Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

フランス映画『ミナ』とユダヤ人-9(戦後生まれのユダヤ系の人たちの試行錯誤)

2024年06月29日 | 芸術・本・映画・TV・音楽

フランス映画『ミナ』とユダヤ人-6(ミナと4人の男性) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

の末尾に疑問を書きました。

ミナはエテルとの友情が何より大切なものでしたが、後で考えると、エテルがいることで、貧乏くじを引くことになりました。

「フランソワ」がミナのもとを訪れた時に彼と会ったのはエテル。「セルジュ」がミナの元を離れたきっかけを作ったのもエテル。意図しなくとも、ダナを奪った形になり、非ユダヤ人と結婚したエテル。

最終的に、エテルに希望を与え、簡単にキャンセルして絶望させたのもエテル。

人生が変わるきっかけを作ったエテル-そんなエテルをミナはどうして求め続けたのでしょうか。

 

これは、単純に「ミナが不器用で、エテルの他に何でも話せる友人がいなかった」ということだけでも説明がつくことでもあり、それは「ユダヤ人同士の友情」に拘る必要はない-ともいえるでしょう。

反対に、エテルは再会したミナに「あなたのようになろうとしたけど、なれなかった」と振り向いていうセリフの方が、「戦後に生まれたユダヤ人」として意味があったように思えてきました。

エテルの家は勝ち組ユダヤ人の一族で、家族は戦争のトラウマもないようだし、そればかりか非ユダヤ人を差別する母親がいたりします。エテルが子供のころ太ってなければこのユダヤ人のネットワークで人気者になり、疎外感を感じる-みじめさを感じる-ことはなかったと思いますが、それを経験してしまいます。

ミナは常に疎外感から逃げずに強く、自分の意思をもつけれど、ミナは正反対だったーエテルにとってミナは手本でもあったのではないかと。

大人になり、「肥満から脱却」すると、自信と狡猾さを身に着けるエテルですが、大人になっても母親(はたから見れば、新興宗教にはまっているお金持ちの母」と同じに見えます。)にとらわれてしまうことから脱却できないエテルは、母親から脱却しているというだけでも、ミナはうらやましい存在でい続けました。

エテルの母親が死んだときに、エテルにとって「ミナ」は不要になる-エテルは最後にミナとの約束を、詫びることなく「土曜はダメになった、また電話する」と軽く伝言で済まし、ミナを絶望に追いやるー。

 

ユダヤ人といっても、戦前から世俗的ユダヤ人、クリスチャンや無宗教の相手と結婚をするユダヤ人、改宗したユダヤ人(偽装も含む)がいました。

戦後はそうしたユダヤ系の人々がいて、2世、3世の人たちが生まれてきました。

 

ミナの言った、「あなたのようになろうとしたけど、なれなかった」という言葉は、ユダヤ系同士でなくとも出てきますが、この映画では、「戦後のユダヤ系の人たちの試行錯誤」を二人の女性を通して現しているように思えます。

フランス映画『ミナ』とユダヤ人-5(タイトルが『ミナ』の理由は?) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

では、

二人の主人公ミナとエテル。なぜ題名が二人の名前でなく、『ミナ』、原題は『Mina Tannengaum』というミナのフルネイムなのでしょうか?

と疑問を書きましたが、ミナは「戦後生まれのユダヤ人たちの試行錯誤の被害者」として、監督はミナの名だけを題名にしたのだろうと、勝手に納得しました。

 

シリーズ:

フランス映画『ミナ』とユダヤ人-1 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

フランス映画『ミナ』とユダヤ人-2(ダリダ) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

フランス映画『ミナ』とユダヤ人-3(セルジュ・ゲンズブール) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

フランス映画『ミナ』とユダヤ人-4(「ゴイ」とは) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

フランス映画『ミナ』とユダヤ人-5(タイトルが『ミナ』の理由は?) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

フランス映画『ミナ』とユダヤ人-6(ミナと4人の男性) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

フランス映画『ミナ』とユダヤ人-7(マルティーヌ・デュゴウソン) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

フランス映画『ミナ』とユダヤ人-8(エテル役のエルザ・ジルベルスタイン) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

今回はこの記事で最後としますが、この映画は続編で、エテル以外、ミナの周りの人達を中心に描いてほしかったです。

ミナの母親をミナが「実は自分の母親ではなかったのに気が付いた」と言いますが、それは「ミナの母親が自分ではなく、常に過去を追っていた」ことに気が付いたということだと思うのです。そんな母親を描いてほしかったし、途中で南仏に移住したフランソワ、元同棲相手のセルジュ(彼が映画の最初に出てきますが。彼の作品の色は明るくなっています)、そしてほんの少ししか出てこない美術教師や、ミナの父親のことなど。

 

参考:

欧州映画ファン - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

ミナ(洋画 / 1993) - 動画配信 | U-NEXT 31日間無料トライアル (unext.jp)

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フランス映画『アメリ』とアナグラム

2024年06月28日 | 芸術・本・映画・TV・音楽

前回紹介した「ラッコの映画生活」さんの『アメリ』の記事、

『アメリ』ジャン=ピエール・ジュネ監督(フランス2001) | ラッコの映画生活 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)

こんな記述がありました。

「さてここから冒頭に書いた「政治性」や「胡散臭さ」の問題。それはオドレイ・トトゥ演じる主人公「アメリ・プーラン」という名前だ。「AMELIE POULAIN」という綴りを並び換えると「OUI A L'AMI LE PEN」となる。訳すと「友人ル・ペンに賛成」ないし「友人ル・ペンにYESと言う」といった意味だ。LE PEN(ル・ペン)とは何者か。フランスの極右政党FNの党首ジャン=マリー・ルペンだ。彼は移民排斥やEU脱退、ユーロではなくフランス・フランへの回帰、その他右翼的主張の政治家だ。そのことを知ってこの映画を解釈し直したらどうなるだろうか。ここで語られるのはル・ペンないしジュネ監督の理想とする、移民のいない正当フランス人だけの伝統的なフランス人庶民の小さな幸せの礼賛ではないだろうか。そう言えばタイトルロールでフラン硬貨も大きく映されフランス人の郷愁を刺激するし、市場のみかんの価格ボードの原産地FRANCEの文字もしっかり映される。そう解釈すると、無邪気な顔をしたこの映画、普通のフランス人に監督(ないしル・ペン)の理想とする社会の良さをしみ込ませる洗脳的、マインドコントロール的映画と言えるのではないだろうか。」

「アナグラムで、政治的メッセージ」という説。

 

『アメリ』の原題は、『アメリ・プーランの素晴らしき運命(Le Fabuleux Destin d'Amélie Poulain)』なので、「友人ル・ペンの素晴らしき運命を(Oui a Le fabulex Destin  d’ami Le Pen)」と並び変えることも可能なのでしょうか? 

