Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

軽井沢に集まった上流階級の人々

2011年07月31日 | 人物

20代前半の頃、フランソワーズ・サガンの本に凝ったことがありました。

彼女を一躍有名にした『悲しみよこんにちは』はあまり好きになれなかったのですが、若いサガンがアラフォーの女性の心情をリアルに描いた『ブラームスはお好き』、精神年齢は高い女子大生と大人になりきれない中年男性を描いた『ある微笑』などが妙に壷にはまったのです。

そして実はサガンよりも私を熱中させたものが、このサガンシリーズを訳した朝吹登水子さんご自身。

ご自分の経験を基にして書かれた『愛の向こう側』から、自叙伝、エッセイ。

彼女は華族ではなかったものの、上流階級の出。

(朝吹家系図http://episode.kingendaikeizu.net/43.htm#keizu2)、

福沢諭吉の子孫で三井系実業家の朝吹英二の娘であり、幼きころから、フランス留学にかけて、そして晩年と、幅広い交友関係-華族、実業界、学者、作家、画家・・・サルトルとボーヴォワールから、白洲次郎、正子、三島由紀夫、加藤周一、掘田善衛、藤田嗣治、与謝野家の人・・・この時代の生活や文化、活躍した日本人-特に欧州で生活した人々-に興味がある私にとって、彼女の本から発見したことは数多かったのです。

そして、戦前に欧州に渡った文学・芸術的感性を持った人の思考、作品の背景を知ることもできました。

さて、この繋がりで最初に知った白洲次郎。彼と彼の奥さんの正子さんは、朝吹さんがまだ子供ともいえるころの軽井沢の社交場の華。

次郎氏関連の本を立て続けに読んだ後、彼は長年の私の“憧れの君”でした。しかし最近ふと、彼が通産省の設立に関わり、9電力体制を作るのにもかかわったことを思い出し、ちょっと見方が変わってきています。

人物的には評伝にあるように公平で潔い人物(「ノブレス・オブリージュ」「プリミティブな正義」がモットー)であったと信じていますが、彼を批判した勢力は、あながち「やっかみ」だけでなかったのかもしれないと。

電力会社と経産省の不信感が、なんだか私の憧れまでぶち壊してくれたような・・・。

白洲次郎ウィキペディア:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%B4%B2%E6%AC%A1%E9%83%8E

戦前、軽井沢に集まった上流階級の若い人々-当人、そしてその子孫のなかには財政界で活躍した(or 活躍する)人たちが多くいます。それとは対照的に、敢えてかかわりを避けた(or 避ける)ように見える人たちもいます。

後者は、芸術・学術・文化面ではありますが、野心家だった前者たちよりも実は多くのものを残したような気がしないでもありません。(白洲次郎氏よりも正子さんの方が一般的には有名でしょう。晩年次郎氏は「正子の夫です」と言っていたとか。)

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原発融資に意欲的なJBIC、原発融資をしない世銀

2011年07月30日 | 国際協力・プロジェクト

フランスから原発・放射能関連の貴重な情報を配信してくださっているフランスねこさんに、私はたまにリンクを紹介することがありますが、昨日モンゴル核廃棄場の関係で連絡をしたところ、

「こんにちは。モンゴル情報をありがとうございました。

私も先日関連記事を読んで、話は進んでいる模様-と懸念していたところでした。

時間がなくてブログではなかなか取り上げられないのですが、モンゴル、ベトナムの他に、トルコ、チュニジア、インドへの核輸出の状況を注視してゆく必要があると思っています。

国際協力銀行は、我が国の原発に関する輸出が今後鈍化するとの見通しを既に発表していますが、

「東日本震災が原発の輸出に与える影響は予想以下」

「日本人は国内の原発建設には反対しても途上国に作られる原発は許す」

などなど、一部の官庁とアカデミアが一体となって原発輸出推進のロビー活動を引き続き強化しているという話を最近ききました。」

というお返事を頂きました。

さて、国際協力銀行(JBIC)-特に内閣官房参与でもあるJBICの前田匡史国際経営企画部長-の「原子力発電輸出に向けての並々ならぬ努力」については、当ブログでも何度か取り上げてきました。

ところで、「日本人は国内の原発建設には反対しても、途上国に作られる原発は許す」これは『民意』でしょうか?

もちろん日本のなかには多くの原発推進派はいて、彼らは「日本の原発も許すし、原発輸出も大いに結構」と言うでしょうし、脱原発派であっても「日本は地震国だから原発は止めるべきだけど、それ以外の国だったらOK」という人もいるでしょう。

ついでに言えばJBICは、フランスねこさんが挙げた国以外の原発輸出案件も抱えていて、先日ご破算になった米国向け原発などは「先進国向け」であるにも関わらずごり押ししていました。

トルコの原発は二転三転していますが、この国は地震多発国です。(今進展しそうなリトアニアの案件は活断層上に建設するとか・・。)そしてインドネシアなどは、国民の多くが反対をしています。

今の日本、「原発輸出、しかもモンゴルに核廃棄場まで作って売り込むなんて“No”。」という人の方が多いと思います。

こういうことを書くと、「それでは、日本の経済は打撃を受ける」という意見もありそうです。

確かに原発に限らず、「経済界を破綻させず、雇用をまもるためにも綺麗ごとを言ってばかりではいられない。目をつぶることも必要」というのは、程度問題で許容しなければならないでしょう。

たとえば脱原発を決め、国内のみならず世界各国の国民からもエールを貰ったドイツ政府は、経済活性化のためもあってか、今までイスラエルに気兼ねしてできなかったサウジアラビア向け武器(戦車)輸出の話を進めています。

これは、ドイツは原発輸出国ではないので原発とは関係ありませんが(部品は知りません)、国内の防衛費が削減されたことを受けての輸出というのが本音。

「イランがサウジとイスラエルの敵だからOK」と言っている人もいますが、「綺麗ごとばかり言っていると、国が滅びる」ということでしょう。(私は相手国がどうかに限らず、武器で儲ける国はどうかと思いますが。)

日本も今度は「原発を止めたら、武器輸出だ」と言い出す人もいるかもしれませんが、ともあれ、「少なくとも、JBICの成り立ちを考えたら、とても原発推進をする機関ではないはず。この機関の意義を考え、『国際協力銀行』という名前を汚さないようにして欲しい。」と切に願います。

世界銀行が原発融資をしていないこと(1959年にイタリア向原発に融資したことはありますが、反省してそれ以降はしていません)を思い出してください。

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モンゴル放射性物質廃棄場-IAEAの協力、東芝の書簡のこと

2011年07月29日 | 国際協力・プロジェクト

ジャーナリストの廣瀬陽子氏の記事はとても参考になるものが多いのですが、昨日、今日と前後編に渡って書かれた記事を:

Wedge Infinity

原発輸出をめぐる日露の緊張関係(前編・後編)

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1425

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1427

さて、このうち後編の抜粋を貼り付けます。

“・・・既述のように、ロシアは近年、原発の輸出を外交の重要なカードに据えている。他方、原発にかかわる日本企業も、当面、外国での事業展開しか望めない状況である。そこで原発の市場でロシアと日本、米国の対立関係が目立つようになってきた。

第一に、使用済み核燃料を処分する体制を日本も確立し始めたことがある。

前編で述べたように、ロシアは自国原発の「売り」を、安価な価格と使用済み核燃料の処分という、原発のプロセス全体に責任を持つ体制だとしてきた。

 それに対して、日本の経済産業省や米エネルギー省、モンゴル政府は、モンゴル産のウラン燃料を原発導入国に輸出し、使用済み核燃料の処分はモンゴルが請け負う「包括的燃料サービス(CFS)」構想に向け、議論を急いできた。

 718日、3か国政府のCFS構想に関する合意文書の原案が明らかになった。モンゴル国内に使用済み燃料の貯蔵施設を建設するにあたって、IAEAが技術援助をする可能性もあると記載されている。

 これが成立すれば、核燃料の供給と使用済み核燃料の処分を一貫して引き受ける初の国際的システムが成立することになり、その処分体制を整備できていない日米の欠点が補われる。さらに、日米は新規原発導入国に原発を売り込む上で大きな利点を得られ、ロシアの原発商法(最近、中国やフランスもこの商法を取り入れることに関心を示しているという)にも対抗できるようになるのである。本交渉は政府レベルで進められているが、東芝も関わっているという。・・・”

うっかり、共同通信のモンゴルのCFSの記事を見落としていたので、これも貼り付けます。(大手新聞にこのニュースを報道したところはあったのでしょうか?)

