Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

FT、David Pilling記者のmislead記事

2015年01月30日 | 国際・政治

フィナンシャルタイムズは一流紙とされながらも、傲慢、視野が狭さを隠さずに書いている記事も時々あります。そうしたなかでも、今回のこの非人間的、中傷的、狡猾な記事には強い怒りを感じました。とても『紳士の国』の新聞記事とは思えません。 

彼らは、自分の国の人間が人質になって命がかかっているときに、こんな記事を掲載するのでしょうか、ね。
(人質の命がかかっているときに、自衛隊を海外に送れるようにと相談している日本政府も彼らと変わりないですが。) 

JBpress (2015年1月30日)
イスラム国人質事件、日本外交の転換点か
(FT,  David Pilling)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42806

人質がらみのところは、取り上げる気になりませんが、 日本の外交について描いてある部分を抜粋します。

「日本政府が長年、国際舞台で自国を中立な国として演出しようとしてきた後で、安倍氏は立場を明確にする方向へ日本を突き動かそうとしている。第2次世界大戦以降、日本は想像力豊かに「全方位外交」と名付けられたものを追求してきた。 

 ありていに言えば、全方位外交は、すべての人の友人であるふりをしながら、自国の経済的利益を追求することを意味した。その間、日本を防衛する危険な仕事は米国にアウトソースされた。 

全方位外交にも用途はあった。例えば1973年には、日本の外交官らはオイルショックの破滅的な原油禁輸措置に直面し、日本政府をアラブ世界の友人として打ち出すことで、ヨム・キプル戦争(第4次中東戦争)でイスラエルを支持する米国と距離を置いた。すると、原油が再び日本に流れ込んだ。 

 今から10年前、日本政府はイランで似たようなカードを切った。日本はイラン政府に熱心に働きかけ、巨大なアザデガン油田の権益を獲得した。ただ、この時は、制裁の名の下に、米国政府によって合意を帳消しにされた。」 

ここには、「日本は想像力豊かに「全方位外交型」と名付けられたものを追及してきた」と書いてありますが、日本は「全方位外交型」は実現することができず、「米英向き(いや、従属)外交型」です。
(アザデガン油田も日本は大金をつぎ込んできたのに、アメリカの一言で諦めさせられました。アメリカからは何の保障もされません。) 

また、確かに日本の中東政策は「石油のために中立」という面がありましたが(田中角栄が、アメリカにイスラエル側につくように言われましたが、Noと言いました。)、それと同時に、日本には宗教関係の争いには首を突っ込む気がないし、そもそもイスラエルを積極的に応援する気もない(=英米の二枚舌外交のツケ、植民地のツケも日本はないし、石油利権のため難癖をつけて爆撃して敵をつくるようなことを日本はしてこなかった。)、という部分もあります。 

小泉政権のときからこの「中立」が崩れ、今、安倍政権で完全米英イスラエル寄りになろうとしているのは、彼らに(この記者なみに)想像力が欠如しているからだと思います。

なお、 記者は、(日本が)「すべての人の友人であるふりをしながら、自国の経済的利益を追及してきた」と書いていますが、「都合の良い時だけ友人と言ったり、自分の利益にならない国を「敵」としながら、自国の経済的利益を追求してきて、尻拭いを”友人”に手伝わせる国の人間」には言われたくないです。

・・・まあ、この記事は、読者をmisleadするために、意図的に書かれたものなのかもしれませんけどね。

追記:Pilling記者(元東京支局長、現アジア編集長)は、2002(2001末?)から2008年まで日本に滞在、昨年末、本(『日本ー喪失と再起の物語』)を出版しています。

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『新文化破壊種』=『イスラム教徒』という発想を持つ欧米、イスラエルを批判しないISIS

2015年01月27日 | 国際・政治

数年前、ドイツの友人とユダヤ人問題について話したことがありましたが、彼女は、
「皮肉なことに、第二次世界大戦前、ユダヤ人にとってはまだ居心地がよかった西欧の国が、ドイツ。それで、ドイツ国内にユダヤ人が増え、不況のドイツ人の不満を招いてしまった面も」
というようなことを言いました。 

彼女はクリスチャンですが、息子さんは、(兵役のかわりか、)イスラエルの福祉施設でボランティアをした経験があり、彼女自身もその息子を訪ねて、イスラエル旅行もしてきた人です。

彼女とは、
「ただナチスの犯罪を追及するだけでなく、ドイツ人のみならず、他の国も一緒に、ユダヤ人迫害がおこったメカニズムを検証し、歯車が狂いだした時点にきちんと目を向ける必要がある」
というようなことで、意見が一致しました。 

ところで、ヒトラーは、『我が闘争』の中で、「世界には3種の人種がいる」と書きました。 

それは、
一等種(文化創造種)・・・アーリア民族
二等種(文化追従種)・・・日本人含む他民族
三等種(文化破壊種)・・・ユダヤ人 

現在、西側世界では、「文化破壊者」は「ユダヤ人」ならぬ、「イスラム教徒」という図式ができあがりつつあります。 

今はまだ、口では「いや、一般のイスラム教徒は関係ない。イスラム教徒のテロリスト集団が問題」という人が多いとしても、シャルリ・エブドの風刺画でも、テロとは関係のない、モスクが放火されたり、発砲されたりしました。 

ちなみに、このモスク襲撃は、「テロ」「報復」(=破壊)とも呼ばれません。 

これは、2011年7月に、ノルウェーで、キリスト教原理主義者のノルウェー人が、「イスラムが西欧を乗っ取ろうとしているのを防ぐためだ」と言って、銃を乱射して70名近くのノルウェー人の若者を射殺した事件に、「テロ」という言葉を、西側諸国が使わなかったのと同じ。 

(この事件について、The Long Waitさんが詳しく書いてくださっています。

オスロ・テロリズム:犯人は多文化主義のノルウェー人極右
http://knagayama.net/blog/2011/07/26/oslo-terrorism-anti-multiculturalism/


抜粋: 

「日本の報道機関は多く「テロ」と名指して報道しているが、英語で手に入る情報は多くが「ノルウェー銃撃事件 Norway shooting」や「ノルウェー攻撃 Norway attacks」という名称を利用している。当初は英語のものも「テロ」として報道されていたことを考えると、これは非常に興味深い現象である。少し穿った見方をすれば、「ムスリムが行えば彼はテロリストだが、白人が行えば彼は銃撃犯と呼ばれる」ということである。」 ) 

ナチス時代、多くのユダヤ人たちは殺されましたが、その代償として、ユダヤのシオニストたちがイスラエルに建国しました。 

ISISは、排除される前に暴力によって、建国を始めました。
(彼らがイスラエルを批判しているのを聞いたことがないのですが、これは彼らが自分達が「自分達の国」を作り上げている点で、イスラエルと一緒だと思っているせいでしょうか。)

イスラム過激派の暴虐ぶりは当然許されたものではありませんが、なぜか彼らに吸い寄せられていく者たち(もともとイスラム教徒でなかった者も)は増え続けています。

これは、西側諸国が自分達が「文化破壊種」というものを作り出し、ただ自己の「正義」を唱え続けていることも一因となっている気がします。 

追記: 

昨夜、マレーシアに住む友人から、 
「今朝、在コタキナバル領事事務所からメールがありました。27,28日の両日ASEAN外相非公式会合が開かれ、マスコミを含めて大勢が集まる。地元警察が650名態勢で警戒にあたることになっているけれどもサバ州在住の邦人は身の安全には充分に気をつけるように、という内容でした。」 
と教えてもらいました。 

