Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

Good job, UNESCO!

2011年06月30日 | 国際協力・プロジェクト

今日はちょっと嬉しいニュースを。

市民社会フォーラム

『ジャビルカ通信(号外)クンガラ鉱区のウラン開発の可能性ゼロに』

http://civilesociety.jugem.jp/?eid=9230

抜粋:

“・・・パリで開催中のユネスコ世界遺産委員会において、
北オーストラリアのクンガラ Koongarra 地区を世界遺産「カカドゥ国立公園」に編入することが決定されました。

これで、同地区でウラン採掘権をもつ仏・アレバ社(旧・フランス国立原子力開発機構)によるウラン採掘は不可能となりました。
30
年以上にわたりウラン開発に抵抗を続けてきたグンジェイッミ・アボリジニーの希望がひとつ実現しました。・・・”

さて、オーストラリアのアボリジニとウラン・・といえば、4月のインディペンデント紙に、福島原発事故を受けて、アボリジニの長老が国連の事務総長に書簡を送った話が載っていました。

翻訳はこちらから:

エコロジーオンライン

『アボリジニがウラン採掘に反対』

http://www.eco-online.org/2011/05/02/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%A2%E7%99%BA-%E3%82%A2%E3%83%9C%E3%83%AA%E3%82%B8%E3%83%8B%E3%81%8C%E3%82%A6%E3%83%A9%E3%83%B3%E6%8E%A1%E6%8E%98%E3%81%AB%E5%8F%8D%E5%AF%BE/

抜粋:

“世界中を震撼させた福島原発事故だが、オーストラリアの北部特別地域に住む原住民族ミラー族が受けた衝撃も例外ではなかった。契約にサインすれば巨額の富を約束されているにも関わらず、彼らの土地で行われるウラン鉱石採掘を制限する意志を固めている。

 先祖代々ミラー族が所有してきた土地からは30年以上もウランが採掘され続け、世界中に輸出されている。福島原発を運営する東京電力も主要な鉱山である「レンジャー」の長年にわたる顧客だ。

ミラー族の長老であるYvonne Margarulaは、パン・ギムン国連事務総長に、ミラー族の人々が日本の惨状を心配し原子力の緊急事態について懸念している旨を手紙に書いて送った。

「日本の原子力会社とオーストラリアのウラン鉱山会社との長年にわたる関係をみると、福島原発の放射能事故は、我々の土着の土地から採られたウランが、少なくとも原因の一部であるようだ。このことを我々は非情に悲しく思っている」とMargarula は言う。

 また、長老Margarulaは事務総長に、2つ目の鉱山となる世界最大の未開発のウラン鉱床「ジャビルカ」での採掘反対をさらに強めていく決意と共に、ジャビルカ鉱床が世界遺産指定のカカドゥ国立公園の一部になることを希望すると伝えた。 ・・・”

ユネスコ(と国連)に拍手。

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スイス国民-自殺幇助容認多数ーから

2011年06月29日 | 異文化

前にトモエさんがブログで紹介いていた、「スイスの自殺幇助団体」についての国民投票のことが、ニューズウィーク日本版でも紹介されていたので、貼り付けます。

(トモエさんのブログ:ディスカッション『自殺ほう助』

http://plaza.rakuten.co.jp/urara0115/diary/201106130000/ )

ニューズウィーク日本版

「自殺幇助は合法」スイスの流儀

[20116 1日号掲載]

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2011/06/post-2168.php

 自殺に手を貸すのは禁止、外国から自殺しにやって来るのも禁止──常識以前と思えるルールだが、スイスでは自殺幇助も、外国の末期患者などが自殺目的で訪れるのも合法。チューリヒ州で先週、そんな「スイス流」の是非をめぐって異例の住民投票が実施された。

 世界で最も進歩的な安楽死制度を持つスイスでは自殺幇助が認められており、毎年チューリヒだけでも200人近くが自らの意思で命を絶っている。ヨーロッパではオランダ、ベルギー、ルクセンブルクが安楽死を容認しているが、外国人にもその機会を与えているのはスイスだけ。回復を見込めない慢性疾患患者など、末期患者以外でも本人が熟慮し、医師の厳しい審査を通れば自殺幇助を受けられる。

 ただ、そのおかげで外国人が安楽死の場を求めてやって来る「自殺ツーリズム」や、末期患者以外で安楽死を求める人の数が増え、社会問題になっていた。

 投票結果は現状維持派の圧勝。自殺幇助禁止には85%、自殺旅行禁止には78%が反対票を投じ、いずれも否決された。1941年から安楽死を認めているスイスでは、「最期の迎え方は自分で選ぶ権利がある」という意識が市民に深く根付いている。「人権には死に方を決める権利も含まれていると思う」と、ある地元住民はBBCに語った。

 外国人希望者の受け皿となっているチューリヒの自殺幇助団体ディグニタスは98年の設立以来、1000人以上を「助けて」きた。まばたきもできなくなる難病を患う医師、聴力と視力を失った85歳の指揮者と末期癌の妻......08年には、じきに自力で呼吸できなくなる難病の末期患者が安楽死する姿を映したドキュメンタリー番組がイギリスで放映され、衝撃を与えた。

 外国人希望者は年々増える一方だ。ディグニタスで安楽死したイギリス人は、0207年には年平均14人だったが、0810年は約25人へ急増した。

 一方、ディグニタスを自国の不名誉と考えるスイス人も少なくない。次々と遺体が運び出される施設の周辺地域からは批判が絶えず、過去に何度も立ち退きになった。さらに昨年、チューリヒ湖から数十個の骨壷が発見され、ディグニタスとの関連が疑われた。

 スイス政府は昨年、自殺幇助団体の活動や「自殺ツーリズム」を制限する法案を出すと表明していた。しかし今回の投票結果で軌道修正は必至だ。

自殺幇助-これについては、大抵の国では拒否反応が起こると思います。しかし、スイス国民でこれを容認する人が多いのは、私はさほど違和感を持ちませんでした。

それは、「スイス、オランダ、北欧・・・これらの国々の地形に問題があったり、気候が厳しい、人口が少ない等のハンデがあるためか、他の欧州諸国に比べて価値観が違うというか、『建前を取り払って合理的に』と言う部分があるようだ」という持論が私にあるからです。