いずれにしても、監督のことも分からないので、これが偶然なのか、計算されていたのかはわかりません。

ジャン=ピエール・ジュネ - Wikipedia

アメリ - Wikipedia

2000年代初期が恋しい人も、知らない人も幸せになれる『アメリ デジタルリマスター版』新予告編【2023年11月17日公開】 (youtube.com)

 

ジャン・マリー・ル・ペンは、マリーヌ・ル・ペンの父親です。

フランス大統領選マリーヌ・ル・ペンの実像は- - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

“Groupe Collaboration”は今も続いているか?-2(マリーヌ・ル・ペン&ジョルダン・バルデラ) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

政治的で思い出しましたが、「アメリ」が恋をする「ニノ」を演じたマチュー・カソヴィッツは、2011年ににニューカレドニア独立運動の時のフランス政府の隠蔽を批判する映画「裏切りの戦場 葬られた誓い」を作りました。

マチュー・カソヴィッツ - Wikipedia

ニューカレドニア暴動に思う-1 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

参考:

アナグラム - Wikipedia

アメリはKGBのスパイだった⁉ 映画『アメリ』の知られざる12の事実 (ellegirl.jp)

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欧州映画ファン

2024年06月28日 | 芸術・本・映画・TV・音楽

フランス映画『ミナ』とユダヤ人-7(マルティーヌ・デュゴウソン) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

の末尾に記事のリンクを載せましたが、『ミナ』の映画の感想を書いている人を探して見つけたのが、「ラッコの映画生活さん」

ラッコの映画生活 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)

 

彼のブログは、欧州映画ファンにとってはたまらないかもしれません。(見逃している良作に気が付かせてくれると思います。)


もともと私はフランス・イタリア中心に、欧州映画は好きでしたが、昨年観てより興味を深めてくれた映画が『ふたりのベロニカ』と『トリコロール三部作』。

これらの作品について彼が書いているのはこちら。

『ふたりのベロニカ』クシシュトフ・キェシロフスキ監督(フランス・ポーランド1991) | ラッコの映画生活 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)

[ヨーロッパ映画]の記事一覧 | ラッコの映画生活 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)

 

私が書いたブログ記事-最近は映画の内容と同時に、その映画の背景が気になってしまっているので、その映画の感想というのは違ってしまって、単なる覚書になっていますが…。

『トリコロール三部作』と『ふたりのべロニカ』-1 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

『トリコロール三部作』と『ふたりのべロニカ』-2(『赤の愛』が無視された理由は…) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

『トリコロール三部作』と『ふたりのべロニカ』-3(1980年の短編ドキュメンタリー『Talking Heads』とキェシロフスキ監督) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

私の評価もそれほど高くはないものの、印象に残った映画の記事。

『モンテーニュ通りのカフェ』ダニエル・トンプソン監督(2006フランス) | ラッコの映画生活 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)

ここで彼が、

(夫ピアニストのマネージャーをする奥さん役のローラ・モラントという人、美しかったな~、特に目が!)とカッコ書きで書いているのは、イタリアのラウラ・モランテ。

ラウラ・モランテ - Wikipedia

Laura Morante - Wikipedia

彼女は本当に上品できれいです。(『神様の思し召し』『息子の部屋』映画では、彼女は中流階級の中年主婦役だし、ストーリーと関係がないのに、露出度が高い洋服を着せられたり、ベッドシーンがあったりしたのは、気の毒でした。彼女は声もきれいなので、『見わたす限り人生』のナレーションも担当。)

たまたま調べものをしているときに、彼女がアルベルト・モラヴィアの最初の妻エルサ・モランテ(この人も美しい!)の姪であることを知りました。ラウラの日本語版とイタリア語版Wikipediaを調べることになったのは、このつながりを知ってから。

アルベルト・モラヴィア - Wikipedia

エルサ・モランテ - Wikipedia

(ついでに-アルベルト・モラヴィアは反ファシストグループ「正義と自由」を立ち上げて殺害されたカルロ&ネッロ・ロッセッリ兄弟の甥です。
Ugo Matteiと本当の反ファシスト-4(反ファシストと全体主義) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

欧州映画、良いですよね!

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フランス映画『ミナ』とユダヤ人-8(エテル役のエルザ・ジルベルスタイン)

2024年06月28日 | 芸術・本・映画・TV・音楽

この映画で、エテルを演じたのはエルザ・ジルベルスタイン。

エルザ・ジルベルスタイン - Wikipedia

Elsa Zylberstein - Wikipedia

エルザ・ジルベルシュタイン(本名エルザ・フローレンス・ジルベルシュタイン、1968年10月16日)[1]はフランスの女優。演劇を学んだ後、1​​989年に映画界に進出し、60本以上の映画に出演。『ずっと愛してる』(2008年)でセザール賞助演女優賞を受賞。

生い立ち

ジルベルシュタインは、パリでエルザ・フローレンス・ジルベルシュタインとして生まれ、アシュケナージ系ユダヤ人のポーランド人父アルバート・ジルベルシュタイン(1938年生まれ)とフランス系カトリック教徒の母リリアン・シェナール(1940年生まれ)の娘。父は物理学者、母はディオールの美容師。[2] 兄ベンジャミン(1970年生まれ)がいる。ジルベルシュタインはユダヤ教徒とキリスト教徒の両方の信仰を持っていたが、現在は「仏教の儀式に惹かれている」[3]。彼女は子供の頃からクラシックダンスを練習してきました。バカロレアA3を取得した後、大学に入学して英語を学びましたが、芸術的な追求に強く惹かれました。彼女は、飛行機で偶然出会ったシャーロット・ランプリングの勧めで、クール・フロラン[4][5]でフランシス・ユスターに指導を受け、演技を学びました。また、アクターズ・スタジオの教授のもとでも働いています。[6][7]

(中略)

ジルベルシュタインは1997年から2005年までアントワーヌ・ド・コーヌと交際していた。その後、2005年から2008年までニコラ・ベドスと交際していた。[9] その後、彼女はフランス元大統領ニコラ・サルコジの顧問ジョルジュ・マルク・ベナムーと交際したが、彼女は社会党の熱心な支持者である[要出典]。 2009年、ジルベルシュタインは映画監督ロマン・ポランスキーが1977年の性的虐待事件に関連してスイスで逮捕された後、彼の釈放を求める請願書に署名した。[10]

監督は「エテルは北アフリカ出身のユダヤ人」と説明していたらしいですが、エルザの父親はポーランド出身のユダヤ人です。(たまに東欧出身であれセファルディムの家系のユダヤ人もいますが、苗字や名前から考えれば、アシュケナジムでしょう。)