個人的には、今回の人質事件がなくとも、領事館は注意勧告を出していたと思いますが、今までだったら、こうしたメールが届いても、「世界の要人が来るのだから、テロ画怒る可能性もある。気を付けよう」程度にしか思わなかっただろう在マレーシアの邦人が、「もしかしたら、自分達がテロの標的になるかもしれない」と思うようになってしまう。 

この辺を、安倍首相や政権は、わかっているのでしょうか。 

前に、中東に向かう企業戦士の危険を考えない、安倍外交について批判しましたが、彼らだけでなく、中東はもちろん、国外に住む邦人をも危険に追い込みました。

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日本のイスラム国人質事件の国民の反応が欧米と違う理由

2015年01月26日 | 国際・政治

イスラム国での人質事件ですが、欧米人には、
「日本はなぜ、イスラム国ではなくて、人質本人の責任や、政府のミスを責める人がいるのか。責めるべきは、イスラム国ではないか」
という意見を持つ人がほとんどではないかと思います。 

シャルリ・エブド事件のときから「イスラム(※イスラム国やテロリストだけを差していない)は欧州だけでなく、資源がある国を狙っている」と彼女のカトリックの仲間の間で常識となっている意見を押し付けようとした欧州人の友人は、私がその意見に見向きもしない上に、「私たちの会話は、「ライシテ(宗教的主観の混じった意見不可)」にしてください」と言ったので、消化不良。 

このことがあったので私はイスラムが絡むこの事件について、彼女と話題にするのは避けていましたが、彼女の方からイスラム国人質事件お見舞いの言葉と「一致団結」を願うメールが届きました(イスラム国から2度目の画像とメッセージが届く前)。 

私はこの彼女のメールの「一致団結」という部分に、「テロとの戦い」を感じとってしまったので、彼女にお礼を言いながらも、(他の海外の友人達二人と話していた)この事件に対する背景および、日本人の反応が、欧米のイスラム関係の人質事件と違っていることを説明。 

すると、
「説明ありがとう。私は、言いたいことがあるけど、友情を壊さないために口をつぐむわ。日本にとって、良い結果になりますように。」
と返事。 

まあ、これには正直うんざりで、相手が彼女でなければ、もう「メールお断り」をしたかもしれません。

しかし、冒頭に書いたとおり、彼女でなくても「なぜ、テロリストより誘拐された人や、政府を責める人達がたくさんいるの?」と日本人を理解できない人はたくさんいるわけです。 

人質とテロリストの写った画面でコラージュコンテストをして、その画像をイスラム国に送るような輩がいた日本。

事件で危険にさらされている人命もイスラム国も、彼らにとってはバーチャル世界の中のこと。中には「事件やテロが他人事」「良いとは思わないけど、イスラム国に対し強い憎悪をもっていない」という人達もいたのでしょう。
 (もしかしたら、「オタク文化はイスラム国にも理解される。相手を懐柔させよう」「政府は「イスラム国と連絡がとれない」と言っているけど、俺たちとってるよ」というつもりでやった人もいるのかもしれませんが、可能性は極めて低いと思います。)

そして、イスラム国に人質がいるのを無視して(隠して)セールスを強行、そして勇ましいスピーチでイスラム国を刺激してきた首相。 

ハッフィントン・ポスト(2015年1月24日)
【イスラム国】低かった人質事件への警戒度、難しい政府の身代金判断
(ロイター記事)
http://www.huffingtonpost.jp/2015/01/24/islam-hostage_n_6539910.html?utm_hp_ref=japan 

(抜粋) 

そもそも、政府に重大な事件が発生する危険性があるとの認識はあったのか──。1月16日からの安倍首相の中東歴訪を前に、首相と菅義偉官房長官、岸田文雄外相、中谷元防衛相が参加した関係閣僚会議が開催された。議論の中身は「極秘」とされたが、ある関係筋は「拘束されている日本人について、そこでは何も話が出なかった」と証言する。 

また、首相歴訪先にアラブ諸国の多くと対立するイスラエルが含まれており、拘束されている日本人2人に影響が出るかどうかについて、2人が拘束されていることは認識していたが「首相歴訪前に、拘束されている日本人について、議論した記憶はない」と述べた。 

政府は昨年8月の段階で、湯川さんがシリア国内で拘束されたことを確認。後藤さんが出国してシリアに向った後、音信が途絶していたことを昨年12月までには認識していた。 

そして、首相は人質事件の真っ最中に、企業連合会の新年会に出席していますが・・・これは、普通のことなんでしょうか。

首相官邸HP
「新経済連盟」新年会
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/actions/201501/22sinkeiren.html 

平成27年1月22日、安倍総理は都内で、「新経済連盟」新年会に出席しました。 

上記の欧米人の質問に答えるべく、中東外交政策の歴史や、イスラムに対する日本の中立性の説明するだけでは、彼らの納得を得ることは難しいでしょうが、このコラージュコンテストをしているようなtwitter userと安倍首相の平和ボケ.無責任ぶりの話も一緒にすれば、彼らは国民の怒りの矛先が「イスラム国」だけに向いていないことを、理解してくれそうです。 

後藤氏の解放を心から願っています。 

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中東に送られる企業戦士たちの安全にも無関心な安倍首相

2015年01月24日 | 国際・政治

イスラム国の人質事件、期限の72時間が過ぎました。
この事件についての憶測は、ご家族のことを思うと書くべきではないと思うのですが、ただ、疑問に思うことを。 

湯川氏の拉致はイスラム国が送りつけた動画で広まったので隠すことはできませんでしたが、後藤氏がイスラム国に拉致されたことは日本政府は昨年知っていたにもかかわらず、国民には知らせませんでした。 

これは、「人質の安全」を考えてのことだと言わればその通りなのですが、しかし、人質の身の安全を考えているのなら、イスラム国に人質がいると知りながら安倍首相がイスラエルを含む中東4カ国にでかけ、「テロと戦う」と勇ましいことを言ってきたことが解せません。 

1月21日の『安倍首相の中東カモネギ外交がイスラム国を刺激』
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/cb71e4e7d0f132b0fba0f0cc003865e1


なお、この人質事件はおいておいても、この中東支援をすることで、日本の技術者、融資関係者等が、イスラエルを含む中東の国に行かされるようになるわけですから、彼らや彼らの家族はたまりません。しかも、安倍首相は、無責任にわざわざ日本人を危険に陥れることをアピールしまくっているわけです。 

と私は書きましたが、安倍首相や政府は口では「人命第一」というものの、「国民の犠牲」にはあまり関心がないということではないでしょうか。 

湾岸戦争のとき、私は中東に関わる仕事をする課で働いていました。
この戦争が始まるか始まらないか、というとき、一人の課員が、中東の某国への出張を持ちかけられました。 

彼は普段冗談ばかりいっているような人でしたが、この話を持ち掛けられたとき(残業時間でした)は血相を変え、上司たちに向かって、「自分には、妻も子供もいるんです。自分に何かあったら、責任をとってもらえるんですか!」と、(口調は冗談っぽく、でも必死で)大演説をしました。 

この出張話は、彼の演説が功を奏したのか、単に行く必要がなくなったのか、立ち消えになりましたが、今の時代、企業戦士たちがこの同僚男性と同じことができるでしょうか。
(いや、当時でも、私のいた職場は特殊だったでしょう。) 

安倍首相は、今回中東に行って、

「・・・E-Justにとって便利で、有望な産業立地とも近いボルグ・エル・アラブ(Borg El-Arab)国際空港の拡張を、お手伝いします。電力網の整備とあわせ、3億6000万ドルの円借款を提供します。 

