Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

Holidays in Tokyo - ベゴーニャさんと仲間達

2013年03月31日 | 友人・知人

先週末から4度目の来日をしているスペインの友人ベゴーニャさん。私が彼女と知り合ったのは、ほぼ一年前のことです。

(『Best friendと出会える確率/トーマスさんとベゴーニャさん』)

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20120410

今年は昨年と違って一人旅で東京に9日間の滞在。私が彼女とお付き合いをできるのは、帰国前の週末の二日間だけ。

「(彼女は私を含めて日本人の友人はいるものの、皆地方に住んでいたり、仕事を持っていたりでベゴーニャさんが1人になってしまうことがあるから、)ちょっと寂しい思いをすることがあるんじゃないか・・・。」

と、心配していましたが、その心配をよそに、日本到着の翌日に彼女はIさんという、欧州で学んだ経験がある音楽家とお友達になってしまいました。

ベゴーニャさん、到着してから毎日私にメールでその日あったことを報告してくれているのですが、この報告でIさんがベゴーニャさんが1人寂しい思いをしないように時間を取ってくれていると知って一安心。

ちょうどその報告メールの返事を書いていたところ、私のもとにイタリアに住む友人マリアさんから彼女と彼女の息子さん(学生)が急遽来日することになったメールが飛び込んできました。

「ベゴーニャ、私の友人マリアとその息子さんが急に東京に滞在することになったのだけど、東京散策に彼女達を誘っても良い?」

この提案を聞いて、ベゴーニャさん、

「もちろん!私もIさんを誘ってよいかしら?」。

(彼女は「Iさんをゆかりに紹介したいわ」と言っていたので、私のほうでは前から「Iさんの都合が合うなら、お誘いしてほしいな・・・」と思っていました。)

こうして、この第一日目の散策は、午前中はベゴーニャさんと私と息子、午後からIさんがjoin

東京散策からご一緒してもらおうと思っていたマリアさんと息子さんは急用ができて夕食会だけ参加。

東京散策-最初のこの日は上野から皇居にかけてブラブラ散歩。

上野公園から上野下町風俗資料館、アーツチヨダ3331(これはベゴーニャさんが来日前から行きたがっていたところですが、私はこの、廃校になった小学校の美術館(?)のことは初めて知りました。)、そして明治大学博物館、皇居というコース。

本当は、この日用に立てたプランは、上野風俗資料館→湯島天神→アーツチヨダ3331→神田明神→皇居→国立近代美術館工芸館というコース。しかし、結局前の二つの博物館・美術館に時間を多く割き、予定を変更。神社はスキップし、最後の訪問場所を時間の関係で明治大学の博物館に変更。

この国立近代美術館工芸館は私が大好きな場所であり、工芸品が好きなベゴーニャさんを連れて行きたかったところだったので今回行けなかったのは残念でしたが、その代わりに入った明治大学の博物館-ここでベゴーニャさんは、遺跡物からキリシタンの踏み絵のレプリカ(ベゴーニャさんは敬虔なカトリック教徒)とともに、日本の(芸術品ではない)伝統工芸のそれぞれを食い入るように見入っていました。

「母がこの箱を持っている理由はしらないんだけど、確かオークションで手に入れたと思う。すばらしいものだわ。」

お母様は鎌倉彫の箱を持っていらっしゃるとのこともあり、鎌倉彫に興味を示していたベゴーニャさん。

これを知ったボランティアで説明をしてくださっていた男性、わざわざ、

「現在ここでは鎌倉彫の展示してないけど、ひょっとしたら、ここにあるかもしれない」と事務局に連絡をとってくださったり、ないと知って鎌倉彫が展示してある博物館を紹介してくださったり。

彼は案内をしてくださいながらも、日本の伝統工芸品、職人から材料までが失われていること、そして、日本人の感性が合理性や利便性によって失われていくことを話して聞かせてくれました。

それはまた、私もですが、海外で過ごす時間が長かったIさん、そして(日本人ではないものの日本を愛する)ベゴーニャさんも同じように心配していることです。

「職人技」「伝統工法」「感性」-本当の愛国者というのは、自国のこうしたものを大切にすることではないか、とつくづく思います。

(皆様、この明治大学の博物館は一度足を運んでみてください。(無料、御茶ノ水駅至近)

http://www.meiji.ac.jp/museum/ )

この日の散策のあとは、大衆的なお蕎麦屋(居酒屋?)で、ベゴーニャさん、マリアさんと息子さん、Iさん、それと私の友人T、息子、私と、スペイン、英国、日本と3カ国の人間-職業も年代もまちまちの楽しい夕食会を開くことができました。

(マリアさんとベゴーニャさん、Iさんと友人T、マリアさんの息子さんと私の息子、これらは思いがけない良い出会いだったと思います。もちろん、Iさんと私の出会い、これはベゴーニャさんの私への最大のお土産です。)

そして翌日、いけばな展を見たいというベゴーニャさんの要望に応え、恵比寿と目黒へ。

この日は、夫、息子、私だけでなく、私のイギリス人ペンフレンド、ピーターさんとペンフレンドとなってくれているKさん、そして、2008年のパリ旅行の飛行機のトラブル以来からの友人ケイコさん

(『パリ到着は夜中』

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20081115 )、

にもお付き合いいただき、皆で恵比寿ガーデンプレイス、恵比寿ビール記念館、雅叙園のいけばな展を見、夕方はKさんを除いた4人でケイコさんの御宅にお邪魔をし、大変有意義なひと時をすごしました。

さて、このKさんと私はメールの交換をしたことはありましたが初対面。

実はこの彼女、メールを交わすなかでの私のイメージは「繊細、まじめ=か弱き女性」のイメージがありましたが、会ってみて彼女がいわゆる「ハンサムウーマン」であることを知りました。

(昔、「ハンサムウーマン」という海外で活躍する女性を紹介する番組がありました。が、元祖ハンサム・ウーマンは新島八重ですね。)

Kさんも欧州留学組で、帰国後もたびたび欧州へ行くほか、各国を周り、南アにも勉強を兼ねて訪問したことも。「英語はあくまで付属品」言いながら英語を流暢に話す彼女-「英語は手段」と言いながら英語力がアップしない私の理想でもあり、そのプロ意識というか、日本人離れした生き方、価値観は非常に魅力的。

彼女を紹介してくれたのは、昨年トーマスさんの来日時に一緒に下町散策にお付き合いしてくれた友人。彼女に、私もベゴーニャさんも感謝。

この二日間は、雨こそ降らなかったものの、曇り空で土曜日は寒の戻り。

しかしなんと私自身にとっても充実した二日間だったことか。

今朝、ベゴーニャさんからこの二日間をどれほど楽しんだかを書き、

「スペインに帰らなければないらないけど、心はあなた達と一緒に日本に残したままよ。帰国したら主人と娘とこの美しい記憶をシェアするわ。本当にありがとう!」

と結ぶメールが届いていました。

この言葉、本当にIさん、Kさん、マリアさん、マリアさんの息子さん、ケイコさん、友人T、夫と息子にも送りたいと思います。

来月もまた24年ぶりに再会するニューカレドニアの友人

が来日。

(『シドニー空港で出会った姉弟』

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20090930

また新しい繋がりと想い出ができるかな。

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崩壊した『高学歴神話』

2013年03月27日 | 社会(歴史・都市計画含む)

イタリアのEさんは30歳。彼女は大学では児童心理学を専攻し、若い頃はお母様と一緒に欧州や中東、南アメリカの国々を旅行。語学も英語、ドイツ語、スペイン語を話す女性です。

この彼女は、日本のポップカルチャーが大好き人間なこともあり、現在の仕事は、日本をメインとした漫画やアニメ雑誌、そしてファンシーグッズを売るお店のオーナー。

彼女は自分のお店をもてるだけの財力(親の?)があったし、彼女も自分の趣味も生かしたお店を持てたこと自体は幸せなことで、これがいけないとはいいません。

ただ、もし現在のこの若者を中心とした就職難でなければ、彼女はそれなりのところに就職して、とても活躍できたのではないか・・・、お店を持つのはサイドビジネスか、もしくは定年退職後でもよかったのではないか、と、チラッと思ってしまいました。

大学で学んだことや自分の能力、経験が直接活かせる職を得られる、もしくは配置される人は昔も多くはなかったと思います。

しかし、現在は、高学歴者が「経験が活かせる職を得る」の前に、「職を得る」ことさえ難しくなってきており、その結果、「やりがいを全く感じない仕事(低スキル職)」をいやいややる人達もでてきています。

この高学歴者たちが「やりがいを全く感じない仕事」と思っている仕事ですが、それを、「やりがいを感じる仕事」と思って従事していた人たちもいます。

それを奪ってしまうということで、それが、私たちが受けるサービスの低下・・・となっていくとしたら・・・。

(そろそろ「高学歴神話」の見直しからでも手をつけていくべきときが来ているのではないでしょうか。(就職のために大学に行きたくない人たちまで、高い学費を払って推薦で大学にいったりすることなどを早急に。)誰もが行けるような大学(税金を使って注ぎ込む助成金も無駄)、塾産業・・・「高学歴神話」で喜ぶのは、今はこうしたところばかりの気がします。)