映画の中のエテルと同じように裕福で恵まれた環境に生まれています。

 

ミナを演じたロマーヌ・ボーランジェの父親の両親、どちらかがユダヤ系とは書いてありませんが、わざわざロマン・ポランスキー(ユダヤ系ポーランド人)から娘の名をつけるほどだったので、ユダヤ系であったのではないかと思います。

ロマーヌ・ボーランジェ - Wikipedia

リシャール・ボーランジェ - Wikipedia

Romane Bohringer - Wikipedia

抜粋Google翻訳:

ロマーヌ・ボランジェ(フランス語: [ʁɔman bɔʁɛ̃ʒe]; 1973年8月14日生まれ)は、フランスの女優、映画監督、脚本家、衣装デザイナーである。彼女はリチャード・ボランジェの娘であり、ルー・ボランジェの姉妹である。両親は彼女にロマン・ポランスキーにちなんで名前を付けた。

 

監督が「エルザは北アフリカ出身-セファルディム」としたのは、「裕福層で、異教徒を馬鹿にするアシュケナジム達(エテルの母親やお仲間たち)」を描いてしまうと、「ユダヤ人はすべて戦争の被害者だった」という例外を描くことになったからだったのではないでしょうか?

 

7月11日追記:

映画でエテルが母親の葬儀のときにでてくる「オレンジ花水」が、エテルが北アフリカ系ユダヤ人を現しているようです。エテルは「ミナはなぜオレンジ花水をもってきてくれないの?」とつぶやきますが、仮にミナとエテルが喧嘩別れしてなくとも、東欧系ユダヤ人のミナには「オレンジ花水」はなじみはないので自ら持ってくることはなかったでしょう。-ユダヤ人同士の文化の差-

“Mei Zohar” (Orange Flower Water) - Israeli Box

Google翻訳:

「ペレグの物語は、1906 年にアブラハム プリグとその家族がスパイスとともに暮らしていたリビアで始まります (当然のことですが)。1948 年にアリーヤー (移住) し (ケシの実を意味するペレグに改名)、イスラエル全土にスパイスへの愛を広め始めました。家族の次世代は家業 (そして土地への愛!) を受け継いで生まれました。メイ ゾハル (オレンジ フラワー ウォーター) は、柑橘類のつぼみから精製プロセスを経て作られます。北アフリカのユダヤ人、特にリビア人は、マラビやサクレブ (レシピはブログで公開中!) を作るときにこれを使用したり、人生のさまざまなイベントでさわやかな香りを放つために手に塗ったりします。」

 

参考:

フランス映画『ミナ』とユダヤ人-1 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

フランス映画『ミナ』とユダヤ人-4(「ゴイ」とは) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

フランス映画『ミナ』とユダヤ人-7(マルティーヌ・デュゴウソン) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

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フランス映画『ミナ』とユダヤ人-7(マルティーヌ・デュゴウソン)

2024年06月28日 | 芸術・本・映画・TV・音楽

この映画の原作、脚本、監督を務めたマルティーヌ・デュゴウソンの情報は少ないです。

彼女が1958年5月8日パリ生まれの映画監督、脚本化であることと、作品についての情報ばかり。

Martine Dugowson — Wikipédia (wikipedia.org)

Martine Dugowson - IMDb

 

ただ、映画の内容からもいわかりますが、ユダヤ人の女流映画作家の紹介欄に乗っているので彼女はユダヤ人。

Filmmakers, Independent European | Jewish Women's Archive (jwa.org)

抜粋:

Among the more recent generation of Jewish women directors in France, some are children of survivors who migrated there. Others are émigrées from Morocco. Two who stand out are Martine Dugowson (b. 1958), who directed Mina Tanenbaum (1993), Portraits Chinois (1997), and Louba’s Ghost (2000) and Yolande Zauberman, who directed Ivan and Abraham (1993), Clubbed to Death (1997), and La Guerre à Paris (2002).

Dugowson delves into themes of women’s friendship and the passage of time. In her first and third films the young protagonists are born into families of Holocaust survivors. Whether first or second generation, this trauma of their family histories affects the way that they see the world. In Mina Tanenbaum Dugowson juxtaposes the moody artist Mina of Eastern European roots with her best friend Ethel, whose family is from North Africa. Ethel is more social, but her life is weighed down with a feeling of not belonging. Mina and Ethel share friendship in their “outsiderness” but come from different cultures, which dictate their life choices. These themes recur in Louba’s Ghost.

Google翻訳:

フランスにおける最近の世代のユダヤ人女性監督の中には、移住した生存者の子供もいる。モロッコからの移民もいる。特に目立っているのは、1993年『ミナ・タネンバウム』、1997年『ポートレイト・シノワ』、2000年『ルーバの幽霊』を監督したマルティーヌ・デュゴウソン(1958年生まれ)と、1993年『イワンとアブラハム』、1997年『棍棒で殺す』、2002年『パリ戦争』を監督したヨランデ・ザウベルマンだ。 デュゴウソンは、女性の友情と時の流れというテーマを掘り下げている。彼女の最初の作品と3作目の作品では、若い主人公たちはホロコースト生存者の家族に生まれている。1世であれ2世であれ、家族の歴史のトラウマは、彼女たちの世界観に影響を与えている。ミナ・タネンバウム・デュゴウソンは、東ヨーロッパ出身の憂鬱なアーティスト、ミナと、北アフリカ出身の親友、エセルを対比させています。エセルは社交的ですが、彼女の人生は疎外感で重苦しくなっています。ミナとエセルは「部外者」という点で友情を共有していますが、異なる文化の出身であり、それが人生の選択を左右します。これらのテーマは、ルーバの幽霊でも繰り返されます。

 

相変わらず監督の情報はほとんどないですが、この中に、映画『ミナ』の主人公のミナが東欧系ユダヤ人(=アシュケナジム)で、エテルが北アフリカ出身のユダヤ人(=セファルディム)であると言っています。予測は付くけど、映画には説明ははいりません。

(上記の文章だと、あたかもミナとエテルがフランスに移民してきたたように見えますが、ミナには父方の祖母がいたはずだし、エテルも祖父母がいたと思うので、彼女たちと親たちはすでにフランス人であったのではないかと思います。)

「部外者と感じている」ミナはわかりやすいけれど、エテルの生まれ育った環境からは「部外者」と感じる要素はなさそう(ただし、肥満児だった時を覗いて。)。

 

まあ、この映画はフィクションなので、つじつまが合わないことがあっても受け流すべきでしょう。

(この映画自体も、「統一感がない」という欠点はありますが、その欠点も受け流せます。)


