Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

R君とイタリアのパン

2024年05月28日 | 友人・知人

イタリアが常に「豊か」に見える理由-2 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

上記記事に書いたのは、イタリア北部のマントヴァ州出身のR君のことでした。

彼と私がjapan guide comのペンパルサイトで知り合ったのは約10年前で、彼は当時、名門古典高校に通っていました。彼は、2~3年後、高校の時オスカー・ワイルドについてのエッセイ(感想文?)を書き、全国版の賞を取るほど優秀でしたが、彼が目指したのはパン・菓子職人。

(私が彼と知り合ったころ彼は15歳くらいで、その時点で彼は「学校は退屈なので、専門学校(調理系)に転校しようと思う」と言っていました。でもおそらく彼はそのまま古典高校は卒業したようでした。
10年前の彼と私が再び連絡を取ったのは、彼のおじい様のことを質問するためでした。

あるイタリア人物理学者と孫 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)


10年前に自分が進むべき道を見つけていた彼は、「自分の両親が経営する老舗のパン・菓子屋さん」→「大手会社のパン・菓子部門のアドヴァイザー(出向?)」→「5つ星ホテルの主任パティシェ(パン・菓子職人として)」とトントンと夢を実現しましたが、彼の夢の頂点はおそらく、「起業家」になって(特にマントヴァ)のパン・菓子を世界に展開することのような気がします。

 

前回のメールで彼に、

「考えてみると、日本にはイタリアのパン・菓子専門店というのは非常に少ないと気が付きました。

ネットで検索して見つけることができたお店はこちら。(東京で働く息子に買ってきてもらいました。おいしかったですが、材料費が高いので、庶民が日常的に買うのは難しいと思う。)

.Pane & Olio パーネ エ オリオ (paneeolio.co.jp)

それと、東京や神奈川ではなく、滋賀県でマントヴァに修行したという方のお店がこちら。

遠路はるばるイタリアまでやってきてマントヴァのパンと郷土菓子を習得して帰りました雄一のみなぎるパワーに、感銘を受けました – 壱製パン所/滋賀県近江八幡市 (ichiseipan.com)

近江八幡に壱製パン所がある文化 – 壱製パン所/滋賀県近江八幡市 (ichiseipan.com)


と書いた時の彼の反応はこう。

「日本のパン屋さんがマントヴァに来て、私たちのパンや典型的なお菓子の焼き方を学ぶのはとても興味深いですね。 記事を読んだところ、この日本のパン屋さんは私たちの非常に古い伝統的な食品の作り方を学んだようです。 たとえば、トウモロコシの粉、アーモンド、マルサラワインなどで作られたケーキ「スブリソロナ」です。 マントヴァを訪れることがあれば、ぜひ試してみてください!
 イタリアのパン屋やパティスリーを日本で見つけるのは難しいとは知りませんでした。イタリア人の食品起業家は世界中に広く普及していると思っていました。」

 

20年近く前は「ティラミス」「パンナコッタ」、数年前に「マリトッツォ」など、単品でブームになるスィーツはありましたし、それ以前にピザ、バニー二、パネトーネ、グリッシーニなどは、パン屋さんに並ぶことはありますが、イタリアのパン・菓子が中心のパン屋・菓子屋さんって、やはり日本に少ないのではないかと思うのです。

食事パンからスイーツまで!イタリアのパンの種類を一挙にご紹介 | DELISH KITCHEN

(「イタリアのパンの専門店が日本にはない」と彼に書きましたが、厳密にいえば、「フランスのパンの専門店」も厳密にいえばそう見つからないでしょう。老舗のチェーン店の名前、「サンジェルマン」「ポンパドゥール」「アンデルセン」など、フランスやデンマーク系の名があっても、多国籍パン。)

R君の今後の活躍を待つことにしましょうか。

 

ところで、私が小学校低学年のころ(60年代末から70年代前半あたり)、パン屋で買う菓子パンで「イタリアパン」というパンがありました。

今だったら、パスコや山崎製パンが「スティックパン」として売っている者に近いし、カニの形をした「カニパン」も味が近かったったか。

東鳩イタリアパン探究 | 出ベンゾ記 (ameblo.jp)

Miracle Workers 懐かしいイタリアパンが食べたい (fc2.com)

(「カニパン」は源氏パイで有名な三立製菓の菓子パンです。

三立製菓 - Wikipedia

 

 

メーカーは「東鳩」だったようですが、あのイタリアパン-味付きスティック状のパンはどのパンをモデルにしたものだったのでしょうか?

 

参考:

Sbrisolona Mantovana - dolce tradizionale (youtube.com)

ITALIAN CRUMB CAKE (TORTA SBRISOLONA) - Original recipe by Iginio Massari (youtube.com)


A guide to *authentic* ITALIAN BREAKFAST (youtube.com)

オマケ:

what my CHEF MOM cooks for me in a week *IN ITALY* (youtube.com)

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イタリアが常に「豊か」に見える理由-3

2024年05月26日 | 友人・知人

イタリアが常に「豊か」に見える理由-1 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

イタリアが常に「豊か」に見える理由-2 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

前2つのブログ記事で紹介したのは、ロンバルディア州とベネト州の町。

昨日、メールをくれたイタリアの友人(結婚する連絡も兼ねて)が住む町はトリノ(ピエモンテ州)。

トリノは一度私も訪れましたが、その時日帰り旅行をしたアオスタ(ヴァッレ・アオスタ特別自治州)も素晴らしいです。

🇮🇹 TOURISTS DON'T KNOW ABOUT THIS ITALIAN TOWN (YET 🤫) (youtube.com)

 

小さい町として訪問したことがあるのはグリッツァーナとヴェルゲート(エミリア・ロマーニャ州)、チェルタルド(トスカーナ)。
紹介したことがなかったと思うヴェルゲートの動画も一つ紹介します。

Vergato - Piccola Grande Italia (youtube.com)

Vergato - Wikipedia

 

今回たまたま見つけた面白そうなwebsiteです。

イタリア好き | イタリアのフリーペーパー (italiazuki.com)

イタリア好き通信 | イタリア好き (italiazuki.com)

ブログ | イタリア好き (italiazuki.com)

ピエモンテ州(岩崎 幹子) | イタリア好き (italiazuki.com)

ロンバルディア州(高橋 正美) | イタリア好き (italiazuki.com)

エミリア・ロマーニャ州(堂内 あかね) | イタリア好き (italiazuki.com)

外・・・


私の3本のブログはイタリアの町や村の紹介でしたが、「イタリア人の友人たちがどんな時でもおおらかで幸せそうに見えるのも、こうした町や村の中にいるからではないか」と思えてなりません。

「イタリア好き」のいくつかの記事を見ると、更にそう思います。

 

参考:

ルイジさんからのメール-イタリア事情 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

ルイジさんのsummer vacation - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

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イタリアが常に「豊か」に見える理由-2

2024年05月24日 | 友人・知人

前回の記事のメールのやり取りのきっかけは、私の若いイタリア人の友人が、マントヴァ(Mantova、英語Mantua)から、シルミオーネ(Sirmione)に移った話をしたことから始まりました。


マントヴァはイタリアに興味ある日本人なら知っている人は多いと思うのですが、シルミオーネはあまり知られてないのではないでしょうか。

Mantua, Italy, walking tour with Local Guide (youtube.com)

マントヴァ - Wikipedia

抜粋:

マントヴァ(イタリア語: Mantova [ˈmantova] ( 音声ファイル))は、イタリア共和国ロンバルディア州南東部にある都市で、その周辺地域を含む人口約49,000人の基礎自治体(コムーネ)。マントヴァ県の県都である。

