先月からメールを交換、他のペンフレンドたちともメールをシェアするようになったフランス人のMさんですが、何でもないこと(彼女以外にはなぜ彼女がそんなに怒るのかわからないような内容。)で急に怒り出して私や他の友人を戸惑わせることがあったので、メール交換のストップを申し入れました。
そのメールのあと、彼女とメールを交わし、実は1994年のルワンダ大虐殺の年、彼女は医師団としてここに派遣されていたことを知りました。
ルワンダ大虐殺については、日本人ではあまりなじみがない人が多いかもしれません。
実際、「資源のない国ルワンダ」で起こっていることは、国際社会および外国メディアはあまり関心を示さなかったようです。日本も同様。
ルワンダのツチ族とフツ族は同一由来でその境界も曖昧だったのに、植民地支配をしたベルギーが彼らを別民族に分類しました。その二つの部族の憎しみ会い、殺し合い。(1994年のこの事件は「フツ族によるツチ族及びフツ族穏健派の虐殺」ということになっています。)
(ウィキペディア ルワンダ虐殺
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E8%99%90%E6%AE%BA)
事件から20年たった今年の4月、ルワンダ大虐殺にフランス政府がかかわっていた、という告発があり、フランス政府だけでなく、このときフランスの医療団もフランス軍を迎えるための陰謀だったとする声もあがったりしました。
(「フランス政府およびベルギー政府は大虐殺をおこなったフツ族支援(武器供与、軍事訓練、逃亡の手伝い)」「英米はツチ族支援(武器供与)」という声もあります。)
しかし、危険な現地に赴いたフランス医療団のほとんどは、陰謀など関係なく、単なる人道主義のもとに現地に行ったであろうことを私は信じています。
命の危険にもさらされ、のちにPTSDも抱えてしまった人達は、この時派遣された西側兵士たちのなかにもいたし、そしてこの医師団のなかにもいたはずです。
が、帰国して、安全な場所にいたメディアも世間(ともにほとんどが自分では何もしなかった人達)がそろって自分たちを叩いたとしたら・・・。
「もしベルギーが民族を分けなければ、大虐殺はおこらなかった」、もしくは「西側諸国が全く関与しないでいたら、1994年に現地で起こったような地獄絵のようなことは起こらなかった」とは誰にも言いきることはできません。
そして本当はルワンダに対し国連はどうすべきだったのか - 他国や国連が他国に軍事介入をすることにほとんど反対の立場をとる私にも、はっきり答えがでないのです。
さて、Mさんですが、彼女は、自国の英雄ナポレオンさえ嫌い、フランスの奴隷解放のきっかけとなったジャーナリストを尊敬し、ドイツで反ナチとして活動して殺害されたゾフィ・ショルを尊敬する人であり、人道主義者です。
しかし、同じ人道主義者でありながら、彼女は「平和主義」を憎んでいると、今回気が付きました。
さて、ルワンダですが、以下のレポートが印象に残ったので、リンクをはりつけます。
そして、最後のページの部分は特に、ルワンダだけの問題ではなく、多くの人に読んでほしいので貼り付けます。
境界なき記者団 (2014年4月11日)
ルワンダ大量虐殺事件から20年、なぜ、あの事件は起きたのか……。(大貫 康雄)
http://no-border.co.jp/archives/20225/
(前略)
この見解はルワンダで危うく虐殺を免れ、再生ルワンダの裁判で虐殺加害者擁護の弁護士を担当したジャン・マリー・カマタリ(Jean-Marie Kamatali)氏(ルワンダ国立大学元法学部長、現オハイオ北部大学準教授)の自分の体験をもとにした研究の結論である。カマタリ氏は被害者側、加害者側双方に面接取材した結果の要点をまとめた(ルワンダ再建当時、弁護士は50人もいない状況、一方、虐殺関与の容疑者は14万人に上っていた)。
結論は人々に……。
●“上から言われたことは、たとえ悪いことであっても法律と同じだと混同する”傾向(現地語では“命令”も“法律”も同じ訳語itegekoとされる)⇒
●その結果同じ国民(トゥツィ族)を殺せというラジオの呼びかけが、いつの間にか、権威ある命令になった。(“法律を与える者”と“権威”は同じくumutegetsiとなる)
●この「疑念を抱くことなく従う、盲従する文化」が人々を簡単に虐殺に駆り立てた(氏はフツ族武装集団に命令され、フツ族の夫が子どもたちの目の前で妻であるトゥツィ族の従姉を殺す事件を例に上げた。その後トゥツィ族が虐殺を終わらせると姉の兄弟が、フツ族の夫を同じく子どもたちの目の前で殺したという)
●トゥツィ族の多くの被害者は、フツ族の虐殺犯を許しているが、理由を聴くと皆同様に“政府が許すと言っている以上、何ができる? 私も許すだけだ”と答えるという。
つまり、人々は“政府が言った(命令した)から許した”のであって、心から信じて許し、和解しているのではない!。
●虐殺と同様、上に従属して許しているのであって、自分で判断して許しているのではない。
これは堅固な確信の上での判断ではなく、状況次第でいつでも人々の心の中に悪が頭をもたげ変わりえる危険性をはらんでいる。
ルワンダ政府が本当に部族間の和解を推進したいのであれば、国民の“従属文化”を変えなければならない。それには……。
(1)人々が自分で物を考え判断する習慣を身につける。これは現代社会で人々が発展し、自由を獲得するのに不可欠な要素だ。
(2)ルワンダ人は“順守、従順(コンプライアンス)”ではなく、真の“法の下の支配”を確立すべきだ。
(3)物事を批判的に見て、考える教育の推進が重要。従順な姿勢ではない。また強烈な個性に従ったり、上からの命令に服するのでなく、万人に平等な法と正当性のある制度を作るべきだ。
(4)政府はトップダウンでなく、一般的な個々の人々からの提案、提言に耳を傾け、万人に平等な法の支配の下で人々が活発な討論をできる社会にすべきだ。
(5)ルワンダ人は指導者の発言に常に疑問をもち、質疑することが重要であることを学び、悪いことには敢然として協力を拒否する義務を身につけるべきだ。
これらの提言はルワンダ人だけでなく、我々日本人に対しても言っているように感じられるのは筆者だけではないだろう。