47NEWS (2011718)

使用済み核燃料をモンゴルに貯蔵 日米との合意原案判明

http://www.47news.jp/CN/201107/CN2011071801000391.html

全文:

モンゴル産のウラン燃料を原発導入国に輸出し、使用済み核燃料はモンゴルが引き取る「包括的燃料サービス(CFS)」構想の実現に向けた日本、米国、モンゴル3カ国政府の合意文書の原案が18日明らかになった。モンゴル国内に「使用済み燃料の貯蔵施設」を造る方針を明記し、そのために国際原子力機関(IAEA)が技術協力をする可能性にも触れている。

 モンゴルを舞台としたCFS構想が実現すれば、核燃料の供給と、使用済み燃料の処分を一貫して担う初の国際的枠組みとなる。福島第1原発事故を受け、当面は構想の実現は難しいとみられるが、民間企業も含め後押しする動きが依然ある

そういえば、今月初めには、東芝の社長が米政府高官に「使用済み核燃料などの国際的な貯蔵・処分場をモンゴルに建設する計画を盛り込んだ新構想を推進するよう要請したニュースがありましたが、東芝社長はIAEAも後押ししてくれて、満足なことでしょう。

(参照:『米政府高官に書簡を送った東芝の倫理観』

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20110703

ところで、IAEAは「原発促進の為の国際機関」とも言われていますが、国際機関を語ってはいるものの米国の利益ための機関のようです。これはIAEAに限らないのですが、(国際機関のなかで)一番露骨に思えます。

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福島で人体実験?-日本は中国政府を非難できず

2011年07月28日 | 原発・核・311

昨日の上小30山さんのブログ、『中国高速鉄道の事故から』に

http://js30.at.webry.info/201107/article_26.html

「中国高速鉄道の事故が起きた。

 「日本ではとうてい起きない事故である、あきれた事故調査だ。」というようにここぞとばかり報道されている。

 たしかに、中国はやっぱりだめだなあ・・。という気分になる。

 しかし、日本の原発の事を考えると、いくらマスコミがさわいでも、だれも、以前のように中国を見下したような気分にはならないと思う。」

と書かれていました。

さすがに「人命救助を早々に打ち切り、断線車両を土に埋めた」「これに非難する投稿をネットから削除」という中国政府の非人道的なところは目にあまりますが、それでも(原発事故後は特に、)「日本は中国と五十歩百歩」と、私も思います。

(それにしても、こうした中国が原子力発電をたくさん建設しようとしているわけですが、日本政府もマスコミも、これにはあまり関心がないようですね。)

さて、日本と原発といえば、今朝の東京新聞の『こちら特報部』に『福島の大学情勢に“異変”』という記事がありました。

見出し:

“原発事故に直撃された福島県で今月、脱原発団体が批判する学者や機関と県内の大学との連携の動きが相次いだ。福島大学は独立行政法人・日本原子力研究開発機構(原子力機構)と連携協定を締結。福島県立医大では「年間100ミリシーベルトの被ばくまで安全」と講演した山下俊一・長崎大教授が副学長に就任した。地元では「大学の権威で、被害の訴えが封じられるのでは」と、懸念する声が漏れている。”

この山下教授、講演で、

「放射能の影響はニコニコ笑っている人にはこない」

「何もしないのに福島、有名になっちゃったぞ。ピンチはチャンス。これを使わん手はない。復興です。」

などと言ってきて、

「私の最大の希望は住民が無用な心配や過度の恐怖を抱かないようにすること」と“使命”を説明してきたらしいです。

この記事中、住民の、

「山下さんの言うように安全なら、全県民の健康調査など必要はない。低線量被ばくのデータを集めるために、子供も大人も逃がさないでいるとしか思えない。一種に人体実験だ。そうしたことのために福島に居座るのはたえがたい」

というコメントも紹介されていますが、私はこの住民の怒りは最もだと思います。

日本も、どこかおかしい。

関連:

『福島原発事故のデータ』が『資産』にしか見えない人たち

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20110530

福島原発-技師、被災者に対する更なる暴挙

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20110422

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地デジ化とブラウン管屑と放射線

2011年07月27日 | 生活・日常

我が家には、①居間に地デジ対応液晶TV、②ダイニングキッチンに地デジ対応ではない液晶TV、③息子の部屋にブラウン管の14型TVがあります。

先週末からアナログ波は終了しましたが、チューナーを買っておかなかったので、夫が近所の電器店に買いに行きました。

そして出かけたと思ったら直ぐに戻ってきた夫、残念そうに「チューナーは売り切れで、お店には『ビデオでも地デジが見られますので、ビデオをどうぞ』というような張り紙があった」と報告しながら、早くチューナーを買わなかったことを悔やんでいました。

こんな調子ですから、「TVなど、1台あればじゅうぶん」という私の言い分に当然彼は納得しません。結局、新しいTVを購入しブラウン管TVは廃棄、チューナーが手に入ったらこのキッチンのTVを息子の部屋に、ということになりました。ただし、「(モンゴルの核廃棄場作り推進を米国にせっつく)東芝以外のTV」という条件付きです。

しかしまあ、皆が望んだわけでもない地デジ。

これでまた電化製品は売れ、業界はホクホク。消費者のほうでは、出費(チューナーも値段が上がっているらしい)に有料のゴミの処分を押し付けられ。

一番私が嫌なのは、使える電化製品-TVやビデオ-をゴミにしなければならないことです。何で誰も文句言わないのでしょうか。

さて、哀れな末路を迎えるブラウン管TVといえば、今日のIB timesにこのような記事があったので、リンクと全文を貼り付けます。

「ごみ」を活かし放射線遮蔽材へ、ブラウン管の破砕くずが有効http://jp.ibtimes.com/articles/20876/20110725/922630.htm

NIMSの元素戦略材料センター資源循環設計グループは、ATOX(アトックス)と協力し、不要になったテレビから取り出したブラウン管ガラスの破砕くずに0.8ペタベクレル(ペタは1015)のコバルト線を当て、放射線量の減り方を調べた。その結果、ブラウン管ガラスの破砕くずを厚さ約55cmに詰めた箱を通った放射線量は、およそ100分の1に減少した。これは約9cmの鉛の板と同等の遮蔽能力だという。

 さらに、ブラウン管ガラスの破砕時に生じるガラス粉を破砕くずと混ぜ、密度を上げると、より薄い厚さ約40cmで、放射線量を100分の1に減らす遮蔽能力がみられた。

NIMSによると、コンクリートにブラウン管ガラスの破砕くずを50%混ぜることが出来れば、コンクリートだけの場合に比べ、放射線量をほぼ半分に遮蔽することが可能になるという。

 724日にアナログ放送が終了し(東北3県は除く)、地上デジタル放送へ完全移行したことから、古いブラウン管テレビの大量廃棄が予想される。家電リサイクル法に基づいて回収されるブラウン管テレビが、原発事故現場などでの放射線対策へ有効利用することが期待されている。