さて、関連した記事を:

ウォール・ストリート・ジャーナル(2013.3.26

「大学は出たけれど米国の大卒者、景気回復でも低スキル職のままか

http://jp.wsj.com/article/SB10001424127887324559504578383371452762136.html?mod=WSJJP_hpp_MIDDLENexttoWhatsNewsThird

リセッション(景気後退)の結果、何百万人もの米国の大卒者がコーヒーショップや小売店で働いている。そんななか、景気が回復しても、こうした大卒者の雇用見通しは大して改善しないかもしれないと予測する論文が発表された。

 アンダーエンプロイメント(学歴・職歴に見合わない仕事に従事すること)は、景気回復の遅さを証明する事象の1つとなっている。一部のデータによると、大卒の被雇用者の半数近くは、従来大卒の資格を必要としなかった仕事に就いている。

 エコノミストたちは概して、この問題が一時的なものだと想定していた。つまり、景気が回復するにつれて、企業は高学歴の従業員が必要になるだろうと考えている。しかし、全米経済研究所(NBER)が25日に公表した論文で、カナダのエコノミストチームは米国がより長期的な問題に直面していると主張する。

 同チームは、企業がイントラネットから製造ロボットに至るまで、あらゆるハイテクシステムの開発、構築、それに導入のため高スキルを持つ労働者を多数必要としていた1990年代と違い、近年はこういったスキルへの需要が低下していると述べ、にもかかわらず、若者はこういったスキルを習得するためのプログラムに集まり続けていると指摘した。

論文の主執筆者である加ブリティッシュコロンビア大学のエコノミスト、ポール・ボードリー氏は、「ロボットの導入後もある程度の人員は必要だが、導入当初よりもずっと少なくてよい」と述べる。同氏は、新技術がゆくゆくは高スキルを持つ労働者への需要を回復させるかもしれないが、景気回復だけでは不十分だろうと付け加えた。

 スキルと教育の問題について研究している米マサチューセッツ工科大学のエコノミスト、デービッド・オーター氏は、ボードリー氏の論文が「挑発的」かつ「憶測的」だと指摘した。オーター氏は大卒者が享受していた賃金プレミアム(上乗せ額)が、2000年代にそれ以前ほど急速に伸びていないことに異論はないとしながらも、それが大卒者の供給過剰の結果なのか、それとも何か別の理由があるのかはまだ不透明だと述べた。

 ブライアン・ハケットさん(25)は2010年にニュージャージー大学(TCNJ)を優秀な成績で卒業し、政治学の学位を持っているが、フルタイムの仕事を見つけられずにいる。ハケットさんはパートタイムで事務的な作業と電話インタビューをする仕事をしている。しかも、高い学歴を持ちながら働いているのは、職場でハケットさん1人ではない。

 ハケットさんは「修士号や学士号を持つ人がいるほか、法律の学位を持つ人までもが時給10ドル(約940円)の仕事に応募してくる」と話す。

 ハケットさんは数週間後に政治コンサルティングの分野でフルタイムの仕事を始められそうだという。だが大半の友人は依然として求職中か、アンダーエンプロイメントの状態にある。多くは就職活動で優位に立とうと、学校に戻り、さらに高い学位を取得しようとしているという。

 企業の幹部は、最適のスキルを備えた労働者が少なすぎると不満をこぼすことが多く、それはハイエンドの製造業や一部の職種で特に顕著だ。ボードリー氏は特定の業界にこういった人材不足が存在することはあり得ると述べる。

 しかし、ボードリー氏らのチームは、労働省のデータを引き合いに出し、大卒レベルの職(主に管理職、専門職、それに技術者)に対する需要が労働者全体の需要に占める比率は、インターネットバブルが崩壊する直前の2000年前後にピークに達し、その後低下し始めたと指摘した。一方、こういった労働者の供給は2000年代の間ずっと増え続けた。これに続く住宅バブルがこの問題を覆い隠すのに一役買った。つまり、あらゆる種類の労働者需要が人為的に作られたが、それも一時的だったという。

 それでも、高学歴の労働者の雇用見通しは、低学歴の労働者のそれと比較するとずっと良い。2月の少なくとも学士の学位を持つ米国人の失業率は3.8%と、高卒の7.9%を下回っている。また大卒の従業員はたとえ学位を必要としないアンダーエンプロイメントの分野に就いていても、より多くを稼ぎ、より早く昇進する傾向にある。

 しかし、大卒の労働者がより低レベルの仕事を余儀なくされているために、より低スキルの労働者が追いやられ、学位のない人々の職の選択肢がほとんどない状態になっている面もある。ボードリー氏は「大卒者は、ゆくゆくは最低スキルの人々を市場から追いやってしまう」と述べる。

シカゴ在住のタメラ・オーガスタさん(42)はこのトレンドを肌で感じている。オーガスタさんは建設業界を中心に事務アシスタントとして15年近く働いた。しかし、昨年職を失って以降、求職活動はしているものの、より高学歴のライバルに負け続けている。

 オーガスタさんはノーザン・イリノイ大学に2年間通った。オーガスタさんは、「昔は企業がたいてい高卒の人を求めていた」が、現在は仕事を探す人の多くが大卒の学位を持っていると述べた。

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海外個人旅行と成熟度、そして本当の友情とは

2013年03月22日 | 雑感

今日は、スペインの友人ベゴーニャさんがマドリードから日本に向かって飛び立つ日です。

バブルの頃には、イベリア航空のマドリード成田間直行便があったこともあったのではないか、と思いますが(私はスペインに行ったことがないので、ひょっとしたら勘違いかも。)、今は直行便はないので、乗り継いで日本。

(それにしても、「国の衰退」というのは、こういうところにも現れるのですよね。マドリードも東京も、一時期に比べたら、観光客やビジネス客も減っているのでしょう。

JALANAの海外欧州直行便が減ってしまったのは残念。最近は米国直行便が増えつつあるようですが。)

昨日の朝、彼女に来日時の待ち合わせ時間の連絡、最後に「あなたに再会できるのを皆楽しみにしています」と書いて送ったところ、夕方には、

ME TOOOOO!!!

THAAAANKSSSS!!!

で始まる陽気なメール。出発を控えてもうてんてこ舞いをしているけど、もう日本再訪で舞い上がっている、と言う感じです。

楽しんでもらわなければ。

さて、海外から来日する私の外国人の友人達、皆自分達で航空券やホテル、ジャパンレールパス、都をどりだの歌舞伎だの、チケットも本国で手配。

彼らは本当に自立しています。

自立している人の中には、「せっかく高いお金を払って旅行に来ているのだから、自分の気分で自由に動きたい。だからすべて自分でする」と、友人であっても何かを頼むことを嫌う人もいるでしょうが、私の海外の友人達の場合は、「自分が楽しむ旅行、友達に手を煩わせたくない」と言う気持ちが強いようです。

その証拠に、自分からは頼まないものの、「どこどこを一緒に散策しましょうか?」「夕食をご一緒に」というオファーには大変喜んでくれ、そのなかでもなるべく私に迷惑が掛からないように考えてくれるからです。

こうした彼らを一瞬、「日本人以上に日本人らしい」と思ってしまったりするんですが、ここの数年、「「日本人=気配り、相手の立場を考える、控えめ」というのが怪しいな」と感じるような事例に何件か遭遇。

①「(1人で慣れないところに行くから)心細い」という女性Aさんに、宿泊地近くの欧州の友人(もちろんAさんは面識がない人)を紹介したところ、日本が大好きな彼は、自分の町がいかにすばらしいかをAさんにメールで書き、「僕が町を案内しよう」と言ってくれました。Aさんはこのあとこの友人に向かって、「ガイド料は無料か?」とメールをして彼の気分を害した上、たたみかけるように、「私はあなたの町には行けないから、私が宿泊している町(100キロ離れている)まで来て」とメールしてしまった。

②日本で一緒にランチをしただけの私の欧州人の年配の友人に頼みごとをしてしまった女性Bさん。また、彼女は一度会ったことがあるだけの私の別の欧州の友人宅に親子で宿泊。

③数ヶ月前にペンフレンドとして独身男性を紹介した女性Cさん。この独身男性の家に2週間泊るとのこと。正直言うと、海外文通の相手を探していたのか自分の旅行の宿泊先を探していたのか判らない。

(もちろん、両者がOKであるのなら、これも私がどうのこうの言う理由もないです。が、「ゆかりさんの紹介だから、安心して2週間彼のところで泊れる」と言ってみたり、「相手の迷惑や負担」についてら話してみてもそれを考えないばかりか、深夜便を使ってのお迎えや観光等依頼心が益々増した段階で私には理解不能に。)