北欧、デンマークでも1967年まで、フィンランドは1970年まで、スウェーデンでは1976年まで、知的障害者等に対して避妊手術を行っていたということは、日本ではあまり知られていないと思います。

自殺幇助も障害者の避妊手術や結婚の規制、これについては正直なところ、自分の中では100%否定するものではありません。

もし自分が不治の病にかかった場合は、「できるものなら早く楽になりたい」と思うかもしれないですし、障害者の避妊手術や結婚の規制については、これ自体には反対するものの、面倒を見てくれる親族がいない重度障害者が子供達を産んだ場合(遺伝の問題ではなく、育児放棄が問題)のその子供達の人権を考えてしまうから、歯切れが悪くなってしまいます。

将来、親族(下手をすると近所付き合いも友人も)を持たず、預金もない人たちが増え、そして医療制度も崩壊・・・というようなことになった場合、日本でも『建前を取り払って合理的な手段』をとるようになっていく可能性もひょっとしたらあるかもしれません。

(この場合は、国民の意思としての決定ではない。)

そうなる前に、政治家だけではなく、国民一人ひとりが真剣に将来を考える必要がありそうです。

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『安全神話』も『絶対』も思い込み

2011年06月28日 | 原発・核・311

昨日、欧米の食品用ラップと日本の大手メーカーの食品用のラップについて書きましたが、(『粘着性のある食品用ラップを欧州で売っていない理由は・・・』

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20110627

それについて友人と話をしていました。以下は最後の方に交わした言葉です。

私「それにしても、原発も日本の粘着性の高い食品用ラップも、双方とも結局は『安全神話』なんでしょうね。

さすが原発に関しては、私は『安全』とは全く思ってこなかったけど、ラップのほうは・・・「『日本の規制』は他の国より厳しいから、日本のものを使っている分には安心」「日本のものは絶対大丈夫」というようなことが、無意識に自分のなかの常識になっていたかも。

『絶対』というのも、思い込みや幻想に過ぎないと頭ではわかっているのに。」

友人「まあ、世の中『絶対』というのはそれほどないだろうけど、程度問題という気も。原発の方は『安全神話』というよりは、単なる想定ミスだし。

人間には『神話』は作れません。」

私「『神話』を作るのは、『人間』でしょ。」

友人「そう。だから『神話』と思う方がどうかしている。」

さて、『神話』と言えば、ニューヨーク・タイムズに「日本で原発の安全神話がどのように作られていったか」という内容の興味深いレポート記事がありました。

英文ですが、どうぞ。

New York Times

Building Japan’s Nuclear ‘Safety Myth’

http://www.nytimes.com/2011/06/25/world/asia/25myth.html?_r=1&ref=asia

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粘着性のある食品用ラップを欧州で売っていない理由は・・・

2011年06月27日 | 生活・日常

鰻をレンジで暖めるのに使ったラップに穴があいてしまいました。

普段我が家で使っているのは、サランラップかクレラップの粘着性の良いラップですが、先日から粗品でもらったポリラップ(ポリエチレン100%)を使っていたのです。

「ラップに油が飛んでラップが溶けちゃったみたい。鰻大丈夫かな・・・。」と夫と息子につぶやいたところ、テーブルに既に腰掛けていた腹ペコの二人は即座に「大丈夫、死にゃしない」。

神経質な私もさすがに鰻を捨てる気にもなれず、「1回くらいなら大丈夫だろう」と目をつぶることにしました。

さて、とはいえ気になる私。食べてしまってからでは意味がないとも知りつつ、「やっぱり、粗品で貰うようなラップに問題があったのかしら。だいたい、このポリラップ、粘着が弱くて使いづらいのよね。」と思い、ネットで調べてみたところ、逆にこうした使い勝手が悪いものの、ポリエチレンしか使われていないラップの方が安全であることを知りました(ま、イコール安全ということではないでしょう。)。

以下が、参考にしたサイトのうちの二本を:

ベニシアのブログ

『暮らしながら学ぶ』

http://www.venetia-international.com/m51_blog.php?p=13222&year=2009&month=05&day=1

安心食べ物情報

『「いただいたメール」「ラップ・賞味期限・ラップ・電子レンジ(Q&A)」「ミネラルウォーター」』

http://food.kenji.ne.jp/review/review265.html

この二本はのうちの上段のもの-ベニシアさんという英会話学校の教師でガーデニングやハーブの関係の本の著者でもあり、TVに出演もされているという、まるでターシャ・テューダーのような方のブログ、これを読んでいるうちにふと思い出したのが、ドイツにいた友人Tがサランラップ(またはクレラップ)を欲しがっていたこと。

彼がドイツに駐在中3回お邪魔した私、日本を出る前に、「何か日本から持ってきて欲しいものはない?」と訊くと、必ずサランラップ(ないしクレラップ)がリストに入っていました。

「欧州では、何故か日本のような粘着のないラップが手に入れられない」という彼(英、仏、香港に住んだ経験あり)に、「欧州でサランラップみたいなラップが売っていないなら、どんどん日本から輸出すれば良いのにね。欧州以外の国でも売っていないのかしら。」と言ったりもしていましたが、今回、ラップのことを調べているうちに、

「欧州では、粘着性をだす為に添加物をいれたラップの製造販売は、許されていないのではないか?」

と思うようになりました。

(実際は、「そんな直ぐ捨ててしまうものには、安あがりなポリエチレンだけのラップで十分」と思う欧州人が多く、売っても売れないだけの話かもしれませんが。)

日本にあって海外では手に入りづらい便利グッズに気がつくと、何となく鼻が高くなったものですが、なかには「便利さゆえの危険」も潜んでいることがあるのかもしれませんね。