マントヴァは三方を12世紀につくられた人工湖によって囲まれている[4]。これらはガルダ湖から発したミンチョ川の水をせき止めたものである。3つの湖はそれぞれ大きな方から、スペリオーレ湖、メッツォ湖、インフェリオーレ湖と呼ばれている[5]。4番目の湖パイオーロ湖はかつて市を環状に巡った防御用のものであったが、18世紀末に干拓された。

マントヴァ(英: Mantua [ˈmæntjuə] マンチュア)は、ウィリアム・シェイクスピア作の悲劇『ロミオとジュリエット』の中に登場する。劇中、ロミオはティボルトを誤って殺害し、町から追放される。彼はただちにマンチュアへ向けて発ち、愛するジュリエットの死の知らせを聞いてヴェローナへ帰還する。

またヴェルディ作曲のオペラ「リゴレット」の舞台であり、市内にはオペラに縁のある建物や登場人物の像が現存するが、劇中の人物は全て架空の人物である。

 

シルミオーネの紹介動画。

Sirmione, Lake Garda, Italy (youtube.com)

SIRMIONE, LAKE GARDA ITALY CURRENT SITUATION IN JULY 2O23 | WALKING TOUR 4K 60FPS (youtube.com)

 

追記:

マントヴァ出身の若者の実家は老舗のパン・菓子屋さん。まだ20代の彼は、シルミオーネの5つ星ホテルの首席パティシェ(パン、菓子職人)のオファーを申し込まれ、受けました。

あるイタリア人物理学者と孫 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

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イタリアが常に「豊か」に見える理由-1

2024年05月24日 | 友人・知人

17歳の時に知り合った私のイタリア人の友人は、30年くらい前からミラノで働き、コモ湖に近いカラーテに住んでいると言っていたので、だいぶ前から彼女の住んでいる町はカラーテ・ウリオ(Carate Urio)だと思っていました。

昨日、

「そういえば、あなたの町の動画を見つけたわ!」

と彼女とのメールのやり取りしている中、カラーテ・ウリオの動画を送ったところ、

Laglio and Carate Urio (Lake Como) - Italy Walking Tour - YouTube

「違うわよ!私が住んでいるのはカラーテ・ブリアンツァ(Carate Brianza)よ!」。

勘違いが発覚。

こちらがその紹介動画。

Carate Brianza - Frammenti tratti dal documentario "La città In un film". - YouTube

 

 

ちなみに、町の話をしていて、彼女にとっての出身地は私たちが文通を始めた時から結婚をする時まで住んでいたヴェネト州のパドヴァであると思っていましたのも勘違いとわかりました。

彼女たち(実家)はヴィツェンツァ(Vicenza)出身で、お父様のお墓もヴィエンツァにあり、彼女にとっての出身地はヴィエンツァとのこと。

Vicenza e-motion (youtube.com)

Teatro Olimpico Vicenza.wmv (youtube.com)tおして

 

ヴィツェンツァも、カラ-テ・ブリアンツァも、カラーテ・ウリオも、日本人のみならず、外国人の観光客でこの町を選んでいく人はそう多くはないと思う町ですが、前者2つは観光でも十分楽しめ、3つ目は避暑地としてのんびりできそう。

イタリアは先進国の中では経済面で今もやや劣等生ですが、そうであっても"風光明媚"に加え、 "歴史的遺物、歴史的建造物”を守り続ける この国は、違う意味で「豊か」です。

 

参考:

イタリアの友人 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

フィレンツェで腕を組んで - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

トリノでパーティ、フレンドリーな友人達 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

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明晰夢-3(調べ事を助けてくれた夢)

2024年02月18日 | 友人・知人

明晰夢(夢を見ながらそれが夢である」とわかって観た夢)から始まって、厳密に言えば「明晰夢」ではないがはっきりした夢の話を書いていこうと思います。

明晰夢-1 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

明晰夢-2(タイムリープ・白昼夢?) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

三番目はこちら。

Mさんにとっての731部隊 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

抜粋:

5,6年前、何かの本で731部隊のことを読んだ直後、新聞記事で731部隊について神奈川大学の常石教授の調査の記事を読み、妙にこれが頭にひっかかっていた時期がありました。

そしてこの時、731部隊が駐屯していただろうと思われる場所の鮮明な夢を見ました。 

白衣を着た人たちが歩きまわる昔の(木造?)校舎を思わせる建物、コンクリートの煙突、病院のような暗い廊下、芝生の中庭、カラスの鳴き声、青いトラックの荷台に載せられた着の身着のままの人たち-そしてそれを見つめる、やぶ睨みの10代と思われるお下げの女の子- 

中学生の頃から子供を産む前まで、数回、正夢や不思議な夢を見ることがあった私(私は超常現象はあまり興味がありませんが、それでも正夢を見たり、自分がいなかった現場の夢をみること、そういったことから第6感のようなものまで、理解できない能力は人間には備わっているのではないか、と思っています。)は、気になってこの夢の話を当時の同僚にしたところ、

「実は、あなたとも仲が良いMさんは、731部隊で保健婦をしていたことがあるのよ。あまり大っぴらには話さないけど、あなたなら、話してくれるんじゃないかしら。」
とMさんのことを教えてくれました。 

この時の私は、妙に気になった夢の場面が「果たして731部隊が駐屯していた場所であるかどうか」を確認したくてMさんにこの部隊の話を聞いてみたに過ぎなかったのですが、彼女の731部隊にいたときの話、引揚げの話は大変興味深いものでした。

 

「夢」ではないにですが、「夢」にくわえて私が興味持った話と外国人の友人たちがつながった話もついでに。

私が「歴史や事件」をしつこく追い続けているのは、こういう偶然があってのことです。

 

地震を予告できなかった専門家に責任を問うイタリア - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

抜粋:

この記事を読んだ時、「イタリアは一体どういう国なの!?」と呆れただけでしたが、すぐ、知人のイタリア人男性Vさんが、なんとかという国立の火山研究所の代表者の秘書(private secretary)をしている話をしてたことを思い出しました。

そして「もしや」と思い、昔のメールを探してみたところ、やはりこの研究所は彼が書いてきた機関で、そしてその代表者の方は現在起訴されている方。

そういうことで、ちょっと野次馬根性が入ってしまいましたが、Vさんに遅らばせながら、お見舞いメールを送りました。

「起訴の内容があまりに理不尽なことに驚いている」と書き添えて。

 

タデウシュ・ロメルの娘の一人と英国人元ペンフレンド - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

抜粋:

ポーランド外交官ダデウシュ・ロメル - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

ポーランド外交官ダデウシュ・ロメルと彼が個人秘書をしていたロマン・ドモフスキ - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

タデウシュ・ロメルと妻ゾフィ - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

と3本の記事を書いてきましたが、このはじまりは、私の元英国人ペンフレンドの値付け職人から昔、「在日ポーランド大使の孫からコレクションの根付を見せられて、根付職人となった」と聞いたのを思い出したことから。

実はこの後、この元ペンフレンドPさんにメールをして問い合わせました。

それで分かったのは、「孫」と言うのは私の記憶違いであり、彼女Sさんは友人ではなく、Pさんとは親子ほど年長。そして、その女性の姓はRomerでなく、結婚して名が変わっていたにせよ、そもそも彼女たちは戦前に日本にいたはずとのことで、Pさんは、「ロメル氏が彼女の父親という確率は低いであろう」と言ってきました。

ところが、私がこの後調べた情報をPさんに送り、「ロメル氏は1937年から日本の大使をして、そもそもかれは初代駐日ポーランド大使なので、彼の前の大使はいないと思います。」とメールしていましたが、今朝Pさんから、