この①のAさんの場合は、私が彼女のキャラクターをあまり把握していなくて紹介してしまったことであり、これは私のミスであり、異例のケースでしょう。

②のBさんは、若い頃の私の友人で、彼女はオープンでアメリカ人的。自宅にも海外の友人を泊めたりしているので(つまり、「依頼しあう」のが当たり前の文化を持っているということ。)、これは、別の人から見たら、「何が問題なの?」と思うかもしれません。

③のケースのCさんの場合も、彼女もBさんのように、海外の友人を自宅に泊めたり、案内したりすることが多いのでしょう。

ただ、Bさんと違うことは、Cさんは自分から、「○○してくれませんか?」と頼まないでも、たまたま私の海外の友人が普通ではありえないくらい親切だったこと(下心はありません)

しかし、実はこの宿泊話、Cさんはこの旅行の半分は他の友人を頼ることを考えていたのが駄目になったようで、期間も延長。

「せめて少しはB&Bなりを活用したらどうか?」「深夜便になると危ないから、乗り継ぎ地で1泊して昼間到着便にするか、それができないなら、到着地のホテルにその晩は泊ったほうが良いのでは」というアドバイスには、「お金がもったいない」との返事。

(彼女は、友人宅に宿泊の費用はある程度払う予定でいると言いますが、この友人がそうしたものを請求する人物でないのを知っています。また、「支払うつもり」と言う金額だって、格安宿泊所の半分以下の金額でしょう。)

2週間の宿泊も、当事者同士の問題ではあると思いますが、「友人だからこそ、自己都合や自己利益のためのお願いはしない」と言うことではないのか、と私には思えます。

海外に行くとき、しかもその土地に友人や日本大好きな外国人がいた場合、「私は高いお金をかけてあなたに会いに来て上げている」「国際交流よ」と、舞い上がってしまうこともあるのかな、と思います。

と言っている私でも、実は親友T(日本人の元同僚)がフランクフルトに駐在していたとき、3回訪問。宿泊こそ1回目の旅行のときに郊外の彼の家に2泊させてもらっただけでしたが(以降は近くにホテルがあるのを知ってそちらを利用)1回目は私の友人と私、2回目は私と夫、3回目は私とTと私の元同僚で訪問。この3回とも1、2泊の旅行に同行してもらったり(提案は宿泊も含めすべてTからですが。)、何かと旅行の相談や予約の手伝いをしてもらったりしたことはありました。

このCさんのケース、非常にがっかりさせられたものでしたが、ただ、そういう自分も似たようなことをしていて、そしてそれをしているときの状態では、上記に書いたような、「自分は高い航空運賃を払って会いに来てあげている」という気持ちが無意識に働いてしまっていたのではなかったのか、と気が付くきっかけになりました。

ふと思い出して友人Tに、「私、あなたがフランクフルトの駐在中、案外ずうずうしいことをしてしまっていたのに気が付いたわ。ごめんなさい」と言ったところ、彼は「旅行も自分達は大好きで楽しんだし、別に気にすることなどない」と暖かい言葉。

このTの言葉は、彼(およびご家族)を考えるに嘘ではないと思います-しかし、上記女性達のケースと、来日する私の海外の友人達のケースを合わせて、今後は気をつけなくては。

「本物の友情とは、お互いが相手にかける迷惑を恐れる関係なのではないか」「また、他人の立場で考えるというのは、国籍に関わらずで、それはその人がmatureかどそうでないかによる」と改めて思います。

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2006年と2013年、同じ疑問が頭をよぎる

2013年03月21日 | 国際・政治

このところ、政治・社会について意見交換をする気があまり起こりません。

それは、なぜなのか-今の問題のほとんどもう数年前に書いてしまったことの蒸し返しになるからです。

TPPも原発も改憲も、そして日本が「ボロアパートに住み、アパートには病身の家族がいる。貯金も底をついているのに、嘗ての栄光が忘れられず、外に行くときはブランド品を見につけ、羽振りの良いふりをする擬似セレブ」みたいでい続けているところも、変わらず。

(病身の家族=福祉を必要としている人達、ってところですね。)

さて、以下のメールは、200611月に外国人の友人に送ったメールです。

D 様

今日の東京新聞、『試される憲法、誕生60年』に改憲派で、安倍首相のブレーンの一人に数えられている中西氏と、戦前生まれでセゾングループの堤氏の意見が載っていました。

この二つを同時に載せることで、護憲派が増えてくれるとよいのですが。中西氏の意見を読んで、「そのとおり」と思う日本人はまだ少ないと信じています。

それにしても、「21世紀は徴兵制をとらなくても十分な数の兵士が志願してくるような国でなければ・・」、「安倍さんは首相になってから信念を語らないという批判もありますが、憲法改正という目的達成のために、無用な「さざ波」を立てない・・」など、言ってしまうなんて、中西氏は頭のよい人には思えませんね。

しかし、防衛の観点からでなく、失業者増の観点からみれば、若年失業者の増えてしまった日本の中で「職業軍人」を要望する声がでてこないとも限らない気もします。恐ろしいことに。

 

京都大学教授中西輝政氏

 安倍晋三首相は憲法改正の必要性を三点にまとめていますが、私もその通りだと思います。

まず、占領軍の圧力ではなく自分の手で憲法をつくろうという自己決定の理念。第二に9条2項など時代に合わない条文が多々ある。そして国際的に信頼され、自国に自身を持てるような新しい時代を切り開く力につながる、という三点です。

 日本周辺の安全保障環境は激変し、特に第二の点が重要になってきます。安倍さんは約5年をめどに憲法改正を考えていると言うが、もう少しスピードが要求されます。北朝鮮の核が既成事実化した昨今の国際情勢は直近の対応を誤ると、米国の核の傘など日米安保上の支えが大きく揺らぐ危険もはらんでいます。

 国連決議は制裁の意味がほとんどない決議になったので、金正日体制は持ちこたえるだろうし、米国は民主党政権になれば北朝鮮政策を転換させるかもしれない。日本はもっと危機感を持ち、米国の核の傘の強化や核も含めた日米共同の戦略司令部の設置など、目に見える抑制力の強化策を米国に求めるべきです。

 憲法改正で実現すべき信念の一つは、歴史と文化の上に成り立つ民主主義的な共同体意識です。それは国家の自立と再生を目指す理念であり、「自分がこの国の主人公だ。故に国が大切なんだ」という責任感に裏打ちされた新しい民主主義につながるものです。

 この民主主義の共同体を責任を持って守る、それが国防です。21世紀は徴兵制をとらなくても十分な数の兵士が志願してくるような国でなければ、防衛もおぼつかない。高度成長期以後、日本は自己犠牲の中に生きる充実感を眠らせてしまった。そこを目覚めさせないと、経済の活力もよみがえらないのです。教育を変えることで、そういうボランティア精神や気概を持った国民を育てなければいけない。

 実は、そういう価値観を失わせたのが9条2項なのです。外国から侵略された時に、歴史と文化に根ざした民主主義の共同体を守るという意志が憲法から抜けていたわけですね。だからこそ、一刻も早く9条を変えなければいけない。

 安倍さんは首相になってから信念を語らないという批判もありますが、憲法改正という目的達成のために、無用な「さざ波」を立てないのは、理念と戦略の体系を総合した優れた政治思想だと思います。

 日本が「憲法を改正する」といえば、中国や韓国、ロシア、米国内の一部が反対するのは確実です。内政不干渉の原則は確固として大事ですが、日本人がどういう国家像を求めているかを各国に説明しないといけない。そこに、主張もするし共存の意志も示す、という新しい日本の生き方が現れてくると思いますね。

辻井喬(本名:堤清二、セゾングループ創設者、作家)

 憲法を改正しようという動きがあるのは確かなのですが、どうも理由や根拠がはっきりしない。今の憲法は「米国の押しつけだ」と言われるが、むしろ、押しつけられているのは憲法改正論のほうではないでしょうか。

 自民党の改正草案を読んでがっかりしました。確かに翻訳ではないけれど、今以上にひどい文章だったからです。それは「戦争のできる国にしたい」という本音を隠しているからでしょう。憲法改正を言う人は民主主義が嫌いで、主権在民や平和主義も否定したい。でもそれを言い出せば国民に反発されるから、真っ向から否定する勇気はない。民主主義の枠の中で反民主主義を書こうとすれば、文章は死にます。本音を隠したままでは何度書き直しても、惨めな文章しかできないのは当たり前なんです。面従腹背では、人を感激させる文章にはなりません。

 改憲論者は、ただ今がよくないから変えなきゃならない、自前の憲法を作ろうと言う。改憲に反対する者を守旧派だと決めつける。閉塞的な国民の欲求不満を、憲法改正でそらそうとしているわけです。

 改憲の外堀を埋めようとしているのが、教育現場の荒廃を理由にした教育基本法の改正でしょ。しかし教育は今の社会状況の反映なんです。敵をすり替えてはいけない。

 私は憲法制定の前に、吉田茂外相(当時)の顧問で終戦連絡事務局参与だった白洲次郎さんから直接聞いているから言えるのですが、そもそも憲法は、米国に押しつけられたわけではありません。吉田外相は、戦後復興は並大抵ではないので「まずは経済を復興させたい。軍隊はもたないで復興に全力を注ぎたい。敗戦国が軍隊を持てば戦勝国にいいようにあごで使われる」と心配していた。そこにマッカーサーの支持による連合国軍総司令部(GHQ)の憲法草案が示された。「紛争の解決手段としての武力を放棄する」とあったので、吉田外相は内心ほっとしたといいます。