ただ、逆に言えば、なぜこの原作・脚本・監督をしたこの監督は、実在しないはずのミナとエテルの設定を、作った後にも付け加えていくのでしょうか。

この映画は、調らべ出したら止まらなくなるかもしれません。

「ゴイ」という単語は今だったらきっとNGワードにされていそうですが、知ることができました。

フランス映画『ミナ』とユダヤ人-4(「ゴイ」とは) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

参考:

『ミナ』マルティーヌ・デュゴウソン監督(仏・ベルギー・オランダ1993) | ラッコの映画生活 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)

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フランス映画『ミナ』とユダヤ人-6(ミナと4人の男性)

2024年06月27日 | 芸術・本・映画・TV・音楽

「ミナ」に興味を持った人間は、エテル以外に「フランソワ」「セルジュ」という美術学校の同級生、そして美術学校の教師「Choumacere(字幕は「フュマシェ」)」(彼が悩みながらミナに電話をかけ、ミナが出ると切ってしまう場面あり。)、美術商の「ダナ」がいます。

この中で「ダナ」のみがユダヤ人であることしか明らかにされませんが、残りの3人はどうだったのでしょうか。

追記:※最後の方の棺桶を埋葬する場面で、セルジュがユダヤ教徒の帽子キッパをかぶって、教師は普通の帽子なので、セルジュはユダヤ教徒、教師は非ユダヤ教徒であるのがわかりました。


「フランソワ」はハンサムで女性にも人気がある男性でして実際綺麗な女性とデートしているようでしたが、ミナが非常に気になっています。ミナの方はフランソワに会った時に一目ぼれですが、結局付き合うこともないまま、フランソワの南仏移住で恋は破局。(フランソワは移住することを告げにミナのもとに行くものの、ミナが失敗した髪型のせいで彼に合わずにいた。)

教師は口は悪いけど、ミナの才能を見抜き、そしておそらく気になっていたと思います。

「セルジュ」はミナを愛し半同棲もしていたものの、ミナが自分のことを愛していないことを知り出ていきます。その後、結婚をしますが、ミナのことを忘れていない様子。

彼ら3人が引かれたミナの画風は暗いです。

(私はスーチンが真っ先に浮かびました。「スーチン」のアイデア 730 件 | 画家, シャガール, モディリアーニ (pinterest.jp)

が、映画で「君が好きだろう」とフランソワがミナに見せるのは、F.ベーコンの絵。

フランシス・ベーコンとは?画家の生涯と代表作品について詳しく解説 | thisismedia (thisisgallery.com)

7歳のミナがエテルと友達になったきっかけを作った絵は「模写」-彼女の絵の中で一番明るい)

「ダナ」はミナが気になっていた人物ですが、ミナでなく、エテルを好きになります。ただし、ユダヤ人「ダナ」は、お金持ちのエテルの家の葬式に来て、「検視の方ですか?」と聞かれて唖然とします。(つまり、同じユダヤ人であっても、彼はエテルと同じ階級のユダヤ人とは見てもらえなかった。)

 

ミナはエテルとの友情が何より大切なものでしたが、後で考えると、エテルがいることで、貧乏くじを引くことになりました。

「フランソワ」がミナのもとを訪れた時に彼と会ったのはエテル。「セルジュ」がミナの元を離れたきっかけを作ったのもエテル。意図しなくとも、ダナを奪った形になり、非ユダヤ人と結婚したエテル。

最終的に、エテルに希望を与え、簡単にキャンセルして絶望させたのもエテル。

人生が変わるきっかけを作ったエテル-そんなエテルをミナはどうして求め続けたのでしょうか。

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フランス映画『ミナ』とユダヤ人-5(タイトルが『ミナ』の理由は?)

2024年06月27日 | 芸術・本・映画・TV・音楽

1994年にとられた映画『ミナ』は、戦後生まれの欧州で育ったユダヤ人たちにとっては、とても刺さる映画であると思います。

二人の主人公ミナとエテル。なぜ題名が二人の名前でなく、『ミナ』、原題は『Mina Tannengaum』というミナのフルネイムなのでしょうか?

ミナとエテルは「ユダヤ人」であることに拘る母たちに反抗しますが、その反抗は、エテルよりミナの方が強いです。

彼女が学生のころ、友達と一緒にドイツ人と出かけると電話で話しているのを知ったとき、憎悪を見せる母親に向かって嫌悪感を爆発させます。
エテルの方は、母親がユダヤ人に拘ることに辟易するだけで、うまくかわしていきます。

エテルの母親は「被害者ユダヤ人」ではなく「勝ち組ユダヤ人」-なので、ユダヤ人だろうが非ユダヤ人的ユダヤ人であろうとあまり彼女の人生を変えるものではないです。

宗教に関係なく、エテルは子供のころのバレエ教室でも、他の生徒と同じレオタードとチュチュでレッスンをしますが、それに対し、皆のレオタードと同じブルーのポロシャツに紺のスカートorキュロットを着てレッスンを受けるミナ。

流行っているからと言って、富裕層が行くようなバレエ教室に嫌がるミナを行かせようとするミナの母親は、ミナの独特の感性を生かすことなく、不器用なものへと変えていったと思います。

もし、ミナの母親が強制収容所の生き残りでなく、ユダヤ人でなかったとしたら、この状況で子供をバレエに通わせたのでしょうか?(「貧しくとも、踊り子や芸術家ならユダヤ人でも出世できる」という考えが、ミナの母親にあったかもしれません。)

ミナの方の母親はおそらく強制収容所体験者か、親族をホロコーストで亡くしたユダヤ人。エテルのような、勝ち組ユダヤ人の親を持ったユダヤ人と違って、戦後生まれのユダヤ人たちには多かれ少なかれ、ミナのような経験をしてきた人はいたのでは?

ユダヤ人というと戦争の悲劇が主題になりますが、2世自身のことを主題にした欧州映画は90年代は覚えていません。

 

仮置き:

Mina Tannenbaum (1994) - IMDb

Martine Dugowson - Biography - IMDb

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フランス映画『ミナ』とユダヤ人-4(「ゴイ」とは)

2024年06月27日 | 芸術・本・映画・TV・音楽

『ミナ』の中で、エテルの母親が「ゴイと結婚するからすぐ離婚した」と噂話をする場面が出てきます。
やがてエテルが付き合い、結果母親が亡くなって結婚したジェラールを「ゴイ」と呼ぶミナのナレーション。

字幕では「ゴイ」としか書いてありません。

「ゴイ」ってひょっとして「異教徒」のことではないかと思ってネット検索したところ、正解でした。

 

Goy - Wikipedia

Google翻訳:

現代ヘブライ語とイディッシュ語では、goy (/ɡɔɪ/; גוי‎、複数形: goyim /ˈɡɔɪ.ɪm/、גוים‎ または גויים‎) は、異邦人、非ユダヤ人を表す言葉です。[2] イディッシュ語[3] を通じて、この言葉は英語 (複数形: goyim または goys) にも取り入れられ、「異邦人」という意味にもなり、時には軽蔑的な意味合いで使われることもあります。[4][5][6] ユダヤ人が主に非ユダヤ人を表すために使用する言葉として、[5] 民族的外集団を表す言葉です。[7] 聖書のヘブライ語 goy は、英語では一般的に nation と翻訳されており、[8][9] 同じ言語を話す同じ民族の人々のグループ (より一般的な現代の意味である政治単位ではなく) を意味します。[10]聖書では、goy はイスラエル国家と他の国家の両方を表すのに使われています。 ヘブライ語の goy の意味は、ヘレニズム時代 (紀元前 300 年から紀元前 30 年) とローマ時代に「非ユダヤ人」を意味するようになりました。これは、ラビのテキストとその後のキリスト教神学の両方が、ユダヤ人と非ユダヤ人の二元的な区別をますます強調したためです。 現代の英語の用法では、goy がどの程度侮蔑的であるかは、ユダヤ人コミュニティで議論の的となっています。 「goy」という言葉は、ユダヤ人に関する陰謀説を信じていることを示すために、白人至上主義者によって自分自身を指すために使用されることがあります。[11]

(中略)

レベッカ・アインシュタイン・ショールは、この言葉には侮辱的な意味合いが定着していると主張している。彼女は、「ゴイシェの花婿の付き添い人は皆酔っぱらって下品だった。もちろん、ユダヤ人の結婚式ではそんな光景は見られない」という観察や、「ゴイシェ コップ」という単語が軽蔑的な意味で使われていることに言及している。彼女は、この単語が「ゴイシェ レストラン」のように軽蔑的でない用法もあることを認めている。「ゴイシェ レストラン」はコーシャ料理を出さないレストランだ。しかし、この単語は「よく言っても中立的だが、最悪の場合は非常に不快だ」と主張している。彼女は、ユダヤ人コミュニティが「ゴイ」という言葉を使うのをやめるよう提唱している。[26]

アンドリュー・シロウ・キャロルは次のように書いている。[27] しかし、「ゴイ」という言葉には、歴史的にも言語的にもあまりに多くのしがらみがあり、「非ユダヤ人」や「異教徒」のように気軽に使うことはできない。それは明らかな中傷から始まります。たとえば、「goyishe kopf」または「gentile brains」は(寛大に)愚か者を示唆し、「shikker iz a goy」は、異邦人は酔っぱらいを意味します。「Goyishe naches」は、狩猟、セーリング、白パンを食べることなど、ユダヤ人が嘲笑的に異邦人だけが楽しむであろうと想定している種類のものを表します。

グレーターボストンのユダヤ人コミュニティ関係の副ディレクターであるナフマ・ナディッチは、「私は間違いなく goy を中傷だと見ています。褒め言葉として使われることはめったになく、非ユダヤ人の前では決して使われません」と書き、「これは良いリトマス試験です。説明している相手の前で使わない言葉は、おそらく不快な言葉です」と付け加えています。[27]

(後略)

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フランス映画『ミナ』とユダヤ人-3(セルジュ・ゲンズブール)

2024年06月26日 | 芸術・本・映画・TV・音楽

『ミナ』の映画の終わりは1991年4月。

この時に、エテルと夫がいる部屋のテレビで歌っているのは、セルジュ・ゲンズブール。

彼が亡くなったのは、1991年3月なので、テレビの番組は彼の追悼番組に様なものだったのでしょう。

彼はユダヤ人移民の息子したが、一家はユダヤ人狩りからは逃れられていました。

セルジュ・ゲンスブール - Wikipedia

抜粋Google翻訳:

セルジュ・ゲンスブール(Serge Gainsbourg [sɛʁʒ ɡɛ̃sbuʁ]、1928年4月2日 - 1991年3月2日)は、フランスの作曲家、作詞家、歌手、映画監督、俳優。 概要 彼の父ジョセフはトルコ・イスタンブールで生まれたアシュケナージ系ユダヤ人で、ロシア帝国下のクリミア半島フェオドシヤ生まれの歌手オリア(オルガ)とクリミアで出会い結婚した。

セルジュ・ゲンスブールはパリ4区シテ島にあるパリ市立病院(Hôtel-Dieu de Paris)で生まれた。幼名はリュシヤン・ギンスブルグ(Lucien Ginsburg, Люсье́н Ги́нзбург)といった。1958年に「リラの門の切符切り」(Le Poinçonneur des Lilas)でデビュー。 女優・歌手のジェーン・バーキンとは事実婚の関係となり(法的な結婚はしていない)[1][2][3]、女優のシャルロット・ゲンズブールはバーキンとの間に儲けた娘である。

(中略)

ギンスブルグ家はロシア革命の混乱から逃れてきた移民である。リュシヤンの父ジョゼフはピアニスト・美術家だったが、移民の多いパリ20区シーヌ通り(中国通り)界隈に移ってからはもっぱらキャバレーでピアノを弾いて生計を立てていた。パリで産まれたリュシヤンは父の影響で幼少からクラシック音楽に親しみ、絵画にも興味を持っていた。幼いころは内気な性格だった。青少年期は、家族と共にパリ20区、9区、リモージュ、パリ解放少し前に16区に移り住み、9区のリセ・コンドルセに通った。1947年ごろ、小遣い稼ぎにギターを弾きはじめる。1948年に召集を受け翌1949年までおよそ1年間従軍するがこの間、脱走を企てたことなどから3か月間投獄されている。それに前後してギターで生計を担うようになり、絵画からは遠ざかってゆく。この期間、貧困に苦しんでさまざまな仕事をする合間にはじめて作曲をする。

フランスきっての色男、セルジュ・ゲンズブール | THE RAKE JAPAN | The Modern Voice of Classic Elegance

 

オマケ:

たまたまですが、この映画で『ミナ』を演じているロマーヌ・ボーランジェは、セルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンの娘であるシャルロット・ゲンズブールに似ています。

ロマーヌ・ボーランジェ - Wikipedia

シャルロット・ゲンズブール - Wikipedia

「生誕80周年記念 クロード・ミレール映画祭」公式HP (claudemiller80.com)

Claude Miller — Wikipédia (wikipedia.org)

 

関連:

フランス映画界と20世紀 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

ジェーン・バーキンの訃報・「保護される「LGBTQ権利」」とセルジュ・ゲンズブール - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

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フランス映画『ミナ』とユダヤ人-2(ダリダ)

2024年06月26日 | 芸術・本・映画・TV・音楽

『ミナ』では、70年代からのフランスで流行した歌が使われますが、その一つがダリダの「18歳の彼」

ダリダ - Wikipedia

Dalida - Il venait d'avoir 18 ans (Clip Officiel) (youtube.com)

ダリダはユダヤ人で、成功したものの、うつ病で自殺で亡くなりました。

Dalida' - The Beloved European Singer’s Calabrian Jewish Roots - La Gazzetta Italiana

Google翻訳:

彼女はイオランダ・クリスティーナ・ジリオッティとして生まれましたが、芸名を選ぶとき、ヘブライ語で「喜び」を意味する「ダリダ」を選びました。そして、ダリダとして、彼女は世界で最も愛されるパフォーマーの一人となり、ヘブライ語を含む 10 以上の言語で歌い、レコーディングを行いました。

ダリダのカラブリアのユダヤ人とのつながりは?