「なるほど。Sさんの名前からは情報が得られませんでしたが、ひょっとしたらこれは偽名だった可能性がありますね。彼女は父親の名も教えてくれなかったし、家族について話すことはなかったんです。Sさんからは住んでいた日本の話と、ただ一つ、彼女が戦時中フランスで救急車の運転のボランティアとしてしていたことだけです。」

という返事をいただきました。

初代ポーランド大使タデウシュ・ロメルの特別展 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

抜粋:

タデウシュ・ロメルを丁度半年前に調べて始めていました。

タデウシュ・ロメルを私が調べだしたのは、ウクライナのことを調べていたときに、私のイギリス人ペンフレンドが、「在日ポーランド大使の根付のコレクションを観た」と言うのを思い出して調べだしたことからでした。

タデウシュ・ロメルが根付のコレクションを持っていたかどうか、この展覧会でわかりますかね。

ところで、17年前、イタリアに行くことがあって、自宅から駅までタクシーに乗りました。その時、お話好きの運転手さんと世間話などをしていたところ、彼が、「昔、商売(電化製品の個人輸入だったと思う)をしているときに、僕、ユダヤ人を救った元外交官夫妻にかわいがってもらったことがあったんですよ。」と言い出したので、「え!?それって杉原千畝さんじゃないですか!?」と驚いたことがありました。
そう、その運転手さんをかわいがってくれたのは杉原千畝夫妻。
この運転手さんの話をゆっくり聞くこともできず、残念でしたが、「杉原千畝夫妻に直接接していた人」に会えたことに興奮しました。

杉原千畝と直接会ったタクシーの運転手さん、タデウシュ・ロメルと間接的接触があったであろうペンフレンド、奇妙な偶然です。

 

「マークス&スペンサー」を調べて-2 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

抜粋:

私の知り合いに、神奈川県平塚市の松岩寺の住職さんがいます。

彼のお寺に私は行ったことはありませんが、確か仏像(金?)が盗まれ、それが返ってきたこともあったお寺のはず。

お寺についてもそんなことぐらいしかからなかったのですが、マークス&スペンサーにかかわった人の名前を英語版wikipediaで辿っているときに、日本人の名を見つけて、そこから調べたら、その人鈴木俊隆氏の実家がこの「松岩寺」とのこと。(なお、現住職は「鈴木姓」ではありません。)

先ずは日本語版の彼のwikipediaを。

鈴木俊隆 - Wikipedia

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明晰夢-2(タイムリープ・白昼夢?)

2024年02月14日 | 友人・知人

「オカルト嫌い」の「超能力考」 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

で「タイムリープ、タイムトラベル」について、

明晰夢-1 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

では夢の話を書きましたが、下記のブログ記事に書いたの私の夢も、変わった夢。

白昼夢 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

抜粋1:

先日また奇妙な夢を見ました。
それは、その日友人Tを含む何か食事会の様なものを予定している私が、Tから電話を受ける夢。 

夢では、現実だったら見えないはずのTの姿も映画やドラマのように見えました。
私の方は、家で外出をする支度中。そこの場面が切り替わり、駅の改札を出たところから私に電話をするTの姿。(隣に後輩らしき男性ももう一人。)
彼は待ち合わせ時間に私が来ないと言って電話をしてきているのですが、家で電話を受けている私の認識している現在時間が、彼の認識している現在時間より2時間時差があること。
(つまり私がいる空間は「16時」なのに、T達のいる空間は「18時」というようなこと。) 

時差がない地点に存在しているのに、時空がずれてしまう現象に混乱しているとき目が覚めましたが、なんとも奇妙な感覚が残りました。 


この夢は、起きるまで「夢である」と気が付いていないので、「明晰夢」ではありませんが、「夢と現実がごっちゃになるほど鮮明」という夢でした。

夢とは違うのですが、私の北欧の友人の奇妙な体験話を書いています。これも貼り付けます。

抜粋2:

「僕は妻と知り合う前、およそ20年前に、Anna(仮名)と言う名前の女性と付き合っていたことがあったんだ。短い期間だったけどね。彼女は十分すぎるくらい僕の心をズタズタにして別れ、それ以来二度と会う事も思い出すこともなかった女性。 

だけど先週、僕が地下鉄に乗ろうとしているときに、僕は20年前の姿そのものの彼女とすれ違ったんだ。 

いや、もちろん僕だって人が時空を飛び越えてくるなんて思っていない。だけどね、彼女の顔、髪型、着こなし、彼女が小さな赤ちゃんをつれていたこと以外は、すべてあの時に彼女そのもの。しかも彼女の方も僕を何か知り合いでもあるかのように見つめていたんだよ。(それは彼女が僕の顔を見た瞬間すごく驚いたような顔をしたので確信できた。) 

僕は衝撃を受けながら電車に乗り込み、彼女は電車を降りて行った。
気持ちを静めて電車からプラットフォームの彼女の姿に目をやると、彼女の方も電車の中の僕を同じように見つめているのがわかった。」 

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『年の終わりに-2023年』 by M氏

2023年12月24日 | 友人・知人

今年もM氏の「年の終わりに」が届きました。

昨年のものは下のブログ記事でで、それ以前のものも末尾にリンクが貼ってありますので、是非ご覧ください。

『年の終わりに-2022』 by M氏 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

皆様;  

色々なことがあった今年、2023年も残りわずかとなりました。決して平穏な1年ではありませんでした。昨年勃発したロシアのウクライナ侵攻は、まもなく2年となろうとしますが、膠着状態が続いています。幸いにも、今までのところロシアによる「核」の使用はされていませんが、今までも、そしてこれからも、その恐怖が世界を覆っています。この恐怖が杞憂に終わって、来年こそ休戦が実現することを期待します。

そのような中で、イスラエルとパレスチナ(ガザ地区を実効支配するハマス)との間で悲惨な戦争がはじまりました。長年にわたって、小生は「パレスチナ問題の公正な解決こそ、世界平和実現の礎」と述べてきましたが、今回の事態は明らかに逆方向に向かうものです。1993年のオスロ合意で示された和平への道筋について、この30年間、当事者はもとより、日本を含む国際社会全体が、その実現にむけての努力を怠ってきました。イスラエル側、パレスチナ側それぞれに様々な事情や言い訳などあろうと思いますが、明年こそ、国際社会全体の力で、和平が実現することを切望します。

 最近、年をとってきたせいもあって、歴史に思いを巡らすことが多くなりました。今年2023年は明治維新(1867年)から数えて156年です。そのちょうど中間地点が太平洋戦争終結の1945年です。明治維新の年に生まれた人が1945年には、まあだいたい平均寿命の78歳。その人の孫かひ孫で、1945年に生まれた人が今年同じく78歳になります。要するに、日本の近・現代史全体をこの二人の人が眺めてきたこととなるわけで、明治維新以降現在まで随分長い時間がたったようですが、見方によっては、二つの世代でカバーできる程度の短さなのかもしれません。

この二人の見てきた世界は全く異なったものでした。科学文明の進歩や民主主義の変遷などいろいろありますが、最も大きな違いは「戦争」です。戊辰戦争・西南戦争という二つの内戦から始まり、日清戦争(1894)、日露戦争(1904)、第一次世界大戦(1914)からシベリア出兵(1919)、満州事変(1931)、日中戦争(1937)そして太平洋戦争(1941)。絶え間ない戦争により対外膨張してきた日本の歴史は、広島・長崎への原爆投下という悲惨な最後となった1945年8月、一区切りを迎えました。それ以降78年間、日本は一度も戦争に参加したことがありません。小生は1949年生まれなので、概ねこの世代に該当しますが、「戦争を知らない世代」と言われて過ごしてきたこの74年間を僥倖と思いつつ、同時にそのような平和国家に生まれ育ったことを誇りにも思います。