追記:・・・と、書きましたが、それでも私は今後もサランラップやクレラップは愛用するでしょう。しかし、ポリラップのような、ポリエチレン100パーセントのラップも用意して使いわけしようと決めました。

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福田康夫元首相、政党ではなくグループを選ぶ選挙

2011年06月26日 | 国際・政治

私は「好きな政治家はいない」と前々から書いていますが、それでいても、比較的評価している政治家として、野中広務氏、河野洋平氏と福田康夫氏がいます。(あと今は北川正恭氏と、数年前までの与謝野馨氏。)

皆自民党、そして「親中派」と言われている面々ですが、彼らの所属政党、信条云々より、(昔は知りませんが)良い意味での「政治家らしさ」を持っているという点でポイントが高いのです。

さて、このなかの福田元首相、彼の突然の首相辞任-当事、米政府の圧力があった、もしくは圧力をかわす為(アフガン派兵、リーマンショックの米国救済のための数兆円の拠出等)であったともいわれていましたが、彼は多くを語らずに去った為、「無責任扱い」を受けていました。

(最近、ウィキリークスで彼の首相当事の話や、辞任についての真実が明るみになってきているようです。)

彼の場合の弱点となったのは、自身の頭脳の過信、泥臭いことが嫌い、権力への執着もそんなにない、で「仲間」を作らないできたことでしょうか。

そんな彼のことを池田香代子氏は20098月のブログにこう書いています

http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/2009-08.html#20090803

昨秋、日本とインドの原子力協定が見送られました。

インドは、核不拡散条約(NPT)にも包括的核実験禁止条約(CTBT)にも加わらずに、公然と核兵器をもっています。国際社会は通常、そうした国の核の民生利用を容認しません。けれど新興大国インドは、原発をどんどんつくって経済発展に拍車をかけようとしています。

末期ブッシュ政権は、国際社会にごり押しをしてそのインドと原子力協定を結び、民生部門の核技術を移転することにしました。国際ルールも外交整合性もあったものではありません。

インドは、アメリカだけでなく日本からも核技術の提供を受けたいと考えました。原発プラントの応札国が多いほうが、発注国としてなにかと有利だからでしょう。それに先頃、アメリカの原子炉製造の老舗、ウェスティングハウス社は、その技術とともに日本の原発企業、東芝に買収されましたし。

ところが、その日印原子力協定が、時期尚早という日本側の判断で見送られたのです。

当時はわたしも、世界平和アピール7人委員会をつうじて知らせを受け、院内集会に駆けつけるなどして、はらはらしながらなりゆきを見守っていました。

協定の最終合意をとりつけるためのインド首相の来日が迫り、国会近くの超一流ホテルでは、原発業界が前祝いの盛大なパーティを開いていました。協定をやめさせたい側にとっては、絶体絶命の状況でした。

外務省担当部局を招いた(呼びつけた、と言ったほうが適切かもしれません)議論では、インドの核保有を容認することになる日印原子力協定にたいして、老いた被爆者の方がたが怒りをあらわにし、環境や平和関連のNGOが豊富な専門知識と鋭い論理で追求しました。外務省が答えに詰まったり、あいまいな答えではぐらかそうとしたりすると、被爆地選出の与党議員が、「それは違う」「文書で回答するよう求めます」と語気鋭く迫り、まるで外務省つるしあげの様相を呈していました。

外務省の担当部局は、市民が見せた反発の激しさに、いまこの時期のインドとの原子力協定はいかがなものか、と政権に進言したのでしょうか。時の福田首相は、来日したシン首相にじかに協定見送りを伝えたのです。

英断だと思います。

そのおかげで、外務省はどうあれ、世界に核廃絶をうったえるべき被爆国の道義的一貫性が、このときばかりはまさに首の皮一枚で救われたのですから。政府は、業界の大きな圧力にさらされながら、いくら経済が深刻だからといって、アメリカのようになりふりかまわず新興大国にすり寄り、貧すれば鈍するの醜態を国際社会に晒すことを、あと一歩のところで踏みとどまったのですから。

このこと、なぜかメディアはあまり報じなかったように思いますので、ここに記録しておきます。NGOや市民団体が国の政策に影響を与えることがある、わたしたちは、可能な範囲で勉強し、時間のやりくりをしてそれぞれができることをちょっとやり、広くつながって力を合わせれば、政策決定の場でプレーヤーになれる、そのことを確認するために。

この話題をここで蒸し返す理由は、もうひとつあります。政治家も官僚も業界も、そしてもちろん相手国インドも、日印原子力協定を諦めたわけではない、ということです。

それは、政権が変わっても同じです。

さて、話を元に戻しますと-

どの政党も政治家も長所と欠点があります。

ふと、一人ひとりに問題があっても、組み合わせ次第では良い政権ができるのではないか、と思ったりします。

現在たとえば国民に人気がなくても、議席の確保の為に国民が納得しないまま他の政党でも与党となってしまいます。首相はもちろん、大臣選出だって納得できないものも多いです。

「国のリーダーを直接投票で選べるように」という声もありますが、いっそのこと、所属政党も抜きに「首相、大臣」のグルーピングをいくつかして、そのグループを国民が直接投票で決められるシステムがあったら良いな、と思います。

たとえば(思いつきの適当な例です)、

グループ1:

首相:(思いつかず)、内閣官房長官:福田康夫氏、内閣官房副長官:枝野幸男氏、財務大臣:(思いつかず)、外務大臣:政治家ではありませんが、たとえば寺島実郎氏、経済産業大臣:河野太郎氏、国土交通大臣:前原誠司氏、厚生労働大臣:増添要一氏・・・・などなどがグループ1とか。

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ルイジさんからのメール-イタリア事情

2011年06月25日 | 友人・知人

先のブログで、結婚しない中高年のことを少し書きましたが、前に、イタリアのペンフレンドのルイジさん(30代)と、草食系男子と、結婚しない男性について話したことを思い出しました。

彼の英語は完璧ではありません(それは私も同様なので、文通が成り立つ)が、書いてあることは、大変興味深いことなので、少し長めの抜粋ですが、貼り付けさせてもらっちゃいました。

