6月27日東京新聞のコラムより;
『答えのない問い』 北海道大教授 山口二郎
「NHK教育テレビで、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の講義が放映されていて、予想外の反響をもたらした。この講義は正義をめぐる抽象的な議論であった。ソクラテスを連想させる問答形式で学生から多様な意見を引き出しながら考えを深める様子に、日本人も魅了されたのだろう。
私が最も感心したのは、拝金主義の聖地であるはずのアメリカで、知を尊重する気風が大学で脈々と受け継がれている点である。正義とは何かなどという問いには一つの正解はない。答えのない問いを考え続けることは、人間の知性を鍛え、それが実践的な問題を解決する為の基礎体力となった。
アメリカの大学では法律や経営など実務や富に直結する専門教育が重視されているという印象がある。しかし、ハーバードなどの名門校では答えのない問題を考えさせる基礎教育も重視されている。それがエリートの知的水準を押し上げているのだろう。
日本ではこの十数年、大学改革の名のもとにすぐ役立つ学問ばかりが優先されてきた。正解を教えこんで試験に受かることが大学教育の目的になっている感がある。学問を現世的な目的を達成するための手段と位置付けるならば、知性を持たない薄っぺらなエリートだけが生み出されるだけである。」
私は残念ながら、サンデル教授の講義の番組を見逃してしまいましたが、たぶんそれを観ていたら、山口氏と同じ印象を持ったと思います。
しかし、ハーバード大学学長までも勤めたローレンス・サマーズのように、女性蔑視発言をしたり、「世界銀行は、公害産業を開発途上国にもっと移転することを推奨すべきである」などという意見を持つにいたる輩もいるので、必ずしもハーバード大等の名門出身が優れているとも思いませんし(サマーズは学長を辞任させられましたが、現在もアメリカ政府内で重要なポストにいます。)、また、『答えのない問い』をする人(知能指数が高い人に限らず)は、別に大学の講義を受けるまでもなく、幼いころから日常的にしているだろう、と私の見方はもっとシビアではあります。
とはいえ大学受験まで「復唱、暗記、テストのコツを覚えることが中心」という教育環境を与えられてきた日本の若者達-大学においても「(真の)知」を尊重し育むことをしないのならば、たとえ元から「『答えのない問い』をしてきた若者」であったとしても、単なる性能の良いロボット(知性を持たない薄っぺらな若者)になってしまうか、その若者の感受性がとても高ければ、欲求不満を抱えてしまうでしょう。
「(真の)知性」とは、大学だけで身につけるものではないのですが、自問自答だけでなく、他人と意見をぶつけられる場はそうそうありません。