 問題は私も含め、正論を言う人が改憲の流れを押し戻せないことです。憲法を議論する時に9条だけを語るのはずれているとは思うけど、それでも「今、憲法を変えたら戦争になる」と、大衆に届く言葉で語ってこなかった。生活感覚にあった言葉が必要だったのに、心理は自分の方にあると紋切り型の表現でしか語ってこなかった。だから戦争の方に駆け出そうとしている政治家の方が選挙で支持を得てしまう。ドイツのナチスもヒトラーも、民主的なワイマール憲法の下で台頭したことを忘れてはいけない。

 北朝鮮の核実験によって、愚かな政治家達が核武装論まで持ち出しています。しかし、世界で唯一の被爆国である日本がするべきことは、9条の精神を体現するものとして、北東アジアに非核地帯をつくろうと声を上げることなのです。日本が国際社会で果たす役割は、三流四流の書く武装国に成り下がることではありません。

ゆかり

私は「憲法は、政治家が好き勝手をしないようにする、国民の為の砦」であると思っています。

ただ、護憲派の私でも、「改憲すること」についての議論をすることは異論はありません。

問題は、「先に答えありき」-しかも首相の「自分の信念」でするのがまかり通ること。こを2006年当時も今も、問題視する報道がなされないのはなぜなんでしょうか。

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福島原発停電-爆弾を抱えている日本

2013年03月19日 | 原発・核・311

福島原発で昨日の夜から停電が続いていて、使用済み核燃料保管プールの冷却装置が作動していません。

現在は4号機の水温の25度、リミットは65度になるまで4日間。

他の二機に関しては、1426日間。

このリミットも、外気温が上がれば短くなる可能性もあるのではないでしょうか。

Japan Today (2013.3.19.1050AM)

Power still out at crippled Fukushima nuclear plant http://www.japantoday.com/category/national/view/crippled-fukushima-nuclear-plant-suffers-blackout

TOKYO ?

The operator of the tsunami-crippled Fukushima Daiichi nuclear plant said Tuesday power for cooling systems at three spent fuel pools was still out more than 14 hours after it failed.

The power outage occurred at 6:57 p.m. Monday, Tokyo Electric Power Co, (TEPCO) said, adding that while engineers did not yet know the cause, there was no immediate danger.

“Electricity has been cut to pools used to cool spent fuel at the reactor 1, 3 and 4 units” as well as to the equipment to treat contaminated discharge including radioactive cesium, TEPCO spokesman Kenichi Tanabe said.

However, the incident had not so far affected cooling-water injection to the number 1, 2 and 3 reactors, which suffered core meltdowns soon after the start of the March 2011 nuclear crisis, he said.

The temperature at the pool for spent fuel from reactor number 4 was believed to be the highest and slightly above 25 degrees Celsius (77 degrees Fahrenheit), still well below the safety limit of 65 degrees, he said, adding it was rising by 0.3-0.4 degrees every hour.

If the system is not restored, it will take four more days for that pool to reach the limit, he said.

“We are trying to restore power by then,” he said, adding the deadline would be about 14 days and 26 days for the other two.

“No major changes have been observed in radioactivity levels detected by (nearby) monitoring posts” after the incident, he said.

TEPCO will brief reporters on the incident later Tuesday.

The meltdowns of three of Fukushima’s six reactors occurred after the March 11, 2011, earthquake and ensuing huge tsunami shut off the power supply and cooling system.

AFP

ちょうど、昨夜のNHKの番組で、福島原発で働く作業員の方々を取材しているものもありました。

番組では、まだ成人に成り立ての男性や、家族とはなれて赴任している若い人達、東京電力の方、子会社、孫会社の人、売店や掃除を担当している女性も・・・。

番組の中で出演していたクリエイティブディレクターの箭内道彦氏が、

「原発事故は人と人とをバラバラにしたし、また原発推進と原発反対という対立軸でも、人同士の距離が離れていってしまった。でも、バラバラになったままでは前に進むことができない。」と言う話をしていました。

前から書いているように、私は福島原発事故以前から原発反対者ですが(これはさかのぼって昔のブログ記事を読んでいただければ判ります。)今はは(判りきった)「だから原発は危ない」「原発業界、それに絡んだ政府や組織は信用ならん」という声を上げているときではないと思います。声を上げれば上げるほど、東電の上層部や政府は情報を隠すような気もして。

原発反対運動をしている人はともかく、政府の煽りに調子づいて在日外国人が多いところで「死ね」とヘイトスピーチ、ヘイトコールを行っている愚かな人々もいるようで情けない限りですが、今は攻撃的だったり、バラバラになっている時ではないのではないでしょうか。

ともかくも、福島原発の電力喪失は私たちがどうのこうの言ったところで、電源復旧をすることはできないです。今回はなんとかできたとしても、こうした事態が発生すると、改めて日本は爆弾を抱えている状態に気がつかされます。さて、爆弾を抱えている今としたら私たちは何をすべきなのでしょうか。

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米国の飛行機事情

2013年03月16日 | 海外ニュース・できごと

広島から成田経由でバンクーバーに出かけていたはずだったさちえさんから、出発予定の翌日にメールが飛び込んできました。

なんでも、強風で広島からの飛行機が成田に飛ばず、広島から羽田へ。しかし、羽田から成田に向かうリムジンがいっぱいで飛行機に間に合わず、成田に一泊。やっと飛行機のチケット振り替えをしたものの、便はシアトル経由バンクーバーで、トランジットの時間は90分しかないそうです。

トランジット-バゲージスルーであれば、90分はまあ許容範囲だと思いますが(個人的には、できれば2時間以上はとりたい)、アメリカから他国へのトランジットは、基本的には一度入国審査をして出国をしなければならないそう。米国の入国審査は時間が掛かる上、荷物をとりあげ、またチェックインと出国手続きをすることを考えれば、90分は心もとない。

「なんで、そんな乗り継ぎ便を航空会社はあてがったんでしょう!」と航空会社の融通のきかなさにあきれた私に背中を押されてか、再びさちえさんは、航空会社に交渉して、シアトル→バンクーバー行きの飛行機を別便に振り替えてもらい、こうして無事バンクーバーに飛び立ちました。

ただの乗り継ぎであっても、米国がこうして入国審査をさせるというのは、「テロ防止のため」と言うことだとは思いますが、乗客には大迷惑。時間をとられる上、出国税等も払う羽目になるのでしょうから。

米国の飛行機関係で、ついでに記事を一つ。

ニューズウィーク(2013.3.7)

アメリカの空を無人機が脅かす

対テロ戦争で多用される無人航空機がニューヨーク上空で民間機とニアミス

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2013/03/post-2867.php

オバマ政権がテロとの戦いの切り札として多用している無人航空機。アフガニスタンやパキスタンで民間人への誤爆が相次ぐなか、その是非や使用条件をめぐって大論争が巻き起こっている。

 ただし、無人機が頭上を飛んでいるのは遠い国の「戦地」だけではない。ニューヨーク上空で3月4日、乗客を乗せた民間機と無人機のニアミスが報告され、FBI(米連邦捜査局)も調査を始めている。

 ニアミスが起きたのは、アリタリア航空の民間機がニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港に着陸しようとしたときのこと。操縦していたパイロットは「滑走路へのファイナルアプローチを行う際に、無人あるいは遠隔操作された小さな機体を見た」という。

 連邦航空局(FAA)の規定では、小型無人機を特別な許可なく飛ばしていいのは、地上400フィート(約120メートル)より下を飛行し、混雑エリアや大型機から十分に離れていて、商用目的でない場合に限られる。とはいえ、この規定が厳格に守られているかどうかはわからない。

 FBIによれば、問題の無人機は黒くて4つのプロペラがついていた。幅1メートルにも満たない小さな機体で、アリタリア航空機からわずか200フィート(約60メートル)足らずにまで接近したという。

2年後には商用と民間利用も解禁に

 無人機と聞くと、米空軍が保有する無人偵察機のプレデターやリーパーのような大型機を思い浮かべるかもしれない。だが今回目撃された無人機はむしろ、子供が遊ぶラジコン飛行機に近いように思える(コロラド州デンバーでも昨年、「謎の物体」が上空8000フィート(約2400メートル)でセスナ社のビジネスジェット機と衝突しかけた。

 偶然にも、ニューヨーク州シラキュースの空軍基地では軍事用無人機リーパーの飛行訓練が行われている。ただしリーパーがJFK空港付近を飛行したり、民間機に近づくことは認められていない。