彼が書いているのは、イタリアの男性が昔ほどマッチョばかりでもないし、女性の尻を追いかけていないこと、女性が独立したこと、そして、イタリアにパラサイトシングルが増えたこと。

(彼には転載許可を貰わずに抜粋を載せていますが、今晩、彼にメールでこのページのリンクを送って、「参考にあなたのメールの抜粋をブログに転載させてもらった」と断わりをいれておきましょう。

明るい彼は、「いつでもどうぞ」って、言ってくれることでしょう。

well... for the "soshoku danshi"... I apologize... but if I don't know and see in concrete what is it, and I only read... I understood not very much... because I cannot imagine this particular situation

So when I read the articles, they have put the attention for the sexuality of men, that are not gay, but also they don't want to go with women... and in this case... also in Italy is rare...

but if you say that the meaning is that they have many female friends, but they are not aggressive in romance, they like women, but they don't think only to them (but they think), well, in this definition, I see many Italian men, (not all) of my generation, or the next.

But until I will not see what is this "soshoku danshi" maybe I say something for anoher.

For example in Italy, even if in the television, there is always the macho's culture, many men of my generation, are not (including me...) we are not the stereotype of Latin lover, even if we like the women.

Then, the meanings that I do for 'that is not the priority' is that we have some female friends and we go out with them, but not for intention to do sex... if so... here there are many... not all... but there are...

About the sexuality here, there was a strange wave.

Because until the years 60 there was only culture of macho, and Italy was male-dominated society.

In the years 70, with the feminist movement, the mind of Italian men was changed, enough. Also because in a family both spouses should or would work.

Also the sexual life of women is changed. They were more certain, more safe, and some time also hard.

So, for ten years men and women stay were at the same level.

But (maybe you don't believe, but is so...) in the years 80-90 when Berlusconi begun his career as contractor of television, he transmit (welll he is not alone, there was the staff that take the decision) many shows or movies with high sexual contents.

And over time, also the advertising put many sexual contents, but not only. They put many stereotype references of the female rule.

So the minds of new generation is an other time changed.

In different way...because there is a mix.

So the desire of young girl is to become a show girl, little dressed, that can do nothing, but is watched from all.

There is not a problem to use her body to do something.

So the girl are not for the housewife, like year 50, but they think to the sexual man pleasure.

Is difficult to explain correctly for me... maybe when you come in Italy or when you went, you have seen something.

But, leave the sexuality, an other phenomenon is grown in these years.

The Italian term is 'bamboccione' (big baby) that means that many boy like me or more older than me (well me I consider I boy not a man... mature man...) still live with parents.

They not leave the parent's house, sometime because they have not work (but in this case is normal...) but more because they fell good to stay with them, they don't have much costs, less things to look after, and so on...

They go out with friends, do a good life, but then they return to the parent's house.

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遠くない将来、医療や福祉の現場で待ち受けているもの

2011年06月25日 | 福祉・医療

私にとっては拒否反応を起こす部分も少なくない対談ですが、ご参考まで。

  Globis

『権丈善一氏×古川元久氏×山本雄士氏「強い社会保障と経済成長の両立は可能か」~G1サミット2011レポート~』

http://www.globis.jp/1686

さて、義父が入院してちょうど一ヶ月になります。

義父のところへは、義母が毎日数時間、そのほか子供、孫が可能な限り病院に顔を出し、その他親戚等も頻繁に覗きに来てくれています。

しかし、同じ入院患者でも、ほとんどお見舞いにくる人もいない高齢者がちらほらいることに気がつきます。

私の周りにも40代以上で独身がたくさんいて、 実のところ、私の姉もいまだ独身ですが、彼女が高齢となって入院することがあっても、距離もあるし、その頃は自分も老いているので、付き添いやお見舞いに私が頻繁に行けるかどうかわかりません。(ま、彼女の方が長生きしそうですが。)

今後、(結婚している、していないにかかわらず、)年収が低くて貯金がない、家族がいない等の高齢者は一気に増えると思いますが、医療、生活保護、国が支えていけるのかどうか、不安になります。そして財政や個人の費用負担だけでなく、こうした身寄りもお金もない入院した場合、いったい誰が世話をすることになるのでしょう。留守宅から、入院中の細かい雑用やら。

そういえば、福島の被災地から入居者ごと埼玉や神奈川に避難する福祉施設のスタッフを見て、ある看護婦さんが、「入居者の家族にも事情があるだろうけど、こんな状況で家族を福祉施設に預けっぱなしと言うのは、見ていてやり切れない」と書いていたものを読んだことがあります。

家族が亡くなる、もしくは家族自身が避難所暮らしだったり、入居者の中には身寄りのないお年寄りもいるかと思いますが、この看護婦さんの発言を読むまで、「入居者の家族は何故自分の親を迎えに来ないのだろう」という疑問を、自分が全く持たなかったことに気がつきました。

北欧では、娘や他の家族が、「国がやってくれるから」と言って、高齢者の親の元にほとんど顔をださないし、出したとしても親の介添えも何もしないのが当たり前(?)になっているようなことをNHKの番組で取り上げて、福祉が充実しすぎるが故の欠点に気がついたことがありました。(北欧の高福祉も、今バランスが悪くなり、崩壊しつつありますね。)

国の福祉のあり方にかかわりなく、家族でさえドライになっていることが多くなっているのに、ましてや血のつながりもない人間が親身になって患者の面倒(心のケアも含めて)を見れるか。システムを作りは確かに必要ですが、ほぼ不可能の気がします。

国際政治や経済の問題を考える時、「ルービックキューブのようだ」と思うことがありますが、こちらは一応(理論上だけなら)6面が揃ったりもします。が、社会福祉の問題は生身の人間のことであり、タブーを破るような大胆さがないかぎり、答えが見つけられません。

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エネルギー開発を担当する経産省が環境問題にも権限があるという構図

