フェイスタオルが1枚足りないか、タオルの替え忘れがあったりということで4日間毎日メイドさんに連絡してタオルを持ってきてもらう羽目になったのですが、タオルを届けてくれるメイドさん達が皆感じがよく、ご愛嬌ということで・・・(「こういう場合もチップを渡すべきか」と考えたりしましたが、皆タオルを届けるとチップを渡す隙も与えず走り去ってしまいました。まあ、毎朝ベッドにわずかなチップは置いておきましたが。))

ホテルもそうですが、トリノは観光に力を入れだしている途中ということもあり、住民自体がすれていない気がします。

その分大きな美術館や博物館でも英語を理解する人が少ないのですが、なんとか相手のためになろうと苦心してくれたり、とびきりの笑顔を送ってくれたりと、今まで訪れたどの欧州の町より人が親切、暖かだったように思えます。

(ただし、ルイジさんやファビオさんによると、トリノでももちろん引ったくりやスリは多いといいますので、ご注意を。また、物乞いをする人(ジプシーっぽい人の割合は少ない)も少なくはありません。)

それから、トリノ空港は町からもそんなに遠くないし、こじんまりして清潔、小さい飛行場ですが飛行機からターミナルの移動もバスではなく通路。

北イタリアに来る場合、ミラノの空港を使うより、トリノ空港を使うのもよいのではないかと思います。

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ベッペ・グリッロの5つ星運動についてル・モンド・ディプロマティークより

2012年10月01日 | 海外ニュース・できごと

今年6月に、イタリアのベッペ・グリッロ氏の「5つの星運動」のことを書きましたが、

( No More ParticracyBeppe Grillo'Movimento 5 Stelle'

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20120601

「液体民主主義」を掲げる「海賊党」、「液体政党」と揶揄される「五つ星の社会運動」

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20120603 )

ル・モンド・ディプロマティークに、興味深いものがありましたので、長いですがどうぞ。

五つ星運動 》の快進撃

またもや現れたイタリアの「救世主」

ラファエレ・ロダニ

ボローニャ大学、歴史・人文学科所属研究員

著書『DisobbedienzaIl MulinoBologne2011

訳:木下 治人氏

http://www.diplo.jp/articles12/1209cinqetoiles.html

なお、今月はじめのトリノ旅行、そして現在その準備に忙しいこともあり、中旬近くまでブログは休みます。

トリノでは、ベッペ・グリッロを支持する唯一の友人ルイジさんとも会ってきます。

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