 この78年間の半分くらいまでの間、1980年代後半くらいまでに、我が国は「軽武装経済国家」として、日米安保体制のもと、驚異的な経済成長を達成しました。廃墟のなかから立ち直り、日本のGDPは米国に次ぐ世界第2位となり、その米国との間で、自動車や半導体をめぐっての経済摩擦まで起こすほどの実力を誇るまでになりました。それからほぼ40年たちましたが、、日本経済は長期的な停滞に陥り、あっという間に中国に抜かれ、そして今年はドイツにも抜かれてGDP世界第4位に転落するとみられています。今年の出生者数は70万人台前半とみられていますが、この数字は小生の生まれた年の270万人の4分の1に過ぎません。このように人口が継続的に減少する国家のGDPが低下していくのは、当たり前で、驚くほどのことはない。問題は、そこに暮らしている人々が、総じて日々不安なく穏やかに暮らせるかどうか、ということにあります。

かつてのような高度成長は望めないとしても、我々に続く世代のために、少しでも成長・前進する社会にしたいと考えております。  戦後78年の前半部分の高度経済成長の要素としてなにがあったのか。ベビーブームから始まる人口増加と着実な所得と需要の伸びが基本にあったわけですが、小生は、それ以上の「何か」があったのでは、と考えてきました。その一つが「大戦で生き残った世代の悔悟と贖罪、そこからの粘りと頑張り」だったろうと、ずっと思っていました。

たまたま10月25日NHKで放映された「映像の世紀バタフライエフェクト 零戦 その後の敗者の戦い」を録画して視聴しました。戦前・戦中の官民の軍事産業開発・研究に携わっていた技術者たちが、敗戦の口惜しさを乗り越えて戦後の平和産業に身を挺して貢献した姿が描かれています。海軍の零戦の設計をした堀越二郎氏は、戦後最初で最後の国産旅客機YS11の開発に携わりました。その他、国鉄の新幹線、オリンパス工業の胃カメラ、スバル360をはじめとする自動車産業などに旧軍の理系技術将校が戦後いち早く転身して、その若き頭脳を生かして活躍しました。小生の父も、その一人で、1943年9月東京文理科大学(現:筑波大)物理学科(のちのノーベル賞:朝永振一郎教授門下)を繰り上げ卒業して海軍の技術研究所にはいり、潜水艦ソナーの開発に携わっていた時、中尉で終戦を迎えました。

ただちに旧国鉄の技術研究所に入所し、その後金属材料と物理試験の分野で、新幹線の線路(レール)や車両の開発に従事しました。64年の新幹線開業後も、そのメンテナンスとアップグレードに不断に携わるとともに、草創期のリニア新幹線開発にも関わり、1972年に退職しました。父に言わせると「旧陸軍は、理系も文系もひとくくりで使い捨てにしていた。しかし旧海軍は理系の学生の命を尊重してくれて、戦地には派遣せず、内地に、それも研究開発要員として残してくれていたように思う。」ということでした。確かに前述のNHKの番組でも圧倒的に海軍系の逸話が多い。

なお、番組の途中で旧海軍技研から鉄道技研に移った人々20人ほどの集合写真が出たのですが、その中に若かった父の顔を発見して驚きました。父(1920年生まれ)は、生前よく「小学校(長野県戸倉町;現千曲市)の同級生のうち女子はほとんど生きているが、男子のうち相当な人数が徴兵されて戦死した。」と悔しそうに語っていました。同級生が徴兵されて戦死、などということが、その時代にはあたりまえのことだったのです。小生の父母の世代は、そんな口惜しさと、生き残った者としてのある種の使命感のようなものなどに駆られて、戦後の経済成長時代を必死に生きてきたのです。我々の世代以降には、どうやら、それはありませんでした。

バブルがはじけて、日本経済が長期の衰退に入った90年代初めころは、ちょうど我々の父の世代が官民のトップから退いたころでした。官民ともに、その次に続く世代(我々自身も含む)がバブルの時代の堕落した風潮にうかれて踊ってしまったのか。90年代に頻発した多くの経済犯罪やサラリーマンのモラル失墜行為などは、その表れだったのかもしれない。  その結果、どうなったのか。マクロ経済面(GDP)での凋落はもちろん、ミクロ(個別企業)面でも凋落は明らかです。1989年の世界時価総額ランキングトップ50には、32社の日本企業が名を連ねていたが、2022年ではトヨタ(31位)1社のみで、今年2023年には(円安のせいもあり)トップ50から日本企業の名前が消えるようです。この間、時代をリードしてきたICT産業興隆の波に乗れず、ハード面(半導体・電子機器)でもソフト面(GAFAなどのICTプラットホーム産業やAI開発など)でも、欧米や中・韓・台の後塵を拝するようになりました。

今年最もショックだったのは、三菱重工(三菱航空機)が、この20年間心血を注いで開発してきたMRJ(三菱スペースジェット)からの完全撤退を発表したことです。天下の三菱が、世界中で華々しく数多くの先行受注をしながら、商業生産開始をずるずると遅らせ、結局米国での型式証明の取得の目途も立たず、開発費(累積赤字)の負担に耐え切れず事業を放棄しました。同じ三菱が開発している次世代ロケットH3の相次ぐ打ち上げ失敗の件も気がかりです。また、自動車産業では、日本企業はハイブリッドにこだわるあまり、完全EV車の開発に遅れました。ガソリンエンジン車の延長にあるハイブリッド車は、構造が複雑で、完全EVより多くの部品が必要。日本の自動車メーカーがその系列下請け部品メーカーに対して過剰な気配りをしたがゆえに、完全EVへの転換に遅れをとったようです。

 嘆いてばかりではいけません。とにかく次に続く世代のために、前に進まなければ。4年前、まだコロナの影も形もなかったころ「年の終わりに 2019」で、小生は二つの大きな可能性を提示しました。一つが「観光立国日本」でした。今年、コロナの5類移行後、世界的に日本旅行ブームが起きているようで、日本への入国者はコロナ前の水準に近づいています。福島処理水の問題で、中国からの観光客が伸び悩んでいるにも関わらず、円安の追い風を受けて、その他の地域の人々の日本旅行が活況を呈しています。日本中の観光地に海外のお客様が来ている様子は好ましいものです。オーバーツーリズムの懸念が指摘されていますが、これは、お迎えする側が決して言ってはいけない言葉です。

日本が誇る、日本にしかないものがあります。長い歴史を持つお城や神社や仏閣。四季折々の美しい自然、特に春の桜に秋の紅葉と冬の雪景色。一年中緑に覆われた山がちの美しい国土と、きれいな空気と水のある風景。富士山、阿蘇山、屋久島、薩摩富士(小生の一番好きな山)その他もろもろの名山。沖縄を筆頭とする美しい海。アニメやゲームなどの独自の新しい文化。そして何よりも世界一多様で美味しい食事と、多くの人々が持つ「おもてなし」の心。基本的な観光資源は既に十分揃っています。またもう一度日本に来てみたいと思わせるよう、オーバーツーリズムなどということにしてはなりません。交通インフラの充実は当たり前のこと、それ以上に外国人旅行客が快適にすごせるような細かい気配りや工夫を。このあたりに地方自治体を含め、行政の出番があります。予算も重点的に振り向けてほしいものです。

もう一つは「農林水産物の輸出」です。中国が日本の水産物輸入を止めていますが、全体としては輸出が増えているようです。日本の「食」のレベルは極めて高く、またその素材(米・野菜・果物・海産物)の美味しさや安全性も世界一、と思っています。この分野をもっと伸ばすためには、たぶん農林水産物にかんする行政(一例は農協・漁協の問題)の抜本的な改革と、高齢化する担い手の更新と活性化が必要だと思いますし、またこの分野での民間企業(特に総合商社かなあ)の努力も必要です。この二つの他にも期待できるものがあるかもしれませんが、我々の子や孫の世代のため、とにかく明るい未来が開けるように願ってやみません。