 カイロ地下鉄など交通インフラや、再生可能エネルギー、火力発電に、日本は最先端の、環境に優しい技術を提供します。エジプト発展の、一助となるため、ひいては、中東全体に安定の基礎を広げていくためです。」 

「 パレスチナでは、保健医療、水道整備や西岸とガザの難民支援など、民生安定に役立つ施策を明らかにします。

 イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します。・・・」 

と約束してきて、イスラエルとは、今年度中に、投資協定締結の話まで取り付けてきています。
彼が中東でしてきたことはつまりはセールスですが、それで多くの日本人がこの地に行くことになることはわかっているのに、わざわざイスラム国を刺激することを言ってくる。 

政府はセールスも行って、外交上もプラスになるとご満悦だったでしょうが、その地で働くことになるのは、首相でも、首相のスピーチ原稿を書いた人でも、同行した企業上層部の人間でもありません。
一般の日本人です。彼らの安全は、国の方針や言動により大きく左右されます。 

また、イスラム国の人質事件の政府の対応を見ていて、
「発表していないけど、わかっている事実があるのではないか?」
「他にも人質になっている日本人がいるのではないか。それを政府は知っていて隠しているのではないか?」
と訝しく思えてきていることもあり、 首相や政府が発表する言葉に、虚しさを感じます。

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イランのハメネイ師のメッセージ、憎しみより理解を

2015年01月23日 | 国際・政治

今朝の東京新聞から:

東京新聞(2015年1月23日)
イスラムへの偏見解消へメッセージ
イラン最高指導者 

[テヘラン=共同] イランの最高指導者ハメネイ師は、フランスで起きた連続テロ事件を契機にイスラム教を理解し偏見を解消するよう欧米の若者に呼び掛けるメッセージを出した。 

ハメネイ師が特定の事件に関して外国人に向けたメッセージを発表するのは異例。今回は強い欧米批判を避けており、反イスラム感情の高まりへの懸念をにじませている。 

事件を機に「欧米の若者に直接語りかけることを決意した」というハメネイ師は、欧米ではイスラムを「恐ろしい敵」と位置づける試みが長く続いてきたと指摘。「テロリストをイスラムの代表者と捉えないでほしい」と訴えた。 

その上で、偏見を捨てて聖典コーランなどから直接知識を得て、イスラムがどのような価値観が恐怖に値するのかを考えてほしいと訴えた。 

ハメネイ師はシーア派の聖職者です。イスラム国やイラクの元フセイン大統領などはスンニ派(イラク全体ではシーアは過半数を占めていました。)。 

単純に「シーア派=原理主義的、過激」というのが非イスラムの私たちのイメージにありますが、実際の宗教的厳密さ(一般的にスンニ派のほうが戒律が緩いとされていたので、シャルリ・エブドの風刺画に強く反応するのは、シーア派の方というイメージがあったのではないかと思います。)は会派によっても違うようです。

さて、イスラムですが、シャルリ・エブド事件のときに欧州のカトリックの友人が言っていた、ユーラビア(欧州のイスラム支配)の話から、昔2度訪れた、インド洋に浮かぶモルディブ共和国のことを考えていました。 

私が行った80年代のガイドブックには、「モルディブ共和国は、もともとは仏教の国だったのが12世紀以降に国全体がイスラム教に改宗された」というようなことが書いてありました。 

(最近は、「元仏教国」という話が「一つの説」になっているようではあります。
ウィキペディア
モルディブの文化
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%96%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96 ) 

国が宗教改革をするとき、多くの血が流れると言うのは、歴史を見れば歴然ですが、モルディブにはそれがなく、そして国民すべてが一つの宗教を信じ(断食などの戒律は守りつつも、それは鷹揚だからか。)、平和的、であるということは、私にはとても興味深く感じます。 

それは、モルディブが、資源もないし、土地といっても数千の小さな島の集まりであるということから、「この国を支配しよう」とかいう外敵も、「自分が天下を取る」という野心家も、近年までモルディブにはいなかったせいでもあるのでしょうが。(数年前に政治的混乱がありました。) 

それとは違って、資源や豊な土地を持った国では、争いが絶えることがありません。 

欧州の友人の言葉をもう一度借りれば、彼女は「イスラム達が、自分達の国を狙っている」という他に、「20世紀までは戦争は文明を発展させるために必要悪だった。けど、21世紀からは違う」というのもありましたが、これイスラムと西欧の対決を起こしている原因になっているのではないか、と思います。 

つまり、中東の過激派のイスラム教徒も、穏健なイスラム教徒も、「我らの土地を奪っていたり、今も実質支配している人達に言われたくない。勝ち逃げか?」という気持ちがあるのではないか、と非西洋人の私は考えてしまうのです。 

昨年の夏、来日中のD氏を訪問したときに、彼が、
「昔は日本人のなかで、「戦争に負けてよかった」と言う人が主流だったのに。」とちらりと言いました。これは、「戦争に勝っていたら、日本の軍国主義は終わらなかったし、民主化もおこらなかった」という意味で、この時一緒にいた私より少し年上の友人が、「そうですね。口にする人は今はいなくなりましたね。」と頷きました。 

これを聞いた時私は、
「戦前の日本が続くことは当然いけないにしても、「戦争に負けてよかった」と口にする世界というのも、抵抗がありますけどね。無益な戦争で家族を失った人には聞かせたくないし。」
というようなことを言ったのですが、今は、「日本は戦争に負けてよかった」という気持ちがわいています。(今も口には出す気にはなりません。) 

ただし、これはD氏が差していた理由(こちらの方は、若干日本はあやしくなってきています。)だけではなく、日本が負けたことで、世界の国々の植民地が独立するきっかけを作ったこともあってです。 

それは、「日本は微力であっても、欧米とは違ったアプローチができる国」ということの再発見でもありました。 

欧米は、中東のイスラム国を非難し続けてきましたが、自分達の国が過去に彼らにしてきたことについての反省の言葉はありません。 

イスラム国はもちろん非道でこれを擁護しようとは思いませんが、100年くらい前から現代によみがえったような彼らとしては、欧米の列強がしてきたことと同じことをしようとしているだけではないでしょうか。 

「普通の国」となることが「欧米と足並みをそろえる」ことであれば、私には「普通の国」になる必要が日本にはあると思えません。 

さて、話が飛躍しすぎました。
元のハネメイ師の呼びかけの記事に話を戻せば、これがとても印象に残ったのは、欧米と敵対されてきたイランの最高指導者が憎しみの連鎖を断ち切って、冷静になり、理解をすることを呼び掛けたからです。 

これは、若者だけにではなく、実は世界の指導者に向けたものであったのではないかと思います。 

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中田考氏と常岡浩介氏が「イスラム国と交渉できます」と表明、一刻も早く要請を!