2011年06月23日 | 国際協力・プロジェクト

昨日のブログ『サハリン産ガス直接供給プロジェクトに関して原子力・保安院が出した勧告』に対し、STさんから2度コメントをいただきました。

そのコメントの一つにあった、

「環境影響評価(俗に言う環境アセスメント)ですが,エネルギー関係の所管官庁は経済産業省なんですよね。実は・・・(環境省は助言するのみ。)」

というのが引っかかり、環境関係の仕事をしている知人B氏にメールをしました。

B

・・・・・「昨日、「環境影響評価(俗に言う環境アセスメント)ですが,エネルギー関係の所管官庁は経済産業省なんですよね。実は・・・(環境省は助言するのみ。)日本の仕組みがこうなっている経緯は私はしりませんが・・・」という話を聞きましたが、エネルギー関係で、エネルギーを管轄する省庁が環境に対して権限を持っている国というのは、たくさんありますか?(結局分散していても、最終的には折り合うようになっているとは思いますが。)

ゆかり”

この後B氏は、

「電力会社が発電所を建設しようとする場合その環境アセスはエネ庁が監督します。

設備投資という経済行動に付随する、すなわち機械の性能を評価するための手続きとしての環境アセスという性格に着目して、経産省・エネ庁なのでしょう。因みに地球環境問題は経産省と環境省の共管です。」

という説明をしてくれ、そして、中国は水力発電の管轄は地方の環境局、(発電ではありませんが)インドの肥料工場の案件では環境森林章が担当しているという最近の例の紹介と、そしてアメリカはエネルギー省が担当しているようだ、ということを教えてくれました。

この後、B氏に以下のように返事を書きました。

B

お忙しいところ、ありがとうございました。

実は、この話の大元は、2006616日の、経済産業省が日本パイプライン(株)(当初予定していた名称は北日本パイプライン開発機構)に出したサハリン関係の勧告書の話でした。

http://www.nisa.meti.go.jp/oshirase/2006/1080.html

前にBさんから、「日本の地熱開発が進まないのは環境省が嫌がるから」というのを伺っていたこともあって、この上記勧告で経産省が「環境保護を楯に反対」というのを前面に出していることに、私は引っかかっていました。

「食物の放射能汚染を、何故農林水産省でなく、政府がするのだ?」という声を前に紹介させてもらったと思いますが、今考えるに、「農林水産省は農協と深いつながりがある以上、そういう意味では、放射能汚染に対する発表は政府からの方が若干はマシだったかもしれない」(といいながら、政府の方は補償問題があるので、これまた信じられないのが悲しい・・・)と思えます。

放射能汚染は国民の健康に対しての責任についてですが、環境に対する責任-エネルギー関連の省が、環境にかかる権限を持つということは、環境保護がその時のご都合で良いように使われてしまうといことで、好ましくないですね。

(ドイツは原発停止命令で反対する電力会社に、環境担当が随分強い言葉を言っていたのを新聞で見ました。印象的でした。)

ちょっと、これも調べてみます。

なお、言い忘れましたが、上記勧告には、エネ庁ではなく、原子力安全・保安院の名が連ねられています。

原子力安全・保安院が「安全」ではなくて、「環境保護」をメインに勧告を出すのであれば、この機関の名称を変えるべきですね。妙な誤解(?)を招きますから。

ゆかり”

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サハリン産ガス直接供給プロジェクトに関して原子力安全・保安院が出した勧告

2011年06月22日 | 国際協力・プロジェクト

2006622日、ちょうど5年前ですが、時事通信に、このような記事がありました。

サハリン産ガスを直接供給=パイプラインで北海道へ

【モスクワ22日時事】北海道の財界などが設立した「北日本パイプライン開発機構」(JPDO)は22日、ロシア極東・サハリン産の天然ガスを北海道に直接供給するガスパイプライン建設計画をロシアの政府系ガス独占企業ガスプロムと交渉していることを明らかにした。モスクワで開かれているロシア石油ガス会議に出席中の蝦名雅章同社取締役が記者団に語った。

 ルートはサハリン南部のアニワ湾から北海道・稚内を結ぶ海底パイプライン敷設など2つの候補が挙がっており、ガスプロムの子会社が調査中。同取締役は、2008年に建設を始め、11年に輸入を開始したいと述べた。総事業費は約3000億円。日本側は将来、青森県のむつ小川原工業地域までパイプラインを延長したいとしている。 

この構想について、記事より数日早い2006616日に、経済産業省、原子力安全・保安院が、「北日本パイプライン開発機構(現:日本パイプライン株式会社)」に対して以下の勧告を出しています。

「北日本パイプライン開発機構(株)(仮称)名寄天然ガス発電所設置事業に係る環境影響方法書に対する勧告について

2006616 

当省は、(仮称)名寄天然ガス発電所設置事業に係る環境影響方法書について審査した結果、電気事業法第46条の81項の規定に基づき、北日本パイプライン開発機構(株)に対し、環境保全の観点から勧告を行った。 

※勧告書のPDFは以下のリンクの中にあります。

http://www.nisa.meti.go.jp/oshirase/2006/1080.html

なお、日本パイプライン株式会社の事業内容はこちら、

http://www.jpdo.co.jp/project.html

沿革は以下のとおり(2009年以降がないのですが、これはどうなっているのでしょう。)。

http://www.jpdo.co.jp/history.html

サハリン開発に関しては、(このプロジェクトだけであったか忘れましたが、)確かに環境保護団体が反対の声を上げていたと思います。

これはサハリンに限ったことではなく、開発は何であれ自然破壊を引き起こし、それを反対する人たちもいます。

どんなに市民が反対しても押し切られるケースがほとんどであるのに、このプロジェクトに関しては、国は大変環境保護団体に協力的であったようです。

しかしながら、この(環境問題重視の)勧告を行ったのが経済産業省、原子力安全・保安院であること・・・腑に落ちません。

(確かにCO2排出権関係は経産省の管轄ですが・・。)

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「トモダチ作戦」は有益な軍事研究の材料、インドの貧民は新薬テストの実験台