それにしても、これはとてもタイミングの良い記事です。

消費者のストレスや良心の呵責を和らげる為に(そして苦情を減らす為にも)、役立つでしょう。

ただ、気になる点は、(有効利用は良いのですが、)その処理方法、そしてその塊を地中に埋めて本当に害はないのでしょうか。

ブラウン管を壊す時に、有害物質を出す話を聞いたことがありますが、毒を持って毒を制すということでしょうか。

「ただちに影響はない」というのでは困るんですけど。

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ピーター・カズニックの論文

2011年07月27日 | 人物

『核兵器をめぐる情報』というウエブサイトに、アメリカン大学のピーター・カズニックの論文の和訳があったのでリンクと抜粋を貼り付けます。全文を是非ご覧ください。

http://www1.odn.ne.jp/hikaku/kaku-info/one/110413.htm

(オリジナルの論文はこちらにあります。

The Asia-Pacific Journal Japan Focus

Japan's nuclear history in perspective: Eisenhower and atoms for war and peace

http://www.japanfocus.org/-Yuki-TANAKA/3521)

抜粋:

“・・・日本は、平和憲法と非核3原則および核軍備撤廃公約を持っている、地球上で最も強烈な反核の国である。悲劇的なことに、その日本が過去4半世紀を通じて最も危険かつ長期にわたる核の危機に襲われつつあり、被害は25年前のチェルノブイリの被害を上回る恐れすらある。しかし、日本の反核主義は、過去66年間にわたり最も恥ずかしげもなく好核の国であり続けてきたアメリカへの依存を特徴とするファウスト的契約にもとづいて、つねに成り立ってきた。福島危機の根源と意義はこの奇妙な組み合わせの同盟国ペアの間の不可思議な関係のなかに埋もれていた。

日本が原子力計画に乗り出したのはアメリカのドワイト・アイゼンハワー大統領の政権期であった。アイゼンハワーは、皮肉なことに、自らが創設に尽力した軍産複合体そのものの台頭に警告を発したとして、いま最もよく知られている人物である。かれは、また、広島と長崎に対する原子爆弾投下を批判した唯一のアメリカ大統領でもある。かれは、原爆投下が戦後におけるアメリカの対ソ友好関係の展望を無にすることを恐れて、一時、原子力の国際管理および米国保有核兵器を破棄するため国連への引き渡しを提唱した。

しかし、1953年の大統領就任までに、アイゼンハワーの核兵器に関する見解は一変した。米国が「膨大な軍事支出の積み重ねで窒息死する」ことを望まず、またソ連とのいかなる戦争も早々に核戦争に転化することを想定して、かれは高価な通常兵器戦力から強化された戦略空軍による大量核報復へと重点を移した。ハリー・トルーマン大統領が核兵器を最後の手段と考えていたのに対して、アイゼンハワーの「ニュールック」政策は核兵器を国防戦略の基礎と位置づけた。

(中略)

原子力平和利用の日本への売り込み

ワシントン・ポスト紙はこのマレー委員長の考えを取り上げて、「核軍備競争をめぐる現在の脅迫観念から人の心を転換させる」方法であると激賞した。「いま、日本への原爆投下が不必要であったと意識するアメリカ人は多い。・・・日本に対する償いの一助として、原子力平和利用の手段のオファーに勝るものがあるであろうか。実際のところ、アメリカが東洋人をたんなる核爆弾の餌食と見なしているとするアジアの印象を払いのけるため、これ以上の方法があるであろうか!」

マレーとシドニー・イェーツ下院議員(民主党、イリノイ州選出)は最初の発電用原子力施設を広島に立地するよう提案した。1955年はじめ、イェーツは「原子力を殺害でなく発電のための手段とする」6万キロワット発電施設を同市に建設する法案を提出した。6月までに、アメリカと日本は原子力の研究開発に協力する合意書に調印を済ませた。

しかし、この考えを日本国民に売り込むのはそう簡単ではなかった。米国大使館、米国国務省情報局(USIS)、そして中央情報局(CIA)は、日本に原子力を普及させる強力なキャンペーンを開始するにあたって、日本プロ野球の父であり、読売新聞と日本テレビの経営者である正力松太郎に助力を求めた。A級戦争犯罪人として2年間収監されたあと、正力は裁判にかけられることなく釈放されていた。アメリカ人の目から見て、かれの猛烈な反共主義は自らの名誉回復に役立った。(参照:有馬哲夫著「正力松太郎の日本における原子力普及キャンペーンとCIAの心理戦争」、2006年11月25日東京経済大学に提出された未公刊文書。英文原題:Tetsuo Arima, "Shoriki's Campaign to Promote Nuclear Power in Japan and CIA Psychological Warfare")。正力の新聞は1955年11月1日、アメリカが大騒ぎのすえ開催にこぎつけた日本への原子力の復帰を歓迎する展示会を共催することに同意し、東京で神道のお祓い式典を提供した。アメリカ大使はアイゼンハワー大統領のメッセージを代読して、この展示会こそ「偉大なる原子の力が本日以降、平和の創造に捧げられるとする日米両国の相互的決意の象徴である」と宣言した。

展示会は、東京における6週間の後、広島とそのほか6都市へ旅した。それは、電力生産、ガン治療、食糧保存、害虫制御、科学研究のための原子力平和利用を呼び物にした。軍事利用は慎重に除外された。核の未来は安全かつ豊かであり、興奮に満ちかつ平和であるように見えた。参会者は期待を上回った。京都の場合、USIS報告によると、15万5千人が雪と雨をおして参集した。

映画、講演そして報道記事の滔々たる洪水はとてつもない成功であった。関係当局の報告によれば、「1954年から1955年にかけて原子力に関する世論の変化は目覚ましかった。・・・原子ヒステリーはほとんど除去され、1956年初めまでに日本世論は原子力平和利用を一般的に受容するに至った」。

しかし、こうした歓喜は時期尚早であった。左翼政党や労働組合による反核組織化は一般大衆の共感を呼んだ。1956年4月に行なわれたUSIS調査によると、日本国民の60%は原子力が「人類にとって恵みというより呪い」であろうとし、わずかに25%だけがアメリカは核軍備撤廃にむけて「誠実に努力している」と考えていた。毎日新聞はこの米国のキャンペーンについて、「はじめに放射能雨による洗礼ありき、ついで海外からの『アトムズ・フォア・ピース』を装った巧みな商業主義の高揚」と書いて、こき下ろした。毎日紙は日本国民に対して、「いま日本において『白い手』により繰り広げられつつある原子力競争の背後にあるものを冷静に吟味する」ことを呼びかけた。

しかし、そののち何年にもわたってUSISの活動は強化され、そして実を結び始めた。米国宣伝キャンペーンに関する秘密報告が示しているところによると、1956年には日本国民の70%が「原子」を「有害」と同一視していたが、1958年までにその比率は30%に下落していた。日本が近代的な科学・産業国家となることを願い、また日本がエネルギー資源を欠くことを知っているだけに、一般大衆は原子力が安全かつクリーンであると信じ込むようになった。かれらは広島と長崎の教訓を忘れていた。

1954年には、日本政府は原子力研究計画に資金を提供し始めた。1955年12月になると、原子力基本法が議会を通過し、日本原子力委員会(JAEC)が設置された。正力は原子力担当国務大臣と初代JAEC委員長になった。日本は最初の商業用原子炉を英国から購入したが、その後まもなく米国設計の軽水炉に切り替えた。1957年半ばまでに日本政府はさらに20基の原子炉を購入する契約を結んだ。

(中略)