 2011年にアフガニスタンで起きた米軍無人機と貨物機の衝突を考えれば、無人機がアメリカ上空を自由に飛行するのを認めるのはまだ早すぎるだろう。プレデターとリーパーの飛行は今のところ、アメリカ国内ではアリゾナ州やテキサス州の国境付近など、有人機が飛ばないエリアに限定されている。

 もっとも、アメリカでは警察や消防による非軍事目的での無人機使用はすでに始まっている。さらに2015年9月には、商業目的での利用や民間利用も解禁される。

 だが、無人機の技術が安価になって一般市民にも手が届くようになれば、安全面のリスクは高まる。議会調査局も報告書の中で、さまざまな「無人機犯罪」が発生する可能性を指摘している。「アメリカの空を無人機が飛び交う日が来たら、裁判所はこの新たな技術に合わせて法律を調整しなければならない」   

米国内でのこのニアミスが大事故になっていたとしても、「セスナと大型ジャンボの事故」として葬りさられたかもしれませんね。

(無人機を突っ込ませて、「テロ」と言うのも、簡単そう。)

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Kizuna:Fiction for Japan (大震災チャリティ本)

2013年03月13日 | 芸術・本・映画・TV・音楽

東日本大震災の関連で海外の友人達に送ったメールを前回のブログに貼り付けましたが、このなかのMassimoさんとは、イタリア人作家で翻訳家のマッシモ・スマレさん。

彼から頂いた返信メールには、彼自身も参加したチャリティ本(電子書籍、英語)

“Kizuna: Fiction for Japan”

http://tsunamianthologyinfo.tumblr.com/

の話がありました。

この本についてやはり参加者である、作家の山本弘さんがブログで紹介されていますので、リンクとその抜粋を貼り付けます。

山本弘のSF秘密基地ブログ

チャリティ本『Kizuna: Fiction for Japan 

http://hirorin.otaden.jp/e204297.html

東日本大震災発生の直後、ブレント・ミルズという編集者がチャリティ本を企画、日本では朝松健氏が賛同し、多くの作家に協力を呼びかけました。最終的に、マイケル・ムアコックを筆頭に、イギリス、アメリカ、イタリア、スペイン、ドイツ、フランス、ニュージーランド、シンガポール、日本などの75名の作家が参加、短篇小説(と言うか、長さ的にはショートショート)を寄稿しています。収益は震災孤児のために寄付されることになっています。

 日本からの参加者は、僕の他にも、朝松健、友野詳、朱鷺田祐介、北原尚彦、飯野文彦、太田忠司、妹尾ゆふ子、小林泰三、林譲治などの面々。収録作品名と作者名は次の通り。

(以下はリンクからどうぞ。)

なお、ブログ『事件記者のページ』のkeiさんが、この本に納められた何篇かを簡単に紹介してくださっていますので、これもリンクと全文を貼り付けさせてもらってしまいます。

事件記者のブログ

Kizuna:Fiction for Japan

http://jikenkisya.blog.ocn.ne.jp/keiatjiken/2011/08/kizunafiction-f.html

FictionFriction=マサツに見えるフシギ-と茶々を入れつつ、とりあえず日本人作家の、つまり元は日本語だった作品を拾い読み

Downtown Pharmacy : Ken Asamatsu-自殺を考えた友人が飲んだくれて薬局で睡眠薬を買った、え、処方箋なしで買えたって?

Pocket : Touya Tachihara-ボクのおなかに四次元ポケットができた、何も出て来ないけど何でも入る、さてどうやって使うかな?

Memories of Ken : Junichi Ashikawa-昔々、まだ小学生が原っぱで野球をやってた頃のこと・・・

The Old Man and Honey : Minoru Inaba-地震の3週間後に救われた犬をモデルにしたフィクション、真実は強い

Why Wear Red? : Sho Tomono-真夏に現れたサンタスタイルの女の子たちは何者?・・・何気にホラー

Cherry Guard : Yuusuke Tokita-桜守ってけっこう大変な仕事だと思うんだがな・・・

Initiation : Naohiko Kitahara-数学の天才、アル少年の正体は・・・あ、ネタバレ?

Five short Twitter novels : Riri Shimada-短いけど中味の濃いSF、ほんとに元は140字なのかなあ?

The Flower : Fumihiko Iino-病室の不幸な女の子にお見舞いの花・・・これもホラーかな?

A Summer’s Melody : Hiroshi Yamamoto-ある夏、幽霊屋敷からピアノ曲が聞こえてた、このネタならもうイーハンほしいとこだが・・・ネタバレ自粛

If Only Flowers : Mie Takase-伊勢の海の沖つ白波「花にもが」・・・英語で言うとこうしかないかなあ?

Recollections : Ukyo Kodachi-ネットで知り合った女の子が実は・・・ありがちだけどけっこう受けた、それがオチじゃないとこも

The Music Box : Tadashi Ota-動かなくなったオルゴールに隠された秘密とは?この作者らしいミステリ、私の一押し

Natsumi’s Diary : Midori Tateyama-津波で多くの電子データが失われたが手書きの文字は残った、そしてそこには・・・・

The Story without a Key : Yufuko Senoh-シェラザードが話し終わった時、王様はどうなったのか・・・でいいと思うけど違うかな?

Mom, Dad and Hiro : Yasumi Kobayashi-「お父さんを呼んで来て」「何でボクが?」平凡な家族の会話と思いきや・・・この作者らしい奇想、私の二押し

That Day… : Ryuto Hijiri-地震が起きた、4歳のボクは家を飛び出して迷走し・・・なるほどその手があったか

The End of the Royal Palace and the Kingdom : Joji Hayashi-どんどんヒトが減って行く宮殿、ここはいったいどこ?実はよくわからん・・・

The Mermaid Princess’ Love, Curse and… : Tamao Kanroji-「人魚の味気ない性生活」+「人魚の肉を食べて年をとらなくなる」=「驚きの結末」

That Long Day : Shinya Gaku-あの日自分は門前仲町から高田馬場を経てさいたま市の自宅へ戻った・・・大変でしたね、3/11

オマケ(これも元は日本語と思しい)

Appointment at the Oji Inari Shrine : Massimo Soumare-広重描く「王子稲荷に集まる狐たち」、この直後に起きた事件とは・・・かなり根性悪な作者

これで全体の約30%、いずれ元々英語だった作品にもチャレンジすると思う、そのうちには・・・・・

英語OKの方で興味がある方は是非どうぞ。(今はペーパーバックもありか。)

Amazon :Kizuna: Fiction for Japan

http://www.amazon.co.jp/Kizuna-Fiction-Japan-Brent-Millis/dp/1466223170

参考:

『スマレ先生と篠田真由美氏の旅日記と『毒牙』

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20130107

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To Foreign people who love Japan

2013年03月11日 | 

To Foreign people who love Japan,

Here is a copy of my email to my foreign friends (Sorry my poor English).

As I want to send it all of you.

Dear Thomas,

Dear Burkhard,

Dear Kai,

Dear Aline,

Dear Veny,

Dear Tim,

Dear Liana

Dear Fabio,

Dear Massimo,

Dear Luigi,

Dear Robby,

Dear Begona,

Dear Peter,

Dear Juha,

Dear Cho,

Dear Je ,

On March 11, 2011, we had a disaster and the nuclear power plant accident in Japan.

It is a catastrophe of only 2 years ago, but sometimes I feel as if it were a catastrophe of more than 20 years ago.

But still now,  315,196 people in the disaster area are without a permanent home, no solution about "Nuke".

(Japan Today

Japan marks 2nd anniversary of tsunami

http://www.japantoday.com/category/national/view/japan-marks-2nd-anniversary-of-tsunami )

Here is a Youtube "Pray for Japan (English version)"

http://www.youtube.com/watch?v=MIbvJO3ICqA

I watched it, and have reminded “ 311”.

I think we Japanese should never forget what we felt in spring of 2011, and should never forget the supports from all over the world.

I never forget how you have encouraged me and Japan.

And I am writing this email because I want to say thank you for loving Japan.

Have a nice day!

Best regards,

Yukari

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安倍首相、ノーベル平和賞でも狙ってみては?

2013年03月10日 | 国際・政治

NBRJapan-US discussionの投稿2つを貼り付けます。

3/4/2013 4:40:00 PM

http://nbrforums.nbr.org/foraui/message.aspx?LID=5&pg=1&MID=43592

A number of years ago we had a very extensive discussion of all these issues in the Forum, and I would hate to go back and repeat it all! I found it useful at the time to help sharpen my thinking on this topic, which eventually turned into a book - War, Guilt and World Politics:

The legacy of world War II in Europe and Asia - if I may be so crass as to engage in some self promotion.

The basic problem is, what is the criteria that we should use to determine how countries should or should not go about dealing with their past? Some countries have made some effort to do so - and in this respect Germany has gone further than any other. Germany has paid over $100 billion in compensation to various victims groups.

German leaders have offered repeatedly strongly worded apologies for the crimes that were committed during the period of the Third Reich. Berlin - where I am presently - has an impressive network of monuments and museums dealing with the issue. The topic is well covered in the educational system (although not uniformly so).