2015年01月21日 | 国際・政治

イスラム国の人質事件について、友人と意見交換をしていた最後に、
「中田考氏が、何か助けてくれるとよいのにね」
と私が言うと、友人も、

「そう、それは僕も考えた。公安にマークされた人間に政府が頼みに行くというのもある意味滑稽な感じもするけど、本当に救出の道を探る気があるなら、一番に取るべき策かも知れないね。」
と返しました。 

(中田氏については、『本能を失いつつある現代人』
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/14a660604d784dff8118e8d1370c87e9
に書きましたが、「(彼は)変人ではあるけど危ない人物ではない」と、今も私は信じています。) 

同じように考えた人は少なくないと思いますが、本人も相棒(?)もその気でいるようです。 

これは、中田氏ではなく、ジャーナリストの常岡氏の表明を記事にしたものですが、一刻も早く、政府も警察も彼らに協力を要請してほしいと思います。 

ハフィントン・ポスト(2015年1月21日)
「イスラム国と交渉ができます」 常岡浩介さんネットで表明http://www.huffingtonpost.jp/2015/01/21/kosuke-tsuneoka_n_6513242.html?utm_hp_ref=japan 

(フリージャーナリストの常岡浩介さんのGoogle+の文より:) 

私とハサン中田考先生はイスラム国と交渉が出来ます。が、イスラム国側の連絡先情報を警察がおさえた今、盗聴、発信元探知などで相手方に危険が及ぶ可能性があり、現地に連絡を試みることができていません。

日本政府がオマル・グラバ司令官の身柄の安全を保証し、私とハサン先生を交渉人として認めてくれれば、私たちは湯川さん、後藤さんの解放をイスラム国に直接、訴えることができます。日本の拠出する2億ドルはあくまで人道支援目的に限定されたもので、イスラム国を軍事攻撃するためのものではないと説明できます。さらに、イスラム国側が安倍総理の対中東政策をもって、日本人人質を処刑するのは不当、不適切だと説明します。

オマル・グラバ司令官の説明では、去年の8月から10月にかけて、イスラム国は湯川さんを処刑したり、身代金を要求する意志がないことを明言していました。今回、その方針が変わった理由を問い質します。

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安倍首相の中東カモネギ外交がイスラム国を刺激

2015年01月21日 | 国際・政治

シャルリ・エブド事件は、過激派でないイスラム教徒に対する嫌がらせで、イスラム過激派を怒らせ、イスラム過激派を刺激しました。(私は、シャルリ・エブドを襲撃した犯人二人については、実際の報道と違う部分もあるのではないかと、若干懐疑的です。) 

そして、今回、イスラム国が日本人の人質を取って、2億ドルを請求している事件ですが、この事件のきっかけとなったものが、安倍首相の個人的野望も絡んでいそうな、中東外交、そしてスピーチ。 

日刊ゲンダイ
バラマキの安倍外交…中東4カ国歴訪で2940億円をポン
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/156513 

先週16日から20日までエジプト、ヨルダン、イスラエル、パレスチナの中東4カ国を歴訪している安倍首相。いつものことだが、また訪問する国々で景気よくカネをばらまいている。 

 エジプトに430億円、ヨルダンに147億円……と、中東に総額25億ドル(約2940億円)ものカネを援助すると表明した。もちろん、すべて国民の税金である。

 しかし、いま中東に行く緊急性はなにもないはずだ。

「安倍首相は、イスラエルとパレスチナに“和平交渉”の再開を呼びかける予定ですが、アメリカが働きかけても進まないのに、日本が呼びかけて和平交渉が進むはずがない。日本は中東4カ国と切羽詰まった外交案件を抱えているわけでもない。外交が大好きな安倍首相が、外務省をせっついて日程を組ませたのが実態です」(外務省事情通) 

(後略) 

「2940億円をポン」と言っても、無償援助ではない限り、低利率の利息を加えて付きで一応日本には返ってくることになっているので、この表現は正しいとは言えませんが、それでも、これが、イスラム国を刺激したことは確かでしょう。 

しかも、中立を保つべきイスラエルにさえ、(テロを引き起こす原因となっているイスラエルに対しあたかもイスラエルが被害者でもあるかのように)「テロの撲滅を目指そうね」と言いながら、「今年中に投資協定を結ぼう。」と約束をしたり。  

日本経済新聞 (2015年1月19日)
投資協定の年内締結で一致 日イスラエル首脳会談http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS19H7U_Z10C15A1MM8000/ 

時事通信(2015年1月19日)
安倍首相、中東和平に積極関与=日・イスラエル首脳会談
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201501/2015011900834&g=pol 

安倍首相の関心は、商売と、日本(=自分)の世界での地位の向上でしょう。
(昨年末の英国誌エコノミストの増刊号の表紙には世界のリーダーが勢ぞろいしているのに、安倍首相の姿が消えているそうです。これは、衆議院選挙が年末だったせいだと私は思いますが、安倍首相は地団駄踏んだことでしょう。
カレイド・スコープ
安倍晋三首相だけが消えた・・・
http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-3293.html) 

ところで、そんなイスラム国ですが、彼らがここまで勢力をもってしまったのは、彼らの敵でもあった、フセイン、カデフィの死、そしてシリアのアサド、エジプトのムバラクという中東のリーダー達がいなくなったことから。欧米は「中東を民主化」のもとに支援。フセインはアメリカが裁判もなしに処刑。
これを、当然イスラエルは喜びました。 

こうして力を増したイスラム国に欧米や中東諸国が脅かされているのが現状ですが、そこに「のこのこ商売と売名行為をしようと安倍がネギをしょって中東へやってきた」と、イスラム国は思ったのでしょうか。 

イスラム国に囚われたうち、湯川氏については何とも言えませんが、彼を助けにいったジャーナリストの後藤氏(熱心なクリスチャンで、聖書を持ち歩いていたらしいですね。この辺が微妙ですが。)が、イスラム国につかまることはあっても、安倍外交や、イスラム国を刺激するスピーチがなければ、命まで脅かされることはなかったのでは、と思ってしまいます。
(あの映像の湯川氏はやせ細ってはいませんでした。)

今回の中東外交での各国への約束を白紙にすればイスラム国が軟化するかもしれない…という期待も無きにしも非ずですが、まず、安倍政権がそうすることはないでしょう。

なお、この人質事件はおいておいても、この中東支援をすることで、日本の技術者、融資関係者等が、イスラエルを含む中東の国に行かされるようになるわけですから、彼らや彼らの家族はたまりません。しかも、安倍首相は、無責任にわざわざ日本人を危険に陥れることをアピールしまくっているわけです。

ここまで無責任な首相は、アルジェリアの事件も忘れていることでしょう。(アルジェリアの事件のとき、外務省が避難勧告を出していなかったのと同じくらい無責任。)

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"Freedom" for the world! Proceeds of the 7 million copies for Charlie Hebdo!?

2015年01月19日 | 国際・政治

私が17日の書いた『シャルリ・エブド事件とライシテ』
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/d2a6634c148d8f90d4c260077c94a586
に、友人Tがライシテについて言及したことを書きました。 

彼にそれを読んでもらったところ、 

「・・・特に日本では内容の良し悪しに関心が移りがちで、他人の宗教をいたずらに冒瀆するのも良くない、という話になるけど(もちろん、それ自体はその通りだと思う)、当の発行者や、一部の擁護者にしてみれば、これはまさに「ムキになる方がおかしい」、だってそうならないことで今のフランスの自由があるのだから、と真面目に考えているのではないかとすら感じるんだ。(繰り返しになるけど、だからといって、ああいうものを描いて広めるのが良いこととは思わない。)」 

とのことでした。

ちょうど今日のハフィントンポストに、シャルリ・エブドの新編集長のインタビュー記事がありましたが、 

ハフィントン・ポスト(2015年1月19日)
「シャルリー・エブド」新編集長、「風刺画を掲載しないメディアは民主主義をうやむやにしている」
http://www.huffingtonpost.jp/2015/01/18/charlie-hebdo-cartoons_n_6498252.html?utm_hp_ref=japan
 

1月19日、フランスの風刺新聞「シャルリー・エブド」編集長のジェラール・ビヤール氏は、7日の襲撃事件以降、物議を醸している同紙の風刺画の掲載を拒んだ欧米各紙を糾弾した。 