2011年06月22日 | 海外ニュース・できごと

共通点があるのかないのかはともかく、読んでいて不快になった記事です。

知って欲しいので、紹介します。

ウォール・ストリート・ジャーナル 日本版

『米軍、日本での原発危機対応で貴重な教訓得る』

http://jp.wsj.com/Japan/node_252459

冒頭:

“日本は、米国が近代戦を研究する上で思いも寄らない実験場となった。今年311日に発生した東日本大震災に伴う原発事故により、テロ・グループがダーティボム(核汚染を引き起こす爆弾)を爆発させた場合に直面する可能性があるような状況が生まれたためだ。 

先週沖縄を訪問したアモス米海兵隊総司令官向けの背景説明で、在日海兵隊当局者は、震災支援で発動された「トモダチ作戦」について、最悪の戦争シナリオに対する米軍の対応を研究する上で有益だったとの認識を示した。 

 同作戦に関わった第265海兵中型ヘリコプター飛行隊指揮官のダミエン・マーシュ中佐は「トモダチ作戦は恐らく、放射性環境下では最も有名な作戦になるだろう」と述べた。・・・”

そしてこれも。

ニューズウィーク 日本版

『「臨床治療天国」インドの闇』

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2011/06/post-2157.php

公的医療制度が不備なインドで、低所得層相手に低コストで新薬のテストを行うビジネスが横行していると言い、彼らを遣うのは国内企業に留まらず、グローバル企業も参入しているとのことです。

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“足踏みミシン”は“電動ミシン”より劣っているか?

2011年06月21日 | 雑感

ニューズウィークの冷泉彰彦氏のコラムに、興味深いものがありました。

『デジタルかアナログか、アメリカの交通システムを考える』 

http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2011/06/post-310.php

ここでは、

「17日の金曜日のニューヨーク・タイムズに妙な記事が出ていました。何でも最近のニューヨークの地下鉄では、車内に電光掲示板で駅名表示が出るようになった一方で、車掌のアナウンスが減って寂しいという内容です。別に自動化が進むことでリストラが発生するとか、深刻な話ではなく、単に人の声での生のアナウンスが減るのは機械的で冷たいというような他愛ない話です。」

「デジタル化するならば、何でもかんでも自動化してしまい、ヒューマンな部分は駆逐してしまう、アメリカの交通システムは(それだけではなく銀行のリテールとかもそうですが)そうした傾向があるように思います。デジタルと人間の混在でうまく全体のシステムをつくっていくというよりは、自動化原理主義のような方向性です。」

と書いてありますが、「アナログからデジタル」、「自動化原理主義」、これらについては産業革命の頃からずっと「効率化」や「合理化」の名目で、先進国はその方向を目座して進んできていると思います。

そして、このなかには、「ヒューマンな部分が抜けて残念だ」というだけでなく、受け手が不便になることも省みずに推し進められたものも多いのに、誰も文句を言わず。

(自動化されることで企業は人件費を削れたと思うのに設備投資のために値下げもなく、利用者にはデメリットしかない場合も無きにしも非ず。そして、デジタル化や自動化は電気の消費も増やしてきました。)

デジタル化(及び電化)といえば、最近新聞の投書で、40代の女性が「電話はダイヤル式で十分、手動ネジ巻きでも十分のものもあるのに、なんで全部を変えてしまったんだ」というような不満をぶつけているのを見ました。

家庭的ではない私でも、ときどき大抵の家庭にあった足踏み式ミシンを思い出します。

ボランティア・センターで働いていたとき、古着を使ってアイディア商品を製作するボランティアグループが月に二回、会館にやってきました。彼女達は会館においてある電動式ミシンを会議室に持ち込んで活動をするのですが、昔の足踏み式ミシンを懐かしむ人が多かったです。

(電動ミシンはコンパクトで場所をとらないし、こうして持ち運びができるメリットはありますが、環境にやさしく、使い勝手のよい足踏み式ミシンにはかなわない気が・・・。)

さて、自動化原理主義-機械化、自動販売機、自動改札、自動音声対応・・・延々と続きますが、今のところ聖域を侵されていないのは、芸術の分野だけか。職人技の分野は、たとえば日本であれば、人間国宝分野の職人以外のものは何かしら影響を受けているように思います。(残念ながら、職人自体が随分淘汰されてしまいました。)

「巨匠の指揮や演奏を再現するロボットや機械による自動演奏会」なるものができたら、クラシック音楽愛好者の友人Tなどは「冒涜」という言葉を使って怒り狂うことでしょう。

(こうしたファンがいることと、その存在自体に価値があるから、芸術は自動化を間逃れているのか。同じ芸術でも、近代の誕生した映画などは、そのうち俳優のいらないCGだけの世界になる可能性もあるかもしれませんが。)

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脱原発の影響、資源の枯渇

2011年06月20日 | 環境・エネルギー

ドイツ、スイス、イタリアの脱原発決定を受けて、欧州ではロシアからの天然ガスの供給がより重要な意味を持ってくるのではないかと思います。

3カ国が電力供給のための再生可能エネルギーによる発電開発をしている間は、当時国にとっても、周辺国にとってガス発電は一番リーズナブルな方法でしょうから。

ただ、天然ガスが結局化石燃料であるということと、自国から生産が期待できない燃料に依存をするということは、どの国にとっても頭の痛い問題。

・・・というところで、「ポーランドのシェールガスは、欧州大陸のエネルギーゲームを大きく変えられるか」という記事を見つけました。

Radio Free Europe

Poland’s Shale-Gas Dream Could Dramatically Change Continent's Energy Game

http://www.rferl.org/content/poland_shale_gas_extraction_energy/24238051.html

抜粋:

GDANSK, Poland -- Could Poland become Europe's energy powerhouse?

The idea seems patently absurd given that the country is dependent on outdated coal power and Russian gas imports to meet its domestic energy needs.

But in a field outside the northern Polish village of Lebien, 90 kilometers west of Gdansk, it's an idea people are taking very seriously. At first glance, it doesn't look like much: a fenced-in area, a rig, a small construction team.

