Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

米国新幹線売り込み、釈然としない戦後処理

2011年02月26日 | 国際協力・プロジェクト

米国への新幹線売り込みについて調べていたところ、本日の産経に前田匡史内官房参与(現JBIC国際金融部長兼駐留軍再編促進金融部長)の談話があったので、一部を貼り付けます。

オバマ政権が打ち出した米国の高速鉄道計画は、総延長1万3700キロメートルの巨大市場だ。今春には、第1号路線の第1期区間、フロリダ州タンパ-オーランド間の入札が始まるはずだった。これにフランス、ドイツなど欧州勢、韓国、中国、日本のJR東海チームの計8グループが名乗りを上げる準備を進めていた。

 第1期区間では十分な採算の確保は難しいが、マイアミまで延伸する第2期区間を見据えれば、十分可能性があった。ところが、1月就任した共和党のリック・スコット知事は州の予算負担を懸念。今月16日、連邦資金の配分の拒否を発表した。

 日本チームには設計、運行、保守管理のトータルのシステムに加えて、駅ビル開発や電子マネーによる料金チャージなど、競合国がまねできない新たなビジネスモデルを提示する能力がある。日本の新幹線が米大陸を走ることになれば、内向きで閉塞(へいそく)感の漂う日本人に勇気を与える。テキサス州、カリフォルニア州の路線や、超電導磁気浮上式リニアモーターカーをワシントン-ボルティモア間に出す計画もある。

 「日本の新幹線技術の優秀さと安全への信頼度は文句なしだ。アメリカ人のライフスタイルを変えてやるというような意気込みを、日本が見せてくれることを願っている」

 知日派として知られるトーケル・パターソン国家安全保障会議(NSC)元アジア上級部長の言葉が印象に残っている。

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110226/biz11022603150002-n1.htm

さて、相変わらず前田氏は、米国の要人の言葉を出すことが多いのですが、ここで出されているトーケル・パターソン氏なる人物、20098月まで、レイセオンという、米国第一位のミサイルメーカーで、軍や米政府と大変密接な関係のある会社の社長をしていた人物です。

前田氏の談話にいつもケチをつけてしまうようですが、最近、基地、領土問題等を考えるにあたって、米国政府に対しての不信感を募らせてしまっている私-どうしても、軍事関係者の名前を見ると拒否反応を示してしまいます。

領土占領-第二次世界大戦後、ドイツの領土を米国は占領しませんでしたが、日本においては沖縄、奄美諸島、小笠原諸島を占領、統治しました。また、ドイツも日本との戦争も、戦勝国は米国だけでなく、英国などもそうなんですが、彼らは両国を占領することも、基地を置くこともしませんでした。何故?

子供みたいな疑問ですが、何か釈然としません。

「米国は、やはり日本に軍事拠点を置きたかったかったことが一番、それと人種差別的な感覚も関係しているのではないかと思う。イギリスは当時の政治家が優れていたから、『大英帝国よ、もう一度』にならなかったのか。」

と友人Tにつぶやいたところ、

「ドイツだと本土に手を付けることになるのに対して、島嶼部は切り離して占領しやすかったのかも。それに、硫黄島や沖縄は激戦の末に征服したという意識もあったかも知れないし。

イギリスは、植民地などという手間の掛かるものがなくとも、金融という手段で世界をコントロールできることがいち早く分かったのでしょう。」

と意見を言ってくれました。

日本人もですが、アメリカ人でこのことに関心を持ってくれている人が増えると良いのですが・・・。

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高い報酬を得ながら国会を内輪もめ大会にしてしまう政治家が許される国

2011年02月25日 | 国際・政治

民主党が完全に内部分裂をしていますが、ふと「自分達の党の内輪もめをしながら、給与を貰って恥かしくないのだろうか。」という疑問が頭を過ぎりました。

まあ、今回のことだけでもないし、民主党に限りませんが、例えば失言に対して国会の場で弁明したり、野次を飛ばしたり・・・それで、平均年収だけでも一人3000万円近くといわれる所得を得、その他多数の恩恵も受けています。

もし一企業の役員会議や同業者の集まる会議上で役員同士が喧嘩をしたり、「○○理事が、こんなことを言った」などということで争っていたとしたら、その会社の評判と株価は大暴落するでしょう。