「この漫画は単なる挿絵ではありません。象徴です。言論の自由、宗教の自由、そして民主主義と世俗主義の自由の象徴なのです」。ビヤール氏は19日、アメリカNBCの討論番組「ミート・ザ・プレス」で述べた。「彼らがこの漫画の掲載を拒むということは、この漫画の意味を曖昧にしているということになります。掲載を拒むということはつまり、民主主義をうやむやにしているということになるのです」。 

(中略) 

ビヤール氏は19日、「ムハンマドの漫画を描くたび、預言者の漫画を描くたび、神の漫画を描くたびに、私たちは宗教の自由を擁護しているのです」と述べた。「それは言論の自由でもあります。宗教は政治的な争点となるべきではありません」。 

ビヤール氏のコメントは、教皇フランシスコが挑発的な漫画を公表した「シャルリー・エブド」の判断を批判したことを受けてのものだ。教皇の批判には、預言者を描写することで同紙がやり過ぎたというニュアンスが含まれていた。 

教皇フランシスコは15日、「挑発することはできません。他者の信じるものを侮辱することはできません。そして信仰を茶化すことはできません」と述べた。 

しかし、ビヤール氏は、教皇の勧告に従うことは危険な先例となりかねないと述べた。

「私たちは誰も殺しません。殺人者と犠牲者を一緒にしてはなりません。書く人、あるいは描く人が挑発者で、火にガスを投げ込んでいると断じるのは止めるべきです。考える者とアーティストを殺人者と同じカテゴリに分類すべきではないのです」。 

(後略)  

Tのお見立てどおりなのか、教皇の言葉への反論のためか、シャルリ・エブドの新編集長は「ライシテ」を盾に使いだしました。(次週、教皇を冒涜する風刺画を描いたら本心かも。でも、2008年にサルコジの息子のユダヤ系のお嫁さんをからかう風刺画を描いた漫画家を「反ユダヤ主義」と言って解雇した同社ですから、強い相手は敵に回さないでしょうね。) 

そうであっても、これが本音だろうと建て前だろうと、シャルリ・エブドが、大金を手にしたのは確かです。現在までの最新号の発行部部は700万部。仮に一部を2ユーロくらいで売っていたとしても、売上金は14億ユーロ。この金額から見るとはした金ですが、フランス政府がシャルリ・エブドに100万ユーロを与えたという話も聞きました。 

今後も、シャルリ・エブドを買い続ける人達もいるでしょうから、彼らの売上高は、休刊していた頃があったのが嘘のような金額をはじき出すでしょう。 

こうした収益の多くを、彼らが貧しい移民(イスラム教徒多数)のために寄付するなどしたらば、ほんの少しは彼らの「自由への救世主的言動」も信じることができるかもしれませんが、彼らは「お金はお金」と言いそうです。 

なお、新編集長は「私たちは誰も殺しません」と言っていますが、彼らの風刺画が物理的、直接的には人を殺さなかったとしても、17人の被害者+、担当警察署長、そして、アフリカや中近東の抗議デモ、暴動で、亡くなっている人達は、「シャルリ・エブド」に間接的に殺されたのだと、私は思います。

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『ユーラビア(Eurabia)』という論考を信じる人々

2015年01月18日 | 国際・政治

シャルリ・エブドの事件の後で、海外の友人達と「言論の自由」について話していたとき、その質問の答えではなくイスラムの脅威だけを書き綴ってきたカトリックの欧州人の友人の話を、以前書きました。 

彼女が主張していたことこそが、Bat Ye'or
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AB
 
の『ユーラビア(Eurabia)』でした。

 この『ユーラピア』の説明と、反論を書いた記事がありましたので、貼り付けます。 

ル・モンド・ディプロマティーク(2014年5月号)
『ユーラビア』、あるいは、怪しげな論考の大きな波紋
「アラブ=イスラムによる侵略」という神話
By ラファエル・リオジィエ
http://www.diplo.jp/articles14/1405eurabia.html 

(前略) 

「アラブ=イスラム文化は、旧大陸をいわば『壊疽』状態に追い込み、その後征服することになるだろう」。バト・イェオールはこう断言している。彼女が数十年の成長後、2005年にアメリカで出版したベストセラー『ユーラビア』の骨子は、黙示録的な予言で出来ている。 

(中略) 

ノルウェーの極右殺人者、アンネシュ・ベーリング・ブライヴィーク[2011年7月22日にノルウェーで発生した連続テロ事件の容疑者――訳注]は声明文にバト・イェオールの次の言葉を引用した。「アラブ=イスラム世界の狙いはヨーロッパである。退廃的でモラルに欠けたヨーロッパを手中に収めている最中なのだ。雨あられとつぎ込まれるオイルダラーと引き替えにヨーロッパが与えたのは、パレスチナに対する永続的支持と地中海沿岸国の国境開放、そしてイスラム教の容認であった」。 

(中略) 

『ユーラビア』説を支持する政党は、選挙で好成績を挙げた。ヨーロッパ大陸では「スイス国民党」、ノルウェーの「進歩党」、「オーストリア自由党」が『ユーラビア』説を支持し、海峡を越えれば「イギリス独立党」が支持している。インテリ層の中にも『ユーラビア』説を信奉する者は存在し、中には公然と支持する者もいる。 

(中略) 

『ユーラビア』という筋書きは空想的ではあるものの、絶えず影響を及ぼしている。イスラムの陰謀という幻影は「文化の保護」という新たな論理を生み、育んでいる(「先祖代々」のヨーロッパ人の「価値観」と「ライフスタイル」を保護する必要があるのは、ありとあらゆる民族的・文化的マイノリティーに侵略されているせいだ)。中でもイスラム教徒は、人々を震撼させるには打ってつけだ。『ユーラビア』神話のお蔭で、客観的に見て極右に属するヨーロッパの政党は、左派・右派の垣根を越えたと主張できる。彼らは自らの価値観を、自由・革新・民主主義・独立・寛容・政教分離の擁護者のごとくでっち上げて自己を示し、通常の選挙支持者を越える支持を集めようとしているのである。 

実のところ、私の友人は、「イスラムは、我が国の土地の一部を自分のものだと歴史を歪曲して主張し、欧州だけでなく、アメリカ、カナダ、オーストラリアはテロを起こして経済的ダメージを与え、資源のあるメキシコやアフリカも、狙っている」と信じて疑わないようです。 

彼女は堅い仕事を持つ教養がある女性なのですが、彼女と同じ考え方をもつ友人(カトリック)達と不安を分かち合っているようでした。 

日本で、「中国が日本を(物理的and/or経済面で)乗っ取ろうとしている」と恐れる人がいて、日本のなかに中国脅威論が日本を覆っているのを思い起こさせます。

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シャルリ・エブド事件とライシテ

2015年01月17日 | 国際・政治

大学時代、聖書研究会に在籍していて(クリスチャンではありません。)、仕事でパリに住んでいたことがある友人Tが、
「「ライシテ(政教分離)」-自分が見ている範囲では、日本でこれとシャルリ・エブド襲撃事件の関係に触れていたところはないようだけど・・・」
と言いました。 

私は、
「ライシテは、(公共の場所でのブルカ着用を禁じた時と違って、)今回はあまり関係がないのでは?
裸のムハンマドがおしりを向けて四つん這いになっている姿の絵など、公衆便所の落書き並の絵を描き続けたシャルリ・エブドとライシテは、少なくとも関連付けられないし・・・。今フランスで叫ばれている「言論の自由」「テロとの戦争」と、どう関連づけるの?」
と彼に質問しました。 