(後略)

 

今日は、2015年1月に書いたブログ記事に書いた部分を思い出しました。

イランのハメネイ師のメッセージ、憎しみより理解を - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

抜粋:

昨年の夏、来日中のD氏を訪問したときに、彼が、
「昔は日本人のなかで、「戦争に負けてよかった」と言う人が主流だったのに。」とちらりと言いました。これは、「戦争に勝っていたら、日本の軍国主義は終わらなかったし、民主化もおこらなかった」という意味で、この時一緒にいた私より少し年上の友人が、「そうですね。口にする人は今はいなくなりましたね。」と頷きました。 

これを聞いた時私は、
「戦前の日本が続くことは当然いけないにしても、「戦争に負けてよかった」と口にする世界というのも、抵抗がありますけどね。無益な戦争で家族を失った人には聞かせたくないし。」
というようなことを言ったのですが、今は、「日本は戦争に負けてよかった」という気持ちがわいています。(今も口には出す気にはなりません。) 

ただし、これはD氏が差していた理由(こちらの方は、若干日本はあやしくなってきています。)だけではなく、日本が負けたことで、世界の国々の植民地が独立するきっかけを作ったこともあってです。 

それは、「日本は微力であっても、欧米とは違ったアプローチができる国」ということの再発見でもありました。


やはり、「日本は負けてよかった」
 とは、どんな意味でいったとしても、言われるべきでも、言っていいものではないですね。

 

参考:

人間爆弾「桜花」と新幹線0系、その数奇な関係 殉職したはずの「発案者」、実は生きていた | 新幹線 | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net)

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「どの国が一番不幸か」と問うたら・「プロパガンダ」

2023年12月22日 | 友人・知人

米国の友人が、「北朝鮮出身の元作家の記事がガーディアン紙に載っていた」と記事のリンクを送ってきてくれました。

私はこの作家の名前は聞いたことまないし、ネットで調べても、2017年の東洋経済の記事くらいしかめぼしいものがみつかりませんでした。

脱北者の元作家が送る波乱万丈すぎる人生 日本で生まれ海を渡り「党員」になった末に | 「非会社員」の知られざる稼ぎ方 | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net)

何故ガーディアンがこの作家を取り上げたのかも分からなかったし、そもそも米国の友人が彼の記事を、北朝鮮問題に特別追っていない私に送ってきたのかその理由も不明だったので、友人には、東洋経済の記事のリンク(多分翻訳ソフトである程度はわかると思う)を送り、「なぜこの作家の記事にあなたは興味があるのですか?」と尋ねました。

彼はこの質問に、

「僕はいつも北朝鮮とそこで人々がどのように暮らしているかに興味があります。特に脱北者。彼らは十分な教育を受けておらず、資本主義的なものに慣れていない。(中略)

「ソマリアと北朝鮮のどちらに住みたいですか?」と尋ねるとする― 北朝鮮の方が生活水準ははるかに高いが思想の自由がない、ソマリアは生活水準は悪いが、思想の自由がある。」

と答えてくれました。

このやり取りで思い出したのは、私が2007年に書いた記事。

『カフェ・ヨーロッパ』と日本 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

1949年クロアチア(1991年までユーゴスラビアの一部)に生まれたジャーナリスト、作家のスラヴェンカ・ドラクリッチの『カフェ・ヨーロッパ』は、彼女が1992年から1996年かけて書いたものです。

第2次世界大戦中ドイツに侵攻されていたユーゴスラビアが、戦後徹底して反ドイツ教育を施し、その後ドイツへの出稼ぎ者が多くなると(ドイツに出稼ぎに行っている同胞がドイツでつらい目にあっているのをひた隠し)180度教育方針を転換された話、冷戦時も西側は周辺国の憧れで、他の東欧諸国に比べて比較的楽に西側の国に行けたユーゴスラビアが周辺国に対しある種の優越感を持っていたこと。

反面、ユーゴスラビア人が西側に行ったときに受ける差別のことなどを淡々と書いてあります。

共産主義を遅れたものとする前提で考えると、『共産主義をたたき込まれ、他国の情報が制限されているので、それを疑うことなく、自国が一番だと信じ込んでいる国民』と『共産圏でありながら、実はそのイデオロギーを信じず、西側に憧れつづけた嘗てのユーゴスラビアや近隣の東欧の人々』とどちらの方が不幸なのだろう、この本を読んだとき、私はふと考えました。

日本は民主主義の国でどちらでもない、幸せ-しかしそうとも言いきれない気がします。

まず、制限されていないとはいえ、日常に入ってくる情報が偏っていること。新聞やテレビで取り上げていることは、日本国内のことか、せいぜいアメリカや西欧の主要国のことばかり。東アジアはともかく、その他の国で起きていることはどこか違う惑星の出来事のようです。

比較的取り上げられる東アジアのことでも、今月半ばの『北朝鮮が韓国から貨物列車を走らせるということに合意した』というニュースさえ、あまり話題になりません。

そして、この本の話をしたとき、日本watcherでもあるイギリス人の知人がつぶやきました。

「いずれ為政者に対して批判的な態度を保っているのがどんな支配的イデオロギーの国でも大事でしょう。あまり大っぴらに批判すると監獄に入れる旧共産国などか、何でもいえるのに、辛らつな政府批判を言うインテリがほとんどいない日本と、どちらがいいか」

情報が偏っていること、そして批判する人があまりいないこと、そういう意味では民主主義の日本も、実は共産主義の国と変わらないのかな、そう思えたりもします。

 

2007年から2023年-2011年の福島原発事故をきっかけに、イギリスの知人(これは故ロナルド・ドーア氏でした。)が言っていた「政府批判をするインテリはほとんどいない日本」は少しづつ変わり、2020年の春以降、コロナ情報、ワクチンも声をあげるインテリ層も若干ではありますが、増えてきました。

ただ、残念なことに、「情報の偏り」は、「批判する層」が増えるにしたがって、より偏るようになっているのではないかと思うのです。

ただし、日本で「情報の偏り」なく発信されていると思えるのは、現在のイスラエルとパレスチナ戦争。

これに関しては、欧米の偏りは激しいようですし、米国ではパレスチナ擁護派は「反ユダヤ」とひとくくりにされて、職を辞したりしています。

 

米国のこの友人も、イスラエルは批判することもないし、ついでに言えば「反米的国の国民」に対する優越感はゆるぎないものだと思います。(なお、彼は自国、自国の政府批判はする人です。)

「優越感を抱く国」ほど、案外「プロパガンダ」にも無頓着なのかもしれません。

 

たまたま数日前に見つけたwikipedia。


エドワード・バーネイズ - Wikipedia

エドワード・ルイス・バーネイズ(Edward Louis Bernays、1891年11月22日-1995年3月9日)は、オーストリア系アメリカ人。「広報の父」として知られる広報活動とプロパガンダの専門家。「広報の父」とされる広報・宣伝分野のパイオニア。オーストリア系アメリカ人で、ジークムント・フロイトの甥であり、叔父であるフロイトの精神分析学とギュスターヴ・ル・ボンとウィルフレッド・トロッター(英語版)の群集心理学に注目し、大衆扇動と広報活動の基礎を築いた。

(中略)

プレスリリース手法の改良 バーネイズは、1906年のアトランティックシティ鉄道の列車事故の広報担当者としてその名を知られたアイビー・リーが発明したプレスリリースという手法を、より改良し、アメリカ社会に普及させていった。[6]

