Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

「イケてる」という言葉を使う若者たち

2014年09月25日 | 雑感

「イケてる」という若者言葉がいつ頃できたのかわかりませんが、(古く感じるようになっているとはいえ)今もまだ使われているこの単語が、私は嫌いです。

それは、 

①「イケてる」という言葉に、英語のwanna (want to) gotta (got to)に似た、言葉の下品さを感じる。

 

wanna,gottaに関しては「これを使うと英語が上手に見えてかっこが良い」と思っているのか、英語の文法も単語もたくさん間違えているのにこれを頻発する人が時々います。 

そういえば、本当に格好いい(イケてる)人というのは、「イケてる」という単語を使ったりしませんね。)

 

②物事を「流行」「第三者(大抵の場合は、自分と同じ世代や同じ価値観の人達)に受けるか、受けないか」を基準に優劣を単純評価。

 

(主体性に欠ける。自信のなさの表れ)

 

③「イケてない人や物」に対して見下し、結果的になにか教祖的なものを作り上げたりするようなイメージがある。

 

(仲間はずれ、いじめの元になるときもあるでしょう。)

 

などからです。

 

さて、「イケてる」という言葉は英語でいえば一番近いのはcoolだと思います。

 

私は”Cool Japan“というネーミングも嫌いですが、一番の理由は、これがまるで「イケてる僕」と言っているように感じるからです。

 

流石に自分で、「イケてる僕」「私はイケてる」と口に出して言う人はいないでしょうが、ただ、「イケてる」「イケてない」という言葉を頻繁に使う人はしばしば見かけます。
(「彼らは無意識に、「自分はイケてる」と人に言ってほしいのではないか」と思ったりもします。)

 

今日は偏屈小母さん(=イケてない)のつぶやき、でした。

 

以下、面白かったのでリンクを貼り付けます。

 

阪教育大学キャンパスことば(18)  

「イケテルイケテナイ」小考 

国語教育講座  井上博文 

http://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~inoue/hougen.index/kyanpasukotoba/iketeru.htm 

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ルワンダの悲劇はルワンダに終わらず

2014年09月22日 | 戦争・紛争

先月からメールを交換、他のペンフレンドたちともメールをシェアするようになったフランス人のMさんですが、何でもないこと(彼女以外にはなぜ彼女がそんなに怒るのかわからないような内容。)で急に怒り出して私や他の友人を戸惑わせることがあったので、メール交換のストップを申し入れました。

そのメールのあと、彼女とメールを交わし、実は1994年のルワンダ大虐殺の年、彼女は医師団としてここに派遣されていたことを知りました。

ルワンダ大虐殺については、日本人ではあまりなじみがない人が多いかもしれません。 

実際、「資源のない国ルワンダ」で起こっていることは、国際社会および外国メディアはあまり関心を示さなかったようです。日本も同様。

 

ルワンダのツチ族とフツ族は同一由来でその境界も曖昧だったのに、植民地支配をしたベルギーが彼らを別民族に分類しました。その二つの部族の憎しみ会い、殺し合い。(1994年のこの事件は「フツ族によるツチ族及びフツ族穏健派の虐殺」ということになっています。)

 

(ウィキペディア ルワンダ虐殺 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E8%99%90%E6%AE%BA

 

事件から20年たった今年の4月、ルワンダ大虐殺にフランス政府がかかわっていた、という告発があり、フランス政府だけでなく、このときフランスの医療団もフランス軍を迎えるための陰謀だったとする声もあがったりしました。

 

(「フランス政府およびベルギー政府は大虐殺をおこなったフツ族支援(武器供与、軍事訓練、逃亡の手伝い)」「英米はツチ族支援(武器供与)」という声もあります。)

 

しかし、危険な現地に赴いたフランス医療団のほとんどは、陰謀など関係なく、単なる人道主義のもとに現地に行ったであろうことを私は信じています。

 

命の危険にもさらされ、のちにPTSDも抱えてしまった人達は、この時派遣された西側兵士たちのなかにもいたし、そしてこの医師団のなかにもいたはずです。

 

が、帰国して、安全な場所にいたメディアも世間(ともにほとんどが自分では何もしなかった人達)がそろって自分たちを叩いたとしたら・・・。

 

「もしベルギーが民族を分けなければ、大虐殺はおこらなかった」、もしくは「西側諸国が全く関与しないでいたら、1994年に現地で起こったような地獄絵のようなことは起こらなかった」とは誰にも言いきることはできません。

 

そして本当はルワンダに対し国連はどうすべきだったのか - 他国や国連が他国に軍事介入をすることにほとんど反対の立場をとる私にも、はっきり答えがでないのです。

さて、Mさんですが、彼女は、自国の英雄ナポレオンさえ嫌い、フランスの奴隷解放のきっかけとなったジャーナリストを尊敬し、ドイツで反ナチとして活動して殺害されたゾフィ・ショルを尊敬する人であり、人道主義者です。

 

しかし、同じ人道主義者でありながら、彼女は「平和主義」を憎んでいると、今回気が付きました。

 

さて、ルワンダですが、以下のレポートが印象に残ったので、リンクをはりつけます。 

そして、最後のページの部分は特に、ルワンダだけの問題ではなく、多くの人に読んでほしいので貼り付けます。

 