否定の代価

アメリカが核兵器による人類絶滅の準備を進めている間、日本はかれらなりの形式をとった否定の方針の下に生きていた。1950年代の危なかしいスタートから始まった日本の原子力産業は、1960年代から1970年代にかけて繁栄し、その後も成長を続けた。この3月、津波の引き起こした福島事故のまえの時点において、日本は、54基の発電用原子炉を運転し、電力需要の30%を賄っていたうえ、50%の大台に到達するのも遠くないと見通すものすらいた。しかし、福島における恐るべき核の大災害は、日本国民に対して、核時代の悪夢的側面に三たび対処することを余儀なくさせたばかりか、かれらの原子力計画がクリーンで安全なエネルギーという幻想の中で生まれただけでなく、広島・長崎の得手勝手な忘却と米国核戦力の強化の中で生まれたという事実にも直面することを余儀なくさせた。

日本核遺産の根本的な評価がいま行なわれつつある。日本国民は、かつて、第2次世界大戦の恐怖を体験したのち平和憲法と反核主義の道を切り開いた。それと同様に、日本国民が、今回の悲劇を契機として、グリーン・エネルギーと米国の核の傘の下での抑止の拒絶の双方への道を設定するため前進することが望まれる。”

この、カズニック氏のことを知りたければこちらのインタビュー記事(英語)を。

http://www.hnn.us/articles/124005.html

ユダヤ系であり、ホロコーストで家族を失っているのに、感情に流されることなくナチ政権時代のことさえも分析。米国人でありながら、人間としての視点で見る。

学者としても、人間としても素晴らしい方ですね。

関連:

アトム、ウラン、コバルトというキャラクターが愛された時代

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20110417

「原発と言えば核兵器」という発想があったイタリア人

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20110717

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ドイツの電力輸出入-データを実際に見る必要性

2011年07月26日 | 環境・エネルギー

ドイツ在住の環境ジャーナリストの村上敦さんのブログ、『フライブルクから地球環境を考える』を最近読み出したのですが、とても参考になります。

とりあえず二本リンクを貼り付けます。

に、ドイツほか欧州の電力輸出入事情が書いてあるもの、

http://blog.livedoor.jp/murakamiatsushi/archives/51630797.html

ドイツ政府の脱原発政策の流れ、

http://blog.livedoor.jp/murakamiatsushi/archives/51635415.html

実は私も前は「ドイツは自国でエネルギーを賄えないからフランスから輸入」と勘違いしていましたが、この原発事故の後、欧州の電力事情の複数のデータに目をとおして初めて実際はそれが真実ではないことに、気が付きました。

(それにしてもドイツは、こうした報道に対してどうして反論しなかったのでしょうね。)

いずれにしても、原発関係だけでなく、「与えられる情報」は時に疑うことも必要ということでしょう。

参考:

『ドイツとスイスの脱原発の影響、これからが大変なイタリア』

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20110617

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時代を読む『民主主義阻む「奥の院」』 by ロナルド・ドーア

2011年07月25日 | R.Dore

昨日(2011724日)の東京新聞に掲載された、ロナルド・ドーア氏のコラムから:

時代を読む『民主主義阻む「奥の院」』

「奥の院の力」とは、権力が個人に集中されていた絶対王制を想像させるが、複雑な権力機構の現代民主主義国家にも通用する。今の日本では「経済産業省・経済団体・電力企業複合体」がそれではないかと、民主党元参議院議員で鳩山内閣のときに財務副大臣を務めた峰崎直樹氏がメールマガジンで指摘している。

その兆候として、①地方も中央も、経済団体のトップを電力会社のトップが多く占めている②知事47人のうち官僚出身者は32人で、伝統的に旧自治省OBが多数だが、最近では経産省出身の人が増えている-ことなどを挙げる。菅直人首相の中部電力浜岡原発の即時停止要請が「思いつき」と非難されたのも、その「複合体」のメディアへの影響を示していると言う人もいる。

まあ、そうだろう。ただ、権力を握る「見えざる手」の多くが法学部系から理科系に取って代わることを意味するなら、技術立国の日本にとって不幸なことではなかろう。

英語では、不当に為政者に支配的な影響を与える「奥の院」のことを、フランス語を使って「エミノンス・グリーズ(黒幕)」という。最初にそのあだ名がついたのは、リシュリュー枢機卿(1617世紀の政治家)の「顧問だったそうだ。今でも、エミノンス・グリーズといえば、ひげを生やし、鋭い目つきで人を圧倒する老僧侶のイメージが浮かんでくる。

しかし、イギリスで先週、ニュースのトップ見出しから消えなかったエミノンス・グリーズは、メディア王といわれるルパート・マードック氏だ。彼が率いる法人「ニューズ・インターナショナル」が所有し、販売部数300万部と言われる日曜大衆紙「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」をめぐるスキャンダルが中心だった(米国では、米共和党を支持する「FOXテレビ」などを保有している)。

「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」の取材方法は傍若無人で、法律も常識も踏みにじる無謀なものだという批判は以前からあった。特に、個人のパソコンや携帯電話などのハッキングし、その個人情報をネタにすることが判明。裁判沙汰になって、あやふやな和解で終わったりする事件は十年前から度々あった。

標的にされたのは、王室や芸能人、不人気な政治家が多かった。ところが、今回明るみに出たのは、行方不明後に死体で見つかった少女。警察の大捜索が続いているのに、その少女の携帯電話を盗聴して、記者が親の悲鳴を聞くなどしていた。

その許しがたい取材方法が報道されると、国民の憤慨はすさまじいものだった。だが、その憤慨の矛先はすぐに、政界、メディア。警察の第三者の複合体へと移っていった。1997年の選挙の前、ブレア労働党党首がオーストラリアへの長旅でマードック氏の機嫌を取りに行って、販売部数300万部の英日刊紙「サン」が労働党を支持するという口約束を結んだことが思い出された。キャメロン現首相も、マードック氏と親しくしていることも明るみに出た。それしか票を取る方法がないとしたら、なんという民主主義だろう。

「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」も廃刊になったが、メディアのオーナーが政党政治の「奥の院」になれない法律こそ、民主主義の必要条件であることが再認識された。

日本でも大手マスメディアと財政界との癒着はあるのですが、今のところマードック氏クラスのオーナーはいないので、『メディアのオーナーが政党政治の「奥の院」になれない法律』を作る必要はないと思います。

そのかわりに、「①地方も中央も、経済団体のトップを電力会社のトップが多く占めている②知事47人のうち官僚出身者は32人で、伝統的に旧自治省OBが多数だが、最近では経産省出身の人が増えている」という現実があることをしっかり議論し、①についてはこれを規制する法律を早急に作って欲しいと思います。

②については、投票する側の問題なので、法律で規制はできません。

しかし、知事に経産省出身の人が増えている理由は、経産省が抜きん出る力をつけすぎたということ。

複合体をtoo bigにしたままでは問題です。まずは経済産業省自体の体制の見直しも必要ではないかと思います。

(そういえば、福島原発以降海江田経済産業省も失言・暴言を吐いたりしたわけですが、マスメディアは彼には寛容でしたね。ついでに言うなら、仙谷副官房長官にも甘い。)

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税金で原発記事監視-実態は・・・

2011年07月23日 | 原発・核・311

是非とも目を通していただきたい記事を:

東京新聞(2011723日朝刊)

『エネ庁が原発記事監視 4年で1億3000万円』

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011072390070642.html

経済産業省資源エネルギー庁が原発に関するメディア情報を監視してきたことが、本紙の調べで分かった。本年度発注分を含めると、外部委託費の総額は四年間に約一億三千万円に上る。昨年度までは、いずれも電力会社役員らが理事を務める財団法人が受注していた。