女性の喫煙キャンペーン

バーネイズの最も有名なキャンペーンの一つとして、1920年代の女性の喫煙キャンペーンが挙げられる。バーネイズのキャンペーンは、当時最大の社会的タブーの一つとされた女性の公共の場における喫煙を、喫煙業界が「克服」する手助けとなった。 当時女性は指定された場所での喫煙のみ許可されており、違反者は逮捕されていた。これに対し、バーネイズは1929年にニューヨークで行われたイースター行進においてラッキーストライクのタバコを「自由の松明」と題して女性モデルたちに持たせ、タバコを持つ女性と自由の女神のイメージを重ねて想起させる戦略を行った。実際にはニュースにあたるものではないが、バーネイズはこの行事を宣伝ではなくニュースとして取扱うことで、怪しまれずに大衆にメッセージを投下することに成功した。

また、医療団体などから「お菓子は太るが、タバコは痩せる」と広報させ、女性が自らタバコを受容していくための宣伝活動も行った。バーネイズによる巧みな宣伝によって女性は以前よりもタバコを購入するようになり、女性の喫煙も社会的に許容されるようになっていった。 第三者機関の利用 バーネイズは、大衆意見を操作する手法として、クライアントの目的を支持する「第三者機関」の利用を好んだ。バーネイズは「意識的な協力があろうとなかろうと、もし君が指導者に影響を与えることが出来るなら、彼らが支配する層の人々に対してさえ、必然的に影響を与えることが出来るだろう。」と述べている。

(中略)

フロイト理論の応用 バーネイズはまた、間接的にタバコ、石けんや書籍などの多様な商品の販売促進に叔父ジークムントの精神分析の手法を利用した。また、叔父の理論に加えて、バーネイズはイワン・パブロフも利用することとなった。広報業界史研究の第一任者の一人であるスコット・カットリップは、バーネイズを「広報業界においておそらく最も過激で魅力的な人物であり、聡明だが過剰なまでにはっきりとした、そして何よりも1919年6月に彼が起業した当時揺籃期にあった広告産業における革新的な思想家であり哲学者である。」と述べている。

反共プロパガンダ

バーネイズは、大衆に拡がる共産主義理念に対処する方法として「フロイトの理論」を使用したが、その手法は、共産主義に対する国民の恐怖感情を緩和するのではなく、むしろその恐怖を促進し、それに対する大衆感情を弄んだ。この理論は冷戦中に非常に強力な武器となった。

(後略)

参考:

プロパガンダの7つの手法・声優上坂すみれさんの提案 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

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キノコをもらってくれた友人F

2023年11月17日 | 友人・知人

今年8月に亡くなった友人Fが朝方の夢に出てきてくれました。

友人F追悼-1(また逢う日まで) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

なぜか数人と食事をしていて、キノコ嫌いの私が料理に入っているキノコに苦慮していると、彼がキノコを食べてくれるというので、私がキノコを小皿に移している、という夢でした。

そういえば、ヨットのあと皆でレストランに行って私が食べられないものを彼は引き受けてくれていました。

嫌いなものや、量が多すぎて食べられないものを食べてくれたと言えば、友人Tなどもそう。

鯨肉について熱くなれないもう一つの理由 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

スコーン - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

ティムさんとの夕食会 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

私の好き嫌い、小食で助けてくれた人たちは彼ら以外にもいたはずなのだけど、具材を抜き出して食べてくれたのは、家族以外でこの二人だけ。

夢の中であれFと再会できたことをうれしく思い、そして寂しさを感じました。

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スペイン人Iさんの婚約・日仏カップルの素敵な動画

2023年09月11日 | 友人・知人

先月亡くなった友人Fは、私の米国の友人ティムさん、イタリアの友人クラウディアさんが来日した時に一緒に夕食をとってくれましたが、スペインの友人べゴーニャさんが来日した時は日程が合わずに彼女と友人Fは会っていませんでした。

しかし、べゴーニャさんの友人の息子のIさん(スペイン人、男性、当時20代)が仕事の関係で短期で日本に滞在したとき、べゴーニャさんに頼まれて私がセッティングしたIさん夕食会に出席してくれた一人が友人Fでした。

ということで、この3人にはeメールで友人Fの訃報を知らせ、それぞれから友人Fへのお悔みの言葉と、大切な友人を亡くした私のロスを気遣うメールをもらいましたが、べゴーニャさんからのメールには追記としてIさんの近況が書いてありました。

この8年前日本に短期滞在した後、米国に渡っていたIさんが、なんと今転職して日本で働いていると言います。しかも、日本女性とお付き合いをしているらしいです。

数か国語を操る彼が就職したのは国際機関で、日本にはおそらく研修を兼ねた滞在であったと思います。
スペイン語はもちろん、英語もできない人が多い日本-仕事はともかく、お役所に行くのさえ日本人スタッフに頼らなければならなかった彼の日本語は当時初級。彼が転職をしてまで日本に拠点を移したことは、驚きでした。しかも、日本人の女性とお付き合いしていたという。(語学の才能のあるIさんは、おそらく今はだいぶ日本語ができるようになっていることでしょう。)

日本が大好きで、「スペインと日本を結ぶこと」をライフワークにしているだろうべゴーニャさんに、「Iさんがその日本女性と国際結婚したらすてきですね。」と返信しておいたら、先週末べゴーニャさんから興奮したメールが届きました。

「Yukari、今日Iさんのお母さまに会ったの。そしたらなんとIさんはその日本人女性と来年結婚することになったのよ!結婚式は日本で上げるそうよ。Iさんのお母さまはまだ彼女と対面していないのだけど、大喜びしているわ!」

実は私はなんとなく、「この日本人の女性は8年前にIさんをサポートしていたスタッフではないか?だからIさんは日本で働けるように転職したのではないか?」と想像しています。Iさんは、ハンサムで上品、思慮深い若者で、日本でも海外でもモテていたと思いますが、彼からは「一途さ」も伺えたので。

それにしても、異国で働くようになった息子が、まだ自分が会ったことがない女性と結婚することを手放しで喜んでいる、Iさんのお母さまも素晴らしいです。

べゴーニャさんや、Iさんのお母さまに、スペイン人に嫁いだ日本人女性のyoutubeでも送ろうかと思って探してきたのですが、残念ながら見つかりませんでした。

しかし、フランス人に嫁いだ日本人女性のyoutubeに、ご主人の性格がIさんと重なる方のyoutubeを見つけたので、これを送らせてもらおうかと思います。

(”ご主人”という言い方とか、”嫁ぐ“という言葉が持つニュアンスはもう古いですね。)

これは、日本在住国際結婚カップルではありませんが、ご主人が日本に住んだ経験もあるし、ちょうどよいかもしれません。たぶん、べゴーニャさんとIさんのお母さまはフランス語はわかるでしょう。

義父母の記念日祝いで家族で集まる日 / シェルブールの義実家に帰省 - YouTube

【日仏夫婦】2人の馴れ初めは?フランス語習得方法についても。 - YouTube

(このお二人はjapan guide comのペンパル募集か、語学交換相手募集で知り合われたのでしょうか?

japan guide com.ペンパルサイトの閉鎖-海外のペンフレンドのコメントと創設者の思い - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

日本に7年住んだフランス人夫が日本で驚いたこととは? - YouTube

【3日間お弁当生活】フランス人夫が久々のお弁当に大興奮!大好きだった日本のアレを思い出したり。。✨ - YouTube

こんなに高いの!? フランスで久しぶりの日本食🍣フランス流お寿司やカレー等、フランスの日本食事情も。 - YouTube

さわ フランス暮らし - Sawa France - YouTube

 

参考:

友人F追悼-1(また逢う日まで) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

インド人夫妻と鎌倉で・英語が通じない国でのおもてなし - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

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友人F追悼-2(「恋愛至上主義」が無視するもの)