境界なき記者団 (2014411日) 

ルワンダ大量虐殺事件から20年、なぜ、あの事件は起きたのか……。(大貫 康雄) 

http://no-border.co.jp/archives/20225/

 

(前略)

 

この見解はルワンダで危うく虐殺を免れ、再生ルワンダの裁判で虐殺加害者擁護の弁護士を担当したジャン・マリー・カマタリ(Jean-Marie Kamatali)氏(ルワンダ国立大学元法学部長、現オハイオ北部大学準教授)の自分の体験をもとにした研究の結論である。カマタリ氏は被害者側、加害者側双方に面接取材した結果の要点をまとめた(ルワンダ再建当時、弁護士は50人もいない状況、一方、虐殺関与の容疑者は14万人に上っていた)。

 

結論は人々に……。

 

●“上から言われたことは、たとえ悪いことであっても法律と同じだと混同する”傾向(現地語では“命令”も“法律”も同じ訳語itegekoとされる)⇒

 

●その結果同じ国民(トゥツィ族)を殺せというラジオの呼びかけが、いつの間にか、権威ある命令になった。(“法律を与える者”と“権威”は同じくumutegetsiとなる)

 

●この「疑念を抱くことなく従う、盲従する文化」が人々を簡単に虐殺に駆り立てた(氏はフツ族武装集団に命令され、フツ族の夫が子どもたちの目の前で妻であるトゥツィ族の従姉を殺す事件を例に上げた。その後トゥツィ族が虐殺を終わらせると姉の兄弟が、フツ族の夫を同じく子どもたちの目の前で殺したという)

 

●トゥツィ族の多くの被害者は、フツ族の虐殺犯を許しているが、理由を聴くと皆同様に“政府が許すと言っている以上、何ができる? 私も許すだけだ”と答えるという。

つまり、人々は“政府が言った(命令した)から許した”のであって、心から信じて許し、和解しているのではない!。

 

●虐殺と同様、上に従属して許しているのであって、自分で判断して許しているのではない。

これは堅固な確信の上での判断ではなく、状況次第でいつでも人々の心の中に悪が頭をもたげ変わりえる危険性をはらんでいる。

 

ルワンダ政府が本当に部族間の和解を推進したいのであれば、国民の“従属文化”を変えなければならない。それには……。

 

(1)人々が自分で物を考え判断する習慣を身につける。これは現代社会で人々が発展し、自由を獲得するのに不可欠な要素だ。

 

(2)ルワンダ人は“順守、従順(コンプライアンス)”ではなく、真の“法の下の支配”を確立すべきだ。

 

(3)物事を批判的に見て、考える教育の推進が重要。従順な姿勢ではない。また強烈な個性に従ったり、上からの命令に服するのでなく、万人に平等な法と正当性のある制度を作るべきだ。

 

(4)政府はトップダウンでなく、一般的な個々の人々からの提案、提言に耳を傾け、万人に平等な法の支配の下で人々が活発な討論をできる社会にすべきだ。

 

(5)ルワンダ人は指導者の発言に常に疑問をもち、質疑することが重要であることを学び、悪いことには敢然として協力を拒否する義務を身につけるべきだ。

 

これらの提言はルワンダ人だけでなく、我々日本人に対しても言っているように感じられるのは筆者だけではないだろう。 

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米軍に防災訓練参加をお願い?その代償は※ブログ引っ越しの際文章後半消滅

2014年09月19日 | 国際・政治

アメリカが軍事基地を置いているのは、たとえばドイツやイタリアにおいてもですが(ただし規模が違う)、こういうことはこの二つの国であるのでしょうか?

週刊金曜日 (2014918日)
兵庫県で実施された“防災”訓練――初の米軍参加に市民は反発
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140918-00010000-kinyobi-soci


「防災に名を借りているが、これは住民を巻き込んでの合同軍事演習にほかならない」――米軍基地のない府県では全国初となる“米軍参加の防災訓練”が
831日、兵庫県芦屋市の南芦屋浜フリーゾーンで実施された。米軍参加は兵庫県が要請したものだが、主人公である阪神間の71町に事前の相談はなかったという。

 演習当日、騒音をまき散らす垂直離着陸“欠陥”輸送機「オスプレイ」の姿はなく、神奈川県の米軍キャンプ座間から、攻撃ヘリ「ブラックホーク」が飛来した。

 71日に閣議決定した集団的自衛権の行使容認を前提に、自衛隊と米軍との連携・機能強化を印象づけた格好だ。

 今回の演習は「これまでの防災訓練のあり方・性格を大きく変えてしまう重大な問題」であるとして、反発する市民が実行委員会を結成、二日間にわたる抗議行動を繰り広げた。演習前日の30日は、阪神電気鉄道「芦屋」駅近くの宮塚公園に約350人が結集し、集会やデモ行進などを通じてこの問題をアピールした。抗議は31日も演習地近くで行なわれ、多くの市民が参加した。

 大阪在住の男性は「今秋10月の和歌山県での防災訓練には米軍のオスプレイが参加する」と言い、「11月の東北6県での訓練にはオスプレイだけでなくオーストラリア軍も加わる」と指摘した。