 同庁の資料などによると、昨年度までの三年間は「電源立地推進調整等事業(即応型情報提供事業)」として、新聞や雑誌の記事を監視する事業を年約一千万~約二千四百万円で外部委託していた。

 委託先は、東京電力の勝俣恒久会長が非常勤の理事を務める「日本科学技術振興財団」や、経産省原子力安全・保安院のOBや元原子力安全委員会委員長らが役員になっている「エネルギー総合工学研究所」といった財団法人ばかりだった。

 事業は、一部に同庁ホームページ(HP)にあるQ&Aコーナーの更新が含まれているが、主には「不正確または不適切な報道を行ったメディアに訂正情報を送る」こと。ただ同庁によると、メディアに訂正を求めたことは一度もない。

 Q&Aのページは現在、福島第一原発の事故を受けて「苦情が多く寄せられたため」(担当者)閉鎖されている。

 本年度は震災に伴う第一次補正予算に「ネット上の不正確情報の監視」として八千三百万円を計上。

 十五日には委託先を決める入札が行われ、広告代理店が落札した。

 福島第一原発の事故で原発への不安が大きくなり、ネット上で情報が乱れ飛んだことを受け、従来の新聞記事の監視を縮小し、一般市民がツイッターやブログなどを通じて発信する情報の監視に重点を置く。

 監視により「不正確または不適切な情報」が見つかった場合は、原子力の専門家などのアドバイスをもとに、同庁HPに、その情報を打ち消すような内容を掲載するとしている。

 資源エネルギー庁原子力立地・核燃料サイクル産業課の話 原子力について正確に報道されていない場合もある。報道内容を把握し、適切な広報のあり方を検討するため続けている。

昨日知人に送ったメールに、

「ところで、先程、故平井憲夫さんのことを調べていたら、『原発がどんなものか知って欲しい』というものを見つけました。たぶん、ご存知であろうかと思いますが、リンクを送ります。

http://www.iam-t.jp/HIRAI/

(この平井氏について、2011年の4月の教えてGOOに、こんなことが書かれています。http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6649765.html)」

と書きました。

教えてGOOに書いてある質問は、

「著者名で検索すると、なぜか別人の著書ばかり紹介されます。

 ウィキペディアにも、なぜか項目がありません。

 この人は、コピペされただけで、実在しなかったのでしょうか?」

でした。

実態は、上記記事よりもっと悪質であると、自分の経験上からも思っています。

(そして許せないことに、この監視の為の委託料金は、税金から払われているのです!)

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初心を忘れない志士達

2011年07月23日 | 人物

原発関連の記事を追っていると、ストレスがたまります。それと入院中の義父のことで頭悩ますこともあり、いらいらすることも。

そういうときは、英語でメールを書くことができなくなり、外国人の友人達からもらったメールの返事も滞りがちです。

特に、手書きだったら便箋10枚はこえるだろうメールをくれるドイツのトーマスさんへの返事はなかなか取り組めません。彼に書きたいことがたくさんあるのに、それを英文で書くリズムが戻らないのです。

そういう時は、一応近況と自分が(英文を書く)スランプに陥っていることを知らせる短いメールを送りますが、先日はそのメールの末尾に、

「ドイツ人のあなたには「厳しすぎる」と思えるかもしれませんが、これは日本的魂と言えると思います。私はいらいらしているのが長く続くと、この詩を唱えます。」と書いて、以下の詩を紹介しました。

『自分の感受性くらい』

by 茨木のり子)

ぱさぱさに乾いてゆく心を

ひとのせいにはするな

みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを

友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを

近親のせいにはするな

なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを

暮らしのせいにはするな

そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

駄目なことの一切を

時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい

自分で守れ

ばかものよ

私が、年少の人はもちろん、年長の友人知人によく言う言葉に、「初心を忘れないでください」というのがあります。

いわゆる昨日のブログにも書いたような、内部告発者-志士の人たちも、初心を忘れない人たちであったのだと思います。

志士といえば、7月7日に『2004年、経産省の6名の志士達』

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20110707

を書きました。

この6名ののうち一人、伊原智人さんのことがAERAの記事に載っていることを、kockeyeさんから教えてもらっていましたが、今日、その記事をやっと読むことができました。

阿修羅の投稿(by虎丸花菱さん)されたものですが、リンクと抜粋を貼り付けます。

(記事自体は民主党の一部の「ヨイショ」記事に思えます。)

阿修羅-AERA『経産省のクーデターが始まる』

http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/367.html

抜粋:

“・・・伊原智人は6年ぶりに霞ヶ関で働くことになった。リクルートに勤めていた彼が、再び政府の職を得たのである。

 東大卒業後の1990年、通商産業省(現経済産業省)に入った。同期の間で「政策センスがいい」と評され、いずれ事務次官も夢ではなかった。そんなエリートの彼が官職を辞し、民間に転職したのは、2004年に同省を揺るがした「核燃問題」への関与を疑われたからだ。当時伊原は30代半ば、資源エネルギー庁の課長補佐だった。

 原発からの使用済み核燃料を再処理して、プルトニウムやウランを使える燃料として取り出すことを「核燃料サイクル」という。経産省が国策として推進し、電力業界は22千億円もの巨費を投じて青森県六ヶ所村に核燃料サイクル施設を造った。

 当初の建設予定費は6900億円だったがその3倍もかかってしまい、これを動かすにはさらに19兆円もの費用がかかる。もはや経済的に見合わないと考えた当時の若手官僚たちは、核燃が政策的に破綻している実態をひそかに要路に訴えた。それが、原発推進を掲げる経産省幹部に睨まれ、彼らは枢要なポストから遠ざけられた。伊原も1年後、霞ヶ関を去っている。

あの男が帰ってきた

 彼に再び働く場を提供したのは、再生可能エネルギー特別措置法案の成立に政治生命をかける民主党の菅政権である。菅直人首相の旗本といえる国家戦略室は612日、エネルギー政策のための職員を公募し、応じた伊原は71日、課長級の内閣官房企画調整官に任じられた。・・・”

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「原発安全」と唱えるだけの人たちの実態

2011年07月22日 | 原発・核・311

前回のブログでも取り上げた、元原発検査員の藤原節男さんとメールを取り交わしました。

(彼の話はウォール・ストリート・ジャーナルの記事のほか、2011618日の週刊現代でも取り上げられています。後者については、「語られる言葉の河へ」さんというブログに転載されています。

http://blog.goo.ne.jp/humon007/e/d1642b2e6ce354e1b8758ce2cee1177d )

原子力に関わる人達は原子力に絶対の信頼を持ってその道に進んでいくわけですが、現場で働くうちに、原子力を人間が扱うことに限界を感じ、信頼をも失う人が少なくないと思います。

その大きな原因となるのが、藤原さんのような真摯に取り組む人たちが排除されていってしまうこと。また、お上が都合の悪い報告は揉み消してしまうので、もともとそうした志があった人たちもいくら職場に残ろうとも、「ミザル、イワザル、キカザル」になってしまうので組織が改善することもない。

金平茂紀氏の201148日のブログ内部告発者を東電に通報していた保安院」という、佐藤栄佐久全福島県知事のインタビュー記事

http://www.the-journal.jp/contents/kanehira2010/2011/04/post_4.html

にも、以下の記述があります。

“・・・大震災から11日たった3月22日のことだったが、あれから2週間以上が過ぎて、再び佐藤さんを訪ねた。前回のインタビューでは尋ね切れないことがらが沢山あったからだ。そのひとつは、WikiLeaksではないが、原発内部で働く人々の中から少なくない数の内部告発が寄せられていたのが、それらがどのように処理されていったのか、という点についてだ。