彼女の両親、ピエトロとジュゼッピーナは、私の住むカラブリアの町セラストレッタで「ジリオッティ」という姓で生まれました。これは異端審問の時代からユダヤ人として認められていた地元の名前です。さらに、ダリダの祖父である「ノンノ・エンリコ」は、アルジェリアのユダヤ人のルーツを公言していました。これらすべてが、カラブリアのユダヤ人と世界中のベネイ・アヌシムの心の中でダリダが尊敬される理由です。

ダリダは、両親がエジプトに定住した後に生まれました。両親は、父親がコンサートバイオリニストとしてのキャリアを追求できるように移住しました。ダリダは幼少期をエジプトの活気あるイタリア系エジプト人コミュニティで過ごしましたが、成人してからの人生の大半はフランスで過ごしました。

ダリダのキャリアは 30 年に及び、1956 年にデビューし、1986 年に最後のレコーディングを行いました。その数か月後に彼女は早すぎる死を迎えました。ヨーロッパとアジアで官能的な声と思慮深い歌詞で知られるダリダは、現代音楽界に初めてエスニックフュージョンのヒットをもたらしたと言われています。伝統的なエジプトの民謡に基づいた「サルマ・ヤ・サラマ」は、フランス語、イタリア語、ドイツ語に翻訳され、世界中で歌われました。

(後略)

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フランス映画『ミナ』とユダヤ人-1

2024年06月26日 | 芸術・本・映画・TV・音楽

なんとなく映画のタイトルは知っていましたが、あえて見ることをしなかった1993年のフランス映画『ミナ』。

単に、「フランス人の女性2人」の話だと思っていましたが、この映画は「フランスのユダヤ人女性」の話。

英語版Wikipediaにはあらすじがこう書かれています。

Mina Tannenbaum - Wikipedia

抜粋Google翻訳:

ミナ・タンネンバウムとエセル・ベネグイは、パリに住むユダヤ人の少女です。2人は1958年4月5日、ロスチャイルド病院で同じ日に生まれました。ミナはエセルより少し前に生まれました。2人が初めて出会ったのは7歳の時です。宗教のせいで学校では部外者のように感じていた2人は、他に共通点がなかったにもかかわらず、結果として友情を築きました。エセルは外向的で中流階級の家庭の出身で、ミナは内向的で下層階級の出身です。2人の友情は成長しても続きますが、大人になるにつれて疎遠になり始めます。ミナは芸術家になり、男性に魅力を感じながらも近づくのを恐れます。一方、エセルは大衆文化を専門とするジャーナリストになり、満足のいかない関係を何度も経験します。2人はすぐに、自分たちの違いが関係に負担をかけていることに気づきます。

 

私がアンダーラインを引いた部分-「宗教のせいで部外者のように感じる」という描き方は映画には一切なく、彼らが子供から学生時代までは「ミナは眼鏡と変わり者」「エテルは太っていたし、横顔にコンプレックスがあった」ということから他の同世代とうまく付き合えなかったことになっています。

このWikipediaは、ひょっとしたら原作(原作、脚本も監督が書いている)から書き写しているのかもしれませんが、少なくとも、エテルの方の周りには、ユダヤ人の同世代の子供、少年少女たちもいたわけなので、「宗教」のため他の友人ができなかった、とするのは違います。

中流階級のエテルの母親は「差別される側」どころか、「ユダヤ人選民思考」を持ってさえいるようなのに対し、労働者階級のミナの母親は、ドイツ人を毛嫌いし、戦時中の恐ろしさをつたえようとする。

エテルが母親のために「ユダヤ人で金持ちの結婚相手募集」の記事を新聞に載せると、ミナが密かに好意を寄せていた画廊のダナが「自分もユダヤ人で条件に合うから」と立候補します。

戦前も戦中も戦後も、ユダヤ人と言っても色々であったことを、この映画では気が付かせてくれます。

 

この映画について:

Mina Tannenbaum, trailer (youtube.com)

Mina Tannenbaum (1994) - IMDb

映画 ミナ (1993) - allcinema

ミナ | 内容・スタッフ・キャスト・作品情報 - 映画ナタリー (natalie.mu)

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ニューカレドニア暴動に思う-3

2024年05月20日 | 芸術・本・映画・TV・音楽

1984年のニューカレドニアを舞台に描いた日本映画

【劇場公開当時予告】『天国にいちばん近い島』 (youtube.com)

 

「原作 森村桂」となっているけれど、ストーリーはほとんど別物。

Wikipediaに、映画の裏話は、映画公開前も後も日本で知られることはなかったのでは?(ニューカレドニアのメラネシアン=カナック)

 

天国にいちばん近い島 - Wikipedia

抜粋:

『天国にいちばん近い島』(てんごくにいちばんちかいしま)は、森村桂の旅行記[1]。1966年に出版されベストセラーになった[1][2]。

概要
子供の頃、亡き父(作家の豊田三郎)が語った、花が咲き乱れ果実がたわわに実る夢の島、神様にいつでも逢える島。働かなくてもいいし、猛獣や虫もいない…そんな天国にいちばん近い島が地球の遥か南にあるという。それが、きっとニューカレドニアだと思い、ニューカレドニアへ行くことを心に誓う。死んでしまった父に、また会えるかも知れない…そう信じて。母が寂しがっていると言えば、心地よいその島暮らしを捨ててでも戻ろうと思ってくれるに違いない。そして、神様の目をぬすんで、父を連れて帰ればいい! そう信じて出発した旅行の顛末。

まだ海外旅行自体が自由にできなかった頃ゆえの苦労、夢と現実のギャップ、現地の人達との交流などの体験が書かれる。

(中略)

企画
1983年の『時をかける少女』をクランクアップしたとき、大林宣彦と角川春樹とで話した際に、本作の企画が出た[6]。1983年夏に大林と角川でニューカレドニアの一週間旅行し「撮れる」と確信、製作がスタートした[6]。