 また、京丹後市(京都府)で北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)や中国を意識した米軍のXバンドレーダー基地建設が進んでいることについて、抗議に駆けつけた京都在住の女性は、「年内に運用開始というが、集団的自衛権に結びつく米軍基地は不要」と批判した。

 東日本大震災(2011年)の「トモダチ作戦」以降、“防災訓練”名目での日米合同演習が各地で増加している。両政府の狙いは米軍の活動を全国展開することにあり、「本土の沖縄化」が懸念される。

(たどころあきはる・ジャーナリスト、9 -->

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第二回日露フォーラム・歴史が後ずさりするとき

2014年09月18日 | 国際・政治

98日~10日、ロシアで、第2回日本・ロシアフォーラム「ビジネス、投資、文化の接点」が開かれました。

http://jp.rbth.com/jap_rus_forum

このフォーラムで出席者の森元首相は講演で
http://jp.rbth.com/politics/2014/09/10/50107.html
で以下のような発言もしています。

ウクライナ情勢について

 その後、ウクライナ情勢によって日本とロシアの間に生じた最近の困難に話がおよんだ。「プーチン大統領は現在、ウクライナ情勢をめぐり、世界から批判を受けているが、対話を可能にし、この問題を平和的に解決すると信じている。心からそれを願っている」、「ウクライナへのロシアの関心を理解している。たくさんのロシア人がそこに暮らしている」と森元首相。
 

 欧州連合(EU)のウクライナ問題への対応についてはこう述べた。「ヨーロッパで長期的に戦争がなかったという理由で、EUはノーベル平和賞を受賞したが現状はどうだろう。ノーベル賞が泣く」。ヨーロッパには新たな規律が必要であり、ロシアはEU諸国とともにその課題を遂行しなければならないという。

 「我々はアジアが平和な地域になり、世界中が平和になるよう努力しなければならない」、「我々は世界が密接になっている21世紀を生きている。隣国同士に限らず、平和を実現するのが我々の課題」と締めくくった。
 

(また、経団連副会長の佐々木則夫氏のインタビューもついでに。 

http://jp.rbth.com/business/2014/09/15/6_50147.html )
 

ウクライナ問題におけるプーチン首相への森元首相のフォローは、フォーラムの最中に、産経新聞だったかどこか日本の新聞で「森元首相がこんな発言している!」とバカにするような記事を書いていました。が、森元首相のこの発言はオフレコというわけでもないし、安倍政権だってこういう発言をすることは許可していたでしょう。

 

ところが、このフォーラムが終わって間もなくの今日は以下の記事。
 

読売新聞 2014918 

政府、対露制裁強化へ…金融や資源分野も検討 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140917-00050151-yom-pol

政府が、ウクライナ問題を巡り、ロシアへの追加制裁を19日に発表することが分かった。
 

 現在は、クリミア編入に関与したロシア政府関係者らに限っている入国禁止や資産凍結の対象を拡大することや、米国や欧州連合(EU)が行っている金融やエネルギー分野の制裁も検討している。ロシア側が反発するのは必至で、今秋のプーチン大統領の来日は延期される可能性が一層強まった。
 

 ロシアとの間で北方領土問題の解決を目指す日本政府はこれまで、対露関係悪化につながる制裁には慎重だった。しかし、今月に対露制裁の強化を相次いで決めた米国や欧州から、より実効性の高い制裁を求める声が強まったことを受け、G7(先進7か国)内の協調を優先する必要があると判断した。
 

日本、ロシア、双方のフォーラム出席者、立役者たちの顔をしっかりつぶしてくれます。 

お決まりの、積んで壊しての、「積木外交」。何もしない方がまだマシ。
 

さて、私のブログを定期的に読んでくれている方々には、私が「ロシアびいき」に見えるでしょう。
 

しかし、私は「ロシアが良い」と言っているのではなく、「米国、それについで英国、フランス、ときにドイツ」の言いなりになっている自分の国に嫌気がさし、そして「米国が善、ロシアが悪」という西側マスメディアの扱いに疑問を感じているだけです。
 

米政府とNATOなどのコソボ以降の軍事介入、中東、アフリカ、イスラエルガザの紛争-ことごとく「偽善」「ダブルスタンダード」。
 

米国はかつてイランと敵対するためにイラクのサダム・フセインを怪物にしたように、ビンラディンも怪物にしたてあげ、ここ数年でも、たとえば、シリア政府を一方的に悪者にしたて、結果的にはISISという「イスラム国(略称ISIS(これ、トヨタの車名とかぶってしまいました・・))」を大きくしてしまったのではないでしょうか。
 

(これは、米国に限らず、多国籍企業となったもの、それぞれの国の軍需産業にとってはありがたいことでしょう。今、クルド人たちにも武器を売りつけようとしている人達がいるようです。)
 