But what matters is what is located 3 kilometers underground -- large deposits of shale gas. If these can be tapped and exploited, it could dramatically change Europe's energy equation, reducing the continent's dependence on Russian imports and thus eliminating a major source of Moscow's political influence over Europe.

The EU as a whole depends on Russia for 25 percent of its gas supplies. Poland is particularly vulnerable, with 65 percent of gas imports coming from Russia.

Karl De Mong is vice president of Realm Energy, one of 22 companies, mostly from the United States and Canada, which has been granted concessions for the exploration of shale gas in Poland.

"It is very possible that Poland could have gas on a large enough scale not only to displace Russian gas supplies but probably to displace coal-power generation as well,” De Mong says.

現在EU全体はロシアからのガス供給依存が全体の25パーセント、ポーランドは65パーセントをロシアから輸入。

そんなポーランドは、「シェールガスを生産してエネルギー大国となりたい。同時に、輸入依存を解消してロシアの影響から逃れたい」と思っているのは当然でしょう。

しかし、どうやらこれには欧州へのロシアの影響拡大を恐れる米国の影もちらり。

そうなるとロシアは当然反発をするでしょうし、面倒なことが起こらないとも限りません。

さて、化石燃料といえば、中部大学の武田邦彦教授が、ブログで、「(化石燃料)資源の枯渇」に対する疑問を述べていらっしゃったようです。

子供の時代のエネルギー(1)恩師の手紙

http://takedanet.com/2011/06/post_991d.html

「資源の枯渇」ですが、これは必ずしも資源が世界から採りつくされてしまうことではないと思います。

発掘していない資源は世界中あちらこちら、もちろん日本にもあります。そして既に資源を採掘している場所でも、残りがあったとしても、採掘に労力とお金がかかりすぎるようになったとき(つまり採算があわなくなった場合)が「枯渇」。

上の記事のシェールガス-これらは数年前まで「環境破壊」「採掘が難しい」といわれて相手にされてこなかったはずなのに、最近は脚光を浴びるようになっています。

「枯渇」と「環境問題」はその時の情勢や政治によって言い分が変わる代表格でもあるでしょう。

ついでに、ウォール・ストリート・ジャーナル日本版から、もう一つ記事を紹介します。

WSJ日本版

「楽」な石油は枯渇へ-鍵を握るサウジ重油プロジェクト

http://jp.wsj.com/Business-Companies/node_241333

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国民性とヒーロー

2011年06月19日 | 人物

先日、ドイツ人の友人トーマスさんがアイゼナハに行ったので、そこにあるバッハハウス(バッハ博物館)のなかのオルガンの写真を送ってきてくれました。

実はアイゼナハは私も行ったことがあり、そしてバッハが好きな私も当然バッハハウスを訪れています。そして、その時、バッハハウスのチケット売り場にいた凄みのある館員の小母様に「写真はだめよ」と言われたことと、私たち以外の来館者も一切写真を撮っていなかったのを思い出し、

「写真をありがとう。とても懐かしいです。だけど・・・確かバッハハウスは写真撮影禁止だったと思いますが、ドイツ人でも、規則を破る人がいるのを知って、笑ってしまいました。」

とトーマスさんにふざけて返事。

その後のメールで、トーマスさんは、

「バッハハウスのガイド(バッハの人生と作曲の背景の話を、4台のオルガン演奏を交えて話してくれる説明員がいます。)は、写真を撮っても良いと行ったけど、規則が変わったんだろうか?

いずれにしても、ドイツ人だって規則を守らない人間はたくさんいますよ。現に僕だって、ルーブルでモナリザの写真をとってしまったし。(※ルーブル美術館はフラッシュをたかなければ写真撮影はOKのはず。)」

彼は私の冗談に腹はたてていないものの、あまり愉快そうではなかったので、私は以下の返事を。

「国民性というのは、ほとんどナンセンス(&面白がるのもちょっと悪趣味)ですが、あなたはこんな笑い話を知っていますか?

"A Sinking Boat"

 

On the boat are an American, a British man, a German, an Italian, a French man and a Japanese.

The captain urges the passengers to dive into the sea.

He says to the American man , "you will be a hero if you do it."

to the British man, "you will be a gentleman."

to the German guy, "this is an order to jump."

to the Italian man, "you will be loved by many women later."

to the French man, "don't jump"

and to the Japanese man, "everyone is jumping!"

(※沈みかけた船に乗った、アメリカ人、イギリス人、ドイツ人、イタリア人、フランス人、そして日本人の客を海に飛び込ませようとした船長、アメリカ人には「飛び込めば、あなたはヒーロー(英雄)」、イギリス人には「飛び込めば、あなたは紳士」、ドイツ人には「飛び込むのが“決まり”」、イタリア人には「飛び込めば、女性にもてるぞ」、フランス人には「飛び込むな」、そして日本人には「皆飛び込んでいるぞ」。)

これを最初に読んだ時、特に「飛び込めば、あなたはヒーロー」っていうのに苦笑してしまいました。(※実は、「保険があるから、飛び込んで大丈夫」とアメリカ人に言うバージョンもあり。)

アメリカ人は映画だけ見ても、本当にヒーローが好きですよね。

311日以来、福島原発および周辺で作業をしている人たちを「彼らはヒーロー」と特集を組んでいた米国の新聞がありましたが、日本人感覚でいえば、「彼らはヒーローというより、特攻隊」と思う人の方が多かったのではないかと思います。」

さて、私はこうしたアメリカ人のヒーロー好きをあまり好ましく思わないものの、今日のウォール・ストリート・ジャーナル日本版のこの記事を読んだとき、つぶやいてしまいました。

「彼(藤原節男氏)はヒーローだわ」と。

ではその記事をどうぞ。

WSJ日本版

元原発検査員、内部文書公表でずさんな実態を告発

http://jp.wsj.com/Japan/node_250525

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ひよきちさんの『自分のままで』を読んで

2011年06月19日 | 友人・知人

ひよきちさんという高校生のお嬢さんをお持ちのお母さんのブログから、以下のものを全文転載させていただきました。

(ひよきちさん、お断り無しに失礼しました。

皆さん、段落と表示が都合上一部オリジナルと違うところがあります。是非オリジナル版をご覧ください。)