それに、こんな役員達が数千万円の年収を貰い、現場では時給が1000円以下の非正規社員が汗水流して働いている現実があったとしたら-もうこれはブラックユーモアにもなりません。

さて、政治家といえば、石原慎太郎現都知事が4月の都知事選に出馬しないことを表明しました。

政治家のふがいなさにストレスが溜まっている友人Nは、最近石原氏の著書を数冊読んで、彼を見直したといいます。

「石原氏の主張の中身の是非や政治信条は別にして、強い個性と一貫性を持った政治家として、今や稀有な存在であるのかもしれません。」とまで、今朝言ってきました。

これに対し、

「石原氏の『強い個性』は私も認めますが、『一貫性』となると疑問に感じる部分があります。

それでも、「都知事選の出馬要請を受けながら、最終的には潔く引いた、という部分で初めて石原慎太郎を評価するわ。もしかしたら、今回出馬しても勝ち目の確率が以前より低いと睨んで、辞退した可能性もあるけど。」と昨日主人に言いましたが、石原氏が『人や票に振り回されないという政治家』というのは確かでしょう。

先日、TVで『沈まぬ太陽』と、沖縄密約のドキュメンタリー風ドラマ、『総理の密使』(若泉敬が主人公)を観ました。

前者で描かれていた政治家などは、実際にいて、それが今も続いています。

後者は、若泉氏の『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』が元になっていると思いますが、若泉氏が沖縄を日本に取り返して、核や基地のない昔の形を夢見ていたのに、結果的にはそれを裏切られることに苦悩(後年は、これを世界に知ってもらおうと本の英語版を完成させ、仕上げた翌日に自殺)。

若泉氏は民間人(国際政治学者)でしたが、沖縄(と日本)に関しての思いは政治家以上。密約は褒められたものではないし、アメリカ相手にはちょっと無謀ではあったと思いますが、若林氏のように一貫性のある理念(理念はもともと一貫性があるはずですね)を持った政治家がいて欲しいと思いました。

話が飛びましたが、しかしそれにつけても、民主党の足の引っ張り合いに国会を使われて、議員に給料を払っているのかと思うと、それを問題にしたくなります。裁判でも起こしましょうか。」

と私。それで、今日は冒頭から民主党の愚痴になりました。

はあ・・・本当に希望を持たせてくれる政治や政党っていないのでしょうか。

報酬や待遇のレベルを半分以下に下げ、そして議員全体の半分を選挙でなく裁判員制度方式で無差別抽出するなどの大きな改革でもしないと、まともな政治は期待できないでしょう。

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エジプト-世代ギャップとムバラク、そして未来は

2011年02月21日 | 海外ニュース・できごと

212日夕方のエジプトのシュとカイロ、タハリール広場を取材した東京新聞の田原牧記者が『こちら特報部』に大変良い興味深い記事を書かれていたので、転載します。(本日の朝刊)

「アッシャアブ・ワルジーシュ・ワーヘダ(人民と軍は一つだ)!」12日夕、タハリール広場に近い国営テレビ局前。鉄条網を張り、デモ隊の侵入を阻止する兵士たちを前に、数百人の青年がシュプレヒコールを繰り返していた。

ふと記者の後ろを少年たちの一群が「アッラー・アクバル(神は偉大なり)」と叫び、駆け抜けた。傍らの男性が携帯電話を凝視している。目が合うと「ムバラクが辞めた」と放心状態で語った。前方で、青年の一人が額を路上にこすりつけている。神への感謝の祈りをささげていた。

見回すと、戦車上の兵士と青年らが握手している。人並みに流され、タハリール広場に着く。「マブルーク(おめでとう)」。皆が握手を求めてくる。「これで私たちも日本のような大国になれるのだろうか」。広場に通じる数本の道は通勤ラッシュのようだ。夜空に花火が上がった。

ただ、市民が一様に喜んでいたわけではない。この数時間前、近くの庶民街アブアラア通りの茶房で、近所の商店主らの男性たちと雑談した。彼らも政府には批判的だったが、青年達への違和感も隠さなかった。

政権の腐敗や高い失業率などが騒乱を呼んだ。だが、デモの組織者や政府職員、市民の誰もがこの高まりを「想定外」と話した。原因は何か。一因に30代前半までの新世代の台頭がみえた。