武器で儲けることは今もしているでしょうが、ロシアは少なくともこの間、他国のことに介入して、怪物は作り上げてきませんでした。

ロシアとウクライナについて、海外の友人達と時々意見交換していましたが、ロシアにはあまり良い印象を持っていない友人の一人が、 

「アメリカはこれ以上(他の国を巻き込んで)ロシアを刺激して、プーチンを怪物にするな」 

というようなことを言っていましたが、私も同意します。
 

なお、最近、ウンベルト・エーコの『歴史が後ずさりするとき』を読み始め、この話をしたら、フランスとスロベニアの友人も、早速図書館で本を借り読みだしました。 

(スロベニアの友人は、「ウンベルト・エーコは、本国イタリア以上にスロベニアでは人気がある」と言っていました。)
 

この本は、日本人にはなじみがない人の名前、出来事が多くて一般的日本人には読みづらい上、本に使われているエッセイ・コラムが911以降約5年くらいに書かれたものというのが残念ですが、この本の出版された2006年(日本語翻訳は2013年)以降も歴史は後ずさりをしたまま(しかも、昔と違って、「敵」というものがボーダーレス、そして利害もボーダレスになってしまっている分、もっと危険になっている)ですので、一読をお勧めします。
 

『歴史が後ずさりするとき』岩波書店 

https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/9/0256620.html

 

追記:

 

フランスの友人が、この本を借りたつもりで間違ってエーコの別の本を借りてきてしまったようでした。「うれしい間違いだわ。二冊のエーコの本を読むきっかけができた」と彼女は喜んでいました。

(彼女が間違って借りた本はまだ日本語に翻訳されていませんが、英語版の題名は『敵を創る(捏造する)』 (Costruire il nemico )とのこと。)

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ファシストの国へ

2014年09月14日 | Nationalism

朝日新聞バッシングが激しいようです。

私は朝日新聞を購読したことはありませんが、「売れるからと言って、一般紙と思えぬ記事も平気で書く」「背後に日本会議の人達がいる(イコール安倍政権のお墨付き)」のような産経新聞はじめ一部のメディアに、マスメディアの論理を説かれる朝日新聞には同情してしまいます。

さて、右翼と言えば、「田母神氏と一緒にイスラエルに防衛(?)を学びに行くツアー」なるもののことは以前書きましたが、
田母神氏と行くイスラエル国防視察団(ガザ殺戮視察団では?)中止を!』
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20140806
 

このツアー、催行されてしまったようです。

 

(このツアーには、勝間和代の仕事のパートナー、上念司なる経済評論家 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%BF%B5%E5%8F%B8 

も同行しているようです。)
 

このツアーについては、私は東京新聞の記事とニューズウィークの冷泉彰彦氏のコラム 

ニューズウィーク 201487 

『田母神俊雄氏のイスラエル訪問計画、3つの懸念』 

http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2014/08/post-670.php 

以外の報道やコラムは見ていませんが、こうしたこと、安倍政権前だったら大きく騒がれたのではなかったかな、と、不気味さを感じています。
 

今、何か好戦的な人達が増えています。
 

そういえば、NHKの『花子とアン』では実際は戦争推進派であった村岡花子が消極的反戦派として描かれていますが、これについて「史実を捻じ曲げている」という批判のほうがもちろん多いのですが、なかには「日本では、戦争に負けたから反戦派のほうがよいことになっているけど、まだ勝ち負けがわからない頃の反戦派は非国民だ!本当は戦争推進派だった花子を反戦派にしたてるNHKは非国民的」などという意見も一つや二つではなくあります。
 

このような感想を寄せる人の年代はわかりませんが、大抵は、戦争を経験していない人でしょう。

想像力の欠如か、ゲーム脳なのか・・・。
 

想像できない、といえば、私の息子が2歳の頃、一緒に買い物に行くと私の手を振り切ってスーパーの外に出て、駐車場に入ってくる車の前に出て行ってしまうことが再三ありました。

これはいくら叱っても治らず、本気で息子に紐をつけて買い物に行くべきか悩んだものです。
 

(そんなとき、 

「小さい子供は、「危ない」というだけでは、車に轢かれるとどうなるのかがわからない。目の前で車に轢かれてどうなるかを演じて見せるべき」 

ということを言っている人がいて、私は息子を前に、言葉と演技で、車に轢かれるとどんなふうになるかを説明しました。
 

そしてちょうどこんなことをした直後、友人の車で、彼女の娘さん(息子と同年齢)、私と息子で買い物に行った帰り、少し大きめの交差点で車とバイクの事故を目撃。 

それから息子の車の前飛び出しはなくなりました。)
 

大人になっても幼児並に想像力が欠如した人達に対し、少し前まではそれが恥ずべきことと感じる空気がありました。しかし、日本を引っ張るリーダーや代の大人自体が「想像力の欠如した人々」をありがたる昨今、空気がどんどん変わっています。 

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異文化と電話

2014年09月13日 | 異文化

 高文脈文化(High Context Culture)と低文脈文化(Low Context Culture)の話、アメリカ人のティムさん、フランス人のMさん、スロベニア人のTさん、イタリア人のクラウディアさん、スペイン人のベゴーニャさんとメールをシェアして意見交換をしていました。