And German policies across a broad spectrum of issues continues to be strongly affected by memory of the Nazi past - including law enforcement, immigration policy, defense and national security, and of course relations with Israel.

is it enough? Impossible to say. Who can put a price tag on genocide? What is the statute of limitations on mass murder? Suffice to say, the Germans have done an awful lot. I am only astonished at how long the past continues to influence the present, 68 years after the end of the war.

Few other countries come even close to the Germany in this regard - the Germans have set the gold standard for guilt. Austria has, albeit belatedly. The United States has tried to come to terms with the legacies of slavery and institutionalized racism toward African Americans and other minorities, although the issue of compensation ("40 acres and a mule") has still never really been addressed.

The looming debate over the future of affirmative action may reopen some of these old wounds. Australia continues to be wracked by an intense and emotional debate over its treatment of the indigenous Australian people (formerly referred to as the aborigines). And the list could be extended.

Other countries continue to refuse to deal with the dark sides of their past. As Yen-Ling Chang quite correctly pointed out, the problem of the Maoist past has been largely put off in China - instead Deng called on the generation that went through the cultural revolution to "swallow bitterness" and be satisfied with a de facto repudiation of Maoist economic policies.

Russia under Vladimir Putin has effectively back pedaled from confronting the legacy of Stalinism. and Japanese of all political persuasions - left and right - very trenchantly point out that the US has avoided apologizing for the atomic bombings and that Western nations in general have failed to apologize and offer compensation for their colonialization of much of the world, including Asia.

A few years ago, Haiti presented a bill to France for 17 billion euros(リンク省略), with effectively no response, despite France's apparently pioneering use of gas chambers to kill as many as 100,000 rebellious former slaves (リンク省略).

What is the standard that we should use to condemn or tolerate the way in which countries deal with the past - especially when the past is murky? I am not denying that Imperial Japan was guilty of many crimes.

The san ko sakusen in North China killed millions. Unit 732 (731) and other bacteriological warfare centers rivaled Auschwitz in their brutality, if not scale. The treatment of the comfort women was undoubtedly an atrocity. On humanitarian grounds alone, something should be done for the surviving victims.

However, who should be compensated, how much and under what conditions, is, as always a difficult question. Historians can help point the way, but the many historians who have valiantly struggled with these issues and to whom I have talked to on this topic - including people like Mitani Hiroshi, Daqing Yang, and Alexis Dudden - all point out that the facts are complex, the documentary record is incomplete and trying to build a consensus, even without the terrible political and social pressures that have afflicted Sino-Japanese and Sino-Korean efforts in this regard, is very difficult.

I should mention that Kitaoka Shinichi, who I have also talked to about this, is a trained historian and far more open to the topic of Japanese guilt than he often has been made out to be.

In the end, it is not possible to answer that question on philosophical or factual historical grounds. Nor can it be answered by reference to some "international regime on historical justice," since such a regime - insofar as it exists - is inchoate and inconsistent.

It can only be dealt with on pragmatic grounds. I.e., what on practical grounds, can Japan do, and what are the costs and benefits of it doing so or not doing so. After trying to tackle these issues for something like 20 years, both in Japan and abroad, I have found that this is a far better starting point for constructive discussions than floundering around in a morass of historical detail or engaging in angry finger pointing.

Thomas U. Berger

Department of International Relations

Boston University

Stiftung Wissenshaft und Politik, Berlin

3/7/2013 11:10:00 AM

http://nbrforums.nbr.org/foraui/message.aspx?LID=5&MID=43620

I didn't mean to pour entirely cold water on Ronald Dore's idea of a common history project, though my March 6 post ended up doing so. I only doubt the efficacy of such a project for the immediate purpose of rescuing Japan from its own self-created disability. And to enlarge on Peter Duus' reservations about focusing on such matters as the Nanjing massacre, I suspect that even singling out the entire period of the Japanese imperial chapter dating back to the Meiji Restoration is problematical because the feelings are raw on all sides.

Instead, I suggest that focus on this troublesome period be subsumed under a project that takes in the whole of the joint history of China-Korea-Japan as each people and country gradually awoke to the existence of the others, which is also to say, as the self-awareness and creation of each grew in proportion as each became more aware of the others and was affected by them (cf. George Herbert Mead), followed by their coming together in the formation of what became the East Asian Sinic world, such as it was, and then for this world to be superseded by Japan's and also Korea's assertion and creation of an identity increasingly more independent of that world.

In the context of the last transformation we can see Japan from the sakoku period through the fall of the Tokugawa shogunate and then from 1868 to 1945 as having misconceived its assertion of that independence from one extreme to the other so as to suggest alternative ways that are neither pure isolation nor so destructive of others as in the second, in fact, that are more supportive of the others' growth as well: hence the prospect of a more actively cooperative future and a new East Asian solidarity.

Japan's post-1968 (1868) self-assertion was precipitated by the Black Ships. The vision of those ships in Tokyo Bay was not so traumatic for Japan as the Opium Wars were for China. But both experiences marked the decisive intrusion of the West into Asian consciousness, so that such a consideration of East Asian history naturally points to an even wider study encompassing the history of East and West going back to the medieval long-distance traders (witness the recent return of six Kaifeng Jews to Israel --リンク省略 ) and further back to such interactions as may have taken place between the Roman Empire and China, and the mutual awareness or unawareness between the Hellenic world and China, about all of which I know nothing.

In any case, you get the idea: the rippling expansion of such a history project eventually to encompass world history. That history should embrace the relationship between the ancient Middle East and ancient China, between the Middle East, Europe and India, and between India and China, including the India-Southeast Asia-China triadic relationship, etc.

Such a history project would naturally welcome participants from any and all parts of the world. It would also lead the way to a concrescence of the European-centric history of the world that dominates the Western historical consciousness with the Asian-centric history that dominates the Asian mentality in time to accompany as well as energize the gradual and I hope orderly emergence of a new world order. Sub-Sahara African history, Latin American history, etc. can then be woven into this tapestry as well.

A properly conceived plan for such a project mapped out for fifty years, say, should be able to attract initial funding as well as continuing funding, depending on successful progress, from all kinds of sources. If Mr. Dore and Mr. Duus as well as any others want to initiate the creation of such a plan, I am game to pitch in my two cents.

Yen-Ling Chang

「大量殺戮や戦争の蛮行について被害金額はつけられないし、どんなに加害国が反省をしようと加害国側が謝罪のリミットを設けられない」とつくづく思います。

そして、(これは現在の安倍政権が戦争犯罪に対して「もう充分謝った」「従軍慰安婦はなかった」と言っていることを正当化するものではないですが、)それを非難をしている国々も自国のダークサイドを封印してきた事実もあり、そうした国々が日本を非難するのは、本当は変な話だと思います。

そもそも歴史とは単純なものではないのは確かですので、日中韓の共同歴史研究という枠組みではなく、各国の研究家が集う世界レベルの歴史研究機関があったらよいな、と思います。

ところで蛇足でですが、従軍慰安婦の話を少し。

従軍慰安婦を日本政府が「なかった」と言い切ることに、私は大きな疑問があります。

「強制連行」については、インドネシアのオランダ人女性の従軍慰安婦のように、軍が強制連行したケースもあったと思います。

また、あの手この手で騙されて従軍慰安婦となった人も少なくなかったでしょう。

(私の90代の友人は父親の仕事の関係で朝鮮に住んでいました。彼女から、戦中、朝鮮から満鉄に勤める兄のところに向かうべき一人旅をしていたとき、電車内で彼女の声をかけにきた朝鮮人の話を聞いたことがあります。

彼女は、「従軍慰安婦になれそうな若い女性を探していたんでしょう。うまいこと言ってしつこくて。私が「満鉄で働く兄に会いに行く」と言ったら逃げていったから助かった。」というようなことを言っていました。)

ともかく、日本政府や軍が直接強制連行をしなかったとしても、お金を使うなり、韓国の役人に圧力をかけて集めさせたことは事実ではないでしょうか。

そして、それが「現地での性犯罪を減らすため」と言う目的があったとしても、そうした買春(お金を払ったんでしょうか?)を奨励してきたこと、一度その慰安所につれてこられた人が人間として扱われなかったのは確かです。なので、彼女たちには償いをしないというのは、「文明的な国」がすることとは思えません。

安倍首相は当事国や他の国々から非難されているより、きちんと非を認めた上で、

「従軍慰安婦自体は、朝鮮戦争時もベトナム戦争時もあった。従軍慰安婦自体がなくてもたとえば国連平和維持軍の現地での性犯罪(ボスニアにおいては国連軍の人身売買組織まで)などもあり、それらは大きな問題提議はされなかった。だから、同時にこのときのことも皆で勉強しようではないか!」

とでも言ったら、世界的評価も上がるのではないでしょうか。

(まあ彼は日本を戦争のできる国にしたがっているので、それ以前に問題ありか・・・。)

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米国防総省がグアムでの毒餌ねずみ投下に100万ドル拠出

2013年03月09日 | 海外ニュース・できごと

32日のCNNにこのような記事がありました。

CNN (2013.3.2)