古着商のアフマド・アリーシュさん(48)は「若者たちは本当にエジプト人か」と憤った。「ムバラクは近く辞めると約束した。これ以上恥をかかせるべきではない。悪い父親でも親は親だ」。

カイロではよく街中で大声で言い争う光景に遭遇する。一見激しいが、やがて仲介者が現れ、最後は互いに抱擁する。相手のメンツを重んじる美徳。それに照らせれば、旧世代の目に青年らの行動は「ムタアッシブ(非寛容)」に映っていた。

世代間の違いは、ムバラク前大統領の評価に表れる。新世代には「独裁者で腐敗の象徴」だ。

だが、旧世代からは「この10年は老害だが、前の20年はまあまあだ」という声も多かった。

エジプトは1948年から73年までイスラエルと4回、戦火を交えたが、ムバラク時代の30年間は戦禍に脅かされなかった。

前任のサダト大統領がイスラエルとの和平条約(79年)を結んだためだが、その結果、エジプトは「裏切り者」としてアラブ世界で孤立した。ムバラク前大統領はその地位を回復した。イスラエルに奪われていた自国領のシナイ半島も82年に取り戻した。

デモ隊の標語も世代の違いを示していた。イスラエルとの和平で、平穏な市民生活が守られている反面、旧世代のイスラエル嫌いは根強い。

だが、タハリール広場の横断幕には、従来の反政府行動にはお約束だったパレスチナ人への連帯やイスラエルへの非難の文句は皆無だった。

広場の若者たちはこう話した。「イスラエルの政策は誤りだ。でも、民主的な選挙制度は学ぶべきだ」「イスラエルのことより、政府は私たちに安く住宅を供給して」。

「対イスラエル」というアラブの大義を秘める旧世代にとって、そうした若者達の感覚は民族的な誇りの喪失、堕落にすら感じられる。(後略)

エジプトでの「ムバラク降し」。記者がインタビューした商店主は、比較的裕福層であったので、彼らはムバラク前大統領に対して寛容的であったということもあるでしょう。

これが、一日2ドルで生活している人だったら、なんと答えたか。

ただし、ムバラクが実績を残したのも事実ですし、そして「アンチ・ムバラク」でムバラク政権を崩壊させただけ、というのでは、結局若者の鬱憤晴らしで終わってしまう面もあります。

記者がこの記事の終わりを、50代のタクシー運転手の言葉、

「どんなイスでも30年も経てば、壊れる。良い悪いではない。ムバラクもそうして去った。そして私たちも例外ではないのかもしれない」

で締めくくっていましたが、「新しくても、製図ミスや作成の手抜きのイスは、30年経った古いイスより脆い場合がある」ということを、この運転手さんに、それから熱くなっている人達にも、ささやきたくなります。

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北方領土・沖縄返還-米国の言うことを聞いてきた日本

2011年02月18日 | 国際・政治

沖縄返還にかかる外交文書公開を受けての東京新聞夕刊の記事より:

一九七二年の沖縄返還で合意した六九年十一月の日米首脳会談前、返還に伴う米資産買い取りなど日本の財政負担について、米側が積算根拠を欠いたまま一括決着する方式(ランプ・サム)で六億五千万ドル(当時のレートで約二千三百四十億円)を要求していたことが十八日公開の外交文書で明らかになった。同時に「内訳は日本側でどう処理しようと拒否しないし、その根拠をつくり出すため助力してもいい」と伝えていた。 

沖縄返還協定に明記された日本側財政負担は「三億二千万ドル」で、国内向けの見せ掛けの数字にすぎない。これを大幅に上回る財政支出を日本側が強いられた背景には、一括決着方式があったとみられる。「つかみガネ」をひねり出すため財政問題で対米密約が結ばれ、つじつま合わせを繰り返した可能性が高い。

文書は佐藤栄作首相とニクソン大統領の会談を約一カ月後に控えた六九年十月二十二日の下田武三駐米大使発の極秘公電。

それによると、財政問題担当のバーネット米国務次官補代理は吉野文六駐米公使に対し「ケネディ財務長官とレアード国防長官がランプ・サムの額で合意し、東京へ申し入れるよう指令した。その額は極秘だが六億五千万ドル」と伝達した。