冒頭で触れた1通の手紙は、2000年7月に旧通産省に送られてきて、保安院に回付されたものだ。その手紙による告発は、保安院から何と東電に通報されていたのだという。内部告発はいわば命がけの行為だ。告発した人間の身元を保護するは内部告発制度を活かす最低限のルールなのだ。

それが当時、それとはまったく逆のことが行われていた。当時を振り返りながら、佐藤さんは怒りをあらわにしていた。現時点で、電力会社や保安院、原子力安全委員会、経済産業省といった巨大組織内において、おそらく日本国民が知っておくべき情報がもし隠されているのだとしたら、潜在的な内部告発者が多く存在していることになる。・・・”

また、下のものは、故平井憲夫氏(原発技師)の「原発がどんなものだか知って欲しい」の中の一つ:

http://www.iam-t.jp/HIRAI/page4.html

名ばかりの検査・検査官

 原発を造る職人がいなくなっても、検査をきっちりやればいいという人がいます。しかし、その検査体制が問題なのです。出来上がったものを見るのが日本の検査ですから、それではダメなのです。検査は施工の過程を見ることが重要なのです。

 検査官が溶接なら溶接を、「そうではない。よく見ていなさい。このようにするんだ」と自分でやって見せる技量がないと本当の検査にはなりません。そういう技量の無い検査官にまともな検査が出来るわけがないのです。メーカーや施主の説明を聞き、書類さえ整っていれば合格とする、これが今の官庁検査の実態です。

 原発の事故があまりにもひんぱんに起き出したころに、運転管理専門官を各原発に置くことが閣議で決まりました。原発の新設や定検(定期検査)のあとの運転の許可を出す役人です。私もその役人が素人だとは知っていましたが、ここまでひどいとは知らなかったです。

 というのは、水戸で講演をしていた時、会場から「実は恥ずかしいんですが、まるっきり素人です」と、科技庁(科学技術庁)の者だとはっきり名乗って発言した人がいました。その人は「自分たちの職場の職員は、被曝するから絶対に現場に出さなかった。折から行政改革で農水省の役人が余っているというので、昨日まで養蚕の指導をしていた人やハマチ養殖の指導をしていた人を、次の日には専門検査官として赴任させた。そういう何にも知らない人が原発の専門検査官として運転許可を出した。美浜原発にいた専門官は三か月前までは、お米の検査をしていた人だった」と、その人たちの実名を挙げて話してくれました。このようにまったくの素人が出す原発の運転許可を信用できますか。

 東京電力の福島原発で、緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動した大事故が起きたとき、読売新聞が「現地専門官カヤの外」と報道していましたが、その人は、自分の担当している原発で大事故が起きたことを、次の日の新聞で知ったのです。なぜ、専門官が何も知らなかったのか。それは、電力会社の人は専門官がまったくの素人であることを知っていますから、火事場のような騒ぎの中で、子どもに教えるように、いちいち説明する時間がなかったので、その人を現場にも入れないで放って置いたのです。だから何も知らなかったのです。

 そんないい加減な人の下に原子力検査協会の人がいます。この人がどんな人かというと、この協会は通産省を定年退職した人の天下り先ですから、全然畑違いの人です。この人が原発の工事のあらゆる検査の権限を持っていて、この人の0Kが出ないと仕事が進まないのですが、検査のことはなにも知りません。ですから、検査と言ってもただ見に行くだけです。けれども大変な権限を持っています。この協会の下に電力会社があり、その下に原子炉メーカーの日立・東芝・三菱の三社があります。私は日立にいましたが、このメーカーの下に工事会社があるんです。つまり、メーカーから上も素人、その下の工事会社もほとんど素人ということになります。だから、原発の事故のことも電力会社ではなく、メー力-でないと、詳しいことは分からないのです。

 私は現役のころも、辞めてからも、ずっと言っていますが、天下りや特殊法人ではなく、本当の第三者的な機関、通産省は原発を推進しているところですから、そういう所と全く関係のない機関を作って、その機関が検査をする。そして、検査官は配管のことなど経験を積んだ人、現場のたたき上げの職人が検査と指導を行えば、溶接の不具合や手抜き工事も見抜けるからと、一生懸命に言ってきましたが、いまだに何も変わっていません。このように、日本の原発行政は、余りにも無責任でお粗末なものなんです

「マトモな原発従事者でも、物言う人間は不要。管理する人間も何も知らない人間を配置するほうが面倒が起こらない。天下り先も保持できて、一石二鳥。」

というのが、はびこってしまう怖さ。(なかには「知識がなくてもプライドだけ高い天下り」もいて、そういう輩が知ったかぶりからとんでもない判断をくだすケースもあるでしょう。「操り人形天下り」と同じくらいの害です。)

そういえば、先日、不倫騒動で更迭された原子力安全保安院の西山審議官。

(天下りではありませんが、)彼などは、もともとTPPなどを担当していた事務次官です。原子力関係にはほんの少し関わったいうことがあった程度であったのに、保安院の大役を押し付けられてしまう。

(西山審議官ほか、こうした畑違いの仕事をする人は断われば退職するしかないので、彼らも見方によっては被害者でしょう。)

(純粋な)原発容認派と脱原発派は、この部分の健全化なしには何も解決しないことを悟り、今はお互い協力しあうべきではないかと思います。

(海外大手新聞の日本人記者さんがこの問題を切り込む記事を書いているのを見かけることがありますが、日本の大手新聞では、そうした記事を見かけません。東京新聞がその中では、頑張っているほうであると思いますが。)

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藤原節男さんのケース-原発業界の“Responsibility”とは

2011年07月21日 | 原発・核・311

6月のブログ、『国民性とヒーロー』

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20110619

に、ウォール・ストリート・ジャーナル日本版の記事、

『元原発検査員、内部文書公表でずさんな実態を告発』

http://jp.wsj.com/Japan/node_250525

を紹介しましたが、本日この元原発検査員の藤原節男さんから、ご連絡をいただきました。

全文は以下のとおり:

“「彼(藤原節男氏)はヒーローだわ」との評価、ありがとうございます。
WSJ日本版の記載は、英文和訳です。このため、若干、わかりにくいところがあります。真意は、以下のとおりです。なお、いまだに、原子力安全委員会、原子力安全・保安院は、「本内部申告は、原子力安全に関係しないため却下」の態度です。内部申告制度が、内部告発者摘発制度に成り下がっています。これでは、福島原発事故と同様の事故が再発します。ご支援をよろしくお願い申し上げます。

【東京】原子力安全基盤機構(JNES)で原子力発電所の検査を担当していた藤原節男氏(62)は、内部文書を公表し、当局による検査のずさんさを訴えている。
藤原氏がJNESに安全管理の甘さを批判し始めたのは2009 7 月。同年中に原子力安全・保安院(NISA)にも訴えた。その後2010 3 月にJNES退職に追い込まれたという。

藤原氏は2010 8 月、JNESに復職を求める裁判を東京地方裁判所に起こした。JNESは裁判所への提出書類で、辞めてもらった理由は勤務成績の問題だとしている。JNESの広報担当者はコメントを控えた。これに対し、藤原氏は、不当な退職に追い込まれたのは、内部告発をしたためだとしている。

同氏は訴訟で、検査の問題を記録した「トラブル・クレーム対応の記録」という内部資料だとする書類を提出している。この資料のなかには、たとえば、原子炉の検査過程において、起こった様々な問題が記録されている。藤原氏によると、この記録はトラブル・クレームに直接関わった検査員や記録を担当する部内の別のメンバーが記入し、JNESが問題を把握するために使っていた。また、別の提出書類には、ある原子炉の検査結果報告をめぐって藤原氏と上司がやりとりした電子メールの記録も含まれる。