Tは、
「そりゃ、風刺画の内容をライシテで正当化できるとは思わないけど、日本の報道機関にライシテへの言及がないので、日本では浸透していないのだろうな…と思ったまで。」
と言って、この話は終わりました。 

しかし改めて考えれば、ライシテは「規制」。先に触れたブルカの件ですと、「クリスチャンが十字架のペンダントを身に着けるのも同じように禁じているのだから、イスラム教徒の女子学生もブルカやスカーフを学校や公共の場所で被るのも禁止」というのがあるわけです。

これは一応「イスラム教に対する嫌がらせ」ではないとし、ライシテ自体は、フランス革命からの反省が元となったもので、そこには「対立を起こさないための規制」という面もあるらしいです。 

そう考えると、
「ライシテを受け入れているフランス人が、対立を煽る、行き過ぎた風刺画(いや、ヘイト画)をあれほど擁護するのはなぜか?」
という疑問が浮かんできます。

他にも、たとえば、私以外にも多くの日本人が「なぜ、あの絵が「言論の自由」の象徴なのだ?」と考えるけれど、フランス人には、「宗教は宗教、風刺画は風刺画。ムキになる方がおかしい。嫌なら無視しろ。」と考える人もいるでしょうし、「ライシテで神(キリスト)を信じる者が減った。周りはイスラム教徒ばかり」「イスラム教徒はフランスに住みながら、ライシテを守らない。ならば、出て行け」「ライシテができないイスラムの国は非文明的」と思う人がいるのかもしれない・・・と、ライシテを考えることで、もっと本質的な問題がわかってくることも。 

Tの頭に何があって、「ライシテ」を持ち出したのかはまだわかりませんが、
もしかしたら、「この事件は、宗教戦争ではなく、ライシテがある国や人々と、ライシテという発想がない国や人々との断絶という面もある」と、言いたかったのかもしれません。 

参考:
宗教情報センター
フランスのライシテー福眼的思考の考察
http://www.circam.jp/columns/detail/id=2906

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ストライサンド効果〜新マッカーシズム到来のフランス

2015年01月16日 | 国際・政治

アメリカ人の友人が、「ストライサンド効果(Streisand Effect)って、知っているかい?」という言葉で始まるメールを送ってきました。             

「ストライサンド効果」とは、「ある情報を隠蔽したり除去しようとしたりする努力が、逆にその情報を広い範囲に拡散させてしまうという意図せざる結果を生み出すことを指す。」という意味で、ここでいうストライサンドは、米国の歌手のバーブラ・ストライサンドの事件が元でつけられた名称だそうです。 

ウィキペディア
ストライサンド効果
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E5%8A%B9%E6%9E%9C 

彼のメールの冒頭部分を読んだときは、
「ストライサンド効果って・・・今回の事件で、フランスの弱小メディアのシャルリ・エブドの新聞が、500万部も売れたことや、シャルリ・エブドの風刺画が世界的に有名になったことをさしているのだろうか?」
と思いましたが、彼は「安倍首相が、アメリカの教科書に「性奴隷」という表現を使わないように求めた」ことについて、使ってきたようでした。 

Japan Today (2015.1.17)
Japan asks U.S. publisher to change 'sex slave' reference in textbook
http://www.japantoday.com/category/politics/view/japan-asks-u-s-publisher-to-change-sex-slave-reference-in-textbook 

さて、この記事もそうですが、このアメリカの友人は、戦争問題についても、現政権についても、「アメリカでこんな記事が」と言って送ってきます。「日本語を学ぶには、日本のことを知りたい」と言って。 

彼が送ってくるもの中には、日本に報じられない記事もあるので助かることもあるのですが、国粋主義の正反対の私でも、日本の汚点(本当の右翼は、「汚点」と思わない類)ばかりの記事や意見を送ってくる彼に時々嫌気がさします。 

それゆえ、「それは日本の新聞でも報道されている」と短く終わらせたり、とくに戦争犯罪については、「アメリカが太平洋戦争を利用した部分」「アメリカの戦争犯罪」「アメリカが日本を属国扱いしていること」についても合わせて考えてもらうように仕向けたりしていますが、今回はちょうどシャルリ・エブドの事件に関し、彼が「言論の自由のダブルスタンダード」をくずさないまま「“自由”絶対主義」を貫いたこともあったので(言論の自由についてフィンランドの法律に強く否定的だった彼は、話題が変わっても持論の正当性を訴え続けたので、「どのシステムにも完全はありえない。私たちは、どちらがよりよいか、を選ぶだけ」と言って打ち切りました。)、私のうんざり具合はマックス。 

「安倍首相・政権のやっていることに私が批判的なのは前々から言っている通りで今回もそうですが、結局は彼らは西側諸国の偽善・自分勝手さ(反省することはなく、自己正当ばかりして、争いの元を作ることに無頓着)を倣っているだけはないか、って思います。そういえば、フランスが、新マッカーシズムが吹き荒れつつあるようですけど・・・、ごめんなさい。」と、打ち切ってしまいました。 

欧米にしばらく住んで、国粋主義者になってしまう日本人がいますが、そういう人は今の私のような気分を何度も経験してそうなるのかな・・なんて想像したりします。(私はそうはなりません。「国粋主義」こそが、自分や国に対しての自信のなさの表れだと思うので。) 

さて、私が「フランスのマッカーシズム」と言いましたが、フランスでは今、政治ジャーナリストが「私はCharlie ではないと言っている人たち、デモに参加しなかった人たちこそをテロ対策として追跡し、彼らを社会に統合させなければなりません」とTVで発言したり、先週ネット検閲が合法化されたり、50人以上の国民が「テロを擁護した」と逮捕されている状況です。 

アメリカ人が、「マッカーシズムの時代」についてどこまで本気で反省しているかはわかりませんし、ダブルスタンダードの大御所。

彼らがフランスの「マッカーシズムを思い出させる状態」、そして言論の自由を訴えながら、言論を封じ込めるフランス政府のダブルスタンダードに対してはほとんど反応しないでしょうが、「自由を愛するフランス国民」たちは、どうするのでしょうね。

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シャルリ・エブド事件の余波

2015年01月15日 | 国際・政治

「言論の自由について」の海外の友人達との意見交換ならぬ、意見の出し合いは終わったのですが、シャルリ・エブド自体についての騒動はまだ終わりませんね。 

ハフィントンポスト(2015年1月15日)
パリ銃撃犯に共感示した芸人デュドネさんを拘束 フランス捜査当局
http://www.huffingtonpost.jp/2015/01/15/dieudonne_n_6475998.html?utm_hp_ref=japan
 

(前略) 

デュドネさんは襲撃事件後、自身のFacebookに「俺はシャルリー・クリバリのような気持ちだ」と書き込んだという。週刊紙「シャルリー・エブド」犠牲者への共感を示すスローガン「私はシャルリー」と、襲撃事件に関わったアメディ・クリバリ容疑者の名前を組み合わせた言葉遊びで、テロ実行犯に共感を示し、フランス全土で盛り上がる反テロ運動をからかった内容だった。 

クリバリ容疑者はユダヤ人向け食料店を襲い、ユダヤ人の人質4人を殺害したとされる。デュドネさんは反ユダヤ主義的発言で知られており、過去に裁判所から公演禁止の決定を受けたことがある。デュドネさんは今回の騒動を受け、Facebookの書き込みを削除した。 

時事ドットコムによると、フランスのバルス首相は12日、記者団に「表現の自由はあるが、テロ礼賛は見過ごせない犯罪だ」とデュドネさんの言動を批判した。これに対し、デュドネさんは政府に宛てた公開書簡で「自分は人を笑わせようとしただけ。シャルリー・エブドと同じだ」と反論した。 