吉野公使が「ランプ・サムは沖縄に値札をつけることになる。国会で追及され、政府は内訳の説明に苦労する」と懸念を示したが、バーネット氏は内訳数字の操作に言及し「どうにでも言い抜ける議論を仕込んだつもりだ」と指摘。「首脳会談までに片付かないと、日米関係のあらゆる問題に沖縄の財政問題が付きまとい、日米国交を害する」と強く警告した。

米公文書で六億五千万ドルを基礎に日米交渉が進められた経緯は判明していた。今回、米側が日米関係全体への影響まで指摘しながら、強硬な対日圧力をかけていた真相が浮かび上がった。

沖縄ですが、1950年代に日本とロシアが北方領土の2島返還ということで交渉をまとめようとしていたときに、「そんなことをしたら、沖縄を返さないぞ」と米国は日本に圧力をかけてそれを阻止しました。

グレゴリー・クラーク氏のサイト(http://www.gregoryclark.net/jt/page60/page60.html)より抜粋:

1955年東京はハボマイ諸島とシコタンの返還をめぐってモスクワと交渉を始めた。モスクワは歩み寄りの姿勢を示すために、日本がソ連を標的にした軍事同盟を中止するならこれに同意するといった。ところが東京の強硬派は、その妥協案に同意するどころか、即座に自分の要求にエトロフ、クナシリを含めることにグレードアップ。モスクワはこれを評価しなかった。

このデッドロックを打開するために東京は、重光葵外務大臣をモスクワに派遣、長引く平和条約交渉に当たらせた。重光は日本の4島要求の弱点を理解するに至り、最初の2島要求(シコタンとハボマイ)へ立ち戻った。ところがすぐ、ダレスから、1951年には南クリール諸島をふくめ日本の全クリール諸島に対する要求を放棄させたそのダレスから、東京がエトロフ、クナシリ要求を取り下げるならば、アメリカは沖縄を日本に返すいわれもなくなろうと宣告された。このことと、2島返還へ軸足を戻すというニュースが漏れての日本国内のナショナリストたちの反発があいまって、重光は再度の後戻りを余儀なくされた。モスクワは再び4島要求を拒否。この時の唯一の結果は、平和条約が調印された時ハボマイ諸島とシコタンを返すという約束をモスクワが確認した1956年宣言だった。

サンフランシスコで日本が米国の顔を立てたせいでもないでしょうが、米国は確かに沖縄を返還しました。しかし同時に、日本に金銭から通商まで様々な代償を威圧的に求めてきた上、基地問題から軍関係者の事件まで思うがまま。

そして沖縄変換後はもちろん冷戦終結後もなお、北方領土問題解決を快く思わない人達が米国にも日本にもいて、彼らの影響力はいまだ大きいようです。

前の記事も含めて私は米国政府のこういうやり方には非常に憤りを感じますが、それでも日本政府が「自分達の国は主権国家である」というプライドを持って米国に接していないこと-こちらの方を問題に思います。

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フロリダ新幹線と日米同盟

2011年02月18日 | 国際協力・プロジェクト

今年1月前原外務大臣が米国フロリダに売り込みにいった新幹線技術導入計画が、白紙に戻されました。

2011217日(共同通信)

米南部フロリダ州のスコット知事(共和党)は16日、オバマ米政権が同州に計画する高速鉄道整備に関連する連邦予算を拒絶するとの声明を発表した。州知事の反対が明確になったことで同計画は暗礁に乗り上げ、中止になる公算が大きくなった。前原誠司外相は1月の訪米時にフロリダに立ち寄ってスコット知事と会談、日本の新幹線技術を売り込んだばかり。トップセールスは空振りとなった。

これに先立つ記事が以下:

201119日(共同通信)

米中の前原誠司外相は8日午後(日本時間9日午前)、高速鉄道建設が計画されているフロリダ州のリック・スコット知事と州都タラハシーで会談し、日本の新幹線技術を売り込んだ。

前原氏は「新幹線が採用されれば、駅周辺開発を含めすべてのノウハウを提供したい」と提案。スコット氏は「(受注を目指している)JR東海から具体的な話しを聞きたい」と関心を示したが、新幹線については態度を明確にしなかった。