2023年08月24日 | 友人・知人

以下の記事は、もうFさんが読むことはないと思いながら書いたものです。

『トリコロール三部作』と『ふたりのべロニカ』-1 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

『トリコロール三部作』と『ふたりのべロニカ』-3(1980年の短編ドキュメンタリー『Talking Heads』とキェシロフスキ監督) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

彼に前からたまに話していたことが、ポーランドがらみのことだったこともあります。

 

そのあとの2本は、Fさん(および何人か)と私の関係を思いながら書いたものです。

「LGBT」と「草食系男子」-1(恋愛格差) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

LGBTと「草食系男子」-2(昔「草食系男子」今は「アセクシャリティ」?) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

Fさんと私の若いころの関係は、若いころは「誰にでも暖かく接する尊敬すべき先輩と、その先輩から窘められることもあったけど、上下の関係なく同じ目線で見守ってもらってきた後輩」の間がらです。

(ヨット部に入ったころ、Fさんに恋愛感情に近い思いを抱いたことは一瞬あったけど、「私、Fさんとお付き合いしているのよ。」という先輩女性の告白を聞き、あっさり、その感情は封印。あとになって、この先輩女性の告白は、まったくのでたらめだたのですが、彼女の告白を聞いて即座にあきらめた私の感情は本当の恋愛感情ではなかったと思います。なので、片思いにさえならなかったです。)

それが、ひょんなきっかけで再会したFさんは、私にとっては、なくてはならない人たちの一人となりました。

私が3年前に脳出血で私が倒れたのち、連絡をとれなくなることを気にした人たち-

私信 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

海外の友人達との意見交換再開 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)


「○○会社の社員の」「〇〇さんの恋人、パートナー、妻・夫」「〇〇ちゃんのお母さん・お父さん」というのではなく、「一人の人間同士として、家族や友人の枠も超えて-繋がっていると思える人たち」です。

その中でも「日記を書くように話せる相手同士」は、これは、単なる親友と言うのとも違う、恋人や夫とも違う、説明のつかない繋がりで、この繋がり、もしくはその間にある「愛情」を説明するのは難しいです。

しかし、その「説明のつかない愛情」は、既婚者の男女間(同性愛者、両性愛者の場合はもっと複雑)では「浮気」と結びつけられてしまうことが多く、それは、「恋愛至上主義」あってのことでしょう。

私がLGBTQ運動を好意的に観れないのは、まずは「偽善性」故、そして第二に「説明のつかない繋がり」の存在をないがしろにしている気がするからでもあります。


基本的に、「説明のつかない繋がり」は、「人間が好き」「他者精神がある」「似た感性を持つ」という人たちでなければできないかもしれませんが、「恋愛感情」が結婚して、「家族愛」というものに種類が変わっていくのに対し、「説明のつかない繋がりの愛情」は、あまり形の変わらないものではないか、と思うのです。


昨日、元上司のメールに対し、

「Fさんは穏やかで誰にも温かく接する人であっただけでなく、彼は、自分のことよりも、遺される人たちを気遣う人だったと思います。
Fさんのご冥福を祈ると同時に、癒えることはないですが、ご家族が負った心の傷が少しずつ癒えることを願います。」

と返信しました。

Fさんには、私の息子がお世話になったので、落ち着いたころ、Fさんのお嬢さんと話ができるとよいな、と思っています。

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友人F追悼-1(また逢う日まで)

2023年08月22日 | 友人・知人

友人のFさんが亡くなりました。

彼は、私の若いころの先輩ですが、その職場では一度も同じ部署で働いたことはありませんでした。

後に先輩女性に誘われる形で入部したヨット部でお世話になりますが、彼はそれ以前から何故か親しみを覚える存在。

始まりは帰宅しようと地下鉄の通路を歩いていた時に反対側から、職場に戻る彼と遭遇したことから。Fさんは取引先からもらったJALの『ワールドビューティ』のカレンダーを抱えていたので、「お先に失礼します。ワールドビューティですか?すてきですよね。」と言った私に、「君、好きなの?じゃひとつあげましょう。」

「えっ?○○部(Fさんのその時の所属部)に貰ったものなのに、いいんですか?悪いからいいです。」と断る私に、「うちの部は大丈夫でしょう。」とカレンダーをくれたことからだったと思います。

ヨット部に入部してからは、「穏やかなFさんも、ヨットになると厳しいわよ」と先輩女性に脅かされていましたが、そんなこともなく。(もちろん、ヨットも命に係わる事態もあるので、Fさんも時に厳しくなったとは思います。)

Fさんと仲間で乗ったヨット、ヨットを終えた後の皆での食事など、普段職場ではわからない仲間たちの素顔が見えて楽しかったです。

「映画&芸術鑑賞」にこだわりがあった二人の男性 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

に書いた話の先輩男性はFさん。

これ以外で特に印象にのこったのは、遅い昼食になってしまい、葉山マリーナ至近のチャヤで4名で食事をしたこと。
LA MARÉE (chaya.co.jp)

その時、他に客がいなかったこともあり、お店の店長がバックギャモンを持ってきて教えてくれました。今だと絶対にそういうことはなかっただろう昭和のひと時-、海風が通る薄暗いレストランでの時間。)

Fさんは、”ほとんど泳げないのに海好き”の私を海外の海に目を向けさせてくれた人であり、東南アジアの貧困にも目を向けるきっかけを作ってくれた人でした。

このFさんとのつながりは、私が職場を退職してからは切れてしまっていましたが、ひょんなことからまたつながりました。

それは、私が意見交換をしている友人から彼の名前を聞いたことがきっかけでしたが、20年のブランクを経て、物理的にも精神的にも私のサポートをしてきてくれたFさんでした。(海外の友人たちも、ドーアさんはじめ、アメリカ人、イタリア人、スペイン人の友人もお世話になりました。)

鯨肉について熱くなれないもう一つの理由 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

ティムさんとの夕食会 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

Welcome to Japan, Alien!(ようこそ、外国人(!?)) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

そのFさんのつながりは切れることなど思いつかなかった私に、先々週末の夜遅く、彼から突然のメールが届きました。

内容は、数か月前に発見された病気のこと、そして多分もう数日しか生きられないということ、今までのお礼(私は仲間に配信メールを今も時々送っています。)です。

3年前に脳出血になって退院したとき、「君の家までお見舞いに行く」と言ってくださったFさん。コロナのこともあるし、遠方からの見舞いは断っていましたが、今年の初春から少しずつ遊びに来てもらいようにしているので、最近も仲間に「Fさんと一緒に遊びに来てください」と言っていたところでした。


Fさんが、どうして私に最後のメールをくれたのかー

それは、「配信メール」を続けた私への律義さもあると思いますが、

Fさんが、私が11年前に突然K教授の死を知って酷く傷ついたことを知っているから(苦手な人も少なくなかったK教授を、Fさんは尊敬していました。)ということと、

ある日どこかで・・・ - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

そして、ちょうど彼の病気が発見された時のタイミングで私が書いた

「縁」と「偶然」-1 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

「縁」と「偶然」-2 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

「縁」と「偶然」-番外編 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

を読んでくれていたから、と言うこともあると思います。

Fさんのメールを受け取ってからは私の精神が落ち着かず、奇跡が起こることを願う反面、もし苦しむのなら、それから解放してほしいと願ってきました。

Fさんは旅立ちました。

Fさん、あなたを忘れません。
また逢う日まで、さようなら。

 

『トリコロール三部作』と『ふたりのべロニカ』-1 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

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友人のメール・丸山ワクチンが認可されないのはなぜか

2023年08月11日 | 友人・知人

私の友人から昨夜急にメールが入りました。
春の癌が見つかり、もう長くないとのことで、お礼とお別れのメールでした。


癌治療。たとえ単独では効果がないという報告があっても、日本はどうして丸山ワクチンを認可しないのでしょうか。

父が残した丸山ワクチン 247ミュージック取締役会長・丸山茂夫氏① | 長老の智慧 | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net)