「毒入りネズミ」空から2000匹散布へ、外来種ヘビ駆除で グアム

http://www.cnn.co.jp/usa/35028986.html

(CNN) 米農務省はグアム島に生息する外来種のヘビ、ミナミオオガシラを駆除する目的で、ネズミの死骸に薬剤を仕込んで空中から散布する実験を実施する。

計画では、鎮痛薬のアセトアミノフェンをネズミに仕込み、グアムにある米空軍基地の敷地内にヘリコプターで散布する。アセトアミノフェン入りの餌を食べたヘビは、72時間以内に死ぬという。

地元紙のパシフィック・デイリーニュースによれば、作戦は今春から開始予定。2010年にもグアムの海軍基地で小規模な実験が行われた。

(中略)

パシフィック・デイリーニュースによれば、今回の実験ではネズミ約2000匹を散布する。100万ドル(約9200万円)の予算は国防総省が拠出しているという。

農務省の担当者は同紙に対し、この実験で効果が実証されれば、グアムの各地に対象地域を広げると話している。

記事にもあるように、2010年にもこの実験は行われています。

ナショナルジオグラフィック(2010.9.27)

毒餌ネズミを空中投下、グアムの蛇対策

http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20100927002

アメリカ領のグアム島で今月初め、死んだネズミに薬を詰め込み、ジャングルの林冠(森林の上層部)に空中投下する実験が実施された。侵略的外来種のヘビを駆除する狙いがあるという。

アメリカ政府が支援するこのプロジェクトでは、アセトアミノフェン(解熱鎮痛剤の有効成分)を濃縮した錠剤を親指サイズの死んだネズミに詰め込み、問題のヘビ「ミナミオオガシラ」を駆除する毒餌として使用した。

 アセトアミノフェンは人間には痛みや発熱を抑える効果があるが、ミナミオオガシラが摂取すると、ヘモグロビン(血液中のタンパク質)が肺から全身へと酸素を運搬できなくなる。

 米国農務省(USDA)野生動物局の研究員ピーター・サバリエ(Peter Savarie)氏は、「昏睡状態からやがて死に至る」と話す。同局では国防総省と内務省の資金援助の下、1995年からこの駆除手法を研究してきた。

 アセトアミノフェン80ミリグラム程度で、ミナミオオガシラの成体1匹を駆除できる。80ミリグラムは、人間の子どもが解熱剤として1度に服用する量と同じだ。毒餌ネズミを飲み込んだミナミオオガシラは、通常は60時間で死に至るという。

 ミナミオオガシラは、オーストラリアやパプアニューギニア、太平洋諸島を原産とする樹上性のヘビで、主に鳥やトカゲ、コウモリ、小型の哺乳類を捕食する。

 グアムには、第二次世界大戦後にソロモン諸島から船荷にまぎれるなどして非意図的に移入されたと考えられている。その後、この侵略的外来種によって数種のグアム固有生物が絶滅や激減に追い込まれた。

「樹上に生息するミナミオオガシラは夜行性の捕食動物だ。もともとヘビがいない島で、それまで天敵が存在せず警戒心の薄かった固有種は格好の餌食となってしまった」と、野生動物局のダン・バイス氏は説明する。

 科学者たちは長年にわたり、この有害爬虫類への対策を研究してきた。わなの設置やヘビ探知犬の調教、空港や港湾のフェンス周辺を夜間にスポットライトで監視する方法などさまざまだ。ほとんどの対策では、ミナミオオガシラをグアム島内に留めることに主眼を置いてきた。出航する船に侵入でもしたら、ハワイなど別の島でも同じ惨事が繰り返されてしまうからだ。

 しかし今回の対策は、水際ではなく、ミナミオオガシラの主な生息地であるジャングルで展開される。「グアム島全体にはびこっていると誤解されているが、実際にはほとんどがジャングルに生息している。人間がなかなか足を踏み入れないようなところだ」と、野生動物局のバイス氏は語る。

 空中投下するネズミには、2枚の厚紙片を1.2メートルの紙製リボンで繋いだ吊り具を取り付けた。この仕掛けには、ミナミオオガシラが生息する樹木の上部に毒餌を引っかける目的がある。地面まで落ちると、オオトカゲなど対象外の生物が誤って食べてしまう可能性があるためだ。

 201091日、USDAはグアムの海軍基地周辺で小規模の空中投下を実施、200匹ほどの毒餌ネズミを約8ヘクタールのジャングルにばらまいた。今回が2度目の投下で、2010年内か2011年初頭に予定される大規模な実地試験へ向けて改善点を探るために実施された。投下した一部のネズミには、追跡調査のために発信機を取り付けてあるという。

 ワシントン州シアトルにあるワシントン大学の生物学者ハルドレ・ロジャーズ(Haldre Rogers)氏は今回の実験結果を受けて、「毒餌ネズミはミナミオオガシラの駆除に効果があるようだ。特に中型以上の成体に有効だ」とコメントした。同氏は、鳥類の減少がグアムの天然林へ与える影響を調べている。

 ロジャーズ氏は課題も指摘した。「毒餌ネズミの手法を含め、現在の対策で個体数のコントロールは可能だが、根絶やしにすることはできない。残念ながら、決定的な対策はまだないと言わざるをえない」。

 USDAでは将来的に、毒餌ネズミから非生物学的な手法へ切り替えたい意向だ。ミナミオオガシラが食べるもので、腐敗したり、ハエやアリ、ウジがたかったりしないようなエサが好ましいという。

この毒餌ネズミの散布、どうしてグアム当局や米農務省ではなく、米国の内務省や国防総省がこんなに熱心なんでしょうか。

(それにしても、この毒餌ネズミを食べるのは、蛇に限らないでしょうし、2010年のナショナルジオグラフィックの記事にもあるように、ネズミが腐る問題は、クリアされているのでしょうか。)

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松阪市長選で山中光茂氏に竹上真人氏が負けた理由

2013年03月05日 | 人物

安倍首相、支持率が高いといって浮かれているようですが、私が安倍政権になってよかったと思えることは、「石原慎太郎と橋下徹が大人しくなった」と言う点くらいでしょうか。

今の政治家は「政治屋」でしかない人があまりに増えすぎていますが、救いはこうした若い人がでてきているということです。

三重県松阪市の市長選で2期目当選を果たした山中光茂氏。

日経ビジネス

元歌舞伎町のすご腕スカウトが挑む新しい行政

33歳で初当選、異能の市長が地方を変える(上) by浅野祐一氏

http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130226/244224/?mlp

記事のなかのプロフィールは以下の通り:

山中 光茂(やまなか・みつしげ)

1976年三重県松阪市生まれ。20092月に33歳の若さで三重県松阪市長に就任。市民を巻き込んだ斬新な改革によって市政を変革してきた成果が評価され、131月の市長選で再選された。マニフェスト大賞実行委員会が主催するマニフェスト大賞で10年にグランプリを受賞。12年にはジュネーブ市長フォーラムに招聘されるなど海外からも注目され始めている。

94年に慶応義塾大学に入学してから外交官を目指した勉強や児童養護施設での活動にいそしむ。当時、夜は生活費を稼ぐために、新宿・歌舞伎町でキャバクラのホステスのスカウトをするなど、水商売の世界でも生きてきた。外交官試験に合格するも外務省と自らの考え方の違いを理由にその道を絶ち、群馬大学医学部に編入学して医師となる。

医師国家資格を取得後、アフリカに渡り、現地住民と共にエイズ対策活動に汗を流す。こうした経験を通じて多様な価値観の存在を知り、与えるだけでは幸せを感じられないこともあると痛感。政治の世界に飛び込んで、市民と一緒に現場の課題を解決する取り組みに注力してきた。

全記事はりンクから読んでいただくとして、二箇所抜粋を。

この選挙について、山中氏が受けた仕打ちは・・・・言語道断です。

127日に投開票された市長選では、かなり激しい選挙が繰り広げられたそうですね。

山中:私としては政策論争をしたかったのに、選挙期間中はひどいことが立て続けに起こりました。

 例えば、私が自分のアパートから出てくるところが盗撮され、その映像に「市の職員である愛人宅から出てくる」という趣旨のコメントを付けた動画がユーチューブに投稿されました。それから、普通のおじさんと並んで写っているようにしか見えない写真を、暴力団と付き合っている写真だとして流布されたのです。念のため警察にも確認してみると、「そんな暴力団関係者はいない」と言われました。

 まだまだあります。市民ボランティアが作成、掲示してくれたポスター600枚が、ほぼ全て剥がされました。地域で予定されていた演説会の数時間前に、自治会長名をかたって「今日の演説会は中止になりました」と嘘を伝えるビラがまかれたこともありました。

 企業に対する圧力もあったようです。ある建設会社は、「相手候補を応援しなければ取引を中止する。もう見積もりはお願いしない」という圧力を受けたと聞いています。逆にこれまで取引がなかった会社に対しては、「応援してくれれば見積もりを取ってあげる」と、アメをちらつかせる行為もあったそうです。