JNESは、訴訟でこれらの資料の真偽にはコメントしていないが、藤原氏が内部機密文書を不適切に開示したと批判している。

トラブル・クレーム対応の記録には、3 月の福島第1 原発の事故に直接関係する項目はなく、他の原発での大きな事故につながるようなトラブルも記載されていない。ただ、検査員の不足や、一部の面で国際基準に満たない記録管理など、さまざまな面でのずさんさがうかがえる。

内部資料によると、たとえば、島根県での新たな原子力発電所建設では、資格の有効期限が切れた溶接士を従事させていた。また、ある原子力発電所の稼働前の検査では、2 人で行うべき検査を1 人で行っていた。

NISAの当局者によると、法律による内部告発制度を使って規制当局を正式に訴えたのは、藤原氏が初めて。他の告発の対象は、電力会社やメーカーだという。

藤原氏は、記録に残されたトラブルやクレームに対するJNESの対応を批判した。内部でミーティングをし、エクセルで作成した記録には、短いコメントを書くだけだからだ。本来なら、公式の不適合報告書を作成し、問題の綿密な分析や再発防止策を明記すべきだという。

2003 年の設立以来、JNESはこうした報告書をわずか2 通しか提出していない。

法律ではこうした報告書の提出は、義務づけられてはいないが、国際原子力機関(IAEA)QA 規定では、義務づけている。

藤原氏はインタビューで、「わたしは、たまたま定年間際で、わたしに対する被害はなにもない。だから、ドン・キホーテになってでも、告発すべきだと思った」と語った。

告発に踏み切ったきっかけは、ある原発の検査で好ましくない検査結果の隠蔽(いんぺい)行為を目撃したことだ。2009 3 月、北海道電力泊原発で新規原子炉の減速材温度係数測定検査を担当した。1 日目は、減速材温度係数が正(プラス)で、不合格であった。しかし、要領書どおりに再検査を行い、2 日目は、減速材温度係数が負(マイナス)となり、条件付き合格とした。

同氏によると、上司にそれを報告したところ、上司は、再検査で良好な結果が出た記録のみを記載し、初回検査の記録を報告書に記載しないよう命じた。JNESとNISAも、この事実を認めている。

同氏が、初回検査の記録を残すように抗議すると、上司は勤務評定を悪くすると脅したという。JNESは、この上司に対する取材を認めず、現在も在職しているかどうか確認することも拒否された。

藤原氏の訴訟やJNES、NISAへの提出文書によると、JNESは、抗議を受けて初回検査の結果も記録に残した。ただ、同氏が上司の記録改ざん命令が不適合業務に当たることを認めるよう、JNESに求めたが、JNESは応じなった。

大阪大学の宮崎慶次名誉教授は、「検査結果がプラスになるには、それなりに明確な理由が必ずあるはずだ。それをそのような結果がなかったとするような行為は、技術者としては絶対にしてはいけないこと」だと指摘。事の背景は詳しくは知らないとしながらも、記録改ざん命令を拒否した藤原氏の主張は「まったく正しい」と述べた。

北海道電力の広報担当者はコメントを控えた。”

ついでに、私の返事は以下のとおりです。

「藤原さん、ご連絡ありがとうございます。

WSJはじめ海外報道の日本語版は、訳の問題ではなく、必要以上に要約されすぎているものが少なくないのですが、ついついオリジナル版に目を通すことを怠ってしまいます。藤原さんがお送りくださった真意(オリジナル記事の内容)は、後のブログで紹介させてください。

日本が「先進国、文明国、民主主義国家」と思えなくなることが時々あります。それを許してしまう土壌を改善しないと、取り返しのつかないことになりそうですね。

(後略)」

なお、WSJのオリジナル記事のリンクはこちら。

Former Inspector Complains of Regulators' Practices

http://online.wsj.com/article/SB10001424052702303654804576346821727192828.html

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シャガールの絵からの贈り物

2011年07月20日 | 芸術・本・映画・TV・音楽

雨の中、友人とエコール・ド・パリの美術展に行ってきました。

この美術展でのメインはジュール・パスキン(18851930年)、ついでマルク・シャガール(1887年~1985年)。

シャガールの絵といえば、二十数年前に、ニューヨークのメトロポリタン美術館に行った時、白人の中高年の来館者が数名、「シャガールの絵はどこかしら?」と探している姿を見て、不思議に思ったものでした。

「ちょっと不気味な絵が多いけど、アメリカ人(実のところ、彼らがアメリカ人であったかどうかは不明)の小父さんや小母さんは、シャガールファンが多いの?私は、あの良さは分らないな・・。」と。

絵の好みは「子供の頃」「若い頃」そして「中年」となってからと変化していきましたが、基本は清涼感のある写実的な絵が好き。故にシャガールの絵はずっと興味の対象外。

しかしここ数年、欧州の大聖堂のステンドグラスや天井画の彼の作品をいくつか見たのと、昨年のパリ旅行中のオランジュリー美術館でのクレーの特別展を見て「色の魔術」に引き寄せられたせいもあって、今回の展覧会で観たシャガールの鮮やかな色彩の作品は強い印象を残しました。

年齢、そして経験とともに、趣向の許容範囲が広がってきたのか。(好みは変われども、一度好きになった画家や絵は嫌いにならない。)

「シャガールの絵、作風は様々だけど、残っている絵は物理的には何も変わらない-しかし、見る側の内側では、それらはいくらでも変わる。」

そんな当たり前のことを感じながら、好きなものが増えたことで、幸せを感じたひと時でした。

さて、こじつけっぽいですが今日はこの『(ささやかでも大きい)幸せ』という言葉に関連させて、昨年のインタビュー記事を一つ;

Asahi com. (2010713)

『経済の成長は人を幸せにしない 経済哲学者・ラトゥーシュ氏に聞く』

http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201007130317.html

本文: 

「脱成長」を掲げて経済発展や開発のあり方を問い続ける仏の経済哲学者セルジュ・ラトゥーシュ氏(70)が、日仏会館の招きで来日した。初の邦訳書『経済成長なき社会発展は可能か?』(作品社)が今月刊行されたラトゥーシュ氏に、あるべき経済政策などについて聞いた。

地域社会の自立こそ必要

 同書は欧州を中心に広く読まれており、日本での出版は13カ国目になる。「脱成長(デクロワサンス)」は、「だんだん弱く」を意味する音楽用語「デクレッシェンド」と同じ語源をもつ。経済の規模を徐々に縮小させ、本当に必要な消費にとどめることが真の豊かさにつながると氏は説く。

 「私が成長に反対するのは、いくら経済が成長しても人々を幸せにしないからだ。成長のための成長が目的化され、無駄な消費が強いられている。そのような成長は、それが続く限り、汚染やストレスを増やすだけだ」

 資源や環境の問題が深刻化する中で、「持続可能な成長」という考え方が国際的に広く受け入れられるようになった。だがラトゥーシュ氏は、「持続可能な成長」は語義矛盾だと指摘する。「地球が有限である以上、無限に成長を持続させることは生態学的に不可能だからだ」

 世界経済が長期不況にあえぎ、日本でも貧困問題が深刻化しはじめた。経済成長こそが貧困を解決するという経済学の「常識」が力を得ていく中、「脱成長」は旗色が良くないようにも見える。

 この点に関してはラトゥーシュ氏も、今の社会システムのままでマイナス成長に転じても事態はかえって悪化するだけだ、と認める。

 「より本質的な解決策は、グローバル経済から離脱して地域社会の自立を導くことだ。『脱成長』は、成長への信仰にとらわれている社会を根本的に変えていくための、一つのスローガンだ」

 物質的な豊かさを達成した「北」の国々だけでなく、「南」の貧しい国も成長を拒否すべきなのだろうか。

 「北の国々による従来の開発は、南の国々に低発展の状態を強いたうえ、地域の文化や生態系を破壊してきた。そのような進め方による成長ではなく、南の人々自身がオリジナルの道を作っていけるようにしなければならない」