さて、この事件で、一番得をしたのは誰でしょう。 

私は、3〜6万部だった新聞を、500万部にした、シャルリ・エブドと、もう意気揚々のオランドだと思っています。イスラムを敵視している人達もそう。

フランスは心置きなくアフリカや中東でで軍事行動を続け、これからは警察の武装にもお金を使うだろうから、軍需産業も儲かります。 (アメリカもこれはうれしい。ついでに、人種差別騒ぎもこの事件でかき消されました。)

気の毒だったのは、巻き添えを食って命を落としたり、怪我をしたシャルリ・エブドの風刺画とは関係のない人達と家族。 

そして、実は、シャルリ・エブド事件担当の警察署長が自殺(個人的には疑わしく思っています。)をしていますが、いずれにしても彼も、被害者ではないかと思います。 

また、もちろん、一般のイスラム教徒、そして今回の事件で、フランスのユダヤ教徒たちのイスラエルに移住する動きに拍車がかかったということなので、おそらく、またパレスチナの土地をイスラエルが奪うことでしょう。 

さて、上の記事に話を戻せば、デジュネさんの書き方はテロリストの名前を使ったのは不味かったと思いますが、ヒステリックな反テロ運動をからかったもので、facebookへの書き込みをしただけ。それも既に削除。それでもフランス当局が「注意」でなく「拘束」、しかも公判って・・・「国に逆らうな」ということですか・・。(「ネットでテロを擁護した」ということで現在50名超が逮捕されている模様です。)

それにしても、もしフランスが、デジュネさんの反ユダヤ主義的、風刺を裁判で止めたことがあったように、シャルリ・エブドにもそうしてくれたなら、と思わずにいられません。
(「シャルリ・エブドは、反イスラム主義ではない」と言って逃げるでしょうが、彼らの風刺画はまちがいなく「反イスラム主義的」です。) 

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シャルリ・エブド、本音と建前

2015年01月14日 | 国際・政治

フィンランドの、Peace of Religionという法律の話を前回書きましたが、この時、これに反発したアメリカ人の友人は、「宗教の定義は?それは政府が本当の宗教と偽宗教かを決めることにつながるでしょう?そもそもこの法律は、言論の統制」と言いってきました。 

確かに、「宗教を侮辱するような行為を禁止する法律」を作るときに、どこまでを宗教にするかという問題はあるでしょう。(個人的には、「カルトも宗教の範疇に入らないような宗教も含め、彼らに「侮辱的行為」をする」こと自体はすべて禁じるべきだと思います。報復の暴力沙汰に巻き込まれるのはその侮辱的行為をした人達だけではないですから。今回の事件でも、警察官や人質、ビルメンテの人が被害にあいましたが、彼らや家族はそれをどう思うでしょうか。抗議や批判は、文明国においては、別の形がとれるはずです。)

ただし、今回の彼のメールから、「イスラム原理主義者が信じるイスラム教」も、911を間近で体験した彼のなかでは『偽宗教』の範疇に入っている気がします。 

今回の「言論の自由とは何か?」という質問に答えず、「シャルリ・エブドは、そういう問題ではなく、戦争なのよ。残念ながら、今はもう第三次世界大戦に入っているの」と言った欧州のカトリックの友人も含めてですが、今、「私はシャルリ」という紙を掲げている人達の半分くらいは、言論の自由などより、「イスラム憎し」の気持ちが含まれていることでしょう。 

そして今、「私はシャルリ」と熱狂的に訴えている人達(→申し訳ないけど「シャルリ教」と呼んでしまいたい。)が、同調しないものを許さない、という空気を作り上げている気がします。
(極右のル・ペンが行進に参加しなかったことを、「恥ずかしくないですか?」と彼女に聞いたTVコメンテーターもいたそうです。彼女は、「招待されなかったから行かなかった」と答えたそうです。ついでに言うと、昔自分の息子のお嫁さんがユダヤ人だったことをネタに風刺画を描かれたことがあったかあらか、サルコジはあまり行きたくなかったようですが、招待されて参加。この漫画を描いた漫画家は、シャルリにその後解雇されたようです。)

そういえば、「私はシャルリではない」-こんなタイトルを使って、NYTにこんな論説が出たのは1月8日(紙面(改訂版?)は9日) 

New York Times (2015.1.8)
I Am Not Charlie Hebdo
By David Brooks
http://www.nytimes.com/2015/01/09/opinion/david-brooks-i-am-not-charlie-hebdo.html 

筆者は、宗教色のないユダヤ系アメリカ人です。彼は言論の自由を尊重しながらも、「文明的でない表現の自由」というものが、「未成熟のものたちの自由」でしかないことを書いています。

それから5、6日。
文明的とはいえない、「テロとの戦争」という言葉がやはりまた出てきました。

毎日新聞
<仏首相>「テロとの戦争に入った」…治安強化を表明
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150114-00000002-mai-eurp 

「戦争」という言葉は、「勝つためなら相手に何をしても許される」という魔法の言葉です。 そして、これはイスラム過激派には都合の良い言葉でもあります。

追記: 

「私はシャルリの現在の風刺画は、yellow journalismにしか思えない」と私が言ったとき、カトリックの友人は、「シャルリは、イスラムだけでなく、どの宗教を批判する風刺画を描いているのよ」と言い、私は、「私はシャルリが他の宗教についてお笑いにしているのを知っています。」と返しました。 

シャルリ最新号の表紙は、『ムハンマドが「私はシャルリ」と言う紙をもって涙を流している風刺画』で、シャルリ側自身も「シャルリ最新号は追悼号にしない。シャルリはお笑いを届ける」と言っているそうですが、これでも友人は、「批判」と言い続けるのだとしたら残念です。(本人に聞くつもりはありません。) 

なお、シャルリ・エブド紙はもともと3万部(1月8日時点での公称)から 6万部(シャルリが今言っている数字)くらいしか発行していなかったのが、今回は300万部(→500万部)の発行だそうです。 

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フィンランドの”Peace of Religion"という法律

2015年01月13日 | 国際・政治

言論・表現の自由について、海外の友人達に質問をしていましたが、フィンランドの友人によると、フィンランドには、「宗教を冒涜してはいけない法律」が存在するようでした。

彼は、

「西側の国々では、この自由は何よりも大切なもの。一方、大抵の国では、これは完璧ではなくて、何かしらの規制がある。とくに、プライバシーと宗教の正当性。
フィンランドではPeace of Religionという法があって、これはいかなる宗教を嘲ることは許されないという法律なんだ。他宗教を嘲ることは、暴力を生み出す。暴力を生み、社会を不安定にさせることへの規制。
また、自由とは、他人のvalueへの尊敬があることが前提で、何でもして良いということではない。」

というようなことを書いてきてくれました。 

この意見を、同じ質問に回答してくれている外国人の友人たち(先のブログで書いたクリスチャンの友人以外)にしたところ、この法律や考えに否定的な意見の人も当然いましたが、「自分の国は、そうした法律がないけど、その精神は社会で守ろうとしている」という友人や、そうした法律があるフィンランドに対し(好意的に)驚く友人もいました。 

ところで、このフィンランド式、大手メディアでも自主規制という形を行っているところがあります。 それは、AP通信。 

今回はその自主規制に従って、シャルリ・エブドの風刺画を掲載していなかったAP通信(※英米メディアでは、ボカシを入れて対処したところもあった模様。)、彼らが1989年にキリスト教徒を侮辱する作品を掲載していたままでいたので、これを指摘され、ただちに削除したそうです。 