『自分のままで』

http://plaza.rakuten.co.jp/hiyokiti35/diary/201106120000/

娘が前から行きたがっていたギャラリーへ。

そこではジュエリー展が行われており

美しい宝石が整然と並べられていた。

私と娘・・・親子とはいえど 

趣味嗜好は全く違っており

彼女はアクセサリーやファッションに関することが大好き。

何やら神妙な顔つきで(笑)

オーナーの方からいろいろと説明を受けていた様子。

一通り説明をしていただいたあと

娘は 今度は常設のガラス器に夢中になっており

私は オーナーと、ギャラリー敷地内にある石仏や

庭に植わっている山橘についてお話をさせていただいた。

・・・山橘の実の美しさについて

こんなにも意気投合してお話が出来るとは!

なんだか嬉しく、心躍る思いだった。

そう、オーナーの仰るとおり南天や千両では駄目なのだ(笑)。

やはり、山橘。

控えめにひとつ、

ふたつの朱い実をつける山橘であるからこそ美しい。

そして敷地内の石仏。

敷地内にいくつか点在しているのだけれど

その中でも庭の入り口、

そして庭の一番奥にある石仏に最もこころ惹かれる。

まるで石仏に命が吹き込まれているようで

目にしたとたん、足を止め、そこから動けなくなってしまった。

それほど惹かれた。

そのことをオーナーに申し上げると

オーナーは深く頷きながら

実は、その2つの石仏を手に入れることが出来たからこそ

自宅の庭を全部やり直したんです、と。

弥生式土器についても、そう。

土器と、平成の世に生きる私たちの間には・・・と

私が言いかけるやいなや

オーナーが「2000年ほどの時間があるんです!

本当に不思議な気持ちになりますよね」と。

これから自分が言おうとしていた言葉が

相手からこぼれ落ちた瞬間・・・。

(自分自身、単純かも知れないけれど)

・・・なんだか、感動してしまった。

目立たぬ山野草の美しさも

石仏も、そして土器についても

あとでさらに盛り上がってしまった18世紀、英国製の椅子についても

そのかけがえの無さ、素晴らしさについて

楽しくお話することが出来、まことに有り難く思われた。

・・・私自身、いままで自分のことを

少し変わっているのかな?と思っていた。

(家族に言わせると

いや違う、かなり変わっている、とのこと。)

他の方々が興味を持っていることにはあまり関心を示さず

古墳とか、山野草とか

・・・そういうものばかり好きになってしまって

心のどこか、何でこんな自分なんだろうと思っていた。

正直、どこか引け目さえも感じていた。

けれど どんな自分だとしても

・・・それでいいのだと思う。

いや、おそらくは人間、

そういう生き方しか出来ないのでは?と。

無理せず、媚びず、背伸びせず。

自然体で生きていれば

いつか、同じ価値観を持った人に出会えるはず。

・・・そんな風に思えた 土曜日お昼下がり

あるギャラリーでの出来事でした。

彼女が体験したこのひと時。静寂ななかに、人間にとっての幸せの本質が詰まっている気がして、心に残ります。

ほんの小さな一瞬に感動ができ、自然や古代のものに存在する何かを感じ取れる本能、そういうものを人間は本来持っていると思うのですが、退化、もしくは忘れてしまっている人のなんて多いことか。

なお、どうでも良いことですが、最後の方の彼女のつぶやき-「何でこんな自分なんだろうと思っていた」という言葉、私にはとても理解できます(神経が図太い私は、引け目までは感じることはなかったのですが、それでも孤独や空しさを感じることは何度もありました。)。

きっと同類は、思いのほかたくさんいることでしょう。

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被ばくから子供を守ろうとする母親はモンスターに非ず

2011年06月18日 | 原発・核・311

アメリカ人の友人のティムさんが、「これ、興味があるのでは?」と言って、ウォール・ストリート・ジャーナルの記事のリンクを送ってきてくれました。

Moms Turn Activists in Japanese Crisis

http://online.wsj.com/article/SB10001424052702303499204576389094076351276.html

実は私はこれと同じ記事を日本版で既に読んでいたのですが、改めてオリジナル版を開いてみて、日本版では端折られていて読めなかった母親たちの訴えを読むことができました。日本版の記事はこちらですが、

立ち上がる日本の母親達―原発事故を受け

http://jp.wsj.com/Japan/node_251116

簡単な英語ですので、上記のオリジナルも是非読んでみてください。

さて、日本語勉強中のティムさん、記事のなかで一人の母親が使った『モンスター・ペアレント』の『モンスター』の単語が気になったようで、

「『モンスター』だと子供に対して悪い親を思い起こさせるから、『over protective parent(過保護な親)』って、英訳するときは書き換えた方が良さそうですね」と書いてきました。

Since I'm studying Japanese I thought I might point out one interesting poor translation.

"They think I am a monster parent," says Ikue Sakai, 27, who has two sons ages three and six, and also bought a dosimeter. "I keep getting asked by other parents, 'Why don't you just move? What do you want?' "

"Monster parent" isn't a special term like it is in Japanese.  In English this reads like the mother is "evil" and wants bad things to happen to her children or is treating them badly.  A better English translation is an "over protective parent".

これに対し私は、

「モンスター・ペアレンツ(モンスター・ペアレント)は、通常は、常識のない親、クレーマーの親のことを指します。

この言葉を使ったサカイイクエさんの場合は、自分のことをモンスター・ペアレントとも思っていないし、そう思われることも全く恐れていず、何もしてくれない人たち、声を上げない人たちに対しての皮肉を込めて使ったんじゃないか、と思います。」

と説明し、コメントしました。

ま、自分の権利や意見を述べるのが当たり前の国に育ったティムさんには、こんな時ですらサカイイクエさんのような人が特別視される日本のことは理解できないでしょうから、私のコメントはかえって彼を混乱させたかもしれません。

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