オバマ政権は雇用創出と経済再生策として全米で高速鉄道建設を推進。中国や欧州勢との受注競争が激化しているため「日本の技術が採用されるかどうかは、州知事の影響力も大きい」(外務省幹部)とみて異例のトップセールスに踏み切った。

そして、20104月産経新聞に紹介された、前田匡史内官房参与(現JBIC国際金融部長兼駐留軍再編促進金融部長)の談話にこのようなものがあります。

昨年8月私は旧知のリチャード・ローレス元国防副次官と向き合った。ブッシュ政権下で米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題を取り仕切った彼は、日本の衆院選で民主党が勝利した場合に移設が問題になると考え、水面下で複数の民主党幹部と接触していた。

(中略)

11月にはローレスらが監修した研究リポート「日米同盟 すれ違う期待をどうする」が、米国のシンクタンクから緊急出版された。「日本がミサイル攻撃などを受けた場合、日米はどう対処するか」といった運用面から積み上げて詳細にレビューし、日米同盟は期待がすれ違い、危機に対処できない張り子の虎だと警告した。その上で「同盟が機能しないなら、米国は国益を守るために米中関係を含め、別のオプションも検討すべきだ」とまで提言している。

「移設が失敗に終わったらどうなるか? 普天間の恒久化にはならず、海兵隊はハワイかカリフォルニアに撤退するだろう。北東アジアの安全保障地図は大きく塗り替えられる」とローレスはつぶやいていた。

(中略)

ローレスは現在、新幹線やリニアモーターカーといった、エネルギー効率の高い日本の高速鉄道技術を米国が輸入し、共同運行する仕事を、JR東海と進めている。「日米にとって重要なプロジェクトを進め、米国民の日本への印象を転換することが、同盟強化につながる」と言う。

短絡的対応を繰り返す日本政府を尻目に、広い視野での環境作りを、ということのようだ。ぎくしゃくする日米同盟を強化する鍵の一つは、長期的視野にたったグリーンアライアンスにあるかもしれない。

上記にでてくるリチャード・ローレス元国防副次官は元ブッシュ政権時代の人ということもありますし、それをさておいても、そもそも政治とビジネスの駆け引きは『絶対』という確証はないでしょう。

日米同盟といえば、昨年日本政府は米国と思いやり予算5年間現状維持の協定を結んだり、グアム融資の問題も米国の言いなりになりました。確証がないのに、目の前にぶら下がれた人参のために『良い子』でいたのではないか、という印象は否めません。

まあ今回フロリダでは空振りでしたが、カリフォルニアの方では日本の新幹線導入に前向きな声を発する人もいるようです。結局はどんな要人の口約束(?)よりも、駆け引きがなくても欲しがられるような技術と販売方法で売り込む方が確実であると思います。

(私は官民一体の取り組み自体は否定しませんが、人参をぶら下げて圧力をかける相手を妄信する人達が国を動かしていることには不安を感じます。)

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エジプト-原発ビジネスと核開発

2011年02月12日 | 国際協力・プロジェクト

エジプトのムバラク政権の崩壊。

イスラエルとうまくやってくれていたムバラク政権、内情は腐敗していようと、米国政府などはそれをずっと支持していました。

また、情報も偏っていたのでしょう、エジプトの独裁という負の部分についての報道はほとんど外国に出ることがなく、ムバラク政権は中東においての優等生だと思っていた人も多かったと思います。

そこへきて、(これまた優等生扱いを受けていた)チュニジアからエジプトへ、群集の怒りの爆発が波及。

ところで、この動乱の前、エジプトはあることで注目を浴びていたのはご存知でしょうか?

それはエジプトが原子力発電ビジネスを加速させていたことで、日本も含めて、各国がこぞって押し寄せているころでした。(UAEやヨルダン初めとした中東諸国にも同様)

原子力発電といえば切っても切れないのが核開発。

日本の記事ではお目にかかれませんでしたが、実はムバラク元大統領は、エジプトの核武装についての考えも持っていたお方。

In 2007, Hosni Mubarak announced that the government planned to construct larger power reactors, but until very recently nothing was said about a weapons program. The prospect of Iran’s getting close to being able to produce nuclear weapons, however, changed everything. Last year, Mubarak said that Egypt would have to get nuclear weapons to defend itself. The Mubarak government claimed that since the Israelis have the bomb, Egypt too has the right to complete the nuclear fuel cycle, although no concrete steps seem to have been taken in that direction.