Christian Today (2015.1.10)
シャルリー・エブド風刺画掲載拒否のAP通信、キリスト教徒侮辱の写真も削除 ダブルスタンダードと指摘受け
http://www.christiantoday.co.jp/articles/15021/20150110/photo-removed-ap-double-standard.htm 

AP通信は7日、あるジャーナリストからダブルスタンダードを指摘されたことを受け、公式ウェブサイトから美術作品「ピス・クライスト」の画像を削除した。AP通信は、「故意に挑発する画像を掲載しない」というポリシーに従って、預言者ムハンマドの風刺画が先日の殺人事件の原因となったフランスのシャルリー・エブド社の漫画を掲載することを拒否してきた。 

デイリー・ビースト紙の7日のインタビューでAP通信のスポークスマンは、これまでシャルリー・エブド紙の風刺画を掲載したり引用したりしなかった理由を説明した。 

「故意に挑発的な画像を掲載することを控えるというのは、長年にわたるわが社のポリシーです」とスポークスマンは語った。 

その日の遅く、ワシントン・エグザミナー紙のティモシー・カーニー氏は、AP通信が1989年に発表されたアンドレス・セラーノ氏の写真作品「ピス・クライスト」の画像を掲載していることに言及し、同社のダブルスタンダードを指摘した。「ピス・クライスト」は、セラーノ氏が自らの尿で満たしたビンにキリストの磔刑図を入れ、その写真を撮影したもの。多くのキリスト教徒にとっては侮辱的であり、故意に挑発するような作品だ。 

カーニー氏はAP通信の公式ウェブサイトのスクリーンショットを撮り、サイトを訪れた人がいまだセラーノ氏の作品を購入できることにも言及した。 

カーニー氏がこれを公表した前後、AP通信は「ピス・クライスト」の画像を削除した。 

(中略) 

セラーノ氏の作品も同様に物議を醸すものだ。この作品は一度破壊され、セラーノ氏とギャラリーのオーナーが殺害予告を受けている。

ところで今回の事件を受け、そして意見交換をしていて、エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』をきちんと読みたくなりました。(恥ずかしながら、この本のことはずっと前から知っていても、私はまだ読んだことがありません。)

当時の社会情勢に加えて「ナチズム」と「過剰な自由がもたらしたもの」の関係が、私には現在の状況に重なって見えます。

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「第三次世界大戦は始まっている」という言葉を私が無視する理由

2015年01月12日 | 国際・政治

今回のシャルリ・エブド襲撃事件のあと、敬虔なカトリック信者の外国人の友人は、「今はもう第三次世界大戦が始まっている」と訴えます。

彼女は「この第三次世界大戦は、従来の戦争と違う、経済、格差、宗教の対立である」と言い、イスラムがいかに怖いかということを延々と書き連ねます。それでも私がこの話題に触れないので、彼女は業を煮やし、「これを読んで」と、”There is a war within Islam and Western-politicians do not defend European culuture” という、レバノンに住むエジプト人カトリック司祭(イスラム専門家でもあり)が書いた記事のリンクを送ってきました。 

(彼女はこの件で「返事をくれなくてよい」と言っているし、私は基本的に人から勧められた宗教家の意見は参考にしないので、この記事を読むつもりはありません。)

 この「第三次世界大戦は始まっている」という意見は何も彼女に限ったことではありませんが、今回は珍しくしつこく食い下がるので調べてみると、昨年9月にローマ法王がその発言していたことがわかりました。 

フランスではライシテ(政教分離)があって今はさほど人々の宗教色が濃くないとはいっても、やはり大元はカトリックの国。そしてもちろんイスラムと歴史との繋がりも深く、移民も多い-シャルリ・エブドの事件に対するフランス人、欧州人の反応は、そういう意味では大抵の日本人の受け取り方と差が出てきても仕方がないのかもしれません。 

私は、オランド大統領の「民主主義や自由の価値を掲げるため、11日の行進にはすべてのフランス人に集まってほしい」という呼びかけに嫌悪感と危機感を持ちましたが、今回、フランス人(イスラム系や移民系以外)でこの言葉に嫌悪感を感じた人は少ないと思います。 

ところでこの事件、アメリカの超リベラル系弱小メディアでは、事件のイスラエル関与を疑う意見(これは、「昨年12月はじめにフランスの下院がパレスチナを国家として認める決議を可決したこと」に関係すると言っています。)のコラムを掲載していますが、フランス在住日本人のブログのいくつかにも、この事件での不自然さについて書いてあるものがあります。 

その一つ: 

フランス・セパポシブール (2015年1月8日)
パリ銃撃事件−数時間後には犯人特定・・・ん?ちょっと違和感。http://franceacces.blog57.fc2.com/blog-entry-435.html 

パリのCharlie Hebdo社が銃撃されたのは昨日、7日の昼前ですが、夜には「犯人が特定され、指名手配された」との事であまりにも早過ぎてなんだか違和感を感じていたのですが、
今朝のニュースで知ったのは、なんと襲撃に使われた車の中に「身分証明書」が残されていた・・とのこと。

そうか、それで特定が早かったの・・・
ん、なんか、それ出来すぎてません?

また新聞社が襲撃された日がイスラム教の聖戦を風刺する漫画が掲載されていたということなどから、私たちは完全に「イスラム過激派」が犯人だという前提で話をしていますがよく考えてみると、犯人達は完全に覆面だったわけです。 

全然関係の無い人が犯人でもおかしくなくないですか? 

(続きはリンクからどうぞ。) 

陰謀論とは私は距離をおきたいですが、それでも全否定はしません。 

不自然といえば、事件が起こった最初のころは、「犯人は、シャルリ・エブドで銃を乱射してすぐ被害者を殺した」というような記事もあったのに、のちに「ひとりひとり名前を読んで殺害した」となったこと。 

そして、ユダヤ人スーパー突入の人質4人が銃撃戦で亡くなったようなことを書いてあったのに、途中から、「人質は犯人が殺害した」という報道まで出てきたりしたこと。
(これは、単純に事実を確認しないで記事を書いたことからのミスでしょうが、銃撃戦で犯人だけを殺すことは可能でしょうか?)

更に、犯人の一人にされていた18歳のムラド・ハミドさんが事件の時間は学校にいたことが判明したため無実とされましたが、まるで「犯人にする人間をを先に決めていた」ような気が。

シャルリ・エブド事件捜査を担当していた警察署長、エルリク・フレドゥ氏の自殺。(他殺に思えてしまう。)

これらには「もしかしたら・・」と思ってしまったりします。

私がオランド大統領の「すべてのフランス人に・・・」に嫌悪感(うさんくささ)を強く感じるのは、この疑念があるからでもあると思います。(もともとは、その全体主義的な物言いが嫌、それに従う人が多いことも気味悪い。)

元々、フランス当局は、シャルリ・エブドに自粛を求めていたこともありましたし、オランドや現政権が彼らの標的になることもあって、目の上のたん瘤的な部分もあったと思います。

実際には自作自演ではないでしょうが、オランドの頭に、「一石二鳥」という考えが頭によぎったとしても、不思議はないのではないか、と思えます。

さて、冒頭に書いた「今はもう第三次世界大戦はもう始まっている」という友人の言葉ですが、これを私が無視するのは、私が考える戦争の定義が彼女(達)と違うからというだけでなく、そこに争いを回避することへの拒否と、「戦争なんだから、勝つために何をしても許される」というニュアンスを感じ取ってしまうからです。

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