無理やり「高」「低」に国を区分けしてしまうのは乱暴(たとえば、同じ「高」に分類されている日本とイタリアの国民性はだいぶ違うし、全体として「低」と分類される南部以外の米国なども、民族や宗教によっての傾向の違い以外にも、ハイクラスの人々は「高」の傾向が強かったり(イギリスの中流以上風)ということもあり。) というのが皆一致した意見でしたが、この話からお互いの文化の違いの話もできて、大いに盛り上がりました。

さて、この高・低文脈文化についてウィキペディアでは、電話のかけ方の違いについて取り上げています。

ウィキペディア
高・低文脈文化
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E3%83%BB%E4%BD%8E%E6%96%87%E8%84%88%E6%96%87%E5%8C%96 

私たち日本人のほとんどは、友人宅だろうと会社だろうと、目的の相手以外が電話口に出たなら、 

「○○さんはいらっしゃいますか?」 

と言って取り次いでもらうと思います。
 

「電話で話したいから、いるかどうか確認している」という暗黙の了解がなりたつので、「いらっしゃいますか?」イコール「話せますか?」になります。
 

ところが、アメリカなどでは、一般的には、 

「○○さんと話せますか?(May I speak to ○○?等)」。
 

もちろん、アメリカ人に日本式に「○○さんはいらっしゃいますか?」と言っただけでも、よほどひねくれている人でない限りはそのまま取り次いでくれるでしょうし、アメリカ人でも特に親しい友人宅などにかけるときは、単に「○○君います?」という人も少なくないでしょう。
 

(事実ティムさんは、プライベートでは“Hellois ○○ there? ” を割とよく使うようです。「僕、『高文脈』だから」と、嬉しそうに報告してくれました。)
 

しかし、それでもやはりアメリカでは、「○○さんと話せますか?」がスタンダード。
 

これに対して、高文脈文化では、電話に限らず、最後まで「こうしてちょうだい」と指示することなく、相手が求めていることを察して動くことができる。
 

(ま、これには個人差があり。たとえば、外出中の妻が電話で「雨が降ってきた!」と連絡しても、窓は開けっ放し、洗濯ものも出しっぱなし、という日本人男性もいますし、勘違いでとんちんかんな行動をとる人もいます。)
 

先日Mさんと「百人一首」の話をしていましたが、思うに高文脈のコミュニケーションって、「百人一首的」であるといえるのではないでしょうか。
 

さてさて、話は少しずれますが、ついでに電話の話で私たちがひっかかった話もついでに―
 

電話をかけるとき(場合によっては受けるときも)の決まり文句は各国違います。
 

アメリカでは、電話の一声は、“Hello 

フランスは、Hello のフランス語、“Allo 

世界的にはこのタイプが多いようです。
 

しかし、日本は、「もしもし」(基本的にはかける側のみ)。 

イタリア語も“Pronto”(かける側、受ける側、双方)。 

中国語も「ウェイ(ウェイウェイ)」(基本的にかける側のみ・・・かな。)と、明らかにHelloとはello違います。
 

これは昔の回線状態が良くなかったときに使っていた言葉がそのままになった例で、元々の意味は「キチンと繋がっていますか?」「聞こえていますか?」という意味です。
 

ほかに、スペインでは電話の受け手が特別なイントネーションで、“Dígame?  と言うようです。これは,Tell me? ”という意味とのこと。
 

こういう知識は、高・低文脈文化とは関係ないのですが、これも異文化交流の上ではばかにできません。
 

外国で日本人が「もしもし」と電話で言っているのを聞いた親日家の現地人が、その日本人と道で会うたびに、“moshi moshi”とにこやかに声をかけた・・・ってケースもあったようですが、気が付かないうちに自分が同じようなことをしないとも限りませんから。

 

参考:

『異文化は国籍や人種に限らず』 

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20140906  

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ルイジさんとファビオさん in Japan

2014年09月12日 | 友人・知人

今年もまた外国の友人達の来日が相次いでいますが、8月にトリノのルイジさんが来日。彼と入れ替わるように、同じくトリノ在住のファビオさんが今月初めにやってきました。

初来日のルイジさんとは、本人の希望もあり鎌倉を散策。

社交的な彼は東京に何人も日本人ペンフレンド(内一人は私が彼に紹介したキョウコさんで、私が約束した前日まで彼女のお宅に滞在)がいるので、待ち合わせも簡単に、

「JR東京駅○○時○○分出発の横須賀線逗子行、JR北鎌倉駅××時××分時到着の電車に乗って、降りたらプラットフォームにそのままいてください。わからないことがあったら、キョウコさんに聞くか、また連絡ください。」 

とだけ伝えたところ、すぐ彼から、 

「大丈夫。再会できるのを楽しみにしています。」。
 

しかし、実はルイジさん、成田までキョウコさん夫婦に迎えにきてもらい、彼らと2日間一緒にいたため一人で電車に乗るということをしていなかったので直前にいろいろあったのです。(キョウコさんに迷惑をかけました。)
 

そうであっても、なんとか宿泊先から東京駅の横須賀線ホームに予定より早めに到着。 

が、運悪くこの日はポイント故障の影響でダイヤに乱れがありました。
 

ルイジさんはホームにいた学生風の女の子4人に、自分が乗る電車について質問。英語をほとんど理解しなかった彼女たちは身振りで電車を教えてくれて、その電車の乗り込むルイジさんに手を振り別れたそうでした。
 