準備

その後、大林やスタッフがニューカレドニアに何度も足を運び、シナハン・ロケハンや撮影協力の根回しを行った[6]。1959年以来フランス領になっているニューカレドニアには、ここに移動してきたフランス人と、原住民のメラネシアンが同居してる本島は典型的なフランス植民地社会だが、周辺の小島はメラネシアンの自治領といってもよく、ウベア島は中でも特に、メラネシアンの勢力が強い島だった[6]。島は北、中、南部に大別され、3人のグラン・シェフ(大酋長)のもとに17種族が共存する。各地で撮影するためにはその先々の酋長の協力を取り付けなくてはならなかった[6]。ロケ本番を前に計6回、スタッフがウベアに渡り、根回しを続けて来たが、フタを開けて見なければロケが上手くいくか分からないのが実状[6]。メラネシアンの急進グループは、フランスからの独立を唱え、1983年7月にフランス資本の完成したばかりのファイヤウェ・ホテルを焼き打ちし破壊した[6]。

またメラネシアンは厳しいカトリックの戒律があり、排他的とされ、極端な男尊女卑社会でもあり、女性に命令されるのを嫌う[6]。果たして無事に撮影が行わえるのか保証はされていない状況だった[6]。しかし実際に現地入りするとメラネシアンが実に純粋で素朴な人たちでスタッフは驚いた[6]。ウベア島で根回しが上手くいかず、大男が乗り込んできて撮影機材をめちゃくちゃに壊されるなど[7]、多少のトラブルはあったが、現地の警察が交通規制を敷いて撮影に協力してくれたり、協力態勢も完璧にしてくれた[6]。

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イランが誇るHafezと西欧へ紹介したゲーテ

2024年05月08日 | 芸術・本・映画・TV・音楽
スペインの友人から新緑の5月を楽しむメールが届きました。
彼女は、古代ペルシャの詩を読んでいると書いてきました。
 
「今、古代ペルシャの詩(Hafez, Saadi, Jayyam, Rumi, Attarなど)を読んでいるの。その中には、あなたの詩や私たちの詩のように非常に短いもの(4詩)もあるけれど、ほとんどは私たちの詩や古代日本語のような愛の詩です。 これらは私にとって懐かしい音に聞こえます。 彼らのことを知っていますか? とても奥深くて美しいわ。」
 
詩にはもともと関心がない私は当然知りませんでした。(小学生のころ、詩集を読んでみようとして選んだのはなぜか「バイロン」。小学生には向かない詩人でした。大人になってドイツ人の友人が私にプレゼントしてくれたのが「ゲーテ詩集」。これも詩心がない私には退屈でした。)
 
しかし、バリバリのカトリック教徒の友人が読むイラン人の詩というものに興味を持って、彼女が紹介した詩を詠んだハ-フェズ(Hafez)について調べてみると、彼の詩がゲーテによって紹介されているとのことがわかりました。
 
 
 

ハージャ・シャムスッディーン・ムハンマド・イブン・バハーウッディーン・ハーフィズィ・シーラーズィー((中略)Khwāja Shams al-Dīn Muḥammad Ḥāfiẓ-i Shīrāzī、1325/1326年 - 1389/1390年)、通称ハーフェズ(またはハーフィズ)は、イランの詩人。「ハーフィズ」(Hafiz/Ḥāfiẓ)は古典的な読み方、「ハーフェズ」(Hafez)は現代ペルシア語的な読み方であり、世界的にはどちらも広く用いられている。日本では、黒柳恒男訳『ハーフェズ詩集』(東洋文庫)以降、「ハーフェズ」で定着した感がある[要出典]。

後に編纂された『ハーフェズ詩集』は、東西の文化に影響を与え、ゲーテは晩年、ハーフェズの詩に感銘を受け、『西東詩集』を綴った。ハーフェズの詩についてゲーテは「ハーフェズの詩を理解するには 魂まで一汗かく必要がある」と語ったという。恋と酒と自然の美などを主題とした作品が多く、民衆に広く愛され、現代でも「コーランなくとも各家庭にはハーフェズ詩集あり」とまで言われている。

(中略)
 

ハーフェズの名は、「ガザル」と呼ばれる形式の抒情詩でよく知られる[8][7]。そのほかには、学究的な散文作品もあり[7]、「サーキーナーマ」と呼ばれるジャンルの飲酒詩もイランの古典音楽(ペルシアの伝統音楽)(英語版)にとっては重要であるが、抒情詩ガザルこそがハーフェズ文学の中核であると考えられている[8]。

ガザル詩形自体はハーフェズが発明した詩形ではなく、数百年前からアラビア語詩の世界で詠まれてきたものである[9]。一般的にガザルは「愛」をうたうものである[9]。ハーフェズ作品もその例にもれず主なテーマは「愛」であるといえるが[8]、「恋愛詩人」という一般的なハーフェズのイメージにそぐわないような、世の偽善を暴露するような内容のガザル作品もある[4][8]。

(中略)

神秘と陶酔

15世紀の詩人ジャーミーは、ハーフェズがスーフィーの誰かの弟子であったかどうかは定かではないが、ハーフェズ詩集はスーフィーが読むに値する最良の本であると述べた[11]。近現代の学者の間でも、ハーフェズがなにがしかのスーフィー教団に属していたかどうかという点については意見が分かれる[11]。しかし、ハーフェズを神秘主義思想家(ʿāref)とみなす者は多い[11]。ハーフェズの抒情詩は暗示に富み、詩中にあらわれる「酒」「罪」「音楽」「喜悦」といった言葉が、慎重に選び抜かれた超越的存在のシンボルと解されたり、グノーシス主義的観点から解釈されたりしてきた[11]。イラン・ペルシア文学者の岡田恵美子は、ハーフェズの抒情詩が一見耽美的に見えても、その真意は「神秘主義の陶酔境を巧みな比喩をもって表現したもの」であると述べた[12]。

(後略)

 

詩の一つを

シマノフスキー「ハーフィズの恋愛歌曲集」 第1集 op.24、第2集 op.26 | 翡翠の千夜千曲 (ameblo.jp)

から転載させてもらいます。

 

「朝の微風の息吹きが麝香を振り撒くと

老いた世界がふたたび若返ろう

はなずおうは紅の祝杯をジャスミンに与え

水仙の目はアネモネを見つめよう

別離の悲しみに虐げられた夜鶯は

叫びながら薔薇の王宮に入ろう

私が寺院から酒場に行っても咎めるな

説教の時間は長くて時間がかかろう

心よ、今日の快楽を明日に延したら

生命の元手をだれが保証してくれよう

シャバーン月に酒杯を手から放すな

この太陽はラマザーン明けの祭の夜まで隠れよう

薔薇は可愛い、それとの交りを恵みと思え

花園にこちらから現れ、あちらへ去っていく

楽師よ、親交の宴だ、恋歌を歌え

いつまで過去と未来を語るのか

ハーフィズはそなたのために存在した

歩を運び彼に別れを告げよ、彼は去るだろう (黒柳恒男 訳)