 相手候補は、既存の政党や業界団体を巻き込んだ組織的な選挙戦を展開していました。自民党の石破幹事長や現職の大臣をはじめ、大物が続々と松阪に応援に駆けつけていました。国政の幹部クラスの人材が、たった1人の現職市長をつぶしにかかってきたのです。

こうしたことは罪にならないのでしょうか、ね。

市民との対話を最重要視してきた山中氏にとっては、この妨害は反対陣営の計算(「誰かが勝手にやった」と反対陣営は知らぬ存ぜぬを押し通すでしょうが。)とは裏腹に、追い風になったかもしれません。

以下、もう一つ:

市政の基本は対話の積み重ね

山中氏は市長就任以降、市民との対話を徹底して進めてきた。代表例が、小学校の学区ごとに地域を回ってその地域の市民と直接対話する集会だ。平日の夜間などに市長が地域に出向き、市民の質問に市長自らが答える。市民側が事前に質問を出しておく必要もないし、誰でも参加できる。冠婚葬祭や宴席に顔だけ出してアピールするような古い政治手法は捨て、市民とじっくり話し合うことを重視したのだ。

 市民の意見は、大きな事業の方向性を決める際にも確かめてきた。事業の是非などを問うて、住民を集めたシンポジウムを開催。市民の意見を募り、その場で互いに議論を重ねながら事業の課題や目指すべき方向性を定めていくようにした。

 こうしたシンポジウムの場では、議論の対象となる事業について複数のシミュレーションを示し、それぞれのメリットやデメリットを挙げたうえで市民の意見を聞いていった。

 赤字経営が続いていた市民病院における超高性能CTの導入の是非や、松阪駅前の大規模再開発事業の是非は、そうした市民との議論を踏まえて決めていった。

市民に意見を聞くのは、単に行政が市民に説明したという言い訳をつくるためではない。市民にも事業の意思決定過程に参加してもらい、その決定に対して一定の役割と責任を負ってもらう狙いがある。

 松阪市では市民が市政に参加しやすくするために、市全域に住民が組織する住民協議会を設置した。市民が自らのまちづくりに知恵を絞ることで、その地域のニーズに応じた独自のまちづくりを実現できる基盤を設けたのだ。

 例えば、一部の住民協議会には火葬場の運営を任せた。このほか、住民協議会は地域を活性化させるためのイベントなども企画する。何から何まで役所任せにするのではなく、市民自身が地域のためにできることを考え、実行に移すための組織だ。

 市では、住民協議会同士でイベントをはじめとしたまちづくりのアイデアを競わせるコンペを開催。優れたアイデアを出した住民協議会には交付金を支給する仕組みもつくっている。

市政と国政が同じとはいえません。が、やはり、市長が市民を見ている政治家が必要なように、国政も国民を見ている政治家が必要であると思います。

まあ、国政幹部クラスがバックについている市長を欲しがる人たちがまだまだいると言う現実は残念ですが・・・それにしても、石破さんたち、税金でお給料貰って、何をやっているのでしょう。

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フォークランド紛争時の英国と現在の日本

2013年03月01日 | 国際・政治

安倍首相が、施政方針演説で、フォークランド紛争にまつわるサッチャー元英首相の言葉を引用しました。

ところで、ちょうど先日読んでいた、英ジャーナリスト、コリン・ジョイス氏の本、『驚きの英国史』(NHK出版新書。この本はお薦め!)のなかで、フォークランド紛争のときのイギリスの様子を書いた一編があります。

以下、若干省略して紹介します。

『フォークランド紛争』

198242日、数百数千万人のイギリス人が驚くべきニュースにたたき起こされた。名前は聞いたことがないけれど、どうやらイギリスの領土であるらしい島々が、まったく知らなかったけど、その領有権をめぐって歴史的にもめていたらしい相手国の軍隊に占領されたというのだ。

イギリスが眠っているうちに、アルゼンチン軍は南大西洋に浮かぶフォークランド諸島(アルゼンチン人にはマルビナス諸島の名で知られる)に上陸し、本土との「再統一」を宣言した。しかし、1800人ほどの島民は、自分達はイギリス人であり、島とアルゼンチンのあいだに歴史的な関連はまたくないと確信していた。多くの島民の先祖がフォークランドに渡ったのは、アルゼンチンという国が生まれる前であった

(中略)

一方のサッチャーにとって、この紛争は待ちに待った強い追い風になった。サッチャー政権は不人気にあえぎ、高い失業率と高い金利に悩まされていた。

(中略)

フォークランドの紛争の勝利によって、サッチャーは翌1983年に総選挙を実施し、圧勝を収めることができた。彼女はこれで、国内での「革命」を続行する時間と信任が与えられた。労働組合の影響力をそぎ、税と公共投資を減らし、国営企業の民営化へと大きく舵をとった。

そのときイギリスに住んでいた人なら、フォークランド紛争によって高まったイギリスらしくない愛国的な熱い空気を覚えている。ある友人の話では、彼の父親は歴史的にずっとリベラルだったのに、このときは軍に志願して国のために働きたいと考えていた(イギリスにはプロの軍隊があるから、フォークランドにまで志願兵を連れて行くと考えること自体がおかしいのだが)

ぼくの学校である日突然、何かの行事の初めに国家を歌うから練習することになったと言われたのを覚えている。僕も歌詞を全部は知らなかったので、わからないところは「ララ~ララ~ラララ~」とふざけて歌っていたら、音楽の先生にひどく怒られた。「今は国の非常時」なんだぞ、とその先生は言った。

ぼくの両親が、あるパブにランチを食べに行かなくなったことも覚えている。その店は部屋の一つを「愛国者たちのバー」という名前に変え、壁にはフォークランドで撃沈されたイギリスの戦艦の写真を飾った(今でも「フォークランドおたく」はこの六隻の船舶の名を空で言える)。

大衆紙は戦争に大はしゃぎだった。愛国的な女性達がポーツマスを出航する艦隊を見送るために、バストをあらわにして振ったなどという記事を載せた。サン紙はアルゼンチンの巡洋艦ヘネラル・ベルグラノを撃沈したことを祝って、「やった!(GOTCHA)」という悪名高い見出しを載せた(アルゼンチンの乗組員323人が死亡した)。この戦いで戦死してビクトリア十字勲章を受けた“H”・ジョーンズ中佐は英雄視された。

戦況は実に細かく伝えられた。新たな情報を毎日発表する政府のスポークスマンは有名人になり、いいニュースを本国に伝えられる幸運に遭遇した記者の一部は出世街道を歩みはじめた。

(中略)

今振り返ると、イギリスの多くの民間人は当時の愛国ムードを気恥ずかしく思う。けれども、あのときの圧倒的多数のイギリス人が感動し、興奮し、誇りを感じたのは動かしがたい事実だ。

そんな空気が生まれたのは、まさにこの国が下り坂にあるとイギリス人が感じていたからだろう。ぼくらの国は「帝国」だった時代以降、長い衰退期に入っていた。第二次世界大戦後には、国際的な影響力を大きく失っていた。80年代初めには経済が目を覆うばかりになり、階級間の関係も悪くなっていた。

そうしたら今度は、南米の独裁政権に好き放題やられているというではないか。イギリスは「帝国」の最後の断片を守るというより、むしろ誇りの最後の断片のために戦ったのだ。

戦おうと決意し、さらにその戦いに勝ったことで、イギリスの自信はよみがえった。いつの世にも、危機に瀕した体制は「短期に勝てる戦争」で巻き返しを図ろうとした。しかし、それが首尾よく進んだためしはほとんどない。フォークランド紛争は、うまくいった実のまれなケースだ。それは、サッチャー政権から戦争を仕掛けたわけではないと言う要因が大きい。

フォークランド諸島は、イギリスとアルゼンチンの二国間関係にとって今も大きな問題でありつづけている。アルゼンチン側は「マルビナス諸島」が領土の一部であることを憲法に書き加えた。イギリス側はフォークランド諸島の問題をアルゼンチンとは交渉しないことにしている。島民に自決権があるというのがその根拠だ。島民たちは反アルゼンチンの立場を硬く守っている。彼らの反アルゼンチン感情は、占拠の記憶とアルゼンチンが今も続けている禁輸措置によってより強いものになっている。

この紛争はさまざまな影響をもたらしたが、そもそもの原因になった問題がこんがらがったまま残された。

ジョイス氏はイギリス人なので、「フォークランド諸島が自国の領土」ということに疑いはないようですが(フォークランド周辺にも資源が見つかっていることもあり、今後ももめるでしょう。)、それでもフォークランド紛争の欺瞞はしっかり見据えています。

さて、安倍首相、「フォークランド紛争とサッチャー」をお手本にしているのを露呈した形でありますが(領土問題をないものとしているのも同じ)、日本国民も欺瞞はしっかり見抜いてほしいものです。

参考:

『竹島、尖閣諸島、同時ICJ提訴提案を』

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20120816

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