「こうして北鎌倉駅にたどりついたんだけど・・・プラットフォームに降りたら、親切に電車を教えてくれた彼女たちも同じ電車に乗っていたようでまた再会したんだ。」

ルイジさんは、ちょっと不可解な面持ちで言いました。

 

ルイジさんは、 

「言葉が通じなかろうと、身振りで「自分たちも同じ電車で同じ駅に行くから、一緒に」と言ってくれればよかったのに・・・。警戒されちゃったのかな。相手4人に、僕一人なのに。」 

と、ちらりと思ったようだったので、

 

「彼女たちはあなたを警戒したのではなくて、「英語ができないのに1時間近くずっと一緒にいるのはちょっときつい」と思っただけでしょう。 

相手が日本人であっても、おそらくこの4人は自分たちだけでいたがったかもしれないし。日本人はシャイなの。」 

と私が言うと、ルイジさんは、にっこり笑いました。

 

この日は、私と夫と息子で、鎌倉を案内。 

彼はそのほか 東京、横浜、茨城、大阪、京都、奈良・・・をめぐりながら、無事帰国していきました。

 

日本語は一応習っていたものの平仮名も読めないルイジさん。イタリア語はもちろん、英語もあまり通じない日本であっても、言葉が通じなくとも意思の疎通が図れるという才能を生かし、楽しんで帰ったようです。

 

(デング熱騒動前に代々木公園界隈に行っていたので、それだけは心配しましたが・・。)

 

さて、昨年に続いて2度目の日本滞在のファビオさん。 

「前回は日本で日本語教室に通うという願いがかなわなかった」と言って、今回の目的は観光よりも、日本語短期集中講座を受けること。

 

今回は、マンスリーマンションに滞在して、気合たっぷり。

 

先日は、昨年もご一緒してくれたアサコさんと、夫と私で東京駅から有楽町、銀座、築地、汐留、新橋と、散策をしてきました。

 

彼の日本語は独学ですが、会話に時々日本語を挟むほどの上達ぶり。

 

帰りに立ち寄ったセルフサービスのコーヒーショップで、ガムシロップの空の容器を床に落としてしまった彼。 

シロップはこぼれても数滴だったろうに、「後の人が滑るといけない」といって、容器を拾うだけでなくテーブルの下にかがみ込んでウェットティッシュで拭いました。

 

「大丈夫よ。そこまでしなくても」 

と慌てて言った私たち日本人3人。

 

ファビオさんの場合、伝統文化やポップカルチャー、風景、といったものよりも、「他人を思いやる優しさがある日本、礼儀正しい日本人」が好きなようですから、こうした行動は彼にとっては当たり前になっているのでしょう。
 

(そういえば、ルイジさんも鎌倉散策中、持っていたゴミを捨てようとしたんですが、あるお寺にあったゴミ箱の分別がわかりづらかったときがありました(日本語の表示さえも消えていた)。 

日本人でもいい加減に捨ててしまう人が少なくないのに、彼はゴミ箱の前でとても悩んでいたのが印象的でした。)

 

一昔も二昔も前の日本ならまだしも、ちょっと様子が変わってきてしまっている日本。 

ファビオさんやルイジさんのような人達をガッカリさせたくないものです。

 

まずは自分から心引き締め・・・。 

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異文化は国籍や人種に限らず

2014年09月06日 | 異文化

友人Tは私にとって、大切かつ、自分の頭を整理するのにも重要な話し相手なのですが、彼に遠回しな言い回しや、嫌味が通じない時があってイライラすることがあります。

また、他の友人には通じる比喩的言い回しも通じず、一から説明しないといけなかったり。

「日本語でやりとりしている彼とのほうが、私の下手な英語でやり取りしているティムさん(アメリカ人)、ベゴーニャさん(スペイン人)、クラウディアさん(イタリア人)、Mさん(フランス人)とのものより、コミュニケーション不全を起こすことが多いかもしれない」

なんてふと思ったりします。

海外の友人と言えば、以前メールをやり取りしていたドイツ人二人とは、やはりこの「遠回しな言い回しが通じない」という経験をしています。

また、彼らは物言いがストレートで、例えば私が一人に向かって「プッチーニが好きです」とメールに書いたときは、彼は「プッチーニは俗っぽい。」と切り捨て自分の好きなオペラの話をしだし、別の一人は、私の外国人の友人が「印象派の絵画が好き」と言ったとき、顔をしかめ、「僕は印象派は嫌いだ。」と言ったり。

この友人Tもやはり似たようなことをしたことがあって、(上記ドイツ人達には「異文化」と割り切って文句も言わなかった私ですが、)彼に私は「普通の人は、自分が好きでなくても、それが好きな人を前に、そんな失礼なことを言わない」と怒ったことがありましたが、彼には私が怒る理由があまりわからなかったようでした。

さて、そういえば、以前書いた、
『縁』=『偶然』+『(非主観的)相性』
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20130630
の中で、私は、