(ムバラクは、イランが核兵器を開発する可能性があるなら、エジプトも持つべきと昨年言及。そもそもイスラエルが(核)爆弾を持っているのだから、エジプトも核開発の権利があると主張していたということ。)

これを阻止しよう(そして原発ビジネスを進めよう?)と考えていたのが、今回エジプトに舞い戻って表舞台に立とうとしているエルバラダイ元国際原子力機関(IAEA)事務局長。

http://www.nybooks.com/blogs/nyrblog/2011/feb/02/elbaradei-and-egypts-nuclear-future/参照)

このエルバラダイ氏が、今後エジプトのリーダーになれるとも、向いているとも思えませんが、原子力ビジネスを推し進める上では、「原発は売りたいけど、それを核開発に利用されると困る」という先進国側の願いが強いこともあるでしょうから、どうなることやら。

今後誰がリーダーになるにしろ『アンチ・ムバラク』というだけでその後の設計図が描けていないエジプト。

新しい政権がでてきたとて、民衆が職も選れず、パンも買えず・・というままであれば、また動乱が起こるでしょう。

追記:元外交官の野口雅昭氏のブログ『中東の窓』で、この動乱をきめ細かに追っています。

http://blog.livedoor.jp/abu_mustafa/

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まずはグロービッシュから

2011年02月11日 | 教育

Newsweekの日本版は、私のお薦めサイトなのですが、その特集記事に『非英語圏のEnglish~英語じゃなくてグロービッシュ』

http://www.newsweekjapan.jp/stories/2010/11/post-1809.php

というものがあります。

記事を読んでいただければ分るのですが、『グロービッシュ(GlobishGlobalEnglish)』とは、『語彙が少なくて表現もシンプルな英語 / 英語が母国語ではない人も言いたいことを容易に伝えられる新しい言語』ということです。

“・・・ネリエールは日本IBMにいた90年代、英語が母語ではない人が話す英語のほうが、英米人よりずっとうまく韓国人や日本人の顧客と意思疎通を図れると気付いた。

 英語を第1言語とする人間にとって、標準的な英語は極めて便利なコミュニケーションツールだ。しかし途上国の英語使用者は、表現を簡単にして「nephew(甥)」を「the son of my brother(きょうだいの息子)」、「oath(誓約)」を「words of honor(誓いの言葉)」などと言い換える。ネリエールはこの新しい英語を「グロービッシュ」と命名した。

 この呼び名はすぐに国際社会の注目を集めた。英タイムズ紙の記者ベン・マッキンタイアは、インドの空港で耳にした国連平和維持部隊のスペイン人兵士とインド人兵士の会話をこんな記事にした。「インド人はスペイン語を、スペイン人はパンジャブ語を話さなかったが、難なく理解し合っていた。彼らが使ったのは、文法も構文も無視した極めて簡単な英語。それでも互いに理解できたし、私にも分かった。今から思えば、彼らが話していたのは世界で最も新しく、最も広く使われている言語──グロービッシュだった」”

以上は記事の抜粋なのですが、マッキンタイア記者のコメントなど特に頷ける人が多いのではないでしょうか。

嘗て「母国語にプライドを持っているから、英語を知っていても話さない」と言われたフランス人でさえ、今は英語がそんなに得意ではなさそうな人であっても、しっかりグロービッシュで応じてくれます。

(もっとも、昔英語を話すフランス人が少なかったのは、プライド云々ではなく、フランス語を理解する外国人がまだ多かった時代、英語を真剣に学んだり使おうとするフランス人が多くなかったせいではないかと思います。

フランス語といえば、アメリカ人の友人ティムさんから彼がフランス国境に近いイタリアの村に滞在したときの話を聞いたことがあります。「ここはフランス語の方が通じるだろう」と彼がフランス語で話しかけても、村人達は(片言)英語でしゃべりたがって、フランス語が使えなかったと。)