丸山ワクチン - Wikipedia

丸山ワクチン オフィシャルWEBサイト (nms.ac.jp)

Forum for Maruyama Vaccine & Cancer (ssm-cancer.gr.jp)

 

追記:

さっきからまた始まったイヤーワーム。

イヤーワーム(=音楽が勝手に脳内再生) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

今回は「ホルストのジュピター」。これは平原綾香のデビュー曲でよく耳にした曲。

Jupiter - YouTube

改めて検索して歌詞を見ると、こうでした。

平原綾香『Jupiter』が贈る心傷ついた人への5つのメッセージ | 歌詞検索サイト【UtaTen】ふりがな付

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老いない高齢者

2023年08月03日 | 友人・知人

先週、主人の伯母が亡くなりました。

98歳で、2日前まで手紙を書いたりしていたそうです。
背筋がまがることも、痴ほうがはいることもなく、「老人」という言葉が似合わない、美しい人でした。

この伯母のように、90代過ぎても「老いること」を忘れたような人たちが何人かいました(います)。

この伯母とまったくタイプは違うのですが、年齢を重ねても、老いることのなかった高齢の友人のことを書いた記事が、たまたま今日読まれていたので、つい読み返してしまいました。

 

梅ちゃん2 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

先週は梅ちゃんのお誕生日でした。

(『梅ちゃん』は、こちら参照

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20071119

彼女は93歳になりました。

彼女と私は、今はもうときおり電話で話すだけですが、電話からの様子だと彼女は相変わらず活動的-『敬老の日』に高齢者施設で入所者に、保育園で子供達に、と手品を披露したり、そしてコーラスグループでも活躍中。

さて、そんな梅ちゃんから、面白い話を聞きました。

手品では、玉子を筒に入れて何かに変えるものがありますが、冒頭に梅ちゃんは、

「はい皆さん、玉子はあたためると、何になりますか?」と質問するそうです。

昔は決まって「ひよこ!」「にわとり!」という子供達の声が返ってきたそうですが、最近は、「茶碗蒸し」「ゆでたまご」という答えが子供達から返ってくるそうです。

さて、話が変わって、一人暮らしの梅ちゃんを気遣って私が言った言葉、

「一人暮らしってわからないように、男物などの洗濯物などを干しておいてくださいね。」

に対しては、

「昔ね、職場にいた男性が『○○さん、僕の靴とステテコをあげるから、これを干したり、玄関においておきなよ。』って言ってくれたことがあったの。それでそれを干したり、玄関に置いたりしていたら、近所で『○○さんに“オトコ”ができた』って噂が広まっちゃって・・・。すぐ靴もステテコも捨てちゃった。」

「それから、甥が出張の帰りに一晩泊まったときも『若いツバメができたのでは・・』と思った人がいたみたいで参っちゃった。“バアさん”になった今は、そんなこと言われる心配もないんだけどね。」

という返事。

今、都市部ではスーパーで売っている玉子しか知らない子供達がほとんどで、「玉子→あたためる→ひよこ」という発想を素直にもてる子も少ないかもしれません。

私は都会育ちですが、幼稚園のころ「玉子を茹でて、ひよこになったりしていないだろうか」と不安に思って、ゆで卵を剥くこともできないときがありました。

(もっとも、私は「海で鯵の開きはあのままの形で泳いでいる」と思っていたくらいのオオボケものでした。)

ステテコと靴、“ツバメ”に関してですが、(もちろん土地柄もありますが)今は昔ほどご近所にも関心がなくなりました。

変な憶測をもたれた時代、梅ちゃんには煩わしいことではあったと思いますが、これはこれで、無関心がはびこる今より幸せだったのかもしれません。

時代の移り変わりは、こんなちょっとしたことで、実感したりします。

私の2倍近くの歳月の変化を経験してきていて、楽観的な梅ちゃんからすれば、もう変化も慣れっこ。驚くことはあっても、それを楽しむ余裕もあります。

「ファジィに生きること、これが長く楽しい人生を送る秘訣の一つ」、梅ちゃんから、もう一つ教わった気がしました。

(後略)

 

亡くなった伯母は早くに夫を亡くした分(子供4人のうち3人は学生だったと思います。)、友人とは違う苦労があったと思います。

でも、二人とも「強さ」と「しなやかさ」を持っていたという点、好きなことを続けた点、多くの人に愛されたという点が同じでした。

なお、この伯母の息子の一人のことは、こちらに書きました。

オリンピックとノルド・ストリーム2 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

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「映画&芸術鑑賞」にこだわりがあった二人の男性

2023年06月13日 | 友人・知人

芸術~映画の話をしていて思い出したことがあります。

若いころ、職場のヨット部の帰り、先輩男性Fさん、新人男性Oさん、新人女性Sさん、私で、天候のせいだったか、早い時間に東京に戻ってきたことがありました。

新人女性のSさんは私の隣の課に配属されていたのでよく知っていましたが、Oさんは、顔を知っているくらいでその時が話したのが初めてだったと思います。

葉山から東京に帰る電車の中で、

Oさん「僕、バーベキューって言葉が嫌いなんです。」

他の3人「なんで?」「嫌な思い出でもあるの」

Oさん「バーベキューって、「バーべ」というところまで重く力が入るのに、「キュー」でいきなり力が抜けて脱力。これが許せないんです。」

他の3人「・・・」。

 

この後、4人は早く東京に戻ったので、皆で、「せっかくだから何か映画でも見に行きます?どうします?」と相談。

結局面白そう、かつ、4人が見ていない映画がなかったため、映画館には行かなかったんですが、ぼそっとOさんが言いました。

「映画は大好きだけど、基本的に一人で観に行きたいです。特に、二人で観に行くのは嫌です。」

他の3人「えー、映画と言ったらデートの定番じゃない。」

Oさん「もし2人で観に行って、僕がすごく気に入っいて余韻に浸りたいのに、一緒に観に行った相手にとっては「あまり面白くなかった」場合もあれば、僕がつまらないと思った映画を相手がすごく面白いという場合があるでしょ。場の雰囲気を壊さないために、相手に話を合わさなければなる。せっかく観に行って、気を遣うくらいなら、一人で行った方がマシです。」

「そこまで深く悩む必要ある???」

このOさん、神経質な生真面目人間風ではなく、おっとり、何かユーモラスさの漂わせる男性。そうかといって、「受け狙い」をするタイプではありませんでした。

 

2008年にパリに駐在していた元同僚Hをロナルド・ドーアさんに紹介するため、一緒にフィレンツェに行ったことがありました。

フィレンツェで腕を組んで - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

(オマケ:

ストが頻発するドイツ※ブログ引っ越しの際文章後半消滅 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

この時の旅行で、フィレンツェにいる1日半の間は、ほとんど別行動。
このうち1日は私がイタリアの友人たちに会っていたということもありますが、Hが先の後輩男性のOさんと同じようなことを言ったからです。

「美術館はミケランジェロが見たいので、アカデミア美術館に行きたいけど、申し訳ない、僕は美術館は自分のペースでゆっくり観たいので、一人で行ってもよいだろうか?」

私はミケランジェロにはさほど興味もなかったのでもちろんOK。

 

たぶん、私が今まで接してきた人達の中で、「映画館や美術館に一人で行くこと」にこだわったのは、この男性陣2人のみ。

彼らは、おそらく「映画や芸術家から本、レストラン」を人気ランクで選ばないだろうし、「自分の感性」を大事にする人たちなのだろうな、と思います。

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