「非ラテン系である他の外国人のペンフレンドや友人たちも、私は大好きで、気が合うから続いているわけですが、それでもラテン系の友人達の場合と違って彼らの場合は時として少し緊張のようなものがあります。彼らが『外国人』であるという意識もこれはなくなる瞬間もない。」

と書きましたが、これが、1976年にアメリカの文化人類学者のエドワード・ホールが唱えた、言語コミュニケーションの分類、高文脈文化 / High context culture (簡単にいえば、言葉に寄らないコミュニケーションができるのが当たり前の文化。その分曖昧。) 低文脈文化 / Low context culture(前者の逆。)と関係していることに気が付きました。

実はこのホールの分類は、1986年にさらにアメリカ人学者によって国ごとにも大まかに分けられていますが、日本、スペイン、イタリア、フランス(おそらく南仏はその傾向が高いでしょう。)は、日本と同じ、高文脈文化に分類されています。
カトリック教徒も、プロテスタントに比べて「高」に。

つまり、「あ、うんの呼吸」的なコミュニケーション文化があるので、言語は違っていても、なんとなく私にはコミュニケーションがとりやすいのでしょう。

他に、私が信頼するペンフレンドがいる国、ブルガリアやスロベニア、フィンランド(ウィキペディアではフィンランドは「低」に分類されていますが、北欧の中でも、フィンランドだけは「高」に分類しているものもあるようです。)なども、日本と同じ「高」。

アメリカは南部アメリカを除いては低文脈文化に分類されていますが、国民性と一緒で個人差があります。ティムさんはアメリカ人(北東部、非ラテン系、非カトリック)であっても「高文脈文化的」。

日本人の友人Tは日本人であっても「低文脈文化的」。

面白いことに、ティムさんの興味のある国は高文脈文化の国の日本やイタリア。

友人Tの場合は、若いころから興味があるものや人が、ドイツ、オーストリア、スイスに多く、欧州好きでもフランス以外のラテンの国には興味がない。

そう考えると、この分類が国内においての人付き合いに生かせるってことがわかります。

たとえば、日本人であっても、友人Tのような人(特に男性に多いと思います)や、遠回しや曖昧な言い方が苦手な子供などに対しても、低文脈文化の国の人に話すような感じで話せば、典型的高文脈文化的な私のような人間も、イライラすることが減ると思います。

参考: 

Wikipedia  

高・低文脈文化 (High / Low Context Culture) 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E3%83%BB%E4%BD%8E%E6%96%87%E8%84%88%E6%96%87%E5%8C%96

 High- and low-context cultures
http://en.wikipedia.org/wiki/High-_and_low-context_cultures

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花子とアンとモンゴメリ

2014年09月03日 | 人物

NHKの朝の連続テレビ小説(「連続ドラマ」って言わないんですね。)は、子供が小さかった時の放映した『ひらり』以来ずっと見ることはなかったのですが、赤毛のアンシリーズのファンの私は、今シーズンの『花子とアン』は観ています。

これは、柳原白蓮をモデルとした人物が出ていたり、大正ロマン薫る衣装や舞台設定の魅力もあって、大変楽しんでいました。

しかし残念ながら、主人公の花子こと安東はな(
のちに村岡花子)が女学校を卒業したあたりから脚本の素人くささ(研究生が数人で書いているよう。)と演出の雑さが目につくようになってしまい、テンションも下がり続け・・・それでも、文句をいいながらも見続けて残り1か月を切りました。

さて、ドラマのなかで花子は戦争賛美者として描かれていませんが、実際の花子は戦争賛美者だったと言われています。

彼女は随筆集『母子抄』(1942年)に、 

「私は戦争の文化性を偉大なものとして見る。平時には忘れがちになつてゐる最高の道徳が戦争に依つて想起され、日常の行動の中に実現される」

 

「母は国を作りつつある。大東亜戦争も突きつめて考へれば母の戦である。家庭こそは私どもの職場、この職場をとほしての翼賛こそ公営る使命である」

 

と書いているとのことです。

 

(『磯野鱧男Blog さんの 

女たちの戦争責任 

http://blog.goo.ne.jp/ryuzou42/e/c3a0e04be42a0f852e0e0991dd46563f 

より、コピーさせてもらいました。)

 

これが本心から書いた事かどうかは本人しかわからぬことですが、クリスチャンであり、カナダ人の恩師を持ち、欧米の本を翻訳していたような彼女でも、戦時下にはこういうことも書けてしまうという恐ろしさ。

 

さて、NHKの『花子とアン』のアンは今のところでてきていないのですが、実は村岡花子が翻訳するアンシリーズには戦争に対する批判的場面がでてきます。

 

主人公がアンから子供たちに代わっている『虹の谷のアン』(1919)及び『アンの娘リラ』(2021)には戦争の話が登場していますが、忍び寄る戦争(第一次世界大戦)、死を恐れる発言をしていた次男ウォルターが戦争に行くことになり、結果的に戦死をする場面や、ウォルターが戦死する前からアンが戦争に批判的だとわかる箇所もあります。(長男のジェムは最初は戦争に興奮していましたが、軍から帰還して戦争の愚かさを語ります。)

 