世界共通語としてエスペラント語を考え出したザメンホフは、英語を学びながら「何故、comeの過去形はcomedではなくてcameなんだろう?」と疑問を持ったのが、エスペラント語を生み出すきっかけであったということを読んだ記憶があります(うろ覚えです)。

学校の英語教育で英語が嫌いになる人のなかには、comecame toothとteethのような単語の不規則変化といったものから、冠詞や現在完了形のようなものがそのきっかけになることも多いでしょう。(実はこれらをマスターしていないアメリカ人もいて、現在完了形などは、これを使わない人もいると聞きます。)

単語の不規則変化については最初から覚える必要はあると思いますが、覚える単語数は最小限にし、文法の間違いに寛容、ネイティブの発音を聴かせても喋る方の発音はあまりこだわらない-間違っても良いからシンプルな英語でコミュニケーションがとれるようになることを小学校高学年から中学2年くらいまでめざし、その段階をクリアしたものだけが本格的に英語を学びだす・・・というような方法で英語を学ばせれば、『6年以上英語を習っても英語(グロービッシュ)を一言も話せない日本人』は減るだろうと、私は考えます。

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日本のプラットホームがもう少し低ければ

2011年02月05日 | 社会(歴史・都市計画含む)

「日本のプラットホームって、どうして線路からあんなに高さがあるのだろう。欧州などのプラットホームは線路から数十センチの高さのものも多いのに。」

先日の目白駅での視覚障害者の転落事故や、10年前の新大久保駅で韓国人青年と日本人カメラマンが転落した人を助けようとして亡くなった悲劇を考えていたときに、ふと素朴な疑問が沸きました。

私は今まで海外でフランス、ドイツ、イタリア、イギリス、アメリカ、香港の一般電車や地下鉄を利用したことがあります。

生憎これらすべての駅がどうであったかは覚えていないのですが、TVの『世界の車窓から』や外国映画を観ていても、海外では低いプラットホーム(地面すれすれのもの~70センチくらい)が多いことに気がつきます。

日本の電車はもともと欧米から教わった技術であると思うのですが、『普通の車両はステップのないフラットなもの-但し電車の乗り口をフラットにした分、プラットホームは線路から1メートル10センチ以上という高いもの』が今はほとんど-

これは、日本の電車の殺人的混雑、円滑な運行の為に乗降時間の短縮を考えて、日本が進化させた電車の車両とプラットホームの形なのか。

混雑しない地方の無人駅であっても、確かに高齢者の方や障害のある方、親子連れ、荷物のある方にとっては、フラットな電車、プラットホームの段差もない、こうした方式の方がありがたいことでしょう。

が、それでも安全面をトータルで考えた時は、この進化を正解と言っていいのか・・・と考えてみたりもしてしまいます。

プラットホームは電車に合わせて作られるもの。

低いプラットホームを採用している国の電車は、日本と反対に車両の乗降口にステップがあったり、乗降口とプラットホームの段差が大きいという弊害があり、乗り降りに危険や不便が伴います。

また、プラットホ-ムが低ければ、線路を跨いでプラットホームを移動する不届き者もでることがあります。

(実を言えば、私はイタリアの無人のローカル駅で1時間に1本の電車に乗り遅れそうになって、「線路を跨いで○番線まで行っても大丈夫ではないですか?」と駅まで送ってくれた知人に言ったことがあります。知人は私に呆れながらも、「大丈夫。イタリアの列車が時間通り来っこない」って安心させてくれたので、私は思いとどまりましたが。)

一方、もしプラットホームの高さが低ければ、誤って落ちたとしても自力でプラットホームに戻ることは簡単、という面もあるのです。

海外でも、地下鉄などの電車はステップなしのフラットな車両がほとんどで、それにあわせてプラットホームもそれなりの高さはあると思います。しかし、それは日本のものよりも若干低い(浅い)ようにも感じます。

たとえ1020センチの差であったとしても、電車の乗り降りをする場合の段差としても、線路からプラットホームに戻る人にとっても、違いは大きいでしょう。

日本で(?)電車のフラット式車体を考えだした人が、電車の床を低くする発想をしてくれていたら、と思ってしまいます。

(日本も昔は70㎝くらいの高さのプラットホームが多かったようですが、これを電車に合わせて改修したようです。)

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