 

参考:

イランの動画・イランでもよく飲まれている「コカ・コーラ」 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

Hafez and Persian Poetry in Song (Part One) (youtube.com)

映画『ハーフェズ ペルシャの詩』予告 出演:メヒディ・モラディ/麻生久美子 (youtube.com)

Helena Bonham Carter reads The Guest House by Rumi (youtube.com)

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ - Wikipedia

ジョージ・ゴードン・バイロン - Wikipedia

ロマン主義 - Wikipedia

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「情緒」から「ヰ世界情緒」

2024年05月07日 | 芸術・本・映画・TV・音楽

Copilotという機能-11(科学と情緒と「生存を守る本能」) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

で書いた「情緒」。

イタリアのR君にこの言葉について、

「(ここで言う)日本語の「情緒」というのは、単に「emotion, sentiment」と英訳するだけではうまく伝えることができません。付け加えるとすれば、「5感だけでなく、第6感も加わったところから湧き上がる感情」とでもいうべきか・・。」

と説明をしました。

 

その後、何か外国人に向けて発信しているものはないかとネットでさがしていたところ、面白いものを発見しました。

ヰ世界情緒 #41「ラピスのお人形」【オリジナルMV (youtube.com)

ヰ世界情緒 #10 「シリウスの心臓」【オリジナルMV (youtube.com)

ヰ世界情緒 -Isekaijoucho- - YouTube

「異国情緒」に引っ掛けて「異世界情緒」(この場合の情緒はatmosphere, feeling) 。 アンソロジー、英語だけでなく、他の言葉の字幕があるものも・・・。

普段こういうものを観たり聞いたりしない私でさえ引き込まれてしまうので、気になってこちらを調べてみました。

ヰ世界情緒 - Wikipedia

佐久間洋司 | Hiroshi Sakuma (hiroshi-sakuma.com)

佐久間洋司 / Hiroshi Sakuma
大阪大学社会ソリューションイニシアティブ 特任研究員/2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)大阪パビリオン推進委員会 ディレクター/世界経済フォーラム(ダボス会議)シェイプニューワールドイニシアティブ 代表/大阪大学大学院基礎工学研究科博士課程/深化(FUKAIKA)ボードメンバー/日本SF作家クラブ 会員/人工知能学会 産業界連携委員ほか。日本オープンイノベーション大賞 文部科学大臣賞、Forbes JAPAN 30 UNDER 30などを受賞。

Latest Updates: X (Twitter) | Instagram | researchmap

Biography
大阪大学社会ソリューションイニシアティブ 特任研究員、2025年日本国際博覧会大阪パビリオン推進委員会 ディレクター、世界経済フォーラム(ダボス会議)シェイプニューワールドイニシアティブ 代表、大阪大学大学院基礎工学研究科博士後期課程、日本学術振興会 特別研究員(DC1)、深化(FUKAIKA)ボードメンバー。

(後略)

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「乗っ取られたホロコースト」-3(1997年イタリア映画『メモリア』)

2024年03月29日 | 芸術・本・映画・TV・音楽

イタリアのアウシュビッツ生還者はリリアーナ・セグレ以外にもたくさんいました。

彼らの証言を放送するドキュメンタリー映画が、1997年に作られていました。

MEMORIA (youtube.com)

Memoria (film 1997) - Wikipedia

『メモリア』はルッジェロ・ガッバイ監督の1997年の映画です。 この映画は、アウシュヴィッツ・ビルケナウ絶滅収容所から生き残った93人のイタリア系ユダヤ人の証言を集めたドキュメンタリーである。 この本は、マルチェロ・ペッツェッテ​​ィとリリアナ・ピッチョットの主題と歴史的研究に基づいて、ミラノ現代ユダヤ人文書センター[1]と協力してフォルマ・インターナショナルによって制作されました。

この長編映画は、アウシュヴィッツ絶滅収容所から生き残ったイタリア系ユダヤ人たちの証言を集めたもので、イタリアの都市での捕虜から装甲車での追放、愛する人たちの到着と別れ、収容所での生活、解放、そして困難な帰還に至るまでを収録している。

 

 プロット

プリモ・レーヴィ著『もしこの人が人間なら』から引用したジャンカルロ・ジャンニーニによるいくつかの朗読が紹介され、アウシュヴィッツ絶滅収容所から投獄されたのと同じ場所に連れ戻された数人の生存者の証言が掲載されている。 収容所で耐えた苦しみの証言に加えて、1938年の人種法によって受けた屈辱と剥奪、そしてイタリアで起きた隔離と捕虜に関する経験も語られる。

映画の中で語られる生存者の証言は、シュロモ・ヴェネツィア、ルビノ・ロメオ・サルモニ、ネド・フィアーノ、アイダ・マルチェリア、レオーネ・サバテッロ、リリアナ・セグレ、アルベルト・ミエリ、ゴティ・ハースコヴィッツ・バウアー、セッティミア・スピッツィーノ、ピエロ・テッラチーナ、サバティーノ・フィンジ、エリサ・スプリンガー 、アルベルト・セド、マリオ・スピツィッチーノ、リナ・ナヴァロ、ヴィルジニア・ガッテーニョ、ドーラ・ヴェネツィア、ライモンド・ディ・ネリス、マチルデ・ベニアカル、アレッサンドロ・クルー、ドーラ・クライン、ルイージ・サジ、エレナ・クーグラー。

(Shlomo Venezia, Rubino Romeo Salmonì, Nedo Fiano, Ida Marcheria, Leone Sabatello, Liliana Segre, Alberto Mieli, Goti Herskovits Bauer, Settimia Spizzichino, Piero Terracina, Sabatino Finzi, Elisa Springer, Alberto Sed, Mario Spizzichino, Lina Navarro, Virginia Gattegno, Dora Venezia, Raimondo Di Neris, Matilde Beniacar, Alessandro Kroo, Dora Klein, Luigi Sagi ed Elena Kugler.)

(後略)

 

追記:

こうして捕まってアウシュビッツに送られたユダヤ系イタリア人がいた一方、ユダヤ系ドイツ人だったウルズラ・ハーシュマン(ヒルシュマン)が戦時中、捕まることもなかったのはなぜでしょう?

トリエステの近現代史-番外編(Ursula Hirshmann) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

EUとヴェントテーネ宣言と欧州連邦主義-2(1946年に発足したUnion of European Federalists) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

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