モンゴメリーがこうしたことを書けたのは、それは第一次世界大戦が終わったからこそできたことでしょうし、そもそも当事国でなかった国民が欧州の戦争に参加することに反対する声がカナダ国内で小さくはなかったからでしょう。

 

が、仮に彼女の国が戦争の当事国であったとしても、(何かしら反対運動こそしなかったとしても、)モンゴメリの内面に反戦思想を秘めていただろうと、私は思います。

 

彼女は、牧師の妻であり、自らも牧師の妻としての役割を果たしながらも、日記には、「キリスト教」に対しての疑問も書いていたりするくらい、しっかり自分の目を通して考える人であったからです。

 

(もちろん、クリスチャンであることに誇りをもちつつも、しかし盲信をしないで、論理的に考えたりしている部分があった、という意味です。)

 

なお、花子とアン、モンゴメリーの共通点は、皆クリスチャンであったこと、実の親でない人達と子供時代を過ごしたこと、結婚や子供を持つのが遅かったこと、アンとモンゴメリーは死産で第一子を亡くし、花子も幼子を病気で亡くしていること等多々あります。

 

ただ、アンとモンゴメリ―二人とは根本的なところで違ったようです。

 

花子と『赤毛のアン』の出会いは、1939年に宣教師が彼女にこの本を渡したことから。

宣教師の人は、シリーズに反戦の記述があったことは知ってのことだったのでしょうか。

そして『虹の谷のアン』と『アンの娘リラ』を訳したとき、村岡花子は何を考えたのでしょう。

追記:

モンゴメリは、必ずしも反戦思想者というわけではなく、第一次世界大戦は正義のための戦争と捉えていたようです。ただ、彼女は彼女のペンフレンドの1人(平和主義・反戦思想家のカナダ人男性)に反論したりしていたものの、小説のなかで彼の言葉を登場人物に代弁させたりしていたので、迷いもあったのではないかと思います。(2015年5月12日)

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モンサントのお仲間住友化学の貢献(?)

2014年09月01日 | 武器輸出・TPP・モンサント・農薬

住友化学は2010年からモンサントと技術提携していますが、そんな企業が「貢献」と言って売りさばくお米(その加工品)、私には「ありがた迷惑」を通り越して「恐ろしさ」しか感じられません。
(そもそも「自分たちが商売して儲けることが主体」にしか思えないのに、彼らが恩つけがましく自ら「貢献」と言うのに違和感。ま、住友化学が言う「貢献」については、参考のリンクの上二つをご参照ください。)

産経新聞(201491日)
住友化学 コメ生産・販売事業参入
「生産者の地形化 貢献したい」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140901-00000577-san-bus_all


住友化学は1日、コメの生産・販売事業に参入すると発表した。農業生産法人などのコメ生産者と組み、種子や農薬、肥料を提供するとともに、栽培管理支援や収穫米の販売などを行う。今秋から試験販売を始め、平成32年ごろをめどに年間栽培面積1万ヘクタール、100億円規模のコメ販売を目指す。

 同社は参入にあたり、バイオベンチャーの「植物ゲノムセンター」(茨城県つくば市)から食味が良く、収量の多いコメ品種などについて、独占的に生産・販売できる権利を取得する。会見した貫和之執行役員によると、既存品種に比べ2割程度の収量アップが見込めるという。

 コメは生産委託し、一般の小売店などの流通ではなく、業務用・加工用として販売する。数百程度の農業法人などに生産委託したい意向だ。

 同社は、肥料製造で100年以上の歴史を持っているほか、野菜を栽培する農業法人も展開しており、農業との関係も深い。

 貫執行役員はコメ生産について「大規模化や生産者の事業化に貢献し(蓄積した)ノウハウを提供していきたい」と話している。

住友化学、2011年には「ネットでいろいろ騒がれているけど、わが社がモンサントと提携したのは除草剤だけ。遺伝子組み換えは関係ない」なんて言い訳していたようですが、現在はどうでしょう。

2013年のJapan Timesの記事からは、住友化学は『遺伝子組み換え部門』にはノータッチとはとても思えないのですが・・・。

Japan Times 2013.1.6
Japan’s farming could be going to seed
http://www.japantimes.co.jp/news/2013/01/06/national/media-national/japans-farming-could-be-going-to-seed/#.VAR9-7DlpMs

(抜粋)

Media discussions of TPP usually focus on Japanese farmers who fear the import of cheaper foreign produce, but the Yonekura connection implies a more elemental agricultural concern: seeds. The deal Sumitomo and Monsanto struck is to develop a “new platform” for Monsanto’s genetically modified crops.

Monsanto is the world’s largest seed company, a position it achieved by selling seed modified to produce plants that withstand its own herbicide, Roundup, thus making farmers dependent on the company for both products. The partnership encourages Monsanto to develop a new set of GM seeds and weed-killers with Sumitomo’s help, probably based on the latter’s own brand of herbicides.

参考:

『偽善国際貢献-オリセットネットin カンボジア』
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20131125
住友化学のオリセットネットに賄賂が必要だった理由は?』
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20131126

遺伝子組み換え作物とTPPとモンサント』
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20111112
触ったものが金に変る魔法をかけてもらった王様とモンサント』
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20121020

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