 就任間もない菅直人首相は、経済成長と財政再建は両立できると訴えている。だがラトゥーシュ氏は、「欧州の政治家も同じようなことを言っているが、誰も成功していない」と批判する。

 「彼らは資本主義に成長を、緊縮財政で人々に節約を求めるが、本来それは逆であるべきだ。資本主義はもっと節約をすべきだし、人々はもっと豊かに生きられる。我々の目指すのは、つましい、しかし幸福な社会だ」(樋口大二)

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「なでしこジャパン優勝はアジア初の快挙」と喜んでくれる韓国の友人

2011年07月19日 | 友人・知人

韓国の友人Cさんから今朝メールが届きました。冒頭は、なでしこジャパン優勝のお祝いの言葉でした。

「昨日、日本の女子サッカーがワールドカップで優勝しましたね。

おめでとうございます。

大地震以後に少し落ち込んでいた日本人に勇気を与える大きいな勝利でしたね。

この優勝は日本初めての優勝だけではなく、アジアの初めての優勝で、韓国も、中国もやればできるんだとわかったと思います。

それがみんなに与えた影響ですね。・・・」

スポーツ観戦に興味がなくて(試合を観ることがあっても、「勝ち負け」には特に興味がない)、反対に熱狂的なサッカーファンの夫に手を焼いている私は、今回の優勝もそれほど興奮する話でもないのですが、それでもやはり彼女達に「ご苦労様」と「ありがとう」の言葉を送りたいと思います。

そしてまた、他国でありながら、自分の国のチームが勝ったがごとく(というより、アジアのチームとしてか)、喜んでくれる韓国の友人にも感激。

早速返信のメールを送りました。

「いつも、暖かいメールをありがとうございます。

私はスポーツ競技すべてに興味がないのですが(私の夫、友人達は大興奮です)、なでしこジャパンの優勝は、本当に日本人を元気づけてくれたと思います。

Cさんの「アジアの初めての優勝で・・・」という言葉を聞いて、益々嬉しくなりました。

(中略)

さて、話は違いますが、週末にTVで、「外国人による日本語の弁論大会」

http://www.jpf.go.jp/j/japanese/event/benron/index.html

を観ました。

大会出場の皆さんの流暢な日本語に感心するとともに、彼らのスピーチに、頷いたり、笑ったり、驚いたり、そして感激したり。

皆さん一人ひとりがとても素晴らしかったのですが、私はウクライナの方がスピーチのなかで、

「無人島に一人で行くことになって、「一つだけ何か持っていって良い」と言われたら、何を持っていく?」と日本人の友人に尋ねたら、「そりゃ、友達だよ。仲間がいれば乗り越えられる」という即答が返ってきて、驚いた。

と言っていたのが、一番印象に残りました。

彼女は、本国では作れなかったような仲間(日本人と他国の留学生)を留学先の日本の大学で作れた経験に感激して、そしてそういう『文化』を本国に伝えたいと語っていました。

この『仲間文化』というものは、欧米よりアジアの方が強く、その上、日本の場合は良きにしろ悪きにしろ、『お互いの信頼、依存関係』がアジアの中においても強いのだろう、と思います。(「以心伝心」というのが日本にあるのは、そのせいでしょう。)

アジア人や日本人にとっては、当たり前ですが、ウクライナの彼女はそれを新鮮に感じ、貴重なものだと言う・・・。

ちょうど、Cさんの今朝のメールは、この『仲間の文化』を実感させてくれました。

(後略)」

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イタリアの田舎に流れる時間の贅沢さ

2011年07月18日 | R.Dore

津軽通信、番外編 第3のイタリア雑感

http://www.telework.to/sasWeb/tsu-italy.htm

に以下のようなコラム(1998年のもの?)があります。

『ボローニャからの追想』

ボローニャは、最古の大学のある古都です。ローマ法がはじめて講義されたという由緒ある大学があり、今なお学生の街として趣のある観光地でもあります。私は、ここからフェラーリの工場(モデナ近郊)にでかけたり、またボローニャが最近つくった工業団地を見てきました。

しかし、もっと刺激的だったのは、イタリアの時間のゆるやかさでした。まず、働くのは9時から12時まで。昼から3時まで、昼食とシエスタ。さして大きくない町ですので、ほんと店も銀行も大学もすべて閉まり、町全体がひっそりとなりました。そして3時から夜7時まで、また稼働しはじめて、町もにぎやかになります。夜8時になっても外は明るく、晩飯には早すぎます。ようやく暗くなってくる9時頃から晩飯になり、レストランも人が多くなります。

なるほど、なんと言おうが、グローバルスタンダードで忙しくなろうが、このゆったりした時間の流れは変えないというところです。

ところで、日本でも有名な社会学者のロナルド・ドーア(イギリス)は、引退後イタリアに住まいを移しています。その場所は、このボローニャから南に30キロ行った、グリツアーナ・モランディという小さな村です。

彼は、午前中までの仕事が終わると、昼下がりには、いつものバー「ピーナ小母さんの店」に出かけるのが日課です。そのバーには、アル中の老人、運転手のフランコ、カストロ髭の男などの常連客が集まり、ビールを飲み、トランプをして、政治談義に耽るとか。また、政治から一転して、新しいイタリアの料理法、ブドウのでき具合、痴話喧嘩、愛のもつれなど、庶民生活の細かな話がとめどなく繰り広げられるのです。

ときには、誰かが60年代のカンツオーネを歌う。ドーアは、何時もその話の輪に加わり、つたないイタリア語でお喋りを楽しむのです。

ドーアは、戦後すぐの日本に来て、農村に入りフィールドサーベイをした根っからのフィールド派です。日本語をあやつり、ごはんとみそ汁を食べて、村民らと酒を飲み、農地改革前後の日本の農村の変化を分析した学者です。その彼が、今はイタリアにいて、70歳の人生を楽しんでいるのです。

このグリツアーナ・モランディ村では、15世紀から変わらぬ家並みが残っています。昨日と同じ今日がまた終わると、またいつもの同じ明日が始まっていく、そんな村です。明日、昼になりシェスタになると、村一軒のバー「ピーナ小母さんの店」にいつもの顔ぶれが集まり、お喋りがいつものように始まり、そこにドーアも又加わるのです。

以上の話は、柳原和子「日本学者R・ドーアの戦後50年」(中央公論、95年7月号)からの引用ですが、何度このエッセイを読み返しても、イタリアのたゆとうような時間のリズムがうらやましく思えるのです。

どうやら、イタリアはイタリアであり、昔からちっとも変わっておらず、人がなんと言おうがこのイタリアン・スタイルがいいということのようです。マフィアが捕まろうが、首相が変わろうが、経済がおかしくなろうが、一人一人はシェスタを楽しみ、バーでのお喋りに耽り、政治談義をする。そして、夜は家族でディナーを囲んで、平安な時間を持つ。つくづく、うらやましい時の過ごし方を思うのでした。

このコラムは、ほとんどが癌でお亡くなりになったノンフィクション作家で柳原和子さん

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E5%8E%9F%E5%92%8C%E5%AD%90

の文の引用であるようですが、とにかく、柳原さん、コラムの執筆者と同じように、このイタリアの田舎でのリズムが、大変貴重なものの思えます。

さて、このコラムにあるロナルド・ドーア氏ですが、実は私は2005年と2008年の2回、彼のお宅を訪問させてもらっています。

この柳原さんがドーア氏を訪問してからおよそ10年後の訪問ですが、村の生活の様子は、当事とほとんど変わりなかったことを覚えています。

参照:D

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20080227

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